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(資料1)高等教育での障害学生支援支援についての背景

多様性を尊重しあう共生社会ヘ
高等教育と障害に関する全国協議会の設立準備によせて

 本日は、「高等教育と障害協会(Associationon Higher Education and Disability,AHEAD)」のスコット・リスナー会長、これまで障害学生支援に積極的に取り組んでこられた高等教育機関、今まさに積極的に取り組もうとされている高等教育機関の責任者、担当者、教職員、障害学生支援の活動をされている支援者、学生などを中心に多くのみなさまにお集まりいただいたことに、「高等教育における障害学生支援に関する全国協議会(仮称)設立準備大会の呼びかけ人全員の気持ちを代表して心よりお礼を申し上げます。

 国連において2006年に採択され、2008年に発効した「障害者権利条約」は、障害者の権利に関する包括的・総合的な国際条約として、多くの国々の障害者施策を前進させることになりました。それは日本も例外ではありません。2007年に障害者権利条約に署名した後、締結に向けた国内法の整備が進められてきました。その作業は日本らしいきまじめかつ誠実なものであったと思います。条約では、障害を理由とする差別の禁止についても、締結国による適切な措置の実施を求めており、日本でも、2011年には、条約の差別禁止規定の趣旨を取り込む形で「障害者基本法」の改正が行われました。

 さらに、障害者基本法に掲げられた差別禁止の基本原則を踏まえ、差別の禁止に関するより具体的な規定を示し、広範な分野を対象として、障害を理由とする差別の解消に向けた措置等を定めた「障害者差別解消法」が今春の通常国会において全会一致で成立しました。障害者差別解消法は、丁寧な議論の積み重ねの上に立案されており、閣法ではあるものの、実質的には議員立法とも言えるような法律です。参議院選挙直前という難しい政治状況であったにもかかわらず、与野党が一致してこの法律を実現させたことは特筆に値します。障害者差別解消法は障害当事者やその関係者・団体、事業者、国会議員、行政官、研究者など多くの人々が、それぞれの立場でできることを、その人だからこその力を発揮して実現した画期的な法律です。

 新しい法律の条文を一読しただけでその法律が社会にどのような作用を及ぼすことになるのかを予想するのは困難です。法律の記述は概してコンピュータのプログラミング言語に似ています。その法律におけるいくつかの重要な用語の意味が最初に定義され、複雑な条件文の形式で命令が順に記されます。そのため、個々の条文を理解し、そのうえで法律の全体構造を理解するには、根気や熟練を必要とします。しかし、法律の条文を読むだけでその法の効果を予想できないのは、なにも法律の記述が難解だからではありません。法の効果は規定とともに運用に依存するからであり、その法律に市民社会がどのように向き合うか次第だからです。この法律で規定された合理的配慮をめぐって、至る所で建設的な対話が始まることを期待します。それは多様性を尊重しあう共生社会へと私たちの社会を進化させていく道に通じていると思います。日本はまもなく障害者の権利条約を批准するでしょう。批准すれば、締約国のコミュニティに参加することができます。日本の国際協力は、障害と開発の分野にこれまで以上にコミットしていく必要があります。

 障害者の権利条約、障害者基本法、障害者差別解消法は、障害の社会モデルという考え方に基づいて障害者の基本的人権を護ろうとしています。端的にいえば、社会モデルは障害を社会的障壁という視点で捉える考え方です。社会的障壁を削減するには社会による積極的な取り組みが必要です。高等教育における障害学生支援も社会による積極的な取り組みとして要請されています。そこではハード、ソフト両面の「アクセシブルな環境」の整備と個別の「合理的配慮」が重要です。いわば両者は車の両輪です。

 35年前、私は全盲の大学生でした。全盲の学生が点字受験をして大学に入学するだけでニュースになる時代でした。当時も障害学生への支援はありましたが、それは多分に指導教授、特定の職員、学部教授会、事務局長などの気持ちに依存したもので、大学全体のシステムとして確立してはいませんでした。当時ある国立大学で点字受験を認めるかどうかで教授会が紛糾し、私は教授会主催の会議に呼ばれて質問を受けるという体験をしました。全盲の学生の受験を認めない教授たちは、火災や地震が起きたときに安全に責任を負えないという理由で反対しているが、あなたはどう思うかと尋ねられ、「大学ほど安全なところはありません」と私は答えました。大学が安全でないとすれば安全な場所はどこにもない。ここはあなたには安全でない場所だと一方的に断定され、かつ、安全な場所にする責任は負わないといわれ、ゆえにあなたの参加を拒否するといわれてしまえば、障害者は社会のあらゆる場所から排除されてしまう。そんな理屈はありえない。私が言いたかったのはそういうことだったのですが、他大学の教授を前に図らずも大学人ほど安全な立場はないという皮肉を言う結果になりました。

 その後大学は大きく変わりました。いまでは障害学生支援室を持つ大学は決して珍しくありません。今日お集まりの大学のように熱心に障害学生支援を行う大学が増えてきました。しかし、いま大学はさらなる意識変革を要請されています。

 私はかねてより配慮の平等という言葉で合理的配慮、を説明してきました。合理的配慮は決して特別な配慮ではありません。それはただ配慮の平等を求めているにすぎません。すでに配慮されている人といまだ配慮されていない人がいる。だから配慮の平等を実現することは社会の責任である、というのが障害者権利条約や障害者差別解消法の趣旨です。
 たとえば、マイクとスピーカーは配慮です。パワーポイントや印刷された資料も配慮です。英日通訳も配慮です。しかしそれは配慮とはいわれません。当たり前のこととみなされます。一方手話通訳や要約筆記も配慮です。しかしそれらは特別な配慮として意識され、それだけを取り出して情報保障費として費用計算されます。多数の人ができないことには、当然のこととして配慮が提供され、少数の人ができないことは負担として意識されたうえで、社会的合意を経てようやく配慮されるということです。だから支援という言葉についても注意が必要です。障害学生だけが特別な支援を必要としていると考えるのは正しくありません。障害のない学生に提供している支援と実質的に同等の支援を提供する義務が教育機関にはあるということにすぎません。そのことを私たちは忘れてはいけないと思います。

 アメリカでは、アメリカ初の障害者差別禁止法といわれる1973年リハビリテーション法で教育や労働分野における障害者差別が禁止されました。AHEADは同法504条の施行規則が作成された1977年に設立されたと聞いています。私たちの障害学生支援の全国協議会も同じような社会的文脈において設立の準備を行っているといえます。リスナー会長からアメリカの各大学のADA(Americans with Disabilities Act,障害のあるアメリカ人法)コーディネータや障害サポートサービス(Disability student service,DSS) の役割、大学関連携などについてお話をお聞きできるのを楽しみにしています。

 最後に別の視点についても私見を述べます。知的創造力は多様性と自明性への疑いのなかから生まれます。大学のなかに、研究室のなかに、個人のなかに、多様性があり、意外な着想があり、固定観念を打破したいという欲求があり、リスクテイクしようとする勇気があるときに学問は進歩します。教育もしかりです。障害のある学生を積極的に受け入れ、合理的配慮を提供するのは学問と教育を触発し発展させる絶好の機会でもあるということも強調したいと思います。

石川 准
教授・静岡県立大学
「高等教育機関における障害学生支援に関する全国協議会(仮称)」 呼びかけ人会