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東日本大震災と被災障害者
~高い死亡率の背景に何が~
JDFによる支援活動の中間まとめと提言

藤井克徳
(日本障害フォーラム幹事会議長)

はじめに

 東日本大震災(以下、大震災)は、障害分野にも広域かつ深い爪痕を残している。大震災から1年7か月余を経るが、障害者に関する被災実態は未だに詳らかではない。日本障害フォーラム(以下、JDF)は、政府に対して(厚労省ならびに内閣府を中心に)①障害者の犠牲者数、②震災直後から今日に至るまでの障害者の生活実態、③「障害」の観点からの既存の防災政策の総点検、の三点にわたって精緻な検証を求めているが正式な回答は届いていない。
 こうした中で、地方自治体ならびに各種報道機関、NGOが独自に調査を実施している。本報告は、これらの調査結果を元に、①障害者の犠牲率の高さとその背景、②「障害」から見た震災政策の問題点について略述する。なお、JDFの震災直後から今日までの支援活動の紹介などについては、本稿で触れるのはポイント部分のみである。

1.高い障害者の死亡率

 大震災から半年目に当たる2011年9月11日に、NHK(Eテレ)は「取り残される障害者」と題した番組を放映した。この番組の冒頭部分で「東日本大震災で被害にあった障害者数」(死亡者の実態、行方不明者は除く)の発表がなされた。これは、NHKが主要な被災自治体を対象に聞き取り調査を実施したもので、主要被災三県(岩手、宮城、福島)沿岸部の27市町村から回答が寄せられている(調査対象は、死亡者が10人以上に上った30市町村)。これによると、総人口に占める死亡率は1.03%であった。これに対して、障害者の死亡率は2.06%となっている。ここで言う「障害者」とは、身体障害者手帳、療育手帳(知的障害者対象)、精神保健福祉手帳(精神障害者対象)の所持者である。手帳を所持していない障害者は含まれず(特に精神障害者のうちで手帳所持者はそれほど多くない)、さらには難病による障害や発達障害、高次脳機能障害のある者の中には手帳を所持していない者が少なくなく、ここで挙がっている数値は「東日本大震災で被害にあった障害者数」の一定数であることを念頭に置いておく必要がある。その後、NHKは2012年3月11日の関連番組で部分的な修正を加えているが、全体的な傾向に変化はない。
 この後、初の行政調査として宮城県当局より2012年3月29日に「東日本大震災に伴う被害状況等について」(2012年2月28日現在で取りまとめられたもの)が発表された。これによると、宮城県沿岸部の大震災による死亡率は、総人口比で0.8%、障害者手帳所持者比で3.5%となっている。死亡率を総人口と障害者手帳所持者で比較すると、前述したNHKの調査で約2倍、宮城県の調査では約4.3倍と、それぞれ障害者の死亡率が高くなっている。数値の差異は、NHKは主要被災三県の平均を取ったものであり、宮城県当局の調査は宮城県のみを対象としたもので、ここから出てくるものである。換言すれば、大震災(特に津波)による障害者への影響は宮城県沿岸部に多く及んでいることがうかがえる。ただし、この傾向は、死亡者の多くが宮城県沿岸部に集中している点から見て、障害者に限定した傾向ではない。
 最新の調査としては、河北新報社のものがあるが(2012年9月24日付)(資料参照)、計算方式の違いなどによって数値に多少の変動があるが、いずれにしても障害者の死亡率が総人口の死亡率と比して格段に多くなっていることは間違いない。なお、調査結果を詳細に見ると、①自治体による差異(宮城県女川町での障害者の死亡率は15%台)、②障害種別による差異(聴覚障害者の死亡率が最も高い)が大きいことが明らかになっている。
こうした傾向の分析・考察にあたっては、高齢者との比較、また阪神・淡路大震災などの大規模震災時の障害者の被害状況などとも比較検証をする必要があろう。

2.高い死亡率の背景に何が

 ここで最大のテーマとしなければならないのが、「なぜ障害者の死亡率がこうも高くなったのか」である。確度の高い結論を得るには、信頼できるデータを元にしての今後の検証を待たなければならないが、現段階で少なくとも次の二点を指摘できよう。
 第一点目は、「障害」という観点から見て、既存の震災政策が有効性を欠いていたことである。地殻変動と地震、これに続く津波は、言わば不可避的な自然現象であり、それに随伴する被害を天災と称し、この天災はすべての市民に公平に襲い掛かったのである。しかし、障害者の死亡率の異常な高さは、この天災だけで論じるには無理があろう。そして「想定外の大震災であり、止むを得ないのではないか」で片づけてほしくないのである。そこには、明らかに「障害ゆえに」が横たわっているのだということを忘れてはならない。障害からくる不利益という意味である。被災地帯における各種の防災対策や震災対策でどの程度障害者が意識されていたのか(高齢者を含めて)、仮に意識されていたとしてもこのような結果に至った以上は意識していなかったも同然とみるのが至当だろう。
 「天災」に対して「人災」という言い回しがあるが、「障害ゆえに」の大部分は人災の範疇に入るのではなかろうか。計算式で表すならば「障害者の死亡率-総人口の死亡率=X」、この「X」に人災の要素が多く込められていることが容易に推測できるのである。国による公式な調査結果は出てはいないが、各種の調査結果から見て障害者の死亡率が高いことはもはや自明である。そこには人災の要素が少なくないのだということを、国や自治体がどれくらい明確に意識できるか、意識すればするほど、今後の検証作業や次なる震災に備えての震災政策に信頼度や有効度が増していくのではなかろうか。私たちの立場からすると、おびただしい同胞たちがそれこそ残念の極みの中で命を絶っていった訳であり、同胞たちの死を無にしないためにも「人災」の内容を徹底して解明してほしいのである。
 第二点目は、平時の障害者に対する支援策の水準と死亡率(被害の度合い)が相関しているのではということである。元々、被災地帯の多くは、障害者を対象とした社会資源(働く場、住まい、相談を含む人的な支援体制など)が十分でなかった。このことが被害の拡大と関係しているものと推測される。このことは、復旧や復興に際してはもっと顕著に表れている。一般的な傾向として、社会資源が手厚ければ手厚いほど障害分野に関する復旧や復興が進んでいるのである。
 なお、障害者への震災の集中的で集積的な負の影響は、死亡率だけではなく、震災発生後のあらゆるステージ、すなわちライフライン途絶下での生活(特に危険な時間帯は震災が発生してから一週間以内)、避難所や応急仮設住宅での暮らしなどにも付きまとうことを付言しておく。

3.無力だった災害時要援護者名簿、障壁になった個人情報保護法

 ここで、既存の防災対策や震災対策についてもう少し紙幅を割いてみたい。結論から言えば、「障害者と震災政策」については弱点が露呈したと言えよう。これを象徴する問題点として、以下に二点を掲げることにする。
 一点目は、国の中央防災会議が策定した「災害時要援護者の避難支援ガイドライン」(いわゆる災害時要援護者名簿、2005年3月30日)についてである。各地の証言から、ほとんど有効性が確認されていない。問題点として、①大規模災害における限界性、②援護者に高齢者(民生委員等を含む)をあて込んでいることからくる非力性、③そもそも障害者自身による登録者数が少ないなどの根本問題が挙げられている。例えば、岩手県の沿岸部などでは、以前からの言い習わしとして「津波てんでんこ」というのが知られている。それが意味するところは、津波に見舞われたら人のことは一切構わずとにかく逃げるべし、ということである。自力で逃げることの難しい障害者にとっては厳しい言い回しである。いずれにしても、大規模震災をも想定しながら、「災害時要援護者名簿」については精緻な検証が求められる。
 二点目は、「個人情報の保護に関する法律」(2003年5月30日施行)についてである。初動期の安否確認や今日に至る生活支援の障壁となり、結果的にNPOの支援活動を大幅に抑制したのである。被災三県には128の市町村があるが、2012年10月現在で、JDFに対して障害者手帳の所持者を開示したところは、南相馬市(福島県)と陸前高田市(岩手県)の2市に留まっている。これらの市が個人情報の保護に関する法律を凌駕するものとして用いたのが「行政機関の保有する情報の公開に関する法律」(1999年5月14日施行)であった。同法には情報の不開示規定の例外規定として「人の生命、健康、生活又は財産を保護するため、公にすることが必要であると認められる情報」(第5条1項―ロ)があり、これを最大限に活用したと言えよう。情報開示を受けてのJDFの実態調査活動については他稿に譲るが、少なくとも現時点においては成果が非常に大であったのに対して、弊害やネガティブな現象は起こっていない。
 もちろん、どのような事態にあっても個々のプライバシーの保護は尊重されなければならない。しかし、生命に危機が及んだり、生活水準が極度に低下した場合に、あるいはそれらの恐れが容易に予測される場合には、「プライバシーの保護」を上回る決断が求められよう。現行法で言うならば、行政機関の保有する情報の公開に関する法律を個人情報の保護に関する法律に優先させることである。一般的に考えて、人の生命とプライバシー保護を天秤にかけた場合に、前者を優先させることは論を争うまい。なぜ、大震災という極限状況に至ってなお個人情報の保護に関する法律をかざすのか、何とも理解に苦しむ。そこには、行政(今般の場合には自治体が中心となるが)特有のいわゆる事なかれ主義的な姿勢、つまり個人情報保護を優先させておいた方が後々無難ではとする考え方が見え隠れするのである。法曹界などを中心にこの点の検証が始まっているが、関係法律の見直しを含めて深い考察が求められる。
 なお、JDFが南相馬市や陸前高田市の調査要請に応えた理由は、一言で言えば「同胞たちの苦しみを見過ごすわけにはいかない」に尽きよう。この考え方を元に、必要な資金負担を覚悟し、全国的な調査支援を呼びかけながら積極的に臨んだのである。

4.JDFによる支援活動の中間的な総括

 「東日本大震災と障害者」の観点からのJDFの支援活動については、本報告書の前段に詳述しているところである。本稿においては、改めて支援活動の特徴点を概観することにする。同時に、これまでの実績を、今後の長期支援の体制づくりにもつなげていきたいのである。  支援活動の初期段階で、最も重点を置いたのは支援に際しての足場を作ることであった。すなわち、JDFの支援センターを主要な被災三県に如何にして設置するか、ここに全力を投入したのである。設置の時期にズレが生じたものの、以下の通り被災三県にJDF固有の支援センターを開設した。

  • みやぎ支援センター(2011年3月30日開設、同年12月末より現地の団体を中心とした活動に引き継ぐ)
  • 被災地障がい者支援センターふくしま(2011年4月6日開設、現在活動中)
  • いわて支援センター(2011年9月22日開設、現在活動中)

 支援センターを中心に、関係団体との連携を図りながら、また自治体とも調整しながら組織的で体系的な支援活動を展開してきた。主な支援活動としては、①初動期の安否確認、②避難所での生活支援(必要物品などの搬送を含めて)、③障害者事業所の再開支援(清掃、修復など)、④避難所から仮設住宅などへの移転支援ならびに修復箇所の点検、⑤仮設住宅などからの移動支援(病院や買い物など)、などが挙げられる。加えて、南相馬市ならびに陸前高田市での障害者手帳所持者の悉皆調査は既述の通りである。なお、これまでの延べ支援者数は、みやぎセンターで約5,000人、ふくしまセンターで約4,000人、いわてセンターで約1,000人となっている。
 JDFにおける大震災関連のコントロールタワーは、震災直後よりJDF幹事会の下に設置された「東日本大震災被災障害者総合支援本部」が担ってきたが、引き続きこの機能を維持していきたい。資金面については、JDF構成団体からの分担金を中心に、助成金団体、企業、個人等からの「活動支援金」の募金・寄付で賄ってきたが、長期支援の様相が強まっている中にあって、募金・寄付についても引き続き募っていきたい。
 JDFの支援活動の報告会については、これまで二度開催してきた(第1回目が2011年7月13日、第2回目が2012年3月1日、いずれも国会議員会館にて)。今後とも、一定の間隔で開催していきたい。また、「東日本大震災と障害者」を主題としたもので、JDFの支援活動ならびに政策提言、これらの記録化・映像化についても取り組んでいきたい。

5.当面の課題と提言

 「東日本大震災と障害者」に関しては、さまざまな問題点や課題が浮き彫りになっているが、ここでは緊急性の高い重点課題に絞って列挙することにする。

1)基本的な課題と提言

 当面は、今般の東日本大震災の復興政策が問われようが、同時に、東南海大震災の想定を含めて、東日本大震災の教訓と想定される新たな自然災害を重ねることが肝要であろう。「大規模震災と障害分野」という観点から、国と自治体を中心に、また民間との連携の下で、少なくとも次の諸点の検証や検討が必要となろう。大至急、着手すべきである。

A 国による「東日本大震災と障害者」に関する検証

  • 死亡者・行方不明者の正確な把握
  • 震災発生直後からの生活実態(ライフライン途絶下、避難所、仮設住宅、県外避難など)
  • 既存の震災政策の有効性(災害時要援護者名簿制度、個人情報保護法など)

B 国および自治体における復興政策への障害者の実質参加

  • 政府に新設された復興庁における障害分野への体制整備
  • 国、都道府県、市町村での復興政策への障害者参画

2)当面の課題と提言

A 被災障害者への生活支援

  • 仮設住宅(みなし仮設住宅含む)のさらなる快適性の確保
  • 移動支援(仮設住宅から通院、買い物、知人訪問など)
  • 雇用・就労支援(雇用の場の確保、作業所での仕事確保など)
  • 自営業支援(はり・灸・マッサージの休業等への支援)

B 福島第一原子力発電所事故に伴う東京電力補償問題への対処(障害者の不利益解消)

6.むすびにかえて

 稿を閉じるにあたり、三点ばかり強調しておきたい。第一は、これまでのJDFの支援活動についてであるが、決してスマートではなかったにせよ、私たちの思いや意図は被災地の障害者に伝わったのではないかということである。支援活動の専門家からすれば無手勝流に感じたかもしれないが、ただし、「被災障害者の辛苦を共有したい」「JDFだからこそ障害当事者の痛みがわかるはず」、この観点は一貫していたように思う。限られた資金と人的体制にあって、また広大な被災地帯の全域までは及ばなかったかもしれないが、それでも届いたSOSに対しては、気付いた点に関しては、精いっぱい足を運んだつもりである。無論反省点は多々あるが、もし新たな自然災害に遭遇した場合には、引き続き「同胞たちの辛苦を共有」を何よりの基本視点として、できる限り早期の支援活動を開始することに留意していきたい。
 第二は、やはり気になるのは障害者の高い死亡率であり、この点の精緻な検証と解明を急ぐことである。ささやかれている東南海大震災への備えという観点からも、台風や洪水、豪雪などの自然災害に絶えず直面している日本列島にあって、優先させるべき課題である。できれば、早い時期の、国と自治体、そして障害当事者団体の代表も加わっての「東日本大震災による障害者の犠牲状況」に関する検証チームを発足してほしい。
 第三は、JDFの支援活動についてであるが、これからが本番であるぐらいの構えを持つ必要があるということである。震災から1年7か月を経るが、被災地の実相は厳しいままである。障害者の暮らしぶりも好転しているとは思い難い。復旧から復興期にある今、支援活動のあり方はこれまでとは異なることになろう。特に福島などは根本的な問題で長期的な視点が求められる。大打撃を受けた岩手や宮城の沿岸部にあっても、本質的には同じように長期の支援が必要であるように思う。マスコミの取り上げ回数が減少し、ボランティアの人数が大きく減っている中にあって、これからの支援が意味を増すのであり、障害分野の連帯感が問われ、JDFの底力もまた試されることになろう。