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3.11東日本大震災を経験し、被災障がい者の支援活動をおこなって

JDF被災地障がい者支援センターふくしま
代表  白石 清春

 2011年3月11日、マグニチュード9.0という途方もなく大きな地震が岩手、宮城、福島を中心に東日本を襲いました。その地震によって引き起こされた大津波が猛威を振るい、2万人もの尊いいのちを奪っていきました。福島では、地震と津波の影響から第一原発の1号機から4号機までが壊れてしまい、広島に投下された原爆の184発分にものぼる膨大な量の放射性物質が福島県内はじめ、近隣都県にまき散らされました。この、放射性物質による福島県並びに近隣都県の人たちに対する影響は、今後月日を経つごとに大きくなって現れてくることでしょう。
 東日本大震災から1週間後には、被災地障がい者支援センターふくしま(以下、支援センターと略す)を立ち上げて、被災地障がい者の支援活動にあたってきた。これまで1年半にわたって幅広い活動を行ってきました。

【避難所や仮設住宅には障がい者が少ない】

 私たち支援センターでは設立当初から福島県内の避難所や仮設住宅をまわって、被災している障がい者の所在確認の活動をおこなってきました。しかし避難所や仮設住宅には数少ない障がい者しか生活していませんでした。避難所や仮設住宅は障がい者を考慮したものになっていないので、多くの障がい者が敬遠したようです。今後の避難所や仮設住宅は障がい者の実態を考慮したものにしていくべきです。

【仕事がなくなっている障がい者関係事業所】

 津波や原発事故によって多大な被害を被った海沿いの地区にあった障がい者関係事業所では、今まで企業から提供されていた下請け作業が全く入ってこない状況におかれています。南相馬市の8つの事業所が連携して、缶バッジを作り全国のネットワークを通じて販売活動を展開しています。福島県の場合海沿いの地域に限ったことではなく、原発事故の影響で、各地の障がい者関係事業所では利用者たちに提供する仕事が見つからないところが多くあります。支援センターではそのような事業所に支援の手を差し伸べています。

【自主避難できない障がい者の支援】

 現在6万人を超す福島県民が放射線の恐怖から逃れて全国津々浦々に避難しています。 障がい者も健常者と同じように県外に避難していきたいと思っている者がいますが、障がい者の場合住居環境、交通の便、介助者の確保等生活できる地域を見つけなければなりません。私たち支援センターでは、福島県以外に障がい者でも使いやすい住居を確保して、そこを拠点に現在2名の障がい者が移住しています。その他にも全国各地に移住している障がい者がいます。

【避難途中で疲労し、多くの病人、高齢者、障がい者がいのちを落とす】

 地震、津波、原発事故によって現在16万人もの県民が福島県内外に避難しています。避難途中で生活しにくい避難所を転々として疲労が重なって千人もの病人、高齢者、障がい者たちが尊い命を落としています。沿岸地域にあった障がい児者の入所施設は入所者と職員全員で千葉まで避難していきました。避難途中で一人、千葉の避難場所で一人が命を落としています。避難時に際しては逃げ遅れる障がい者等の迅速な避難のあり方を考えなければなりません。

【南相馬市で人口が1万人まで減った際、残ったものは】

 福島第一原発から30キロくらいしか離れていない沿岸部の南相馬市では原発事故の後に市民が大勢避難していきました。7万人いた市民が一時期1万人まで減りました。残った1万人の内訳は、高齢者と障がい者、それにその者達を世話しなければならない家族でした。現在は人口が4万人以上に回復しています。大災害が起こった場合、現場に残るのは自力で移動することがままならない高齢者や障がい者でした。そのようなことを考えて、大災害対策のあり方を見直していかなければならないと思います。

【最後に】

 福島県の場合は、地震と津波以外に原発事故による被害が甚大でした。津波による犠牲者は少ないものでしたが、今後放射性物質による被害がどのように出て来るのか予想がつきません。原発事故の影響で、福島県は復興という道筋が見えない状況がいまだに続いています。このような福島の実態を考慮に入れて、支援センターとして被災障がい者の支援活動を末永く続けていかなければならないと考えています。