支えよう、東北の仲間たちを! みんなの絆と力で! みやぎ支援センターニュース (ゆい)No.47 日本障害フォーラム(JDF)東日本大震災被災障害者総合対策本部 【2011年9月24日】 本部センター、仙台市青葉区五橋2-12-2、電話:080-4373-6077、FAX:022-266-0292。 東部センター、涌谷町本町99-7、電話:0229-43-6639、FAX:0229-43-6685、 メール:jdf.miyagi@gmail.com。 北部センター、登米市東和町・若葉園内、電話:090-8349-9403、 メール:jdf.miyagi.hokubu@gmail.com、 ホームページhttp://www.dinf.ne.jp/doc/JDF/index.html。 障害のある方との対話数1548人、延べ支援員数722人、9/23現在。 第4回南三陸障害福祉関係懇談、 平成23年9月20日・風の里コンテナにて、南三陸町行政、地元事業所・団体、 支援団体が参加し、第4回南三陸障害福祉関係懇談が開催されました。 開催目的としては、@南三陸町の震災復興計画(案)における障害者福祉をはじめ 福祉全体の状況について共有する場とすること。 A南三陸町の「移動・移送支援」「障害児放課後支援」の状況の共有と 今後の見通しについて検討する場とすること。 B支援団体の今後の活動見通しについて報告の場とするということで行われました。 復興計画については、佐藤保健福祉係長から「復興計画はまだ素案の段階で、 計画成立を受けて、障害福祉計画があり、それに基づいた施策を行っていきたい。」 という報告がありました。 移動・移送支援の問題では、三陸鉄道の復旧のめどが立たず、車も津波で流され、 仮設住宅のまわりに何もない中、町内を走るバスだけでは大きな支障をきたし 「バスのつなぎや乗換えで病院に行く事は出来ても帰ってくるバスが無い」 「買物・通院・銀行などへ行く手段がなかなか無い状態です。 高齢の方もバスがあっても、活用するのは難しい状況があるようです」 という状況が報告されました。 障害児放課後支援の問題では、被災前まで無かった必要な支援を継続的に行っていくための仕組みをどのように構築するのかということへの期待と、 地元での主体力の弱さから見通しが持てない状況が報告されました。 南三陸町では、地元採用の生活支援員(約100名)を配置して、 仮設住居入居者の要望や相談するための つなぎの役割をするための支援活動を始めています。 現在JDF等の支援団体が行っている支援を、 地元に繋いでいくことが求められている中で、 生活支援員がどのような役割を果たしていくことができるのか 注目していきたいと思います。 月に1度の懇談は3月末まで続きます。次回の懇談は10月27日(木)の予定です。 支援センターの活動を通じて 3月11日の東日本大震災から早いもので半年が経過しました。 私たちは今回初めて、支援員としてJDFみやぎ支援センターに入り、 2日目と3日目に南三陸、女川町、石巻港の視察に行きました。 どの地域に関してもテレビなどの媒体を通して情報を得てはいたのですが、 実際にその地に足を運んでみると、テレビでは感じ取ることのできなかった空気感や 光景が広がっており、改めて震災の規模の大きさを感じました。 私達にとっても身近である病院や市役所などが破壊され、 町全体の息使いまでも消失してしまっているようなところも多く、 それが現実に起きたことだと理解しがたい場面が数多くありました。 支援先のこころさをりも元々は石巻市に位置し、被災に合われた施設の一つです。 しかし、こころさをりの皆さんは、被災に合われたことを感じさせない位、 とても明るく、一人一人個性のある「さをり織り」を織られていました。 2ヶ月後の作品展に向けて素敵な作品を織り上げるクリエーターさん達。 彼女たちの活き活きした笑顔に、私達の方が元気づけられたような気がします。 これから寒い冬が訪れ、支援を必要とする方も増えることと思います。 支援する私たちこそ、温かい笑顔をもって支援していけたらと思います。 一人でも多くの方が笑顔になりますように・・・。 (千葉、オリオンハウス、藤原/東京、竹の塚あかしあの杜、小堀) 支援のあしあと 南三陸町、気仙沼市、石巻市の津波の被害に合われた場所を視察させていただき、 これは本当に日本で起こったことなんだと、改めて現実を目の当たりにし、 ゴクリと唾を飲み込みました。 私が今回自分の目で見て、聞いて、感じたことを、事実を曲げずそのまま、 一人でも多くの皆さんに伝えたい。今はそんな気持ちでいっぱいです。 地域のみなさんが今も自分の育ったこの場所から離れず「それでもここがええから。」 と復興に向けて頑張っている姿を見た時、私も自分が生まれ住んだ町を思い出し、 涙が出そうになりました。 皆さんが一歩ずつ前を向いてすすんでいること、私たちに「ありがたいねえ。」 と声をかけてくださったこと、本当に忘れません。 (26クール、増岡有梨、大阪府) JDFの支援員に来ることにはなったものの、自分に何が出来るのだろうという 漠然とした思いを抱えて宮城にやってきました。 風の里の三浦薫さんの講演の中で『何かをしなくては…という思い半分、 現地を見て自分なりに感じる事を大切にしてほしい』という言葉を聞いて、 自分なりに感じた事をどう持ち帰り伝えようかという思いに変わりました。 少ない日数の中で感じた事、被害の事だけでなく、 出会った方々の優しさも伝えていけたらと思っています。 ありがとうございました。(26クール、福島恵美、広島県) 不安を抱えながらJDFみやぎ支援センターの訪問活動を重ねて 玄関のステップや手摺りの設置等のニーズを聴くと、 今回の大震災でケアされるべき状況にある方達に対して 不十分な住環境の提供しかできない現実にふれて悔しさが溢れてきました。 行政関係機関も手が回らない状況の中、JDFが行ってきた被災(障がい)者へ 寄り添う活動が被災されて困っておられる方々の少しでもお役に立てることができれば 大変嬉しく思います。 そして現地へ来させてもらった私の施設、助けてもらった同クールのメンバー、 事務局の方々ありがとうございました。 そして何よりも訪問活動時に話をしてくださった被災された方々、 本当にありがとうございました。 被災された方に寄り添う支援ができていたか自信はないけど 貴重な体験をすることができました。 (山形県、わたしの会社、清水紀)