支えよう、東北の仲間たちを! みんなの絆と力で みやぎ支援センターニュース 「ゆい」8 日本障害フォーラム(JDF)東日本大震災被災障害者総合支援本部・みやぎ支援センター 2011年4月30日発行 仙台市太白区・萩の郷第二福寿苑内(5月1日より) 022-244-6965(TEL・FAX) メール:jdf.miyagi@gmail.com ホームページhttp://www.dinf.ne.jp/doc/japanese/JDF_shienhonbu.html みやぎ支援センターの宮城県北部への拠点が開設され、北部地域の本格的な訪問調査が開始されました。また、被災地での復興の兆しも見え始めてはいますが、地域によってその格差は大きく、未だ支援の手が入りにくい地域も多く残っています。みやぎ支援センターは、そのような地域への訪問調査および支援を積極的に行っていきます。 訪問累計(4月29日現在) 支援員 本日36人、累計861人、避難所 本日8ヶ所、累計504ヶ所、 市町村 本日1ヶ所、累計131ヶ所、障害者支援事業所 本日6ヶ所、累計253ヶ所、 関係機関 本日0ヶ所、累計96ヶ所、自宅・その他 本日4ヶ所、累計147ヶ所。 ★山元町での活動報告書を提出 東日本大震災後、津波の影響などにより、山元町も多大な被害を受けました。 JDFみやぎ支援センターでは、4月14日より、山元町における在宅障害者などの訪問調査に入り、確認対話人数は88名(全体)となりました。そのうち、作業所利用者は33名(本人28名・家族5名)で、その方たちの現在の生活の場は、自宅20名・避難所4名・親類宅6名・グループホーム3名となっています。また、利用者本人と家族にとって、住む場所が変わったこと・日中活動の場が無くなったこと・仲間との関係が無くなったこと、などの生活環境の大きな変化により、精神的・肉体的にも不安な状態が続いています。一刻も早い作業所の再開を求めています。 これを踏まえて、センターとしても毎日のように山元町に足を運び、施設長を始めとする関係者の方々・利用者本人・家族との対話を続けてきました。その中で、避難所公民館の一角でたまり場作りが始まり、支援センターも連日支援に伺っています。また、4月28日にJDFみやぎ支援センターとして、山元町社会福祉協議会会長とお会いして、これまでの実態調査の報告書を提出しました。 利用者・家族の「作業所を早く再開して欲しい。」というニーズに応えるために、現在、力を注いでいます。 事務局は、今 (4月29日現在 これまでに関わった全国の支援員861人) ○4月30日のみやぎ支援センターの移転作業の準備を進めています。 ○5月1日より支援員等が大きく入れ替わります。引き継ぎ業務の円滑化と訪問調査による情報の明確化のために、マニュアルやデータの整理を行っています。 ●支援活動に参加した支援員から● 今回の支援活動に参加させていただいき、大震災の被害にただ唖然とし、言葉に表すことができませんでした。しかし、印象的だったのは、被害の大きさだけではなく、避難所に避難されている方々の笑顔でした。本当は辛いはずなのに、どうして笑顔でいられるのだろう。反対に自分がその立場であったら笑顔でいられるのだろうかと、自問自答を繰り返していました。一人の力では何もできないですが、皆で小さなことを積み重ねることにより、大きな力になるということを、今回の支援活動を通して感じました。宮城を離れ、地元に戻っても、何かできることを1つでも実行していきたいと思います。 (平田哲也さん・愛媛からの派遣) 私は現場を廻る中、見物人で終わらないようにという思いでした。なかなか思うように活動ができたわけではありませんが、一番心に残るのはこの震災に対して"夢だったらいいのに・・・って思うよう。"というある方の一言です。東北の皆さん、本当に優しくいい人ですね。ずっと東北を応援しています!! (松浦和恵さん・広島からの派遣) 今回、愛知のグループは、各施設の重鎮の集まりでほとんどが全員旧知の仲で、和気あいあいのうちに宮城入りしました。ただひとつの問題は、ぐっと平均年齢を押し上げてしまう程度でしたが(笑い)。各人経験豊富ですので、事務局や配属されたグループのリーダーになり各場面で活躍されました。与えられた訪問エリアで、早々に行政と連携を取るなど、相当の実績も上げられてみえました。厳しいエリアの担当になった我がグループは、一向に進まぬ支援に歯がゆい思いの毎日でしたが、女川原発内の避難所を訪問することができたり、陥没した路面を避け、車も大波を受けながらも牡鹿半島の最先端部分の小さな集落を丁寧に訪ねることができました。あの日から1ヶ月半たってもまだまだ支援が遅れていて、自衛隊や、赤十字の医師団が、重点的に投入されているぐらいのところです。問題はないとは言われていましたが、それでも少なからぬ課題を掘り起こすことが出来、なんとか少しはお手伝いできたかなと安堵しました。今後も、後回しにされていく障害者のニーズを、鼻を利かしてコツコツ拾い上げていかなければなりません。  派遣された私たちは、帰ってから被害状況や行なった支援の報告はもちろん、この活動の重要性、今後のJDFの運動を広めて行くことも大切な任務だと思います。肩の力を抜いた、息の長い活動が、障害者も含めた私たちの明るい未来を築いていくと信じています。平常心で淡々と、でも止まらずに、支援の道を進んで行きましょう。派遣のために職場で支えてくれている同僚に感謝します。 (森加光二さん・愛知からの派遣) <活動の記録> 4月27日(水)宮城県内障害福祉サービス事業所被災状況調査結果の整理 4月28日(木)作業所利用者の被災後の実態調査報告を山元町社会福祉協議会に提出         宮城県北部にセンター(サテライト)の拠点を開設 4月29日(金)東松島市の支援活動報告書の最終まとめ 4月30日(土)みやぎ支援センターの移転作業 障害のある方のよりよい地域生活を再建していくために 今は人が必要です。ぜひご協力お願いします!