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講演2 「日本における誰もが読める本の取り組み」

野口光世
ぐるーぷもこもこ 相談役

 ぐるーぷ・もこもこの野口でございます。よろしくお願いいたします。
 先ほど、アニカさんのすばらしいスウェーデンの先進的なお話を伺って、私はもうすっかり聞きほれちゃって、自分がしゃべることを忘れておりました。そのくらい、すばらしいなと。日本との差というものをつくづくと感じました。
 お話の最初で申し訳ございませんが、私、話す順序は一応考えてきたのですけれど、先ほどアニカさんのお話の中で、スウェーデン国立教育研究所(SFS)のポリー・エドマンさんのお話が出ましたけれど、実は偕成社で1979年に第1回世界布の絵本展を開かれた(注)ときに、ポリー・エドマンさんが作られた布の絵本が日本に来ていたのですね。私はそれを拝見して、すばらしいなと思いました。そしてその後、ポリー・エドマンさんは1979年から2、3年後に日本においでになったのですね。それで、ポリー・エドマンさんを囲んでお話をお聞きする機会があったのです。お話の後に、いろいろ懇談の中で、私たちの布の絵本も少し見ていただいたのですけれど、こういったすばらしい作品が、日本ではすべてボランティアの手で作られているということに私は驚いたとおっしゃった。皆さん、お聞きになりましたか? 私、誉められたとは決して思わなかったんです。障害を持つお子さんたちの教育のすべてを国が保障して、その子が必要とする教材を全部国が作っている。その中の一つを、ポリー・エドマンさんが私たちに見せてくださったのですけれど、日本ではボランティアの手ですべてが作られているというのは驚きだとおっしゃって、どういうふうに感じてお帰りになったかなと。私はそれからもう、布の絵本を作り始めて今年で31年目になるんですけど、ポリー・エドマンさんにお会いしてからも27~28年たっています。全然状況は変わっていないんじゃないかな。それを今、アニカさんのお話を伺いながら、ああすばらしい、国が保障して、プロの方がデザインを担当していらっしゃる。こんなすばらしいことはないな、日本では、たぶんプロのデザイナーが布の絵本に関わっているって、あんまりないんじゃないですか? 私の知っている限りではないんじゃないかと思っています。布の絵本と、印刷されている絵本とはまったく別の世界と考えているのか、プロの方が、布の絵本に関わっていく素地がまだ育っていないのではないかな、と。それは私たちにとっても残念だし、日本全体の布の絵本の発展においてもとても残念なことで、それはこれからの大きなテーマじゃないかな、とアニカさんのお話を聞きながら、私は自分の話すことはすっかり飛んじゃって、そんなことにばっかりに頭がいっておりました。

 ちょっと申し訳ありませんが、私たちの活動を中心に話をさせていただきますと同時に、日本の現状の一端をお話させていただきます。
 ぐるーぷ・もこもこ、ここに相談役なんて偉そうな名前がついていて私は本当に恥ずかしいのですけれど、企業でもなんでもありませんから相談役、本当はとりたいのですけれども、一応20年も代表をやったものですから、内情も最初からのことを知っているからということで相談役ということにされています。
 ぐるーぷ・もこもこは、川崎市麻生区に拠点を置いて活動しています。電車でいいますと小田急線の新百合ケ丘の駅の近くなのですが、麻生区社会福祉協議会の研修室をお借りして、原則として週1回、10時から3時半くらいまでの活動をしています。でも、最近ではとても仕事の量が増えていますので、もう1回臨時の日を設けて、月5回くらいの活動をしております。
 会員数でが、麻生区で活動しているぐるーぷ・もこもこは、登録数が60名くらいおります。そのうち、実働といいますか、実際に出てきて手を動かしているのは、40人近くです。その他にも、横浜市青葉区に青葉台支部というのがあるのですが、こちらはもう活動を始めて16年目に入って、すばらしいいい活動をしています。その他、つい最近、東京都町田市と滋賀県湖南市にもぐるーぷ・もこもこの支部ができて、その支部全体と、麻生でやっているグループを合わせると100名を超える大きな所帯で活動しています。

 私たちは布の絵本、布のおもちゃをもちろんボランティアで製作しているのですが、作るものはほとんどオリジナルで製作したものは主として障害を持つ子どもさんのところに届ける、プレゼント活動を活動の中心に据えています。でも最近では、お年寄りの施設とか、大人の障害者の施設、あるいは特別支援学級、学校、その他にもプレゼントをお持ちしいます。また、川崎市北部地域療育センター内では、私たちの布の絵本やおもちゃを使った「もこもこプレイルーム」を開いています。そこは、就学前の障害児のお子さんの通所施設なのですが、そこに通所してくる子どもさんたちと、布の絵本やおもちゃを使って遊ぶ活動をしています。その他、養護学校や障害児施設にも出張プレイルームを開いています。
 ここのプレイルームでは、もちろん遊ぶだけではなくて、布の絵本やおもちゃの貸出もしています。もこもこミュージカルといいまして、ミュージカルってとっても素敵な名前なのですけど、人形劇です。ただ人形が出てきて歌に合わせて踊っているだけのミュージカルですけど、それもやっていますし、出張プレイルームでもとても喜んでいただいています。

 その他、私たちの活動としては、図書館の布の絵本の制作に協力したり、特別支援学級の先生方の研修、公共図書館における布の絵本製作ボランティアさんの養成講座等々いろいろな講座にもお伺いしてます。
 先ほど申し上げましたけれど、グループを結成したきっかけは、1979年、第1回世界の布の絵本展でした。この展示会は児童書出版の偕成社さんの全面的な後援で開かれ全国を巡回しました。その頃私は、紙に絵を描いて文章を書く、自分だけの絵本を作る手作り絵本をやっていたのですけれど、その仲間たち7人と、布の絵本って何? 紙を布に置き換えればいいんじゃないの?とすごく軽い気持ちで布の絵本を作って、その第1回の展示会に参加しました。会場でふきのとう文庫の小林静江さん、偕成社の編集長さんでいらした鴻池守さんにお目にかかって、布の絵本の特性をいろいろ教えていただきました。そして会場にお見えになった障害を持ったお子さんがとてもいい顔で布の絵本を見て遊んでいらっしゃるとか、親御さんが遊んでいる子どもの様子を楽しんでいる様子、あるいは先生たちの「こういうものが欲しかったんですよ」という声をいっぱい聞いて、ああ、ただ紙に描いたものを布に変換するだけが布の絵本ではなくて、布の絵本には布の絵本独自の特性があって、こんなに障害を持った子どもたちに喜ばれるのだったら、私たちもボランティアする?という、とても軽い気持ちで、第1回の展示会終了後、ボランティアグループ、ぐるーぷ・もこもこをつくりました。そのときスタートした時点では7名でしたが、それが30年経って今100名を超えるグループに成長し、大きくなったなと、ある感慨を持っております。
 この展示会は、2回目からは「全国布の絵本展」と名称を変えて8回まで続いたんですね。そして全国を巡展している間にたくさんのボランティアさん、ボランティアグループが誕生したのだと思います。8回目が終わるころには、いくつのボランティアのグループができたのでしょうかね、数字はよくわからないのですが、100とも300とも聞いているのですけれど、随分100と300では数字が違って申し訳ないのですけれど、とにかくその全国展をきっかけに、布の絵本が日本の中で一つ大きな足跡を残したのではないかな、と今は思っております。
 そして、全国展に伴って、偕成社の中に全国布の絵本研究連絡会というのが置かれまして、たくさんのボランティアさんの横の連絡をとってくださったというのも、私たちにとってはよそからの情報をたくさんいただけるのでとてもありがたいことでした。そして、その連絡会や全国展の生みの親である鴻池さん、去年お亡くなりになってとても残念です。私たちが今こうして活動していられるのは、本当に鴻池さんのお蔭。鴻池さんという編集長さんがそのときいらっしゃらなかったら、布の絵本の世界を知らなかったし、ここまで育てていただいたお気持ちを私たちはしっかり受け止めて、これからも布の絵本をできるだけたくさんの多くの子どもたちに届ける活動をしなくてはいけないと思っています。鴻池さんのお話をするとちょっと他の話も入って長くなるのでこれでやめますけれど、本当に話しても尽きないほどいろいろお世話になりました。
 その全国展開催中に、偕成社から「手作り布の遊具1、2」という本を出していただきました。その後にも3冊、計5冊の布の絵本、布のおもちゃの作り方の本を出していただき、またグランまま社というところからも2冊出していただいて、それは後ろに展示しておりますのでご覧くださいませ。

 本を出版していただいたというのは私たちにとってこれもまた大きな出来事で、直接お目にかかって作り方をお伝えするというのには限りがあるけれども、全国に、手作り絵本を出版していただいたことを通して、全国からいろいろなお手紙をいただいたりして、ああ、全国の方たちが作ってくださっているんだな、と出版社に感謝しています。
 そして、私たちは、今年3月5日から10日、活動の拠点のある川崎市麻生市民ギャラリーで、ぐるーぷ・もこもこ30年のあゆみ展を開きました。そのとき30年のあゆみを冊子をまとめました。その冊子も後ろに置いていますのでご覧いただけると嬉しいと思います。
 その展示会の会期中、地域の福祉関係の方はもとより、本当に全国から布の絵本を通して交流のあった沢山の方たちが足を運んでくださって、6日間の展示期間だったのですけれど、1,600人もの方が来てくださいました。それほど布の絵本に関心を持っていただけているということはとても私たちは嬉しく、30年前には考えられないことでした。ああ、続けてきてよかったなという感慨を持っておりますと同時に、このボランティアの活動はもっとどんどん続けていかなければいけない、広げていく責任も感じております。
 この歩みの冊子を作るときに、私たちの作品をまとめましたら、現在、オリジナル作品は56タイトル、壁掛けスタイルのものが46タイトル、布のおもちゃが158タイトルで、もこもこミュージカルが15と言っていたのですが、今週ミーティングをしていましたらミュージカルの作品一つできましたよという報告をいただいたので、ミュージカルは16。合計266タイトル、30年の間に作りました。これらの作品は実に多くの出会いの中から考え、生まれてきたものです。

 私たちの活動の中ではおもちゃのほうが数が多いのですけれど、布の絵本にしぼってお話をさせていただきますと、先ほど偕成社の鴻池さんの話が出てきましたけれど、私たちの作品の中でもちょっと変わった作品で「きかん車もこもこ号」という作品があります。ストーリーがあって、あっと驚く変身する絵本を作ろうよ、これは鴻池さんの提案だったんです。それで亡くなった友人の高木幸子さんと2人で偕成社に伺って、鴻池さんとああだこうだ、といろいろなストーリーを考えて作り出したのが「きかん車もこもこ号」で、これがその作品なんです。どうして今これを出しているかというと、私たちの布の絵本の中でもちょっと変わった形で、紙芝居ならぬ布芝居の本なんです。簡単に申し上げますと、ここに貼ってある動物たちとかリンゴ、小鳥たちは全部後ろ側にポケットがあって、そこに本当は隠れているんですけどね。もこもこ号もこういうふうになっています。
 毎日毎日、山の向こうの遠い町までこの友達を乗せてぽっぽ、ぽっぽ、ぽっぽ、ぽっぽ出かけていると、機関車はのろいし、友達は重いし、疲れちゃった、もっと速く走りたいな、走れるようになれないかなと思っていました。夜のとばりがおりますと、フクロウのおじさんが森の中にいて、このおじさんはものすごい物知りで、このおじさんに相談したら何かいい考えを教えてくれるかなというので、おじさんにもっと速く走れるようになりたいって相談しましたら、目をつぶって子どもたちと一緒におまじないを唱えると変身できるよと教えてくれました。「まみむめもこもこぱぴぷぺぽっぽ、まみむめもこもこぱぴぷぺぽっぽ…」、一生懸命お祈りしながらおまじないを唱えると、あらあら不思議。ポーンって機関車の部品みんなが飛んでっちゃって……、新幹線に変身する。
 子どもたちに、目をつむって一緒におまじないを言ってよ、まだ目を開けてる子がいる、お願い一緒に言って、って一生懸命唱えて、みんなが目をつぶったころを見計らってパッとひらくと、すごく喜んでくれるんです。
 翌日、夜のとばりが上がって、新幹線に変身したもこもこ号はすごくスタイルがよくなって走るのも速くなっちゃったものですから、ここに止まれなくなっちゃって、ぴゅうぴゅうぴゅうぴゅう一日中走っていました。友達は誰も気がついてくれないし、さっきからなんか変なもんが走ってるよ、というくらいでした。逆に、疲れ果てちゃって、やっぱりもとの姿がいいよと言って、また夜のとばりがおりてフクロウのおじさんに相談したらまたおまじないを教えてくれて、それでまた元の姿に戻ったんです、おまじないを唱えてると飛んでいった部品が戻ってきて、こういうふうにくっついて、そして元のスタイルに戻りました。さあ、友達が待っているかなと思ってやってくると、友達はみんな、昨日来なかったから私は町へ行って映画を観たい、私はミルク瓶を買いたいとかいろいろなことを言いながら、みんな「乗せて乗せて」って乗ってきて、空を飛んでる小鳥たちもみんな飛んできて、みんな乗っちゃった。すごく重くなったけど、何かとっても幸せな気持ちになって、もこもこ号は町へのんびり出かけていきましたとさ、というお話なのです。(拍手)

 めくる布の絵本とはまた違ったスタイルもできるんだということで、ちょっとこれ一つだけ演じさせていただきました。簡単に説明させていただいたんですけど、これを作るときに思い出すのは、鴻池さんっていっぱいお話をしていると、さすが編集者ですね、じゃんじゃん話がふくらんでいくんです。もこもこ号が泣いてね、疲れて果てて身体中が錆びついちゃうのはどうだいって。私、やるたんびに思い出します。とんでもない、そんな涙や錆までつけられませんって、それはお断りしてこういうスタイルで作りました。

 その他に、私たちが作品を作るときには本当にいろいろな出会いの中から作っていった作品が多いのですが、あといくつかお話させていただきます。川崎市教育研究所で自閉症のお子さんの教育研究、指導をしていらっしゃる大河原美春先生という先生との出会いがあったんです。その先生と月1回、子どもの発達の過程でどんなおもちゃが喜ばれるか、どんな布の絵本を作ったらいいかという勉強をさせていただいたのも、私たちにとってはすごく大きな収穫でした。その中で生まれた絵本で、後ろに置いておりますけれども「なにをしているの?」という動詞の本があります。「カレーを食べています」って言って、カレーを食べる手が動きます。それからサッカーボールを蹴っていますって、サッカーのボールを足が動いて蹴るようになっている。「なにをしているの?」という問いかけに全部身体の一部が動く本を作ったんですね。これも大河原先生がやっていらっしゃる教育研究所の中のわかたけ学級を見学させていただいたときに、ちょうどこの動詞の本で、「なにをしているの?」って子どもに問いかけを先生がしていらっしゃっいました。カレーライスを食べているところの場面で、子どもは布の絵本の手を一生懸命動かしている。先生が「何をしているの?」「カレーを何してますか?」って一生懸命問いかけをしたら、子どもが「カレーを食べています」って言ったんですよね。そうしたら先生が、すごいねって頭を抱えてよろこんでいらっしゃる光景を見て、ああ、私たちが作った絵本はこういうふうに現場で先生たちは使ってくださっているんだなと感動しました。そして次の絵本を作る励みになったという思い出があります。

 それから、玩具福祉学会で今理事長さんをやっていらっしゃる小林るつ子さんのお誘いで、1982年でしたけど、東京都児童館で「豊かな遊びをひろげるおもちゃ展」に参加しました。これは全部、玩具メーカーさんが出品されている展示会だったのですが、その中に混じって、手作りおもちゃを出すのは私たちだけということで参加したんです。そうしたら、肢体不自由のお嬢さんをおもちのお母さんが会場にみえて、この「おひさまえあわせ」を出していたのですけれど、「型はめのおもちゃは、カタカタやっているうちに偶然型がはまってできあがることが大きいけれど、こういうふうにステッチで絵が描いてあって、そこに自分の意志で布のパーツの絵を合わせるというのは、大変な作業なんです。私は子どもにこれが欲しい」とおっしゃったんです。私たちとしては、そのときはこれは1冊しか作っていなかったものですからね、お母さんのご希望に添えなくて本当に申し訳ない。でもお母さん、お時間ありますか?って聞きましたら、時間はある。じゃあ私が材料をそろえてきますから、会場で一緒に作りませんかということで、翌日、材料をそろえていって、そのお母さんをみんなでお手伝いしながら1冊の本、全部は仕上がらなかったのですが、かなりの程度まで仕上げて、お家に持って帰っていただいたという思い出のある本なんです。そういうふうに作った絵本との出会いもあります。
 その時、私たちは勉強したんですけれど、こういう絵の中にこれをはめるということも、一つ絵本になるんだな、とてもいい作業になるんだなということを発見しました。それから「どうぶつえあわせ」「どうぶつえん」など、いろんな絵合わせのパズルというのをこういう形式で作って、養護学校などで盛んに使っていただいています。
絵合わせの本は、東京都児童館でのお母さんとの出会いから数が増えていきました。
 その他にも、音が出るといいんだけどな、っておっしゃった支援学級の先生の声から、豚の鼻の下に押し笛を入れて、鼻を押すとブッって鳴る「おでかけブー!」という本、後ろにありますけど、音の出る絵本を作りました。あとは、自動車をいっぱいこうアップリケして、自動車の中にも押せばブーッと鳴る、赤い自動車、青い自動車、白い自動車っていいながらぶうぶうぶうぶう鳴らす、それもとっても喜ばれています。特に音に反応するお子さんにはとても喜ばれています。

 それから、「うたのえほん」というのがもこもこの定番で、養護学校とかいろいろなところでとても喜ばれています。図書館の貸出でも「うたのえほん」は人気なのですが、埼玉県立久喜図書館で「うたのえほん」を含めて布の絵本のモニターアンケートというのを2年にわたって実施されました。その中に、「うたのえほん」、全部横めくり、こういうふうにめくっていく本ですが、これも黒板に掛けて、みんなの前で縦にめくれて、みんなで歌が歌えたらいいなというアンケートの答えがありました。「なるほど」と私も思いました。あちらにチューリップとかダルマさんとか出しておりますけれども、縦にめくれる「うたのえほん」というのはそうやって誕生しました。たしかに黒板にこうフックでかけて、先生が使っていただくのに使いやすくなったという言葉をいただいています。そんなふうにして、私たちはいろいろな出会いの中で布の絵本をたくさん作らせていただいています。
 そしてもう一つ、私たちのグループは活動を手作りということでやっていますけれど、行動半径には限りがあります。30年の活動の中で数多くの図書館に布の絵本の製作ボランティアさんができたことは本当にありがたいことですし、そのボランティアさんの手によって図書館で布の絵本が貸し出されているということは大きな前進と思っております。

 それでは、今も関わらせていただいている二つの図書館の現状をちょっと報告させていただいて、話を終わらせていただこうと思います。布の絵本を一般貸出していらっしゃる図書館がほとんどなのですが、私がこれからお話させていただく埼玉県立久喜図書館と調布市立図書館ではハンディキャップサービスで布の絵本を活用してくださっています。一般貸出も、もちろんいいのですけれど、私は障害を持ったお子さんのところに、布の絵本が届いてほしいという願いで作っていますから。一般貸出でも障害を持つお子さんのところに絵本が届くようにしてくださっている図書館はもちろんありますから、それはそれでいいのですけれど、まず障害を持ったお子さんのところに届いてほしい。だからハンディキャップサービスで布の絵本を活用していらっしゃる二つの図書館の活動はすばらしいなと思っています。
 埼玉県立久喜図書館は1998年に文部省の研究指定によって、図書館と地域養護学校との連携研究事業に布の絵本がとり上げられました。養護学校の先生たちの側から、布の絵本が欲しいという声を出してくださったそうです。それ以降、私たちもずっとお手伝いしていますけれど、ボランティアグループ「つくし」さんができて、現在は所蔵数が71タイトル、267冊、そのうち1タイトル1冊は原本として修理とか製作のために保管していらっしゃるので、貸出可能タイトルは64タイトル197冊です。昨年度の貸出状況は、34団体207冊だそうです。ここ何年かコンスタントに200冊以上の貸出をしていらっしゃるそうです。
 調布市立図書館のほうでも、所蔵数は208冊。昨年度の貸出状況は218点。こちらもやはり200点以上、毎年貸出をして、障害を持った子どもさんのところに届ける活動をしていらっしゃいます。子ども発達センター等の訪問サービスでも布の絵本を活用していらっしゃいます。こちらでは、「ふかふか屋さん」というボランティアグループが活動していて、このグループは本当に基本的な刺繍の、ステッチの勉強から始められて、布の絵本を原作に忠実に美しく作っていらっしゃいます。やはり子どもたちの手に渡るので、布の絵本だから何でもいいやというのではいけないと思うんですね、やはりデザインも優れているし、色彩もきれいだし、しかも丁寧にまつってあって、少々乱暴に扱っても大丈夫というような布の絵本を作ることは大切なことだと思います。図書館での布の絵本の取り扱いというのは本当に大変だと思いますけれど、本当に頭が下がります。特に久喜図書館では、布の絵本が戻ってくると、ぬいぐるみが洗える洗濯機で滅菌・殺菌します。そして、きれいに消毒した布の絵本に帯封をして貸し出ししていらっしゃる。そこまでやっていらっしゃるところはあまりないのではないかと思っております。
 そういうふうに、私たちがどんなに人数が多くなってどんなに活動しても、活動の幅が限られているのですけれど、出版社とか図書館とか、そういう公共のところの努力によって布の絵本がどんどん広がっているということを本当にありがたいなと思うと同時に、私たちも責任を持って今まで以上に布の絵本の勉強をしながら、特性を踏まえて、デザインにも色彩にも工夫をこらしながらいい作品を作り続けていきたいなと思っております。
 願わくば、国がもう少し支援をしてくださるといいなと、30年前から思っているのですけれど、みんなで頑張りたいですね。

講演をする野口氏と布の絵本「きかん車もこもこ号」



【掲載者注】

1)世界のバリアフリー絵本展(2005年7月21日(木)~7月24日(日))/日本のバリアフリー図書の歩み(2005年7月21日(木)~9月4日(日)) 【国立国会図書館国際子ども図書館】 (http://www.kodomo.go.jp/event/exb/bnum/tenji2005-02.html)の資料として公開された『日本のバリアフリー図書の歩み』(http://www.kodomo.go.jp/images/event/exb/2005-02/chrono.pdf(PDF))に、「1979(昭和54) 「世界の布の絵本・さわる絵本展」東京等で開催(朝日新聞主催、偕成社協力)その後「ふれあい広場」として1986年まで毎年開催」とある。