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マラケシュ条約の意義

野村美佐子

はじめに

 2013年6月17日から28日にかけて、世界知的所有権機関(WIPO)の186の加盟国から約600人の代表者がモロッコのマラケシュで開催された外交会議に集い、視覚障害者やプリントディスアビリティ(印刷物を読むことが障害)のある人々のための新著作権条約の採択に向けた議論に臨んだ。その結果、27日に、加盟国において合意に達し、「視覚障害者およびプリントディスアビリティのある人々の出版物へのアクセスを促進するためのマラケシュ条約」として採択された。
 出席者には各国代表者だけでなく、世界盲人連合(WBU)、EU障害者フォーラム、DAISYコンソーシアム、国際図書館連盟など50にも上る市民団体の参加者もおり、彼らは、2009年以降、読むことへの権利を求めたWIPOとの交渉を振り返って、知的所有権と人権を結びつけた、この歴史的な条約の採択に「うれしい」と口々に喜びを表現した。
 28日には、129の国・政府間機関が最終文書に署名し、51の国・政府間機関がマラケシュ条約に署名した。今後、この条約に20か国以上が批准すると発効することになる。なお、日本は、最終文書に署名している。

背景

 どうして条約が必要だったかというと、一つには、アクセシブルなフォーマットの図書は、一般市場では売られていないし、出版会社は、視覚障害者等の点字や音声による図書を利益の高いビジネスだと考えていなかったことだ。時間がかかっても製作をするのは点字図書館等で、その結果、多くの本がアクセシブルな形式で出版されていない。また、もう一つの理由として、せっかく製作したアクセシブルな図書は、国内の著作権の権利制限で製作をしているので、海外でも対象者に活用できるという統一した規定はなかったことだ。
 WBUによれば、毎年、世界中で出版される100万冊程度の書籍のうち、手に入れられるアクセシブルな形式の書籍は7パーセントであり、さらに、開発途上の貧困国においては1パーセントである。これらの状況を「本不足(book famine)」と呼び、WBUを中心として、知識へのアクセスの改善を訴えてきた。
 その具体的な解決法として、視覚障害者等のために国内法の著作権の権利制限と例外規定の下でアクセシブルな図書が製作できること、またそれらが国境を越えて共有できること、この二つが実現できる国際的な法の枠組みをWIPOに求めた。

条約の主要な内容

 マラケシュ条約の適用において対象となる著作物は、書籍、雑誌などのテキスト形式のものやオーディオブックなどの音声形式も含み、出版されているか、その他のメディアで公に提供されている著作物であるかは問われていない。しかし、映像は含まれていない。また、アクセシブルな形式の複製とは、障害のない人と同様に、無理なく著作物へアクセスできる実現可能なフォーマットや方法での提供を許可する定義になっている。たとえばDAISY図書、点字本、大活字本、およびその他のアクセシブルなフォーマットを意味している。それらの提供を受ける受益者は、印刷物をうまく読むことができないすべての障害、つまりプリントディスアビリティを含むという定義になっている。
 これをどのように解釈するかが課題だが、視覚障害者、ディスレクシアなど読むことに障害がある者、身体障害により本を持ったり、ページをめくったり、目の焦点を合わせることができない者を含んでいる。
 マラケシュ条約の締約国では、国内法令における権利制限または例外規定が、著作物をアクセシブルなファーマットにするために必要な変更が許可され、この条項により著作者の許可なしに複製が可能となる。これらの複製物の国境を越えた交換に関わるのが「公認機関(authorized entity)」である。締約国の公認機関が別の国の締約国にアクセシブルな複製物を提供する場合、直接、受益者に提供する場合と対象国の公認機関を通して提供の場合とがある。
 なお、著作権者の利益を守るため、公認機関は、複製物について、受益者のみが活用できることを確認し、不正流通を阻止し、取り扱いに注意しなければならないとしている。

条約による新しい可能性

 英語、スペイン語、フランス語、ポルトガル語、ロシア語、中国語といった同じ言語を共有する国や地域間において、アクセシブルな図書を共有できることはとても効率的である。コストの面から、アクセシブルな図書など存在しない開発途上国にとって、教育や読書の機会を飛躍的に向上させる。また、国内法において、視覚障害者には著作権の権利制限があっても、それ以外のディスレクシアなど読むことに障害がある人々を対象にした著作権がない国において、著作権法の改正が加速化される。
 さらには、国際図書館連盟の障害者サービスセクションとDAISYコンソーシアムが先導的に行なってきたアクセシブルな図書を提供するグローバル・ライブラリーの構想が、今までWIPOと共に取り組んできたTIGAR(信頼のおける媒介機関を通したアクセス可能資源)プロジェクトの経験を生かして実現する可能性が出てきた。

課題と展望

 マラケシュ条約が採択されても、多くの国が批准し、実践されていかなければ、「本不足」の状況は変わらない。その意味では、WBUなどは条約を発効するための新たな活動を展開しようとしている。また一方では、条約が出版社のアクセシブルな出版を妨げるという分析をしている者もいるが、出版社がアクセシブルな出版を行うことが最終的に本不足を解消することになるので、その方向で、WIPOが中心となってDAISYコンソーシアムや出版社の協力で制作した「アクセシブルな出版物の制作:出版社のためのベストプラクティスガイドライン」を活用して推進してほしい。
 日本では、2010年から国内著作権法第37条で、出版社や著作者の許可なしに著作物をアクセシブルな形式にすることができていたため、条約に対する関心が低いかもしれない。しかし、英語でのアクセシブルな資料を読みたい大学生や研究者にとって朗報だ。アクセシブルな複製物の交換をする公認機関については、その定義をみると、37条の下にある政令指定団体に近いところがあるが、国がこの条約を批准した時にどのような組織体制にするのか、これからもその動きを追っていきたい。
 マラケシュ条約を契機に、グローバルな観点から日本において、読むことに障害がある人々の知識へのアクセスを保障するアクセシブルな図書や教科書の提供システムづくりを、国に対して切に望みたい。

(のむらみさこ 日本障害者リハビリテーション協会情報センター長)


原本書誌情報
野村美佐子.マラケシュ条約の意義.ノーマライゼーション 障害者の福祉.2013.11,Vol.33, No.11, p.52-54.

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