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著作権法改正と障害者サービス 第5回
読書権運動の起源―明治期の点字雑誌に見る点字図書館創設への願い―

大橋由昌

はじめに

 昨年の2010年は、国民読書年ということで、各地で種々の催し物が企画実施されました。視覚障がい者の世界においては、残念ながら「読書年」自体はあまり話題になりませんでしたが、くしくも1月から改正著作権法の施行により、特に37条の解釈及び対応をめぐって、結果的には「読書問題」がクローズアップされた1年だったといえます。改正法により、学校図書館における障がい(児)者へのサービスの拡大が期待されています。今回は、教育現場の読書または学習環境の充実を、いかに障がい当事者が強く求めてきたのか、実例を示しながら、今後の学校図書館のあり方に触れてみます。

1.一次資料としての「点字文献」

 明治・大正期における視覚障がい者の読書環境や、生活実態を知る貴重な資料のひとつに、点字雑誌『六星の光』があります。これは、1903(明治36)年に官立東京盲唖学校、現筑波大学附属視覚特別支援学校の盲生同窓会が発行したものです。第1巻の「発刊の辞」には、「平易な文章で、興味と実益とのなるたけ多いように、また多少文学的趣味を含むようにするつもりで、その材料は広く全国に募る考えである。(原文は点字、以下同)」と、編集方針を記しています。事実その内容は、「鍼按学講義」など、医学関係の記事を中心に、「論説」や「雑録」欄において時事問題から盲教育への提言等、多岐にわたっています。50数ページの小冊子とはいえ、1890(明治23)年に石川倉次により日本点字が考案されてから、僅か10数年後の当時としては、文字通りほとんど唯一の「点字総合雑誌」だったといえるでしょう。
 2005(平成17)年から3年間、文部科学省が予算化し、データ入力作業が開始されるなど、この雑誌は、盲教育にとどまらず、当時の盲人の生活や文化の実態を知るための他に類のない文献とみなされているのです。私も読み手のひとりとして、データ化作業に参加しています。セピア色に変色して摩滅しかかった点字を触読するとき、1世紀という時間の長さと、先人たちの熱意の深さをあらためて指先に感じるのです。
 また、こうした一次資料としての「点字文献」を、研究者はもとより、図書館界がどのように評価し、受け入れていくのか、個人的にはとても注目しています。今回は、紙数の関係から、プロジェクトチームにおける作業半ばの墨字訳を用いましたが、文字変換した資料の位置づけがどうなるのか、改めて問いたいと思います。

2.英国の点字図書館事情から学ぶ

 同誌第6・7号(1904年)では、オックスフォードに留学後、英国で商事会社を経営しながら、欧米の盲人事情を伝え、さらにわが国の盲人運動を組織した〔近代盲人福祉の先覚者〕とも、〔日本盲人の父〕とも呼ばれる好本督(よしもと ただす)が、「盲人の読書機関」と題して、「国民盲人用図書貸出館」創設の必要性を力説しています。第6号41ページに、「不幸にして我が国などにては、下のような論者もある。(日本には目あき用の図書館すら皆無というほどまれであるのに、どうして盲人用の図書館のことなどを心配しておられようか)というのである。一応尤ものように思われるが、実際においては大反対で図書館の必要は、目あきよりも一層盲人に感ぜらるるのである。」と、好本は記しています。さらに続けて、①点字出版書の皆無であること、②点字書を作らせんとすれば非常に高価の物であること、③点字書は非常にかさが高いことなど、その理由を上げているのです。
 続いて第7号では、いくつかの盲人図書館の紹介をした上で,「点字図書館の創立につきては、大いに人々の尽力をわずらわせねばならぬが、あえて巨額の金銭を投ずるには及ばぬ。(中略)まず、数冊より始むべきこと。資金の不足を顧慮するのあまり、実行を躊躇せざること」と、具体的な運動を呼びかけているのです。さらに、「盲人のために点字書を作るなどと言うことは、婦人のなしうる慈善事業の中にても、最もうるはしく、もっとも簡易なるものだと思う。(39ページ)」と、わが国の婦人に点字図書の作成に協力してもらうよう、点訳奉仕活動の推進を示唆しています。後年、日本点字図書館を創設した本間一夫が、好本を師と仰いでいたことはその著書よっても明らかですが、本間に限らず、英国の読書事情や慈善事業に啓発された盲人運動の先覚者たちは、少なくないのです。

3.点字図書館創設を願う二つの手法

 一方、第19号(1905年)には、桑田鶴吉が「盲人図書館設立の一手段」という表題で、「人に依頼のみしてをりては、何ごともできるものでない。自らその局にあたり、できうるだけの労をとりて種をまき、その足らぬところを人にあふぐようにせねばならぬ。(句読点は筆者)」と、自助努力を強調し、具体的には、点字出版図書の政策に進んで協力することにより、点字図書館創設の基をなす蔵書作りに着手するよう主張しています。さらに桑田は、「盲学校教員練習科生徒は、義務として毎日2時間以上翻訳に従事すること」、とまで檄を飛ばしつつ、まず校内に点字図書館を作るべきだと提言し、慈善事業を基盤とした図書館運営を摸索する、好本らの考え方とは、明らかに異なる見解を述べているのです。
 両者の点字図書館創設への手法に差異があるものの、その根底には「本を読みたい」、という究めて人間的な欲求があることは間違いありません。明治期の盲人たちが、自らが利用可能な図書館をいかに欲していたのか、改めて現在の視覚障がい者の読書環境と照らし合わせてみるとき、隔世の感がある一方、時代の進歩とともに新たな読書バリアに直面する、程度の差はあるとはいえ、同根の読書事情を痛感せざるをえません。  また、〔点字の古文書〕を読みながら、明治の盲教育における黎明期にあって、学校図書館への期待は、今日に比べられないほど強かったことも印象に残ります。点字図書館創設の動きと、今回は触れられませんでしたが、点字教科書獲得運動を検証する限り、いわゆる読書する権利を求めた運動は、活字情報の摂取を求め続けた盲教育130年を貫く要求だった、と感じるのです。

4.新読書権運動は教育現場から

 明治期の盲教育現場において図書館の必要性が論議されていたように、著作権法の改正により、これからは学校図書館のあり方が、なおいっそう問われるだろうと予想されます。学校でも音訳図書だけでなく、拡大図書や電子図書を作れるようになったからには、学習障がい者を含め、障がい(児)者相互の読書および学習環境が一変するはずです。また、利用者からの要望も強く出されるでしょう。特別支援や普通校の学校図書館において、一人一人の児童・生徒に見合った学習教材の提供が可能になった以上、それに対応する要求が出てくるのは必然だからです。しかし、司書教諭の多くが著作権法改正の内容を、どこまで正確に理解しているのか疑問だといわざるをえません。横浜市立盲特別支援学校の図書館のように、先進的な取り組みをしているところは別として(『一人ひとりの読書を支える学校図書館』読書工房発行、参照)、一般校の図書館においても法の網がかけられているのですから、早急に司書教諭の研修会などにおいて著作権法についてもっと学ぶ機会を提供していく必要がある、と感じています。
 一人一人の児童・生徒の特性に対応した教材資料を提供するためには、やはりデータが入手できない限りは媒体の変換は無理でしょう。出版社や国会図書館からデータが提供され、それを学校図書館において必要に応じて変換して使うのが現実的な対応策だと考えられます。学習支援のためのリソースセンター的な機能が、これからは求められるのです。しかし、法改正が実現しても人や予算が付かない限り、読書および学習環境の改善にはつながらないのでは、と危惧しています。電子図書をめぐる話題も盛んですが、障がい者の読書権の保障には、電子データの提供が不可欠だ、と私は思っています。

(おおはし よしまさ:2010年国民読書年に向けて障害者・高齢者の読書バリアフリーを実現する会 副代表)

[NDC9:016.58 BSH:1.点字図書館 2.学校図書館 3.著作権法]


この記事は、大橋由昌.読書権運動の起源―明治期の点字雑誌に見る点字図書館創設への願い―.図書館雑誌.Vol.105,No.1,2011.1,p.42-43.より転載させていただきました。