DAISYと私 マイ・リン・ホルトの場合
―Your DAISY Storiesより―
マイ・リン・ホルト
2010年7月
出典:
DAISY Consortium(http://www.daisy.org/)
Your DAISY Storiesより翻訳
http://www.daisy.org/stories/mai-linn-holdt
「DAISY図書には本当にお世話になっています。DAISY図書のおかげで、テストの前に素早くテキストを見直したり聞き直したりできます。クラスメートはこの機能をうらやましがっているんですよ。」
マイ・リン・ホルト(Mai-Linn Holdt)は、低学年の頃に「落ちこぼれ」だった少女が、ティーンエイジャーに成長し、ほかの子供達のための研修を、責任を持って企画するようになるまでを語っている。マイ・リンの話には、勇気づけられるとともに、心を揺さぶられる。マイ・リンは今年、懸命な努力とDAISY教科書の利用により、高校の卒業試験で優秀な成績を収めた。だがマイ・リンはディスレクシアに苦しんできた。父親のハンス・クリスチャン(Hans-Christian)によれば、ときにはたくさんの涙を流すこともあったそうだ。マイ・リンは中国で生まれ、1歳のときにホルト家に引き取られた。これから紹介するのはマイ・リンの物語である。
ノルウェーの民族衣装”Bunad”を着たマイ・リン
私の名前はマイ・リンです。17歳のディスレクシアの女の子で、ノルウェーに住んでいます。10歳のときにディスレクシアと診断されました。小学校低学年の頃を振り返ると、授業の合間の休み時間を除けば、思い出はすべて白い雲に包まれています。私は、遊んだり、高い所に登ったり、速く走ったりするのが好きでした。休み時間には本当に生き生きとしていました。でも教室では、先生の話がほとんどわからず、すぐに空想の世界に逃げ込んでしまったのです。白い雲の中へ。
愛犬ライナスを抱くマイ・リン
6年生のとき、読字障害のある人達を長年支援してきた女性の所に、両親が連れていってくれました。3週間後には、生まれて初めて、何とか文を読めるようになりました。この女性が、本当に基本的な言葉の構成要素から始め、時間をかけてそれを組み合わせ、言葉を読めるようにしてくれたのです。それまで私は、文字とアルファベットは知っていましたが、どのようにしたら、それぞれの文字の発音と大きく違う音で表現される言葉ができるのか、その論理がまったくわかりませんでした。それが11歳のとき、やっと読むことができるようになったのです。その後スポーツへの関心が高まり、教室でイライラと過ごしても、すぐにすっかり忘れられるようになりました。サッカーではスピードと体力を養い、空手では、学校でのもどかしい毎日をやりすごすのに必要なきちょうめんさと冷静さを学びました。
両親は私が幼稚園に通っていた頃から、すでに私の言語の問題に気づいていました。低学年の頃には、先生方とこの問題について頻繁に話し合ったそうです。ですが、先生方には、これはきわめて普通のことで、「心配することはありません。時間がかかるお子さんもいますよ」と言われてしまいました。両親が、市の専門訓練士による検査を受けたいと強く主張して初めて、ディスレクシアと診断されたのです。
宿題にはすべて、私と同じくらい両親も関わりました。何時間も本を読み上げてくれたり、書くのを手伝ってくれたりしました。5年生になって、ほとんどの本がDAISYフォーマットで利用できることがわかりました。これは、もともと視覚障害者のために設けられたサービスでしたが、後にディスレクシアの生徒も利用できるようになったのです。別のフォーマットの図書を購入するための多額の費用は、学校側が負担しなければならなかったので、必要なDAISY図書をすべて手に入れるまでは、苦労もしましたし、時間もかかりました。
けれども、DAISY図書を手に入れても、結局まだ天国とは言えませんでした。DAISY図書はPCで再生しなければならず、そのためのソフトウェアがいつもうまく作動するとは限らなかったからです。それからの2年間は、きちんと動かない図書やPCとのストレスのたまる闘いでした。自力で宿題をするという希望は打ち砕かれていきました。両親はあいかわらず何時間もかけて私に授業内容を理解させようとしましたが、私の自尊心は低下していきました。
その後、きちんと制作されたDAISY図書と、新しいDAISYプレーヤーのおかげで、状況は改善し始めました。けれども、私はまだ両親に図書を読んでもらい、宿題を全部手伝ってもらいたいと思っていました。両親が助けてくれることにすっかり頼りきってしまい、もう二度と自力でやりたいとは思わなかったのです。とうとう両親は、私のために読むのはやめようと決心し、やむにやまれず、宿題の答えを見つけるために、私はDAISY図書を読み始めました。よい成績をあげて先生を喜ばせたいという気持ちはまだ強く、だんだんと、自分の学業には自分で責任を持たなければいけないということがわかってきました。
今、私は高校2年生を終えようとしており、DAISY図書には本当にお世話になっています。DAISY図書のおかげで、自力で、支援なしに宿題をすることができます。また、速く「読む」ことができるので、ほどほどの時間で課題を終えられます。DAISY図書のおかげで、テストの前に素早くテキストを見直したり聞き直したりできます。クラスメートはこの機能をうらやましがっているんですよ。過去3、4年間の学業成績を見ると、目覚ましく進歩したことがわかります。
将来への希望を一つ言わせていただきますと、特にディスレクシアの読者を想定した外国語(英語など)の本を、優れた作家に制作してもらいたいです。私にとって外国語の学習は、まさに、読むことを最初から学び直すことです。DAISYは、母国語で「情報」を読み取る場合には完璧ですが、まったく新しい言語を学習する場合にはほとんど役に立ちません。ディスレクシアの人向けの外国語の本では、おそらく私が読み方を習ったときに有効だった方法と同じ方法を使わなければならないでしょう。つまり、もっともシンプルな言語の基本構成要素から始め、それらを組み合わせて簡単な言葉にしていく方法、それから、何度も繰り返したり、話す練習をしたりして、「過剰学習」(over-learning)をする方法です。
さて、そろそろ、この話を英語で書くのを父が手伝ってくれたことを、皆さんの前で認めなければなりませんね。
両親はすぐに、ノルウェー・ディスレクシア協会の会員になりました。この協会は、特にディスレクシアの子供を持つ家族にとって、重要な情報センターです。ノルウェー・ディスレクシア協会では、生徒の権利、自尊心の育成、役に立つコンピュータソフトウェアの利用、ディスレクシアに優しい学校などをテーマにしたセミナーを企画するとともに、宿題の支援、青少年会議なども行っています。現在私は、国と地域の青年代表を務めており、青年向けのコンピュータプログラムの利用に関する研修を企画しています。
有用なコンピュータプログラムに関する知識を持っている教師はほとんどいません。そこで私はよく学校に招かれ、ディスレクシアの子供達に役立つ、もっとも多く使用されているアプリケーションを紹介しています。また、ディスレクシアを抱えて生きることについて、先生方に話をしてほしいと依頼されることもあります。2008年の夏、15歳のときには、オスロの国際会議で話をするよう依頼を受けました。それがDAISYコンソーシアムの会議だったのです。幸運なことに、DAISYコンソーシアムの方達がその様子を録画し、日本語に翻訳してくれました。するとクリスマス前のある日、電話が鳴り、DAISYコンソーシアム会長の河村宏氏(http://www.daisy.org/stories/hiroshi-kawamura)から、日本の京都に来て、教育会議で話をしてほしいと招待されました。それは最高のクリスマスプレゼントでした! ディスレクシアとの闘いが、突然チャンスに変わったのです。
2009年2月、京都で開催された国際会議でプレゼンをするマイ・リン
私の心からの願いは、読みの障害を抱える子供達が、これ以上自尊心の低い子ども時代を送らないですむようになってほしいということです。そしてそれは、DAISYの技術が利用できる限り、実現可能なのです。ディスレクシアを障害として認め、そのような子供達がDAISY教科書を早くから利用できるようにし、自分自身の状況に責任を持って対処できるように、やる気をはぐくんでいかなければなりません。ディスレクシアの子供達は、より賢明で革新的な問題解決方法を生みだせるというのが本当なら、今こそ、堂々と学校を卒業し、世界中の将来の雇用主に創造的な解決方法を提供するための準備をするときです。現在、DAISYによる支援に支払われる費用は、将来、ディスレクシアの子どもたちの知性と創造的な精神とを失ってしまったときに社会が負担しなければならない費用に比べれば、ほんのわずかにすぎないのですから。
編集者注:過去7カ月間、マイ・リンは非常に多くの活動を行ってきた。
- 1月、フィンマーク、アルタの地域情報研修コースで講演
- 3月に3日間の情報研修コースを自ら企画し、20人の子供達が参加。
- 学校におけるDAISY図書使用促進のため、4月に教育大臣と面談
- 秋に実施予定の、ディスレクシアの子供達を対象とした別の情報研修コースのための資金調達
2009年、京都の五重塔の前で撮影
マイ・リンは、今年8月にオスロで開かれるDAISY会議でも講演を行う予定である。
(ノルウェー視覚障害者図書館 http://www.daisy.org/member/256/Norwegian%20DAISY%20Consortiumによる企画)
マイ・リンの父親のハンス・クリスチャン・ホルト(DAISY Planetの英文記事の執筆を手伝ってくれた)は、京都での会議への旅を次のようにまとめた。「いろいろな人に会い、史跡を訪れ、最後に、会議で子供達に会い、堂々と講演を行うことができた、忘れられない一週間でした。父親である私には、日本に講演をしにいくという機会をいただいたことが、娘が10年以上も学校で経験してきた苦しみをすべて補って余りあることのように思えました。今では、懸命な努力とDAISY図書のおかげで、以前は夢みることしかできなかった成績を収めることができるようになりました。」マイ・リンの話は、いたるところで好評を博している。
ノルウェー・TV2に出演するマイ・リン
写真提供:ノルウェー・TV2からの無料提供
6月初め、マイ・リンはノルウェー国営テレビのインタビューを受けた。その様子は、ディスレクシアの生徒のためのコンピュータ関連費を国が削減するという提案を取り上げたニュースで紹介された。このニュース放送には、野党党首と教育大臣も出演した。国営ニュース放送の映像は、オンライン視聴できる。
(http://www.tv2.no/TV2/do/fsearch?stolpe=all&querystring=mai-linn+holdt) 当然のことながら、映像はすべてノルウェー語である。