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平成20年度 DAISYを中心としたディスレクシアキャンペーン事業
~DAISY教科書提供体制の確立を目指して~

セッション1 「ディスレクシア当事者のニーズと求められる支援」

ディスレクシアの方のニーズとそのソリューション

講演を行う藤堂栄子氏の写真

藤堂栄子(NPO法人EDGE 会長)

ディスレクシアとは

(資料1 説明)

こんにちは、藤堂でございます。パソコンの準備をしている間に自己紹介をさせていただきます。NPO法人EDGE(エッジ)という団体を作っております。随分このごろメジャーになってきましたが、ディスレクシアを知っていただこうというので啓発と支援をしております。どういう支援が必要なの?というのも知っていただいて、その上、そういうのがあるんだよ、ということも知っていただく。それから支援の開発というのにも力を注いでいきたいと、9年ほど前、2001年にEDGE立ち上げました。

どうしてEDGEをつくるようになったかというお話ですが、それは私自身がディスレクシアだということが息子を通して分かったことが発端になっています。息子のほうも、15歳まで分かりませんでした。私も全然知識がなかったし、彼も、すごい不全感を持っていました。彼は自分はもっとできるはずなのに、どうしてこんなにうまくいかないんだろうという気持ちは抱えていました。一方私は、彼が天才だと思いこんでおりましたので、「天才ちゃん」と言って、彼のものをつくる力とか、気付く力とか、考える力とか、そういうものをできるだけ引き伸ばしてあげたいなと思っていました。学校の先生から「漢字が書けてない」とか「100回練習しろ」と言われて、本当に練習していても次の日の試験に書けていないという状況があっても「いいじゃん、今はワープロがあるから、書けないっていうことは、そんな大きな問題じゃないんじゃない?」。計算も、数学的な考え方とか、図形だとか証明とかはすごくよくできるのだけれども、単純計算でものすごいミスをする。それから文章題が読み切れていないので点数が取れないということもありました。でも、それも「いいじゃん。電卓があるじゃない」ということで通しました。九九を覚えないというのも、「別にいいじゃん。9つのものが9つあったから81になるんだよということが分かっていれば、九九をそらんじてなくても問題ないじゃん」と言って育てました。

学校とも随分大げんかをしたり、分かっていただけないという状態がありました。中学校は日本で私立を受験して入りました。その程度には勉強はできていたんですね。それでも本人は何か居づらいというのでイギリスへ留学することを選びました。イギリスに行って、半年ほどたって彼はディスレクシアと言われました。そのころのインターネットで見ますと、ディスレクシアというのは1つしか当たりません。ヒットしない。理研がやったセミナーの、2年前のセミナーのお知らせが1枚載っているだけでした。そこから「何なんだろう?」という好奇心が随分沸きまして調べたところ、「読字障害」と言う前に「失読症」と書いてありました。おかしいですね。失読症というのは、大人の方で、脳卒中とかで、ある脳の機能の一部分が損じられたときに起きる「読めたのに読めなくなった」という状態です。でも彼は、私からすると読めていると思っていました。長文読解はできているんです。だけれども、その後、テレビに出演したりして聞くと、彼が音読するのは、めちゃくちゃたどたどしいんですね。WOWOWのあるチャンネルに1回出たことがあるんですが、彼が「葉っぱのフレディ」というのを読まされたときに、「は…ぱの…ふ…れ…でぃ…は」みたいな感じで読んでいました。そうすると、もう初めに読んだ音が何だったかなんていうのを忘れてしまっているという状態がありました。

現在ではディスレクシアで通しています。というのは「読字障害」というのも一文字も読めない人みたいな印象を与え、誤解の元になるからです。

話を戻しますと、そこから彼はイギリスでいろいろな支援を受けて、すごく自信も取り戻して、今は大学院を卒業しまして、建築家としてフランスで仕事を始めています。彼を通してハッと気が付くと、私がそうだったということが分かりました。私がそうだったから、息子に対して「大丈夫、私ぐらいにはなるから気にしないで」と言って育てられた。どうして私がそう言えたかというと、私の母もそうだったのです。それで母が私のことをおおらかに育ててくれたというのがありました。そこで、息子に、「自分は外国にいて、いい支援を受けてここまで来れた。けれども思い返せば小学校のころ、周りにいっぱい似た子がいた。その子たちはもっと大変な思いをしているに違いないので日本で何かやって」と頼まれたのがきっかけでNPOをはじめました。9年たって、これだけ多くの方がディスレクシアとDAISYということで来てくださるというのは、すごく嬉しく思います。

長々と話すのはこのくらいにいたしまして、「ディスレクシアとは?」というところから入りたいと思います。ディスレクシアと言って、読み書きが困難と言うと、ここにいらっしゃる方たちはそのようなことはないでしょうが、だいたい、障害、「読字障害」とか日本語で言われてしまっているので、かわいそうな障害者と思われるんですね。「お子さんがそうですよ」って言われた保護者は、もう明日がないと思って、こちらに来る相談の電話などでは、泣きながら、「心中しようかと思う」と言う方がいらっしゃるんですね。「とんでもない」と。やはりそれは啓発をしなくてはならないと思うんですね。ここに出ている、画面にはディスレクシアといわれている有名人が載っています。ヴァージン・アトランティックのリチャード・ブランソンとか、トム・クルーズは有名ですよね。それからジェイミー・オリバーという料理の方だとか、チャーチルなんかもそうだったということが言われています。亡くなった方の脳は調べるわけにいかないのですが、生きている外国の方は、自分から随分カミングアウトをしてくださっています。

ディスレクシアな有名人

こういう方たちが何をしているかと言うと、自分の読み書き以外の能力を発揮できているわけですね。そういう場が与えられている。そこに至るまでは何があったかと言うと、そういう自分でもいいんだと見守ってくれる人とか、読み書き以外の方法で知識を吸収したり、自分の考えていることを表現する方法を持っていたりする人たちなんですね。こういうことが日本でも普通のこととして受け入れられたらいいなと思って活動しております。

ディスレクシアは、標準並み、またはそれ以上の能力があって、読み書きに特異的なつまずきや困難さが見られる者と言われています。英語圏では10%以上、日本語でも5%はいると言われています。これは日本語の言語体系の問題もありますし、周りの気づきの問題もあります。日本での問題は日本語の特異性とその言語の特異性に特化したスクリーニングがないということがあるんですね。それはどういうことかと言うと、先ほど課題として、本人にDAISYというものを知ってもらうと言ってましたが、本人が気付いてないんです。自分が読み書きが困難だと気が付いていない人が、すごくいっぱいいます。それから周りの人たちにも知ってもらうというのもあるんですけど、話し方がおかしければ周りの人たちも、「この子、何かあるのかな?」って感じられますけれども。しかし、見て、音に変えられても、それがきちんと頭に入っていないとか、音に変えられないということがあると、周りからは分かられないのです。私を見て、私は障害者ですと言っても誰も信じてくれない。手帳ももらえません。手帳がないと、いろんな支援を受けられないという日本の現状がありますが、ディスレクシアというのは最たるもので周りから理解されにくいものです。

ディスレクシアについて

(資料3 説明)

これは息子が、「自分が見えているのはこんな感じ」というのを、図にしてくれました。日本語で、今はワープロで「魑魅魍魎」とか「顰蹙」とか「麒麟」と、平仮名で打つとポンと変換されますけれども、こんなふうに踊ってしまうんですね。空間認知が良すぎて踊ってしまうようです。

「魑魅魍魎」などをワープロで漢字変換すると字が躍ってみえる

それから、これも「完璧な文章などと言ったものは存在しない」という村上春樹さんの文章をお借りましたが、彼に言わせると遠近感が自在です。 普通、遠近だと、どこかに焦点を当てると、それ以外の距離のところは滲みますが、彼には同じ強さで入ってくるので、彼の言葉では「摩天楼のようだ」と言っています。「文字が刺さってくる」と言います。これに対して、黄色いフィルターをかけるだけで見え方が楽になる、「平屋に変わる」、と建築家なので、そういう表現を使います。

文章は遠近感が自在にみえる

もう1つ彼が言うのは、「文字に色が付いて見える」なんです。この前お会いしたディスレクシアの方も「空気が通るのが見える」って言っていました。形になって見える。見え過ぎてしまうとか、耳から聞こえるのも、いろんな音が聞こえてしまう。例えば、こちらで筆記していらっしゃる音が全部聞こえてしまいます。そういうことで集中できないとか、余計な情報が入ってしまうことがございます。

ディスレクシアって何だろ?

メカニズムとして、音と記号が結びつかないというのが一番多く言われています。音韻認識の問題だと言われています。そこに問題があると、耳から入った音、また目から入った記号に対して音とうまく結びつかない。または結びつくのに時間がかかるだけでも辛いことになっていくわけです。

ディスレクシアのメカニズム(音と記号が結びつかない)

次は、音と意味が結びつかない。入ったはずの音がねじれてしまって違う意味になってしまう。それは先ほど、随分神山さんが実際の例で見せてくださったので分かると思います。

ディスレクシアのメカニズム(音と意味が結びつかない)

記号と意味がつながらない。アルファベットだけだと、記号であるアルファベットの字面だけ見て、音に変えない限り意味は分かりにくいですね。ラテン語系の勉強をすると分かることがあますが。日本語の場合は記号と意味が結びつきやすいというのがあります。そこに記憶。私は記憶が非常に悪いので、さっき何を読んだか忘れてしまう。で、スピードが遅いと、どんどん記憶の彼方に、さっき読んだのは何だったんだろうって抜けてしまいます。

ディスレクシアのメカニズム(記号と意味がつながらない)

ディスレクシアの問題として、ただ1つの文字を読むだけではなくて、正確に読むということ、それからスピードがきちんと速く読める。それから流暢さがあります。その上で内容の理解ができる。理解ができたら語彙を増やさなくてはいけないとか、イントネーションが入ってということがあります。言葉を理解する、人とのコミュニケーションに使うとか、書くとか読む、それだけのことを、普通の方は本当に一瞬の間にやっています。しかしディスレクシアの人はいちいち大変なんですね。で、たどたどしかったり勝手読みをしたりということがあります。

主な特徴 読み

(資料10 説明)

書きにもその影響は出てきます。先ほどの図ですと、読みは目から入った情報を口から出す。書きはそれから頭で想起したものを手で書くというところを考えると、全部1つのメカニズムの中に入っています。ですから今度は学校を「がこう」と書いてしまったり、勝手読みと同じように、言われたことを勝手に違うふうに書いてしまったり、似た音を間違う、似た形を間違う、順番を間違うとかいうことがいっぱい、書きにも出てきます。

主な特徴 書き

(資料11 説明)

今、支援の一環としていろいろなところで合理的配慮をしましょうということが言われています。視覚障害の方には何が合理的配慮だろうと言うと、音声によるガイダンスですとか拡大教科書などがあります。点字もありますね。聴覚障害の方には手話による伝達ですとか、文字によるガイダンス、当会場でも行われているような形の配慮があります。肢体不自由でしたら車いすを使うとかスロープを付けるということが考えられます。

合理的な配慮

(資料12 説明)

ではディスレクシアの人にとっては何が合理的な配慮なんだろうと言うと、まず環境整備ができるのではないでしょうか。音を工夫する。聞きやすいトーンとかがあります。ほかに色も、先ほど黄色いフィルターを付けると見やすいということがありました。光の具合も、明るすぎると目に痛いという方もあります。支援機器を使うことがございます。ローテクのものは、先ほど神山さんの見せてくださった、あのスリットのついたものとか、いっぱいありますね。ハイテクのものとしてDAISYですとか、PCの活用、電卓などがあります。

合理的な配慮 ディスレクシア

(資料13 説明)

何よりも理解が必要だろうなと思います。不得手なところにばかりに目が行きがちですが、得手なところ、「何が好きなの?」というところから入っていくと、頑張って読もうと思う。そこでいろいろな支援を使って読みやすくしてあげるとか、理解しやすくしてあげるということが大事だと思います。

当事者のニーズとして何があるでしょう。では、読めないことでどのような困難さがあるのと言ったら、文字が読めないということ自体は、たいしたことではありません。この世の中、読めている人口のほうが少ないくらいなんですね、本当は。どういうことかと言うと、文字を持ってない文化が地球上にいっぱいあるんです。便宜上、記録するために文字というのは生まれていて、たかだか5千年ぐらい前にできたものなのです。でもそのときは祈祷師だとか、王様の偉いことを記録するとか、あとは税金を取るために、この人はどのくらい稼いでいるかと記録するためだけのものでした。こんなに誰でもが読めて当たり前の社会は、本当に地球の上でも一握りの人たちです。でも読めてない私たちが、この、みんなが読めている中で不便なのは何なのかと言ったら、同じだけの情報を同時に受け取れていないということなんです。吸収できていないわけなんです。私たちはそれを知る権利があると思います。

当事者のニーズ

(資料14 説明)

それから出版物だとか、楽しむ権利があると思います。教科書が入り口だと思いますが、それだけではありません。「ハリー・ポッター」が出て友達が読んでいたら、自分も、どんなことが書いてあって、あそこの主人公のどこが面白かったというのを話したいと思います。

あとは日常生活の困り感というのは、数多くあります。電車の駅1つ取っても、行き先が分からないことがあります。反対方向に乗ってしまいます。急行と、快速と、快特と、どう違うのか分からない。全部同じに見えます。というような形で、だいたいある所に初めて行くときは2倍の時間を取ります。Yahoo!で調べて2倍の時間をとって行きます。1回は乗り間違えるということを計算に入れて動かないと時間通りに着きません。

それから周りの理解ですね。見て分からないものなので、怠けているとかズボラだとか、言われます。港区の教育委員会とで今協働してディスレクシアの児童生徒の支援をしていますが、よく支援の対象となるお子さんは、「怠けている」、「生意気だ」、それから「やる気がない」と言われます。でも、生まれてこのかた、やる気のない子どもなんていないんですね。生きようと思って生まれてきているのにも関わらず、そのやる気をなくしたのは誰なのということを考えてほしいと思います。

あとはもう1つ、あまり言われてないことですが、評価方法が問題です。公平に評価をしてほしいと思います。本人が分かっているか分かってないか、考える力があるのかないのかという評価の仕方が、日本では読み書きにものすごく偏っています。だから社会科の試験で、豊臣秀吉がこれをやったんだと分かっていても、まず平仮名で、小学校5年生で平仮名で書いたらペケです。そのうえ「とよとまひでよし」になってしまったら、もっとペケです。平仮名だけでもいけないのに。でも本人は分かっているんです。あのサルみたいな人がこれをやったんだって分かっているけど評価されないんです。点に結びつかない。それで自己不全感が出てくるということがいっぱいあります。こういうことが確保されるために支援とか配慮というのが大事だなと思います。

この2年間、DAISYディスレクシアキャンペーンを展開してくださりまして、本当にありがたかったと思います。私たちNPO法人EDGEでも、随分協力させていただいた部分と助けていただいた部分がありました。

1つは、私どもが港区と協働でやっております個別支援室の中で、予算化していただきまして、教科書をDAISY図書でつくろうと、光村の教科書をDAISY化するための講座を2回開いていただいて、こちらにもいらしている「Qの会」という朗読ボランティアの会の方たちが勉強してくださいました。

最近になって、1年生から6年生までの国語の教科書を全部DAISY化いたしました。でも、やはり悲しいかな、朗読がすばらしくても、つくる技術というのがものすごく難しくて、直さなくてはいけない部分が数多くあります。また、今、私たちがもう1つやっていることで、学習支援員を学校に入ってもらっています。その方たちが付いているお子さんに「DAISY 使ってみませんか」と保護者、学校に申し上げて、何人か使い始めています。

その反響として、本当に「本を見るのが嫌」「教科書嫌い」「国語の時間はお腹痛い」と言っていた子どもたちが、自分でパソコンに向かって自分のペースで勉強できるようになった。それから音声で内容を聞き取れるようになったと。まず教科書を見るのが楽しくなった。そして授業に出ることができるようになった。それから「明日音読しますよ」と先生にお頼みしておいて、どこらへんと決めておくと、そこを予習できるようになった。それからお母さんがいちいち読まないで済むので、お母さんの精神的な安定も得られたという思わぬ効果も出てきています。これはまた後でゆっくりとお話があるかと思います。

資料のほうの真ん中の、「マルチメディアDAISY教材の作成」というところの、3ページ目に「EDGEプロジェクト」がありますが、そこにも書いてあります。他にIBMなども、DAISY化してあれば、そこに自分たちのプログラムを載せてAMISみたいな形で色を変えたり文字とか行間を変えたりということができるプログラムの開発に力を入れ始めてくれています。

もう1つ行ったのはワークショップです。これも後で川本さんのほうから発表があると思います。

これから私たちは、他にもいろいろな図書がDAISY化していくといいと本当に思っています。私たちで既にやっているものが「私の弟」という本。これは、お姉さんが書いています。弟さんはケンブリッジ大学の大学院を卒業しています。ディスレクシアで、日本では養護学校に行けと言われていた方です。今、イギリスの製薬会社に勤務している弟さんのことを書いたものです。他と違っているけれど、彼のいいところはいっぱいあるんだよ、という本なんですね。この本のDAISY化をEDGEでしております。

「私の弟」表紙

(資料15 説明)

もう1つ、明石書店から出ています、「ディスレクシアってなあに?」という、私が訳した本、これもDAISY化してあります。

「ディスレクシアってなあに?」表紙

(資料16 説明)

もう1つ、特別支援教育の学習支援員の養成を私どもはしています。オンデマンドでテキストブックをつくっております。これも追々DAISY化していきたいと思っております。ディスレクシアということに関してソリューションはいろいろありますが、その中の、情報を吸収すること、それから読む楽しみということから言うと、DAISYというのは非常にありがたいツールだなと考えております。

「能力を引き出し伸ばす支援」表紙

(資料17 説明)

ありがとうございました。

ありがとうございました