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シンポジウム「デイジー教科書の現状、課題、そして将来に向けて」

講師のコメントおよびまとめ

井上 賞子(島根県安来市立赤江小学校 教諭)

始めに、これを言っておかなければいけないなと思いました。私の父は全盲です。実は音声デイジーに本当にお世話になっています。中途で失明するまで、父は、読書が大好きでした。視力を失ってからも、日々、佐伯泰英や平岩弓枝などの小説が楽しめるのは、それを作ってくれる人がいるからだということで、本当に感謝をしております。今日、製作の方がたくさんいらっしゃっていると伺いましたので、まずそのことのお礼をいいたかったです。ありがとうございます。

マルチメディアデイジー教科書についても、子どもたちが「学ぶ」ということの入り口を開いていただいています。そのことについても、本当に感謝しています。本当だったら子どもたちが学びやすい工夫をしていくのは私たち教師にとって当たり前の役割ですが、そこが十分ではないところを、提供していただいています。特に今年度は教科書改訂がありました。大変だったのではないでしょうか。メーリングリストから毎日のように、どこどこで改訂があったからアップしましたというのがあります。あれを見ながら、子どもたちがその単元の学習をはじめるまでに、何とか用意してやろうと思っているのが伝わってきて、実際にうちのクラスの子どもたちも、自分たちがその単元の学習をするときにはちゃんとデイジー教科書をいただき、読んで学習ができました。まずお礼を言わなければとずっと思っていたので、まずはありがとうございました。本当に感謝しています。

続いて、自分が思っていることです。この報告書の、デイジーが使えなかった理由を見ているときに、誤解があると感じます。特に、学習内容が難しくなるにつれて、本人のニーズに合わなくなってきたというもの。これはまったく逆のはずです。難しくなればなるほど、その子にとって学びやすい方法というのは絶対に必要で欠かせないモノになっているはずです。「わかる」と「できる」は繋がっていなければいけなくて、そこが支えられていないと、意欲は継続しないと感じています。

せっかく開いて頂いた窓を、その子達の学び全体や生きていくためのいろいろなスキルアップにつなげていけているのかとかいうのは、現場にいる私たち教員が求められている部分だと思って、全てのグループの発表を聞きながら、常に「すみません」という気持ちで思っていました。たくさんの方が子ども達のためにやって下さっているこの方法、これを子ども達にきちんと返すためには、教員の中での必要感というのを上げていかなければいけないなと思いました。

いくつかのグループの方が、「先生方は忙しいから」と言って下さったのですが、現場にはいろんなニーズが入ってきています。多忙間はとてもあります。でも、子どもたちが学ぶということが真ん中になきゃいけないはずなのが学校です。一人ひとりの子どもたちが学べる状態を作るというのは、何にもまして一番優先されるべきことです。多忙を理由にそれをしないというのは、本当はあってはいけないのです。ただ、先生方は悪意ではないのですが、頑張ったらできると思っている人がとても多いです。確かにそうです。ぜんぜん読めない子やぜんぜん書けない子はそんなに多くなく、多くのケースは何とか読めるとか、なんとか書けるようになります。でもとても時間がかかり、流暢性に問題があって困難なケースです。だから、子どもが必死でやると、「ほら、できたじゃない」と励ましているつもりで、でも実は、とても息苦しい状態を継続してしまっているのです。

学ぶというスタートラインに情報が必要で、それがあって同じように学びがスタートできるのだという当たり前のことを当たり前に学校で共有できるようにならなきゃいけないなと、現場の責任を強く痛感しました。ありがとうございました。