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平成19年度 DAISYを中心としたディスレクシアキャンペーン事業
シンポジウム DAISYを中心としたディスレクシアへの教育的支援 報告書

パネルディスカッション:配布資料

とにかく本が読みたい!

【氏名】南雲 明彦

【所属】アットマーク国際高等学校2007年9月

2008年1月12日

皆さんにとって、「本」とは、どのようなものなのでしょうか?私にとっては、どんな本でも見るだけで、嫌な気分になります。 これは、別に本の内容で判断しているわけではありません。本をうまく読めないからです。このお気持ち、皆さんには、 わかるでしょうか?実は、学校であれば、学年が上がれば上がるほど、情報の量も増え、かなりの量の読書をしなければ なりません。この「読書」ができずに、いつもパニックになっていました。でも、そのパニックを曝け出す事は恥ずかしくて、 できなかったので、苦しくなると学校を違う言い訳を作って、休んだりしていました。これをみんなは「サボり」と言いました。 しかし、実は、私の心の中ではそんなことはなかったんですね。正確には行きたくても、行けなかったのです。 理由は、読めない恐さにありました。いつも、どこを読んでいるのかわからなくなってしまうんです。すっと、漢字の読み方が 出てこないんです。必死で読んでも、読む事に全ての力を注いでいるので、内容はほとんど理解していないんです。 理解しているのは、印象に残った言葉のみ。それ以外は、全然わからなくて、先生に質問されても、全然、どこのことを問われて いるのがわからなかった。そして、「何ページの何行目を開いてね。」という指示が出ても、そのページを探しても見つから なくて、授業が終わる事だっていっぱいあった。

これって、すごく無駄な時間だと思います。これが理由で本人達がどれだけ苦しみを受けているかわかるでしょうか?やっぱり、 教室内で孤独を味わうのは辛いことです。どれだけ必死になって、寝る前に布団の中に入ってから、こっそりとうまくごまかす策を 練っていることに気がついているでしょうか?なんだか、すごく切なくなります。

でも、そんな時に、DAISYのような支援ツールがあったら、どうでしょうか?読めないことが理由で本を嫌っていた人達が、 読める楽しみをDAISYに見出したら、どうでしょうか?きっと、泣いて喜ぶと思います。LDの特性を持つ子どもだったら、 お正月に年賀状を貰っても、うまく読めないんです。ラブレターを貰っても読めないです。(これは冗談ではなくて、本当に 成長を妨げる元になることだってあります。)これってどうなんでしょうか?なんだか、少し淋しい気がします。

学校は読むことが多いです。図書館での時間は何より、辛い。先生に「みんな、静かに読書をしていましょう!」って、 言われても、黙っていたら、何もすることがなくなってしまう。そんな時に、DAISYがあったら、きっと素敵な読書の時間に なりますよね。
本屋さんに行って、沢山の本が並んでいる風景を見ても、みんなDAISY化されていたら、選択肢が増えますし、肩の力が抜ける 時間が増えるのではないでしょうか?

私は、未だに、黙読であれば、読み間違えても、時間がかかっても、自分の中だけで起こっている出来事なので、多少は安心して 読む事ができます。しかし、「音読をしてください」といわれるだけで、体が硬直してしまいます。子どもにとっても、大人に とっても、ステージ別で様々な困難が生じてきます。

教室での勉強はもちろん全てではありません。ですが、「読み書きが上手くできない」という理由で、先生間や友達間で問題が 発生して、学校に行けなくなったりすることは、嫌なんです。自分の意志で「学校に行かない。」という選択をしているのなら、 その子は、学校に行きたくなったら、行くようになるでしょう。しかし、「行きたくても、行けない。」ということが、起こっていると なれば、これは考えていかねばならない課題です。

どうか、こういう学習をしたくても、できない人達がいることを、心に留めて、できることなら、支援対策も取ってほしいと思います。 そして、当事者や親御さんたちも、学習する為に必要なツールである、DAISYのように、情報過多な時代ではありますが、きちんと子どもや 自分自身の役に立つものを選んでいく力も養っていく必要もあります。その必死で考え抜き、行動してきた知恵やアイディアは、後々、 自らを支えていく最大の武器であり、最大の防御になります。

このDAISYがこの世の中に普及していく為にも、皆さんのお力が必要です。(教育の携わっている方だけではなく、様々な職種、当事者達も 含め)少しでも早く、学習に困難を抱える人達が、胸を張って、「俺、DAISY使っているんだ!」と、いつもしている会話の中に、気軽に このような声が上がる未来を私は描いています。

ただし、これは私のあくまで自分の主観と、出逢ってきた当事者の声を混ぜながらのお話です。全て、当事者がこのように考えているのでは ありません。しかし、共通点は皆「困っている」という事です。困っていたり、悩みを抱えているのは、障害の有無に関係なく皆それぞれに 持っていると思います。ただ、いつも心が発しているSOSに気づいてほしいです。しかし、何事も偏ってはいけないと思いますので、きちんと 理解や支援ができないのであれば、無理して自分だけでやろうとしないで、外部の専門家や、教育関係者などに意見を求めていただきたいです。 そうでないと、大人が善かれと行っている支援が実は、本人達には、もの凄いストレスになっていることだってあります。

どうか、しっかりと、本人を様々な理由をつけて、色眼鏡で見る事なく、もっと深い所にある、悩みや、原因を視てほしいと強く願っております。