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知識へのアクセス(Access to Knowledge:A2K)を推進する図書館

国際図書館連盟(IFLA)元会長(2009年-2011年在任)
南アフリカ ステレンボッシュ大学 図書館情報サービス担当専務理事
エレン・R・タイズ(Ellen R. Tise)

出典:Libraries Driving Access to Knowledge(A2K)
IFLA Publications 151(2012年)
出版社: De Gruyter Saur
編集:Jesűs Lau, Anna Maria Tammaro and Theo Bothma

IFLAウェブサイト日本語訳掲載リンク
http://www.ifla.org/files/assets/hq/publications/series/ifla-151-ch-1-jp.pdf

はじめに

 多くの人々とさまざまな組織の代表者が、情報へのアクセス推進における情報フォーラムや情報労働者、図書館及び図書館司書の役割を記録し、調査した文献をまとめることの重要性を、私に強調してきた。情報の急激な増加が見られる現代、アクセスは重大な問題である。情報提供の歴史上、知識と情報へのアクセスの推進に、これほどまでに図書館が緊急に必要とされたことはないという意見が、数々の会議や会合で出されてきた。情報の急増は、ウェブやソーシャルネットワークなどのメディアの開発によって加速され、信頼のおける真の情報を入手する技術と能力を備えた媒介者が求められている。そのような媒介者はまた、信頼のおける正式な情報と合わせて、近年創造された新たな知識や情報を、そのような情報を求めているコミュニティに発信する能力も備えていなければならない。この新たな知識と情報こそが、社会と世界の成長と開発の促進に役立つのである。
 図書館と情報フォーラムは、逆説的な環境の下で機能している。世界的に前例のない情報の増加が見られる一方で、情報へのアクセスを妨げる多数の障壁を原因とする情報不足が、多くの人に認められる。IFLAと図書館業界は、世界の政治的安定を促進し、国際的な不景気からの回復を早め、貧困を撲滅し、疾病を削減し、緑の環境を確保するには、情報への自由なアクセスが不可欠であると認識している。情報へのアクセスが中核となり、すべての人のための公正な社会を保障するのだ。そこで、私が会長在任中の2009年-2011年のテーマを考案するに当たり、他の課題と合わせてこれも考慮し、最終的に決定されるテーマが何であれ、それを会長の個人的な目標に留めず、IFLAとその会員の重要な専門的活動の一つとするとともに、世界の課題への取り組みに大いに貢献する図書館と図書館司書を、これによって支援していくことにした。私が会長在任中の2009年-2011年のテーマとして最終的に選ばれたのは、「知識へのアクセスを推進する図書館」だった。

 本章では、私がIFLA会長を務めていた間(2009年-2011年)に検討された、いくつかの重要な問題について考察する。それらは、私の会長在任中のテーマとして確立された、情報労働者、図書館司書及びその所属機関が、知識と情報へのアクセス推進に果たす重要な役割を明らかにする取り組みである。本章では、任期中にかかわりのあった同僚及びその他の人々との間で共有された見解と意見の中から、会長在任中に表面化した重要な点とともに、このテーマを概念化する上で指針となったものを紹介する。図書館に携わる幅広い分野の人々とともに「知識へのアクセスを推進する図書館」というテーマを取り上げる機会は、まず、2008年と2009年の8月に、ケベックシティとミラノでそれぞれ開催されたIFLA第74回及び第75回年次大会における次期会長によるブレーンストーミングセッションであった。導入にあたる本章では、これらの会合及びその他のイベントで取り上げられた問題を紹介するだけでなく、テーマに関するさらなる改良点、見解及び認識も述べる。これらは私がこの偉大な組織IFLAの指導者として在任中に明らかになったものである。また本書には、2009年にミラノで開催された第75回IFLA大会における私の就任演説と、2010年のヨーテボリでの開会の辞及び会長在任中の上記テーマに関するその他の発表/考察の中からえりすぐられた見解も収録されている。知識とアクセスという二つの極めて重要な概念は、知識へのアクセスを検討する際、常にその基礎となる。したがって、これらの概念と、これらに関する私の見解を明らかにすることは、後に続く各章の考察を可能にする予備知識を提供することになるため、重要である。これらの概念については、異なる見解やこれらに代わる見解が存在する可能性があることは十分承知している。以下は、本書に寄せられた他の著作者による記事を理解するための背景として紹介するものである。

知識の定義

 知識という概念を検討するに当たり、ハリス(Harris)(1996年)は、データ、情報、知識という概念を区別している。最も低レベルの情報形態であるデータは、蓄積され、処理されて情報になる。一方、情報はそれ自体内容と目的を持っているが、意味は持っていない。情報に意味と表象を持たせるには、コンテクストと実体験に結びつける必要がある。情報に人的要因を投入することにより、一連のデータが知識となるのだ。このため情報へのアクセスは、知識を身に着け、使用する際に欠かせない。知識の創造は、開発のプロセスに不可欠である。知識はさまざまなレベルで機能する。たとえば、貧困と搾取の軽減を可能にし、革新と変革のきっかけをもたらす。また、それは国家開発と個人的な成功を促進する触媒でもある。
したがって、情報への第一の玄関口としての図書館は、知識獲得のための重要な手段である。知識機関として図書館は、すべての年齢、ジェンダー、民族及び社会経済的集団に対し、その情報/知識ニーズにかかわらず、情報共有の場と学びの場を提供する。さらに図書館は、情報へのアクセスを推進することで、すべての人が新たな知識を身に着け、それを利用できるようにする手段を提供する。
 知識は生活のあらゆる側面の基礎を成す。知識という概念に関する調査からは、それが社会の成長に不可欠であること、また、情報が個人によって受け入れられ、処理され、内面化されるときに知識が生み出されることが明らかになった。情報提供者として欠かせない図書館には、新たな知識の創造に果たすべき重要な役割がある。図書館は知識社会の創造、発展及び持続可能性のための重要な機関である。情報は、知識の創造と成熟をもたらす重要なインプットであり、それゆえ、成長しつつある健全な社会であることを示す重要な基準は、情報へのアクセスとなる。図書館は主要な情報源として、また情報へのパイプ役として、情報を求めているさまざまな人々にサービスを提供する。つまり、図書館は知識創造の促進において、ただ重要であるだけでなく、その中心にもなっているのだ。
 知識と情報の概念は、非常に深く絡み合っているため、相互に置き換えて使用することも可能であり、実際にそのような例が見られる。「知識と情報へのアクセスを推進する図書館」というテーマの下での情報提供プロセスにおいて、「知識」と「情報」の概念を補完しているのが「アクセス」の概念である。すべての知識と情報は、それにアクセスできなければ取るに足りないものとなる。また、数々の会合で指摘されたように、情報は使用することによってその価値が増す一つの商品である。このため知識と情報へのアクセスは、さらに革新性を高め、成長と発展を妨げる問題への解決策を見出そうとする探究の一環として、新たな知識と情報の創造に極めて重要である。

アクセスの定義

 ドレイク(Drake)(1984年)は、情報へのアクセスは複雑な概念であるとし、次のように述べている。

 「この用語を我々研究者が使用する場合、通常は、情報を利用可能にすることを意味する。しかしほとんどの場合、我々が情報を利用可能にすることはない。我々は書籍を利用可能にし、印刷資料の在庫の中から必要な情報を見つけることは、利用者に任せている。」

 図書館はこの定義を発展させ、より多くの情報を電子フォーマットやその他のフォーマットで利用できるようにした。収集された資料のフォーマットが変更され、図書館及びその他の情報提供機関における印刷資料の量は徐々に減っていった。しかし、このような進展は、常に情報へのアクセスの基本原則に基づいたものでなければならない。情報激増時代においては、アクセスの制限は国連世界人権宣言の侵害であることを考慮すれば、情報へのアクセスを妨げる障壁を明らかにし、これを撤廃しなければ賢明とは言えない。実際、世界のある地域における最近の出来事は、政府が情報へのアクセスを阻む障壁を築いている可能性があり、それが一部の人々によって一定期間「容認されている」一方で、若者達は、たとえ負の反動があるとわかっていても、情報を共有するための創造的な方法を見つけ出していくことを実証している。
 情報へのアクセスの自由という概念は、国連世界人権宣言第19条に最も明確にまとめられていると言える。これによれば、すべての人間は、あらゆる知識表現と創造性及び知的活動へアクセスし、自らの考えを公の場で伝える基本的人権を有する(ハミルトン(Hamilton)及びポース(Pors))(2003年)。IFLAの情報への自由なアクセスと表現の自由に関する委員会(IFLA/FAIFE 2002)のウェブサイトでは、情報とアイディアへアクセスする権利は、すべての社会で重要であるという見解が示されている。FAIFEは、世界の市民が社会に参加し、情報を十分に得た上で選択しようとするなら、制限を受けることなく情報にアクセスし、知識を生み出すことが可能でなければならないと主張する。十分な情報を得た博識な市民は、社会の繁栄と発展に更なる価値を付加する。この主張は、以下にあげるハミルトン及びポース(2003年)の説によって裏付けられる。

   「情報へのアクセスにより、市民は民主的なプロセスへの参加と、十分な情報に基づく選択が可能となり、それは結果的に社会の発展へとつながっていく。個人の情報アクセスの自由または表現の自由が侵害された場合、情報の流れが滞り、民主的なプロセスが妨げられる。」

 しかし、たとえ強固な意思があっても、さまざまな要因によってアクセスが妨げられる可能性があることは認めざるを得ない。ハミルトン及びポース(2003年)はまた、一般に図書館は、できる限り広範な情報源へのアクセスを提供するために、あらゆる試みを実行すべきだと主張している。しかしこの要求は、予算制限や技術力不足、選択者の偏見及び政府が強要する法律などの要因によって、妨げられる可能性がある。

知識へのアクセス推進における図書館の役割

 ヨーテボリでは、ミラノでの発言を繰り返す機会を得た。

 「知識なくしては、あらゆる努力は無駄になる。正当で正確かつ信頼できる知識なくしては、自分や他者の決断と行動が、極めて長期間にわたり、悲惨な結果をもたらす可能性がある。知識は成功への鍵なのである。」(タイズ 2010年)

 さらに、知識へのアクセスは、すべてのコミュニティ、社会、文化及び国家の平等な成長に極めて重要である。図書館は絶対不可欠な情報提供者として、新たな知識の創造に果たすべき重要な役割を担っている。図書館は主要情報源として、情報を求めているさまざまな人々にサービスを提供するが、これらの人々は知識創造の促進に重要であるだけでなく、その中心となる人々である。知識への平等なアクセスは、国家の安定を確保し、世界平和を保障することに役立つ。  しかし、知識へのアクセスは何にも依存せずに行えるものではない。ドイツのヤン・ホイトゥス(Jan Hoithues)教授の言葉を引用すると、グーテンベルクによる可動式活字を使用した活版印刷の発明の結果、書籍と印刷媒体が情報とその伝達の中核を成すようになった。そしてこれにより、読み書き・計算が権力と地位向上の重要な属性であるという西洋的概念が形成されたのである。つまり、活字を作成し保存する能力が、権力と地位向上の重要な属性というわけである。そして、活字の正確さを識別する能力が中心的技能となった。現代では、活字はもはや唯一の書字手段とも、また優れた能力の現れとも、見なすことはできない。識字能力は、型通りに記された記号の読み書きと理解から、信頼できる情報を提供してくれる、さまざまな人々が利用可能な電子リソースに書かれている内容と、トイレの落書きとを識別できる能力へと変化した。残念ながら今日の世界では、電子ベースの情報は無料ではないことが多いため、誰もが利用できるわけではない。そこで図書館司書は、現代市場で生き残るべく、多種多様な情報リソースを理解するために、さまざまな識字能力を身に着けてこなければならなかった。情報の商品化は、知識へのアクセス提供を模索する図書館が直面している重要な問題の一つである。

 知識の創造と知識へのアクセスは、技術の存在とその利用、そして、いつでもどこでも、ちょうどよいタイミングで、より広く知識を利用できるようにするための新技術開発への飽くなき欲求に、ますます依存するようになってきている。このような技術への依存性の高まりは、知識に経済的価値を置くことへとつながった。その結果、知識へのアクセスは、データベースの利用や画像再生にかかわる料金、そしてサウンドバイトや全音楽作品の利用にかかわる印税との関係をますます深め、情報へのアクセスに対して料金を支払う傾向が高まっている。支払請求が情報へのアクセスを妨げる別の障壁をもたらし、知識へのアクセスを推進するにはその克服が必要となるとしても、コスト回収という出版社の権利には誰も異議を唱えることはできない。知識はそれ自体、極めて価値のある商品ではあるが、知識を金やダイヤモンド、プラチナのような貴金属よりも価値があるとさえ考える者もいる。こうして知識は、経済的価値の点で定量化可能となった。それは使用とともに価値が高まる唯一の商品である。知識が使用されても収穫逓減はない。実際には、既存の知識の使用は、多くの場合、新たな知識の創造につながり、その結果、その商品固有の価値が増大する。

 図書館と図書館司書が、知識へのアクセス提供に極めて重要な役割を果たすことについては、議論の余地はない。図書館は、情報と知識を提供する重要なパイプ役であるだけでなく、知識リソースを保存することにより、知識を保存する。さらに、図書館司書がアクセスの機会を促進することで、知識はより普遍的に利用可能となる。知識へアクセスするための技術の使用と導入が増えれば、今の世代と将来の世代にとって、情報は一層利用しやすくなる。このような発展に重要な役割を果たすことにより、図書館と図書館司書は、情報社会の創造と持続可能性の中心を成すようになる。情報の普及を促進し、情報を一層アクセスしやすいものにすることで、図書館と図書館司書は、社会と個人の両方の発展に貢献するのである。
 先進諸国では、情報へのアクセスを提供するユビキタスなデジタル製品の存在により、多くの社会において情報がはるかに利用しやすくなる。これらの社会では実際に、知識と情報を提供し保存する技術への依存が、かつてないほど増加している。これらの社会で技術を幅広く利用できるようになれば、情報へのアクセスは「取るに足りない問題」となるものと考えてまず間違いない。しかし、現実には開発途上国と先進国の両方で、ある状況が蔓延している。まず、先進国には情報を得られないコミュニティがあり、その理由の一つとして、技術とそれをサポートするインフラストラクチャーへの限られたアクセスがあげられる。しかし、そのような人々がネットに接続できる可能性は、開発途上国及び/または新興経済国で暮らす人々に比べれば著しく高い。先進国ではすでに技術が存在し、ハードウェアとソフトウェアのコストも、開発途上国の人々が支払わなければならないコストに比べて著しく低いからである。そこで、この状況を改善する。このようなコミュニティがネットに接続するためにおもに必要なのは、関連公共団体及び民間団体側の積極的な措置である。

 一方、開発途上国では、さまざまな分野における欠乏が社会に蔓延しており、その状況から脱するのは、先進国に比べてはるかに難しい。技術主導の情報へのアクセスに関しては、ひいき目に見ても技術インフラストラクチャーが弱く、多くの開発途上国ではそれが存在しないことが多い。さらに、技術主導の情報へのアクセスに必要なソフトウェアとハードウェアの多くは、開発途上国のコミュニティによる製品ではない。また、ハードウェア、ソフトウェアおよびその他のインフラストラクチャーのサポートのための費用は、先進国に比べて著しく高く、交換可能通貨の獲得に問題がある国には、特に難しい課題となっている。このように、技術解決策が情報アクセスへの妨げに対する即答となるという先入観と思い込みには、いくつか固有の課題がある。逆説的に思えるかもしれないが、開発途上国における知識へのアクセス増加のための回答の一つとして、ICTの利用があげられる。マートゥル(Mathur)とアンバニ(Ambani)(2005年)は以下のように述べているが、これは非常に説得力がある。

 「ICTによる解決策を…開発途上国に適用することにより、幅広い可能性が開かれる。農村部の住人の大多数に、情報リソースへのアクセスとICTを通じて提供されるサービスへのアクセスを得られるよう、デジタルデバイドを解消する機会を提供することは、いつでも可能な、次の改革なのである。」

 技術の発展とともに、インフラストラクチャー整備への多額の投資を必要とせず、妥当な価格で、現地の人々や機関がアクセス水準を維持できる技術基盤を備えられるように、技術創出面での開発途上国の躍進を可能にする進展を想定することは妥当である。
 アフリカは固定電話のインフラストラクチャーが脆弱なことで知られている。この問題は、携帯電話技術の使用が拡大するにつれて解消されてきている。一方インドでは、農村部における脆弱なICTインフラストラクチャーが、「農村部の利用者を対象とした低価格の特別技術」の開発により解消されてきた(マートゥル及びアンバニ 2005年)。これらの代替手段があれば、関連技術の導入により、知識と情報は「貧しいコミュニティ」でも利用できるようになると言える。残念ながら、代替技術の使用は開発途上国全体にはまだ普及していない。そのような技術が運用されることになれば、図書館は利用可能な情報とさまざまなレベルの利用者コミュニティとを結びつける役割を果たすことができる。この戦略はまた、図書館を地域社会にさらに根付かせ、そのサービスを、利用者のニーズを一層重視したものとすることに役立つであろう。しかし、ゴドリー(Godlee)ら(2004年)は、図書館が正確な情報を適切な時期に提供すること、それによって知識へのアクセスを推進することが重要であると述べた。この主張は、フェザー(Feather)(2006年)によって裏付けられた。フェザーは、問題はアクセスの獲得よりもむしろ情報の選択と評価であり、専門家はその独自の知識体系をもって評価のプロセスを進めると述べている。
 フェザー(2006年)、マートゥル及びアンバニ(2005年)、そしてゴドリーら(2004年)は、知識へのアクセスを推進するに当たり、図書館は極めて重要であるとの見解を示している。図書館は、(可能な限り広い意味での)蔵書に収められている情報及び知識と利用者との間に存在するすべての障壁を取り除くために、あらゆる努力をしなければならない。図書館はその蔵書とサービスを、すべてのコミュニティ、特に、世界の知識をこれまで得ることができず、また今後も引き続き得られないコミュニティに対して、開放することを始めなければならない。

 ロー(Lor)及びブリッツ(Britz)(2007年)は、「現代のICTは、対話と参加及び創造の場を開放し、市民社会団体に多くの機会をもたらしてきた」と断言する。図書館は前述のすべての能力に加え、ほかにも多くの能力を備えている。さらに図書館には、情報を利用者に提供するネットワークを開発してきた長い歴史がある。図書館は、「何世紀もかけて蓄積されてきた」すべてをICTと結び付け、情報社会のための総合的な知識体系を提供する。多くの図書館の長年にわたる特筆すべき成果の一つが、利用者との良好な関係づくりである。そのような関係を図書館業界全体で育み、広めることは、世界の人々に対する知識へのアクセス提供を模索する図書館の利益を高める手段となる。
 本章の次のセクションでは、ある会合、具体的には、ケベックシティとミラノにおける会長によるブレーンストーミングセッションで論じられた問題と、ミラノでの私の就任演説、ヨーテボリにおけるIFLAサテライト会議、そして同市で開催された総会及び年次大会での私の演説を取り上げる。

ブレーンストーミングセッション:ケベックシティ及びミラノ

 ケベックシティでは、図書館及び図書館司書による知識へのアクセス実現のための成功の鍵/重要な側面として、以下の問題が明らかになった。

図書館及び図書館司書は、以下の手段により、利用者志向を一層強めなければならない。

  • 図書館及びそのリソースを利用者に届ける。
  • 情報リテラシー、ソーシャルネットワークなどを通じて、利用者のエンパワメントを図る。
  • 情報へのアクセスを可能にする。(保管的アプローチからのパラダイムシフト)
  • すべての市民による社会的活動への完全参加を促進する。

図書館及び図書館司書は、以下の手段により、図書館を積極的に改善し、権利擁護活動に前向きに取り組まなければならない。

  • 図書館運営に利用者の視点を取り入れる。
  • 図書館/社会問題にかかわる関係者と効果的にコミュニケーションを取る。
  • 図書館の方針を推進する。
  • すべての人のためのオープンアクセスを推進し、支援する。
  • 革新的な情報媒介者となる。

図書館及び図書館司書は、以下の人々及び機関との連携を築き、意見の合致を得る機会を培わなければならない。

  • ヘルスワーカー、教師、環境保護主義者など、社会における他の関係者
  • 営利/民間企業
  • 他の文化/知識機関

さらに参加者は、図書館は以下を促進すべき場であると決定した。

  • すべての人のための情報
  • ソーシャルインクルージョンの機会/玄関口
  • 「ワオ!」と驚く環境と経験

若者や、その他のさまざまな図書館利用者グループを惹きつけるフォーマットによるコンテンツ

  • 地域の知識交流の場
  • 安全で信頼できるパブリックスペースとしての図書館
  • 意見を主張する多文化コミュニティ
  • 情報への扉を開く者としてのサービスの提供

 ミラノの会議における、次期会長によるブレーンストーミングセッションで発表された、繰り返し伝えたい意見の一つに、図書館司書は専門家として、同業者との話し合いには非常に長けており、これまでもその成果を上げてきたという意見がある。しかし、他の人々、特に、上層部による意思決定の場への図書館の参加を支援してくれる、権力のある人々との対話は、これまでそれほど成功していない。図書館は票を集められない、それゆえ支援は必要ないと信じている者もいるが、保健問題や起業スキルの開発、環境保護、貧困緩和、非識字者の削減、多様性尊重の促進、さらには政治家や意思決定の役割を担うその他の人々が必死に取り組んでいるあらゆる問題を、図書館と図書館司書を通じて数量的にも質的にも改善できることを、情報専門家として証明すれば、知識へのアクセス提供だけでなく、政治的プロセスや国家開発にとって、図書館と図書館司書が重要であることも実証できるであろう。
 ケベックシティとミラノで発表されたテーマや意見の探究は、2009年8月のミラノでの就任演説の作成に役立った。そこで示された見解は、ヨーテボリでのIFLA会議や、IFLA会長として任期中に行ったいくつかの演説の中でさらに発展していった。次にあげるのは、2009年から2011年まで、私が会長として掲げていたテーマについて示された重要な発言や論点に関する考察である。

就任演説より‐ミラノ2009年

 私の会長在任中のテーマ「知識へのアクセスを推進する図書館」が先日定められたが、このテーマと今日の情報時代とのかかわりは、私の退任後も長く続いて行くであろう。さらに言うならば、それはすべてを包み込む概念である。つまりそれは、社会とコミュニティ全体にわたって見られるあらゆる思考、言語そして行為の中心に、常に図書館を置くことを、図書館業界が実現できるようにするとともに、その前向きな取り組みを支えることもできる。知識なくしては、あらゆる努力は無駄になる。正当で正確かつ信頼できる知識なくしては、自分や他者の決断と行動が、極めて長期間にわたり、悲惨な結果をもたらす可能性がある。知識は成功への鍵なのである。知識と情報の専門家は、サービス利用者に対し、毎回、常に正しい決断を下すことができるような知識と情報の提供を、確実に行う義務があるという信念を固く持ち続けている。これに関連して図書館司書には、いかなる場合も、情報へのアクセスという点で公平を期さなければならないという倫理的責任もある。情報へのアクセスの平等は、IFLAの基本理念の一つである。
 すべての人による情報への平等なアクセスが人権であることに、議論の余地はない。すべての人による平等なアクセスは、人は皆平等であり、誰もが自由であるという基本的な信念を要としている。情報及び知識へのアクセスという不可分の権利は、すべての人のための開発を確保する唯一の手段だ。したがって、情報へのアクセス提供においては、近道も妥協もあってはならない。

 この情報へのアクセスという人権を達成する最も重要な手段の一つが、図書館と図書館司書が地域のコミュニティと社会に十分にかかわりを持つようになることなのだ。図書館情報サービス(LIS)部門の活動は、持続可能なコミュニティ、経済成長及び健全な社会の存在の基礎を成す。図書館の事業や活動及びサービスの成果は、一人一人がチャンスを得、幸福になるためには不可欠である。LISの専門家の取り組みは、知識と情報へのアクセスを市民に提供することを通じて、個人と社会全体の両方の価値を高める。図書館司書は図書館と情報サービスをすべての社会に導入することを、熱心に、かつ強く主張しなければならないだけでなく、図書館と図書館サービスを、すべてのコミュニティと社会の取り組みの最前線に据えられるよう、その機会を模索しなければならない。このレベルでのかかわりを通じて、図書館司書は図書館による知識へのアクセス推進を支援していくことになる。民主的価値観の促進と知識探究の民主化にLIS部門が果たす役割は軽視できない。情報活動家としての図書館司書の役割は確かなものであり、図書館司書はその役割を果たさなければならない。なぜなら、この役割を果たすことは、LIS専門家としての図書館司書が、自らの職とそれがもたらす可能性すべてを最大限発揮できる唯一の方法であるからだ。
 多くの図書館司書が十分に把握していないことの一つに、この職業固有の強み、すなわち、図書館司書一人一人がLIS専門家として与えられる強い影響力があげられる。私は多くの図書館司書が、社会に貢献することができ、また貢献しなければならないという自らの可能性と価値を過小評価していると考えている。私達はこの認識を覆さなければならない!

 私の会長在任中のテーマは図書館に言及しているが、その文言には、すべての人のために知識をアクセシブルにするにあたり、私達が図書館情報専門家として中心的な役割を果たさなければならず、また果たすことができるということが、暗黙の了解として込められている。多様性を尊重し、すべての人の平等と人権の原則を支持しなければならない公共の利益に、図書館司書が無条件に責任と関心を持つことは不可欠だ。IFLAの会員構成は、世界の現実(多様性)の縮図にほかならない。多様性はそれ自体、IFLAの強みとなっている。しかしこの多様性は、知識へのアクセス提供の機会が均等ではないということを意味しているのだと認めなければ、私の怠慢と言えるだろう。すべての図書館司書が、最新技術がすぐに利用できたり、図書館にある程度のリソース、または豊富なリソースがあったり、信頼できる電子サービスやブロードバンドサービスを備えていたりするコミュニティや社会で、実務を行っているわけではない。とはいえ、これらの制約にもかかわらず、すべての人のための知識へのアクセス提供は、やはり必要である。恵まれない環境で実務を行っている図書館司書は、支援を必要としている。それゆえ図書館司書は協力し、他の司書に比べて職場の現状に恵まれていない専門家に対し、指導と助言を提供していかなければならない。そのような活動を通して、図書館司書は世界をよりよい場所にする手助けをし、同時に、IFLAの柱の一つである、「すべての人のための情報」を実現するのだ。これもまた、「知識へのアクセスを推進する図書館」というテーマの根底にある概念である。さらに、利用者のエンパワメントも「知識へのアクセスを推進する図書館」と表裏一体となっている。知識の創造と利用は、何もない所では行われない。人は学ぶため、成長するため、決定を下すため、そして余暇や娯楽を目的としてなど、さまざまな理由で知識を利用する。実際のところ、理由は無数にある。図書館が利用者のエンパワメントに果たす重要な役割とは、利用者が必要な情報へアクセスできるよう支援する媒介者としての図書館司書の存在だと言える。図書館による利用者のエンパワメントの方法の一つとして、自分が受け取る情報は正しく、信頼に値するものであるという認識を持って、利用者が情報にアクセスできるようにすることがあげられる。図書館は、自らを最高のソーシャルサービス機関として確固たる地位に位置づけ、利用者に対して極めてレベルの高い快適さを提供するのだ。

 私のテーマには調査が必要な別の側面もある。それは、知識創造者としての図書館及び図書館司書の役割である。図書館は従来、既に利用可能な知識にアクセスできる場だった。知識創造プロセスにおける図書館司書の可能性が認識され始めたのは、つい最近のことだ。若い起業家が、新しい製品やプロセスまたはサービスの開発のため、調査の一環として図書館を訪問するとき、その最終的な成果に、図書館と図書館司書が重要な役割を果たしていることはほとんどない。しかし、図書館を訪れて収集した情報や、図書館司書による広範囲にわたるたび重なる支援がなければ、起業家は好ましい活動成果を上げることはできなかっただろう。しかし、図書館による知識創造のプロセスは、他者の活動の支援に限られることではない。情報を求めている者が理にかなった決定を下したり、さらに研究を進めたりするためにまさに必要なことを、手軽に入手できるように、図書館司書が既存の情報をまとめて提示するとき、その取り組みは、知識と情報へのアクセス提供にとどまらない。このような活動によって図書館司書は、知識創造者にもなるのだ。以上のように図書館司書は、知識へのアクセスを推進するだけでなく、知識の創造者となり、結果として知識社会を支える基盤の一つである知的創造プロセスの一端を担うようになるわけである。図書館司書は、知識社会に不可欠な側面なのである。

オープンアクセス(OA)に関する予備会議より:ヨーテボリ2010年

 情報社会という概念を認めた図書館は、オープンアクセス(OA)運動を通じて、知識と情報へのアクセスを開く責任を負うようになった。図書館はオープンアクセス運動の第一人者であり、運動を成功させるために熱心に活動してきた。世界の図書館を代表するIFLAは、オープンアクセスに関するベルリン宣言に署名した。さらに現在、IFLAはオープンアクセスに関する白書の作成を進めている。
 ヨーテボリでのオープンアクセスに関する予備会議では、情報保管庫としての従来の図書館の役割が、情報のファシリテーター(まとめ役)へと急激に変化していることが再確認された。したがって図書館は、現在デジタルフォーマットで利用可能な情報の広大なレポジトリを結びつけるネットワークの拠点としての役割を果たしている。残念ながら、このような信頼のおける妥当なデジタル情報の急増にもかかわらず、多くの人にとって情報は不足している。それは、この情報へのアクセスが、一部の人には負担しきれない購読料によって保護されているからだ。研究者が自らの研究を実施し、記録するために途方もない時間を費やしても、結局重要な情報は、高額な利用料の背後にしまいこまれてしまう。開発途上国の研究者にとって、これは特に悲劇となる。このような研究情報を切実に必要としているにもかかわらず、その料金を支払う余裕はほとんどないからだ。多くの場合、このような情報が、開発途上国の開発と社会の発達を遅らせている多くの問題を解決する糸口となっている。また、これらの障壁の一部は、土着の知識へのアクセスにも影響を与えているが、そのような知識の多くが開発途上国で得られることを考えれば、開発途上国を拠点に活動している人々にとって、これは特に悲劇である。

 ロー(Lor)(2007年)は、知識と情報へのアクセスを阻む障壁を撤廃する義務が、図書館にある理由を示している。そしてオープンアクセス運動の高まりは、経済的危機、倫理的危機及びオープンアクセスの実現を可能にする技術が収斂した結果であると述べている。第一の要因である経済的な問題の一つが、物価の急騰である。雑誌の年間購読の中止と、研究論文購入費の大幅な削減は、現在の経済状況を考慮すれば当然のこととなってきている。必要不可欠と考えられる雑誌と研究論文だけが、基本的なサービスを支えるために購入される。ローの見解では、サハラ以南アフリカの開発途上国では、状況は壊滅的とのことだ。規模の大きな大学の多くは、ほんの数百の蔵書しか備えておらず、その多くは無料で入手したものである。
 第二の要因は倫理的な理由に基づくもので、これには二つの側面がある。一つは、研究に最新情報が絶対不可欠である科学分野において特に、開発途上国の研究者が世界の学識へのアクセスを得られないことだ。絶え間なく口にされる「デジタルデバイド(情報格差)」は、技術問題に限られたことではない。それは、学者の知識と既存の知識との間に存在する格差についても言えることである。これは「コンテンツデバイド」または「知識格差」と呼ぶことができる。この要因の二つ目の側面は、著作者、雑誌出版社及び利用者の関係から均衡が失われ、不平等が生じているとの認識が高まっていることだ。著作者には、研究内容を無料で投稿しようという意欲があり、編集者と査読者にもやはり、報酬を受け取ることなく研究を査読したいという意欲がある。学者は自分の研究を、専門家としての利益を得、名を知らしめ、知識を共有するために、査読を経た上で雑誌に公表する。一方、出版社は、雑誌購読料やこれらの出版物に掲載される広告の料金として多額の資金を受領する。その利益は、学界及びその他のコミュニティ内でのその雑誌の名声が、寄稿者の研究によるところが大きいとしても、彼らと共有されることはない。
 第三の要因は、インターネットの出現である。このデジタル技術は、アクセスの管理と強化の両方に利用されている。デジタル技術は当初、デジタルデバイドを一気に解消し、今日の技術を活用するために、これまでの技術を一足飛びに越える無数の機会を、開発途上国に提供するものと思われた。しかし現実には、デジタルプラットフォーム設立のコストは高く、運用コストの継続的な負担も必要となる上、常にアクセス料もかかり、さらには技術の進歩についていかなければならないがために、デジタルで利用可能な情報の使用を望む開発途上国や貧しいコミュニティは、法外な負担を負わされている。各機関は、技術に必要な初期資本と繰り返される出費が賄えるようになって初めて、コスト削減に本腰を入れ始める。また、安定した電子サービスやブロードバンド接続サービスなどが利用できない場合の知識へのアクセスの解決策としてICTの利用を模索している国家機関は、必要なインフラストラクチャーのサポートを受けられず、その活動が妨げられる。
 このような現状ではあるが、IFLAは情報へのアクセスを提供する解決策としてオープンアクセスに取り組んでいく。以下は、オープンアクセスに関するIFLAの見解を論じたものである。

オープンアクセスに関するIFLAの見解

 知識へのアクセスを推進するためのオープンアクセスの可能性を考慮し、IFLAは「学術研究文献へのオープンアクセスに関するIFLA声明(IFLA Statement on Open Access to Scholarly Literature and Research Documentation)」の草案を作成し、これに署名した。この声明は、IFLAがすべての人のための情報への可能な限り幅広いアクセスの確保に取り組んでいること、また、あらゆる分野の研究による発見、主張、詳細な説明及び応用が、前進と持続可能性及び人間の福祉の強化につながると認めることを示すものである。以下の項目は、同声明からの抜粋である。

 IFLAは、あらゆる分野の研究による発見、主張、詳細な説明及び応用が、前進と持続可能性及び人間の福祉の強化につながると認める。査読済みの学術文献は、研究と学問を進めるうえで重要な要素である。それは、査読前の原稿、技術報告書及び研究データの記録などのさまざまな研究文書によって支えられている。

 IFLAは、世界的な図書館情報サービスネットワークにより、過去、現在及び未来の学術研究文献へのアクセスを提供し、その保存を確保し、利用者による発見と利用を支援し、利用者が生涯にわたる識字力を身に着けられるように教育計画を提供することを宣言する。

 IFLAは、学術研究文献への総合的なオープンアクセスが、我々の世界を理解し、世界的な課題、特に情報に関する不平等の軽減に対する解決策を明らかにするために重要であることを確認する。オープンアクセスは、すべての研究と学識を、制約を受けることなく検討し、必要に応じて詳細を説明し、あるいは反論するために、永久に利用できるようにすることにより、学術コミュニケーションシステムの統合性を保証する。

 IFLAは、著作者、編集者、出版社、図書館及び各機関を含むすべての関係者が、研究の記録と普及において果たす重要な役割を認識し、学術研究文献の可能な限り広範な利用可能性を確保するために、以下にあげるオープンアクセスの原則を採択することを提言する。

  1. 著作者人格権、特に氏名表示及び同一性保持の権利を承認し、保護する。
  2. 学術文献の質を、出版形態にかかわらず保証するために、効果的な査読プロセスを採択する。
  3. 研究及び学問に由来する出版物に対する、政府、民間または各種機関による検閲に断固反対する。
  4. 法律で規定されている、限定的な著作権保護期間が過ぎた時点で、すべての学術研究文献をパブリックドメインに移行する。著作権保護期間は、妥当な期間を限定しなければならない。さらに、著作権保護期間中、研究者と一般の人々による容易なアクセスを確保するために、技術的制約またはその他の制約を受けることなく、公正使用の規定を実行する。
  5. 不利な立場に置かれる可能性のある研究者及び学者による、質を保証された学術研究文献の出版を実現するとともに、開発途上国の人々と、障害のある人々を含む不利な立場にあるすべての人々による、手頃な価格での効果的なアクセスを確保し、情報の不平等を克服するための措置を取る。
  6. 持続可能なオープンアクセスの出版モデル及び出版機関を開発する共同イニシアティブを支援する。これには、契約上の問題点の撤廃を著作者に働きかけるなどして、学術研究文献を無償で利用できるようにすることが含まれる。
  7. すべての学術研究文献の保存と恒久的な利用可能性、有用性及び信憑性を確保するために、法律、契約及び技術に関するメカニズムを導入する。

(IFLA 2004年)

 これらの原則はすべて、その由来するところにかかわらず、図書館及び図書館司書の新たな、そしてこれまでとは異なる役割を示している。次のセクションでは、これらの新たなパラダイムから生じた問題と、それが図書館業界及びその専門家に与えてきた影響/今後与えるであろう影響を、いくつか検討する。

出版者としての図書館

 ロー(Lor)(2007年)は、古い伝統と新たな技術、そして新たな役割が収斂することで、前例のない公共の利益がもたらされたと指摘している。古い伝統とは、疑問に答え、知識を広めるために、無報酬で学術雑誌に研究を公表しようという科学者と学者の意欲である。新たな技術とはインターネットのことである。新たな役割とは、図書館及び図書館司書が果たす、公共の利益のための学術情報出版者としての役割である。出版者として新たな役割を演じる図書館司書及び図書館は、文献購読を阻む障壁を撤廃する。出版者としての役割を引き受けることで、図書館及び図書館司書は、調査研究の促進と、教育の充実、富める者の学びを貧しい者と、貧しい者の学びを富める者と共有することに手を貸すようになる。そしてその役割を通じて、情報へのアクセスを持ち、知的会話と知識探究を共にすることで人と人との結びつきの基盤を築いていく学者層の拡大に貢献するであろう(ロー 2007年)。

 オープンアクセス運動の中核を成すのが、学術情報の普及である。図書館司書は、購読料を支払う余裕のない人々でもそのような知識を利用できるように、慈善を理由に研究資料をオープンアクセスフォーラムで発表することを、著作者に強く主張している。
 北米研究図書館協会(ARL)の研究では、一部の会員図書館が出版サービスを提供していることが明らかになった。大規模な研究図書館が発行する査読雑誌は371誌にのぼり、ARLに所属していない機関の小規模な図書館も出版事業を展開している。これらの図書館は、オープン・ジャーナル・システム(OJS)とバークレー・エレクトロニック・プレス(bepress)などの出版ツールを組み合わせて使用している。シア(Xia)(2009年)は、どれだけの学術図書館がこのような出版業に関与してきたか、正確な数字は現在明らかではないが、その数は決して少なくない、と述べている。
 図書館による出版に関する議論では、そのような図書館サービスの提供の適用性、持続可能性及び拡張可能性が中心であった。サービス提唱者と図書館司書は、適用性については自信を持っている。研究の結果、学者達は図書館司書との協力に前向きな態度を示しており、出版物の質を管理するための編集プロセスをまとめることに、率先して責任を果たそうとしていることが明らかになった。これまで商業目的で出版される学術雑誌でそうであったように、査読は、図書館/機関の奥付がある雑誌に発表される記事の評価に必要な手続きと考えられている。図書館による容易で確実な雑誌運営方法は、現在の出版物を商業出版事業から教員と図書館司書による共同運営へと移行することだと思われる。そのような移行は、カナダで連邦政府の資金援助により行われてきた。図書館の責務は、ホスティングサービスの提供、サポートプロセスの調整、そして、固定URLの指定、ワークフローの合理化、マークアップ、ファイル作成及びオンデマンド印刷などの追加サービスの提供である。一方、学者の役割は引き続き、査読資料に対する要求を満たす質の高いコンテンツの提供である。
 カナダの経験についてさらに詳しく説明する中で、シア(2009年)は、学術雑誌の発行に関して図書館が採用した出版システムには、すべての関係者が満足しているようだと述べている。この出版形態と、制度化されたレポジトリへの資料保存とを比較した場合、図書館による学術コンテンツの出版というアイディアの方が、研究者には受け入れやすかったようだ。従来の出版社で雑誌編集者を務めてきた人々の参加もある。教員編集者の視点からは、新たな学術コミュニケーションモデルは、従来の出版モデルよりもさらに多くの利益をもたらすことができるとしている。それは、読者による(図書館のウェブサイト経由での)自由なアクセスや、(図書館がホスティング費用を負担しなければならない場合でも)安価なホスティングサービス、(他の図書館との連携による)管理のしやすさである。読者である一般の学者は、このモデルのオープンアクセスという部分に魅力を感じている。また各機関の運営者は、図書館が出版することで自機関の認知度が上がるため、これに満足していると言える。
 オープンアクセスは図書館及び図書館司書に新たなパラダイムを提供する。それは図書館司書に、すべての人のためのより良い世界の創造に向けた新しい知識の創造に不可欠な知識と情報へのアクセスを備えた、情報に基づくよりよい世界を追求し、リッチなコンテンツを配信する、前例のない機会をもたらす。
 紙面が限られているため、私の会長時代のテーマ「知識へのアクセスを推進する図書館」に関する経験や取り組みを、読者とさらに共有することができないのは残念である。繰り返すが、情報提供の歴史上、図書館に対するニーズが今以上に高かったことは決してない。利用可能な情報の過剰供給は、豊富な知識と情報に基づく社会の創造に逆効果となる可能性がある。知識と情報は、建設的な力か、破壊的な力のいずれかを備えている。誤報は通常、破壊と関連している。一方、信頼のおける真の情報は、豊富な知識と情報に基づく社会を創造し、支えるための極めて重要な手段であり、より良い世界の追求において革新的な手段となり得る。図書館は、その信頼のおける真の情報の提供に重大な役割を果たし、情報へのアクセスを阻む障壁を撤廃するためにあらゆる努力をし、今では知識と情報へのアクセスを確保するために、出版社となりつつあるのである。

他の著作者からの寄稿

 私の会長在任中のテーマは、私の在任中にのみ適用されるものかもしれないが、それは今後も生き続けるだろう。図書館が知識へのアクセス推進に果たす自らの役割を疑うことは許されない。この義務を裏付ける証拠は、図書館業界の第一人者達による実証研究と立証済みの議論を紹介する以下の各章で明らかにされていく。本書『知識へのアクセスを推進する図書館』では特に、土着のコンテンツへのアクセスの提供、情報リテラシーによるオープンアクセスの実現、図書館という場の再定義を通じた知識と情報へのアクセスの改善など、オープンアクセスの問題を取り上げる。
 示唆に富む寄稿記事をまとめた本書は、私の会長在任中のテーマ「知識へのアクセスを推進する図書館」の価値を高めるものである。前述のように、図書館はあらゆる国家の成長と発展に不可欠である。過去の知識と現在の知識、そして未来の知識の創造は、図書館に深く根づいている。図書館と新たな知識及び情報の創造という重要な結びつきなくしては、未来を想像することは不可能である。