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高齢化と言葉による創造性について -図書館における高齢者向けクリエーティブ・ライティング-

オッドゲイル・スィンネス
ホルダラン県立図書館,ノルウェー

項目 内容
会議名 2002年 IFLA(国際図書館連盟)年次大会<スコットランド グラスゴー> オープニングセッション
発表年月 2002年8月

 このプレゼンテーションの主題は、「高齢化と言葉による創造性 - 図書館における高齢者向けクリエーティブ・ライティング(言葉による創作活動)」です。わたしは過去数年にわたり、ベルゲンのホルダラン県立図書館が始めた、高齢者対象のクリエーティブ・ライティングの講座を手配・取りまとめるプロジェクトでリーダーを務めてきました。いくつかの講座は、高齢者にとって図書館が魅力的なふれあいの場所となるよう、公共図書館で開催されました。自宅で暮らす「普通の」年金生活者を対象に7講座、ナーシング・ホームで2講座、痴呆症を患う高齢者向けクリニックで1講座がそれぞれ開催されました。今回の講義では、公共図書館で開かれた7講座を中心にご説明していきます。

わたしたちが1998年秋にこのプロジェクトを開始した当時、高齢者は経験豊かで、貴重な知識や創造力を有しながらも、それらを社会のなかで発揮する機会が非常に少ないというのが、基本的な教育学上の考えでした。すべての人間の可能性を正確に認め、見いだすこと、これが教育学者としてのわたしたちの役目です。なかでも、アメリカの詩人でもある、文学教授のケネス・コッホ氏の活動にわたしたちは感銘を受けました。同氏は1970年代、ニューヨークで高齢者向けに詩を創作する講座をナーシング・ホームで始めました。詩を創作した経験のない人がこの講座に参加しました。受講者本人ばかりでなく、特に施設のスタッフは詩の創作に半信半疑でした。ところが、講座から目を見張る成果が得られたのでした。コッホ氏は、世の中には退屈で面白みのない人間はいないことを示してくれました。だれもが経験と能力の泉をたたえています。多くの人が見いだされていない資質を備えています。それらは決して置き去りにすることができない本といえます。「わたしたちの」講座参加者の一人が、この点について書いた詩をご紹介します。

あなたはわたしたちの近くに住んでいる
あなたはわたしたちの通りをさまよっている
でもだれもあなたを見ていない
あなたはとても静かに
自分のことをしている
あなたのコートは灰色で
流行の型ではない
あなたは「灰色のねずみ」
でも、ほんとうにそうなのでしょうか?
あなたはたぶん色鮮やかな記憶を持ち、
そしてきらめく期待感を内に秘めている
あなたはたぶん絵本
すりきれた灰色のカバーをまとい
誰も開きさえしない

どうして創造性なのでしょうか?

ベルゲンのような都市では、高齢者を対象とする催し物、例えば、会合などの集まり、各種講座、パーティー、行楽や旅行などが数多くあります。またナーシング・ホームには活動室があります。こうした催し物は非常に大切な活動です。しかし、ほかの人が考えてくれた活動に参加するという消費者的な、受身的立場ではなく、高齢者が自ら発信するプロデューサーという点からみた場合、高齢者と創造的な能力はどうでしょうか。高齢者の精神的な豊かさ、知的能力、創造性に対して、わたしたちは然るべき敬意を払っているでしょうか。

言葉に苦労しながら取り組むなかで、不思議な、すばらしいことが起きると確信しています。言葉は、年齢、世代、文化を越えてつながりを築きつつ、生き続けます。講座の最初の日でも、言葉がどのようにわたしたちお互いを身近に感じさせてくれるかを理解できます。まず記憶をたどり、子供の頃の出来事や体験について書いてみると、すぐに文章が出てきます。それらは、聴いている者に微笑みや笑い、涙を誘います。ベルゲンでの講座の初日、参加者はとても懐疑的で、気分が少し落ち着かない様子でした。そこで、参加者に目を閉じて昔のことを振り返ってもらい、まぶたに浮かんだ光景を文章で数行書いてもらうことにしました。するとにわかに、「約85年前の、ある島の天気のよい日曜日、雪化粧した丘」の光景が皆の前に繰り広げられました。ある高齢の女性は次のように言葉を紡ぎ始めました。「母さんはわたしが5歳のときに死んだ」すると5分もするうちに、わたしたちの間には強い心の触れ合いが生まれていました。書いたものを初めて読む時は、通常音読します。だれの作品かは明かしません。作品に対して、皆で良い点(ディテイール、描写の良さ、隠喩など)をコメントしていきます。 参加者は多くの場合、意欲的に取り組み、講座終了後にはよく「あれは私の文章」と言っています。受講者の多くが最初は活動に対して懐疑的でしたが、初日に参加した人はその後も参加し続けています。

それでは、記憶をたどることは創造性とどういう関係にあるのでしょうか。これらはノルウェーですでに集められ、分類されている記憶を呼び起こす練習の例にすぎないのでしょうか?いいえ、そうではありません。創造性こそが、記憶を呼び戻すこと、そしてこうした記憶がわたしたちをしっかりと捕らえるうえで、最も重要といえます。わたしはクリエーティブ・ライティング講座で聞いた話には心を引きつけられましたが、どうして、祖母が話してくれた話には同じように気持ちが引きつけられなかったのでしょうか。良い話し手は普通の話を上手く話すことができますが、非常にすばらしい話であっても下手に語られることもあるでしょう。このことは創造性と関係があり、詩的な言葉と関係があります。ベルゲンの講座で2回目に、ジェニーという参加者が「あの日」という課題に対して、ショート・ストーリーを書いたときのことです。彼女は、ある朝、ラジオの前に座り、子供番組に耳を傾けている自分自身のこと、そして3歳と5歳の息子のことを語り始めました。それから、子供たちが世界地図を広げ、地図の上で小さなおもちゃの船を、父親が航海しているルートの上に小さなおもちゃの船をおいて走らせている様子を描写しました。その文章は終わりにかけて、次のように書かれています。

風はおさまっていた、フィヨルドは暗く静かに横たわり、辺りは穏やかさをたたえていた―春が来ていた。水道水がなかったから、水を汲みに井戸に向かった。そのとき、ゆっくりとした、ためらいがちな足音を聞いた、一人の男の影が現れているのを見た。わたしは恐ろしくなり、おびえ、バケツを下ろし、そこにいるのはだれだろうと不審に思った。わたしは動かずにいた、そしてその男が近づいてきた。「恐がらないで、わたしは祭司です」と、その人は静かに話した。祭司は乗客船でフィヨルドを横切りやって来た。夜遅かったけれども、子供たちが寝静まるのを待っていた。わたしは身体の感覚がまひし、動けなかった。祭司はわたしの腕を持ち、家のなかへ導いた。彼とわたしは腰をおろした。彼は穏やかな声で、わたしの夫、コーレがその朝早くに亡くなったとわたしに告げた―船上の事故で。
このことが、わたしと小さな子供たちに関係のあることとして、なかなか理解できなかった。父さんを失ったのだった。
あの日― わたしの人生が変わった。

この文章を通じて、わたしたちは衝撃的な人生の物語、心揺さぶられる一コマを目の当たりにしています。単にジェニーに自分の人生について語ってくださいとお願いしていただけならば、こうしたことは起こりえなかったでしょう。しかし、ジェニーは「あの日」という具体的な課題を与えられたことで、夫を失ったあの日について書きました。特定の日に焦点を絞るなかで、その日がわたしたちの前によみがえってきます。ジェニーが「恐がらないで、わたしは司祭です」という言葉で、夫の死を告げるメッセージを受け取るとき、わたしたちは彼女とともにいます。詩的な言葉を通じて、わたしたちはまさにその瞬間、ジェニーの心の動きを知るのです。のどかな始まりは、締めくくりとの絶大なコントラストを成しています。自然の描写に関して、2つの意味を持たせるといった細部にも暗示が見られます。

これは、詩的な言葉が理性的な言葉に比べどのように伝わり方が違うのかを示してくれています。言葉と思考は、本質的には緊密に結びついています。大切な事柄を伝えるのに、日常的な言葉を使うと、恐怖心を起こさせる感じとなり得ることがよくあります。一方、詩的な言葉は、別の感情をもたせる可能性を開きます。アメリカの教育学者、エリオット・アイスナー(Elliot Eisner)氏は、理性的な言葉によって、わたしたちの間に心情的な隔たりが生まれると主張しています。同氏は「言葉の使い方に抽象性が増すと、人々を自分の感情から遠ざける言葉の力が強くなる」と指摘しています。またルイ・アーノウド・リード(Louis Arnoud Reid)氏は、より深い洞察を生みだす詩的な言葉について、「詩では、言葉を使うという人間の持つ個別の力のなかで最高の能力が、想像と概念についての新しい視点のほか、愛、若さ、年齢、死についての新たな理解の途を開いてくれる」と書いています。創造的な文章と詩的な言葉によって、ストーリーは単なる物語以上のものになります。

実際、クリエーティブ・ライティング講座の参加者も詩的な言葉によって、とても個人的な記憶が呼び覚まされるのです。参加者は単に思い出を語るだけでいたならば、表出されなかったであろう文章や表現を生みだしています。日常的な言葉を使って表現していたならば、それはすぐさま余りにも個人的なものになったり、恐怖心や心配を誘うものになっていたでしょう。ベルゲンで昨秋、開始した講座から具体例を紹介してみます。受講者は自分たちの話を発表することに、気が進まない様子でした。しかし、次の講座のときにはもう、参加者にとって大事な出来事の鮮烈な一コマ、一コマを映し出す文章が生まれていました。「あの日」や「振り返って」といった課題に取り組むことで、詩的に凝縮され、人生の抒情詩が生まれました。また講座中には、創作された文章が、どのように受講者の間のみならず、教師と受講者との間にも、質的に特別な一体感をもたらすのかも体感されました。ベルゲンの講座においての「あの日」という課題に対する創作文を次にご紹介します。

10月4日、水曜日
1944年
父さんは7時に仕事に出かけた
わたしは8時半に家を出た
母さんと妹のチューリッド、二人だけが残った
飛行機は9時5分過ぎにやって来た
15分後
すべてが静けさにつつまれた
150機の爆撃機、
連合軍の勇士がばらまいた
1,432の
邪悪な種を、ラクセヴァーグの上に
その果実は死と混とん
彼らは同じ墓に横たえられた
大工が棺桶をつくった
幅が広いのは、母さんが妊婦だったから
そしてチューリッドは7歳と
5カ月だった
死んだような状態を生きるのは難しい

マーク・ルボルスキー(Mark Luborsky)氏は「創造的なチャレンジと意味のある人生物語の構築」と題する論文のなかで、高齢者は自分の人生を意味のある物語風に整理して、再構成する必要があることを示しています。自分の人生経験を、自分が満足でき、自分にとって意味のある物語に整理していくことが重要です。これは創造性を含意しています。以前には多くの場合語られなかった話を参加者が共有し合う必要性を体験し、ライティング講座はこの創造性の構築を強めているようです。

ベルゲンの講座に参加した人のなかに、戦争中に看護婦として働いていた人がいました。講座のなかで、モノについて語る機会がありました。かつて看護婦だったこの女性は、古いペニシリンのアンプルの話を披露してくれました。彼女は、当時14歳で肺炎を患っていたテレーセについて語り始め、治療に必要なペニシリンが手に入らなかったと話しました。病院のなかで太陽のような彼女の存在ぶりが語られました。ついに空から、英国軍が落したペニシリンを手に入れることができました。しかし、遅すぎたのです。テレーセはその後まもなく亡くなりました。医師はこの看護婦に小さなアンプルを渡し、「年を重ねて、テレーセのことを語るときがくるまで、これを持っていなさい」と言いました。そして約60年の歳月が経ってから、わたしたちは彼女から、届くのが遅すぎたペニシリンのアンプルの話を聞き、それを分かち合っていました。この看護婦はほかにも戦争中の話をしてくれました。戦争が終結に近づいた頃、彼女は今にも死にそうなイギリスの飛行士のかたわらに座っていました。飛行士は亡くなる数日前に、「ある看護婦の手」という書いたばかりの詩を彼女に手渡しました。 この慎ましい女性は、古い、色あせた紙を引っ張り出しました。その紙には、1945年9月4日の日付が入り、はっきりとした手書きの字が書かれていました。彼女はこの紙を家族以外の人には、だれにも見せたことがありませんでした。ここにその詩の一部を抜粋してご紹介します。

あなたの手は物語を率直に、真実に語るだろう
あなた自身、あなたが知ること、感じること、することのすべてについて
心のしもべであるあなたの手
数え切れない役目のなかで、そしてそれは終わることがない-
その看護婦の手は、指輪で飾られていない
美しさのある手、気高いことのために訓練されている

この詩は、詩的な言葉がどのような働きをするかを示す好例といえます。イギリスの飛行士が単に彼女の介護を感謝するだけのように、この詩が書かれたものだったら、わたしたちはこの詩に心を引きつけられたり、揺さぶられたりすることはなかったでしょう。しかし、この詩は内容を高め、繰り返し読み得るものにしています。読むたびに新鮮なものをわたしたちに語りかけてくれることでしょう。

現在の時間と療法としての創造性

 数々の思い出は重要ではありますが、ライティング(言葉による創作)講座は、思い出を創造的に活用するだけではありません。高齢者は主に昔の日々について語るべきという考えが、一般的な見方に影響を与えているといえます。ある参加者の言葉を引用すると、「思い出話を書いている人を何人か知っていますが、わたしには退屈でつまらない題材です。それは(すでに)起きたことにすぎないのです!」ということになります。一方、創造性は、求心的な力であり、創造的な「今」を起点にしながらも、過去と未来をより近くに引き寄せてくるプロセスの中にあります。希望、夢、強烈な心の動きは、ある一定の年齢になったからといって消え去るものではありません。

 ライティング講座のなかで、わたしたちは参加者が日常的な出発点に立って文章を書き始め、過去ばかりではなく、現在について感心があることに気づきました。参加者の一人、アスビョルンは病気が重く、入院しなくてはなりませんでした。入院中、彼は夜に目が覚めると、自分の病状に思い悩むのではなく、聞こえてくる病院の音について文章を書きました。そのうえ、書くことが自分にとってどんなに大切かを医者に説明して、ライティング講座への参加を許可されました。深刻な病状にありながらも、彼が自分の作品を読み上げるため、リストバンドをつけて病院からやって来ると、わたしたちはなんとも言えないユーモアがこみ上げてくるのを体感しました。 アスビョルンによると、つらい時期、ライティング講座に大いに助けられたといい、そのことを幾つかの詩に表しています。

 当初は講座の療法的な目標はありませんでした。しかし、期せずして、強烈な物語が生まれるのを体験しました。 ライティング講座が参加者にとってどれだけ意味があるかを示す具体例が幾つかあります。アスコイの講座に参加した女性は、毎年冬場になると気が滅入るに、講座のおかげで気分が落ち込まなかったと話しています。また、レッド・クロス・老人ホームのある参加者は、講座に参加したからお墓に入らなくて済んだと語っていました。講座中は、涙を流す場面も、笑いあう場面もたくさんあります。人生は遊びであり、人生は夢であり、人生は厳しい現実です。

高齢化と創造性に関する研究

 米国では高齢化と創造性に関する研究は、徐々に幅広い分野に広がりをみせつつあります。「高齢化、ライティング、そして創造性」と題する論文のなかで、キャロライン・アダムス・プライス(Carolyn Adams-Price)氏は、クリエーティブ・ライティングについて、通常の高齢者の間でみられる特徴を調べた結果を説明しています。その内容はわたしたちの(講座での)結果に一致しています。まず、高齢者は若い人よりも直接的です。つまり、文章が伝えたい気持ちを直接的に表しています。この点は、ここでご紹介したものでも、講座のなかで発表されたもののなかにも見て取れます。また、高齢者は人生の前向きな側面、つまり、調和、総合、知恵といった点に重点をおく場合が多いことも、講座のなかで確認されました。一方、若い人の創造性は、オリジナリティ(独創性)に特徴づけられることが多いといえます。この点では、高齢者の作品にはあまり見られません。しかし、高齢者の文章には、アダムス・プライス氏が定義している、感情的共鳴がより多く盛り込まれています。それは普通の人々に同情と共感を生み出しますが、文学評論家の間ではそれほど評価されていません。これらの特徴からみて、 オリジナリティが創造的な特質の妥当な基準とは言い切れません。

 前述の論文によると、言葉の表現面については、高齢者はどちらかと言えばシンプルな言葉を使い、短い文を用いて直接的で率直なスタイルを取るとされています。しかし、語いはおそらく豊富でしょう。高齢者の書く文章には、若い書き手にはみられない力強い言葉、写実的な言葉づかい、すたれつつある古い言葉が使用される場合が多いといえます。

方法について

 方法はどうでしょうか。シンプルでありながらも効率的なものです。教育学上の事実からみて、同じことが人生上の他の事柄にも当てはまります。すなわち、偉大でとても重要なことは、本質的にシンプルであるということです。わたしたちは物事の明るい面を見ます。また、何とかやってみることから始めて、できばえには余りこだわりません。「歌う鳥を殺さない」というのが、わたしたちの哲学です。しかし、助言はします。これが学ぶということなのです。参加者が文章を通じて、思い切って前へ踏み出し、オープンになるには、グループの雰囲気がとても大切といえます。

 わたしたちはお互いに、それぞれの文章に触発されてはいても、一人ひとりが持つ個性的な言葉づかいを大切にしている、という点を強調しておきます。ある参加者はいつも非常に短い文を書き、一つ一つの言葉に重みを持たせています。またある人は絵の具を塗るように、おおざっぱな筆づかいのように言葉を重ねていきます。ある人は方言で見事な描写をしていくかと思えば、楽しげにおどけてはしゃいだ文章を書く人もいます。わたしたちは試行錯誤しているのです。ノルウェーの哲学者、アルネ・ネス(Arne Næss)氏はかつて「70歳を過ぎたら、遊び心を豊かに」と述べていますが、全く同感です。創造すること、未知の分野に挑戦しようとする力や意欲が、これらの講座では中心的な要素です。スウェーデンの詩人、ゴスタ・アグレン(Gösta Agren )氏 は「あなたが変わらなくても、あなたは別のあなたになっている」(わたしの翻訳)と述べていました。

高齢者が書く文章では、知恵、それも日常生活で遭遇する知恵や、自然との経験を伝えるものがよく見受けられます。 ある女性は次のように書いています。

灰色はわたしの色ではない
けれどもわたしは石が好き
灰色のみちばたの防護石
数え切れないほどの灰色の影

ある人はパンジーの花の黄色い斑点について、「黄色の斑点を見たことがありますか」と語っています。アスコイの講座に参加したある人は、「最も高いところを登ろうとはしていません。むしろ最も深い水を求めているのです」と書いています。思考の糧を与える表現はおそらく、知恵を伝えるでしょう。岩の灰色について、あらゆるニュアンスをみるのに時間を取りますか。そうすると人生が少し容易になります。パンジーの小さな斑点は、何かを思い出すためのものでしょうか。何のために短い人生を費やすのでしょうか。高いところを登るためですか、あるいは深い井戸を探すためですか。文を書くということは、小さなものの中に偉大なものを見つけるということを体験することなのです。

創造性と未来

 講座受講者は、過去と現在についてだけを文章に書くわけではありません。未来に目を向けて、将来の楽しみを書いたり、自分が存在しない将来について思索したことや、不思議さを文章に豊富に盛り込んだりしています。

その日がやって来る
わたしがもはや存在しないとき
そのとき、だれが私の気持ちになるのだろう
だれが わたしの痛みを感じるのだろう
だれが わたしの幸せを喜ぶのだろう
そのとき、だれがわたしの目で見るのだろうか
空にたなびいている雲
太陽の下、ダイヤモンドのしぶきをあげる噴水
そのとき、だれがわたしの耳で聞くのだろうか
葉と葉の間をそよそよと吹き渡る風の音を
森のコマドリの鳴き声を
物語に興じる子供たちの声を
そのとき、だれが新雪にわたしの足音を残すのだろうか

ベルゲンの最初の講座に参加したメッテはユーモラスな調子で、「自分の葬式を先送りするつもりですよ。なんといっても、ライティング講座を逃せませんから!」と語っていました。日本の俳句に魅せられたこの女性の短い詩をご紹介します。「秋の葉よ / 望みなく震るえ/ 落ちゆく日を待つ」

以上、ホルダラン県立図書館で開催されたライティング講座でのさまざまな体験を概観しました。ご紹介した文章からご理解いただけるように、自分の考えや気持ちを書いたり、表現したりする面で、受講者の能力が目に見えて上達しました。加えて、他の良い面も数多く見られました。図書館側の視点に立てば、図書館そのもの、図書館サービスに対する関心が高まってきたことが分かりました。多くの受講者は、受講前には文学的な文章を書いた経験がありませんでしたし、よく本を読むというわけでもありませんでした。しかし、受講後には、多くの受講者が講座のなかで参考例やインスピレーションを促す作品として紹介された文学作品や著者の作品を探しに、図書館にやって来ていました。読書に新しい関心を見いだした人もいます。読むためだけに読書をするのではなく、言葉に着目し、著者がどんな言葉づかいをしているかといった点に、注意を払って読書をするということです。また、多くの参加者が、現代詩など、これまでには関心を抱くとは思いもしなかった分野の本を読むようになりました。

最後に、オステロイの講座で出会った文章をご紹介したいと思います。公共団体で事例文書を書く経験はあっても、それ以外の文章を書いたことのなかった男性が書いたものです。 彼の文章には、わたしがここで言及してきた、感情的共鳴、調和、未来への視点といった要素が豊富に盛り込まれていることが分かります。この男性がその文章を読み上げるのを聞くという体験は、印象深いものでした。彼は感極まる様子で、最後のほうでは、読み終えるためにしばらくの間、一休止せざるをえませんでした。

あなたとわたしは同じ道を歩んでいる、しかし、わたしたちの前で道が分かれている、そこでわたしは曲がる。あなたは進む。わたしの思いのなかで、あなたは朝露で濡れた草の上を歩いている、はだしで、歌いながら、人生があなたのなかでどのように前進しているのかを、あなたの前に広がる時間の海とともに、感じている。わたしは秋の景色を歩いている、黄色い落ち葉をかさかさと踏みしめながら。けれどもわたしの歩みはあなたよりも遅い。わたしのゴールもそんなに遠くではない。わたしはそこに間に合うようたどりつくのに、もうあまり速く歩く必要はない。けれども秋の葉のうえを歩くのはなんと気持ちがいいことだろう。ああ、この恵みの秋の陽射しは、もうだいぶ傾いてはいるが、なおもわたしに光を降り注いでいる。道はどこまで続いているのだろう?それはまだわからないが、私の心は躍っている。

参考文献

Adams-Price, Carolyn E. 1998. Aging, Writing, and Creativity”. In Carolyn E. Adams-Price (ed.) Creativity & Successful Aging (269-287). New York: Springer Publishing Company.

Eisner, Elliot W. 1975. Skolens oppgave. Oslo: Aschehoug.

Koch, Kenneth. 1978. I Never Told Anybody: Teaching Poetry Writing in a Nursing Home. New York: Random House.

Luborsky, Mark R. 1998. Creative Challenges and the Construction of Meaningful Life Narratives”. In Carolyn E. Adams-Price (Ed.) Creativity & Successful Aging (311-337). New York: Springer.

Read, L.A. 1968. Art, Truth and Reality”. In H. Osborne (ed.) Aesthetics in the Modern World. London: Thames and Hudson.

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