音声ブラウザご使用の方向け: ナビメニューを飛ばして本文へ ナビメニューへ

アクセシビリティはユニバーサルデザインと支援技術の共同作業により実現する

石川 准
静岡県立大学教授

項目 内容
会議名 2006年 IFLA(国際図書館連盟)年次大会<韓国 ソウル>「視覚障害者図書館(LBS:Libraries for the Blind Section)」分科会
発表年月 2006年8月22日

1.ユニバーサルデザインと支援技術

ユニバーサルデザイン(Universal Design)とは、身体的・能力的特性の違い、文化的・言語的差異などを問わずに利用することができる施設、設備、製品、サービス、情報などの設計(デザイン)のことであり、端的にいえば「できるだけ多くの人が利用できるようにデザインする」という物作りの基本原則のことである。

このようなユニバーサルデザインを進めるには、さまざまな特性をもった利用者、製造メーカー、サービス提供事業者、行政、研究者等が一堂に会して継続的に話し合い合意形成し、ユニバーサルデザインを具現する社会規範(固い法や柔らかい法)を策定して、全アクターの行動を等しく規制するとともに、ユニバーサルデザイン化に努力したアクターが利益を得られるような選択的報酬を社会全体として提供する仕組みを整える必要がある。

こうした社会的仕組みのないところでは、概して個々の事業者は、自己の費用対効果のバランスシートを無視してまでユニバーサルデザインのコストを引き受けようとはしない。市場原理の上で利益を追求する事業者、利益追求を怠ると市場から退場しなければならない事業者からすれば、顧客群の特性分布の周辺部を適当なところで切断し顧客の範囲を限定するのはきわめて合理的な行為だからである。

ユニバーサルデザインが最も上流の技術であるのに対して、支援技術(Assistive Technology)は最も下流の技術である。ユニバーサルデザインがユーザ特性の多様性に配慮して、なるべく多くのユーザにとって使える・使いやすい施設、設備、製品、サービス、情報を提供するものであるのに対して、支援技術はユーザに最も近いところに位置し、個々のユーザ、特定のユーザ群に対してアクセシビリティ(利用可能性)やユーザビリティ(使いやすさ)のためのソリューションを提供する。

支援技術を代表するものにスクリーンリーダーがある。スクリーンリーダーは、画面拡大ソフトウェアや点字ディスプレイ端末などとともに視覚障害者がコンピュータを操作する際の必須の道具である。また、手をうまく動かすことのできない上肢障害者には、オンスクリーンキーボードやスイッチが必要であり、運動障害がさらに重くなれば、視線入力や筋電入力という支援技術が必要となる。

ユニバーサルデザインと支援技術の関係は相補的である。一方が存在しないところ、不十分にしか存在しないところでは、アクセシビリティを実現するためのもう一方の負担は過度なものとなるのみならず、実現できるアクセシビリティの水準は低いものにとどまらざるをえない。言い換えれば、両者がそれぞれの役割を十分果たしてこそ高いアクセシビリティが実現するといえる。

2.アクセシビリティ

米国リハビリテーション法という強い追い風があっても、コンピュータソフト、電子ファイル、ウェブサイトのユニバーサルデザイン化は思うように進んでいない。そのため、スクリーンリーダーや音声ブラウザなどの支援技術は膨大なつじつま合わせを強いられている。したがって、開発コストもマーケット規模と比較して過度なものになっている。オーファンプロダクト(Orphan Product)などとも呼ばれ、支援技術のマーケットは極端に小さいため、支援技術開発ベンダーの経営基盤は脆弱である。「ハイリスク・ローリターンのビジネス」という構造的な困難があるといえる。

ユニバーサルデザインから遠い領域ほど、支援技術はアクセシビリティを実現するためにつじつま合わせを駆使しなければならない。しかし、つじつま合わせは、不正確、不安定、短命、高コストという性質を帯びる。また、それはしばしば、本来別の目的で用意されている方法の流用、転用、サポート外の方法を用いざるをえない。さらには、認識系の技術のように、完全に正確な処理は原理的に不可能であるような技術に過度に依存せざるをえない。

電子情報通信分野のユニバーサルデザインはマシンアンダスタンダビリティと言い換えてもよい。マシンアンダスタンダビリティが実現するところでは、つじつま合わせは不要となる。マシンアンダスタンダビリティが実現すると支援技術の性能は飛躍的に向上する。

コンピュータは画面に情報を視覚的に提示し、人はポインティングデバイスで「選択」する。今日の人とコンピュータの相互作用は大部分がこの反復である。これがGUI(Graphical User Interface)と呼ばれる人と機械のインターフェースである。今日のスクリーンリーダーは、端的にいえばこのGUIをAUI(Auditory User Interface)=音声ユーザインターフェースやBUI(Braille User Interface)=点字ユーザインターフェースに変換する作業を行うソフトウェアである。GUIが一望可能性という視覚情報の特性を利用し、画像とテキストを適切に配合して場面とフォーカスを提示するのに対し、AUIやBUIは聴覚情報や触覚情報の特性である揮発性、シーケンシャルな情報の提示に配慮するとともに、音声情報や触覚情報の言語処理可能性を生かして情報を構造化し言語的に提示しようとする。

だが、低マシンアンダスタンダビリティという条件下では、このGUI-AUI変換、GUI-BUI変換は不十分なものにとどまらざるをえない。理想的には、ユーザインターフェースはユーザが自由に選択できるようにならなければならない(図3)。それを可能にするのは高マシンアンダスタンダビリティであり、それによってもたらされるサービスやタスクとユーザインターフェースの分離である。(ただし、複雑なサービスやタスクほど切り放しのために開発しなければならない技術は高度なものとなり、開発コストも巨額になる。)

もっともサーバ・クライアントモデルの相互作用では、このサービスやタスクとユーザインターフェースは原理的に独立している。たとえば、ウェブサーバとウェブブラウザは実体としても分離しており、本来どのようなユーザインターフェースを持つウェブブラウザであってもウェブサーバにアクセスすることはできる。しかし、近年の状況はウェブサイトのGUIアプリケーション化である。JAVAスクリプト、Flash、JAVAといった技術を駆使して構築されたウェブアプリケーションが、ウェブブラウザのユーザインターフェースを事実上限定するという事態である。ウェブアプリケーション化の流れはウェブアクセシビリティを進めようとする立場からは深刻な問題であるが、ここでも両者の両立はマシンアンダスタンダビリティの実現しかない。

3.マシンアンダスタンダブル

1989年、ティム・バーナーズ=リーは、CERNでネットワークを使ったハイパーテキストシステムの導入を提案した。それは電子情報通信分野の多くの研究者、技術者に圧倒的に支持され、やがて、環境に依存しない情報共有を実現するためのユニバーサルな約束としてURL, http, htmlの3ルールが標準化された。1994年には企業や研究機関を会員とするW3C(World Wide Web Consortium)が設立され、ウェブのオープン規格の策定を行っている。W3Cはアクセシビリティにも力を入れるようになり、コンテンツ、ブラウザ、オーサリングツールのアクセシビリティガイドラインを策定、発表し、ウェブアクセシビリティにおいても重要な役割を果たすようになった。

W3Cのウェブコンテンツアクセシビリティガイドライン*1に示された指針は詳細かつ多岐に及んでいる。だが、その要点はほぼ二点に集約できる。

第一は、言語的情報は画像だけでなくテキストで表現するというものである。通常のウェブブラウザは画像ブラウザである。画像ブラウザは、画像とテキストをどちらも画像として提示する。したがってブラウザからすれば、どちらにしても結局画像として表示する以上、ウェブサーバから受け取る情報は―検索機能を提供するにはテキストでなければならないが―単に表示するだけなら画像データであってかまわない。

一方、音声ブラウザはテキストを音声として再生する。音声ブラウザは画像を音声で読み上げることはできないから、受け取って処理できるのはテキストデータと音声データだけである。

ウェブアクセシビリティを実現するための第二の要点は論理構造の提示である。画像表現はレイアウト、すなわち文字フォントの種類や大きさ、強調、色、配置などによって構造情報を提示することができる。言い換えれば、ユーザはレイアウトが適切にデザインされていれば、ただ一望するだけで、見出し、箇条書きリスト、本文、表、ナビゲーションメニューなどを難なく識別することができる。

音声表現でそうした構造情報を提示しようとすれば言語的説明が必要である。すなわち、見出しであれば「見出し」と言わなければならないし、リストであればリストと言わなければユーザには伝わらない。ところで、構造情報は個々のテキストや画像が持っているわけではない。だから、いくらテキストを充実させても音声ブラウザは構造情報を提示できない。構造情報は、htmlでは「要素(element)」を適切に使うことによりブラウザに伝達される。論理構造情報が正しく提供されない場合は、音声ブラウザによる情報提示は単純なものになるか、誤った構造情報を提示してしまうことになる。

ウェブコンテンツのデザイナーは、ブラウザによる画像表現を確認しながらコンテンツを制作する。彼らの興味とこだわりは構造でなく表現にある。だから、htmlの要素、すなわちマークアップコマンドも概して表現の制御のために用いられる。それは構造化のための要素本来の目的からは誤用であるが、画像ブラウザにとっても、画像ブラウザのユーザにとってもなんら問題はない。図1は画像ブラウザによる情報提示のイラストである。個々のテキスト情報の内容を確認するまでもなく、このようなレイアウトを一望するだけで、どこがナビゲーションバーなのか、どこが見出しでどこが本文なのかは容易に推測できる。コンテンツプロバイダとユーザが表現スタイルの慣習的規約を共有することで、視覚的表現が構造情報を伝達できるからである。しかし、この画像ブラウザが表示しているウェブページが先に示した第二の要点の原則を満たしていないときは、音声ブラウザによる情報提示は図2のような不十分なものになる。この巻物のようなずらずらとした情報提示からユーザが構造を見出すことは困難である。

だが、このページが先に示した第二の要点の条件を満たすなら、音声ブラウザの情報提示は図3のような行き届いたものになる。いまや音声ブラウザは、どこが見出しなのか、どこが本文なのか、どこがメニューなのかといった構造情報を正しく認識し、それをユーザに伝えることができる。

画像ブラウザのレンダリング図
図1 画像ブラウザのレンダリング

音声ブラウザのレンダリング図
図2 音声ブラウザのレンダリング

アクセシブルなウェブページの音声ブラウザのレンダリング図
図3 アクセシブルなウェブページの音声ブラウザのレンダリング

これはマシンアンダスタンダビリティのごくごく単純な事例である。テキスト情報と論理構造情報をいかにしてブラウザに伝えるかがウェブアクセシビリティの要点であることは、どのように複雑なウェブアプリケーションでも変わらない。そしてそれを実現するには、はるかに高度なユニバーサルデザインが必要となる。

4.配慮の平等

アクセシビリティを実現するうえで公的セクターの役割はきわめて大きい。その根拠となる「配慮の平等」の基本原則を最後に述べる。

「配慮を必要としない多くの人々と、特別な配慮を必要とする少数の人々がいる」という強固な固定観念がある。しかし、「すでに配慮されている人々と、いまだあまり配慮されていない人々がいる」というのが正しい見方である。多数者への配慮は当然のこととされ、配慮とはいわれない。対照的に、少数者への配慮は特別なこととして可視化される。

階段とスロープを比較してみるとよい。なぜ階段は配慮でなくスロープは配慮なのか。階段がないとしたらどうか。階段がなくても二階に上がれる人は例外的である。それならば階段も配慮ではないか。講演では、講演者はレジュメを用意するように求められる。技術系の講演ではスライドを見せるのが常識となっている。一方、聴覚障害者のために要約筆記や手話通訳を用意するシンポジウムや講演会はきわめて例外的である。点字のレジュメが配られることはほとんどない。そこには配慮の不平等という現実がある。だが、こうした非対称性に気づく人は少ない。

市場を通して提供される配慮は顧客を満足させるための当然の努力であり、けっして配慮とはいわれない。一方、市場に任せておいても提供されない配慮は、公的セクターにより部分的に提供され、残りは人々の善意や優しさに期待がかけられる。それらは一括して「特別な配慮」とされる。だが、これでは配慮の平等は実現しない。

配慮の平等は、もっと優先順位の高い基本原則としなければならない。そのためにはユニバーサルデザインを社会制度として推進する必要がある。支援技術開発を促進する諸制度も充実させる必要がある。

人間生活をより高度に支援するユビキタスネットワーク社会構想にあっては、ユニバーサルデザインと支援技術の推進は最重点課題である。

参照URL:

*1 W3C Web Content Accessibility Guidelines 1.0
http://www.w3.org/TR/1999/WAI-WEBCONTENT-19990505/
W3C Web Content Accessibility Guidelines 2.0
http://www.w3.org/TR/2006/WD-WCAG20-20060427/Overview.html