DAISYを語る(スウェーデンにおける録音図書製作50周年)
インガー・ベックマン・ヒルシュフェルト、ビアトリース・クリスランセン・ショールド
(スウェーデン国立録音点字図書館(TPB))
項目 | 内容 |
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会議名 | 2006年 IFLA(国際図書館連盟)年次大会<韓国 ソウル> DAISYワークショップ |
発表年月日 | 2006年8月17日 |
原文 | The Story of DAISY |
この講演内容は、スウェーデン国立録音点字図書館(TPB)の前館長インガー・ベックマン・ヒルシュフェルト氏によるエッセイをもとにしている。エッセイは2005年にスウェーデンにおける録音図書製作50周年を記念して出版された本に、ヒルシュフェルト氏が寄稿したものである。
はじめに
これからDAISYについてお話ししましょう。DAISYはどのようにしてTPBで生まれ、ファルチェピング(Falkoping)の町で育ち、そしてその後、世界に進出していったのでしょうか?また、普通の印刷物を読むことができない人々が読む方法として、DAISYを更に改良する開発活動を続けていくために、私たちがどのようにしてDAISYコンソーシアムを設立したかについてもお話します。更に、DAISYの開発において重要な役割を果たしてきた方々についても、さまざまな国でのDAISYの導入とあわせてお話しする予定です。そして最後に、未来に向けた願いごとのリストを紹介します。
どのようにして始まったか
1990年代初めに、TPBはスウェーデン・ハンディキャップ・インスティテュートと共同でプロジェクトを実施し、印刷物を読むことに障害のある多くの学生たちが、勉強に際して情報技術を試すことができました。教科書がデジタル化され、コンピューターを使って読めるようになり、その結果、テキストを検索したり、音声合成装置の助けを借りて聞いたりすることができるようになり、更に点字ディスプレイを使って読めるようにもなりました。このプロジェクトは成功しましたが、まだ問題は残っていました。著作権保護のために、TPBには電子図書を製作する権利が無かったのです。かなり困難な交渉の末、TPBは徐々に著作権保持者との合意を得、印刷物を読むことに障害がある大学生や、働いている人々のために電子版の教科書を製作することができるようになりました。電子版の教科書は、テキストビューという読み上げソフトを使用して読まれていましたが、録音図書の構造化に対する要求が高まり、DATカセットでの録音図書製作が少しずつ試みられました。
当時TPB内の学生図書館館長であったシェル・ハンソン氏は、デジタル録音図書の開発が既に進められているかどうかを調査し、更に実際にデジタル録音図書を試作することを目的とした新たなプロジェクトの資金援助を教育省に申請し、資金を得ました。今回、ハンディキャップ・インスティテュートはこのプロジェクトに参加することはできませんでしたが、かつて同インスティテュートの研究者であり、現在独立してコンサルタントをしているラース・ソネボ氏と連絡を取るよう勧めてくれました。ソネボ氏はご自身が経験豊富な録音図書朗読者でもあり、特に複雑な研究文献におけるアナログ技術の限界を知っていました。ソネボ氏の仕事には、世界のデジタル録音図書の開発について調査することも含まれており、この調査は1993年に終了しました。その結果、アメリカ合衆国とイギリスにおいて開発が進められていることが分かりました。更に、北欧障害者団体協議会が、次世代録音図書に関する調査を依頼していました。同時に、ヨーロッパ盲人連合(EBU)がデジタル録音図書の仕様に取り組んでおり、この開発は研究文献だけでなく、すべての文献を対象としていました。
北欧協議会およびEBUの両者によって作成された仕様によれば、新たな録音図書は簡単に使うことができ、しかし同時に複雑な構造にも対応できるものでなければならないとのことでした。けれども、市場はこのような需要にこたえることができたでしょうか?オランダのフィリップス社は当時まだデジタルコンパクトカセット(DCC)の開発に取り組んでいました。DATカセットは存在していましたが、誰もこれが未来の録音図書メディアとなるとは考えていませんでした。そこで、私たちは独自に取り掛かることを決めたのでした。
調査結果を検討している最中に、ラース・ソネボ氏がよいアイディアを思いつきました。ソネボ氏はナレーション中のポーズを利用して録音図書を構造化するソフトウェアを作りたいと考えたのです。会計年度1993年から94年にかけて、TPBはラビリンテン・データ社にそのようなソフトウェアのプロトタイプを作成するよう委託することを決定しました。ラビリンテン社はソネボ氏の義父、ヤン・リンドホルム氏が所有する会社で、リンドホルム氏自身、この仕事に携わっていました。新しい録音図書システムは、CD-ROMの再生に使用される標準的なソフトウェアを備えた通常のPCに保存されます。この発想は大変魅力的で歓迎されました。そしてこのプロトタイプが1994年9月に、オーストリアのウィーンで開かれた障害者のためのコンピューターに関する国際会議(ICCHP)で発売されました。シェル・ハンソン氏、ラース・ソネボ氏およびヤン・リンドホルム氏による「デジタル録音図書―現在実施中のプロジェクトからの報告」という発表は、国際社会の大きな関心を呼びました。
それにしても、なぜDAISYという名称がつけられたのでしょうか?DAISYという名前もまたラース・ソネボ氏が開発活動の早い段階で名づけたものです。これは「デジタル音声情報システム(Digital Audio-based Information System)」のイニシャルをとった言葉ですが、同時に、スタンレー・キューブリック監督による「2001年宇宙の旅」という映画からとったソネボ氏のお気に入りの曲にちなんだ名前でもあります。映画の中で、コンピューターのハルが分解されるとき、「デイジー、デイジー、どうか答えておくれ・・・」と歌っているのです。
DAISYの構想が生まれるまで
しかしながら、なぜ、世界の録音図書製作者のほとんどすべてが結集し、デジタル録音図書の標準規格であるDAISYを作成することを決定したのでしょうか?その答えは、DAISYを使うことによって、印刷された本や雑誌と同じ様に録音図書を構造化することができるからだといえるでしょう。つまり、章、見出し、段落、さまざまなレベルの項目、表および目録などを含む階層を作ることができ、情報が構造化されることにより、ページや章、段落内をナビゲートすることができるようになるからです。また自分が本のどの部分を読んでいるのかが分かるようになりますし、読むスピードも変えることができます。
手始めに、保存と配布にCD-ROMが使われ、小型カセットのようにいくつものアイテムからなるのではなく、一つのアイテムからなる録音図書が作成されました。DAISY図書はPCに搭載された読み上げプログラムを使って読むことができますし、或いは特別なDAISY再生機器を使っても読むことができます。DAISY1がDAISY2.0に更新されたときには、録音図書はMP3を使って圧縮され、一般のMP3CDプレーヤーで再生できるよう、一定の決まりに従ってファイルが並べられました。
プレクスターおよび最初のDAISY再生機器
1994年10月、既にDAISY構想実現の基礎が、スウェーデンのハンディキャップ・インスティテュートを訪れた日本のシナノケンシ社に所属するプレクスター社の池田氏、村上博行氏および西澤達夫氏によって練られていました。3人は録音図書読み上げ用CD-ROMプレーヤーのプロトタイプを持参していました。プレクスター社は日本の天皇から、日本の視覚障害者向けデジタル録音図書の開発を委任されていたのです。プレクスター社の皆さんは、TPBから協力の誘いを受け、日本に帰国しました。更に、英国王立盲人協会(RNIB)と、オランダおよびデンマークの視覚障害者教材図書館も、協力に関心を示しました。
1994年10月、北欧会議が開かれました。1995年3月には、最初のDAISY国際ワークショップがストックホルムで開催されました。その夏、IFLAを代表する河村宏氏、RNIBのクリス・デイ氏、プレクスター社の村上博行氏および西澤達夫氏、TPBの常任理事であるシェル・ハンソン氏とインガー・ベックマン・ヒルシュフェルト氏が、ファルチェピングのラビリンテン社で会合を持ち、協力に関する具体的な計画が作成されました。そして1995年12月、プレクスター社との協力と、DAISY再生機器開発の継続が、上田市のシナノケンシ社最高幹部との間で確認されました。シナノケンシ社長の金子氏は、のちにDAISYコンソーシアムとなるこの自由な共同体の代表者の来訪を歓迎し、上田市郊外の山中にある同社の研修センターで、日本の厚生省の代表と、世界盲人連合の事務局長ペドロ・ズリタ氏を招いて、セミナーが実施されました。
最初の協力基盤としてのIFLA
IFLAの視覚障害者図書館分科会は、当然のなりゆきですが、最初の協力基盤となりました。1995年8月にイスタンブールで開かれた分科会議では、広い範囲に渡る将来的な協力について協議されました。しかし、面白いことに、協力体制が組織され、確立されたのは、アメリカの視覚障害者および身体障害者のための全国図書館サービス(NLS)のCEOであったフランク・カート・キルケ氏の尽力によるものでした。キルケ氏は1995年4月、トロントでの未来のデジタル録音図書に関する国際会議を招集し、その会議の席で、解決策があるという意見を持ち、またIFLAの支援も受けているヨーロッパの小さな国々から刺激を受けたのです。一方、それらヨーロッパ各国もまた刺激を受け、ともにDAISYを開発していくことを決意したのでした。当時IFLA視覚障害者図書館分科会の会長をつとめていた河村宏氏が、この連携を推し進める原動力となりました。
DAISYコンソーシアムの設立
トロントでの会議からわずか1年後、DAISYコンソーシアムが設立されました。
河村宏氏は当時東京大学図書館の司書で、IFLAセクションに長い間携わっていました。数年後河村氏は大学図書館を辞し、日本障害者リハビリテーション協会(JSRPD)の部長となりましたが、この地位においても、日本の視覚障害者図書館のデジタル化に関わることになりました。
河村宏氏は更にDAISY再生機器の開発にも携わりました。そして1996年秋から1997年春にかけて実施された、プレクストークプレーヤーの世界試験のための資金を獲得することに成功しました。この試験は約30カ国で実施され、視覚障害者がこの再生機器を試すことができました。またこの試験を通じて、デジタル録音図書がはじめて導入されることになり、数ヶ国語による録音図書が試作されました。スウェーデンでは数人の公共図書館の録音図書利用者が試験に参加しました。残念ながら、いくつかの試験国では、税関がこの不可思議な機械を通さなかったために、或いは不当に高い関税を要求したために、試験に参加することができませんでした。河村宏氏はまた東京での評価会議のための資金も獲得し、多くの国々からの代表がはじめて一堂に会し、これらの国々は後にコンソーシアムにも参加することになりました。
河村宏氏は、最初の段階から、発展途上国の障害者がデジタル録音図書の開発から取り残されるべきではないと決心していました。そして日本の国際協力機構(JICA)にこの活動のための資金援助を申込み、これを獲得しました。公開標準規格の制定に向けたDAISYソフトウェアの開発はまた、河村氏にとって重要な優先事項でした。そして、プレクスター社にとっても河村氏は非常に重要な役割を果たしました。なぜならプレクスター社は同社の再生機器が市場を獲得するまでに何年もかかるので、ともすれば忍耐を失ってしまう可能性があったからです。河村氏は人と組織の広いネットワークを築き上げ、DAISYに関する情報を広めていきました。
DAISYコンソーシアム設立におけるもう1人の重要な人物は、RNIBのスティーブン・キング氏です。キング氏もまた次世代録音図書の仕様を作成したヨーロッパ盲人連合(EBU)技術委員会の会長でした。1995年11月、スティーブン・キング氏と、同じくRNIBのクリス・デイ氏がスウェーデンを訪問し、私たちはともにより具体的な協力計画を描き始めました。クリス・デイ氏も、プレクスター社との協力が最終的に確認された1995年12月の上田市での会議に参加しました。コンソーシアムを設立するという発想は1996年1月のEBU会議で発表され、同年5月にコンソーシアムが現実のものとなりました。ストックホルムのホテルの地下で、コンソーシアムの規約がスティーブン・キング氏とインガー・ベックマン・ヒルシュフェルト氏によって書かれ、最終的に同年10月のケンブリッジにおける会議で承認されました。
イギリス、オランダ、日本、スウェーデン、スイス、スペインおよびフィンランド(オブザーバーとして)からあわせて10団体がDAISYの構想を発展させていくDAISYコンソーシアムに参加するよう招かれました。そして1996年5月にストックホルムで最初の会合を持ち、ケンブリッジ会議においてドイツの組織が加わりました。1997年には、オーストラリアおよびニュージーランドの組織と、デンマーク国立盲人図書館と、アメリカ合衆国の視覚障害者およびディスレクシアのための録音サービス機関(RFB&D)が参加しました。その少し後で、カナダ盲人協会(CNIB)および韓国点字図書館が加わりました。これらの組織がコンソーシアムを構成し、正会員となっています。現在コンソーシアムには約100の準会員がおり、プレクスター社、ヒューマンウェア社およびマイクロソフト社などの賛助会員も参加しています。また多くの国々では、国内DAISYコンソーシアムが設立され、次々と国際DAISYコンソーシアムの会員になっています。(www.daisy.org 参照。)
最初の数年間は運営委員会の仕事が非常に煩雑だったので、すぐにコンソーシアムの世話役として広く責任を負う役員が必要であることが明らかになりました。そしてTPBのインガー・ベックマン・ヒルシュフェルト氏がコンソーシアムの会長に選ばれました。役員会が設立され、プロジェクトマネージャーが雇われました。それが、ジョージ・カーシャ氏です。
ジョージ・カーシャ氏は、1997年5月に開かれたいわゆるシグツナ会議において、ファイルフォーマットをWaveからSMILに変更することを提案し、大変重要な役割を果たしました。1997年秋、既にお話しましたようにカーシャ氏はプロジェクトマネージャーとして雇用されましたが、この決定はコンソーシアムを世界的な組織へと発展させる上で重大な影響を与えました。現在カーシャ氏はコンソーシアムの事務局長であり、組織を一つにまとめている非常に重要な人物です。カーシャ氏はまた教育の才能があり、莫大な仕事量をこなしています。カーシャ氏のおかげで、DAISYコンソーシアムは多くの重要な会議に代表を送り、また公開電子図書フォーラム、W3Cコンソーシアムとの会議にも参加することができたのです。これらの組織とコンタクトをとることによって、DAISYフォーマットがアメリカ合衆国において教科書の標準的なファイルフォーマットとなることができたのです。
ソフトウェアの開発
1997年秋、コンソーシアムはwwwファイルフォーマットに基づく公開標準規格の新たな仕様を作成することを決定しました。しかし、新たな仕様であるDAISY2.02は2001年2月まで認可されませんでした。けれどもこれは現在、録音図書の最も一般的なソフトウェアになっています。コンソーシアムはまた、ソフトウェアが録音図書の中で正確に使用されているかを管理する検証ソフトとともに、以前のバージョンを更新するソフトウェアも開発しました。
XMLに基づくDAISY3.0の開発は、NISO標準規格として、視覚障害者および身体障害者のための全国図書館サービス(NLS)との協力により念入りに進められました。2002年以来、DAISY3.0がデジタル録音図書(DTB)の北アメリカにおける標準規格となりました。
マーケティング
DAISYのマーケティングはフォーマットの普及のために限りなく重要でした。DAISYは1996年の北京IFLA会議で紹介されたのを皮切りに、2004年ジュネーブで開かれた世界情報社会サミット(WSIS)や2004年12月にケープタウンで開かれた世界盲人連合総会でも紹介されました。
毎年カリフォルニアで開かれるテクノロジーと障害者世界会議(CSUN会議)での展示や発表も、北アメリカの市場開発に役立っています。また、有名な賞を受賞したこともDAISYの市場を広げるのに役立ちました。2001年、ジョージ・カーシャ氏とインガー・ベックマン・ヒルシュフェルト氏は、「カナダおよびその他の地域の視覚障害者または印刷物を読むことに障害のある人々が公平に情報を得られるよう、その障壁を取り除くことにすぐれた功績を挙げた」として、カナダの「デイトン・M・フォーマン博士記念賞」を受賞しました。
営利企業であるタイムワーナーオーディオブックスは、「黒十字の騎士(原題 The Jester)」という小説を、音声図書とオーディオおよびフルテキストによるDAISY図書とで同時出版したことに対し、2004年にへレン・ケラー賞を受賞しました。
世界各地でのDAISYの活動
DAISYコンソーシアムの会員は新たなデジタル録音図書システムの導入に関してさまざまなスケジュールを立ててきましたが、中でもRNIBは大変先を急いでいました。RNIBは1970年代から使用していた録音図書用の特別な12トラックカセットの製作会社、クラークアンドスミス社との契約を解消したので、すべてのシステムを変更しなければならなかったからです。同社の録音テープも、録音機器も、テープレコーダーも、高価であるうえに非常に時代遅れになってしまっていました。RNIBはそれ以来、徐々にDAISYへと移行していき、何千台ものDAISY再生機器を購入してくれました。RNIBのおかげで、DAISY再生機器の製造会社にとって、ついに市場ができたのです。
フィンランドのセリア視覚障害者図書館も、クラークアンドスミス社を使っていましたが、やはり移行段階として商業用の2トラックカセットを使用することを決定しました。けれども2004年に新社屋に移るまではDAISYの製作は始めませんでした。
オランダでは政府が二重製作(アナログおよびデジタル)を避けるために急速にDAISYへ移行することを決定しました。2003年1月に、オランダ社会保障制度の下で、30000台のDAISY再生機器が導入されました。デンマーク国立盲人図書館(DBB)はすべてのアナログによる蔵書のデジタル化を開始し、ブッククラブを通じて、少人数ではありますが、利用者に対し試験的に図書の貸し出しを行いました。
ノルウェーおよび日本では、視覚障害者に無償で再生機器が支給されましたが、視覚障害以外の、印刷物を読むことに障害がある人々はその対象とされませんでした。インド、タイ、シンガポール、香港およびマレーシアでは、仕事を持っている方や学生を支援している組織がDAISYの製作を担当しています。アメリカ合衆国では、視覚障害者およびディスレクシアの人々のための録音サービス機関(RFB&D)が、さまざまな年齢の学生を対象とした教科書をすべてDAISYに変換しました。一般向けの文学を備えた最大の図書館であるNLSは2008年まで待ち、DAISY3.0を使用する予定でいます。
DAISY再生機器の重要性
適切な再生機器の存在はDAISY構想の成功の決め手となります。プレクスター社が関心を示し、録音図書製作者および利用者の要求を聞き、その調整に手腕を発揮してきたことは既にお話しました。同社がそれまで障害者向けの機器を製作した経験が全く無かったことを考えれば、これは驚くべき貢献であるといえます。一方、カナダの製作会社であるヴィジュエイド社(現ヒューマンウェア社)は、この分野に長い経験があり、すぐにプレクスター社に追いつきました。
両社は積極的なマーケティング活動により、DAISY構想を広めることに貢献しました。ですから両社とも、同じようにDAISY再生機器の製作をはじめたアメリカの会社、テレックス社とともに、コンソーシアムの大変重要な「協賛会員」となっています。しかし同時に、再生機器の価格が高いことが、迅速な成功への妨げとなっています。再生機器が小型のコンピューターで、それまで可能でなかった方法で本をアクセシブルなものにするという事実は、決定権を持つ多くの方々には理解しがたいようです。決定権を持つ方は多くの利用者と同じく、DAISY図書の再生もできる主流の再生機器を好むからです。現在ほとんどのMP3プレーヤーでも、DAISYの構造は利用できないのですが、DAISYを再生することはできるようになっています。
DAISYはいつ主流となるのか?
というわけで、いつDAISYは主流となるのかという疑問が生じてきます。DAISYの偉大な点、そしてDAISY3.0に向けた開発で何よりも重要なのは、アクセシブルなマルチメディアフォーマットであるという点です。社会がアクセシビリティを要求するとき、DAISYは既に出来上がったシステムとしてそこに存在するのです。アメリカ合衆国は障害者のためのアクセシビリティを規制する法律、障害のあるアメリカ人法(ADA)がある国です。もし他の国もこのような法律を作ることを考えているのなら、DAISYが主流として存在することをお伝えしたいと思います。
インガーの願いごとリスト
インガー・ベックマン・ヒルシュフェルト氏は引退する前に、下のような願いごとのリストを作りました。
TPBで17年間を過ごした私が望むことは、第一に、障害があり、印刷物を読むことができない人すべてがコンピューターを持ち、それがブロードバンドに接続され、インターネットを利用することができるということです。第二に、新聞がDAISYフォーマットで作成されること、そして第三の願いは、すべての教科書がDAISYフォーマットで製作されることです。
更に私は、図書館や個人利用者がDAISYをダウンロードできる、中枢となるアーカイブができることを望みます。
私はまた、すべての本、雑誌および新聞がDAISYと互換性があるフォーマット、たとえばXMLで保存されることを定めた法律が制定されることを望みます。こうすることによって、ファイルが簡単にDAISYに変換でき、ナレーションもしくは合成音声付きの、または電子テキストのみ或いは音声、画像、テキストとのコンビネーションによるマルチメディアとして利用することができるようになります。これらすべての願いは、印刷物を読むことに障害のある人々のために、電子テキストの製作や画像の使用、そしてインターネットを通じてのアクセシブルなメディアの配信を可能にする著作権法が無ければ、実現することはできません。
私は著作権に関する規制が障壁を設けることなく、印刷物を読むことに障害のある人々のために資料を変換することを可能とし、その結果、世界図書館がつくられることを願っています。世界図書館の夢はまた、コンソーシアムが掲げるビジョンの重要な一部をなしているのです。