障害をもつ児童に図書館は何ができるか
デンマーク盲人図書館、グラドサクセ図書館
項目 | 内容 |
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国名 | デンマーク |
発表年月 | 2003年6月 |
転載元 | 討論、ビジョン、知識、および貴重な経験、経験にもとづく期待されるプロジェクト報告書「カタツムリは飛べる!」より抜粋 |
目次
障害児童を忘れずに エルセベス ゲアナ ニールセン
エレベーターがあるだけでは万全ではない ベンテ ブックヘーベ
知られざる多くの知恵と工夫 トーヴェ ロード
魚は自転車ではないのだ! ラース オーゴード
涎や奇妙な音声が敬遠のもと シャロッテ プレンゲ
ドットボットは有効? スーシ スリステンセ
先ずは海図の読取り キアステン ヘーヴェルンド
障害児童を忘れずに
障害をもつ児童たちは周辺地域での適切な文化サービスを必要としている。
エルセベス ゲアナ ニールセン 文化大臣
国の公共文化施設は児童に価値認識や、創造、夢の出発点を提供し、そこから彼ら自身がたくましいこどもに、そして将来、分別ある成人へと成長していくことに貢献するものである。 この際に、図書館は重要な責務を負うことになる。そして優れた児童図書館で、なおかつ、多様な活動を備えたものにしてゆかなくてはならない。
しかし中にはこうした図書館に直に参加できないこどももいる。それは、障害をもったこどもたちである。新しい図書館法では、図書館での利用、体験をさらに広げるように奨励しているが、図書館はこれがこのような児童や、青年達に等しく開かれているかどうかを確認しなければならない。実はこれらの人々こそ、身近な地域でのそのような興味ある文化的サービスを強く要望しているのだ。
また、図書館が児童のために開発される電子図書サービスへのアクセスを考えることも、さらなる重要な点である。
私はここで、デンマークの盲人用図書館やグラドサックセの図書館各位がこのテーマを取り挙げ、資料を配布してくれたことに対し感謝をするものです。この刊行資料は児童文化に関する調査報告書と文化省の障害者文化活動の参画指導計画のなかの一環です。
各地の図書館がこれら緊急課題をとり挙げ、それによって図書館が地域の情報発信基地となることを信じて止みません。
エレベーターがあるだけでは万全ではない
児童に障害があっても文化的生活を保障するために、図書館はその前線基地である必要があります。それは単に物理的アクセスだけの問題ではなく、資材であったり、方法であったり、また配置や実際の備品などがあいまって、本人が来館するということが実現するのでなければ意味はありません。そして、当然のことながら、自治体は児童の健全育成のための関連する政策を打ち立てる必要があります。
ベンテ ブックヘーベ 図書館アドバイザー
障害をもつ児童も他の児童と等しい公的文化サービスを受ける権利があるということは国内、国外を問わず異論のないところです。特に、それが児童にとって芸術や文化とのふれあい、将来の人格形成に重要な役割を担い、かつ、他の児童や成人との共同参画の鍵となるような場合はなおのことです。
間接的目標の達成を目指すとき、私は公的機関がそのもっとも現実的な前線基地になると思います。そのため、図書館協議会であれ、個々の公立図書館であれ、その職にある者は国際、国内、地元、そして個人レベルでのさまざまな努力が要請されます。
公立図書館の責務のキーワードのひとつは利用者のアクセスであり、それも種々のアクセス方法を組み合わせることに目を向けることが肝要です。「障害者の文化への参画に関する指針」では次のようにあります。
- 物理的アクセス (来館道路、など)
- イベントへのアクセス
- 実際の利用便利性
障害者が文化活動へ他者と均等に参画することを実現するには上記の三点すべてに目的意識をもった努力が欠かせません。 そしてなによりもそれは、文化政策上、何に価値観を置くかの明確な認識に基づいた努力でなければなりません。
物理的アクセス
文化政策の原理原則である地方分極化は1970年半ばに児童文化が真剣に討議され始めて以来継続されてきました。それは、児童の生活周辺地域で文化との接点を現実にすることと、彼らの日々、日常の文化的様相に接点をもつものでなくてはなりません。公立図書館の作業はこの地方分極方針にのっとり、従来、図書であれ、文化プログラムであれ、児童たちが専門的文化に触れることの実現を目的としてきました。
近年、物理的アクセスだけでは事足りなくなってきました。 「児童と文化:児童文化政策方針に関する国会への答申」でも明確に述べられています。要するに、多様な要因が考えられなければならないので 例えば、交通、建物、開館時間、児童の活動プラン、週末の家族プランなどがあります。
障害のある児童は地元の図書館を利用する権利をもち、そのため、図書館はなにをおいても彼らの来館の際の物理的便宜を保障し、決してそれが彼らの来館の支障になってはならないのです。障害をもつ児童は、他の健常児と同様の条件で図書館のサービスが受けられねばなりません。そのためにも、図書館は障害者に優しい館内設計やそれに付随する設備、備品などが望まれます。
図書館を利用するための重要な情報
図書館の利用に大切なことは情報の周知であり、これにより、個人やグループが身近なところで文化と活発に触れ合うことを支援します。文化公報は常に図書館の中心的活動であったし、児童の文化活動における広範な活動戦略でもありました。児童文化政策答申の中の計画が実際に行なわれるためには活発な媒介が今後、より重要になると思います。 そして、この情報発信こそが現在の、そして潜在の図書館利用者との直接な接点を掘り起こすものです。広報や訪問広報活動で図書館の存在を知り、来館するようになるか、否かの重要な決め手になるのです。図書館の使命は児童が自ら体験し、知り、そして成長していくための原点であり、そのための図書内容、活動計画を充実することにあります。これが成功すれば、このPR活動はシステムとしての図書館への信頼、そして専門分野のサービスといった高いレベルでの信頼を得ることになりましょう。
開放型活動
公立図書館を文化的、社会的出会いの場として、しかも自由な雰囲気のなかで体験する場としてとらえることが重要です。これは障害のある児童に関してはなお一層大切なことです。
そうした場合、家族の担う文化的責任と、子供と一緒に文化を体験する必要性が問われているとき、障害児はその家族や兄弟姉妹と共に図書館の活動に参加することが可能になるのです。 グラッドサックセ市図書館やデンマーク盲人図書館の行なっている障害児とその家族のためのウィークエンドプログラムはその良い例です。そして、そのような文化活動はその地域に住む児童やその家族にとってもお互いに出会う好機会でもあります。
実際の来館とその利用
大切なことは、障害児が図書館に来て、他の児童と等しく文化活動に参加できる事です。そのためには、明確な意識と目的をもって設備や情報機器が開発され、障害をもつ児童も他の子供たちと一緒それらを楽しむことができるということです。
さらに、この試みは児童の自由な発言が、21世紀に入ってからの文化と知識のコンセプトにおいて重要な要因であることを念頭に入れて遂行されるべきでしょう。国連児童憲章とわが国の児童文化政策答申案でもこの、児童がさまざまの機会を通して情報を受け取ったり、発信したりする権利を認めています。
キアステン トロットナー教授(註参照)もこのことを明言しています。教授はつぎの要因が強く関連づけられていると言っています。すなわち、アクセス、理解力、そして、児童の美に対する感性であります。記号とメディアに囲まれた現代社会においてトロットナー教授は図書館を文化の井戸として新生させるためのメッセージを持っていますが、私もこの考え方に賛成です。
容易なアクセス
近年、メディアは図書館が本来の図書館としてと同時に、現実的空間として新生するために重要な役割を果たしています。また、技術的アクセスも図書館の存在をより身近なものにする必要不可欠です。
障害者のための機会均等センターは障害者を当初から一般の利用者と全く同等の利用者グループとして計画に入れることを奨励しています。 そこで図書館協議会は新しい方法、システムの研究と開発に力を注ぐための開発プログラムを発足させました。
図書館が、全ての児童が世界に翔び立つ港の役割を果たすためには、これらの児童が容易にアクセスすることが先決であることに疑いはありません。
児童に関連する文化政策の促進
過去4年にわたって、児童文化政策答申案は児童文化事業プログラムで、組織や部署を巻き込んだ共通の案件になっています。このことはまた、地方自治体にとっても政策目標を立て、価値の位置づけをおこない、方法と戦略を編み出すことが課せられます。それと同時に個々の図書館も自治体の開発作業に他の関連グループと協調して参画することが要請されます。
私は政府の答申案が、特定の児童文化事業政策を提案するのではなく、むしろ児童向け文化事業政策の必要性を指摘しているところを評価します。なぜならば、これは文化事業に携わる者が児童に関心を向ける好機だと思うからです。
方法や戦略は多様な利用者グループがなにを求めているかという視点にたって立案、評価されるべきだと思います。すべての児童を対象にした児童向け文化事業政策では、それぞれに異なる障害をもつ児童グループが他の一般児童と広い意味で、同等、かつ同様のサービスを受けることをいかにして保障するかを念頭に入れておかなければなりません。そしてもしこの建設的意図が、障害をもつ児童とその家族のための生活に、現実的、かつ要請に見合った恩恵をもたらすものと合致するためには、縦割り行政を超えた大胆な競合開発と協調作業が要請されます。
図書館協議会における共同作業においても、障害をもつ児童が文化活動に等しく参加できるよう前向きにその権利を保障する方向で行なわれなければなりません。そして例えば、国際、国内、職業、地域レベルの目標をはっきりと示した具体作業を通して行なうことが肝要です。それと同時に、個々の図書館が児童やその近しい成人との緊密なコミュニケーションを通して児童に働きかけ、啓発し、展望をもたせ、将来設計にいたるまでもっていくことも大切なことです。
ベンテ ブックヘーベ (1954年生まれ) 図書館司書1978 1999年より図書館審議会 図書館アドバイザー
参考文献
- 「障害児童の文化への参画に関する一考」文化省発行 コペンハーゲン 1997
- 「児童と文化」 政府の児童文化事業政策に関する答申」文化省発行 コペンハーゲン 1999
- キアステン ドロットナー著 「図書館とメディア: 児童と青少年向け文化政策戦略に対する4つの提言」文化省と図書館審議会への覚え書き。図書館審議会 コペンハーゲン2000
- 「障害児童と文化、その実行計画書」 文化省 コペンハーゲン 1999
- 「地方自治体とその将来: 地方自治体の将来展望に関する討論記録」全国自治体連盟 コペンハーゲン 1999
- ニルス ハートマン編 「児童の権利に関するコンベンション」コペンハーゲン 1991
- www.handicap.dk- 共同生活 障害者協会 (DSI)
知られざる多くの知恵と工夫
特別の援助を要する児童への文化サービスは一般の公立図書館で受けられるべきだ。児童図書館は遊びと仲間意識を提供するところであって、教育とは分野を異にするものだ。いまこそビジョンをもつときである。しかし、我々には障害をもつ児童への適切なサービスに関し、その共通知識に欠けている。研修会やコンピューター資料バンクの必要も生まれている。 隣国を視察訪問するなかで、目立たないながらも、注目すべき発見がある。手で触れることで読み取る本、りんごの形をした感性図書館等などがそれである。
トーヴェ ロード 教師 児童文化
今世紀に入って公の政治的機関で児童の文化に関する意見に焦点が当てられている:
児童の文化審議会がある。 文化省の一作業グループで、従来の精力的な「カルチャーズ チルドレン」を引き継いだもの。
「児童文学センター」では児童文学を研究、育成することを目的としている。
「児童文化ネットワーク事務局」があり、児童文化に関する国内の研究、教育分野の相互研究作業を促進し、立ち上げることを目的とするもの。
「政府の児童文化事業政策に関する国会答申」では、つぎのような先行目標がある: 「すべての児童の文化を享受する機会を促進すること」、「すべての児童は文化的遺産に容易に接することができること」である。
そして、2000年、春に図書館事業に関する新法が採択され、その最初の条項にいみじくも、図書は均等に整備が提供されること、すなわち、図書、雑誌、音のでる本、その他、適切な図書、例えば聴覚図書やコンピューター情報リソースなどである。
障害のある児童はどこに位置付けられているか?
障害をもった児童や、特別の配慮を必要とする児童はどのように考慮されているのだろうか? 政府の児童文化事業政策答申のなかでは「すべての児童」のなかのマスの一部として位置付けられているか、あるいは図書館事業法第15条で次のように書いてある。
「デンマークの盲人用図書館は公立図書館に対し、盲人、弱視者、読字不能者、その他、障害のため印字図書を利用することができない、あるいは容易でない者へ情報の媒体として特別の配慮をした図書を配給すること。デンマーク盲人用図書館は国内、国外から図書を借り受け、公立図書館を通して既述の利用者グループに供すること。」
「第2項 デンマーク盲人用図書館は図書館協議会に第1項で既述した利用者グループにサーヴィスを供する際、その意義内容を周知徹底すること」
この限りにおいては確かにその通りである。ここでは図書館に一般論として、どのようなサービスが障害をもつ利用者に用意されているかを語っているにすぎない。では、アクセスに関して尋ねるとすると、「もちろん、エレベーターが設置されています」、「障害者用トイレが設置されています」、「音のでる本があります」、程度の答えが返ってくる。
すべての児童が文化的遺産に接する機会、あるいは新しいタイプの文化に接するチャンスを享受するにはまだまだ長い道のりがあるようだ。 参画とは単に来館の方法ではないのだが、しかし、それも配慮されるべきことのひとつでもある。参画にしても、来館手段にしても、一層ハンディの多い、ないし緊急を要する障害利用者をも十分配慮をしたアクセスを考えなければならない。
ヴィジョンの推進
それでも図書館事業法を何項か読み下ろしていくと、多少の視界がよくなる。>
第17項 2:「国は特別の利用者グループに対して配慮をすることができる」。
注目するならば、恐らくこの点であろう。そうなれば、ヴィジョンを遂行し、国の内外からの情報収集も遂行する段階を意味するだろう。特別の配慮を必要とする児童を対象とした文化サービスは、ある程度まで一般の公立図書館でも提供されてもよい筈だという認識を広くもつべきである そして、デンマーク盲人用図書館の中央機能を使用する前に、中央図書館レベルの上部機構があってしかるべきである。
「文化サービスは享受されるもの」という言葉を熟考するべきである。というのも、媒体手段の如何を問わず、サービスとは文字による図書媒体であるべきで、それこそ児童にとって正しいのだ」と、いまどき誰が言うだろう?
学習は他の領域で行なわれるもの
個々の課題をそれぞれの担当部所に振り分ける前に、文化サービスとは一体何であるか、ないしどうあらねばならないか、の論議がなされるべきであろう。そこで、ベス ユンカーの言葉を引用する。彼女は新しい図書館についてこのように言及している。 「大切なことは、遊びの文化と連帯意識を養い、同時に個人的感性を育成すること」としている。
有効なサービス、特に、ある特別の配慮を必要とする児童へのサービスを提供する際に、我々は彼らに学習をさせることを考えてはならない。それは他の領域や分野が担うもので、例えば、県総合センターではそれぞれ異なった障害をもつ児童を対象として多様な教育、訓練サービスを提供しているからだ。
児童図書館ではこれら障害児童も他の一般児童と等しく文化と出会い、体験する機会が与えられねばならない。すなわち、遊具であったり、文化を共有する枠組みであり、他のこどもたちとの共存などがそれである。彼ら個々の必要に応じた本であれば内容、形態を問わず与えよう。 彼らに音楽体験、ビデオフィルム、CD-ROMの遊び、読み聞かせ、観劇なども同様に有効であろう。
確かに容易な作業ではない。しかし、いくつかの分野で我々はよい結果を得ている。音のでる本などには多様で、広範な選択が可能であり、特に、視力や読字不能の青少年に適した素材が多くある。そして、徐々にではあるが、難聴者に適したビデオフィルムが難聴者フィルム ビデオセンターから出版されている。しかしながら、その他、多くの分野において、素材や共通の情報が不足しているのも事実である。
共通認識の欠如
まず最初に、共有すべき知識について少し述べてみたい:
このパンフレットは障害児童を受け入れる図書館の役割に関して、多方面からの経験やアイディアをまとめたものである。しかし、さらにこの他の知恵や経験も加味してみることもできるのではないか、と考えた。
例えば、ある調査グループを立ち上げて、国内、国外からの知識を収集することも一案である。このグループは障害児童を経験上よく知る図書館スタッフと児童の親、日常、児童と接する職業にある専門家、そして、図書館利用者の代表などで構成される。すでにある知識を生かして、図書素材の研究、購買、配備などの計画を立案をする一方、インターネット上の情報、知識の収集などがその仕事となる。
ではデンマークでは過去にどのような作業を行なってきたのだろう?
数年前、聴覚障害の児童と成人向けの部門を持った最初の図書館を実験的にオープンした。それがコペンハーゲン市、オーネヴァイにある図書館である。それはパイオニア的作業を意味し、スタッフたちは貸出す図書の素材に一体どんなものがあるのか、そして彼らの必要とするものは一体どんなものなのかを洗い出す作業であった。その後、オデンセやオルボー市も同様の部門を開設した。彼らから得る貴重な知識や経験は我々も共有できる筈である。
隠れた多くの経験
国内各地で障害をもつ児童やその親たちの間ですでに有効な知恵や経験が明らかになっているが、我々に伝わってきていないものが多くある。 例えば、どのような図書、音楽、劇場公演、CD-ROMが功を奏して、児童たちに有効な体験を与え、感性豊かな印象や洞察を与えたかなどの情報がそれである。同様の経験が、やはり障害をもつ児童たちが寄宿する施設のスタッフの間でも発見されているし、また、さまざまな障害をもつ児童たちと日々、接触している図書館スタッフの間でも同様である。
そして、そのようなヒントはさらに広範に収集することができる。例えば、博物館や美術館の学校担当員からも我々図書館員は多くの経験上の知恵やヒントを入手できない筈はない。動物園の学校担当員は? 我々は The Seventh Sky 劇団が公演「ヒムレン オヴァー ホルメン」で用いた手法を使うことはできないのか?
この公演では物語をさまざまな感性表現手法を用いて語ったものだ。
感性:りんご図書館
隣国スエーデンに目を向けると、スエーデンでは1997年に新たに図書館法がひとつ成立し、障害児童に関して第一条、第8項で次のように述べている。
「公立図書館、ならびに学校図書館は障害者、移民、その他少数グループ民族がスウェーデン語以外の言語での図書、ないし、彼らのハンディに対応する図書を提供する使命を担う」とある。
ただし、スウェーデンで注目すべきは、この法律だけでない。
ヘアヌサンドにあるのだが、3メートルもの高さの赤いりんごが目に付く。これは障害をもつ児童への図書館サービス事業の一環である。特にこどもの関心を引くのが、その形状だけでなく、むしろその感性体験にある。「りんご図書館は1992年に、いくつかの障害者団体とイギリスのベヴァリー マチアス女史の共同作業で建設された。 彼女は開館に際してつぎのように語った。
「障害をもつ児童もすべてそれぞれの能力を備えて生まれてきている。それ故に、彼らは近隣の社会に参加し、そこに貢献するために存在する。」
この町にはクリスティナ スクールがあり、ここは失聴、ないし難聴の児童が学び、そこと図書館との間には実に自然な共同作業が営まれている。さらに、そこにはネットブッククラブがあり、パントマイムの夕べなども企画されていた。
触って読む本
デンマーク盲人図書館に匹敵するスウェーデンの「お話ボックスと点字図書館」では近年児童用にさわる絵本を制作してきた。原本がしばしばさわる絵本に模写さ れる。図書の文章は原則として点字、ないしマグナプリントに転写される。 レリーフ画はさまざまな素材に転写され、コントラストのある色調に印刷される。これらの図書は視力に問題のある児童向けにTBPで貸し出しや販売がされているし、図書館でも購入することができる。ノルウェーでもこの種の絵本があり、手作りの奇跡とも思える物語絵本で、視力を損ねた児童や、盲目、ないしその複合障害を負った児童用に制作されている。
例えば、アネッテ ディーセンの「シリと小羊」がある。親羊は小羊に十分のミルクがないので、シリは小羊に哺乳ビンからミルクを飲ませなければならなかった、という話だ。本そのものが哺乳ビンの形を成し、布部分は羊や小羊の皮革で縫製されている。文字部分は読みやすい通常の文字印刷と平行して、点字印刷されている。アネッテ ディーセンはその他にも多くの布製絵本を制作し、そのいくつかを私はオストフォードの図書館で目にすることができた。
ノルウェーには、ニナ アス クビックがセンター長をつとめる、IBBY障害児図書資料センターがある。1997年以来、隔年で障害児童のために、(世界中のIBBY支部から集めた)推薦図書 巡回展示会とカタログの制作が行なわれている。これらの本の分類としては、障害のある児童のために特別に制作された本、手話のイラスト入り絵本、点字、な いし絵文字のついている本、さわる絵本や、知的障害の児童や青少年向けのやさしく読める図書などがある。さらに、この他に、一般の絵本の中からも、芸術的、ないし文学的感性が特別の手助けを供する絵本や、さらに、もうひとつのジャンルとして、彼ら障害者がストーリーの中に物語られている本もある。
イギリスからのヒントと研修
英国のREACH: 読書障害のある児童のための国立支援センターがあり、そこのリーダーは前述のベヴァリー マティアス女史だが、そこには学ぶべきいろいろなヒントがある。
「REACHの目指すところはさまざまな要因、すなわち、身体的、認知的、知的障害、さらに学習障害によって本を読むことが難しい子供たちの教育上、及び余暇の読書能力を増進させることである。」と、序文で書いている。
ここには8000冊もの児童図書が収められていて、さまざまな種類と素材の物があり、また、ビデオやコンピュータープログラムもある。 さらに、ここでは読むこと、書くことが困難な児童、他者とのコミュニケーションが難しい児童などと接するスタッフのための研修コースがある。このコースでは例えば、ことば遊びであったり、読み聞かせであったり、詩を用いたりする試みがなされている。
公立図書館の課題
この視察、研修を通して次に提案したいのは、障害児に対する文化サービス事業を異なるタイプの図書館同士でどのようにその責務を分担するかという点についてである。先ず、図書館の既存の素材で、児童個々の必要に応用されるものに対してさらなる知恵や、知識を共有するための支援が必要である。この知恵、ないしヒントは図書館相互の情報交換や研究会などを通して可能になる。
この他に、音のでる図書や、難聴児童のためのビデオ図書があり、さらに「遊びと学習」のための素材、特に、感性を刺激するために適切な遊具が望まれる。
また、感性表現のためのある程度の基準作りに取り組む必要、すなわち、いろいろな読み聞かせなどに有効な視覚図書や、触る図書を備えることも有用であろう。もしデンマークに将来、手で触れる視覚図書の国内開発、ないしノルウェーやスウェーデンと協力して開発できれば、図書館の大きなサービスになるだろう。
そして、頻繁ではないにしても、特定の障害児童のために芸術プログラムもあれば理想的である。
「紅いりんご」図書館をデンマークで手懸けるのは誰?
包括的問題点の業務分担について先ず述べなければならないでしょう。先ず、コストのかかる、入手しにくい図書素材を購入し、調達するための上部機関の設置が考えられる。当然それは中央図書館が担う分野であろう。 ある意味では、中央図書館はネット上で経験や知識の情報収集の課題も所轄として担うことになるだろう。
「紅いりんご」図書館第一号は中央図書館の中の一図書館から生まれることも考えられる。つまり、さまざまな支援を必要とする障害児を対象に文化サービスを提供することに力を注いできた、そのような図書館であるかもしれない。
さらに可能性として、図書館協議会が、ある程度の規模をもち、他の児童文化事業をおこなっている団体などを視野に入れることもあろう。そのいずれにせよ、図書館協議会が開発資金を出すことのできる関連プロジェクトが多々あることは確かである。
デンマークの図書館やその他の団体はメディアの開発にすでに十分の用意ができており、さわる絵本図書、手話図書、点字図書、CD-ROM図書などもある。
さらにDBBも情報収集に一役買うことができる筈である。
たとえ障害を持っていても、これら児童は芸術や文化の刺激に接し、挑戦することで図書館に利用者として常にそこにいて当然なのである。
「こどもたちを暖かく迎える場所」
註:
- www.boernekultur.dk
- http://info.dpb.dlh.dk/cfb/index.html
- http://www.dpu.dk/sebnet/
- www.kum.dk を参照
- www.bs.dk を参照
- http://www.acu-vejle.dk/
- Citeret fra Bibliotek for alla 1/97
- カリン ヴェスタロンド著:「A red and delicious apple library」 Skandinavian Public Library Quarterly 3/98 p.25-27.
- www.tpb.se
- ニナ アスクギック レイダーソン:「障害をもつ青少年のための本」1999, 「シリと小羊」 Solum社 オスロ 1998
- www.ibby.org.
- www.reach-readin.damon.co.uk/
トーヴェ ロド (1950生まれ)図書館 司書 1974. デンマーク ライブラリースクール 文化とメディア研究所、児童文化 教師
魚は自転車ではないのだ!
女性開放運動が盛んな時代、よく居酒屋などの女性用トイレットの壁にチョークで書かれた文字にこんなのがあった。 「男がいない女は自転車をもたない魚同然、どちらも不必要!」 障害をもつ児童もこれと似た状況にある。(注:障害者にとって必要と考えているものが、必ずしもそうではない、という意味。) もし彼らが同等の権利をもつならば、そこには異なったアプローチがあるべきだ。
ラース オーゴード 児童図書館 リーダー
図書館が障害をもつ児童とほかの児童とを同等に扱いたいと思うならば、そこには違った方法がなければならない。情報交換も重要な要素で、同時に図書館スタッフどうしの外部ネットワークも同様である。
最初のコミュニケーション:最初に児童と出会うとき、年令については一切考慮するべきではない。
例:私がまだ若く、経験も浅い児童図書館員としてソナボーで働いていた頃、ある特別児童施設で、未発達児童を預かる幼稚園を「幼児の歌と遊び」に招待したことがあった。私はそのこどもたちが5才から7才であることを知っていた。しかしそのゲームは1才から2才の幼児を対象にしたものだった。その共同作業の際の条件は、児童を引率した先生方の率直な意見を聞かせてもらうということだった。私のしたことで、何が正しかったか、何が間違っていたか、何を考えるべきが、そして何を変えずに続けて行くべきか、などであった。そしてもし先生方が評価してくれることがれば、それが即、こどもたちへの伝声管になり、おおいに役に立つことになった。当時、私は実に多くを学んだと思う。
自分に自信をもつこと
当時、彼らが私に教えてくれたことに、自分に忠実であり、そして自信をもつということ、過去の経験を辿り、時代の流れをみて、時と場所を逸するな、ということだったと思う。視覚化ー語りたいことを視覚に訴える、そしてそれを繰り返し行なう。時間は十分ある。目を使え:こどもたちは、こちらのすること、伝えたいことを見て、語り始める。
自分が作れない治療薬を、他の者が作れるならば手を組め: 長年私は小さなねずみを小瓶に飼っている。それを使って「地下室にいるよ、炭みたいな真っ黒いねずみさんが、…」という童歌で実現に努力するのだ。
手話は広範に異なる要素から成っていて、それら形や量の中で意味を形成する。意志疎通の方法は聾唖者の数だけ無数にあると私は思う。全てに共通して言えることは理解したいと思う熱意と、他と交わりたい、そして仲間の中のひとりでありたいという、熱い思いなのだ。
失聴者特有のサイン(未知)語の基本的要素のひとつは状況説明で、先ず、我々は自分がどこに居て、誰であるかを説明する。事はそこから始まる。それは言語戦略であり、それはどんな状況においても、よしんば、失聴者がいようと、いまいと、持っていて役にたつものである。
ヒント:例:南シュレシュヴィ
2000年7月に私はシュッセルヴィのランネット シュレスヴィック-ホルスタインという地に住んでいた。そこではデンマーク人は人口的に少数派であったが、それでも117の異なるやり方、118の異なるレベル、119の異なる地域に分かれて住んでいた。発音、語彙、意味、これらが限りなく異なりながら、それでいて意志疎通に支障がなかった。大方、デンマーク語でありながらゼスチャーであったり、抑揚、ボディーランゲジ、直感、そして書きことばなども併用された。
私の言いたいことは要するに、人と交わるとき、先ずその出発点には相手がいるということ、そしてそこにはことばのさまざまな形態があるということだ。
必要不可欠のネットワーク
図書館が外部とネットもなしに図書やその他を取り揃えたところで何の意味もなさない。会合などを通して相互に情報、アイディアを交換してこそ、新しい考え方、新しい知識、そして新しいエネルギーを得るのである。そのための準備として、我々は先ず自己と向き合い、外と対話する。ネットワークは図書館でのみ入手できるとは誰も言わないが、しかし、新しい知識や洞察、そして新しい知恵が生まれる土壌であることは間違いないだろう。
例: 1980年の中頃、ソナボー市の図書館の一任務である言語素材の収集に着手した折りに私たちは専門家と一緒にグループを作り、我々の考え方や結果を検証してもらった。 私たちは彼らなしでは何も出来なかったと今にして思う。彼らは我々に、図書館が対象とするグループ、つまり、普通とは異なる人たちで、普通とは異なる支援を必要とする人たちに何ができるかを教えてくれて、見事にその仕事を終えた。
多様な対象グループに対応するために、我々は先ず、親たち、団体、専門家、学校や施設と協力して、それぞれにあった対処の仕方で平等を期してきたことを説明しなければならなかった。 健常児が普通に生活しながら学習し、発達していくに対して、障害児童の多くは時間をかけて、しかも他の支援なしではできないのである。ソナボー図書館はそのような支援をする図書館として今後もあり続けたいと思う。
障害をもつ児童に広範で、一般論的プログラムを用意しても、意味がない。対象となる児童グループをきちんと定義づけ、それに即した応用プログラムがあってこそ意味がある。その上で、プログラムの内容が適当であるならば他の児童にも開放することができる。
例: ロドオーレ市の児童文化事業プログラムのひとつに最年少児童で、かなり多人数を対象として音楽ゲームを企画した。それはだれにも分かり易い、しかも安全な遊びであった。大人を動員し、ホールの床にふわふわした素材の有具を持って座ってもらい、それを禁猟地(陣地)にみたてる遊びである。ゲームはあらかじめよく説明しておき、ノートに印刷したものを配布してあった。午前中、二回、間に食事が入ったが、進行不可能とも思えるほど多人数だったにもかかわらず、実にうまく進行した。
このような遊びは、発達障害の児童でそのレベルが同様であれば、十分に広く応用されていいと思う。彼らは残念ながら、自分たちの年令に即した内容の遊びにはついていけないが、逆に、目の見えない児童(ただし、小グループに限る)には適している。失聴、ないし難聴児童には向いていないが、身体障害の児童、そして知的障害児にも有効だと思う。
手法を変えれば、結果は自ずと違ってくる。
ラース オーゴー (1945年生まれ)。 1969年 図書館司書 デンマーク シュセルビイ地区中央図書館、(フレンスボー)児童図書館主事
涎や奇妙な音声が敬遠のもと
障害者と接するとき、時間、忍耐、そして共感が必要である。どうかすると、支援したいと思う相手に対して自分の無力感を認めざるを得ないこともある。自分の限界を超える勇気と力が要るのかもしれない。相手を同等にみるということは何を意味するのか? 間違った親切とは何か?
シャロッテ プレンゲ 図書館副館長
近年、障害者にも他の一般の人たちと同等の社会の公的サービスを提供しようと、政治的関心が高まっている。
文化省はそのような流れの中で、障害者が文化を享受するための障害者プログラムを作成した。
障害者のための機会均等センターはこれに呼応して、障害者のための参画を調査、検討するために各公的機関を打診した。この中に公立図書館も入っている。
これまで一般の職場に、ある一定数の障害者を採用するということが行なわれてきたが、さらにこの法律によって、障害者がこのことのために役職においても平等に扱われねばならないことが明記されている。
視覚障害者との接触は容易になった。
障害者によっては他に比べて日常外で出会うことの多い人たちに視覚障害者がいる。
その理由は彼らは他者の助けなしに自由に行動ができるからだ。そして、さまざまな支援器具によって、例えば電子情報も入手が容易になっている。
多くのひとが視覚障害者とは容易に会い、彼らのハンディを理解することができる。その理由に彼らに対してこちら側が何者であるかを分からせることができるからである。
彼らは普通に話し、健常な身体をもち、自由に行動でき、読み書きもでき、自分の意志を伝えることができるからである。
コンタクトをとるのが困難な障害グループ
その反対が身体的、精神的発達障害をもつグループである。
彼らはしばしば我々とは非常に異なっているからである。車椅子に括り付けられていたり、話し言葉に非常な困難をもっていたり、自由に体を動かすことができなかったり、あるいはよだれをたらし、抑制不能な音声を発するからである。
彼らのことばを理解したり、会話を交わすことは難しく、我々の言うことを果たして彼らが理解しているかどうかも判らない。
多くは自分と異なる様相のひとと会ったり、自分とは異なった行動パターンをとる者に対しては不安になったり、否定的になるものだ。
私たちは障害者の行動や、彼らの発する声に驚き、よだれを垂らしていれば避けようとするだろう。
そしてそのような状況にどう対処してよいか分からずに困惑し、係わらないように思うだろう。
しかし、多くの場合、ひとは障害者ともおなじ隣人として普通に接したいと思っているのだが、どうしたらいいのか分からないのだ。理由は私たちが彼らに関してきちんとした知識を持ち合わせていないからである。
障害の違いについてよく知ろう
よくひとは他者とは違った交わり方をして、始めて皆、平等になると言う。
障害者が一般人と同様、同等の社会サービスを受ける際に、我々はそのサービスを用意し、周知させねばならない。そしてはじめてそのサービスが実際に彼らに開かれたことになる。
図書館は特に障害者に用意された多くのサービスを提供している。ただし、我々は彼らがそれらサービスを受けるために、障害のタイプや、障害者が置かれている状況に関する十分な知識をもつ必要がある。
例えば、一般の児童向けプログラムが障害をもつこどもたちにも通用すると言うのは適当ではない。
障害のある児童は往々にして通常以上に行動空間を必要とし、集中するためにはより静かで、まわりに人が多くいないことが望ましいといったことも理解しておくべきだ。さらに知っておくべきことは、健康なこどもたちは往々にして乱暴な遊びを好むが、騒々しい遊びは、たとえば車椅子のこどもや、知能的に他のこどもたちについていけない児童たちにとっては非常な不安を呼び起こす原因にもなるのだ。
これらのことを我々はプログラムを計画する際、念頭に置くベきで、むしろ障害をもつ児童や青少年のためのプログラムを別に用意することが必要であろう。2000年10月にデンマーク盲人図書館とグラドサックセ市は共同事業として「夢の図書館」をオープンした。
わかるまで聞いてみよう
障害者の言うことを理解したり、意志の疎通を計ることが大変困難なことがある。
障害者の多くは機能障害のない一般の人に比べると意志疎通にかなりの時間を必要とする。 それは彼らが必死になって自分のハンディを克服しようとしているからだ。 もし彼らの言うことが理解できないときは、こちらが判るまで聞き返すことが必要だ。ときには、彼らに書いてもらったり、言いたいことを他のなんらかの方法で説明してもらうことが必要だ。
わからないにもかかわらず、わかったような振りををすることは間違った優しさというものであろう。
障害者にも真摯な態度で臨むこと、たとえそこに限界があったとしてもだ。
障害者が付き添いを伴っているときには、その人に助けてもらってもよいだろう。しかし、視線を向け、話をしているのはあくまでもその障害者本人であり、付き添いではないことを忘れてはならない。
そして、私たちは障害者が先天的な視覚障害、ないし聴覚障害なのか、あるいはそれら障害が後天的なものかをしっかり知っておくべきだ。
さらに、たとえ障害に身体運動が抑制できない痙攣性麻痺があっても、他に優れた能力をもつ可能性もあり、我々はそれを呼び起こしていくべきだ。
発達障害者にはその年令に応じた態度で接することが大切で、彼らの知的発達をおおいに評価することも重要だろう。 彼らは、我々の言うことを驚くほど判っているのだ。 そして彼らは目の前の具体的なこと、ないし自分の経験範囲以内のことでないかぎり行動をとることを躊躇することも知っておくべきだ。
障害者たちは私たちと同様、それぞれひとりひとり個性が異なり我々同様、感じることができ、理解することもできるのだ。ただ、彼らには私たち健常者と違った生活状況にあるということを認識し、理解を示さないといけないだろう。
障害をもったことのない者とは通常このような認識はもち得ないだろう。
これは実に困難な課題である。知らなかった問題に取り組むこと、従来と異なるものの見方や聞き方をしなければならないことで、ともすると、支援をしたいにも拘らず相手との意志疎通に無力感を感じるのも当然である。その際自分の限界を敢えて超えて挑戦する勇気と不断の意志が要求される。時間をかけ、忍耐強く、そして想像と共感が要請される。
客を見下さない売り子
何年か前に私が有名な婦人服店に居合わせた時のことだった。母親が発達障害のある少女をつれて店にやってきた。当然問題が発生した。
売り子のひとりがやってきた。少女との会話にたいへんな支障があったにも拘らず、売り子は客にしっかりと対応していた。 長い、熱心な会話のやり取りがあって、その結果、買物は母親の助けや介入なしに見事に実現した。
少女は軽やかな足取りで店を出てゆき、そのとき私にはその少女の顔に自信と満足感が輝いていたのが見えた。
彼女は自分をありのままに受け入れてくれたひとに出会ったのだ。彼女は自分に真っすぐに対面し、理解してくれるひとに出会ったのだ。 彼女は自分をその年令の人間として、ただ、現実の状況のままに受け入れてくれるひとに出会ったのだ。
その少女はきっとこう思ったことだろう。「そうなのよ。もしあなたがこの次に私に会ったら、私にあんなふうに接してほしいのよ」と。
シャロッテ プレンジ (1947年生まれ)。1971 図書館司書 グラッドサックセ市図書館リーダー
ドットボットは有効?
答えは否! 年令を問わずどの児童にとっても図書館の児童向け共通ホームページ「ドットボット」はよくできている。しかし、もし児童が障害児で画面読取り装置を使わなければならないならば、来館してもそれは意味のない、しかも困惑以外のなにものでもないだろう。本来そうあってはならないのだ。ホームページに入力することが容易で、楽しいものであると同時に使い易いものでなくてはならない。
スーシ スリステンセン ITコンサルタント
ドットボットは各図書館共通の児童向けホームページにつけられた呼び名である。多様なプログラムを盛り込み、よくできた素晴らしいサイトで、年令を問わず多くの児童の双方向通信の可能性をもったものだ。
年少児向けの「よじ登りねずみのキティー」であるとか、Tシャツなどが賞品のクイズや試合をする「頭骸骨つぶし」などがある。「賢いオーエ」はいろいろなプログラムを検索できるネットガイドに入ることができる。「コンテナ コニー」ではその月のゲストがいて、児童に映画、図書、音楽、ゲームをリクエストさせたり、ほら話などを語らせる機会を与えるといった趣向のものである。さらにハイライトものに「ミス リンクス」があって、こどもたちがお互いに興味ある場所などをインターネット上で教え合って楽しむものがある。
どれも茶目っ気がありよくできたグラフィック画面になっており、それでいて漫画タッチの画面の裏には創造性があり、しかも娯楽性を真面目に取り扱っていると思われる。
全体として、大人の私の目から見て、インターネット好きの年少児童にとっては有効な出発点だろう。
すべてが障害児向けとは言い難い
しかし、私の目から見るとすべてがそれほど創造的だとは思えない。もっと適切な形容のするならば、「能力開発指向」とでも表現できようか。例えばこどもに多かれ少なかれある障害をもつ場合、その種のプログラムは良しとしないだろう。
障害者の参画がどうあるべきかを語るとき、サービスが障害をもつ者が、もたない者と同じ条件で享受されるかどうかが問題になるので、例えば、ホームページを開発する際に先ず、障害者の存在をたえず念頭に置いてしかるべきであろう。とくに、障害をもつ利用者はどんな支援機器を利用したいと思うのか、そしてその際にどのような要求がさらに起こってくるのかを予測するべきだろう。
盲人利用者は当然、画面読取り装置を必要とするだろう。画面上の表示を読取り、それが音声合成装置に送られ、読みあげられる。このほか、点字ディスプレイ装置もあり、これによって、情報が点字に転換される。
私はむしろこのレポートで、障害を軽減する応用機器について考えてみようと思う。これは盲人にのみ使われる機器である必要はない。最近の改良著しい音声合成装置を使えば、画面読取り装置は他の読字能力障害者にも役に立つことが分かってきている。
たとえホームページが使い易くても、面白いものでなくてはならないことは言うまでもない。ドットボットのようなサイトは当初のデザインを変えることなく障害児にも使用可能だ。 ただ、そこには常に少数グループの利用者、すなわち障害者がいることを忘れてはならない。
ドットボットについての問題点を挙げるならば、いくつもその例を見つけることができる。ここではいくつか深刻な例を挙げてみよう。
「どくろ砕き」の欺き
もし盲人利用者が「どくろ砕き」をクリックすると、すぐ判ることは、画面片側に三つのリンクがでて、「表紙にもどれ」、「クイズ3/スタート」と「kk/form]と出ている。もし「「kk/form]リンクを選んでしまうと勝つ可能性はありそうもない。「kk/form」は画面読取り装置がリンク上で他の情報がないために、http-アドレスの最後の部分を適切なタイトルと読んでしまうからだ。
盲人利用者は勝負に勝つための基本的情報を取り損なっているのだ。しかし、ここでHTMLにちょっと書き込んでやれば簡単に問題は解決するのだ。(コンピューターに詳しいひとには実際には次のようになる:〈a href=”form.htm”title=”vind”〉
それでも好奇心をもってこの不思議なリンク「kk/form]を選ぶと、つぎのページに進み、質問に正しく答えるとTシャツがもらえるのだ。それぞれの質問の答えには三つの選択肢があって”ラジオ ボタン”と呼ぶものをマークして正解を探す。 これら一連の作業はマウスで簡単に操作できるのだが、目の見えない者にはマウスが使えないのだ!
盲人利用者では先ず画面読取り装置が質問を読取り、その後、回答可能1が表示されるのだが、そのあとにラジオボタンがマークされたかどうかが問題になる。ふつう我々はマウスの矢印を、選びたいと思う、つまり正解だと思う場所のラジオボタンのところにカーソル移動させるのだが、ここでとんでもないことになる。つまり、目の見えないこどもは見事、そこで欺かれることになる。ふつうならば我々は選択肢の前面にラジオボタンをもっていく。そして、「最初の(一目)で惚れる」をマークすると、画面読取り装置は「君ひとりだけ」と理解してしまう。
これでは盲人利用者は正しく回答することが不可能なのだ。かれは自分が正しいと思っているのとは違うことを常にしていることになる。
(技術的関心のある人のために:ミスを避けるために基本的操作とラジオボタンを該当するテキストの前面にセットすること。この種の誤解を避けるためには基本操作〈label〉を参照。表示されるテキストに沿って正しくインプットしてください。)
実に難しそうに聞こえますが、要するにコード表示がそのようである限り、こどもたちのTシャツを勝ちとる夢は無残にも欺かれるのだ。
本当に賢い児童のための「賢いオーエ」
このプログラムは図書館の児童向けネットガイドで、児童はことばを書き込むか、検索したいテーマの頭文字にクリックして情報を得るというもので、例えば、Aの頭文字に入力すると、(文字が見えるという前提)Aで始まるテーマのリストが得られる。そのテーマをクリックすると、そのテーマに関する情報のホームページがでてくる。
これに対して画面読取り装置を使うとつぎのような馬鹿げた体験をすることになる。(読者はこれを読む必要はないが、一覧して欲しい):
- "Untitled - link: tilbage til forsiden - link:
- klogeaage/left・1-link: klogeaage/left・1 - link:
- tilbage til forsiden - link: tilbage til forsiden-
- bogstaverne A-| laeses som links - edit-felt-soeg
- knap - link: vis underniveau - link: vis under
- niveau - link: vis underniveau- link: vis under
- niveau - link: vis underniveau- link: vis under
- niveau - link: vis underniveau- link: vis under
- niveau - link: vis underniveau- link: vis under
- niveau - link: vis underniveau- link: vis under
- niveau - link: vis underniveau- link: vis under
- niveau - link: vis underniveau- link: vis under
- niveau - link: vis underniveau- link: vis under
- niveau - link: vis underniveau- link: vis under
- niveau - bogstaverne V-A + W laeses som links
- -bogstaverne J - U laeses som links."
目の見える者にとっては驚くほどのページではないが、画面読取り装置を利用している者にとっては情報のカオスである。非論理的な文字の羅列と絡脈のない語群、すべてのテーマ語に同様のテーマ、つまり”vis underniveau”が表示されている。
(恐らくプレイヤーは ”タイトル”をクリックし、マウスを使ってテキスト表示を引き出したのだろう。”underniveau”であることを表示するために、この操作をすること自体不必要な手順であり、また、支援ボックスを使うとさらに悲惨な結末に接続される。リンク上で ”タイトル”をセットすることは往々にして有効だが、この際、”タイトル”は何が引き出されるかを明示する必要があろう。
「賢いオーエ」ネットガイドを開く盲人利用者は賢いオーエ以上に賢くあらねばならないというわけだ。そして、もっと重要なことは、これほどのことを必要としないということだ。単純にコードで検索するだけでも十分なのだ。
弱者は誰?
図書館のホームページに参画することがそれほどに能力開発に有効であろうとすればするほど、障害のある児童にとって、自分たちが実に弱い立場に置かれていることを感じてしまうのだ。 これは平等ではない。障害をもつ者にとってのホームページにはそれ相当の配慮が十分にされてはじめて、彼らにもサービスが開かれたと言えるのだ。
先ずは海図の読取り
グラッドサックセ市の特別プログラムの実践経験から。こどもをその障害タイプによって分けることの意味? 年令制限? 兄弟姉妹の同伴? 手話通訳の必要?
キルステン ヘーヴェルンド 図書館司書
ひとつに海図を読み取ること、それから船が出航する、つまり、ひとつに前向きの意志、そしてもうひとつにプランを遂行すること。
グラッドサックセ市での障害をもつ児童や青少年向けの特別プロジェクトは細心の配慮をもって計画されたものだった。
政治的に整合性があるか、理論と実践の調整は? もし理想と現実があい伴わなければ何にもならないのだ。
成功への鍵は、自分が何をしようとしていて、その動機は何かを明確にしていなければならない。そのために状況把握と必要な調査をしておかなければならない。
ときには、ひとつの疑問に複数の回答があるかもしれないが、それもそれぞれ試してみることが必要だ。
- ●障害者は一般のプログラムに参加できないのか?
- もちろん障害者でもそのようなプログラムに参加できる。しかし、問題は彼らが参加しないという点にある。
- 通常、一部の人は来館して、図書や音楽、あるいは音のでる図書を借りに来るし、言語関連の特別図書も利用している。
- しかし、特別プログラムなどを組むと、障害者は来ない。ここに問題がある。
- ●(障害者)隔離計画?
- いいえ、違います。障害をもつ児童の親たちは特別プログラムに積極的に取り組む私たちの姿勢に対して、そのような受け取りかたはしていないばかりか、むしろ前向きの評価をしてくれた。
- 「来館し易い」
- 「こどもが自然体でいられる」
- 「こどもが神経質になってもきても、出ていくタイミングが難しい」
- 「早めに去ると、こどもは自分がやはり招かれざる客だったと感じる」
- 「通常健常児が優先される」
- 「騒々しい」
- 特別プログラムの必要性への予見はこのような多くの親たちからの率直な意見に支えられた。
- このようなプログラムに、障害のある児童や青少年は常に積極的に参加してほしいのだ。どちらかひとつというのではなく、どちらも可能なのだ。
- ●障害児どうしが一緒になることを彼らはどう思うか?
- お互いを受け入れていることが生き生きと観察される。
- ひとりのダウン症の少女は手品師の魔法のような手さばきに大喜びをし、脳性麻痺の少年がトム マックエヴァンのドラムにあわせて太鼓をたたいたり、目の見えない少 女がシグルド バレーにあわせてピアノによじ登って弾いたりしていた。 彼らの創造能力は疑いもなく発揮されていた。
- ●障害のタイプ別に分けたプログラム
- 考えなければならないことがある。つまり、もしあるタイプのグループを作ると当然そこに入る者を選ばなければならない。もしかしたら、正しい選び方がされるかもしれないが、もしかしたら、そうでないこともあり得る。当然のことながら、人的、経済的負担も問題になってくる。
- 経験から言うと、ある特定のタイプの障害に対して個別のプログラムを設定する必要がないことが分かったが、しかし、それでも考える余地があるのも確かである。視覚障害者と聴覚障害者の状況が同じでないのと同様に、ダウン症と脳障害にも違った状況があるからだ。
- ●年令別プログラム
- 12才の脳障害児と7才のダウン症児の年令は何才?
- 我々はそれぞれのプログラムの内容について質問リストをつくり、児童の親たちに評価をお願いした。つまり、彼らのこどもがどんなプログラムに喜んで参加したかを書いてもらった。
- この調査には家族全員に協力してもらい、年令に関係なく、兄弟姉妹にも評価に協力してもらった。
- 結果は、親たちが非常に積極的に協力してくれたことだ。 その際、重要なことは、スタッフがグループ別プログラムにも個々にスタンダードがあることを学び、通り一遍の調査回答ではなく、その内容をしっかりと分析することだ。 そこから、信頼が生まれ、そして、親と子とスタッフの理想的な連携が得られるからだ。
- ●平日のプログラム、週末のプログラム
- 計画をたてる際先ず対象とするグループを明確にしておくことが肝心である。親のことを考えると、週末がよいだろうし、スタッフの側からすれば、平日が望まれる。当初、すべての家庭と連絡をとった結果、計画を週末に設定することになった。 終日ケアの施設の児童たちもこのプログラムに参加した。その際に気がついたことだが施設側には時間刻みの日程表があり戸外のプログラムに参加することに支障があった。
- ●兄弟姉妹・祖父母などの参加
- 当然のことながらスペースが限られている。
- しかし、家族の共同参画が重点がおかれれば、親や健常の兄弟が参加するのは自明であろう。
- また児童の祖父、祖母が親の代わりになることに問題はない。
- 遊びともだち、クラスメート、従兄弟、従姉妹の場合は今のところ共同参画の意義をみないが、これも必要とあれば、考える余地がある。将来的にみて障害児と健常児が特別プログラムであっても半分づつの割合で行なうことも可能だと思う。
- ●内容は?
- 我々のプログラムはその形式、内容ともに色々あり、様々な角度から試みてきた:教育的観点、人気のあるもの、特殊なもの、一般、ないし専門的視点から検討してきた
- プログラムが何であれ、経験が何よりも役にたつ。内容の選択には何を達成目的にするかを考慮して選ぶことが大切である。相手が幼児であるのか、学童年令児なのか、あるいは青少年であるのかも検討事項であり、また、発達障害児なのか、身体障害児であるのかでも違ってくる。さらに、物語を聞かせるのか、むしろ音楽的手法をとるのかなど、どれにしても自分の経験がもっとも生かされるところである。
- ●芸人たちにはどのようなことが望まれるであろう?
- 観る者を楽しませることは言うまでもないが、ステージからおりてこどもたちと直接対話することが重要である。特に、障害児の場合はこのことは一層、重要になる。
- アーティストは彼らに話し掛け、状況によっては、こどもたちに辱めだと感じさせることなく、場面を楽しいものに変えるなくてはならない。即興する能力は誰もが持ち合わせているわけではないし、プロの芸人でもなかなか難しいことなのだ。
- プロであれば準備の段階でいろいろ予備知識を計算に入れどんな場面にも対応できるだろう。プロとしての可能性と限界も知り尽くしているだろう。ただ、プロであるがゆえに他との契約舞台があったりして、いつでも可動が可能ではないだろうし、間にマネージャーを介さなければならないこともある。特定の目的をもった企画であれば、時間をかけて打ち合せをすることも容易ではないだろう。
- アマチュアを依頼する場合、あらゆる情報を前以て知っておいてもらう必要がある。アマチュアであるがゆえに、プロのように道具、備品、機具、運搬が揃っていないだろうし、また、メディアに流す宣伝、広報資料、写真などを調達することが難しい。プロを呼んでくるか、アマチュアを要請するかは当然、大いに財政に関係してくる。
- ●通訳は必要か?
- 手話通訳の起用は単に通じさせるということだけでなく、芸人の舞台を生き生きと、そしてドラマチックに演出するために一役も二役も買わねばならない。
- 聴覚障害児たちが親たちと一緒に楽しみ、また、親の側からすれば、子のために通訳する必要もなく、我が子と一緒にリラックスできる数少ない機会なのだ。特に発達障害児たちにしてみればその話の内容をさらにドラマ化することがおおいに有効であるからだ。
- 通訳は前以て内容に関して資料、ないし情報を得ておくことも必要だろう。芸人も通訳がいることを知っておくこと、しかし、通訳には特別の意識をするべきではないことなどを予告しておくことが大切である。
- 「私たちがいると、大概のひとは敢えてゆっくり話そうするが、それは必要ないことです。」と、通訳たちが言う。
- 舞台が始まる前に、通訳が登場すること、なぜ通訳が要るのかを観衆にあらかじめ言っておく必要があろう。
- ●財源と人材をどのように優先させるか
- トップクラスの質の高いものであらねばならない。とくに、障害児童のことを考えるとき、それは必至である。 彼らを対象とする企画はそう沢山にはないからで、だからこそ良いものを体験させなければならない。
- だからと言って資金面で不必要に慎重になることもない。順当な予算で企画することが可能であるからだが、その際、起用する人材を周到に選ぶことが大切だ:市場をよく調べ、適切なアーティストを人選し、契約を結び、招待状、宣伝広報などが準備怠りなく行なわれなければならない。プロジェクトを立てるときのさまざまな問題は誰もが経験することだ。しかし、障害児を対象にする企画には周到な準備、しかも最初の時点での準備が肝心だ。
- 企画で、それが展示を活動が組み合わされたものであるとき、予測の難しい細かい要素が多々ある。そのため、図書館側はかなり柔軟に対処する用意がはじめになければならないだろう。プロジェクトに携わる人間も余裕をもって、ときにはコーディネーターには何かの場合、すぐにも交代でくる人材を用意しておくべきだろう。
- ●広報活動
- 問題は先ず、地方自治体外にもPRすることを望むのか否かである。
- そして、メディアに訴える必要の意義を明確にしておくこと。言い換えれば入場券販売のための宣伝なのか、それとも、自治体住民に彼らの税金がどのように使われているかを知ってもらうためなのか、または、政治家向けに図書館の予算獲得のためのアピールをしたいのか、などである。
- このように障害児向けのプロジェクトを立てるとき、さまざまな動機が重なるが、その際にも、スタートラインでPR戦術を考えておかねばならないし、そこには多様なメディアがあり、全国紙であったり、地方紙、ラジオ、テレビであったりする。
- どのメディアを選ぶにしても、下手な鉄砲打ちのように照準を定めずにPRをながすより、むしろ選ばれた、確実なPRチャンネルを使うことが賢明だ。
- 第二弾:どのような方面に、どのような売り方をするか? コネがあれば、それを使わない手はないが、数には限度がある。メディアを買収することも不可、昔のよしみも程度問題となれば、やはり口コミが最高の手段であり、雀の口が賑々しく、そして効果抜群である。ひとりが評判を聞きつけ、それをもうひとりが噂で広げる! 要はお話のエッセンス!これが悪ければどんなお話も底をつく。そして我々の人生と世界は限りなく貧しくなるだろう!
- 図書館は語り継がれていくべき良いお話しでぎっしりつまっている。障害のあるこどもや若者もそれらを体験することができるのだ。図書館はこのことの実現に日々、努力している。 障害者のための企画の成功話しは語り継がれるべき良いお話しなのだから
キアステン ヘーヴェルンド (1947年生まれ)、図書館司書 1977年
ジャーナリズム研究 1999 グラドサクセ図書館、中央児童図書館 司書
2003年6月6日
討論、ビジョン、知識、および貴重な経験、経験にもとづく期待されるプロジェクト
- 発行者:
- デンマーク盲人図書館、グラドサクセ図書館 2001年2月
- 編集者:
- リスベット トリンスケア DBBK広報主任
- アネッテ モルク DBB広報課
- キルステン ヘーヴェルンド グラドサクセ図書館司書
- 校正者:
- キェル ラーセン DJフリーランス記者
- デザイン:
- カリナ ダーレロップ DBBグラフィックデザイナー
- カラー写真:
- MAGNESIUM
- 印刷者:
- カイロー印刷
ディスク及びカセットテープを含む本発行は図書館委員会及びヘデーニールセン家基金の支援によるものです。
本書の個々の報告書における意見・提言は必ずしもDDBの責任分野ではないことをご理解下さい。
ウェブサイト:www.dbb.dk
ISBN:87-90473-18-3