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マリタイムス2010年4月25日発行

No.128 2010年4月25日発行

 ひらひらと風に舞う桜に各地の学校で、いよいよ四月の始まりと共に新年度がスタートしましたね。 そしてマリタイムスも作り始めてから18年が経ちました。気をひきしめて四月を乗り切りましよう。

「バードウッドのマンションのお花見に参加した」

 4月の3日の土曜日に天気もよかったので、私が住んでいるバードウッドのマンションのお花見がありました。マンションの自治会の主催で行われているお花見で、私達は越して来て最初で初めてお花見に参加しました。沢山の模擬店も出てそこで無料で食べる物をもらって、桜の広場でご近所の人達とちょこちょこ挨拶やおしゃべりなどして、楽しいお花見でした。食べる物がいっぱいあって、はまぐりのおつゆにイカ焼きとかフランクフルトに、焼きそばと、焼肉にお弁当もありました。晴れていたけどじっとしているとちょっと風が出て来て、少し冷たく感じたので早めに家に戻って来ました。いっぱい食べる物をもらって食べ切れなかったので、夕飯のおかずになるなと思って、それを袋に入れて持って帰って来ました。
 携帯で桜の写真を取ってかわいい桜を待ち受けにしました。やっぱりこの季節はいいなーと私も嬉しくなりました。

「巨人のキムタクが突然、痛ましすぎる訃報で」

 2010年のプロ野球ペナントレース公式戦が開幕して、まだ十日ばかりがすぎてから思いがけない事が起きてしまいました。スマップの木村拓也と同姓同名で世代も私達と同じで、巨人のコーチをしていた木村拓也さんが4月7日のお昼過ぎに、早い37歳で若すぎる年で亡くなられてしまいました。原因はくも膜下出血で倒れて、野球ファンの私も忘れがたい悲しみだと思います。突然のニュースだったので、何とも言えない感じでした。若すぎるよなと思いました。原監督も大事なコーチを亡くした事に、いろいろ思い出があって胸いっぱいに残っていると、コメントしていました。選手たちももちろん大きな悲しみはあると思いますが、亡くなった人を追悼して、熱い試合を戦っていい報告をして欲しいとファンはそう思っています。

「作家の井上ひさしさん死去された」

 日本の平和にまつわる劇や、憲法9条を守る会の活動など幅広くやっていらした、作家の井上ひさしさんが肺がんのため4月9日に、75才でお亡くなりになられたとニュースが入って来ました。
 BSハイビジョンの100年インタビューの番組で、戦争反対や憲法9条を守るために書き続ける自分の思いや、貧しかった時代の話も細かく話してくださいました。井上ひさしさんはガンと闘っていながらも、それでも執筆を続けていてそんな人はすごい。もっと若い世代に語り継ぐようにメッセージを送っていました。

「電車で藤沢場所に行って来た、少し不満もありながら楽しく」

 四月の十日の土曜日、晴れていたので久しぶりに外の空気を吸うのにもいいかと思って、藤沢市制施行70周年記念の国技の相撲の春巡業で藤沢場所に行ってきました。知り合いの人からチケットをもらって桝席なので母の友達も誘っていきました。行く前にそこの藤沢場所の担当の人に電話で聞いて、駐車場はあるけど車椅子を止めるところはないとか、いろいろな事で断られてしまいました。しょうがなく私達は電車で行って来ました。トーナメント方式になっていて、お好み番外のプログラムになっていました。とてもいい席に当たって土俵から近い席でした。私達は楽しく見ているのに、通路に次から次へと人が通って、私達が見ている前をわざわざ通っては何の話しも聞かないような、見てもゆっくり見られませんでした。トーナメントでは結局優勝したのは、新大関の杷瑠都関が初優勝しました。携帯やカメラのフラッシュの渦で歓声が沸きました。
 丁度終わったのが3時だったので、タクシーの乗り場で鶴竜関がいて、駐車場の当たりでは琴光喜関が黒にピンクの桜の模様の着物を着て立っていたので、私が「琴光喜―」と言ったら向こうから手を振ってくれて、相撲ファンはこんなふうに見ているんだなーと思いました。風は冷たかったですが、暖かったのでいい日和でした。

「天候不順の四月の雨多すぎる、いじわるかも仕事にも行けずで」

 四月前半の天気は良くてその後から急に、季節が逆戻りになったような感じで寒い日が続くようになってしまいましたね。気温も不順で農家の人達も野菜の値上げに困っていて、売れも伸びない事に悩まされています。      この私も虹の仕事にも行くのになかなか続いて行ける日が少なく、一日の入所式に行ってからずっと行けずで、私の気分も腐ってしまいそうでした。丸々一週間は最悪でした。それにもう私はこれだけ天気が悪すぎると、自分では作業所に行くのか行かないのか決められなくて、社協の送迎サービスや、虹作業所に電話をかけるのに母はその事でイライラして、私に相談する時はありますが、それでケンカになったりしました。決まらない事に腹を立てて私に当たっては力で抑え込むなどそれに私も我慢できず、ストレスで今まで母を殴る事はめったにありませんが、今回思わず手が出てしまいさすがに怒りを爆発させて、なんと娘の私が母を殴ってしまいました。ほっぺと頭を思い切り殴って後になって、「スッキリしちゃった」みたいな感じになりました。
 どうにもこうにも天気は悪すぎて、毎回のように、もーやめてよーと言ってしまう日が続きました。ずっとうなっていた週でした。

「アイスランドの噴火で、空港で夜を明かす人続いた」

 ここしばらくずっとアイスランドの噴火の関連のニュースをしていましたが、ようやく飛行機も動き始めて飛んでくれたので、成田空港で足止めされていた人達も自分の国へ帰って、本当によかったと思います。噴火によって火山灰も降っていて回りは見えなくて、日本から観光で行っている人もいるので、環境の違いを感じたのではないでしようか。その後の噴火の状況もどこまで広がっているのかその様子や周りの風景の報告などあれば、早いニュースが入ってくるか今ちょっと気になっています。

「歌舞伎座が新しく建て変わる」

 日本の伝統芸能の歌舞伎の歴史を少しばかりですが、ちょっとご説明させて頂きます。歌舞伎ができたのは江戸時代からで、明治時代に歌舞伎座ができましたが、戦争や空襲など焼かれてしまい、昭和26年の時に今の歌舞伎座が木挽町(今は銀座)に建てられたものです。舞台の端の床やいろいろなとこが老化してきたので、取り壊して建て替える事になりました。
 今月四月まで「歌舞伎座さよなら公演」をやっていて、そこで今まで母は一年間電話でチケットの予約を何回もかけて取るなどして、電話で取れない時は自分が銀座の窓口に行ってはゲットするなど、ずっと歌舞伎座通いが続きました。母が見ている部は昼の部で、開演の十一時までに行っていました。私はそれこそいつになったら国技館の相撲観戦に行けるのかとそれがずっと気になり、何度も行かせてと言っても行かせてもらえませんでした。「歌舞伎座さよなら公演」の千穐楽は四月二十八日で、三十日に閉場式があります。
 5月からは歌舞伎は新橋演舞場でやります。新しい歌舞伎座は三年後にはできます。 先週ちょうどハイビジョンの番組で、歌舞伎の番組をやっていてそれを毎晩のように母は自分の部屋で見ていました。演目を誰が決めるのかそれも紹介がてら、花道から舞台に上がるまで着ている衣装の早変わりの紹介もしていました。自分の好きな歌舞伎なので、何回も本屋で買って来ては、研究している母です。私は「また歌舞伎の本かい!」と、ちょっとあきれてしまいます。