母親が語る『発達障害のある大学生、ユニコと歩む日々』 その6
通級ってどんなところ?
さて、2学期。状況は一変した。
担任の先生が病気で休職。別の先生に交代したのだ。
新しい先生は、通級に通うことを快く承諾してくれた。
とりあえず、週に2日、ユニコは2駅離れた小学校に設けられた通級学級に通うことになった。
朝は、父が早めに家を出て、通勤途中で下車し、送り届ける。
夕方は、弟をベビーカーに乗せ、母が迎えに行く。
当時、駅にはエレベーターもエスカレーターもなく、重いベビーカーと弟を抱えて、ふうふう言いながら階段を昇り降りしたものだ。
雨の日は本当に大変だった。
でも、通級は、子どもだけでなく親も、いろいろな面で救われる場だった。
障害のことを専門に勉強した先生がいるので、相談しやすく、具体的な支援方法が見つかりやすい。
何よりも、通級に行っている日は安心できた。
ユニコがお世話になった通級では、4人の先生が、毎日5~6人の子どもたちを教えていた。
隅々まで目が届く環境である。
だから、トラブルが少なく、
たとえトラブルが起こっても、うまく対処してくれるという安心感があった。
高学年での宿泊学習に備えて、学校に泊まったり、
畑を耕して、野菜を作ったり、
和太鼓の練習をしたり、
そんな独自の活動にも魅力を感じた。
でも、その後、特別支援教育の制度が整ってくると、
指導内容を統一し、各学級で差が出ないようにするという方針の下に画一化が進んだ。
それぞれの通級の特色が失われてしまったのは、残念でならない。
また、通級には、普通学級の先生が異動してくることもある。
必ずしも、障害に詳しい専門の先生が担当となるわけではなく、歯がゆさを覚えることもあった。
低学年の頃は、送り迎えが大変で、
ユニコだけならまだしも、1人で通学しているほかの子も一緒になると、
その子にも気を配り、時には叱ったり、助けてやったりしなければならない。
駅のホームに入ってきた電車に触ろうとする子
電車内でつり革にぶら下がって遊ぶ子
電車賃を落としてしまったのか、切符の販売機の前で10円足りないと泣く子
いろいろな子がいたのを思い出す。
みんな、今どうしているだろうか?
ユニコのように、笑顔で暮らしているだろうか?