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母親が語る『発達障害のある大学生、ユニコと歩む日々』 その18

発達障害のある子と運動 その2
体育の授業とリハビリと応援団

運動について、もう少し。

小学校の先生は、ユニコのレベルに合わせて臨機応変にやり方を工夫してくれたが、

その「ユニコ方式」が、クラス全体に適用されるようになったこともある。

ソフトボールで、ピッチャーが投げる球を打てないユニコは、

ポールに載せた球を打たせてもらっていた。

でも、ほかの子も結構苦労していることに気づいた先生は、

ためしに全員、ポールに載せた球を打つようにしてみた。

すると、これまであまり上手に打てなかった子も打てるようになり、

ゲームもスムーズに進行し、クラス全員が楽しめるようになった。

ユニコにとってやりやすいことは、

クラスの皆にとってもやりやすいのだ。

やり方が変わって、ほっとした子、つらかった気持ちが楽になった子がいたのなら、

ユニコも役に立てたのだと嬉しい。

この方法なら、ユニコだけが特別扱いされている、とクラスの子が感じることもなくなる。
(ポールに載せて打つか、ピッチャーの球を打つかを、それぞれの子が選べるとなおいいだろう。)

ユニコだけでなく、クラスの子どもたち皆が笑顔になれるのが一番だ。

ほかにも、こんなさりげない支援があった。

ダンスや踊りは、ユニコが一番苦手とすることだが、

手足を使って複雑な動きをする所は、

動かすのは手だけ、足だけにしてもらったり、

みんなの中心に立ってポーズをとるなど、ごく自然な形で、

ほかの子たちとは違う簡単な動きをする役にしてもらったりした。

親も協力を惜しまず、

運動会でソーラン節を踊ったときは、

学校に練習を見に行って動きを覚え、家で一緒に練習した。

病院にも通った。

子ども医療費の助成があるうちに、病院を最大限活用しようと考え、

小学校5・6年生の2年間、

月2回ほど、作業療法士の下でリハビリを受けたのである。

トランポリンで跳ねながらボールをキャッチ

天井からぶら下がっているロープによじ登る

吸盤を使ったキャッチボール

縄跳び

ヨーヨー

いろいろな運動を通して、筋力や、手と目の動きの協調性を高める訓練をした。

縄跳びは特に苦労したが、

小学校高学年も終わる頃には、連続して数回跳べるようになり、

要領をつかむと、跳べる回数がどんどん増えていった。

どうやら、普通の子が5歳くらいでできるようになることが、ユニコの場合は11~12歳くらいでできるようになるらしい。

握力や足腰の力、腹筋、背筋など、

技術を身に着ける以前に必要な、基本的な筋力がまだ発達していなくて、できなかったこともあったのだろう。

それがわからずに、幼い頃は随分無理をさせてしまったと反省している。

ユニコのような子どもたちの能力は、実際の年齢の7割ぐらいだと考えた方がいいと言う。

15歳だからと言って、普通の15歳の子ができることをやらせようとしても、無理な話で、

10歳くらいの子ができることを目標にする気持ちでやらせなければならないのだ。

中学、高校の体育の先生にも、担任を通じてこのようなことを伝えた。

幸い、先生方の理解が得られ、

周囲の女の子たちの風当たりは強かったが、

バレーボールではコートの前の方からサーブしたり、

マット運動の倒立は、完全ではなかったが、ユニコなりの目標は達成できたとして合格点をもらったりと、

いろいろと配慮してもらえた。

ところで、運動は苦手だが、

運動会になると、ユニコはいつも張り切って応援をしていた。

小学校4年生から3年間、応援団に参加。

これは思いがけず、いい結果を生んだ。

運動会という、普段と違う場で、

ともすれば、やることがなくて飽きてしまい(じっと席に座って競技を見ているのはユニコにとってつらいことだ)、指かじりなどの問題行動を始める危険もあったのだが、

「応援」という、わかりやすい仕事を与えられたことで、

一生懸命ポンポンを振って声援を送り、

指をかじる暇も、砂遊びをする暇もなかった。(軍手をはめていたのもよかった。物理的に、指をかじれなかったので。)

応援団は、立ってうろうろしていても、声を出していても、とがめられない。

多動傾向があり、おしゃべりが止まらないユニコには天職だ。

今、大学生のユニコは、

幸いにも体育の授業を受けなくても単位が取れるため、

もう昔のような辛い思いをしなくていい。

むしろ運動不足が心配で、

2駅先の学校まで、歩いて行ったら? と勧めている。

<ユニコからも一言>

障がいのある人への支援内容を、ほかの人にもやらせてみるとやりやすい、ということはよくある。今回紹介したソフトボールだってそうだ。私だけに行っていた方法が、ほかの人にも使われるようになったのである。こうすると、ほかの運動音痴な人も競技を楽しむことができる。ダンスを踊る時も、先生方からのさりげない支援があった。手と足を一緒に異なる動きをするのが私は苦手なのだが、それを手だけにしていいと言われた時は、どんなに嬉しかったか。(それでも大変で、あとで、ほかの人と動きがずれていたと周囲の人にからかわれるのだが。そのような心無い人は高校になってもいた。)

運動については、本人や先生方の努力がいくらあってもできないところはある。そうしたら妥協もしてほしい。何でできないのと言ったり、ほかの人と同じようにすることを求めたりしないでほしい。ほかの人と同じ目標を無理してめざさなくてもいいよって、同じ障がいを持っている人に伝えたい。何も言わないけれど、実は支援をしてあげたいと、先生だってほかの子だってきっと考えているはず。その方法が思いつかなくて、怒ったりからかったりするのだと思う。先生に直接言うのが辛かったら、療育機関を通したっていい。体育の授業は、学校に通い続ける限り、原則存在し続けるのだから、どうせなら小学生のうちから本人に合う支援を行ってほしい。

応援団は私にとって本当によかった。軍手をしていたから指をかじれないし、声を出しても何も言われないし、何より自分が出ていない競技の間も退屈にならない。6年生の時、私の通っていた小学校では応援団か金管バンドに所属しなければならなかった。私は応援団に入ったのだが、これはとてもよかった。私は聴覚過敏ということもあって、あまり金管の音が好きではない。金管バンドに入ったら、朝はもちろん、放課後、夏休みの練習もあるから、その音から逃げられない。でも応援団に入ってしまえば笛と太鼓の音だけだ。これは本当によかった。もちろんこれは私のことなので、中にはその音が嫌な人もいるかもしれない。

私に合わせた目標で、私に合わせた支援を行ってくれた先生には、そこまで行くには紆余曲折があったにしろ、感謝している。体育の先生とは、担任でもない限り、繋がりを持ちにくいかもしれないが、支援がなかったり、心無いことを言われたりされたりした悲しい思いを、ほかの人にはしてほしくない。だからこそ支援を受けさせてほしい。「気合」なんかで解決するほど、協調運動は簡単な問題じゃないことを、先生方はもちろん、一緒に体育の授業を受ける人、それにクラスのみんなにも知ってほしいと思っている。