音声ブラウザご使用の方向け: ナビメニューを飛ばして本文へ ナビメニューへ

日英シンポジウム2000「高齢者と障害者の自立と社会参加の促進:NPOと企業・行政の役割を探る」

◆「個人の役割と社会参加の視点から」

リビー・ブレイショー

リビー・ブレイショー

今日はあるお話を皆さんにお伝えしたいと思います。あるコミュニティの健康状態が、社会事業家という観点からどんな風に年月の中で変わっていったかということをお話します。革新的で統合され、かつ包括的なヘルシーリビングセンターという、ある施設が出来上がるに至ったその物語を申し上げたいと思います。ちなみにこのヘルシーリビングセンターはイギリスの政府、または地方政府によっても素晴らしい社会事業家のプロジェクトであるといわれています。さて。今日、この物語の舞台となりますのはブロームリー・バイ・ボウという町にありますブロームリー・バイ・ボウ・センターです。こちらは質の高い環境に重きをおき、また美術の素晴らしさ、あるいは色や自然の素材の素晴らしさ、また光やそしてスペースをどのように使ったら有効なんだろうかということを色々と考えた上にできたものです。このような施設あるいは場を持つことは自分だけでなく、隣人に対する考え、未来への見通し、自分たちの環境に与える影響力にも大いに関わるものです。もし、今日はもう聞くのは飽きたという方はこの写真だけでもお楽しみください。もともとの舞台はボブズパークという公園です。ブロームリー・バイ・ボウというある区域にありまして、この地域は非常に貧しく社会的にも疎外された、スラム地区でした。イギリスはロンドンの東部です。もともとボブズパークは1900年に公衆衛生上の理由で、オープンしました。当時、非常にじめじめして人々が集住しており、環境としてはあまりよくない地域でしたので病気を抱えたり、あるいは結核の人が多かったところです。彼らが一息ついたりあるいは自然の中で少しリラックスするための緑地としてスタートしました。1950年代~60年代にかけてボブズパークは街の宝でありました。この公園を管理している人物がボブという人物でしたけれども、彼は非常にいい仕事をしました。公園が常に人々にとって楽しめる所であるように手入れをしていたおかげで未だにボブズパークという名前が残っているほどです。残念ながらこの小さな公園にも波が押し寄せました。地方行政はいわゆるこういった緑地にお金をかけるというよりももっと新しい、あるいはもっと近代的なものをオープンしていこうという考えになってしまったのです。このことは地方行政が地元住民の健康に十分対応できなくなったことを示しています。いよいよボブも退職する年齢になりました。ボブが退職し、その後20年ほど経ちますともうこのかつての町の宝はただのごみだめのような場所になってしまいました。コンクリートの瓦礫ですとか、それこそ雑草に覆われ、そして地元に人々にとっては麻薬の取引あるいはすりの現場となってしまったのです。このボブズパークは地方行政の所有でした。ボブが退職をした時に市議会はやはりこれからはもっと違う用途つまりもっと近代的なものを作るためにお金を取っておこう、つまり節約しておこうということで動いたのもですから、当然、ボブの後を引き継ぐ管理人はいなかったわけです。やはりこのような公共の緑地、あるいは公園などのような施設はきちんと一貫性のある手入れをしたりしないとあっという間に荒れてしまうわけです。それは皆さんもご存知のことでしょう。その後は実は思いがけない展開を見ました。このきっかけとなったのは、この町に住む若い女性の死でした。この女性の名前はジーンです。ブロームリー・バイ・ボウセンターのプロジェクトでボランティアとして働いていました。ジーンをはじめコミュニティケアのメンバーたちはこのセンターの周りに小さな庭というか植木などを植えるスペースを作ってその手入れをしていました。メンバーには体の弱い人ですとか高齢者あるいは障害者も含まれていました。小さな小さな庭ではありましたけれども、彼らは自分たちに自信を取り戻すきっかけ、あるいは経験を増やすきっかけ、またいずれは学び、そして就職につながるような経験の場であったわけです。さてこのジーンという若い女性ですが、彼女は2人の子供を抱えていました。自分の子供に加えてさらに障害を持つ母親、アルコール中毒の父親、そして知的障害の弟を抱えていました。その上、あと2人も弟がいました。非常に貧しい環境で育った彼女でしたけれども、環境にも恵まれない上に、さらにガンにもおかされていました。そんな苦境に陥ったジーンは残念ながら専門家の色々な説明の意味がよく分かりませんでした。どんな助けを求めていいのか、どんな風に求めればいいのかが分からなかったわけです。その結果、いわゆる政府の公的なケアを受けるチャンスを逃してしまいました。彼女は結局、最終的には亡くなってしまうのですが、これはやはり専門家たちの無関心、そして無能、これによって死が早まったといってもいいと思います。ばらばらのケアシステムのせいであるともいえます。ジーンのケアの失敗は、地方行政が数多くの問題に直面しながらも自分たちの手から権力を手放したがらないという徴候を示していました。そしてその結果としてジーンのような弱者がつらい目に遭うということはもちろんのことです。さて専門家から殆ど見放されたようなジーンは地元の人たちに助けられました。コミュニティケアのプロジェクトの仲間たちが彼女に食事の手伝いをしたりあるいは身の回りの世話をする、お風呂に入れてあげたり、そういう世話をしてくれました。そして彼女が亡くなった時には結局これはどこの責任だったのかということで専門家あるいは行政たちが責任のなすりありをしたようなありさまです。ここで4つの問題があるといえます。お粗末な基本的ヘルスケア、そして安全な公共スペースの不足、そして孤立、そして公共サービスへの効果的なアクセスの不足、これらの4つが最終的にジーンの死を早めたといえます。このジーンの若すぎる死に怒った仲間たちは自分たちでなんとかしようと考えたのです。そして、自分たちで医療や基本的なヘルスケアを受けられる場所を何とか作ろう、自分たちでケアセンターのようなものを作ろうじゃないかという思いが固まってきたのです。そしてこの結果、次のようなアイデアがまとまりました。コミュニティガーデンを作ろう、そしてそれは孤立した個人やあるいはグループが会える場所にしようということです。そして年配の方があるいは体の弱った人たちにとってはほっとできる静かなスペースを作ろう、子供たちにとっては遊べる場所を作ろう、そして知的障害の人たちにとっては何か住む場所を提供しよう、このような思いは住宅協会の協力も得ていよいよ実現へと向かいました。さてこの声はようやく市議会にも届きました。市議会もようやくボブズパークの一部をこのいわゆる地元の人々に売ることに同意をしました。この彼らが作ったヘルスケアセンターは自分たちでデザインを行い、資金調達も行いました。50万ポンドは政府から交付金という形で手に入れ、そして70万ポンドは普通の銀行からローンとして借りました。そして、さらにこのローンは何とか30年間で返せるようにというような枠組みも作ったわけです。センターはメンバーが所有するという形になったわけで、このメンバーの中には地元住民もたくさん含まれていました。ですからヘルスセンターで働く医師たちは今後この地元住民たちに家賃を払うというような形になったわけです。さらにその後、市議会に対して次のような申し入れもしました。30年間の期間、この残りの公園の管理と毎年の予算を求めました。当局がいわゆる公園の開発委員会を作ったというようなことではなくて、むしろ地元住民たちが声をあげ、そして自分たちで事を起こしたという素晴らしい例だと思います。このようにして出来上がったブロームリー・バイ・ボウ・センターはいわゆる地元の住民がより自分たちで積極的に責任を取るための枠組みを作りあげました。やはりどんな環境に置かれた人々でも自分たちの世界について理解したい、自分たちの世界を何とかしたいという欲求は誰にでもあるということが分かりました。何かチャンスが与えられれば誰でも適切なサポートさえあれば、出来ることはたくさんあるということも明らかになりました。今回の例は、まさに行政が何か箱を作ってしまってそこに皆さん入ってくださいというよりは、人々が自分たちの意思で自分たちで箱を作っていったという形です。このような一連のプロセスを経ましてプロジェクトはどんどん発展しました。これは外からこうしろとあるいは何かを課せられたというケースではなく、自分たちの力でヘルスセンターを作ったのです。そして現実になり、まさにヘルシーリビングセンターということで今やイギリス政府のひとつの語彙にも加えられているような言葉です。またこれは年を経て政府も一目置くような素晴らしい例のひとつとして考えられています。ボブ公園とそしてヘルスセンターの建築には非常に多くの人たちの関わりを要しました。地元の人たち、そして市議会、そして医療機関、政府、そして資金を出してくれる機関などです。特に市議会というのが勇気のある決断を下しまして資産を、つまり土地ですけれどもこれを移してくれるということ、30年のリースで公共のスペースとしてくれるということ、そして公園のメンテナンスの予算も出してくれることになりました。こういったステップがあってよりこのセンターが資金を集めることができたわけです。これらの当事者間の関係というのは必ずしもいつもたやすいものではありませんでした。センターは、公共セクターにおいてクリエイティヴに考えようとしている人々と、規則集や官僚制度の存在にもかかわらず、事を起こす方法を探したり、国の保健省を含む、保健当局に圧力をつまりしなければなりませんでした。事業家モデルにとって、地域の人々と共に働く社会事業家だけではなく、公的機関で働く事業家公を励ます必要がありました。こういった色々な困難なことがありましたけれどもこの当事者間の関係というのは委員会のテーブルの中で解決されたわけではありませんでした。この公園を再生しようというプロセスが人々の間のネットワークを作り上げたわけです。この公園の近隣の地域の人たちというのがいわゆる市場になりました。このみんなでパブリックスペースを分かち合おうという気持ちが、自分たちで決めて何かをするようにさせました。何でこれが大事なのかボブズ公園の話がなぜこんなに意味を持つのでしょうか。イギリスにおいては、この福祉国家というコスト、特に失業ですとか健康問題、障害問題、住宅、教育のコストは非常につりあがっております。特に寿命が延びております。ですから長い期間に渡って適切な年金を受けるということが難しくなっております。特に若い人たちはどんどんと高齢者の面倒をみなければならなくなるようになっているわけです。一方、そういった若い人たちが十分な資金力を得られるだけの技術はまだ備えていないわけです。政府としては人気取りもあって税金をもっと下げようと続けなければなりません。現在は好景気であるので、政府は犯罪の率を少なくするとか、スラム街を再生する、年金を上げるとかいったことに多くのお金を費やすことができます。皮肉なことにはもう二十年も前に政府が同じこの地域で再生プログラムというのを立ち上げたわけですけれどもこれがあまりうまくいかなかったわけです。そして何百万というお金が費やされたにも関わらずこのコミュニティに住んでいる人たちの生活は変わりませんでした。ということは今回また新たな投資をしても果たして何か変わるんだろうかということです。お金の使い道を何か変えなければ、何も変わらないのではないかという心配がありました。そこで地方の自治体でさえ適切な保健福祉サービスを今日の複雑な社会に提供していくことは出来ないのではないかということがだんだんと分かってきて、それはますます家族、宗教、あるいはコミュニティのきずながこれまでのようなサポートをしなくなってきているという現状になってしまってきています。こういった状況下でこの社会事業者というのが光を浴びたわけです。つまりより高い品質のより柔軟性に富んだ関連性のある統合された顧客をベースにしたヘルシーリビングサービスというのが必要です。彼らが考えるのはつまり人々が中心となって、一人一人が他の人を動機付けるやり方でこれを進めていこうということです。つまり今までの欠乏と依存の悪循環を断ち切ろうということです。そして実際の経験から彼らは学びました。貧困から抜け出したいという人たちは自分自身がまず健康を取り戻さなければいけない、健康と福祉とそして豊かな生活をまず持たなければりません。そして自分たち自身でそして自分たちのコミュニティのために何かいろんなことができるんだということを認めなければいけないわけです。本当のニーズを分かっていない人たちによって提供されるサービスというのは役に立たないわけです、そしてずっと行列を作って国家からのサービスを待ち受けているということではこの依存の文化というのはなくならないと思います。社会事業家はビジネスの経験からたくさんのことを学びました。つまり企業家として考えた時に今までの既存の問題に新しい解決策を見出す人たちなわけです。どうやったら福祉の需要と供給におけるギャップを埋めることが出来るかということ、特に市場の原理を持ち込んで今までの官僚的なやり方、あるいは規則といったようなものから離れていこうとしている人たちのことです。この市場の力強い原理を、これは万能薬というわけではありませんが、この原理によって競争をもたらしそして標準を引き上げそして国家だけでは提供することができない高い品質のサービスを提供しようということを目指しています。アンデルメンス・モーソンという人もブロームリー・バイ・ボウセンターを作った一人の社会事業家であります。15年前に彼がブロームリー・バイ・ボウの人たちの生活を変え始めた人なわけです。そしてただ単に毎日このセンターを運営するというわけではなくてコミュニティ・アクション・ネットワークということを作りました。ここにはアダル・ブラック・ボロウさんとヘレン・テーラーさんという2人の人も携わっております。このブロームリー・バイ・ボウによる人々のネットワーク作りというのを行ったわけです。そしてより社会事業家的な人々を中心においたやり方でこれを行いました。このCAN、コミュニティ・アクション・ネットワークは、イギリスにおける2000人の社会事業家の認定に着手し、相互に支えあい、学びあうネットワークとして彼らを結びつけようとしています。今、イギリスの社会事業家がかかえている最も大きな問題の一つは孤立です。つまり彼らの社会事業家としての活動というのはあまり目立たない、社会に見えないところで行われます。そして他に同じような志を持った人たちを探したいんですけれどもそれをするための余分なエネルギーが彼らにはありません。このCANを提供していくのはそういった人たちです。同じ志を持った専門家の人たち、あらゆるフィールドからこういった人たちを探してきてプロジェクトを進めるために有効に活用したいと思っているわけです。それで我々の組織はこういった社会事業家の人たちを探してきて彼らをEメールをベースにしたネットワークで繋げるということをしております。オンラインの市場というのを立ち上げました。ここではメンバーが色々な製品ですとか知識、自分たちの技術を交換することができます。ウェブサイトはwww.can-online.olgu.ukであります。ここでは色々なものを集めることが出来ます。これを社会事業家の活動に役立てることが出来るわけです。そしてまた18の社会事業家と一緒になってCANセンターを作ろうとしております。ここでは企業や社会、コミュニティ、そして国家、国の機関というのが一緒になって彼らの経験を分かち合い、そして生活の質を高めようとしております。CANそれから社会事業家的なアプローチというのは色々な人々から興味を持たれ始めました。大きな企業、例えばBGPLCとか英国核燃料団体、あるいはイギリスのコカコーラ、ロイヤル・サン・アライアンス保険グループなどです。そしてこういったところは我々の諮問機関にも入ってくれております。多くの企業というのが自分たちの顧客のことを理解したいという意味もありまして、我々にアプローチをしてきております。そしてどういうニーズを人々が抱えているのかということを彼らは知りたいと思っているわけです。また我々はビジネスを促進しておりますのでコミュニティに置けます、ビジネスのやり方というのも彼らにとっては非常に興味があるわけです。そういった意味ではお互いにとって利益のあるやり方で我々は関係を持つことが出来るわけです。次お願いします。そして社会事業家に対する興味は海外でも起こってきております。そしてまた最近ではオーストラリアの政治家の人達と一緒にお仕事をしました。ネットワークも現在構築されつつあります。メルボルンに本拠を置きますパートナーも我々は持っておりますし、今は南アフリカの人たちと関係を持ったり、プレトリアのテクニコンというところと関係を持ったりしております。若い社会事業家を昨年我々の国に迎えられました。またポーランドにも行きましたし、そこで社会事業家のマイクロ・クレジットというプロジェクトを行いました。それからまたアメリカの社会事業家のグループとも関係をもっております。そしてCANはまた日本においても同じような関係を持ちたいと思っております。日本、イギリス、その他のところと色々に自分たちの意見を分かち合う、これをインターネット上で行いたいと思っております。そしてまたこのCANは皆さんからの興味を十分に活用していって我々自身の与党、野党にも働きかけたいと思っております。政治家の人たちは今CANがやっていることに非常に興味を持っておりますし、その革新性に注目しております。我々がどんなことをしているのかということを我々としても積極的に提唱していきたいと思いますし、こういった政治家の人たちとディスカッションしていきたいと思っております。それからまた独立したシンクタンク、デモスというところとピープル・ビフォア・ストラクチャーズというパンフレットを作りました。これはより人々を中心とした社会事業家的なアプローチということについて、そしてどのような政策変更をすべきかということについて語ったものです。そして我々の政府にとってもこの社会事業家がより有効なやり方で公的資金を使えるようにということを政府に要望しております。我々が要望していることというのは資金あるいは収入の流れというものを直接的な新しいヘルシーリビングといったプログラムに移行してくれること、そして民間セクターをより広くこの中に取り込むということ、サービスの提供だけではなくて創造的な問題解決、そして事業家としてのプログラムに彼らを引きこむということ、新しいネットワーク化されたアプローチ、特に今までの成功例、失敗例から学び、そして水平的に、対等な関係での説明を行っていくこと、仲間、同僚によるレビューを行うこと、そして新しいアプローチといたしまして地元の市議会コミュニティ等を直接こういった中に引き込むということです。新しい仕事の仕方、そして新しい資金の集め方ということを考えております。地域サービスを提供していくというのは、地元の人達が直接サービスに関わりながらコミュニティを再生していくということであります。どうもありがとうございました。