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2001年GLADNET年次総会

引き続きITアジェンダ-民間部門、助成財団、消費者の視点

講演 伊藤隆氏
日本財団 非営利セクター 基盤整備事業企画開発室 部長

公演中の伊藤氏

 私の話がこの席に果たして相応しいかどうかわかりませんが、私のおよそ四半世紀にわたる財団での経験に基づきお話をいたします。これらの見通しというより障害者支援あるいは開発協力、国際協力につきまして、若干挑発的な内容になるかと思いますが、皆さんが今後議論するにあたって、幾ばくかの材料になればと思い、話させていただきます。
仕事をしていまして、あるとき世界の障害者の統計を見ていて、あることに気がつきました。日本の障害者の統計が他の多くの国と大きく違うことに気が付いたのです。戦災による障害者の考え方について、日本では基本的なところで違うということでした。戦後50年間の長きにわたって戦争を放棄した国として、戦争による障害者はこの50年の間にいません。これが米国を始めとする大半の国々との大きな違いであると言うことに気が付きました。
少し極端に申し上げますと、気付かされたのは、障害者に対する支援策は、国家の存立基盤に関わるという事として、多くの国々にとってはとても重要なものの一つだという事です。戦争による被災を補償するために国家は障害者に対する支援策を国家、社会の基本として進めていかなければならない。それに比べ、戦争を放棄し、それを50年にわたって維持している日本はそういったところからは遠いところにあります。
障害者への支援は国家のみならず、例えば、「リハビリテーション」というものをみても、産業界にとっても同じ意味を持っているとみられます。米国の様々な障害者の支援団体の方々とお会いしていたときに、リハビリテーションという言葉の語感について、日本で使われている雰囲気と米国とでは、いかに違うかということを知りました。社会全体の雰囲気として、戦争によって障害を被った方々が、戦前に教育や研修などを通じて、国家や社会からの投資を受け、蓄積してきた資源をいかに早く回復し、社会の一員として速やかに復帰できるようにするかという考え方が強く打ち出されていることに気付きました。
私が現在している仕事は主に開発協力といわれる分野の仕事です。大きな構図から言えば北の国々が南の国々をいかに手助けしていけるかという仕事です。先程同様、きな臭いですが、戦争の話を枕に、国際協力の世界で今どのようなものがトレンドとなっているかを概観します。
まず、戦争が終わりますと、その後に、国際的な協力に基づく緊急支援が行われます。戦争という人災によって失われた、政府、社会のシステムに、他の国々の人たちが、とりあえずかりそめに補うため、手伝いにくるといった構図が見られます。
卑近な例では1945年以降5、6年にわたって日本も戦後の緊急支援を受けました。ここにいらっしゃる方々もご存じの通り、今日の日本の社会福祉の姿の一部も、そうした時代に、米国を中心とする官民一体となった「ララ物資」の提供という形の緊急支援の所産として、様々なものの源流が生まれました。
今日行われている北の国から南の国への「外人部隊」による緊急支援でみられるように、諸外国が被災国に助けに行ってからいかに早く引き揚げローカライズするかに腐心するという構図は当時も同じでした。
欧米からの物資、アドミニストレーション支援などの直接的、間接的な支援を受け、その後に復興過程がありましたが、緊急支援と復興支援時におけるの国際協力のあり方は根本的に違います。緊急支援はかりそめのガバナンスと一時的な物資の応急的な提供にとどまります。復興はあくまでも現地化そのものが中心の課題です。復興が進みますと次ぎにくるのが開発です。一定程度社会における自立性、自助性が生まれてくると開発が課題となってきます。それまであった様々なシステムや資源を単に元に復興するだけではなく、資源の分配・生産の仕方を考え直すことも同時に行い、元に戻すという作業と新しく作るという作業とが混在した、新しい形の社会のあり方を考える開発というものが進行します。
開発が一定程度進むと世の中には様々な形のリソースが広く行き渡ります。しかし行き渡り方には偏在が生まれます。人々の間にその資源の配分のあり方について色々な形の議論や争いや調整が始まります。その調整の中で人権、民権、市民の参加といったような権利を巡る動きが生まれてきます。うまくいけばいいのですが、乱開発などといったものを含め、ひどい場合は内国的あるいは国際的な紛糾、人災、天災が招来します。
簡単に図式化して申し上げていますが災害が起きて復興、開発そして災害と、元に戻る循環がおおよそ20世紀の国際社会、とりわけ南の地域において繰り返されてきた歴史と言える思います。
当然国も国際機関もNGO、NPOと言われる方々もそれではいけないという事で緊急支援の場、復興の場、開発協力あるいは権利の場において先を見越して悪循環に陥らないような動きが起きました。紛争が起きないように人々に対する啓蒙のために予防外交という活動あるいは開発について一方的な中央や上からのものでなく市民参加型開発協力の形が生まれてきています。日本でも阪神淡路震災の復興においても単なる復興ではなく開発を見直そうではないかという動きも起きました。悪循環にならないようなよりよい社会を、色々な人たちが模索し始めたというのが20世紀末から始まった国際協力のあり方でした。
開発、復興、災害支援、権利といったものはいかに世の中にある物質的なリソースを最適な形で分配するかという調整の過程で出てくるものです。一方において我々がもっと考えなければならないのはソフトの側面からみた人間社会のあり方です。それが今日言われるところの共生や文化の多様性や共存と言った言葉に表れています。
北の国々と南の国々との間で様々な形で様々な資源、リソースが取引されています。基本的に、南の国々から資源が奪われ、北の国々に吸いこまれていくという構図があります。北の国々の社会的、文化的安定を目指して、今日の世界が長い間をかけて、形作られてきました。それを是正しようという形で様々な南に対する協力があったのだと思います。
北に国々は自らの資源の配分を確保・拡張しながら、一方において北の側の社会的、政治経済的な伝統を保守するために、限りある世界の資源の割り振りをする中で南の国々から物質的な資源を調達してきました。そのような構図の中で南の国々では国際的な物資の移動を通して国際化、近代化を強いられてきました。伝統社会を、北の国々では守りながら、南の国々では壊しながら国際化がはかられてきました。
しかし、南の国々の「行き過ぎた」伝統社会の破壊や近代化は北の国々にとって不利益になることが多いのも事実です。南の国々が色々な権利に目覚めると北の国々の国益が損なわれるという事が現実に様々な場で起こってきました。
伝統あるいはそれに対置される近代化とはどういうことなのでしょうか。物の配分を巡っての問題である一方、目に見えない、伝統的な文化と国際的な社会との間の価値を巡っての問題があります。多文化社会、共生、共存という言葉に象徴されるように良い意味でも悪い意味でも、いかにうまく混在させるかが課題になります。
抽象的な話をしてきたので少し具体的な話をします。数年前にインドである訴訟が起きました。国際的な製薬会社があるパテントをとろうとしたところインドの人たちが抵抗したという話です。製薬会社はインドに元々ある民間の薬草のパテントをとろうとしました。インド社会はインドの知識層をあげて古典文学を引き合いに出して、この薬草は数千年前から人々に知られている共有の財産であるので独占的な国際的製薬会社の知的所有権は認められないということで論陣を張り、裁判自体はインドが勝ったそうです。
しかし、その後日談としてインドで言われていることは、今回の勝訴は一回限りで、インドが今後勝ち続けるかどうか自信がないという事でした。国際的な製薬会社を始めとする国際企業あるいは先進国が現在持っている資源や富をもって知的財産権が争われたときにそれに対抗するだけの組織だって整理された「知的」なるものがインドにはないのではないか。国際製薬会社がふんだんな資金をかけて作った研究資料を持ち出して裁判で争うと、それに対して対抗する術がインドにはないかもしれないとう事です。
ここにはいくつかの象徴的なことがみえます。そもそも知的財産とはなんでしょうか。世界の様々な考え方の中で、主流になってきているのは、知的財産は、最終的には人類皆が共有するべきであるということのようです。つまり、限界のある物質的資源に人類が組していくには、人類全体として、より多くの新しい知的資源を生み出し共有していくべきだということです。
しかし、あたり構わず、国家も、産業も、大量に先行投資して、そういったものを創造していくというのは無理であります。したがって知的資源の生産システムとして、個人の発明家や学者あるいは企業に託して、個々人自らの様々なリソースを先行投資させて、新しい知的産物を創造させ、そのあかつきには、成功者に、その後、その知的財産の独占権を何十年か配分するという仕組み、特許という形が編み出されました。
こういった仕組みが続き、さらにはビジネス・モデル特許のようなものが盛んになってきているのも、基本的には先進国社会がそうした資源を生み出しかつその利益の配当を享受するに圧倒的な有利な状況にあるから、と考えて良いと思います。ただ一方において、それが一方的に、後進国では不利な事かというと、そうではなく逆に、後進国にとっても有効に使えるのではないかとも思います。
最初に話しました緊急災害支援から復興開発と至る国際協力の推移は、物を巡って、時間的には少しずれがあるものの、いうなれば空間軸の上で、ある土地にないものを他の土地から持ってくるということです。一方、後半に話しました伝統社会や近代社会、近代国家といった人類が生み出してきたソフトの集大成のひとつとも言える資源というものは時間的・歴史的軸の上で移動し、混ざり合い、変わっていくものです。歴史的に生み出される資源の配分を、時間軸の上で、先に奪うか後で奪い取るかという過程と言えます。
インドの事例に戻るとインドは何千年も前から今、北の国々の製薬会社が持っている知的資源をインド社会として培ってきた財産を実は持っています。持っているにもかかわらずそれを物質的な資源という形に転換して享受できないという状況が現実的にはあります。今現在、経済的、政治的強者、歴史的にたまたま現在強く、メインストリームにある人たちが資源を寡占するという構図があるのだと思います。
人類が等しく同じ様な知的財産を持っているとするならば、一時的に偏りがあったとしても、最終的には有限の有形のリソースと無限の無形のリソースを最適に分配をしていけば問題は少なくなるといえます。長期的に見れば、いずれ南の国の知的資源も「近代的に組織化」され、北の国の資源のそれらと比べて遜色がない力を持つと言えるようになると思います。現在メインストリームにあって、いずれそれらを消費しつくしてしまう北の知的財産に比べれば南の国の財産が天下をとる日も来るかもしれません。
現に中国やインドという中進国と言われる国々がITの世界で知的資源の提供者として話題になっています。つまり、北の国である米国や日本等における知的資源の創造すなわち生産が、物質的資源と同様に、消費に追いついていない状況と言えるかもしれません。ですから、北の国、南の国という状況もいずれは変わるかもしれません。
今日は少し、争い事のような事ばかり申し上げていますが、我々の仕事はいかに争いにならないようにうまく調節し分配していくかという事です。有限な物質的資源も、現在でさえも、うまく分配さえできれば足りるはずです。翻って、より深刻な富の偏在が起きないように、これから必要なのは無形の資源であるソフト、知的財産をいかに有効に生かしていくかという事です。
私は財団の仕事の中でスタッフによくこういいます。財団の仕事は、五つの資源ともう一つの資源をいかに最適にコーディネートするかという事です。一つ目の資源は物、二つ目がお金、三つ目が人、四つ目が知恵や知識、五つ目がシステムそしてもう一つがビジョンです。全体をくくっていくのに人があってもお金があってもビジョンがなくては新しいことは生まれてきません。三つの無形の資源と、三つの有形の資源、そういったものの最適な組み合わせを我々社会は目指していかないといけません。
元々今日招いていただいたのは河村さんとDAISYの話をしていてく中から知的所有権、パテントをとったらいかがかとうい事で一つの縁が出来ました。これは単純な構図で言うのははばかれますが、障害者という方々の中から生まれてきた知的な資源です。現在何らかの尺度でメインストリームにない方々の側で、いかに多くの、無形の資源がもたれている、もしくは、使い切ってなかったりすることがあるのではないかと思います。そうした資源の一つであるDAISYのパテントを、営利セクターや政府系セクターに売ったらどうかという提案です。
今、たまたま、経済的、政治的にメインストリームにいない方々が、知的な資源の領域においてもそうであるということは間違いでしょう。むしろ、経済的、政治的、社会的弱者が持っている資源を、今のメインストリームの枠組みを通じて、いかに有効に活用していくか、それによって偏った資源や社会のあり方の変革が出来るのではないでしょうか。これはここにいらっしゃる障害者の支援をする方々にとっても課題ではないかと思います。以上、簡単ですが私のつたない経験に基づく話にかえさせていただきたいです。