音声ブラウザご使用の方向け: ナビメニューを飛ばして本文へ ナビメニューへ

パネルディスカッション
「途上国の障害分野における人材育成の必要性と効果、及び援助機関のかかわり方」

高嶺:皆さま、こんにちは。このパネルディスカッションのテーマは、「途上国の障害分野における人材育成の必要性と効果、及び援助機関のかかわり方」です。私は現在、琉球大学で教えていますが、以前はバンコクにある国連アジア太平洋経済社会委員会で、障害者支援の担当を10年以上勤めました。その関係で、現在も障害者問題を中心に途上国支援に関わっています。
本日の内容ですが、1点目は、障害者の人材育成についてです。ダスキン・アジア・太平洋障害者リーダー育成事業はもちろん、JICAや日本財団などの国際援助機関、NGOやNPOなどは草の根の支援を、そして国連でも障害者の育成を継続的に行ってきました。その結果、現在、様々な地域で障害者のリーダーが育っています。2点目に、国連の障害者権利条約です。昨年12月の国連総会で障害者の権利条約が採択され、現在批准の段階に来ています。本条約が採択されたので、さまざまな国際機関や国も障害者の社会参加、差別禁止への動きを加速させてくると思われます。そして3点目ですが、「開発」の分野における「障害」問題に対する関心の高まりです。ミレニアム開発目標達成に向けて、世界の開発機関といわれている世界銀行やJICA、JBICなども障害者支援をどんどん取り入れてきています。 今、障害者問題への 関心が非常に高まってきています。 そのような状況を踏まえて、本日は障害者リーダー育成の必要性と効果について、各パネリストにお話していただきます。本日は、各種支援機関より、世界銀行、JICA、日本財団、NPOの障害当事者団体で草の根的に途上国の当事者支援をしているメインストリーム協会、また、スポンサーである広げよう愛の輪運動基金から各一名ずつ来ていただいています。
また、午前の報告者のシャフィクさんとクリシュナさんには、午前中にうかがった成功例だけでなく、苦労されたことなども話していただきます。そして、人材育成、及び国際協力をさらに効果的に進めていくためにはどのような支援方法が必要かについて、各パネリストに話していただきます。会場の皆さんには白紙をお配りしていますが、パネリストへの質問を簡略に書いていただきたいと思います。休憩の間に集めます。
それでは、最初にJICA人間開発部第二グループ社会保障チームの池田直人氏にお話しいただきます。

青年海外協力隊の活動とJICAの人材育成事業

国際協力機構 人間開発部 社会保障チーム Jr.専門員 池田直人

池田:ただいまご紹介いただいたJICAの池田直人です。最初にお断りしておきますが、私はJICAの職員ではなく、昨年度から配属されているジュニア専門員(研修生)ですので、JICAについて全てを伝えられるかどうか分かりませんが、お話させていただきます。まず、障害分野での国際協力として最初に関わることになったパキスタンのことも含めて自己紹介させていただきます。
私は大学卒業後、民間のエンジニアとして働いていましたが、青年海外協力隊員としてパキスタンに派遣され、障害者のコンピュータクラスで指導する活動に従事しました。その時、知的障害を持った生徒が多いことに気付き、障害児教育が重要と感じたので、帰国後に大学院にて障害児教育を学びました。在学中に、パキスタンでの障害児教育に関する調査を行いました。また、2005年に起こったパキスタン地震時には、国際緊急援助隊員としてパキスタンに派遣され、援助活動に携わりました。大学院を修了後、再びパキスタンを訪れ、震災により脊髄損傷を負った患者の支援のため、フィールド調整員として他の協力隊員7名と共にイスラマバードの病院で活動しました。昨年10月からは、JICA本部社会保障チームにてジュニア専門員として勤務しています。また、今年5~6月にかけては、パキスタンで障害者支援プロジェクトの形成調査を高嶺氏などと共に行いました。

JICAの障害者支援におけるアプローチ法

それでは、これからJICAの概要について説明します。JICAは、ODA(政府開発援助)における技術協力と一部の無償資金協力事業を実施しており、開発途上国の国づくりを担う人材育成もJICAの重要な活動です。今回は、人材育成を中心にご説明します。人的国際貢献として人材派遣を累積31万人派遣、年間では専門家や調査団が1万人、青年海外協力隊員やその他のボランティアは年間2,400人派遣されています。研修員の受け入れは実績で32万人、専門職、行政官、障害当事者などは年間25,000人、ただしこのうち日本で研修を受けているのは8,000人程度です。
JICAの障害者支援の方針として、JICAが支援する国において「障害者の完全参加と平等」が実現されるために、ツイントラックアプローチという方法が採用されています。これは貧困削減やジェンダー問題の時にも採用されるアプローチ手法で、エンパワーメントとメインストリーミングという両輪を持ち、JICAが実施するすべての事業に障害者の視点を入れて支援することを目指しています。
具体的に説明すると、障害者リーダー育成などの直接的なエンパワーメント、それから専門職育成などの間接的なエンパワーメントがあります。メインストリーミングに関しては意識上のバリア、物理的なバリア、制度的でのバリア、情報面でのバリア、これらすべてのバリアの除去という意味で、JICA職員、関係者に対する意識改革として研修の実施、またJICA国内外機関でのバリアフリー化の推進、制度面では障害を持つ専門家、協力隊等の派遣制度の見直し等が行われています。情報面では研修会議、セミナーなどでの情報提供手段の多様化への配慮が行われています。

障害者支援分野での傾向

次に、障害者支援分野での傾向ですが、地域的な傾向としてこれまでアジア中南米での協力が多かったのですが、近年では中東での支援が増えつつあります。協力分野の内訳は最も多いのが協力隊派遣の4割、2割が技術協力事業、2割が研修、残りの2割が機材供与となっています。今回は、(1)青年海外協力隊派遣事業、(2)技術協力事業、(3)本邦研修事業の3つについて事例を挙げて紹介したいと思います。
まず、一番目の障害分野における青年海外協力隊は、養護、PT(理学療法士)、OT(作業療法士)、針灸マッサージ、ソーシャルワーカー、義肢装具作製、ST(言語聴覚士)、という7つの障害関連職種に分類されており、922名の派遣をしています。これら以外にも、医療・職業訓練・その他の分野で、看護士、木工、音楽、手工芸、美容師、コンピュータ技術、村落開発普及員、青少年活動などの職種でも障害者を対象とした支援が行われています。
ここで、パキスタン協力隊派遣事業に関して、事例を挙げて説明したいと思います。パキスタンへの協力隊派遣は1995年に開始され、様々な職種で障害者支援に関わっています。現在は20名以上の隊員が関わっています。また研修では1994年から各種専門職、障害当事者の研修が行われています。これらの実績により2005年にCBRの短期専門家の派遣が実現しています。加えて、2005年の北部地震の際、緊急に協力隊がチームとして派遣されました。
後ほど詳しく説明しますが、アジア太平洋障害者センター(以下、APCD)での研修が2002年からはじまり、帰国研修員としてシャフィク氏や、その他のNGOの代表による活動が開始されました。さらに、情報共有やイベントを協力して開催することで、いろいろなNGO間の連携が実現しました。
このような実績により2006年パキスタン政府より技術協力プロジェクトの要請書が提出されました。これを受けてJICAは今年5月にプロジェクト形成調査を実施しました。高嶺氏が団長となり、私も調査団に参加しました。この調査では協力隊員やシャフィク氏にもワークショップに参加していただき、プロジェクトの協力内容について協議していただきました。今後行われるプロジェクトの中では、協力隊や研修との事業連携を行うという方向性が出されました。
二番目の技術協力プロジェクトに関してですが、1980年代から医療的なリハビリテーションを中心とした協力が行われていますが(実績としては18プロジェクト)、近年では社会的なリハビリテーション、障害当事者エンパワーメント、CBRといった活動・協力が行われています。技術協力事業の好事例として、前述のAPCDが挙げられます。APCDプロジェクトは、「アジア太平洋障害者の十年」を契機に2002年より日本政府とタイ王国政府とにより開始されたプロジェクトです。JICAの障害者支援の方針であるエンパワーメントとメインストリームを促進するために、APCDはネットワークと連携、ICT(Information and Communication Technology)支援、そして人材育成を行っており、32カ国政府に拠点を作り、148の団体と協力関係を築き、研修生630名を輩出しています。具体的には、タイやマレーシアにおけるIL運動の促進、CBRの開始、自助団体の形成、政策の策定、バンコク地下鉄、フィリピン巨大ショッピングモールのバリアフリー化等に対する助言などの実績があります。

本邦研修について

次に、本邦研修事業、すなわち研修員受け入れに関して紹介します。 現在、障害者支援関連のコースは27のコースがあり、累積数は2,500人になります。研修には、当事者研修として障害者リーダー育成コース、障害者自立支援コース、専門職コースとして医療・教育分野でのコースがあります。
行政官のための研修としては社会福祉行政やCBR、ソーシャルワーカー支援等のコースが設定されています。研修員の受け入れの例として、中南米の障害児教育コースについてご紹介します。昨年度、中南米からの研修員受け入れがありましたが、今回は研修の質をあげるために、チリ、ペルー、ボリビアの3か国に絞って研修が実施されています。研修の最終日には、帰国後の目標や活動計画を発表してもらい、これらのフォローアップとして調査団、また、協力隊との連携によって評価することが可能になっています。加えて、本邦研修のフォローアップとして、研修参加者に集まってもらい、ボリビアで研修を再び行う予定です。そして、新しい活動計画にのっとり、目標に向かって活動を進めていただき6ヵ月後に報告書提出と共に、JICA-NET(JICAが推進する遠隔技術協力事業)を通じて報告会を開催することになっています。これらをフィードバックさせた上で、2008年に再び本邦研修を行うという流れです。

このコースの特徴は、連携体制の強化のため、昨年度は国レベルの行政官研修、本年度は県の行政官また学校関係者、校長及び教員の合同研修を実施していることです。また、来年度には地域の連携や大学の連携を目指した研修の受け入れをする計画があります。2点目は、前年度の帰国研修員との連携ですが、前年度の帰国研修員(国レベルの行政官)が今回の研修の全行程に参加するとことで国・県・学校レベルでの連携を保っています。また、協力隊員の連携は、協力隊員の活動する学校から研修員を選んでくることで、研修員が帰国後も隊員と連携して活動をしていけるような環境を整えています。
最後に、JICAの障害者支援の人材育成の取り組みの特徴について2点挙げます。1点目は、幅広い人材育成を行うため、直接的なエンパワーメントとしての障害当事者への研修に加えて、JICAにおいては間接的エンパワーメントとして行政官及び専門職等の研修も実施しています。2点目は、様々な事業において連携を展開し始めており、障害者支援を行っていこうという動きがあります。
ご清聴ありがとうございました。

高嶺:どうもありがとうございました。池田さんからはJICAの人材育成について幅広く紹介していただきました。私もパキスタンのプロジェクト形成調査には団長として参加しましたが、自助グループと地域の行政、それから連邦政府との連携をどのように上手く支援できるかを考えています。では引き続きまして、日本財団国際協力グループの石井靖乃さんに発表をお願いします。

日本財団の障害者支援

日本財団 国際協力グループ BHNチームリーダー 石井靖乃

石井:こんにちは、日本財団の国際協力グループの石井靖乃と申します。私は大学を卒業して7年間、一般企業で営業職としてお金を稼いでいましたが、その後日本財団に転職しまして、180度変わって今はお金を使うことを生業にしています。今日は、日本財団の障害者分野での海外協力援助事業について説明いたします。
日本財団は競艇の売上金の一部(約2.6%)を財源として、様々な公益活動を支援している団体です。85%は国内の活動に使われていますが、残りの15%は海外事業の援助に充てられます。支援地域は限定していませんし、必ずしも障害分野だけを対象にしているわけではありません。例えば、アフリカにおいては農業技術指導、ミャンマーでは小学校建築など多種多様な事業を支援しています。海外事業担当者数は総勢12人いますが、障害分野は大きな割合を占めているため、3~4人のスタッフが従事しています。

障害者支援における基本的方針

障害分野を支援するにあたっての基本的な方針ですが、以下の3点があげられます。
1点目は、障害者が能力を発揮できるような環境を作るための支援、そして皆さんが持っているポテンシャルに投資するような支援をしています。基本的には障害当事者がその国の障害者のために問題解決に当たることを支援しています。
2点目に、日本財団は民間団体としてはとても予算が大きいですが、国や国際機関にくらべると規模はずっと小さいし、出来ることも限られています。我々民間団体が日本政府と同様のことをやっていては存在価値がありませんので、政府のODAが出来ない多国間の協力を可能にするようなネットワーク作りの支援に力を入れています。限定された人だけで問題に取り組むのではなく、世界中からより多くの知恵を結集することを重視しています。そして、できる限り途上国間での協力、「南南協力」を進めるべきだと考えています。 3点目ですが、情報コミュニケーション技術(以下、ICT)を1つの軸として事業を進めています。今日、途上国においてもICTが発達していますので、生活面や職業的・経済的自立にも その恩恵を充分に活用することはとても大切だと考えています。
次に、援助分野と実績についてお話しします。障害者分野では、現在、概ね3つの分野で活動しています。聴覚障害者への支援、視覚障害者への支援、そして、義肢装具士の育成事業です。車いす提供事業は現在のところ実施していません。また、過去にDPIへの支援実績もあります。将来的には、様々な分野で活動できたらよいと思っていますが、現在のところは主に視覚と聴覚が中心になっていると考えていただいてよいと思います。それから地域ですが、アジア、特に東南アジア地域に事業が集中しています。

視覚障害分野における支援事例

まず視覚障害者分野での支援事例を紹介させていただきます。まず、「オーバーブルック・日本財団視覚障害者のための教育関連技術ネットワーク(Overbrook-Nippon Network on Education Technology for Blind and Visually Impaired Persons、略称ON-NET)」です。この事業は、日本財団が米国のオーバーブルック盲学校に設置した基金の運用益を利用して東南アジア諸国で視覚障害者のための情報技術関連のトレーニングを実施し、教育、就職、ひいては自立を推進することを主旨としています。オーバーブルック盲学校には、タイやフィリピンなど様々な国からの留学生がいて、既に帰国し、母国で活発に活動されている方が多くいます。そのような帰国留学生を中心として、シンガポールとブルネイを除くASEANの8カ国でON-NETを推進しています。
活動の具体例は、パソコン研修、コンピュータセンターの設置、点字プリンターや周辺機器のメンテナンス技師の訓練、現地語の点訳ソフトの開発などを行っています。また、ラオスやカンボジアの視覚障害者をタイに招聘し研修を実施するなどの地域内協力も実施しています。ICTに関しては、ON-NETの他にDAISY(Digital Accessible Information System)の普及事業も、東南アジア及び南アジア諸国で行っています。
また、ICT以外の分野にも活動を広げており、視覚障害者の職域開発を目的にマッサージ技術指導も進めています。今まで国際視覚障害者援護協会やJICAが視覚障害者のマッサージ研修を日本で実施してこられましたが、研修生が帰国後に日本で習得した技術を普及させるためのフォローアップが課題となっていました。そこで、昨年度から筑波技術大学と協力し、帰国した研修生たちの活動を継続的に支援する事業「アジア医療マッサージ指導者ネットワーク」を開始しました。

聴覚障害分野における支援事例

次に、聴覚障害分野での支援事例です。聴覚障害に関しては、途上国の聴覚障害者を対象に、アメリカのギャローデット大学とロチェスター工科大学への留学奨学金を提供してきました。最近はロチェスター工科大学や筑波技術大学などで培った教育支援技術やノウハウを、タイ、中国、ロシア、フィリピンなどの新しく出来た聴覚障害者のための大学やプログラムに移転するネットワーク作りも展開しています。また、フィリピン、香港、カンボジア、ベトナムでは手話の辞書と教材を作成する事業を支援しています。これらの国々では、これまでにも手話辞書と呼ばれるものはありましたが、実際には海外から来た聴者の研究者が現地の少数のろう者と作成した単語集が殆どで、実際には使用されていない単語が掲載されていたり、現地のろう者が分からない単語が載っていたりということが少なくありませんでした。そのような事例を反省材料として、私たちは当事者である現地のろう者が、自分たちの言葉である辞書を自分たちで作ることを支援しています。最初は5~6名のろう者に手話言語学の基礎的な知識の研修を行い、その後編纂に当たります。手型(しゅけい)から書記言語、書記言語から手話という両方から使用できる辞書を作成している途中です。

高嶺:どうもありがとうございました。日本財団が海外の障害者に対する様々な支援を行っていることは既にご存じだと思いますが、海外ではすごく評価をされている活動だと私自身は思っております。引き続きまして、世界銀行東京事務所・広報担当官の大森功一さんお願いします。

世界銀行の概要と障害分野における取り組み

世界銀行東京事務所 広報担当官 大森功一

大森:こんにちは。世界銀行東京事務所・広報担当官の大森功一と申します。日本のNGO、企業団体、大学と世界銀行の連携をいかに深めていくかという業務に関わっています。
現在の日本の人口をご存知ですか。1億2千8百万人弱です。では、世界の人口をご存知ですか。まもなく67億人です。小学生の私が世界の人口を覚えた時は、46億人でした。2050年の自分を思い浮かべてください。2050年の世界人口は90億人になるだろうと言われています。調査によっては、2045年には90億人になるとも言われています。この20数億人の差はどこで増えるのでしょうか。日本の人口はこれから減っていくことになっていますし、先進国はおしなべてそのような傾向にあります。ということは、今後増えるのは途上国です。ミレニアム開発目標(以下、MDGs)の中で、2015年までに1日1ドル未満で暮らしている人の数を半分にすることが挙げられています。そのためには、ODAなど公的な資金を、現在拠出している額の倍以上がないと達成できないのではないかとも言われています。
世界銀行は185カ国が加盟している、途上国の中央政府に融資を行う国際機関です。本部はアメリカのワシントンで、世界に100箇所の事務所があり、1万人の職員が働いています。かつて、1950~1960年代に日本が世界銀行から融資を受け、東海道新幹線や首都高速、東名高速などを整備しました。そして、1990~91年にその返済を終えました。現在、日本はアメリカに次ぐ2番目の資金拠出国で、大変重要なパートナーです。年間に大体240億ドル、日本円ですと約2兆8千億円を途上国政府に融資しています。
午前中に、シャフィクさんが世界銀行と連携を図り、日本社会開発基金(以下、JSDF)を受けたという話がありました。これは、通常の融資ではなく、その準備や緊急の課題に対応するために、小規模の資金を融資し、持続可能な活動へと発展する可能性の高い社会プログラムを通して、これらの人々の能力を強化し、開発プロセスへの参加を促進するための基金です。JSDFは、2000年に日本政府からの拠出により創設されたもので、これまでのところ大体300億円拠出されています。
世界銀行は、障害と開発の分野では取り組みをはじめたばかりです。2002年に障害当事者であるジュディ・ヒューマン氏が「障害と開発」分野担当アドバイザーとして任命されました。これは世界銀行にとって、非常に大きな一歩でありました。彼女の最初の仕事は、世界銀行の本部、事務所において障害について周知させる取り組みでした。その結果、私が勤めている東京事務所でもこの2年間で事務所の様子が大分変わり、出入口は全て自動ドア、障害者用トイレの設置、所内の表示には点字がつきました。また、夕刻に行っている、このようなイベントでは基本的に日本手話通訳を付けています。今後も取り組みを進めていきたいですし、このようなことが他の政府機関にも広がってくれればいいと思っています。また、世界銀行の本来業務の観点から、新規に障害者支援の資金の仕組みを作るのではなく、現存するプログラムの中で皆さんが利用しやすい設備・施設・プロジェクトを作っていくのかを検討しています。これは現在取り組みが進みつつあるところです。ご清聴どうもありがとうございました。

高嶺:どうもありがとうございました。大森さんの発言の中で、「障害と開発」というキーワードが出たと思いますが、障害者問題もこれからは開発問題という大きな枠の中で取り扱われていくのが、今後の社会の流れであると思います。
引き続きまして、自立生活センターメインストリーム協会代表の廉田俊二さんにご発表をお願いします。

自立生活センター・メインストリーム協会について

メインストリーム協会 代表者 廉田俊二

廉田:こんにちは。兵庫県西宮市にある自立生活センター・メインストリーム協会の廉田俊二といいます。私は14歳の時に体育館の屋根から落ち、脊髄損傷になり、車いすの生活になりました。その後は、特に障害者のことには関心がないまま大学生活を送り、趣味として世界中を放浪していました。
そのうち、普通の旅行を続けるのも面白味がなくなってきたので、大阪から東京まで600キロを車いすで歩く旅をすることにしました。ただ歩くのも面白くないので、社会的なことをしようと思ったのが、「TRY」です。「TRY」は、大阪~東京間を野宿しながら国鉄の駅に立ち寄り、車いすでも使える駅にして欲しいと訴える活動です。当時は、大阪~東京間に102個の駅がありましたが、エレベーターがついている駅はゼロに近い状況でした。貨物用はありましたが、普通の在来線に乗客が使用できるエレベーターはありませんでした。その駅をチェックしながら歩く旅が、私にとっての初めての障害者運動だったかも知れません。
最初は、駅長も腹を割って話したら分かってくれるのではないかと思っていましたが、全く相手にされませんでした。例えば、ある駅では、「なんや、障害者か、別にうちの電車に乗ってもらわなくてもかまへん」と客扱いもされませんでした。そこで初めて、障害者に対する差別や不便さについて認識し、強い憤りを感じたのです。それからは、10年間大阪~東京間を歩く旅をしました。続けていくうちに色々な仲間が出来、その時一緒に歩いた仲間が集まって出来たのが、現在のメインストリーム協会というILセンターです。だから、メンバーの特徴としては全員野宿が出来るということです。
私の他の趣味ですが、徹夜して相手を疲れさせたところで洗脳することです。これは、夜を徹してお互いのことや地域・国のこと、障害者が直面している問題などについて話し、自分たち障害者が立ち上がり社会を変えていかなければならないということを伝え、相手に「社会変革」に対する強い意志を植え付けるのです。その成果が、クリシュナさんとシャフィクさんです。
次に、メインストリーム協会の特徴を紹介します。当協会では以前、「障害者甲子園」という高校生のリーダー大会を実施していました。障害のある高校生を西宮に招き、地元の高校生と3泊4日の合宿をするというものです。自立や人権などについて話し合い、交流をします。介助もすべて地元の高校生が行います。これも10年続けましたので、何人もの若いリーダーが育ちました。

アジアの障害者支援に対する想い

さて、当協会のアジア支援についてお話しします。アジアの国は大家族があたりまえで家族主義的なので、自己の選択と責任において地域に出て一人暮らしをするという自立生活にはネックになる所が多くあります。私たちは、どんなに重度な障害があっても地域で自立した生活が送れるようにとの支援をしていますが、当協会自体が家族のような繋がりが持てる団体になりたいといつも思っています。普通の会社は相応の給料をもらって、良い生活できればいいのかも知れませんが、私たちは社会を変えていくために運動をしなければならない団体です。そのため、スタッフ間に独特の“絆”があり、「お金のために働いているのではない」という感覚を皆が共通認識として持っていないと、重要な場面で一丸となれないのです。
当協会では、障害者のために社会を変えることを目的とする仕事場で働いているからには、そこで働くスタッフの家も車いすで使える家でないといけないと決めています。障害をもつスタッフだけでなく、障害のないスタッフも同様です。「障害者が家に遊びに来るのいやなんかい」と、「来て欲しいんやったら、ちゃんとバリアフリーやないとあかんやろ」というのが、スタッフになる条件です。このように、社会を変えるためには、まず自分の足下から変えていくことを徹底的に進めます。
アジアの研修生の受け入れですが、最低3ヶ月は来てもらっています。それは、信頼関係を築くためで、最初の2ヶ月はそれに費やします。信頼関係がないところで、年齢や経験だけで大層なことを言っていても、ちゃんと伝わらないのではないかと思うからです。ご清聴どうもありがとうございました。

高嶺:後で、メインストリーム協会がどのようにシャフィクさんやクリシュナさんの活動を支援したかをお話していただきたいと思います。
次にセミナーの主催者である、広げよう愛の輪運動基金専務理事の駒井輝雄さんにお願いします。

ダスキンと広げよう愛の輪運動基金

財団法人 広げよう愛の輪運動基金 専務理事 駒井輝雄

駒井:今ご紹介いただきました、財団法人広げよう愛の輪運動基金の駒井輝雄と申します。 財団の概要につきましては冒頭で事務局長の谷合から説明させていただきましたので、私からは愛の輪運動の特徴と、願っていることとユニークな諸事情をお話させていただきます。
午前の報告者のシャフィクさんとクリシュナさんが「ダスキンの研修」や「ダスキンの研修生」と何度か言っていましたが、それは「財団法人広げよう愛の輪運動基金」のことで、運営母体は株式会社ダスキンという大阪にある企業です。英語名は「Duskin Ainowa Foundation」ですが、当初、「ダスキン」の名前は前面に出さないようにとのことから直訳して「The Circle of Love Foundation」も候補に挙がりましたが、分かりやすくするために現在の名称に落ち着いたということを前任者から聞いています。

株式会社ダスキンの特徴

ダスキンは、昨年12月に東証一部に上場した創業40年目の企業です。事業の内容ですが、ダストコントロール事業(モップやマットなどレンタルサービス、クリーニングサービスなど)、全国に1,600店舗展開しているミスタードーナツ、ニューオーリンズにある有名なカフェチェーンであるカフェ・デ・モンドなど、様々なフランチャイズ事業を展開している総合フランチャイズサービス企業です。フランチャイズというビジネスモデルは、私たちダスキンがビジネスパッケージとして日本に最初に導入したもので、加盟金をいただき、営業上のノウハウを提供する代わりに、売り上げから一定のロイヤリティをお支払いいただきます。ミスタードーナツは約1,600店舗ありますが、そのうちダスキンの直営店は1割程で、ほとんどが他の加盟企業によって運営されています。ひとつの企業集団の中に、複数の経営者が1つのコンセプトを推進しているユニークな運営形態をとっている会社です。

財団を設立するまで

1981年に財団を設立しましたが、そのきっかけは、創業者が他界し、求心力を取り戻すため、「企業集団が一丸となって良いことをしよう」、「それを心の拠り所にしよう」という声があがったことです。今でこそCSR(Corporate Social Responsibility:企業の社会責任)という言葉は定着してきていますが、その頃は全くそんな考え方もありませんでした。事業開始にあたっては、砂漠での井戸掘りなど様々なアイデアが出ましたが、なかなかまとまりませんでした。そこで、1981年は国際障害者年にあたり、障害者に役立つことをしようと、ミスタードーナツの担当役員が提案し、内容が決定しました。基礎のノウハウは伝え、後は自身の力量で行うフランチャイズ企業の特徴を踏襲する形で、いろいろな知識や経験、要するにノウハウを得る研修という機会を提供するので、研修終了後は自身の力で巣立って下さいという意味を持って、「ダスキン・障害者リーダー育成海外研修派遣事業」を開始いたしました。日本障害者リハビリテーション協会の奥平真砂子さんは研修派遣事業の第一期生で、アメリカのバークレーで研修を受けました。他にも多くの卒業生に今日、ご来場頂いています。

ダスキン・アジア・太平洋障害者リーダー育成事業について

そして、研修事業を実施していく中で、アジア太平洋地域でも同様のニーズがあるという声が上がり、1999年ダスキン・アジア・太平洋障害者リーダー育成事業(以下、ダスキン事業)を開始しました。これまで60名を越えた研修生が、シャフィクさん、クリシュナさん同様、帰国後ご活躍されています。障害者リーダーになっていただくことは、こちらのとしてはとても嬉しいことですが、その期待を受けた研修生は、帰国後非常に大変な使命を背負って活動しています。財団としては帰国後も彼らの活動のお役に立ちたいと思いますが、研修事業の継続を鉄則としており、毎年新しい研修生を迎えるため、研修生の帰国後の支援については、やはり限界があります。そこで、今日のパネリストの方々からもお力添えをいただいて、研修生の帰国後の活動にご協力いただけるように、情報共有や協力関係を作っていけたらと思います。
最後に、この研修事業の特徴を表すエピソードとして、第3期生の韓国のパク・チャノさんが話してくれたことをご紹介します。チャノさんが日本で研修中、「研修生にこれだけお金をかけるのであれば、そのお金をカンボジアなど開発途上国に送金すれば、学校や病院などを建ててダスキンの名前をつけてアピールすればいいのに、どうしてそのようなことをしないのか。」と、私の前任者に質問しました。担当者の返答は、「それは、あなたがする仕事ですよ」でした。まさに、我々の特徴を如実に表しているエピソードだと思います。「菊作り、菊見るときは影の人」という言葉のように、我々はこの研修を通じてその人が成長され、その後リーダーとして幸せな人生を送っていただきたい、これを当財団18万会員の共通の願いとしていけるよう、事務局として内外に向けて広報させていただきたいと思います。ご清聴ありがとうございました。

高嶺:どうもありがとうございます。駒井さんのお話で、ダスキン企業集団の連携が強まった理由を初めて知りました。研修終了後に彼らが活動できる場を如何に保障するかが、大きな課題だということが見えてきたのではないかと思います。

当事者から見た支援の成功の要因

高嶺:それではパネルディスカッションに入っていきたいと思います。このセッションに関しては、いくつか質問を用意してあります。午前中及び午後前半の報告を踏まえて、特にシャフィクさん、クリシュナさんの事例を検証しながら、支援がうまくいった要因を中心に検証していきたいと思います。

パキスタン・マイルストーン障害者協会の場合

シャフィク:まず、帰国後、様々な乗り越えるべきことがあるのは分かっていました。その時に大変有り難かったのは、日本で知り合った多くの友人からの精神的なサポートがあったことです。
また、幸運なことに、様々な団体に良き理解者がいました。世界銀行パキスタン事務所所長であるジョン・ウォールさんが障害者問題に理解があり、私たちの活動に目を向けてくれたことが、JSDFの拠出に結びつきました。しかし、パキスタンでのILセンターの設立に関しては、メインストリーム協会、全国自立生活センター協議会(JIL)、ヒューマンケア協会はもちろんのこと、自立生活夢中センター、日本障害者リハビリテーション協会、広げよう愛の輪運動基金の援助がなければ、1~2年という短期間で成し遂げることは出来なかったと思います。また、バンコクでのフォローアッププログラムもありました。このような一連の支援が私たちを後押ししてくれました。
種を蒔くことは勿論大切ですが、もっと大切なことはそれに水を与えるということです。水を与えることで木になり、多くの実がなり、新しい種が蒔かれます。帰国後、私は多くの友人から水を与えてもらいました。その支援により、私たちはこのような成功を収めることが出来ました。私もそれに倣い、他の人に水を与えることができればと考えています。ですから、ニーズがあれば私も他の国の障害者を支援していきたいと思います。ご清聴ありがとうございました。

高嶺:ありがとうございました。研修後の日本からの支援が成功の要因ということですが、具体的にどのような支援があったかについては、廉田さんからお話しいただければと思います。それから、もうひとつの要因は、障害者問題に理解が深かった世界銀行パキスタン事務所所長と知り合ったことだろうと思います。それでは、クリシュナさん、あなたのプロジェクトが上手くいった要因をお話下さい。

ネパール・カトマンズ自立生活センターの場合

クリシュナ:先程申し上げましたとおり、カトマンズ自立生活センターは、2005年秋に準備をはじめ、2006年6月に政府に登録されました新しい団体です。私たちが成功した理由は、ひとえに私たちのチームワークです。私たちは大勢の友人たちと議論を重ね、それぞれどのような要望を持っているのか、どのような人となりであるか、理解を深めました。このことにより、良いプロジェクトを作ることが出来ました。コミュニケーションはとても重要であると思います。常に新しい情報を共有し、コミュニケーションを密に取るように努めました。 もちろん、日本の友人たちのサポートやアドバイスも欠かせません。特に、メインストリーム協会からは設立に向けた資金や様々なアドバイスをいただきました。ご清聴ありがとうございました。

高嶺:どうもありがとうございました。志を同じくする者のチームワーク、ネットワー

キーポイントは使命感

駒井:ふたりに共通することですが、非常に使命感が強いことです。研修期間中も研修を受ける姿勢は、非常に真摯なものでした。その真摯な態度や強い使命感が廉田さんを含め、研修先の方々に伝わり、帰国後の支援につながったのではないでしょうか。

高嶺:廉田さん、具体的にどのような支援をされたかをお話しいただけますでしょうか。

障害当事者による途上国の障害者支援

廉田:成功の一番の理由は、私と出会ったことだと思います。私たちは第1期からダスキンの研修生を受け入れていますが、受け入れた研修生全てを支援してきたわけではありません。研修期間中にじっくり話し込むと言いましたが、私たちとしては自立生活運動を広めて欲しいので、「ILセンター作る気あんのかー」と聞きます。大概どの研修生も「作りたい」と言いますが、どこまで本気かは微妙なので、その後も話し合いを重ね、研修の最後には帰国後の計画についても話します。
本当の所、この2人には、人間的な魅力があるのだと思います。良い仲間が集まるのは、人が集まるような魅力がある人物であるからです。私たちも小さな団体ですので、出来ることは限られています。ILセンターを本気で作りたいと言うなら、自分たちと同じ夢を追いかけているのですから、手伝いたいと思う時もあります。ただ、話があまりに大きく、費用が多大にかかることは私たちでは無理ですので、私たちで実現可能なことであるならと思ったら、帰国後の支援を行うことにしています。「お前やるんやったら、一生やっていくつもりあんのか」と、ライフワークとしてやっていくかどうかを真剣に聞きました。これは考えてみたらとても厳しい質問で、私自身もILセンターを開所した時は一生続けるつもりはありませんでした。自分は開所後5、6年経って面白いと思いはじめたのに、まだ立ち上げてもいない人に、「お前これ一生やるんやったら、俺ら手伝うぞ」と言うのは脅しているようなものだと思います。そう言われた時、当然、彼らは迷います。
実は、シャフィクさんは、初めメインストリーム協会が好きになれなかったようで、3か月の研修予定だったのに、2ヵ月弱で帰ってしまいました。しかし、どうしても心残りだったので、1週間だけですが5月に再度研修機会を設け、話し合いました。そして、彼はILセンターを作ると意気込んで帰国したのですが、うまく行かなかったらしく、数ヶ月後再会した時には大学の先生になりたいと言っていました。大学の先生とILセンターの両方をやりたいとのことでしたので、「大学の先生は誰にでも出来るやろ、そんなん、おもしろないでぇ~」、「おまえにしか出来ないことをやれや!」とアドバイスしました。両方とも片手間で出来るような仕事ではないと徹底的に議論し、最終的にはILセンターに絞ることになりました。 クリシュナさんの場合は、とても大変だったと思います。ILセンターを設立したカトマンズでなく、地方のネパールガンジ出身ですので、地元には仲間がいますが、カトマンズで仲間を作って一から何かをはじめることは、並大抵の難しさではなかったと思います。日本でも同様の例はありますが、うまく行かないことが多いです。クリシュナに魅力があったからこそ、彼の言っていることが実現するのではと周囲に思わせることができたのでしょう。

具体的な支援の流れ

具体的な支援の流れですが、それはメインストリーム協会が設立された時の方法に沿っています。1980年代、車いす市民全国集会という障害者の全国集会が2年に1度、全国で開催されていました。それが西宮で開催されたことをきっかけに、自立生活運動が広がり、大会の事務局として活動した人たちがILセンターを作りました。その経験から、同様に、まず、大きなセミナーを開き、沢山の人々に集まってもらい、自立生活運動について知ってもらおうと、シャフィクさんとクリシュナさんに提案しました。そのセミナーに日本から十数人の仲間、それも重度の障害をもつ仲間と一緒に行き、分科会や講演を行うことにより、大きなインパクトを与え、仲間作りと啓発を促進するという流れです。
勿論、様々な出会いを含め、二人には運もあったかと思います。例えば、シャフィクさんのILセンターは、地震での被災者支援活動が大きく認められたということがあります。実は、パキスタン同様、メインストリーム協会も阪神・淡路大震災で名古屋のAJU自立の家や他の団体から支援を受け、復興しました。私たちの場合は自分たちが被災した立場でしたが、復興に向けスタッフが一丸となって活動したおかげで、地震以前よりも大きな組織に成長しました。それまでの実績があったからこそ認められたのでしょうが、シャフィクさんの場合も地震がきっかけとなって仲間の結束が強くなったことが、もう一つの要因として挙げられるでしょう。
もうひとつは、シャフィクさんやクリシュナさんの他のスタッフも研修したことです。ダスキン研修の後輩としてアクマルさん(パキスタン:第5期生)やディーパックさん(ネパール:第8期生)が来日研修を受けたこともありますが、私たちは両国を複数回訪れ、スタッフ研修を開催しました。また、パキスタンからは、他のスタッフも3カ月間日本へ招聘し、ふたりと同様の研修を行ったりもしています。
それから、もう一つ大切なことは、時々連絡を取り合って悩みを聞いたり、問題が起きた時にアドバイスをしたりするということです。今はインターネットを利用して簡単に連絡できますし、このようなことは日本とネパール、パキスタンと離れていてもできることです。
ふたりが優秀であったり、魅力的な人物であったりということもありますが、成功の要因はハングリー精神を含め、他の人より強い意思があったのではないかと思います。とにかく、私たちは障害者として、仲間を助けるという感覚ですね。そして、支援することを楽しんでいます。

高嶺:手厚いフォローアップや支援があったことが、廉田さんのお話から分かると思います。研修が終わったら全てが終わりではないとのことですね。

廉田:彼らが帰国してからの方が面白いです。シャフィクの場合ですが、広げよう愛の輪運動基金からバトンタッチされ、その後は、世界銀行など他の援助機関に引き継いだ感じになりました。そのようになっていくのが一番理想的だと思います。

高嶺:大森さんから、成功の要因も含め、今後援助対象を選ぶ際に重要視するものをお話しいただけますか。

世銀が援助対象を選ぶ仕組み

大森:JSDFについて、お話をしたいと思います。
仕組みですが、(1)提案書を作成し、〆切までに提出、(2)良い結果が来なければ、来年に改めて申請する、が通常の手順かと思います。世界銀行の業務が大体その方法でありますが、日本社会開発基金はその逆で、現地の世銀がシャフィクさんの団体との議論を通じ、素材をいただいて作成した提案書を、内部で承認を取るというプロセスになっています。
しかし、このキーとなるのは、シャフィクさんの団体ではありません。シャフィクさんの団体から預かった素材を基に、世界銀行の職員が提案書を作成し内部の承認を取ります。ということは、世界銀行の職員やプロジェクトの担当者と出会うことが非常に重要です。これは障害分野に限らず、世界銀行の場合、特にプロジェクト担当者との出会いが8割から9割です。逆に、話がうまくいかない場合のほとんどの原因は、その出会いがないということです。世界銀行というドナーがどのような仕組みや意向で動いているのかをまず知っていただき、それを利用していただくことだと思います。
JSDFも含め世界銀行の場合は、その政府に対する今後3年間の支援計画に適合していないと何も動きません。全体案に適合するか、もしくは、よほど革新的なものでない限り、どんな素晴らしい案であっても難しいです。シャフィクさんの場合、パキスタン事務所所長のジョン・ウォールさんとの出会いが大きかったと思います。また、震災直後に、障害者や震災により受障した方々への支援として日本で学んだことを含めた活動内容を世界銀行が革新的だと思い、国内に普及させたらどうかと考えたことが、重要でした。
意図したかどうかはさておき、世界銀行側の意向や仕組みを結果的に上手く利用していただいた良い例だと思います。これは障害と開発に限らず、日本の国際協力NGOやコンサルタント業界の方々にも言えることですが、相手の懐に入りつつ、ドナーの意図を上手に活用することが非常に重要だと思います。
最後に、世界銀行は、事務所の分権化を進めています。本部にいた局長を各地に赴任させているように、現場主義に移行しています。従って、東京やワシントンで話が進むわけではありません。最寄りにある事務所に、まずは連絡をしていただきたいと思います。それから、誰に話して良いかわからない場合は、各事務所のNGO担当者の連絡先がウェブ上に公表されていますので、担当者にまず連絡をして下さい。必要であれば、私からご紹介することも可能です。会う際は、その国で世界銀行が行っている支援、戦略的な目標、準備しているプログラム、不足している点、などを事前に調べて行くのがいいのではないかと思います。

高嶺:どうもありがとうございました。世界銀行は、プロジェクトを掘り起こす機能もあるということですね。ですから、自分の所でやりたいことがあれば、やはり色々な所に相談を持ちかけることは重要だということが分かります。 それでは、石井さんから、成功の要因も含め、今後援助対象を選ぶ際に重要視するものをお話しいただけますか。

援助側の留意点

石井:2点申し上げたいと思います。シャフィクさんのように、ダスキン事業で育った人材が、帰国後、メインストリーム協会など日本の当事者団体の支援を得ながら、日本で学んだことをモデルにパキスタンでILセンターを作り実績を上げ、それが世界銀行からの大規模援助に繋がって、その結果11ヶ所のILセンターが出来たというような成功事例はめったにないかと思います。このような成功事例を初めからシナリオを描いて行うことが出来れば素晴らしいですね。
我々が援助をしている事業も成功する事例はありますが、問題は、成功した後にそれが継続されるかどうかで、援助を止めてしまうと事業が終わってしまうようであれば、それはやった意味がありません。援助対象を選ぶ際には、その事業がどのように継続的に実施されるか、成功事例は普及するのか、がとても重要な視点です。これが1点目です。
もう1点ですが、申請書ではなく人を見るということです。私たちは毎年多くの申請書を受け取ります。論理的で言葉使いも洗練された素晴らしい申請書も多くあります。ただ、実際に団体の方に会ってみると、言葉は美しいのですが、現場で必要な熱意や能力があるのかどうか疑問を抱くことも多々あります。それとは逆に、申請書自体は洗練されていなくても、実際お会いしてみると、素晴らしい活動をされている場合もあります。自分の人生をかけるくらい熱意を持った人たちがその事業に関わっているか、当事者が中心となっているかどうか、が一番重要なのではないかと私は思います。

高嶺:どうもありがとうございました。引き続き、成功の要因も含め、今後援助対象を選ぶ際に重要視するものをお話しいただけますか。

被援助者と援助側の連携の好事例

池田:今回の二人の場合、成功の要因はやはり良い人材が良い研修に選ばれ、そして、良いフォローアップが出来ていることにあると思います。
援助対象を選ぶ際に重要視することについては、私の立場では控えさせていただきますが、被援助者と援助側の連携について、一つパキスタンでの具体的な活動事例をあげたいと思います。
パキスタン北部地震での被災者支援のため、多くのNGOやドナーが入って来ました。団体の連携と言っても、目的や意図が異なるため困難なのですが、シャフィクさんがドナーを集めて会議を開き、どのように相互の連携が図れるかについて話し合い、その後に結びつけたということがありました。
このことは、当事国の人がキーパーソンとなってドナーを活用することが出来た好事例であったと思います。

高嶺:当事者が活動のキーパーソンとなって、ステークホルダーを集めて事業を進めたというのがひとつのキーになったのではないかということです。
重要な問題として、世界銀行や日本財団で様々なプロジェクトが進んでいますが、いつかは終了するものです。その後の資金の調達方法や今後プロジェクトをどのように発展させるのか、また、どのような支援が必要となってくるのかなどについて、シャフィクさんにお聞きしたいと思います。

サステナビリティについて当事者の視点から

シャフィク:どうもありがとうございます。それでは重要な点を申し上げたいと思います。
どのような支援が今後必要になるかということについてですが、それは当然安定した運営資金だと思いますが、それを援助機関から永遠に受けることは不可能でしょう。私たちはとにかく、自分たちがすべきことを続けるだけです。それには、強い“志”と自分たちの活動についての“ビジョン”を持つことです。
どのようなプロジェクトでありましても、ビジョンはとても重要です。私自身非常に幸運であったのが、廉田さんもそうですが、中西正司さんにお会い出来たことです。彼の思い描くアジア・太平洋地域における自立生活運動は非常に明確で、多くを学ぶことが出来ました。彼の下で、自立生活運動の今後のビジョンを明確に持つことが出来たことは非常に幸運でした。

私は、3年後を思い描きながら活動しています。重度の障害をもっている人が、地域で自立生活を送ることが出来る社会です。自立生活運動のコンセプトを学んだり、実践したりする人たちが増えていけば、もはや社会は障害者のことを無視できなくなるでしょう。パキスタン政府は障害者の10年計画を策定しました。この策定に導いたきっかけは、わずか100人の障害者が行ったデモです。このように人が増えてきたら、もはやその動きを止めることをできません。
最初に、一人の“志し”を持つ人材を見つけることが重要です。株式会社ダスキンの創業者である鈴木清一さんが書かれた本に、次のような言葉があります。「魚を与えるより、魚の釣り方を教えなさい。」というものです。そうすれば、その人はずっと魚を獲ることができるでしょう。これらは精神面のことかと思われるかも知れませんが、とても大切です。志を強く持つこと、そしてそれを実行することの大切さを廉田さんから教わりました。
私たちは、パキスタン政府から6ヶ月間でILセンターを50ヶ所開所するプロジェクトを提案されましたが、断りました。なぜなら、私たちは当初の志を変えたくはなかったからです。数を増やすことが私たちの目的ではないからです。“信念”や“理念”を伝えながら、活動を広げていかなければなりません。それには、時間をかける必要があります。3年後の世銀プロジェクト終了時には政府がこのプロジェクトを引き継ぐことに政府側も合意しており、政府はその予算も準備しています。このことから、プロジェクトは持続可能なものであると認識しております。私たちが持続可能であることを確信しているのは、自立生活のコンセプトの実現は、お金がないと実現できないというものではないからです。自立生活のコンセプトを知って

高嶺:ありがとうございました。サステナビリティがどのように保障されるのかについて質問をしました。今後、地域資源や政府の公的資金の活用で発展させていきたいということでした。
パネルディスカッションをここで終了したいと思いますが、本日はふたつの成功事例を発表していただきました。ダスキン事業は、人選の際、選考委員が現地に行き、本人と家族に面接を行っています。10ヶ月という長期プロジェクトですので、本人が本当にこのプロジェクトに合っているかどうかを見ることは、大変重要な要素であると考えています。もちろん、日本国内のプロジェクトもありますが、帰国後も、日本でお世話になった団体が現地に赴き、研修生と共に活動したり、フォローアップを行ったりなど、いわば顔の見える支援を行ってきた結果、発展してきたと思います。また、現地においては、世界銀行など様々な援助機関とコンタクトを取ることで、活動が大きくなってきた感があります。
当事者の育成は時間と資金が必要ですが、有効な手段であることが本ディスカッションからおわかりかと思います。これまで障害者支援は、慈善的な意味合いが多く、極端に言えば、「食べ物を与えて、死ななければよい」というような姿勢に偏っていたと思いますが、今後は、障害者の自立のために援助していくというお話しがありました。今後も同様の動きが国内外であると思いますので、適切な人材をどのように育てていくかが大きな課題ではないかと思います。どうもありがとうございました。

質疑応答

高嶺:様々な質問が来ていますが、今回は研修とその支援に限定して、質問を受けさせていただきたいと思います。①プロジェクトが頓挫した場合の対応、②代表交代など体制変更があっても援助の続行は可能か否かとその条件、について質問をいただきました。これは石井さんからお話していただきたいと思います。

プロジェクトが頓挫した場合

石井:日本財団の場合で申し上げますと、援助は中止し、場合によっては、返金していただくことになります。しかし、実施中は全く連絡をせず、終了時のみ報告書を提出するというような付き合い方はしており

代表交代など体制変更した場合

2つ目の質問ですが、団体内で明確な協議の結果、代表が交代された場合、事業続行に問題がないと判断できれば、続けます。内紛など続行できるかどうか疑問がある場合は、再考が必要になるかも知れませんが、現在までにそのようなケースはありません。以上です。

高嶺:ありがとうございました。次の質問は、当事者への支援の中で非当事者を巻き込む場合に意識されていることについて質問がありました。池田さんにお願いしたいと思います。

非当事者を巻き込むには

池田:最近のJICAのプロジェクトの中で当事者への直接的なアプローチが増えてきています。今回パキスタンでプロジェクト形成調査を行った際には、非障害者へのセミナーの実施やキャンペーンの実施など、社会的・意識的なバリアを除去するような啓発活動が含まれていました。障害者支援プロジェクトの中に、地域の人々の理解を促進するといったアプローチも増えてきています。

高嶺:ありがとうございます。研修の内容について質問が来ていますが、時間の関係上資料をお読み

研修のフォローアップについて

駒井:研修生は様々な国から来ますので、帰国後のコミュニケーションは容易でありません。しかし、現在ではインターネットという便利なツールがありますので、メールやホームページを通じて情報交換しているというのが実情です。帰国後は、活動報告をメールで送ってくる人がいますし、面接で現地を訪れる際は、必ずその国の卒業生に会ってフォローしています。
また、3年程前に、タイのバンコクで、帰国研修生に対してフォローアップ研修を実施したことがあります。そのようなフォローをしていくうちに、第3期のシャフィックさんと第6期のクリシュナさんというように、期を超えて、情報交換し、研鑽しあうことがありました。このようなことが連鎖的に起こっているのが現状です。

高嶺:私もダスキンの招聘事業の実行委員をしていますが、事務局がこれまでの研修生と継続的にフォローアップをしている印象を受けています。研修が終了したらそれで終わりではなく、継続してコミュニケーションを取り、適時アドバイスを行っているということです。研修をより拡大したフォローアップとしての活動について廉田さんからお願い致します。

国際協力における当事者組織間の連携

廉田:自分たちが彼らの帰国後の活動を支援しているのは、それを行うことが面白いからで、フォローアップという意識はそれほどありませんでした。でも、結果的にそうなっており、ネパール、パキスタン、そして2月には台湾にもILセンターが出来ました。
ただ、支援と言えば、こちら側からと聞こえるかも知れませんが、実はこちらが学ぶことも多くあります。研修生が来ることによって事務所に活気が出たり、新しい知識を得たりすることはよくあります。当初、支援はメインストリーム協会だけでしたが、自立生活センター宇部やぱあとなあ、自立生活夢宙センターなど他のILセンターと協力して支援をしたり、パキスタンの時はJILと協力したりするなど、補えない部分は他の団体と協力しました。
今回、DPI世界会議韓国大会のプレイベントとして、アジア11ヶ国から障害者が集まり、ソウル近郊数カ所からソウルに向かって野宿する旅、ASIA TRYを実施しました。言わば、大阪~東京間を車いすで歩いたTRYの韓国版です。そこで、新たな良いネットワークが出来ました。シャフィクさんが提唱した「アジア・志ネットワーク」で、従来の日本から支援ではなく、相互に協力しようというものです。例えば、2月にネパールで研修会を実施しますが、シャフィクさんがパキスタンから行くという形が望ましいと思います。といいますのも、日本とネパールでは経済状況が離れていますが、パキスタンは近いからです。また、メインストリーム協会のスタッフもネパールに派遣し研修を受けさせるなど、相互に支援しあうことがはじまりつつあります。その次の予定としては、11月にパキスタンでTRYを実施、台湾も2009年に行う動きがあります。そのようなネットワークが出来てきています。

高嶺:ありがとうございました。もうひとつ質問がありました。「ネパールとパキスタンに自立センターはありますが、日本から支援を受けているのに、それに頼っているだけでは自立と言えないのではないか。真の自立は支援に頼らず、自ら資金を作りだしていってこそ本当の自立じゃないでしょうか。グラミン銀行のように、少額を融資して返済をしてもらいながら運営するというような仕組みを取り入れた方が良いのではないでしょうか。」廉田さん、お願い致します。

支援から自立するには

廉田:自立生活運動は、人権運動です。自分たちの活動が国の予算に組み込まれて初めて自分たちの存在が認められることは、彼らも重々理解しています。最終的には、少額でも政府から予算を取ることがまず重要だと思います。ネパールでは現在政府と交渉中ですが、パキスタンでは予算がおりてきていません。まだ途中ですが、製作した車いすを売却し資金を得たりするなど、自立運営の方向へは向かっていると思います。
グラミン銀行の仕組みを私たちが取り入れることが出来るかといったら少し難しいです。支援は基本的に5年間と決めています。勿論5年で出来なくても「ほな、知らんわ」とは言いませんが、そのような制限を付けておかないと切りがないので一応決めています。

高嶺:ありがとうございました。資金援助後の完全な自立が可能であるかどうか、を大森さんにお聞きしたいと思います。

世銀の融資の仕組みと新しい試み

大森:2点申し上げます。1つは、世界銀行は政府に対して融資しています。最終的には政府がその国の人々の生活向上のための政策を実施していくことが私たち世銀にとって一番良い状態です。逆に言うと、世界銀行が融資している案件というのは、あくまでも政府が実施している案件で、それに対して補足的な資金を融資しています。東海道新幹線も、世界銀行が全額出したわけではなく、日本の予算の不足分を世界銀行が融資したわけです。従って、国が十分な予算を計上できれば、世界銀行としては、次に支援が必要な国に移って当然である、という考え方があります。
実は、世界銀行の内部で現在、非常に注目を集めている話題のひとつが、コミュニティ主導型の開発です。世界銀行は政府に融資しているわけですが、どのようにしたら本当に資金の必要な人たちのニーズに沿うような形で融資することが出来るのかを考えています。
ここ3、4年で先駆的な事例が出てきています。従来のように、政府に融資し政府に実践してもらうのではなく、政府に理解してもらった上で世界銀行からコミュニティに資金を出るようにする例が、インドネシア全土やフィリピン、スリランカなどで実施されています。その村全ての人々の意向を聞き、予算を決め、その全体の予算に対して何が必要とされているか、意見を出してもらいます。それに対し、直接間接を含め、世界銀行の資金が行くようにします。グラミン銀行のようにはいかないかも知れませんが、その考え方に近い融資の方法を世界銀行なりに考えている所です。

高嶺:ありがとうございました。長時間の発表やディスカッションでしたが、本日だけでも様々な問題提起になったのではないかと思います。これを機会に、障害者の人材育成及び支援、そこから学ぶことについて考える機会になると思います。様々な機関が障害者支援を始めており、障害当事者の研修をより発展させていく必要があると思います。本日のパネルディスカッションは終わりにしたいと思います。ご清聴ありがとうございました。

那須:これを持ちまして、午後のパネルディスカッションを終了させて頂きます。コーディネーター及び7人のパネリストの皆さまありがとうございました。続きまして本日の総括に移ります。まとめをしていただきますアジアディスアビリティインスティテート代表の中西由起子様、よろしくお願いいたします。

まとめ

中西:本日は有益なお話を聞かせていただき、ありがとうございました。このような形で様々なお話をうかがいましたが、特に第2部のパネルディスカッションでは、国際的支援の大きなうねりを強く感じることが出来ました。
それは、世界銀行、日本財団、JICA、広げよう愛の輪運動基金、そして、障害当事者団体があり、その人たちによる支援という現状があってのことと考えています。本日のパネルをご覧になって分かるように、「国際障害者支援シンポジウム」という集会名の隣に「途上国の障害分野人材育成の必要性と効果、そして援助機関の関り方」というタイトルがついています。ここで私たちが意味する人材というのは、“障害当事者”のことです。途上国の障害当事者の状況は、研修生となれる恵まれた方たちもいると同時に、教育などの機会に恵まれていない障害者も数多くいます。
ダスキン事業には、障害当事者の育成を実施する際に、一部の障害の軽い人ではなく、若く、そして可能な限り障害の重い人を選考するという方針があることは、研修効果をあげるのに素晴らしい役割を果たしていると思います。障害の軽い障害者は、帰国後もある程度まで簡単に教育を受けることが出来、また、一般社会の中に溶け込んで自分に障害があるということを忘れることが出来ます。しかし、重度な人ほど社会的制約や差別の中で生きていかなければならないという現実があります。先ほどの発表にあったように廉田さんがシャフィクさんを洗脳し、そしてシャフィクさんが権利や自立生活の理念など、自分の学んだことを周りのみんなに伝えながら活動しているという流れが、この研修を通じて出来ていると思いました。シャフィクさんやクリシュナさんだけでなく、第3期生のパク・チャノさんも、その考えを受けて韓国でのロールモデルとなり、今では国内に50ヶ所のILセンターが出来るに至ったと聞いています。また、第6期生の台湾のリンさんも、彼女をモデルとして自立生活運動の新しい輪が出来つつあり、そのような形でモデルとなる障害者が沢山出ていくことは嬉しいことです。
援助機関は障害当事者からの提案を待っていると言っています。ですから、この研修を受けた方々がモデルとなって、皆が住みよい社会、アクセシブルな社会を提言して行くことが、この研修事業の将来を考えた時に明るいビジョンとして描けると思います。国際協力分野では、開発途上国の中で、ある分野において経験を積んだ国が、別の途上国の開発を支援する南南協力が進んできています。障害分野においても、障害者同士の支援が脚光を浴びており、それが効果を現してきています。研修生が自立生活運動というひとつのビジョンを通して、お互いにそのノウハウを共有し、南南協力としてすばらしい効果をあげている現実を見るにつけ、今年度の第9期研修生もその輪の中で研修のよりよい発展に力を貸してくれるのではないかと期待を抱いています。
最後のまとめに代えて、まだ研修を開始したばかりの9期生に壇上に上がっていただきたいと思います。彼らの希望にあふれた若々しい顔を見ていただいて、皆さまにも援助機関の、また、支援者のお一人として、彼らを育てる責務を感じていただければ、今日のシンポジウムは成功だったと思います。ありがとうございました。