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活動報告1

クリシュナ・ゴウタム氏
カトマンズ自立生活センター
(ダスキン・アジア太平洋障害者リーダー育成事業 第6期生)

クリシュナ:ありがとうございます。
 ご来賓の皆様、本日はこのような機会を私に提供してくださいまして、本当に心から感謝するとともに、また嬉しく思っております。ネパールから来ましたクリシュナ・ゴウタムと申します。2005年よりカトマンズILセンターで働いております。第6期生として来日いたしました。 
 皆様はネパールがどこにあるか、ご存じでしょうか。ネパールはとても美しい国で、インドと中国の間に位置し、南アジアとして括られております。ネパールはとても多様な国で、ヒマラヤ、丘隆地帯、タライの3つの地域に分かれています。そして、世界最高峰のエベレスト山もネパールにあります。
 ネパールの首都はカトマンズです。私の故郷はインドとの国境近くにあるネパールガンジという小さな町です。来日する前、私はそこで家族と一緒に住んでおり、自助組織で働いていました。2004年に研修生に選ばれ、その年の8月末に来日しました。何も分からない状態でしたが、とにかく日本で障害者のことを勉強したいと思いました。

日本での研修

 まず3か月間日本語を学び、その後はメインストリーム協会やヒューマンケア協会など様々なILセンターで研修しました。実は、最初、私はILセンターがネパールでできるとは思っていませんでした。ネパールのような途上国においては、障害者が力を持つということはとても無理だと思っていたからです。しかし、次第に私は、この自立生活運動のコンセプトは、グローバルな考え方だと思うようになりました。そして、自立生活運動の考え方は、人間に基本的な権利やアクセシビリティを保障するものだと思いました。
 皆さんは、「自立生活」の意味をご存じでしょうか。この場合の自立生活というのは、地域の中で自分が主導的に生活し、自分の人生に関して決定をすることです。それは、障害者にとって素晴らしいコンセプトではないでしょうか。この自立生活運動の理念は私に衝撃を与え、考えを変えました。私は自分の国で、そして自分の地域で「何かしなければいけない」、「いや、必ずできる」と元気づけられました。それは、10か月の研修中に学んだ中で最も大きな収穫でした。

帰国後の活動

 2005年7月に帰国後、私の障害をもった友だちに自分の経験や学んだことを話そうと思いました。けれども、最初は誰も私の話に耳を貸さず、皆、ILセンターはネパールでは無理だと言いました。私は何度も彼らの説得を試みましたが、納得させることはできませんでした。このように最初は、自国で自立生活運動をはじめるために、多くの困難に直面しました。
 私の一番の望みは、自分の国でこのILセンターをはじめることでした。たとえ、社会的な、経済的な、政治的なバリア、障壁を乗り越えなければいけなかったとしても、です。
そこで私は、まず個人的に人と会い、ディスカッションすることからはじめました。それは、彼ら一人一人を説得するために行ったことであり、その後、いくつかのミーティングや小さい研修会開催を重ねました。そして、とても良い友人を作り、目的を共有できる仲間を見つけました。
 この土台作りの過程で、メインストリーム協会と他の大阪のILセンターから廉田さんをはじめとする何名かのリーダーたちがネパールを訪れ、研修会の講師をして皆に自立生活運動や障害者の権利などについて話してくれたことがとても効果的でした。  半年くらい経ったとき、私はネパールの友人10人のサポートを得て自立生活運動をはじめ、センター設立準備会を設立し、2006年6月にカトマンズにILセンターを正式に設立しました。主な活動は、自立生活プログラム、バリアフリーキャンペーン、自立生活技術研修、ピアカウンセリング、社会に対する啓発活動、参加者へのオリエンテーション、そしてアドボカシー(権利擁護)です。
 ILセンターの開所に合わせて、私たちは再度メインストリーム協会の支援で国際的な自立生活セミナーを開催しました。これはネパールで初めての自立生活セミナーでした。日本からも重度障害をもつリーダーたちが来てくれ、地元の障害者たちに大きなインパクトを与えました。セミナーには、ネパール全土から100人以上の障害者が参加しました。そして、併せて行ったデモには400名以上が参加し、ネパールの障害者に自立生活運動を強くアピールしました。
 それ以来、研修を重ね、ネパールにおける自立生活が力強く、もっと自信を持って展開していけるようになりました。忘れてならないのは、日本のCIL、そして多くの方々のサポートです。これらのサポートにより、ネパールでの自立生活運動が可能になっています。

ネパールの障害者の状況と運動

 これは、ネパールにおける運動の写真です。
失業中の障害者運動です。障害者のほとんどは社会から差別されており、また、教育からもほど遠いところにいます。そして、運動のもう一つの目的は、アクセスのよい社会を作ろうということでした。ネパールの障害者は現在、社会を変えることにとても真剣です。彼らは、障害者の状況を良くするために頑張っています。
 今では、カトマンズILセンターに多くの障害をもった友人が集い活動しており、共に助け合っています。そこには様々な人たちがやってきます。重い障害をもっている人たちも、どのようなサービスが受けられるかなどの情報を得るために、毎日のようにILセンターに来ています。
 しかし一方で、多くの障害者がまだ家族に依存し、隠れるように社会から隔絶されて暮らしています。また、障害児の多くは学校から排除されています。ネパールでは障害者をサポートするようなサービスもありません。そのため、障害者は施設に入れられることや、また道端で物乞いをすることを強制されている状況です。そして、基本的な権利、人権、そして社会的な権利、政治的な権利を得るために頑張っている人たちはまだわずかしかいません。
 近いうちに、ネパールでは国会議員の選挙が行われます。また、新憲法も策定中です。そこで、私たちは他の障害者団体と協力して、障害者の基本的な権保障をその中に明記するように、政府に対して訴えかけています。このような意味においても、障害者の自立生活を求める運動は、私は効果的で良い活動だと思います。

これからのこと

 私たちは、将来的に自立生活運動をネパール全土で展開していくことを考えています。情報センターを設立すること、自国で車いすを生産すること、基本的な権利の保障、そして法律の制定に向けて政府に働きかけること、障害者が乗れるようなアクセシブルなバスを街に走らせること、そして権利擁護の活動をさらに強力に行うこと、これらが私たちの将来的な計画です。
 私たちは、多くの友人のサポートによって、ネパールでILセンターをはじめることができました。目的を達成するためには、友人はとても大切です。志を一つにし、良い友人、仲間、ネットワークを持ち共に活動することが出来れば、私たちは社会を変えることができます。
 日本での研修で、真の友人を見つけることができましたし、障害者運動のリーダーたちに会い、多くのことを学ぶこともできました。この研修によって、私は夢の実現に向けた第一歩を踏み出したのです。皆様のサポート、支援はネパールのような途上国の障害者にとってはとても重要です。社会を変えるために、グローバルなネットワークを一緒に作っていきましょう。ご清聴ありがとうございました。

中西:クリシュナさん、ありがとうございます。皆様のお手元のプログラムを見てくださればわかるように、5ページにクリシュナさんの研修プログラムについて書かれています。これによると、彼が帰国したのは2005年7月です。それから、2年という短期間でこれだけのことを成したということを分かっていただきたく、プログラムの所在をお知らせしました。成功の理由のひとつは、日本から支援をする際に、その支援が的確だったこと、もう一つは、ネパールが政治的なクライマックスを迎えていて、障害者自身も自分たちの権利等にとても敏感になっており、自立生活の概念を導入する時期としてタイミングがよかったことです。このように背景もありますが、それ以上に、クリシュナの個人的な活動、努力によるところが多かったと思います。
また詳細は後ほど質問していただいて、次のスピーカーのシャフィクさんに移りたいと思います。