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質疑・ディスカッション(2)

寺島 どうもありがとうございました。この後、まだ、ご質問をできなかった方に、少しその機会を提供させていただきたいと思っております。CBRの概念についてのお話が1つと5つの事例が提供されました。何か会場で、これらについて質問したいという方がおられましたら、どうぞ挙手をお願いいたします。

では、松井先生、お願いします。

 

松井 非常に基本的な問題提起になるか分かりませんが、CBRのサイトを選ぶ場合の考え方についてお聞きしたいと思います。例えば日本の中でも過疎地と、比較的経済的にゆとりがある都市部があります。過疎地を考えると、その過疎地の中にある資源を活用しながら展開するということになりますよね。基本的にCBRの場合は研修を中心ということで、あまり外部から資源を持ち込まないという考え方だと思いますけれども、そうなると、そこの過疎地をどう活性化していけるのか。そこの住民の中だけの自助努力で、それは対応できるのだろうかという問題があります。

実は、冒頭で、ご紹介しましたように、ILOでかつてインドネシアモデルと、フィリピンモデルという2つのモデルがありました。インドネシアの場合はかなり外部から資源を投入されました。それに対して、フィリピンの場合は研修以外は外部からは一切投入しない。先ほどシリアの場合は、ボランティアに対しては交通費も出さないということでした。フィリピンの場合もそういうことで始めたけれども、結局、ボランティアをやる方が貧しいから、出かけていく交通費がない限りは、なかなか参加できないということで、結果としては、そのお金を出すことになりましたが。

いずれにしても言いたいことは、そういう、CBRを実施する地域というのは、限定されるのか、限定されないのか。もし限定される場合、非常に資源が足りないところ、ないところ、そこは自助努力でやっていけるのだろうか。

ある意味では「安上がり」という批判も受けると思うんですね。だから、あまりお金をかけないでも住民の努力で、十分やっていけるのであれば、国としてCBRをそれほど支援する必要もないのではないか、そういうやり方でCBRは十分やっていけるんだというふうに理解されていいのかということをお聞きしたいと思います。

 

寺島 これに対して何かご発言のある方、どうぞお答えください。では、チャパルさん、お願いします。

 

チャパル どの地域社会にもそれぞれ何らかの資源があると思います。この世界の中で、資源の量の違いはあるかもしれませんが、まったく資源がない、そういう地域社会はないと思います。私たちは社会モデルという障害の定義を信じています。つまり、機能障害ゆえに「障害者」なのではなく、社会がそうさせているということです。資源がない、または少ない社会でも、障壁を取ることができれば、偏見を取ることができれば、障害に対するシナリオは変わってくると思います。障害の社会モデルを信じていれば、社会も地域社会も、少なくともインクルージョンにする、参加型にするということで多くの役割を果たすことができると思います。

WHOは、すべての活動について、その地域レベルですべてが実施できるわけではないと言っています。外部からの支援が必要なものがあるでしょう。しかし基本的なものというのは、いかなる地域社会でも地元の資源を使って実施することが可能です。

極貧の地域社会でもお金を寄せ集めて、障害者の参加、インクルージョンに関連する活動支援を行ったことを知っています。途上国では、貧しくてお金もない家を訪ねると、立派な晩餐は出てこないが、軽い食事は出してくれる。それが途上国の文化なのです。

そのようなすばらしい文化的な価値観があるのですから、そうした価値観に基づいて、参加型、インクルージョンに関する多くのメリットを享受できると思います。

村には障害者に高品質の車いすを提供する力はないかもしれません。しかし、障害者の人たちが家から出るのを妨げてきた障壁を村民が一緒になって取り除くのをこれまで見てきました。ですから可能性はあるのです。このようにしてCBRが成功していくと思います。

CBRの成功は何を期待するかということによります。どういう結果を期待するのか、地域によって違います。リソースが限られているところでは大きな成果というのは生まれないでしょう。しかし最小限の結果、特に行動、態度の変化は資源が限られている地域社会でも十分可能です。

 

寺島 ご発言していただける方、おられますか?

 

マラトモ CBRというのは単に地方、農村だけのものではありません。農村、都市と地域社会は違っていても都市部にも可能です。農村は人が一緒に暮らす社会ですが、都市では違うアプローチを取ります。スポーツ団体、ビジネス・グループ、療法士団体など、関心を同じくする人たちのグループ、協会、団体が非常に多くあります。つまり、関心事を共有する人の地域社会です。ここでもCBRはなんらかの役割を果たすことができると思います。

例えば、ビルの建設です。障害者も利用できるようにするためには理学療法士とかCBRワーカーだけではなく、そのビルの設計者も関わる必要があります。きちんと障害者が利用できるようにするという意識付けが行われていれば、アクセス可能なビルが建ちます。これもCBRの一部です。つまり、特に都市部においてあらゆる地域社会の人たち、グループの人たちに、障害問題について啓発することが必要です。さらに、こうした障害問題のメインストリーミング(主流化)を図るべきです。これは農村、1つの地方においてだけではなく、都市においても同じ関心をもつ人をまとめることは、将来の大きな課題になると思います。

 

地域社会の資源に関して、チャパルさんの意見に賛成です。貧しい地域社会でもなんらかの資源はみんな持っています。CBRの目的によると思います。CBRの目的が、例えば高級な福祉機器などのサービス提供などという、リハビリテーション・サービス以上の場合は、地域社会としてそれを支援し続けるのは難しいことです。

他にCBRが出来るのは、地域社会の人たちの態度を変えることです。そうした地域社会の考えを変えるのにお金は必要ありません。例えば、何回も話していることなのですが、ソロ近郊であった本当の話です。そこの障害者の人が、非障害者の人との結婚を望んでいましたが、その非障害者の人の両親は障害者だという理由で反対していました。将来生まれてくる子どもが障害者ではないかと心配したのです。この両親は障害について理解していなかったのです。しかしCBR中核要員(ボランティア)が説明すると両親は考え方を変え、結婚を許したのです。このようなことには資源やお金は必要としませんでした。

地域社会の資源使う、またこの両親の例のように結婚に関してCBRボランティアが啓発する、このようなところにリハビリテーションの専門職の役割は必要ありません。その障害者は結婚することによっての生活の質のレベルは向上しました。このようなことにお金は必要ないという例です。これは本当に単純な事例でしたが。

 

寺島 では、次の方、どうぞ。

 

質問者 ありがとうございます。先ほどの松井さんのご質問は、CBRを支援者という立場で見た場合、どういうことが考えられるかというご質問であったと思います。

せっかく日本にお2人の方においでいただいていますので、日本から途上国への支援はどうあるべきかといった視点で皆さんと議論できればと思います。その意味で中西さんに質問があります。

中西さんのお話は、ILを中心として、途上国でILを発展させる際には、どういうことが条件として考えられるかといったお話をいただきました。その後で、その前も、いろいろな発表をしてくださった方々のお写真から、例えばカンボジアの沼田さんが活動している地域とか、小俣さんの地域とかを見た上で、もう1回、ILが途上国に伝わるかどうかと考えますと、やはりどうしてもギャップを感じてしまうわけなんですね。

農村の中でILが伝わるとしたら、どういう形だろうかということを考えてしまったわけですけれども、それを1つ、開発援助者の立場ということで考えてみますと、今日は開発の方もたくさんおられますけれども、開発援助の世界では、自分たちの先進国のやり方がこれでいいのか? ということで、絶えず振り返りがあって反省して、新しいことを考えていくということが、長年に渡って繰り返されてきたと思うんです。

 

中西さんのところで、ご発表で、途上国でILを発展させるという際に、これは途上国から持ち込むという立場で考えると、こういうことだと思うんですけれども。映像で見る、本当に現地の様子から見ると、ILを途上国に持ち込んだ際に、それが実際にどう受け止められて、村に住む障害のある人たちがどういうふうにそれを自分たちのものにしていったかについての報告というのを、実はまだあまり見たことがないんです。それがぜひ見たいと思っているということと、先進国から途上国に持っていくという考えの中に、それをやりながらも、途上国の支援の中で、いろいろと現地の様子が分かってきたことから、援助をする者が変わっていくような、そういうリフレクションというのも、援助としてILを進める中に持っていらっしゃるかどうかということをお聞きしたいと思っております。

 

寺島 難しいですけど、じゃあ中西さん、お願いします。

 

中西 支援者とか援助を進める開発側の人間という視点で自立生活の哲学を進めているわけではなくて、あくまで「仲間」として「こういういいものがあるんだけど、やってみる?どうする?」という基本があるので、ちょっと私の答はご質問の趣旨と違うのではないかと思いますが。

ですから「こういうものをやってみる?どうする?」という中で、それを選ぶのは、そこにいる途上国の障害者なんです。彼らが自分たちでやってみたい、「やる」と言ったときに、それでは、私たちに何ができるのか。1つのマニュアル化された自立生活プログラム、それからピアカウンセリング等の訓練技術は日本で培ったものがありますので、それを使ってもらいます。そしてその最初の人たちがトレーナーとなりまして、ですから、最初のものはトレーニング・オブ・トレーナー(TOT)なんですね。そのメソッドを使って、そして彼らが他に伝えていく。これが韓国、それ以降続くタイでもフィリピンでもやっている方法です。

 

最初はもちろん、そういうものに出てきやすい都市部の障害者が中心かもしれませんが、決して都市部の障害者だけではありません。もしかするとこの中にJICAの、さっきプロジェクトとして紹介されていたアジア太平洋障害センター(APCD)の「ナコンパトムのIL」という、20分ほどのビデオですが、ご覧になった方いらっしゃいますでしょうか。ナコンパトムは、バンコクから車で2時間ぐらいの所ですので、中心部は観光地化されていて、いろんな方が訪問されるんですが、一歩奥に入りますと、もうそこはタイの他の農村と同じような状況なんですね。そこに自立生活センターの1つを建てようということになって、その中のお1人の方が特に感銘を受けて、またさらにもう1つセンターをつくっているという状況がある、自立生活の思想がかなり反映されているセンターです。そこで5人の障害をもつ人たちが、いかにこの考え方を受け取って、そしてそれを自分の生活に移していくかを紹介しているフィルムです。これには日本語のキャプションもついています。多分それがお知りになりたいという、途上国に持ち込んだ場合どうなるかという1つの実例に対する答になるかと思います。

 

その他に、自立生活運動というのは確かに誤解があって、障害当事者が障害者のためにやる運動であって、それは押しつけではないのです。例えば日本の障害者の場合にも、アメリカでこういうすばらしいことをやっているということで、「バークレー詣で」とは言いませんが、先ほどご紹介しましたバークレーの自立生活センターに日本の障害者が入れ替わり立ち替わり押しかけて行った時代があります。

それと同じことが、例えば日本の自立生活センターが今すごいことをやっているということで、アジアの障害者が機会をみては訪ねてくるという現象が起きています。これは自発的な意図に基づいてと私は解釈していますが、そういうモデルがあるからやりたいのであって、決して「こういうものがある」というものの押しつけということよりも、もっと自分たちの生活に密着している活動であり、さらに目に見えて効果があって、やりたい活動だからやるということが、途上国で自立生活運動が広まっていっているときの基盤になると思います。

ただCBRの場合には、障害のない方たちが、かなりマニュアル化されているそのメソッドで、皆さまそれぞれ自分の経験に基づいて、CBRを広めていくための基本的技能を持っていらっしゃるので、いろいろな方法で試すことができると思います。

ただILに関しては、本当に日本の少数の障害をもっている人たちが個別に教えて、それがだんだんと広がっている状態で、まだまだ数は少ないですが、この方法で、アジアの多くの国が今、興味を持ってきているので、もうあと10年ぐらいでかなり広がっていくのではないか、CBRの発展を見ていて、そのように感じました。ありがとうございます。

 

寺島 どうもありがとうございました。次の方、お願いします。

 

質問者 熊本からまいりました。熊本大学におります。今日は大変な収穫を得ることができて、発表者の皆さまと主催者の皆さまにとても感謝しております。

私は過去15年ぐらい、スリランカの障害児の教育というところで見てきました。それで本日は、地域に根ざしたインクルーシブ開発という考え方を学ぶことができて、とても感銘を受けました。

ただ1つ疑問に思いましたのは、インクルーシブ・エデュケーションも融合してCBRを考えていくというときに、主に質問といたしましてはカスナビス先生にお聞きしたいんですけれども、インクルーシブ・エデュケーションは通常の教育の場で教育を受けるということが原則ということで、もちろん国によって、いろいろありようが違うでしょうけれども、例えばスリランカのように就学率が高い国ということになりますと、基本的にはやはり公立の学校で障害児も一緒に学べるというのが求められるところかなと思いますが、実際には皆さんご承知のように大変厳しい学歴社会ということで、例えば小学校5年のときに全国統一試験などがあったりとか、いろんなことで障害児が学べない状況ということがあって、それに対して、インフォーマルであったりオルターナティブ(代替)ないろいろな教育のあり方が必要だろうということを感じております。

この場合、CBRのプログラムでもまた、インフォーマルまたはオルターナティブな教育の場というものを提供していくことになるんでしょうけれども、その場合、あまりそちらに力を入れすぎますと、本来、公教育の場に入れていく、本来、「入れていく」と言いますか、教育改革であるはずのインクルーシブ・エデュケーションというものが、それよりもオルターナティブ、インフォーマルのほうでやっていけばいいというふうに捉えられてしまうのではないかという、そのような懸念をちょっと感じました。それに対してコメントをいただければありがたいなと思いました。

 

寺島 チャパルさん、お願いします。

 

チャパル ご質問ありがとうございます。CBRマトリックスには5つの要素(エレメント)がります。そのうちの1つが教育で、幼児期、小学校、中・高学校、インフォーマル教育、生涯学習です。

このマトリックス作成ではおっしゃったような疑問などについて喧々諤々の討論がありました。特殊学級がどこに入るのかというのもありました。インクルーシブ教育は要らないとか、もしインクルーシブ教育になったら教育の質が下がるのではないかという懐疑派、いろいろあるわけです。ですからこの問題では大討論になりました。

ガイドラインが出版されればお分かりになると思いますが、私たちが何をしたかというと、小学校、中・高学校でも、すべての選択肢を盛り込んだのです。インクルーシブ教育を第一の優先順位にしましたが、しかしながら現実にも目を向けなければいけない。特殊学級も要るでしょう。地域によってはそれが唯一の教育というのが現実であるところもあるからです。

インクルーシブ教育というのは、スライドでもお見せしましたが、再び申し上げますと、子どもには補習授業や福祉機器などの特別な対応をしなければなりません。学校を巡回して視覚障害児を教える先生もいます。これらすべての可能性が盛り込まれているのです。でも最終的に何かと言いますと、おっしゃいましたように「教育」をできるだけインクルーシブにするということです。

黒板もない学校がある国も多いのです。黒板がない学校があるときに、特殊学級というのは贅沢に過ぎるという国もあるでしょう。だから目的ははっきりしています。どうやったら教育全体をインクルーシブに出来るか、ということです。まず教師の訓練から始めることにしました。教育大学など、大学をターゲットにして、インクルーシブなプロセスをそこから始めるわけです。つぎに学校、それから制度です。かなり複雑です。

 

インクルーシブ教育のパイオニアたちには、CBRガイドラインに教育の章が書かれることを喜んでいただけるんじゃないでしょうか。ガイドラインがまとまれば、いろいろな教育に対しての手がかりが得られます。それから文脈次第ということがあると思います。どういう教育、どういう制度が適用できるかは、状況、文脈次第です。私が以前関わったCBRプログラムの中でも、子どもたちを特殊学校に入れたことがあります。あるいは準備学校に入れた場合もあります。いろいろなやり方があるわけです。

CBRというのは処方箋ではありません。CBRは理念です。CBRは戦略です。CBRはアイディアです。人がその状況にあわせて、自分の資源を考慮して適用するものです。出版するガイドラインには、私たちがどのようにしてインクルーシブ教育を達成しようとしているのかに関するさらなる手がかりが書かれています。

同時に、インフォーマル教育、あるいは特殊学級という道も開いております。すべての子どもにとって公式教育とインクルーシブ教育が利用可能であるというわけではないからです。特に知的障害のある子、あるいは複合障害のある人たちが非常に現実的な問題を抱えていますので、インフォーマル教育、生涯学習も平行して組み込んでいます。たくさんの選択肢がありますので状況によって選んでもらえます。

 

寺島 最後の方、短くお願いいたします。

 

質問者 中西先生と、その他の先生方に質問があります。先ほどの質問内容と関連しています。先ほど、発展途上国で、特に知的障害など、あるいは教育をまったく受けられていない障害者に「これ、どう?」とお勧めするという話をされたんですけれども、ILの進め方として、教育水準、あるいは国の文化の事情によって、もう少し違う進め方というのがあるのかどうか、教えていただきたい。また、SHG(自助)グループの話がありましたが、障害をもった当事者で、それを推進している事例があるのかを教えてください。

 

寺島 ILの進め方としてバリエーションはあるのかどうかということでよろしいでしょうか。

 

中西 先ほどのスライドでお見せしたように、ILは、まず障害当事者のエンパワメントですので、まず今コミュニティの中にいる障害者、成人がまずは中心になります。しかし、その人たちをエンパワーし、その彼らが、やはり自分たちにはインクルーシブ教育が必要だ、また自分たちは教育を受けていなかったから、子どもたち、障害児には教育を受けさせたい、そこで運動をしますが、直接自立生活運動の中で、例えば教育事業をするということはありません。

もちろん原則と言うか哲学としてはインクルーシブ教育なんですが、それをやるのは、あくまでも自立生活運動に参加している中で、教育の必要性を感じて動く個々の障害者なんですね。

すべての活動それぞれ関わってくることですが、権利擁護活動の一端としてその必要性を訴え、そしてサービスまで至る人たちもいますし、また権利擁護の一部としてそれを政府なり実施しているNGOに迫る、つまり教育で言えばインクルーシブ教育がいいんだということ。だから実施すべきである、また、こうやれば障害児も参加できるようになるからインクルーシブになるんじゃないかという活動に、だんだんなってくるのではないかと思います。

 

寺島 どうもありがとうございました。当事者がCBRをやっておられる例というのはたくさんありますので、インターネット等から調べていただければ出てくると思います。

時間になりましたので、ここで終えたいと思いますが、今回のディスカッションについて、私なりにまとめてみます。いろんな課題が出てきたと思います。

1つはCBRの概念をもう少し詳しく検討していく必要があるということ、CBRの持続可能性、マンパワーの育成、人権教育のあり方、あるいはNGOと政府の関係、こういったテーマが出てきたのではないかと思います。今後、このようなことについて研究・検討を深めていければと思います。