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報告3−1 南タイのCBRの支援

(特活)FHCYアジア障害者パートナーズ 代表理事 小俣 典之

 

司会 3番目のスピーカーは小俣典之さんです。小俣さんは、横浜市の職員として知的障害者施設や福祉事務所にお勤めされ、現在ではアジア障害者パートナーズ(FHCY)の代表理事を務められています。また、横浜NGO連絡会というNGOのネットワークの理事長を務められています。FHCYは、これからたっぷりご紹介があると思いますが、タイの南部で行われているCBRを長年にわたって支援されてこられました。また小俣さんは、JANNET(障害分野NGO連絡会)で役員をされています。それでは小俣さん、お願いいたします。

 

小俣 どうも皆さん、こんにちは。小俣でございます。今、ご紹介いただきましたが、JANNET、リハ協はじめ、いつもお世話になっています。先ほどの中西さん、そして武智さんの総括的な、また全体的に見通したお話に続きまして、私のほうからは、大変ローカルで小さな実践報告というようなことでお話をさせていただきたいと思います。

今、映っていますこの絵(図1)が、タイの障害児のお子さんが描いたものなんですが、これは20年ほど前に、私ども、活動を1987年から活動しているんですが、もともと、私ども、いわゆる市民団体、市民がボランティアとして障害児、タイの障害児を応援しようというような純粋な気持ちから集まったところが、20年間ほど続いているということです。

タイの障害児が描いた絵(図1)

もともとタイの障害児の絵を、日本で展覧会ができないかというようなお話をいただいたことが、私たちのグループが始まったところです。その後いろいろ、その次に何ができるかというようなお話をしてきました。私どものグループには研究者もおりませんし、福祉の仕事をしている人たちは多いとは言え、国際協力の専門家がいるわけでもなく、いろいろ行き届かないところは多いですが、ぜひ、この場をお借りしてご報告させていただくこととともに、ご指導いただければと思います。

 

今日のお話ですが、まず私どもの活動について、ちょっとご説明させていただきます。それからナコーンシータマラートという、タイ南部の町の状況をまずご報告します。それからカウンターパートでありますタイの障害児財団のCBRについて触れさせていただきます。そして私どもが最近やっております、現地の障害者の生産グループの支援についてお話をして、今後の方向性について、これはまとまらないかもしれませんが、お話をさせていただきたいと思います。

 

今お話ししましたけれども、絵画展を始めたことが今日まで至っているのですが、当初はタイの障害関係のNGOのスタッフ、それから障害当事者の方の日本での研修を10年近くやってきました。年に2回程度ということで、大変に規模も小さく、予算も限られている中で、またローカルな方を中心にお呼びしていますので、基本的に英語が公用語ではないということで、タイ語による研修を日本でやってきました。

また、さをり織をやってらっしゃる、さをり広場さんの前身のような活動をちょっとさせていただいたりしながら、98年から、今のタイの南部のほうに活動地を移しております。これはカウンターパートでありますタイの障害児財団が、プロジェクト地を移行したというのに伴った形になっています。

私どもの活動の内容としましては、これは98年以降の活動ということになるんですけれども、障害者の仕事の場づくり、それからここでは「障害者作業所」と呼んでいますが、「作業所」という言葉は現地で当てはまらないと思うのですが、日本で説明するとき、つい使ってしまうのですが、そちらのほうの運営と支援、それから障害者製品のフェアトレードというようなことを少し試みております。

現地では、まだまだ障害理解ということが進んでいませんので、そのキャンペーン、そして人材育成、先ほどお話しした日本研修、そして日本から逆に福祉の専門家あるいは学生さんに現地に行ってもらって勉強していただくような形での人材交流、そしてCBRのこれも側面的な支援ということでやっています。あとはいろいろ国内での情報発信をしています。

最近、教育支援ということで、通学できない子どもさんの条件整備のため、若干の資金を投入して、通学を費用的に助けるというようなことも少しやっています。

今お話ししたカウンターパートが、タイの障害児財団のCBRプロジェクトということで、ナコーンシータマラートにあります。また、現地の障害者グループと対応してやっています。

 

特徴としましては、今お話ししたように、市民による非常に小さな活動なんですがも、20年ほど続けさせていただいております。年間予算は、お恥ずかしい限りですが500万円ほどということで、事業費が150万から200万円ぐらいを現実に使っています。収入源としては会費だとか寄付金、これはもう一般的なNGO、どこでも同じです。

活動メンバーは、やはり関心を持っていらっしゃるということで、福祉施設、福祉関係者、それから学校の教員の方だとか公務員、会社員、学生などということになります。定点活動を続けているということで、これは随分長いですね。プロジェクトを引くところというのは、国際協力においてとても難しいと言われる中で、20年も続けてしまっているのはいかがなものかというような気もしますが、そのへん特別なカラクリもあるわけでもなく、ダラダラと続けているとご批判があれば、そのとおりかもしれません。まず、長く続けられているところの基本としては、おそらく現地との深い信頼関係が、今はあります。ですので、いわゆる援助する者、される者というような関係ではあまりないんですね。確かに金銭的にはこちらから出ているところもありますが、主体はあくまでもあちらというようなスタンスと、あと幸か不幸か、私どもに力がないので、現地に日本人を置いていないんですね。そういうところが逆にいい面で出ているところもあるかもしれません。

年に2人で10年近く日本研修をやりましたが、このナコーンシータマラートのほうから6名の方、障害者のリーダーの方2名、そしてCBRのNGOのスタッフの方2名、これは1人が反復していますので延べ3名になっております。そして行政関係の職員、保健所長と、障害児教育のスーパーバイザーですね、こういった方たちをお呼びしています。

年に2回ぐらいずつは、最低でも、この人たちに現地でお会いして、現況等の確認をしています。行方知れずが1名おりますが、この方は公務員の方で、転勤してしまって、駆け落ちをしてしまった関係で、今、ちょっとお目にかかれないというような状況でございます。あとの方は、お悩みだとか、ご病気になったりだとか、そういうところも全部フォローはさせていただいております。

スタッフ、現地事務所はありませんが、年に2〜3か月、私どものほうのスタッフが現地に行ってコミュニケーションしながら事業を進めているところです。最近ではインターネットとかが発達してきましたので、去年ぐらいからは現地とテレビカメラで会議ができるようになってきております。その他、障害者の障害児教育センターだとか、いろんなネットワークで仕事を進めております。

 

今度はプロジェクト地のナコーンシータマラートの現況についてお話しします。人口が150万人ほどのところで、これは2007年の統計になります。農業・漁業従事者が多い海がある県になります。これは津波があったアンダマン海側ではなく、台湾側の内海になります。

この後、お話がいろいろ出てきますが、行政区の仕組み、タイについてご存じの方には恐縮なんですけど、お話をさせていただきます。

まず県がジャンワットと言います。郡がアンプーン。地区が、「地区」と訳したり、いろいろ訳し方があるんですがタンボン。村がムバーンということで、私どもターゲットになっている所が、このうちの1つの郡を特に強くやっております。

今、県の障害者人口が、2000年が8000人程度でしたが、今は1万2000人ぐらいというようなことで若干増えております。これは障害者登録が進んできたからですが、まだ人口に対しては非常に少ないということです。

これが(写真1)ムアン郡といいまして県庁所在地のある郡ですね。そこの町からちょっと入ったところの風景でございます。南タイの山々に囲まれた、のどかなところです。こちら(写真2)もそうですね。

ナコーンシータマラート県ムアン郡の風景(草原と牛の写真)(写真1)

ナコーンシータマラート県ムアン郡の風景(木々と広がる大地の写真)(写真2)

バックグラウンドとして、ご存じの方も多いと思うんですが、タイの場合、バンコクのお話、先ほど中西先生のほうから、お話もありましたけれども、郡部の方とかなり状況が違っています。社会資源がバンコクに偏っていたり、資本も偏っているだとか、人材も偏っているというような中での地方のお話という形になります。

県の障害者の内訳は、53%が肢体不自由、14%が聴覚障害、視覚障害が6%、それから知的障害17%、精神障害2%、重複障害7%です。これは県の統計になっています。

続いて実施しているポイントは、ムアン郡、それからタサラー郡、そしてシーチョン郡等ですが、主たるカウンターパートの事務所と私どもの活動拠点はムアン郡、県庁所在地にございます。

あと県内の社会資源としては、障害児学校は、知的障害の学校が1校、聴覚障害の学校が1校、そして障害児教育センターが1か所あります。そのうち教育センターだけがムアン郡、県庁所在地にありまして、あとは車で1時間半以上行った郡部のほうに寄宿舎制の学校がありますが、そちらのほうは、なかなか普段、お付き合いはありません。

タイの職業リハビリテーション・センターが、このナコーンシータマラートのタサラー郡というところにございます。そちらのほうも施設としては関連しています。居住施設、通所施設、福祉施設と呼ばれるものはないという形になります。

これ(写真3)が、さっきの町場のところになります。保健ボランティアがキャンペーンをする、年に1度ある保健ボランティアの日の様子です。

保健ボランティアの日のキャンペーン(写真3)

こちら(写真4)は、ワットマハタートと言いまして、この地、ナコーンシータマラートは、タイの南部の仏教の総本山と言われています。しかしこの仏教の、お寺の裏側はイスラムの集落が広がっておりまして、今、70%ぐらいが仏教徒ですが、村によっては100%イスラム教徒だということです。タイと言うと仏教国のイメージがありますが、南部ではご存じのとおり、ちょっと様子が違うということになります。

ワットマハタート(写真4)

ご存じのとおり、南部のほうは今イスラムゲリラによるテロというのがずっと続いていますが、このナコーンシータマラートはテロが起きていない最南端ということになって、言ってみれば究極の多文化共生の地かなというふうにも思っています。