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報告3−2 南タイのCBRの支援

続きましてカウンターパートのタイの障害児財団についてご説明します。82年にバンコクで活動を開始しています。組織的には広報・啓発部門、療育部門、CBR部門、管理部門を持っています。これ(図2)が、タイの障害児財団が行ってきたCBRの順番ですけれども、最初に86年に東北タイのほうで始まっています。そしてノンブアランプーという、このスィブンルアンというところで、こちら、タイのCBRのモデルになっているところ、大変有名なプロジェクトで、88年から数年間にわたって行っています。

図2(テキストデータ)

(テキストデータ)(図2)

その他いくつかの場所で行っていたんですけれども、ナコーンシータマラートのムアン郡という現在のプロジェクト地に97年から移っています。以降はムアン郡から他の郡、ナコーンシータマラート県内でのプロジェクト地を少しずつ拡大しているというようなところです。

この人(写真5)は東北タイの、プーパイというおじいさんで、お孫さんのためにCBR遊具を作ったモデルになっています。この方が開発したモデル、OTの方だとか、監修はされているんですけれども、そちらをテキストブックにして、この財団がタイ国内で配っていたりします。

プーパイ氏のリハビリ遊具(スィブンルアン郡)(写真5)

ナコーンシータマラートのほうでやっていることは、まず医療の支援ということをやっています。保健所との連携を密にやっています。障害手帳の交付についての、CBRワーカーが家庭訪問して助言をしたりしています。手帳に関しては94年ぐらいから交付が始まりましたが、今はかなり普及率が高くなってきました。もちろん手帳申請によるメリット等についてはCBRワーカーのほうが家庭訪問時等に説明していますが、最初に比べると取りやすいと言うか、知識が広まってきたと思っています。車いすの給付も一部やっています。発達の支援ということで、このタイの障害児財団というところは、もともと脳性マヒ専門のクリニックをタイでやっているようなところで、理事長は整形外科医ということもあって、かなり専門的に脳性マヒにこだわってやっているCBRということで、先ほどの中西さんのお話にあったような、障害分野にこだわらないというような本来のCBRの部分からすると、少し異端になっていくと同時に、専門家によるアウトリーチ的な性格が強いんじゃないかと思っています。その中で家庭訪問したり、研修会を開いたり、あるいは療育会ですね。これは月1回ずつぐらい開いています。

最近は、保護者のご家庭のほうで障害児の療育会をやったりしています。保護者会の組織化を図ったり、ご家族の就業の支援をしています。そして障害当事者の方の活動の支援もしています。また先ほどのリハビリ遊具に関係して、最近は段ボール箱による姿勢保持イスの作り方の教室だとか、それをご家庭で使っていただくような活動をしています。関係機関との調整が実は一番大きな仕事なのかもしれません。

 

家庭訪問を行っています。タイの南部のほう、海に面して、イスラムの村とか、貧しい村もいっぱいありまして、海の上に建っている、このような(写真6)環境で暮らしています。こちら(写真7)も若いお母さんですね。このへんはカブトガニがよく獲れまして、子どものおもちゃはカブトガニで。カブトガニって、とてもおいしいんです。日本だと獲れない、食べられないので、もしよろしかったらぜひどうぞ。

CBRケース(漁民の家、ナコーンシータマラート県)(写真6)

CBRケース(漁民の家、ナコーンシータマラート県)(写真7)

このような(写真8)訓練についてのプログラムをCBRワーカーのほうが家に貼って、それに基づいて、お母さんが訓練をすることになります。お母さんがいないところでは、おばあさんだったりお父さんだったりすることももちろんありますが、主たる担い手は、やはりお母さんということになるかと思います。

障害児ごとに計画された訓練の方法を記したマニュアル(写真8)

こちらのCBRの遊具をつくったお家で遊んでいる親子(写真9)です。こちらも(写真10)同じです。これ(写真11)が段ボールでつくったイスになります。ご専門の方から見ると、これはおかしいとか、あるかと思うんですけれども、これには、下の台の所に、木で敢えてつけてありますけれども、高さを間違って足が地に着かないようなものをつくったり、そういうような不十分なところがあるかと思います。スタンディングボード(写真12)、これ、お父さんがお嬢さんに訓練をしているところです。

リハビリ遊具で家族と一緒に訓練する子どもたち(写真9)リハビリ遊具で家族と一緒に訓練する子どもたち(写真10)

リハビリ遊具で家族と一緒に訓練する子どもたち(写真11)リハビリ遊具で家族と一緒に訓練する子どもたち(写真12)

ナコーンシータマラートで最初にこういったものを作り始めたお家です。このお子さん(写真13)はカイデーン君、赤い卵という意味のニックネームのお子さんのお家です。この子はもう今、大きくなって、こういったものでは遊べなくなったんですけれども、先ほどの子どもさんの遊具も、実は彼が小さいときに使っていたもの。このお父さんは、もともと建築現場で働くような仕事をされていたんですけれども、手先が器用で、こういったものをつくりはじめて、今は専門家になってしまって、いろんなところに教えにいったり、今は行政の職員として、お父さんがエンパワメントされてしまったようなタイプの方です。これも(写真14)同じですね。お父さんと親子になります。

リハビリ遊具で家族と一緒に訓練する子どもたち(写真13)リハビリ遊具で家族と一緒に訓練する子どもたち(写真14)

あとは貧困な障害児世帯。この写真(写真15)はおばあさんとお孫さんになりますが、お母さんが知的障害があって、売春をしてしまったり、物乞いをして生活をされているということで、養鶏などの仕事で少し収入の向上を目指すようなことのお手伝いをしたりします。教育関係では、障害児教育学校だとか地域学校に連絡をしたり、障害児のキャンプというようなものをNGOのほうで仕掛けていきます。今は学校で自主的に先生方がつくるようになって、徐々に手が引けてきているという状況です。こういった形で学校で習っています(写真16)。

CBRケース(養鶏による生活支援、ナコーンシータマラート県)(写真15)

地域の学校で学ぶ(ナコーンシータマラート県)(写真16)

これ(写真17)は学校の訪問教育の現場です。実際はほとんど行ってないんだと思うんですね。

地域の学校で学ぶ(ナコーンシータマラート県)(写真17)

次は職業関係ですが、学校のほうへ紹介したり、技術の研修会をしたりします。これ(写真18)は国立のリハセンターになるんですけれども、美容だとか理容、そしてテレビ・ラジオ修理、民芸品作り等があります。ここは100人定員の1年寄宿舎制で、お金もかからないんですが、定員を充足しておりません。明らかに、「いっぱいだ」とか言うんですけど、これは多分嘘で、オフレコですが、充足率は非常に悪いと思います。やはりコンピュータによる科目だとかがなくて、就労に直接結びつかなかったり、少し古いプログラムだったりして、現地の方に残念ながら人気がない、もったいない資源、国立の施設ですね。南タイ14県をここ1か所でカバーするはずなんですけれども、そういうところは、ちょっと残念に思っております。

国立南タイ障害者職業リハビリテーションセンター(写真18)

これ(写真19)はヤンリパオと言いますけれども、ツルを編むような仕事を在宅の障害者がしたりします。あとは、魚の網作りですね。これをご家庭のほうでやったりしています。社会啓発ということで、ナンタルンという、現地に革で作った人形劇のようなものがありますが、この中に障害理解のプログラムを私どものほうでつくって、それを普及してもらうようなことをやったりしました。NGOの仕事としては、やはり保健所の職員の研修だとか、行政職員の研修というのが大きな仕事になっています。最近では、後ほどお話ししますが、オボトーという行政単位の自主機関のレベルでの勉強会なんかの講師が多くなっています。

伝統民芸品の製作(ナコーンシータマラート県)(写真19)

ちょっとまとめますと、このナコーンシータマラートにおけますCBRプロジェクトの特徴としては、他機関と行政との連携が非常にうまくいっていると思います。職員体制は、しかし、実際は3名しかおりません。1名がイスラムの方、2人が仏教徒という割合でやっています。そういったネットワークを使いながら、少ないリソースで連携をしながらCBRのプロジェクトをつくっているところになります。

これ(写真20)は2004年の終わりに完成した、今のプロジェクト地です。これは左右対称の建物で、向かって左側がCBRプロジェクト事務所、向かって右側が私たちのほうで、この場所が支援しています障害者作業所になります。こちら(写真21)がCBRの事務所です。立派に見えますが、これほとんど手作りで、扉とか隙間とか空いたりしています。お湯だとかはもちろん出ませんが、見た目はちょっと立派です。あとはスロープを付けたり、障害者用のトイレ、引き戸を付けたりとか、そういったことを、こちらのほうで、技術と言うか、発想を提供してつくってもらいました。ただお金がなくなっちゃって。引き戸とかも値段が高いでしょ、日本だとかは。トイレの大きな扉だとか。そういうのは全部手作りでつくったんですけど、鍵のための予算がなくなって、ただ針金を引っかけるだけになってしまったり、まだまだ、見た目は立派なんですけど行き届かないところが多いです。

左右対称の建物(写真20)

CBRプロジェクト事務所内部の様子(写真21)

課題としては、今後このNGOのプロジェクトがどういうふうになっていくかというところが大きな問題だと思います。今、バンコクを本部に持って、そのブランチ(支部)という形でやっていますが、ローカルに転換していくとすると、バンコクのお金が流れてこなくなってしまう。そうなると継続が難しいんじゃないかと。先ほどのスィブンルアンという東北タイでの成功事例は、今は、かなり停滞をしてしまっているんですね。このNGOが引いた後CBR委員会に移ったんですけれども、その後うまく引き継がれなかったようなところがあって、なかなか継続という、先ほどのテーマについて難しいことを実感しております。

 

ノンカイなどでも大きなCBRのプロジェクトがありましたが、欧米のNGOの資金が途絶えた途端に苦しくなったり、そういうところで継続性の問題があるかと思います。マンパワーですが、リーダーとなっているCBRのワーカーだとか、責任者の方たち、見ていると、本当に障害者の活動もそうだと思いますが、リーダーが、本当にこの人倒れたら何も残らないんじゃないかというようなことだとか、そのリーダーのメンタルケアと言うんですかね、燃え尽きたらどうするんだろうとか、そんなところは、とても現場で見ながら一番気になっているところです。

先ほどお話ししたオボトーという郡の下のレベル、村の上のレベルが、かなり自治の中心になってきて、コミュニケーションを図ってきています。障害者のプログラムを実施したりしています。今、300〜500バーツ(1バーツ約2.8円:2009年6月30日現在)、それぞれ手当として、年金と言うんでしょうか、障害者に給付されています。以前はもらうのが非常に難しかったんですが、今、ナコーンシーの場合、9割ぐらいのオボトーでは申請すれば取れるようになってきています。ただ10%ぐらいのところでは、まだもらえないと。あとは障害関係のボランティアをもっているオボトーというところもあります。そちらでマックスは月1000バーツぐらいを支給しているところもあるんですが、まったくそういうシステムがないところもあって、オボトーごとの格差というのがかなりあるように思います。まあこんなような状況です。

 

最後に障害者のフェアトレードのお話をしたいと思います。現地では、作業障害者工房はココナッツ、チャロングというところは草木染め、そしてGoSoDoというところは布製品というような、いくつかのそういったグループがあります。その他に現地の民芸品を作ったり、養豚だとかそういったことをするような活動があります。その中で、私どものほうで支援しているGoSoDoでは職員雇用をしておりまして、月によって随分違うのですが平均すると、円に直しますと月額2万5千円。それから事務所の借り上げと水道とかそういった運営費で3万。それから送迎サービスみたいなことをしますので月1万、通信費で1万5千、その他フェアトレードの商品の買い付けだとかこちらの渡航費等は入れていませんが、現地で出るのはその程度のお金で、少ないときはもっと少ないですね。それ以外にはお金には換算できないんですが、事業の計画だとか評価の方法だとか、ミーティングの持ち方だとか、広報の仕方、そんなことを毎回レクチャーしながらやっています。

ココナッツの殻も加工して製品作りをします。現地は非常にゴムが多いです。生物多様性の問題ですが、現地ではもうほとんどゴムとパーム椰子に汚染されてしまっているぐらい、本当にちょっと怖い状況かと私は思っています。

作業障害者工房にはココナッツを使ってものづくりをしているグループ、草木染めをするグループ、ポカラという主にココナッツのアクセサリーづくりをしているグループなどがあります。

ここで3つのグループだけを取り上げて比較してみました(図3)。作っている製品については先ほどお話ししたとおりです。技術のあるリーダーがいるところが上2か所で、下にはいません。GoSoDoにはいません。それからリーダーの学歴で見ると、中卒、中卒と未就学になります。技術力的には上から順番に高くなっています。そしてマーケットを持っている能力的にも上から下に低くなっていきます。

障害者の生産グループ:3つのモデルグループの比較(図3)

活動自体がうまく伸びているかどうか、これは細かい会計処理とかあるんですけれども、そういうの、特になしで見たときに、伸びていると感じるところ、施設が拡充されるような要素があるところというのは上2つで、下のほうはあまり変わらないですよね。つまり私たちが支援しているところが一番伸びないという現実があります。これはおそらく、在宅で仕事がなく無為に過ごされている方を、「どうぞいらっしゃい」というような形で進めている部分で、まず障害リーダーがいないということ。それから、そういう意味でモチベーションがまだ上がらない。バンコクの障害者の活動とか、非常に先進的な人権意識というのは、彼らにはまだ全然届かないので、そういうところが問題なんじゃないかと思っております。

さらに、障害者の建物の支援などを少しやっています。送迎もバンの荷台に乗って行っています。お菓子だとか、そういう食べ物、外食文化のタイでぜひ広めたいんですけれども、徹底的な現地の差別があって、ここまでできていません。が、そろそろ機が熟すかなということで、外食文化に乗せて大儲けができるのではないかという期待もあるんですが、どうなりますか。これから挑戦していきたいと思っています。

 

今後の方向性としては、この20年、現地のナコーンのほうで10年やってきまして、行政のほうが、タイの経済成長とともに、かなり力をつけてきています。そうした中でNGOの活動をどういうふうに展開していくかというところで、今、考えどころだろうと思います。

また活動が広域化してきたり、その一方でタイの南部のほうは治安の問題もあって手が広げられない状況があります。さらに、このプロジェクトが特に財源的にだとか、自立的にどうやったらやっていけるかということが一番大きな問題だと思っています。

支援する私たちとしても、冒頭にお話ししたように、定点活動ということで、この地では10年やってきたんですが、ちょうどプロジェクトの見直し期になります。現地では例えば、GoSoDoのメンバーが精神病を発症したんですが、そのケアがまったく現地ではできなくて、プロジェクトから外さざるを得なくなったりとか、そういう障害の種類だとか、特に精神障害の方だとか、そういったことにまったく対応ができていないところを深めていったり、活動地域を広げるとか、そういうことのお手伝いができないかというふうに思っています。

以上です。