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講演2−3 災害後のCBRの実施

松井 では今、マラトモさんからお話しいただいたことについて、ご質問等がございましたら。

 

質問者 CBRの津波支援という新しい視点を与えてくださってどうもありがとうございました。私から2つ、お伺いしたいことがあります。1つは以前、アチェの地域研究者の発表を聞いたことがあります。そのときに「ポスコ」という単語を聞きました。もし「ポスコ」についてご存じでしたら、教えてください。

2つ目の質問ですが、昨年、アジア理学療法学会が日本で開かれました。そのときに来日したインドネシアの理学療法士から、アチェには2回の津波が来た。1回目は自然災害の津波で、2回目はお金の津波が押し寄せた、と伺いました。マラトモさんもソロを拠点として活動していて、アチェの地域社会の人にとってみると外部の人ということになりますが、私たち外国の支援者がその地域に関わるに当たって、外部の者としてどんなことに気を付けたらいいのか。配慮すべきことがあるとしたら、どんなことがあるのか、そのことについて教えていただきたいと思います。

 

マラトモ 「ポスコ」はインドネシア語で「ポスト」のことです。支援のためのポスト、つまり拠点です。ジョグジャカルタで津波や地震が起こったときは、多くのNGOも政府機関もポストを設立して、津波の犠牲者、地震の犠牲者を支援しました。

このポストではたくさんの地域指向型の活動が行われました。ここに理学療法士、作業療法士、専門家が常駐して、ここから出かけてテントやバラック、仮設住宅にいる津波や地震の被災者にサービスを提供し、またポストに戻ってくるのです。つまり「ポスコ」というのは津波・地震被災者支援のための拠点です。去年、その活動が終わり、アチェとジョグジャカルタでの復興・再建に関わる特別機関も終了したこともあり、アチェとジョグジャカルタで実施されている政府の津波・災害被災者を支援する特別プログラムはもう無くなってしまいました。でも、私自身としては、プログラムの持続性をもっと考えるべきだと思います。ポストは、緊急の時だけ支援するのですが、CBRセンターでは緊急時だけに限らない持続性を考えています。特にCBRはそうだと思います。地域社会と障害者を持続的に助けていかなければいけません。

ポストのプログラムは期間が限定されていましたがCBRセンターはこれは続けるべきだと思っています。今日だけ、あるいは今年だけ、あるいは去年だけではなくて、もっと長く続けなければいけないということで、私たちは戦略を練っています。これがポストについてのお答えです。

 

次に、外部の人からの支援というご質問ですが、アチェでは本当に重要な問題でした。アチェの強いイスラム文化にふさわしくないような外部からの支援もありました。例えば、衣料品などの支援物資に「十字」がついていると、アチェの人はその「十字」はキリスト教を意味するから拒否しなければならないと考えるのです。アチェは強いイスラム圏で、政府もアチェに対しては自治を認め、イスラム法で治めてよしとしているのです。

津波以前のアチェには独立運動という内部紛争が多くありました。分離主義も強かったのです。アチェ自体の状況がそもそもよくなかったのです。しかし、外部の人に対して以前は非常に閉鎖的だったアチェの人たちは、津波の後は、これは津波がもたらしたプラスだったかどうかは分かりませんが、非常にオープンになりました。理由はおそらく、まず援助が必要だったこと、そして自分たちだけでは問題を解決できないということが分かったからかもしれません。インドネシア政府だけでは不十分だし、インドネシアのNGOだけではなく外国からの支援が必要だということが分かったのだと思います。

そして、英語で説明するのは難しいのですが、私たちがイスラムのルールに反しないような普通の行動をすればいいのだと思います。アチェの女性は「ジルバブ」と呼ばれるスカーフのような物を被ります。以前は外部の人もこれを被らなければいけなかったのですが、今は、外部の人は被らなくてもよくなりました。外部の人が多く入ってくるようになり、このようにアチェの文化も多少変わってきています。

 

質問者 大変興味深いお話をありがとうございました。今回の津波による被害というのは、すごい災害だったと思います。その後のCBRについて、いろいろお話を聞かせていただいてありがとうございます。

私の質問は、むしろ災害の後と言うよりは、災害中についてです。おそらく障害をもった方は、子どもや女性など、普通、社会において「弱者」と呼ばれる人と同じように、障害をもっていない人に比べると、被害に遭う、あるいは被災する割合が非常に高いのではないかと思います。インドネシアの今回の津波でも、そのような例が多かったのではないかと思いました。災害の多い地域では、災害に対しての準備をやっていかなければいけないのですが、障害をもった人たちにどのような災害に対する準備をすることが必要か、障害をもった人たちがさらなる被害を受けることがないようにするために、私たちはどのように準備しなければならないかについて、今回の経験を通して少しご紹介いただけたらと思います。

 

マラトモ 災害後で遅すぎるかもしれませんが、今、多くのNGOが次の災害に備えるためのプログラムを作成しています。実際に災害の最小化、災害管理などに関する災害対応プログラムの研修を実施しているNGOがあります。大半は日本の経験に基づいています。日本からの専門家が、地域住民や学校、障害児の通う特殊学校を対象に研修・訓練を実施しています。災害前に予防対策を行うということです。きちんと予防・対応することは極めて需要ですから、これは非常に興味深い活動だと思います。

災害の後、インドネシア国民の間には、災害時には、障害者にはまだ保護が必要だという認識が高まりました。ということで障害者も防災訓練を受けたり訓練資料を入手できるようになりました。もともとの訓練資料は日本のもので、それをインドネシア語に翻訳し、障害児とその家族、学校などの防災訓練で活用しています。

防災は重要ですので、CBRと防災を含む災害管理という考えの下で、次のプログラムとして準備しています。アジア太平洋諸国間で経験や問題を共有しながら、災害後の管理というCBRの研修をするつもりです。

 

チャパル 災害時に何をするべきかという問題提起に関してコメントをさせていただきます。マラトモさんは、災害後に救援物資が世界中から押し寄せたし、お金の津波が起こったとおっしゃいました。先週WHOで会議が開かれた時、私たちの局長が、ガザにあまりにもたくさんの医薬品が来すぎて、倉庫が一杯になってしまった、と困っていました。この医薬品のほとんどがマラリア用の錠剤でしたが、ガザにはマラリアなんかありません。実は支援は大きなビジネスチャンスでもあるわけで、いろいろな力が働くのです。本当に役に立つのかどうかも考えずに支援物資を送る、あるいは本当に改善するのかどうか、持続可能性があるのかどうかさえも考えてないのです。

例を2つ申し上げたいと思います。まず、紛争後のモザンビークの例です。支援団体が9か所のリハビリテーション・センターをつくりました。これら9か所の維持費だけで、モザンビーク政府に100万ドル以上の費用がかかりました。モザンビーク政府にはそれだけのお金はありませんから、9のうち7つはもう閉鎖されてしまいました。このようにお金や支援物資の無駄の例が数多くあります。これは計画が不適切だったからです。

私はWHOでシエラレオネを担当したことがあります。シエラレオネは、手を切断されたりするような紛争が多かったのですが、世界中から支援金が来ました。NGOが駆けつけてきました。35のNGOが義肢などを寄付したのですが、2年後には2つの団体しか残っていませんでした。ですから、どのような支援をする場合でも、本当に貢献しているのか、あるいは、長期的にはその国を台無しにしてしまうのではないか、よく考える必要があります。

 

松井 他にいかがですか。

 

質問者 笹川記念保健協力財団の山口と申します。CBRについては全くの素人で、今回は勉強のためにまいりました。カスナビス先生とマラトモ先生のお話を伺った後で、1つ質問があります。アチェの対策にインドネシアのCBR研修センターが関わったのは、アチェで被害を受けた障害者への対応が大切だったからだと思います。しかし、いろいろな施設なりシステムがダメージを受けていたのだとしたら、その救済に関わった多くのNGO、国際NGO、住民組織に対してアチェの復興には、「障害者が普通に生活できる、生活を維持、再建できるようにするというそのコンセプトが必要なのだ」というメッセージを届けることが、インドネシアのCBRセンターとして一番大切なことだったのではないかと思う次第です。そのことに関してマラトモ先生たちの活動ではどう対応されたのかということを伺いたいです。

 

マラトモ アチェで活動しているNGO、地元のNGOはたくさんありますが、実際には、コミュニケーションはあまりありませんでした。特に最初の1年目はコミュニケーションが欠如していました。またNGO間の連携、政府との連携のためのコミュニケーションもありませんでした。政府、アチェに入って来た国際NGO 、地元NGOは、それぞれ個別に独自のプログラムを持っており、時には重複してしまったのです。その上お互いにコミュニケーションがうまくとられていなかったということが実際には大問題でした。

そのようなわけで、やはりよい連携が必要だと思いました。政府はそのような連携を目的としてアチェ復興・再建特別機関を設置したのですが、この特別機関ができてもなお、アチェで活動している国際NGOすべてを連携させるということはできませんでした。私たちのCBRセンターは地元の政府機関とNGOとともに、1つのフレームワークの中で協力して活動していました。

私たちは津波の前にもアチェで活動していたのですが、当時は被災前の通常の状況でした。アチェの地元NGOであるインドネシアの「障害児育成財団」と協力していましたので、津波の後も災害に対応する目的でその協力関係を続けました。また、津波の前はアチェには障害当事者団体はありませんでしたが、私たちがCBR活動を始め、自助グループを設立して、初めて障害当事者団体ができたのです。全国規模の障害当事者団体もまたアチェに自助グループを作ろうと取り組んでいたのですが、お互いになかなかうまくコミュニケーションがとれないという状況があり、連携はうまくいきませんでした。将来、アチェの復興・再建が完了したら、すべてのNGOと国際NGOは集結してアチェの復興・再建の成果について一緒に話し合うようにと、政府から要請が来ています。しかし現状ではコミュニケーションは十分でないと認めざるをえません。

 

松井 他にいかがでしょうか。どうぞ。

 

質問者 CBRを勉強している学生です。特に津波や災害の後では、障害当事者の人も、障害をもっていない人も、自分たちでここを復興していくという気持ちよりも、もっと支援が欲しいという気持ちのほうが強いと思います。私も実際、津波やスマトラの地震で家族を亡くされたインドネシアの方とお話をしたことがありましたが、非常に絶望的で未来に希望もないという話をたくさん聞きました。そういうときに、それでも自分たちで復興していくのだ、CBRをやっていくのだと思ってもらえるような一番の動機付けはなんだったでしょうか。

 

マラトモ 災害の後はすべての人が、家族を失う、仕事を失う、ストレスがある、トラウマがある、希望を失う、という状況になります。障害者であろうとなかろうと関係ありません。そしてその通りです。動機付けが重要です。

アチェでは、地元のリーダーに活躍してもらいました。イスラム教徒の人たちはインフォーマルでも、伝統的な長老でも、リーダーに従います。リーダーが何かを言えば、皆、ちゃんと従うわけです。リーダーが認識しているということが重要です。意識の高いリーダーと私たちが協力して、人々に動機付けをすればうまくいきます。インドネシアでは信仰心の厚い人たちが多いので、宗教活動の中で動機付けを行いました。励ましたわけです。

さらに、地震のあったジョグジャカルタ州では、王様であるスルタンが人々の尊敬を集めています。この王様が言ったことに、人々は従わなければならないのです。ですから、フォーマル、インフォーマルなリーダーを味方に付けて動機付けをするというのが非常に重要だと思います。

外部の人が人々の中に初めて入り込んで、被災者を動機付けたり励ましたりするというのは難しいです。時間はかかっても、徐々に現地のリーダーと一緒になって効果的に励ましていくことができると思います。

 

質問者 浦和大学に勤めています。非常にすばらしいご講演、どうもありがとうございました。

持続可能性についてお聞きします。日本の場合は、政府が障害者運動に対しても税金をかなり出しているという歴史があります。その結果、障害者団体も大きくなってきたという側面もあるのではないかと思います。今までの話をお聞きしていますと、おそらくインドネシアでは、政府がそういった活動にお金を出そうと思っていないのではないかという気がします。今後、持続性を考えた場合に、政府からの何らかの支援は必要ないのでしょうか。

 

マラトモ おっしゃるとおり政府は支援すべきであると思います。しかしインドネシアでは、津波や地震が起きたとき、政府は対応の準備ができていませんでした。突然の事態だったので混乱したからだと思います。災害後でさえ障害者のための特別予算も十分にはありませんでした。もっとも、通常でも障害者関係の予算は非常に限られています。

CBRセンターなどのNGOへの政府支援は特にありませんが、政府との協働という形で活動しています。しかし問題は、政府の政策担当者の意識付けです。どのような政策が障害者のためになるのかという意識付けです。政府はまだ障害者問題を政策の優先課題にはしていません。しかし、持続性のためにはプロジェクト指向型から国家的なCBRプログラムへ移行する取り組みを強化すべきであると、改めて申し上げます。政府が関わるべきですし、十分な予算を割り当てるべきなのです。これはインドネシアでは皆がいまだに四苦八苦している問題です。

この前のバンコクの会議に、私たちはインドネシア政府を招待しました。つまり政府はNGOの招待で出席したのです。バンコクに50ものNGO団体が集結するということで、政府も出席したかったのです。会議の後にインドネシアチームは政府と話し合いを持ち、将来は国としてもっと注意を払うこと、特に十分な予算を割り当てることを要望しました。政府は約束はしてくれました。ただし、政府が議会に予算を要請しても、議会による承認という問題があります。また、議員を交代させて議会が障害者に対してプラスの意見を持つようにすることも必要でしょう。確かに、おっしゃるように国の関与が必要です。国は災害後であろうと通常の状態であろうと障害者の人たちの幸福に責任があるのです。

 

松井 他にございますか?

 

質問者 私は視覚障害当事者です。当事者からしますと、災害が発生したときは周囲の方の協力が必要ということは言うまでもありません。例えば津波のときでも、視覚障害者の場合は、普段歩ける所が歩けなくなるわけです。阪神・淡路大震災以降だと思いますが、私の所にも地域の消防署から、障害者は何が必要か、災害が起きたときにはなにが不自由なのかという調査が来ましたので、回答しました。

インドネシアでは障害当事者団体は津波の後でできたそうですが、地域の住民は「地域に障害者がいる」ということを知っているのでしょうか。いざというときはやはり近所の方の力が第一だと思います。NGOや組織が動く前に、地域の住民の方に、どうなのかと様子を見に来てもらったり、あるいは何か必要なことを助けてもらったり、こちらからも情報を出したりということが必要になるかと思います。このような地域住民との関わりについて、アチェに限らずインドネシアで災害が発生したのをきっかけに何か変わったところはありますでしょうか。住民の連携が取れたとか、あるいは障害種別ごとに異なるニーズなども含めて、周囲が協力できる体制が構築されているのかお尋ねします。

 

マラトモ 大変興味深いお話をありがとうございます。障害者の方々が災害時にどうやって自分の安全を守るかということについて、今のお話で私も大いに勉強になりました。

NGOについて申し上げますと、地域社会と障害者が協力して一緒に問題解決ができればNGOはもう出て行っていいのです。もう必要なくなります。NGOは世話役になっていればいいのです。地域社会が障害者についてきちんと分かれば、NGOはその段階で出ていけるはずです。いずれにいたしましても、地域社会の意識向上、意識感度向上プログラムがたくさんありますので、障害者についての認識を深めることが出来ます。

さらにパンフレットによる情報や障害当事者のロールモデルなどから学ぶことが出来ます。私の上司はフィールドワーカーですが障害当事者です。ほかのフィールドワーカーにも障害当事者である人たちもいます。このようなロールモデルの中に地域社会の人たちは障害者の成功物語を見るのです。能力を知るのです。こういうプロセスが大いに地域社会の意識を向上させると思います。

その他の啓発プログラムとして、フォーカスグループでの討論を実施しています。インドネシアの人たちはよく、集まっては会合を開きます。時間がたっぷりある人が、午後などには集まっていろいろ話をするのが好きです。そういう時に小グループの集まりを開き、障害者がリソース・パーソンとなって参加すれば、地域社会にとって有効な意識向上キャンペーンになります。

 

松井 この分野の専門家から、もし何かコメントがあればお願いします。

 

質問者 DAISYコンソーシアムと国立障害者リハビリテーション・センターに所属しています。インドネシアのアチェを中心にしたお話、大変興味深く伺いました。特に今、私どもが災害における準備で留意しておりますのは、やはり障害のある人たちの場合には、事前に準備がどれだけできているかで、生き残れるかどうかが決まってしまうというのがこれまでの災害の教訓ではなかったか、という点です。

従いまして、先ほど、これからのプロジェクトとして準備のお話がありましたけれども、これにつきましては、今ご存じのように障害者の権利条約の中でも特に触れられておりますので、ぜひグローバルなコラボレーションとして、これから進めていきたいと思いますので、よろしくお願いいたします。

 

松井 ではこれでマラトモさんの講演は終わらせていただきます。どうもありがとうございました。