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報告2−1 障害者の自立生活におけるCBRの役割

アジア・ディスアビリティ・インスティテート代表 中西 由起子

 

司会 2人目の報告者をご紹介いたします。アジア・ディスアビリティ・インスティテート(ADI)代表の中西由起子さんです。詳しいご紹介は資料の46ページをご覧ください。

中西さんは、国連ESCAP(アジア太平洋経済社会委員会)の社会開発部で、途上国の障害プロジェクトを担当されたご経験があり、そこでCBRの普及に努められました。現在では韓国、タイ、マレーシア、フィリピンなどでの障害者の自立生活研修を続けておられます。また障害と開発の問題を大学でも教えられています。JANNET(障害分野NGO連絡会)では役員をされていらっしゃいます。

 

中西 ご紹介いただきました、アジア・ディスアビリティ・インスティテートの中西由起子と申します。今日は、午後のセッションが、日本の障害者支援ですが、日本でのCBR支援に関しては、障害当事者分野でCBRを日本でやっているところがあるかというと、ないのが現実です。そこで日本の障害当事者の人が支援をしているILを中心にCBRを見てみたいということで、表題は「障害者の自立生活におけるCBRの役割」とさせていただきました。

1枚目のスライド(図1)ですが、CBRとILの発生を図にまとめました。これに関してはすでにチャパルさんのお話等にあったので、簡単に説明させていただきます。昔の伝統的な社会では、障害者に対して家庭での世話とか治療が行われていました。戦争によって障害者が増えてきて、女性もだんだん仕事を得るようになると、それでは、まとめて世話しろということで施設がつくられました。そこでは専門職が発達し、その中で「こういう状況でいいのか?」という人権的な側面から、先進国では自立生活運動が、登場しました。また途上国では、施設だけで障害者を支援してしまうと、これは1980年代、よくWHOで言っていたことですが、障害者人口の1〜2%しかサービスが受けられなかったので、CBRが出てきました。

CBRとILの発生(図1)

また別の、これも私がよく使っている図(図2)ですけれども、これでご説明させていただきます。さきほどチャパルさんのお話にプライマリー・ヘルス・ケアがありましたが、そのプライマリー・ヘルス・ケアの流れを受けてCBRが出てきたわけですね。これはWHOを中心に発展しました。さきにお話いただいたマラトモさんが代表していらっしゃるCBR開発研修センターは、インドネシアのハンドヨ・チャンドラクスマ先生がつくられたもので、WHOと同時期に、そこでもCBRと同じようなアプローチをされ、またメキシコではデビッド・ワーナーが同世にというように、世界的にサービスを地域に戻す流れがあったわけですね。

CBRとIL(図2)

このCBRの名前がずっと普及してしまって、その結果、CBR本来の意図したものよりもむしろ、一定の障害のみ、それから一定の年齢のみ、それから一定のサービスのみというような形のCBRが出てきました。それは「いいこと」と言うべきか、CBRの広がりには貢献しました。しかし、その中で、本当に「R」だけでいいのか。CBRの「R」は必要かという議論がILOなどから出てきます。自立生活運動はCBRから発生したわけではないのですが、CBRは本当に障害者のためになっているのかと考える障害者等を中心にここでILが強化されていきます。

反施設ということで、CBRと施設中心のサービスは出ていますが、CBRの場合には反施設と言うよりも、むしろCBRを補完するものとして施設は必要だと今までは説明されてきたと思います。

 

すでにCBRに関しては、皆さまずっと午前中、お話をお聞きになっていらっしゃったので、むしろ自立生活運動とはどういうものか、今まで出てきませんでしたので、その説明をざっとさせていただいて、それから両者の話に移っていきたいと思います。

自立生活運動は、1960年代、アメリカで黒人の人たちの激しい公民権運動がありました。その影響を受けています。それで1962年になりますが、カリフォルニア大学のバークレー校で、重度の障害をもっている学生たちが、そのキャンパス内での居住プログラムを始めました。これが今のILセンターの前身です。

この写真に写っている男性(写真1)。呼吸器を使い、それから手で、指本当に2本ほどでジョイスティックを動かして電動車いすを操作するこの人が、自立生活運動の父と呼ばれているエド・ロバーツです。彼は1972年、カリフォルニア州バークレーで自立生活センターを始めました。これが第1号となりまして、彼らの運動は1973年、アメリカのリハビリテーション法504条で、有資格の障害者の条件が確定され、そして1978年、リハビリテーション法が改正されて、自立生活センターは国から支援を受けられるということになって大いに発展していきます。

「自立生活運動の父」エド・ロバーツ(写真1)

自立生活運動の哲学ですが、4つあります。

  1. 障害者は施設収容ではなく地域で生活すべきである。
  2. 障害者は治療を受けるべき患者でもないし、保護される子どもでも、崇拝されるべき神でもない。
  3. 障害者は援助を管理すべき立場にある。
  4. 障害者は障害そのものよりも社会の偏見の犠牲になっている。

2番目の「障害者は崇拝されるべき神でもない」については、途上国で障害者に接していらっしゃる方は、経験されていることだと思います。障害が異形なものとして排除されるということもあるのですが、それ以上に、何か神秘的なものだということで強い力を持っている、崇拝の対象になっていることもあります。

自立生活センターはアメリカで最初に発展したのですが、日本でも発展しました。日本でのILセンターの規定は、アメリカの自立生活センターの規定と同じです。その説明をして、自立生活センターというのはどういうものか見ていただきたいと思います

  1. 意思決定機関の構成員の過半数は、つまり51%は障害者であること。
  2. 意思決定機関の責任者または実施機関の責任者が障害者であること。
  3. 障害種別を問わずサービスを提供していること。
  4. 情報提供、権利擁護活動を基本サービスとして実施している上に、さらに次のサービスを行っていること。

a.自立生活プログラム

b.ピアカウンセリング

c.介助サービス

d.住宅サービス

 

つまり自立生活センターは、この図(図3)を見てくだされば分かるように、サービスの提供と同時に権利擁護活動とを、同等に同様のバランスでやっているセンターであるということです。だから単なるサービス提供団体ではないのですね。

自立生活センターの2つの活動:サービス提供とアドボカシー(図3)

そのサービスにはどんなものがあるかお話しします。自立生活プログラム。これは施設や在宅の閉鎖的な場所で暮らしてきた障害者が、社会の中で自立生活をしていくときに、対人関係のつくり方、トラブルの処理方法、金銭管理など具体的な生活技能を先輩の障害者から学ぶものです。ここでは自己主張つまりアサーティブネスを美徳としない日本での必要性を伝えて、しかもその相手を説得する技術を教えるわけです。特に障害者は、どちらかと言うとおとなしいほうが好まれるので、このアサーティブネスというところからは、ほど遠い存在でいますので、自立生活プログラムは有効です。

もう1つ、それと対をなすのがピアカウンセリングです。これは障害者に障害の受容や自己確立の必要性を説きます。つまり彼らは自分で何もできない存在、何の価値もない存在と思い込まされていて、その環境に問題があるわけですので、カウンセラー、クライアントという上下関係をつくらない、コウ・カウンセリングの方法を用いています。ピアカウンセラーにはロールモデルとしての重要な役割があって、障害をもっていることは1つの個性であるというような教え方もしています。障害者に、ただ周りの社会がその受け入れ態勢を用意していないために、自分が悪いような気がしているだけだから、社会の人の心の中の偏見や建築上の障壁の除去が必要なんだということを分かりなさい、ということを、ピアカウンセリングのセッションの中で、だんだんと分かってもらいます。「伝える」というよりも「自分で見いだしていってもらう」というほうが正しいかもしれません。

それから介助サービス。これは最初は画期的な試みでした。つまり有償化されていること、つまりお金を払っていること、それからあらゆるハンディキャップ者への無制限のサービスを行っていたからです。この制度が国に取り上げられて支援費制度に移行し、さらに自立生活支援法の中で、法律化されています。将来的には、確立されたパーソナルアシスタント制度ということになって初めて自立生活が完全に保障されたものになるのではないかと思います。

ここまでのお話をまとめてみますと、CBR、自立生活ともに障害者のエンパワメントを目指しているわけです(図4)。下のほうにCBRとありますが、ILセンターと同じ重きでエンパワメントには関わります。ただCBRの場合には、教育、それから仕事、保健・医療、社交・レジャー、エンパワメント、これマトリックスの5つの最初の項目と同じになりますが、その部分にCBRは全部関わってきます。

障害者の地域での自立:ILセンター、CBRの各活動とエンパワメントの関(図4)

自立生活の場合には、自立生活センターの自立生活プログラム、ピアカウンセリング、生活支援、そういうものを通して障害者がエンパワーされて、エンパワーされた障害者が教育、仕事、保健・医療、社交・レジャー、それぞれの分野に自ら関わっていきます。その違いで、大きく両者の違いを明確化することができるのではないでしょうか。

途上国では、実は自立生活の実践は不可能という誤解があるんですね。なぜかと言うと、自立生活は先進国の活動であり、途上国にはそれを実施する資源がない。でもこれは例えばCBRのときにでも、「本当に資源があるのか?」と問われて、地域の中の資源をシェアしていこうという活動から出発している、そのことと同じ理由です。

それからILの活動をする余裕がないからできない。これは途上国の障害者が忙しいということ。余裕は、社会的、それから物理的、財政的な余裕、全部に関わると思いますが、それがために先進国の障害者のように優雅に自分たちの運動ができないんだというふうに言われたこともあります。それから親元を離れ独立して生活するスタイルは途上国の文化になじまない。つまり自分たちは大家族制度の中に生きている。ただよく考えていただくと、大家族と言いましても、だんだん今はお父さんに代わってお兄さんが世話をするようになる。つまりお兄さんが世話をしてくれると言っても、実際に物理的な世話は、お兄さんのお嫁さんだったりします。そしてお兄さんのお嫁さんは、お兄さんが亡くなってしまうと、結局彼の世話は、もう義理でイヤイヤながらやらざるを得ない。または、親が亡くなると、今まで親切にしてくれたお兄さんが世話をしてくれなくなる例もあります。核家族化も起こってきます。実際は様々な事情を抱えているわけですね。その人たちにとっては、ILは1つの「ゴスペル=よい知らせ」になるわけです。それから介助者を見つけることができない。これはペイするということが前提になっていますが、途上国でも少額からペイを始めている場合もありますし、もしくはボランティアから始まっているところもあります。