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報告2−2 障害者の自立生活におけるCBRの役割

実際にどのようなところがILやっているのかと言いますと(図5)、NCIL、これはアメリカの自立生活センター連合体。カーリック(CAILC)、これはカナダ。ENIL、これはヨーロッパの連合体、それからAPNIL、これはアジア太平洋の自立生活センターの連合体で、これを見ていただけば分かるように、このAPNILにおいては、日本と韓国以外には、ベトナム、フィリピン、タイ、ミャンマー、パキスタン、それからネパールのような途上国でも自立生活運動は広がっているんですね。

IL運動の世界的な広がり(図5)

例えば韓国(写真2)の場合ですが、これは地下鉄のアクセス化を目指して、かなり激しい闘争をしました。それからこのようなセミナー、それから全員でのピアカウンセリング等を行いまして、日本から講師が行って、今、韓国では日本以上にILは広がっていると言われるほどに、例えば介助費がきちんと法律化される等の事態が起こっています。

韓国におけるIL運動の様子(写真2)

タイ(写真3)では、3つの地域の団体が中心となって、それぞれが競うような形でそれぞれの自立生活センターを作りました。彼らは権利擁護活動にも力を注ぎ、この新しいタイの空港においてもアクセスチェックをしましたし、またスカイトレインという市内を走っているモノレールがありますが、その駅にエレベーターを付ける運動でも体を張って抗議をしていました。

タイにおけるIL運動の様子(写真3)

パキスタン(写真4)は、イスラム圏の社会ですけれども、ここでは見ていただければ分かるように多くの女性の人たちも一緒に参加しています。これがために、パキスタンで地震が起こったときには、その女性障害者の人たちがピアカウンセラーとして関わっていけました。地震のときには家の中に女性がいて下敷きにされ障害者となった例がすごく多いんですね。その人たちに対しての支援を行いました。

パキスタンにおけるIL運動の様子(写真4)

フィリピンにおいては、ピアカウンセリングから出発し権利擁護活動等、今始まったばかりです。

マレーシアにおいても同様なことが言えます。

それからベトナム(写真5)は、つい今年始まりました。ただここでの活躍はめざましく、日本財団の支援がありまして、もうすでにこれを見てくだされば分かるように、介助者の訓練も始まっているんですね。そしてタイからも自立生活をしている人たちが指導に訪れまして、南南協力が実践されています。この写真でお見せした男性は、自立生活第1号のモデルとなるはずの重度のCPの方です。

ベトナムにおけるIL運動の様子(写真5)

途上国でも自立生活は紹介できるんです。ただそれを発展させなければなりません。どのような形で一番発展させることが可能かと言うと、障害者が自分の権利について知らされている、それから強力な障害者の自助団体がつくられている、権利擁護運動が実施されている、重度障害者の参加を奨励している、クロス・ディスアビリティの運動を目指している等の状態にあった方がいいです。

 

これらの要件に近づくように、今ご紹介したアジアの国々ではネットワークをつくって、そしてお互いに情報を交換して、もっと自立生活運動が推進できないか検討しているところです。

モデルの変遷(図6)。これが最後のスライドになりますが、今まで医療モデルの時代は、障害当事者の障害のみに焦点が当たっていた時代でした。このインスティテューション・ベイスト・リハビリテーションを中心とする医療モデルの実践の中で、障害者は一個の人間ではなくて、その障害しか見られないで、「障害者」というグループとして考えられてきました。

モデルの変遷(図6)

そこで人間の安全保障の考え方が出てきて、この人たちが地域の中で人間らしく暮らすために、障害当事者はどのようにあるのが一番いいのかが問われました。その答として出てくるのが社会モデルであり、そしてその実践的方法として紹介されたのがCBRです。そのお話は、スピーカーの皆さまの事例から出てきてお分かりになると思いますが。

そして、ただ社会モデルの中で障害者が社会に参加していくだけでは、障害者中心の住みよい社会はできなくて、根本的に障害者は一個の人間であり能力もあるというように人々の意識は変わらなければいけません。変革が必要であり、そのような社会変革のためには、人権モデルに移らなければいけないというふうに考えます。これは先ほどチャパルさんの話の中でも紹介されましたが、北欧を中心にして出てきた考え方です。これはILの中で一番追求されるものではないかと思います。

 

CBRの中で、ILの要素も取り込むべきだということが言われています。例えば2002年に「びわこミレニアム・フレームワーク」という、今実施されています「アジア太平洋障害者の十年」の活動計画がありますが、そこではCBRの要素を取り入れて、例えばピアカウンセリング等を取り入れて、CBRはより障害者中心に実践されるべきだということが強調されました。

「それだけでは十分だろうか?」ということを、あえてCBRを担当していらっしゃる方たちに訴えたいと思います。「当事者中心」というのは口で言うほど簡単なものではなくて、ただそこに来てもらって参加してもらったら当事者中心になるわけではありません。どうやって彼らが権利を獲得していくのでしょうか。そこにおける障害のない人たちの役割とか権限とかは、今までとはまったく変わるものになるわけです。

今「モデルの変遷」という形でお話をしましたが、障害のない人が、もしCBRを追求しようとするならば、それはILとどのような違いをもってCBRをやっていくのでしょうか。自立生活運動をやっている人たちは、CBRの活動にはもうILで実施してもらっても構わないという部分があるのではないかと思います。ただ、そのCBRが今後も続けられていくためには、障害者の権利条約に基づいて取り組みがされているようですが、その権利条約の意図するものがもっと十分に反映されなければ、CBRは、先ほど私、チャパルさんのご質問の中に含ませていただいたように、今までと変わらない、どちらかと言うとCBRという「R」の字に引っ張られた医療中心の活動が継続してしまう恐れを感じてしまうので、あえて今日はILの観点からCBRに対する見方を説明させていただきました。ありがとうございました。