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報告4−1 カンボジアにおける地域住民による知的障害者支援

日本発達障害福祉連盟 プロジェクト・マネージャー 沼田 千妤子(ちよこ)

 

司会 それでは最後のスピーカーをご紹介します。沼田千簱子さんです。沼田さんは、日本発達障害福祉連盟の理事で事務局長をされています。JICAの知的障害福祉研修コースの企画・実施にコースリーダーとして携わられ、CBRコーディネーター養成事業、ホンジュラスでの自閉症児療育技術移転事業のプロジェクト・マネージャーを経験され、現在では、カンボジア地域住民による知的障害者支援事業に取り組んでおられます。JANNETでは役員をされています。

それでは沼田さんお願いします。

 

沼田 ありがとうございます。沼田です。

先ほど小俣さんがローカルなお話というふうにおっしゃいましたけれども、私の話はさらにローカルになりまして、多分どんどんローカルになるようにプログラムが組まれたのではないかと思います。

「地域住民による知的障害者支援」(図1)

ご紹介させていただきます事業は、「地域住民による知的障害者支援」といいまして、カンボジアの2県で行っている地域住民、村人のプログラムです(図1)。上のほう漢字の下に「2004〜」と書いてありまして、そのあと2行下に、「日本NGO連携支援無償協力」と書いて、「2007年10月から」というふうに書いたんですけど、2004年からは私どもの団体が仕掛けた時期で、その後数年たちまして、外務省のほうのお金をいただくことになりましたので、それを分けて書きました。

事業地はカンポンチュナンとカンポンスプーという2県です。カンポンスプーは首都プノンペンから車で2時間ぐらい。カンポンチュナンのほうは3時間ぐらいです。瓢箪型みたいな地域の35村で事業を行っています。

 

今日は、背景、目的、ポイント、実際の活動、そして今後の発展をどういうふうにするのか、そして、反省点についてお話をしたいと思います。

背景として、カンボジアの知的障害者事情があります。カンボジアは人口1300万人ぐらいですので、WHOのパーセンテージで言いますと、13〜18万人ぐらいが知的障害だと思われます。専門的サービスについては、カンボジアはご存じのように内戦がありまして、内戦の後で生き残ったのはお医者さんが7人という状況ですから、内戦後知的障害の専門家はいませんでした。

その後外国の支援が入りまして、インドで何名かの方が知的障害の公的な教育を受けました。10名から15名程度です。その人たちが、この13万人をカバーすることはできませんので、専門的サービスはあきらめたほうがいい状況です。

CBRですが、カンボジアにはINGO(国際NGO)がたくさん入っていまして、身体障害のCBRに関しては、歴史があります。ただ、こうしたCBRは、身体障害と精神障害はカバーしていましたが、知的障害はやっておりませんでした。これが、私が最初にカンボジアに入った2000年の状況です。

その後、2004〜5年ぐらいからCBRが知的障害もやろうということになりました。知的障害と身体障害の違いというのは、身体障害の方は、何らかのサービスを受けた後CBRサービスから卒業していく方がいらっしゃるのですが、知的障害は卒業しないということです。カンボジアのCBRでも、知的障害者支援を始めると、それに人件費がかかりますから他の障害の方への支援ができなくなるという現象が見られました。また、CBRもお金がかかりますから、実際にCBRで何らかの支援を受けている人は、1%にはるか満たないというふうに言われています。そこで、ここのカンボジアで費用の発生する支援というのは難しいな、というのが感想でした。

一方、知的障害の特性ですが、知的障害は知能の障害で、他の障害のように補助具、例えば車いすですとか補聴器などでカバーできるものではなく、その代わりになるものが人の支援です。彼らは、一生涯、日常的に人の支援を必要とします。

先進国では、こうした人の支援がプロによって行われています。ただ、仕事として提供されるプロの支援は、彼らの孤独感を癒せないといいます。こういうことから考えて、知的障害の人には、日常生活を共有する場面で、理解して支援をしてくれる人が必須だというふうに考えています。この2つ(図2)を見ていただきますと、費用の発生しない人の支援があればいいのではないかと考えたわけです。

カンボジアの状況と知的障害の特性:カンボジアでは費用がかかる支援は困難だが、知的障害者は日常生活を共有する人の支援を求めている(図2)

事業の目的は、住民が日常的に知的障害者を支援する地域をつくる。今までチャパルさんやマラトモさんや、それから武智さんもおっしゃいましたけれども、社会を変えるというのをこの事業の目的にしました。

ポイントは、そういう地域をつくるためにはどうしたらいいのかです。まず知的障害者と非知的障害者の相互理解が必要ですので、そのためには住民と知的障害者が時間と場所を共有するということが大事だと思います。また住民に主体的にやってもらわなければなりません。そこで、住民が地域の調査をし、知的障害の状況を調査し、そして計画を立て実施するというプロセスのすべてを住民にやっていただくということを柱にしました。

これから実際に住民の活動を見ていただきます。

これ(写真1)は各村での住民ミーティングなんですけれども、PLAを、そのツールとしました。これは、もうすでに何名かの方が出していらっしゃいますけれども、PLAのマッピングです。こうして住民が集まりまして村の地図を書いて、「ここに森がある」とか「ここに学校がある」「ここに寺がある」とか、「ここに知的障害の人が住んでいる」とかということをマッピングしていきました。

各村での住民ミーティングの写真(写真1)

そうして見つかった知的障害の人たちが、これはPLAのツールではなかったんですが、この事業のために私たちがつくったというと大げさですけれども、始めたものです。

下の左側の写真(写真1)の右側の男の人、この人は当時16歳で、隣にいる人はお母さんです。この人がファシリテーターにインタビューをされながら「僕と何とかさんは、こんなふうに週に3回ぐらいどこかに行くよ」とか。「何とかちゃんのことを好きなので彼が学校終わるまで待ってて、帰り一緒に帰ってくる」とか。「でも、何とかさんのおじさんは僕のことを嫌いで口もきかないよ」とかということを図に書いたんです。すべての知的障害の人にこれをやってもらいました。この人は住民と非常にうまくいっている珍しいケースで、こういうことを書いた後、みんなの前で話をしたいというので、住民の前で「僕とみんなの関係」みたいな感じで発表をしたという写真です。

この隣の写真、右側の写真は、住民のミーティングで、村のことや知的障害者のことを調べた後に、みんなで、こういう状況だったね、じゃあどんなふうな支援ができるかな、みたいな話をしています。こうしたミーティングを200回から300回行いました。数字が非常にアバウトなんですけれども、冒頭に申し上げましたように、この事業に関して2007年10月から資金をいただいていまして、そのレポートをするために、昨年1年間は非常に細かくドキュメンテーションをしました。どこで何人の人が集まってどんな話し合いをしたというようなものなんですが、それが昨年1年間で100回、延べで1200人ぐらいの方たちが集まって話し合いをしていましたので、2004年からやっていることを考えれば300回ぐらいかなというので、300回と書いた次第です。

では、こうして住民が調べた中でわかったことを紹介します。まず経済状態ですが、村の住民は富裕層と中流層と貧困層と極貧層に分かれます。そのひとつである極貧層は年中食物が不足、年中病気、教育なし、家庭内暴力あり、椰子の葉の小さな家に住んで、農地は0.1ヘクタールです。また貧困層と極貧層は子だくさんです。そして、貧困層が30%、極貧層20%で、困窮している人たちが約半分ぐらい村の中にいるということが分かります。

事業前に、知的障害者の状況というのも村の人たちにインタビューをしたり、知的障害者へのデイリースケジュール(日課表)をやったり、シーズナルカレンダー(四季暦)などをやって調べました。それにより、いろいろわかりましたが、そのひとつが、彼らは「無能者」「変人」、ある村では「気違い豚」と呼ばれました。

知的障害者のうちの30%は学校に行った経験がありますが、そのほぼ全員が数か月以内に退学していました。理由は、学業についていけないとか、いじめられるとか、ぶたれるなどがありました。75%は日常的には家族と隣人以外には接触がありませんでした。これは後から出てくるレイプとも関係が深いんですが、多くの人は家に閉じこもっていました。

また68%は、村のセレモニー、この村はセレモニーやイベントが平均すると年に15回ぐらいあるのですが、68%の人が出ていませんでした。

また50%以上の人が、朝起きてから夜寝るまでの多くの時間、私たちは「12時間以上」というふうに区切ってみましたけれども、1人で何もせずに過ごしていました。これは次の20〜40%に放浪癖あり、というのが関係深いんですが、余暇をうまく使うというのはとても知的な活動でして、知的障害の人たちは「何もしなくていいよ」と言われると困ってしまうんですね。それで、放浪に出てしまい、1週間ぐらい後に道で倒れていたり、森の中でいるというのを発見されるということを繰り返していました。

また、いじめ、侮蔑、レイプというのが多発しておりまして、特にレイプは多くて、村を歩いていると、レイプの結果できた赤ちゃんとお母さんにたくさん会います。村の人たちに「レイプを何とかしようよ」と言ったら「それは日本人の考え方だ」と言われました。「知的障害者だからレイプぐらいしょうがないじゃないか」と言われて戸惑いました。