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基調講演
地上デジタル放送の今後に期待するもの

日本障害フォーラム(JDF)幹事会議長 藤井 克徳

 

皆さん、こんにちは。今ご紹介いただきました日本障害フォーラム幹事会議長の藤井です。日本障害フォーラムは、障害当事者団体の集まりで、現在、主な12団体が集まっており、今から4年半ほど前に結成された団体です。略称をJDFと申します。

今日は当事者団体の視点から、特に障害者権利条約の問題を少し深めていきながら、 情報保障ということについて40分ばかりお話しさせていただきます。ぜひ本日の議論に反映していただければ幸いであります。

 

「情報」の重要性

私たちの暮らしは、よく言われますように衣食住が根本にあります。最近は、この衣食住に加えて、情報が欠いてはならない要素になってきています。今日お集まりの東京会場、大阪会場を含めて、恐らくご自身の生活から携帯電話を外したり、またパーソナルコンピュータを外したり、あるいはテレビを外したら、生活が立ちいかないと思います。

憲法25条は、衣食住について明言しています。健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有するという部分です。恐らく数年前までは、情報通信というものは、どちらかというとこの憲法25条の文化的側面を言っていたように思います。しかし今となっては、単に文化的側面のみならず、生きる保障、生活の保障、健康で生きることが、この「情報」というものに加わってきているように思うわけです。特に障害を持った場合、単に一般の情報と見なされているものが、もしかしたら死活情報になっている、そういうことも少なくありません。とりわけ最も矛盾が集積化する災害時にあっては、まさに情報は死活にかかわるものになるのです。

したがってこの憲法25条の2つの構造、すなわち1階部分の健康で生きる、2階部分の文化的に生きるという部分、この1階の部分―健康で生きる、生命を維持するというところに、情報というものが否が応にも入ってきているのではないかと思うわけです。

さて、わが国では、特に今日のテーマでもある、テレビジョンということが一つの大きな課題になっています。 1953年、わが国で営業テレビが始まって、シャープ―当時の早川電機が、14インチのテレビを売り出しました。当時の価格で 17万円台でした。そしてテレビはあっという間に市民生活に入っていって、今言ったように生活の一部に組み込まれています。恐らく人生の一部と言っていいぐらいの意味を持っています。そのテレビが、2011年7月に地上デジタル放送への全面切り替えを予定しています。つまりテレビ放送が始まって以来の大きな革命が今、目の前に迫っているわけです。

私たち障害分野では、この大きなテレビ革命に今度こそ完全参加、全面参加することを期待していたわけであります。しかし今日現在、どうもその夢は完全には果たせそうもない、そういう思いでいるわけです。

 

情報と障害者権利条約

ちょうど、テレビが地デジへ移行していくこの時期に、もう一つ、障害分野にとっては大きな出来事が起こってきました。それが今日お話しする障害者の権利条約の動きであります。

これからお話しする、権利条約の内容を深めていけばいくほど、情報通信の保障ということが権利条約でいかに重要視されているかが分かります。情報通信保障を除いて、この権利条約の完全履行はあり得ないとまで言い切ってよいとさえ感じるわけであります。

ちょうど今日3月15日のフォーラムに先立って、5日前の3月10日に、私たちJDFは総務省を中心として、情報通信に関する関係省庁の担当部署にお集まりいただきまして、外務省の立ち会いのもと、権利条約と情報通信保障ということで2時間余の協議をしてまいりました。

結論から言いますと、あまりにもその回答は不十分でありました。つまり言い訳に終始し、これこれをやっていますということをおっしゃるのですが、確かにやっていなくはありませんが、それはあたかもストライクゾーンの一番の端をかすっているような、まさにアリバイ的な実施であって、とてもストライクゾーンのど真ん中に投げてもらっている実感を持てません。「やっていなくはない」という言い回し、「こうした理由でできない」という言い訳、そういう返事を2時間半聞いてきたという感じがしています。

そんなことを前段にお話ししておきながら、障害者権利条約について少し時間をいただければと思います。今日お手元には、障害者権利条約の政府の仮訳の全文を準備いたしました。間もなくこの仮訳の「仮」が外され、公定訳が出る予定なのですが、国会審議の関係でまだ表には出せないというので、今日は仮訳を準備してあります。なお、これと併せて資料の二つ目には、こうした障害者権利条約と関係する、他の人権条約が国連で採択された日程と、日本がこれを締結した時期を対比した表を加えてあります。三番目には3月 10日に総務省を中心とした情報通信に関する政府との協議に際してお持ちしたJDFとしての意見書をお渡ししてあります。さらに、権利条約がここにきて突然、国会承認をしたい旨の政府方針が出され、少し唐突な感じもあったものですから、それに対する私のコメントをお出しし、さらに権利条約に関する補足資料として、おとといの朝、日弁連から出された会長声明の全文をお出ししておきました。あまり会長声明というのは出されないのですが、今回は特別にこの権利条約に関して出されたということです。

 

障害者権利条約の採択の経緯

この障害者の権利条約でありますが、 2001年の国連総会で各国政府の首脳演説の中でメキシコ大統領が発題したものであります。当時はメキシコ政府のスタンドプレーではないかと日本政府は語り、冷やかな態度に終始していましたが、どうもこれは本物だということがわかってから慌て出したということを記憶しています。

そしてメキシコ大統領が発題した権利条約は、結果的にはこれを専門に検討する「特別委員会」を設けることで全会一致で国連総会を通過しました。特別委員会は 2002年から設置され、都合8回の委員会がニューヨークで開催されました。1回の会議は大体2~3週間という会期で議論が続きました。私も NGOの立場から4回、この特別委員会に傍聴団員として参加し、またロビー活動の一員として活動してきました。

そして 2006年の8月25日、この日は特別委員会の最終日でしたけれども、夜8時を過ぎた時間で、もう公用語の通訳は時間オーバーで誰もいませんでした。英語だけのやりとりの中で議場で議論を尽くし、オーストラリアのマッケイという議長さんが、「全会一致でこの権利条約を特別委員会として暫定採択をしたい、よろしいですか?」と延べ、そして全会一致で暫定採択になったわけです。

私は、このような場で何度も言うのですが、あの場に立ち会ってよかったなと思います。2分間以上にわたって拍手と歓声と口笛と足踏みが続き、ようやく障害問題の世界共通の法律が誕生した、あの瞬間でありました。もう、みんな隣人と抱き合ったり、喜び合ってその日が終わっていきました。

それから約4カ月後、2006年12月13日、障害者権利条約は第61回国連総会で正式な誕生を見たわけです。そして、2007年9月 28日、わが国は当時の高村外務大臣が国連本部に出向いて「署名」を行っています。署名とは、いわば国家としてこの条約の存在を認知しますというセレモニーです。そして昨年の4月3日に 20番目の国がこの条約に「批准」しました。批准というのは、改めて国連加盟国が条約を国家として承認すること をいうのですが、20カ国に達したことによってこの条約は効力を発し、「発効」となります。正式には、20カ国が批准した一月後の 2008年5月3日に発効となりました。先週現在で192の国連加盟国中、 50カ国が批准しているという状況になってきているわけです。

わが国は現在まだ準備をしておりますけれども批准はしておりません。

 

なぜ条約が大切か

さてこの権利条約の持っている意味合いについていくつかお話しします。権利条約の一番の意味というのは、障害分野に関する初めての国際共通語を得たということです。または、国際的に共通するスケール=ものさしを得たということであります。二つ目に、これによって国際比較がしやすくなることだと思います。さらに、これと関係しながら国際交流がより活発化する可能性が開けるということではないでしょうか。さらにもっと大きなことは、この権利条約によって、遅れている国々の障害者政策を発展させていく新しいテコができ上がったということです。とりわけアジア地域にとっては大きな意味があり、また日本も、残念ながら障害分野についてはとても先進国とは言えません。日本にとってもこの権利条約の持っている意味は極めて大きいものがあるかと思います。

 

内容のポイント

次に、権利条約の内容についてお話しします。特に今日のテーマである情報保障あるいは通信の保障という観点から、それを意識しながら考えていきたいと思います。

この条約は、3部構成からなっています。第1部として前文があります。非常に大事なことが書かれています。そして 50カ条の本則。これがメインになります。そして18カ条の選択議定書。これは本則に比べるとレベルが高いものであって、本則と選択議定書を分離して、国家はこれを分離承認することができます。分離承認というのは、本則だけは承認するけれども選択議定書はレベルが高いので後に回すということです。つまり、選択議定書のレベルが高すぎるために、本則までも承認を見送ってしまうことを避けるため、レベルの高いものを少し分けて、選択議定書という位置づけにしているのです。

恐らく日本政府は選択議定書は当面は国会で受け入れる気持ちはないように思います。そういう点でいうと、 50カ条の本則をどう見るかということに尽きるかと思うわけです。

今日のテーマに即しますと、資料に書いてありますように関係するのは1条から5条まで―これは総則に当たるものです。そして8条、9条、11条、そして19条、21条―これは各論に入ってきます。さらには29条、30条、33条ですね。13条列挙しておきました。

今日お集まりの、情報分野に関心のある方たち、また障害分野との関連性で関心がある方たちには、ぜひともじっくりと仮訳をご覧いただきたいと思います。時間の関係もありますのでごく特徴的なところを挙げてお話を進めてまいります。

第1条でありますけれども、「目的」と書いてあります。ここで大事なことは障害の範囲をどう見るかという障害の概念を規定してあります。簡単に言ってしまえば、障害というのは様々な障壁との相互作用によって起こってくるという考え方を明文化したことです。

日本の国では、障害というのは、絶えず障害の原因、障害の種類、いつもここにさかのぼり、そしてそこで立ち止まってしまいます。ここで言っているのは、どんな原因であれ、どんな障害の種類であれ、結果として起こってくる障壁との相互作用、ここに焦点を当てるんだということを言っているのです。

今日、ここにいる方には敢えて語る必要はないかもしれませんが、私は全盲という状態で目が見えないわけです。今日は 40分間の時間を与えられました。さあ藤井はどうやって40分間を計るのだろうか。もし不思議に思っている方がいたら、ご心配は無用です。なぜならば、ここに時計があるのですが・・・(時計から音声が出る)・・・あ、あと二 十数分しかないなと分かるわけです。数年前でしたらこういう時計はありませんでした。つまり 10年弱前までは、時報という情報障害が強烈にあったわけです。私は点字を読めないものですから。

つまり、「音が鳴る時計」という環境があれば、少なくとも、私の時報の情報障害は消え失せるわけであります。障害は、なるほど環境との相互作用だということは、こうした点からもはっきりと証明できます。それは聴覚障害者の手話や字幕であったり、あるいは車いす障害者の段差、バリアフリーであったり、枚挙にいとまがありません。障害というのは環境との関係で、重くもなれば軽くもなる。このことを第1条には明言してあります。

さらに第2条は、もっと条約の神髄を深めているわけです。

ここには5つの定義を明記しています。意思疎通とは何ぞや、言語とは、障害者に対する差別とは、合理的配慮とは、ユニバーサルデザインとは。いずれもこのことは障害分野の最も根幹に関わる定義です。同時にこれに情報ということを合わせてみてください。情報と意思疎通、情報と言語、情報と差別、情報と合理的配慮、情報とユニバーサルデザイン。つまりこの定義はいずれも情報や通信と深い関係があります。

例えば「意思疎通」とは、11のファクターを挙げています。そこには手話もあります。もちろん点字もあります。拡大文字もあります。知的障害者へのわかりやすい表現もあります。そして利用可能な情報通信技術、これが意思疎通の中にきちんと明記されているということです。

また、「差別」というものは、障害を理由とした区別、排除、制限を言う、とされています。なおかつ、普段聞き慣れない言葉ですが、「合理的配慮」を欠くことも差別であることを明言してします。

「合理的配慮」とは何でしょうか。簡単に言えば、障害を持たない人と持つ人の関係において、障害からくる不利益や不都合は社会の側から変更や調整をしなさいということです。障害から来る不都合・不利益。情報や通信の不都合・不利益もあります。これを社会の側から、とりわけ公的機関または企業責任、双方から変更や調整をするということで、これが欠落した場合には差別に当たるのです。

ただここで一つ、あまりにも不釣り合いな過剰な負担があった場合にはその限りではない、ともされています。これは途上国への配慮であったり、あるいは零細小企業への配慮であったりするわけですが、少なくとも公的機関や一定規模の企業には普通なら該当しないと解釈した方が自然だと思います。

次に「ユニバーサルデザイン」についてです。これは、極力、一般の市民社会で共通に使えるものにデザインしよう、ということです。加えて、障害にとって特別に配慮することもあってよいとされています。ユニバーサルとは、極力、誰もが使いやすいものにしていこうということです。

私は情報や通信というのは、「文明」と言ってもいいくらいのものだと思います。情報通信文明の進化は著しいですよね。これによって多くの市民がたくさんの恩恵を受けているのは事実です。しかし、どうでしょうか。テレビができる前の情報の入り具合を考えてみてください。もっと昔、江戸時代のことを考えてみても構いません。その頃は、情報の入り具合の最先端を考えた場合に、障害を持っていても、一般町民も、それほど差はなかったと思うんです。しかし、大変な恩恵をもたらした情報の進化というのは、最先端だけはどんどん進んでいくのですが、それこそすごい速度で格差ができてしまったということです。

最先端を最前列に。それをどういうふうにしてやっていくのかということは、こうした5つの定義を深めていけば、そこに答えがあるような気がします。権利条約の定義で明記した意思疎通、差別、合理的配慮、言語、ユニバーサルデザイン。ぜひともこれについてはみなさんの中でも検討を深めてほしいと思います。

続いて、特に21条にはすばらしいことが書かれています。ここは表現及び意見の自由ならびに情報利用について書かれています。ずっと文面を読んでいきますと途中にこのようなくだりがあります。「様々な種類の障害に相応した利用可能な様式及び技術により、適時に、かつ、追加の費用を伴わず、一般公衆向けの情報を提供すること」―「適時」というのはタイムリーということです。かつ追加の費用を伴うことなく一般公衆に向けた情報を提供すること―地デジ放送を前にして、一体この国の情報通信行政、また、情報通信産業は、この意味をどういうふうに考えていらっしゃるのでしょうか。

第29条では、政治参加および公的活動への参加ということが書かれています。例えば選挙という大事な政治参加の権利が、政見放送を十分に視聴できないために、なかば縮減されてしまっている状況があります。あるいは、少なくない国民が関心を寄せる、衆参両院の代表質問、予算委員会などが、どうしてリアルタイムに聞けないのでしょうか。リアルタイムということの価値は、何ものにも代え難いものです。こうした意味で29条にも抵触する現状があります。

こうして考えてみると、50カ条の本則を含めて権利条約というのは、言い換えれば、情報通信の差別を禁止する条約と言い換えてもいいくらい、関連する内容がたくさん入っているわけであります。

 

条約の批准について

さて、この条約が一体、今後どうすれば日本の情報通信の分野の改善に貢献することになるのでしょうか。幾つかのハードルがあります。

まず国際条約というのは、国連で決まっただけではダイヤモンドの原石のごとく、何の光もありません。この原石をピカピカと光沢のあるものにするには、日本の国会、つまり衆議院で承認という手続きをとらなければなりません。憲法98条の規定によって、国際条約が衆議院で承認されたあかつきには、この国の法律と同様にして尊重されることになります。

具体的にどういう位置を占めるかというと、一旦衆議院で承認された条約は、一般法律の上に来るとされています。通常の解釈では憲法の真下、一般法の真上に位置するとされており、つまり一般の法律を拘束するのです。この国の一般の慣行、習慣、慣習を拘束するのです。私人間(しじんかん)の差別も拘束します。企業の不熱心さも拘束します。

ですので、私たちはこの条約を何としても批准をしてほしいと思います。

ただし、形式的な批准だけはやめてほしい。くれぐれも批准をする前に、もう一度障害関係の―情報通信分野を含めて、国内の関係法律とこの条約の50カ条との相互比較表を作って、条約の精神や条約の推移に合わせて問題はどうあるのかを点検するという作業をしていただきたい。こうした比較点検をすることによって、自ずと改善課題が出るはずです。この作業を、国会として、政府としてやってほしい。こう注文をつけてきています。

さらに、改正すべき法律、新しく作るべき法律を考えてほしい。とりわけ障害者差別禁止法です。それから行政や企業が実施を怠った場合、これを監視するモニタリングシステムが重要です。条約では 33条に厳しい監視機構の設置を言っています。政府とは独立した監視機構を新しく作ること、または作らないまでも作る筋道を示してから、批准してほしいということを、要望してきました。

 

批准に向けての進捗状況

JDFでは、外務省を中心として、内閣府、文部科学省、あるいは厚生労働省、総務省、近々法務省も予定されていますが、関係省庁と折衝を持ち、条約の批准に向けた作業を行っている真っ最中であります。

その矢先に突然、政府は2月の途中、厳密に言うと1月中旬以降なんですが、3月上旬に閣議決定をして批准したいという方針を出してきました。そのニュースに接した私たちは慌てて、今言ったように「形式的批准はやめてほしい」と申しあげました。やはり実質を伴った、すなわち国内の関係法との十分な比較検討、改善課題の明確化を行い、障害者差別禁止法や監視機構への筋道をつけること、これと抱き合わせでなければ批准は困りますと申しあげ、もう一度熱心な与党議員とも調整をして、いったん閣議の議題に挙がっていた案件を下げてもらいました。そして今日から3日後の3月 18日、超党派で作っている議員連盟総会を開催していただいて、改めてNGOとして、批准に向けた最低要件を申しあげることとしています。これを受けて、議員連盟の協力を得ていきながら、さあ今国会に間に合うのか、次期にするのか、こんなことの最終調整が今行われています。今日お集まりの皆さん、あるいは生中継を見てらっしゃる大阪会場を含めて、情報・通信の分野についてもこうした比較検討をしていただきたいと思います。最低これとこれは批准の段階で具体化をするようにと注文をつけるべきだと思うわけです。

 

条約を将来へ

条約の批准に関する日弁連の会長声明がおととい出されましたけれども、ここにも、今私が言った趣旨のことが書かれています。今、非常に大事な緊迫した状況ではありますが、権利条約は全面的に支持をしますし、無駄な時間があってはいけません。批准は急ぎたい。でも、それにも増して、形だけの批准はやめてほしい。なぜならば、さっきも言いましたように、ダイヤモンドの原石を磨く一番の方法は、やはり国会承認です。これが原石を研磨する一番大きな機会なのです。ここでしっかりと議論をし、必要な要件を伴って、高い次元での批准を実現したとき、権利条約の後々の効力、威力にも影響していきます。低い次元で批准してしまいますと、その程度の条約かということになりかねません。しかも一旦批准した条約というのは、国会での変更はまずあり得ません。つまり 30年後50年後に影響が続く、大きな北極星です。その意味で、大事にしていきたいと思うわけであります。

時間もまいりましたのでもう終わらないといけませんが、今度の権利条約と情報保障、情報通信という課題は非常に大事なものです。私たちにとって、情報の一般論を言う必要はないかもしれませんが、情報の本質と言いますのは、不確実性を精一杯減らすことです。つまり確実なものをその中から抽出し、これによって行動の規範を得たり、判断を起こす基本とすることです。情報がまともに得られないことは本当に大きなハンディです。

一方で、発達障害の方からは、「藤井さん、情報が多過ぎます。耳をふさぎたいんです」ということ―つまり情報の遮蔽保障をしてほしいと言われることもあります。

障害というのは、視覚障害、聴力障害、知的障害、精神障害、発達障害とそれぞれで、みんな情報の保障というのは極めて個別性があるということも、ぜひこの機会にご理解いただきたいと思います。

改めてそうしたことをお考えいただいたうえで、この権利条約の意味することを、ぜひとも今日は頭の一角に置いていただきたいと思います。

そして、かなり課題は進行しているとはいえ、まだ2年と4カ月ある地デジ放送への全面切換前であります。何とかこのテレビ革命、情報革命にあって、障害者も参画できるような道をみんなで考えていただきたいと思います。

確か、中国の孔子が言ったことわざだと思うんですけれども、「思うて学ばざるはすなわち暗く、学んで思わざるはいよいよ危うし」というものがあります。思っているだけで学ばないということは暗い、でもしっかり学んだのになお考えずに行動しないというは最も危ういということです。今日こうして、このことを学んだ皆さんは、学んだ以上は思っていただき、考えていただき、そして行動していただく。これを切にお願いしまして、基調講演を終わります。ご清聴ありがとうございました。