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緊急レポート 加藤 俊和

視覚障害者にかかわる取り組み

加藤 俊和

東日本大震災視覚障害者支援対策本部 事務局長

はじめに

今がどんな状態であるのかということを、しっかり考えておく必要があります。障害者で被災されて亡くなられたり、行方不明の方の人数がいまだにわかっていません。

視覚障害者で、私たちがつかんだ人数は、4月末時点で7名です。しかし推測しかできないのですが、約50名はおられるのではないかと見ています。ところが報道の中では、視覚障害者はほとんど死亡したり、行方不明になっていないかのような報道すらありました。このようなことがなぜ起こったのか、やはりしっかり考えておく必要があります。

震災における視覚障害者の現状

視覚障害者に関しては、阪神・淡路大震災のとき、即時に対策本部を立ち上げました。川越さんがハビーという組織を立ち上げ、全面的支援をされてきました。今回は大きな違いがあります。

例えば、岩手県盛岡市と沿岸部の宮古市は100kmも離れ、間に山脈すらある場所だということです。南北は500kmあります。実際に支援をしようとするときに、行くだけでも大変です。これが現実の姿です。

阪神・淡路のときは狭い地域が被災し、避難所も集中していました。そのため、実際の支援もある程度やりやすかった部分がありますが、今回は状況が異なります。そういう前提を踏まえておく必要があります。

次に、視覚障害者という立場を具体的に考えないといけません。先ほど、聴覚障害の立場の方のお話がありました。実際には、視覚障害者の場合、サイレンなり放送を聞いたとしても1人では逃げられません。極めて過酷な状態があるわけです。

今まで白い杖で歩けていたルートを避難するとしても、地震でいろいろな物が崩れた中では1人では逃げられません。それだけでも、大きな問題です。

特に、津波あるいは火災は、即、死を意味します。誰か手を引いてくれる人がいないと、視覚障害者は即、死につながるということです。

そして、何とか逃げることができても、避難所では困ったことがあります。まずトイレなんです。これをあまり強調するのは、それこそはばかられますが、単にトイレまで手を引っ張ってもらうだけでは足りないんです。トイレの形、水の流し方も伝える必要があります。一番ひどい場合は、自分の汚物を、目が見えないために自分で処理できない例すらあります。これは人間の尊厳にも関わることです。

避難所から即逃げ出して、半分壊れた家でも、自宅がいいといって戻った人が、16年前の阪神・淡路のときは、多数おられました。しかし、今回は、壊れてしまって戻れる家すらありません。視覚障害の立場で、いろんな問題があることを、まず踏まえておかなければなりません。

視覚障害者支援対策本部の組織

今日強調したいことは、視覚障害者がどこにいるのか、その人たちの支援を、私たちはどこまでできるのかという問題です。

実際は、私たちが手に入れたリストは、視覚障害者協会の会員名簿、点字図書館の利用者名簿、あるいは盲学校の同窓会名簿などでした。それを集めるだけでも、普通の任意団体では難しいです。個人情報の保護が大きなネックになります。

まず、それをクリアするため、日本盲人福祉委員会という組織に着目しました。これは昭和31年に作られた、視覚障害当事者団体、関係施設の団体、教育関係の団体で構成する組織ですが、この3部門をおさえたら何とかなると考え、この組織をフルに動かすことしかないと思ったわけです。

そして、各分野の名簿をともかく集めることを3月24日から始めています。

さらに、情報関係では非常に大きな組織である、全国視覚障害者情報提供施設協会(全視情協)の協力も得ました。それから、日本盲導犬協会の協力も得ました。盲導犬の活動とともに、東北で唯一の視覚障害リハビリを行う団体です。訓練センターが仙台に設置されています。視覚障害者を支援する唯一の場所ということとともに、視覚障害者の何を支援するかが大事なわけで、そうした立場から、この仙台訓練センターに、広域センターを置かせてもらうことになりました。

さらには、視覚障害リハビリテーション協会といういわば視覚障害リハの専門家集団の協力を得て、今回は組織作りをしっかりと行ってスタートしました。

障害者の実情把握と名簿の問題

ただ非常に大きな問題は、恐らく他の障害種別の団体でも共通する面があると思いますが、障害者のどれだけの方々を把握できているのか、ということです。

当事者団体の会員は1割程度しか、沿岸部では把握されていません。点字図書館を含めても、十数パーセントです。つまり、8割以上の人を把握できていないという現実です。

これが、今回顕著に現れたのは、4月末時点で私たちがつかんでいる、死者・行方不明が7人だという数字です。その何倍もの方が犠牲になっていると推測されます。これらの方々の存在はなぜ私たちに届かないのか。

言いにくいのですが、ここにご参加いただいている視覚障害者は、発言できます。視覚障害は、目は見えなくても言葉はしっかりと言える方が非常に多くおられます。しかし、その8割以上、多くの人は声を出されません。中途で40~60代で目が不自由になられた方が圧倒的に多いのが現状です。その人たちは、家にこもって、ひっそり生活している例が、圧倒的に多いという現実があります。避難所でも私たちが声をかけたら、視覚障害だと周りに知られたといって怒られた例は何例もあります。

県に働きかけ、視覚障害者の名前を聞き出したりもしています。県としても、県からもらった情報とは言わないで接してほしいと言われました。

しかし、避難所に行ったときも、そこの責任者は視覚障害だと知らないことがほとんどでした。だから声をかけることもできず、周りの様子を見て必要な支援を何とか行うおうとしました。これが実態です。

1つ大きな取り組みをさせていただいています。厚生労働省も巻き込み、県にも働きかけをしていただき、まずリストを出してほしいと、申し上げました。

今回、視覚障害関係団体で、日本盲人福祉委員会の中に視覚障害者支援対策本部を立ち上げました。そこはしっかりした信頼できる組織なので、名簿を出してくれたら私たちが回りますと申し上げました。そして、その体制も作りました。先ほどの視覚障害者リハビリテーション協会などの協力を得て、相談支援できる方が合計50名います。特に東北3県、岩手、宮城、福島にそれぞれチームを組んで回っています。

そのような体制があるから名簿を出してほしいと言いましたが、難しかったわけです。個人情報保護の、生命に関わる場合はこの限りではないという例外規定の適用は、恐らく安否確認のためには、震災後1か月以内になされないと意味がありません。その証拠に、ついこの間、6月上旬に岩手を回ったときは避難所にほとんどおられず、名簿が役に立ちませんでした。そういう実態もあります。

県を通じた資料送付の取り組み

私たちは、名簿は出していただかなくて結構、その代わり私たちが作った資料を視覚障害者1、2級の方全員に配布してくださいということで、資料、返信用の葉書、ファックス用紙などを入れたものを用意して宮城県と話し合い、6月17日に宮城県から、仙台市を除く全被災地の障害者手帳1、2級の1,100名に発送していただきました。避難先にも行っています。移られた人もいますが、把握できていれば、そこにも届いています。

6月20日からその返信葉書が届き始め、今日現在で320通くらいになっています。

1,100名のうち、320名が私たちの支援とほとんど結びつかずに、そのままおられたという事実です。この動きを仙台市あるいは岩手県、福島県へと広げる折衝を今続けています。

その中には、例えば音声時計って何ですかという質問もありました。つまり普段から行政で1、2級に数えられていても、視覚障害者の支援物資すら知らない、日常生活用具のことすら知らない方が非常に多くおられるという現実です。

そのとっかかりを今回作ることができたのは大きい成果だと思います。葉書がたくさん返ってきたので、うれしい悲鳴をあげています。資金が続くかどうかわかりませんが、いろんな物資の支援とともに、実際にその人たちを訪問し、心のケア的支援も含めてやっていかないといけません。その活動も緒についたばかりです。これは3か月あまりを経過した6月半ば時点の話です。県から発送したものが届き始めたという段階です。

情報を巡る視覚障害者のニーズ

障害者の支援をする場合には、ラジオ、テレビのことも当然言っていますが、それだけでは本当に難しい部分がたくさんあると思います。

例えば、福島県点字図書館では、電話連絡がとれない方に、地元のラジオ局にお願いして、ともかく電話連絡が欲しいと伝えていただき、何人もの方から連絡がありました。効果があったわけです。しかし、避難所にテレビがあっても、1台しかないテレビでは視覚障害者は近づくことすらできません。音声も聞こえません。聞こえたとしても、地元に行かれたらわかりますが、画面の周囲に、「このスーパーが何日から開きます」とか、「こういう支援が始まります」という情報が、テロップ的に入っていますが、音声にはなっていません。生活情報が多くあるにもかかわらず、各地元のテレビでも苦労して情報を出してはいますが、視覚障害者は、それを受け取ることができていません。

また、障害者自立支援法に規定されている地域生活支援に、コミュニケーション支援ということで、手話・要約筆記と並んで視覚障害者の代読・代筆が入っています。今回、手話や要約筆記と同じように、厚生労働省としてやっておられますが、要望はゼロでした。なぜでしょうか。実態に合ってない部分があるからです。視覚障害者にとっての情報というのは、今、貼り紙がされて、これから弁当がもらえるというとき、その瞬間に欲しいわけです。誰かに読んでもらったらいいわけですが、そうできない方も大勢います。それがないと生活にも困ります。自宅にいる方の場合も、近所でフリーマーケットなどがあっても、その情報が分からず、そこへ行って、欲しかった半袖のシャツを買うということもできません。

こういう情報は、もっと発信されていないといけないのですが、コミュニケーション支援でずっと付きっきりでできるという支援ではないので、間に合っていないのが現状です。

また、ガイドヘルパーの制度があっても、崩壊しています。ガイドヘルパー自身も被災されていたりして、「もう一度会いたい」とおっしゃっている人もいます。そして、視覚障害者をわかる支援をしてほしいと思っても、それもズタズタに切れているわけです。

そういう課題は、今、自宅にいる視覚障害者の実態として全然変わっていません。300人あまりのうち半数以上が、いまだに「ラジオ」を希望すると書いています。どれほど情報が届いていないかの現れでもあります。

地元のFMラジオなども復活したりして情報があります。そんな中で、日常生活用具ではないがラジオが欲しいという方が本当に多くおられる。4か月近くたっても、これが現状なんです。

今後の展望

視覚障害者の方の支援は、今、まさに始まったばかりだと思っています。

私たちとしてはこれから出来る限りの支援をして、半年くらいたってようやく、どれだけ支援ができたかという反省をしていきたいと思っています。新たな取り組みができたということをまずは報告しておきたいと思います。

視覚障害者のいろいろな現状については、もっとお話ししたいのですが、またの機会にして、今日はこのくらいに留めます。