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趣旨説明

東日本大震災と障害者の情報保障

矢澤 健司

日本障害者協議会/災害時情報保障委員会委員長

 

昨年の3月12日(金)に「障害者と災害」というシンポジウムを開き、障害者の特徴・困難性の理解のために事例報告や国の防災計画について検討を行いましたが、一年後にこのような大きな災害が起こることは想像できませんでした。

3月11日14時46分に東日本・三陸沖東北東130kmの深さ約24kmの海底でM9.0の大地震が発生しました。この地震は大正12年の関東大震災のM7.8、昭和8年の昭和三陸地震のM8.4を超える日本史上最大規模の地震で、電気を始めライフラインが破壊されました。

直後に6mの津波発生の警報が発せられ、その後、修正があり10m以上の津波が押し寄せてくると報じられましたが、多くの被災者はその情報を受け取れなかったのではないかと思われます。30分後に8m以上の津波が各地に押し寄せてきましたが、海岸線にいた多くの人が犠牲になりました。現在、死者、行方不明者が2万人を超えております。地震直後から避難が始まりましたが、障害者や高齢者の避難に手遅れになり犠牲になった例が見受けられます。

地震直後停電になり、情報を受け取る手段は携帯ラジオか携帯電話と限られたものしか残されませんでした。ある老人施設では大きな被害が出ました。50人の施設で利用者46名、職員17名が避難中に津波の犠牲または行方不明となりました。同じ50名の施設では近くの空港ビルに避難して犠牲者は一人でした。この差はラジオによる情報収集と、近くに高い建物や場所あったか否かによるものです。また、ある自立生活をしていた筋ジストロフィー患者は、ちょうどその時はヘルパーがいない時間帯で、親戚やヘルパーが救助しようとしたが間に合わず、「あきらめましょう」という言葉を残して同居していた祖母と津波の犠牲になりました。

このような大きな災害の時は、地域のネットワークの力が最も必要で、避難訓練や情報連絡手段の日頃の確認が、避難の成否に関わってきます。

今回の障害者放送協議会のシンポジウムでは「今回の東日本大震災で障害者はどのような情報のアクセスに困難を経験しているのか」関係者から報告していただき、情報保障に関する問題点を明らかにするとともに、それに対する取り組みについてレポートしていただき、今後の防災計画やインフラの整備に反映して行きたいと考えています。

今回は大地震と津波の被害の他に、福島第1原発の事故があり、地震が発生して約4カ月になっても、具体的な復興計画が進んでいない大きな原因ともなっています。原発のような災害時に大きな危険が想定されているシステムは、2重、3重の安全対策が必要で、想定外では済まされないことを心に刻むべきです。

今回のシンポジウムでは最新の現地の被災情報をビデオレポートとしてご覧にいれ、各障害別・分野別に問題点、被災地における取組及び今後の課題についてご報告いただきます。

災害時の情報源として私たちに一番身近なものは、テレビとラジオですが、本日はNHK編成局管理部専任部長の森本様においでいただき、「災害時におけるNHKの字幕・解説・手話への取り組みについて」お話しいただけます。また、総務省情報流通行政局の安間様には「震災と情報アクセシビリティ」についてお話しいただけます。

今回のシンポジウムは、ここ東京の会場とともに、大阪会場ともインターネット回線で結び、生中継しており、大阪の会場の皆様とともに討論しながら、盛り上げていきたいと思いますのでよろしくお願いいたします。

後半は、パネルディスカッションの形で、同じく東京と大阪で中継討論して行いたいと思います。

コーディネータは、日本障害者協議会常務理事で、制度改革推進会議で議長代理をされています、皆様おなじみの藤井克徳さんにお願いします。藤井さんはJDF東日本大震災総合支援本部事務総長をされ仙台と福島の現地対策本部の指揮、連絡を行っております。

パネラーは放送・通信バリアフリー副委員長の高岡正さん、災害時情報保障委員の岩井和彦さん、著作権委員長の河村宏さん、放送・通信バリアフリー委員長の寺島彰さんの4人の方にお願いしました。

コメンテータとして私、矢澤が担当しますので、本日はよろしくお願いいたします。