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障害者対策に関する新長期計画推進国際セミナー報告書

基調報告3-2:デンマークの障害をもつ人の地域生活

ビヤタ・メリング (Birthe Malling, Denmark)

進行性筋ジストロフィーの障害をもち、ヘルパーを雇用しながら一人暮らしを送る。1992 年以来、オーデンセ市会議員に2度立候補するが、惜しくも落選。現在、職業訓練学校 のオフィスに勤めるかたわら、同市障害者委員会委員、障害者デイセンター理事も務め る。

はじめに

 皆さん、こんにちは。デンマークのオーデンセから来ました、ビヤタ・メリングです。 中央競馬馬主社会福祉財団、ならびに新・障害者の十年推進会議の皆様には、今回日本 にお招きいただきましたことを、心よりお礼申し上げます。このような機会を得たうえ に、たくさんの素晴らしい方々とお会いできたことを光栄に思います。これから、私自 身の生活と、デンマークの障害をもつ人たちの状況について、お話しします。

ヘルパーの紹介

 その前に、皆さんに私のヘルパーをご紹介します。デニス・ヨルゲンセンさん、それ から、ランディ・モス・ハンセンさんです。

私の生い立ち

 私はいま、37歳です。5~6歳のころに、1日に何度もつまずいたり、転んだりする ようになり、それが毎年悪化し続けました。両親は、何度か私を医者に連れていきまし たが、いい結果が得られませんでした。11歳になったとき、進行性筋ジストロフィーと いう診断を受けました。

 私が育った家族は、大家族で、姉妹が4人おります。1人は私と同じ障害をもってい ます。私は7歳から公立の学校に入りましたが、その間、急速に病状が悪化しました。登 校するときは、4人の姉妹と一緒でしたが、学校の友達は、毎朝私たちにいろいろなこ とを言いました。階段を昇るときも、4人で列を作って昇りました。4人並んで行くこ とで、各階に上がって教室に行くことができたのです。もう毎秒、毎秒が、障害の連続 でした。

 当時は、障害をもつ子供は養護学校に行くのが普通でしたが、2人の障害をもつ子供 を育てる私の両親は、そのような慣習に従いませんでした。両親は私たちのためにさま ざまな努力を払い、その結果、制度を変えることもできました。私が15歳のときです。 両親が宝くじに当たり、南欧旅行の賞を獲得しました。それまで両親は、私たちの世話 ばかりしていたのですが、もし両親が旅行することになると、代わりに私たちの世話を する人が必要です。そこで両親は、市に対して申し入れをしました。市からは、養老院 の1室なら提供できるという回答がありましたが、両親はそれを受け入れず、長い間話 し合いを続け、ようやく自宅で介助をしてもらうことになりました。こうして両親は、旅 行に出かけることができたのです。

 それ以来、両親は、このようなやり方を続けてきました。その結果、以前より頻繁に、 私たちを家に置いて自由に外出できるようになったのです。

 今のお話からもご理解いただけるとおり、デンマークでは、障害をもつ人にも、いろ いろな機会が与えられるのです。特に現在では、さまざまな人的介護や援助が与えられ ています。

私の日常生活

 私は、食べること、話すこと、読み書きすること以外は、自分では何もできません。そ のため、昼夜ほかの人たちの助けを借りて生活しています。しかし、自立して自分の家 に住み、自分の自動車も持っています。

 平日は、月曜日以外は勤めに出ています。8時半から1時半まで、失業中の青年の訓 練学校のオフィスで働いています。手紙を作成したり、コンピュータで会計処理をする のが私の仕事です。また私は、筋ジストロフィー協会の連絡調整役も務めていますので、 仕事から戻った後は、その関係の会議に出席します。私は障害をもつ人たちの条件を改 善したいと願い、そのほかにも障害関係の評議会や理事会に属しています。また政治に も関心を持っています。市会議員選挙に2回立候補しましたが、まだ選出はされていま せん。

 いちばんの趣味は、音楽鑑賞です。中でも古いカントリー・ウエスタンが好きですが、 そのほかあらゆる音楽を聞きます。年に4~5回は、劇場にも出掛けます。また、毎週 火曜日の夜には、ビンゴホールに通っています。ビンゴホールにいる間だけは、電話や 会議から逃れて、リラックスすることができます。

 夏休みは、南欧で過ごします。私は旅行が大好きです。私が旅行に行くのは、障害を もつ人たちに、困難でもやればできるということを、知ってもらうためでもあります。ま た、自分の時間があるときには、恋愛小説や推理小説を読むのも好きです。

ヘルパーについて

 次に、ヘルパーについてお話しします。ヘルパーの費用は、オーデンセ市の社会福祉 局が負担しています。私は、国から毎月年金を受けていますが、そのうちのわずかな額 を、ヘルパー費用の一部として、社会福祉局に支払っています。ヘルパーを雇ったり、解 雇したりするのは、私自身の責任で行っています。ヘルパーの勤務スケジュールを作り、 書類に署名し、社会福祉局に送るのも、私が自分でやります。新しいヘルパーを見つけ なければならないときには、新聞広告などを出すこともあります。いまのヘルパーが、別 のヘルパーを紹介してくれることもあります。現在は、女性が5人、男性が1人、合わ せて6人のヘルパーを雇っています。1人が1度に24時間ずつ勤務し、2人のヘルパー は、隔週末に1度ずつ交代で48時間勤務を行います。

補助具

 必要な補助具はすべて、市から借りています。市は、補助具のメンテナンスも行って おり、必要に応じて新しい物と交換してくれます。ただ、借りた補助具を実際に使用し て管理するのは、私の責任です。また、トイレの便座を高くするなど、特別な取り付け が必要な補助具は、市が工事を援助してくれます。敷居の取り外し、スロープの設置、浴 室の改造、屋外の舗装なども、市が行います。いまの家から引っ越すときには、市は、家 をはじめの状態に復元することになっています。

スライドの紹介

 それではスライドをご覧ください。

スライド1

 これが、私の家です。貸家で、家賃の3分の1は自分で支払い、残りは市が負担して います。85平米の広さで、小さな庭もあります。家の中には、キッチン、リビング、浴 室、寝室、それから、ヘルパーが宿泊するための部屋もあります。ベルを使ってヘルパー を呼べるようになっています。

スライド2

 これが、私のベッドです。空気圧で上下に動かせるようになっていて、リモコンを使っ て高さを調節します。ベッドのマットレスは、オーダーメイドで私の体に合わせて作ら れています。

スライド3

 これは、人口呼吸装置です。小さな機械で、鼻のマスクで空気が送られるようになっ ています。主に睡眠中に呼吸が困難になりますので、この装置を使っています。このほ か、車椅子に取り付けられる物もありますので、昼間に使用しなければならない場合は、 それを使います。私が手に持っているヒモは、ベルに繋がっていて、夜、ヘルパーを呼 ぶときに使います。

スライド4

 これは、電動車椅子の操作ボックスです。9つの機能があります。まず、電源のスイッ チ。それから、スピード調節。前後左右に進行方向を変えるレバー。それから、背もた れの調節。例えば、夜ゆっくり座ったりするときには、傾けるようにします。また、玄 関のドアを開閉できるスイッチが、ここにも付いています。

 最高速度は、時速6キロです。1回の充電で、35キロ走れるようになっています。1 日に35キロ走ったことはまだありませんが、一応、毎晩充電してから寝るようにしてい ます。

 この電動車椅子のほかに、折り畳み式の手動車椅子もあります。電動車椅子を修理に 出さなければならない場合などは、手動車椅子も使えるので便利です。

スライド5

 これは、私の車です。この車は、車椅子のまま乗れるようになっています。スロープ が付いていて、そのまま入ることができます。

スライド6、7、8

 これは車の内部です。車椅子を固定できるようになっています。しっかりと床に固定 して、運転中も車椅子が動かないようになっています。

 運転中は、車椅子のままシートベルトができるようになっています。シートベルトは、 ゆるくかかるようになっています。

  スロープは、高いものと低いものの2種類ありまして、必要なときに使い分けられ るようになっています。

スライド9

 最後は、私の日常生活のスライドです。デンマークは美しい国ですが、とても寒い国 でもあることが、このスライドからもわかると思います。

さいごに

 皆さん、私の話をお聞きいただき、ありがとうございました。私の話が、皆様方の何 かの参考になり、日本での活動のお役に立てば幸いです。ありがとうございました。