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国際セミナー報告書「各国のソーシャル・ファームに対する支援」

インタビュー
ゲーロルド・シュワルツ氏に聞く

ドイツにおけるソーシャルファームの発展

2007年1月29日

インタビュアー:(財)日本障害者リハビリテーション協会 野村美佐子

ゲーロルド・シュワルツ氏とインタビュアー

 野村:ドイツにおいてはどのようしてソーシャルファームが推進されて、そしてそのことがヨーロッパにどのように影響を与えたのかについてお話をいただければと思います。 次にドイツのソーシャルファーム法、ソーシャルファームの支援機構について説明をしてください。

シュワルツ:ソーシャル・ファームに関連した興味深いポイントに焦点を絞ってお話ししましょう。 ドイツのソーシャル・ファームは、非常に早くから発展し始めました。ドイツではソーシャル・ファームは完全にボトムアップ方式で発展してきたということを理解するのが重要です。ですから政府による事業も、計画的なアプローチも何もありませんでした。ドイツのソーシャル・ファームは、完全に現場の具体的なニーズから生まれたのです。そのニーズは、基本的にはおもに大学都市にある非常に規模の小さいNGOや、ドイツの小さな町やベルリンで、精神障害者と共に活動していた人々の中から生じました。そしてこれはドイツにおける精神医療制度改革に関連していました。ドイツは精神病院を開放し、精神保健サービスをコミュニティーで実施し始めたのです。これにより精神障害者は初めて支援を受けるようになり、病院を出ました。訓練や支援、治療などあらゆる活動を通じて、精神障害者がコミュニティーの中で生活できるようにしようとしたのです。病院の中に閉じ込める必要はないと。これは非常に重要な背景です。精神障害者のニーズに対し、コミュニティーに根ざしたサービスを提供する多くの小さな組織は、支援つきアパートのような住宅を見つけたり、トレーニングやデイケアを提供したりして支援し、非常によい結果を収めました。このような組織では、日常生活スキルのようなライフスキルの習得を支援していましたが、それは病院で長い間暮らしていると、それまで自分でやっていた身の回りの基本的なことをするのが難しくなってしまうことがあるからです。また、それより少し後の段階では、もっと特別な活動、職業訓練、日常的な活動も行われました。目的の一つは、もちろん、人々がコミュニティーで生活し、働き、そして職場復帰することです。しかしここで深刻な問題にぶつかりました。このような人々のために仕事を探すのは非常に難しかったのです。このように、当時、多くの人々は大変うまくコミュニティーに再統合されていたので、次のステップは、このような人々が仕事を見つけるのを支援するということだったわけです。そしてそれが、とてもとても難しかったのです。同時に、ドイツ人は諸外国から学んでいました。イタリアの精神病院改革については耳にしていましたから。イタリアも、精神病院を開放したとき、同じ問題に直面しました。もっと多くの問題に直面したともいえます。それはもちろん、元患者だけで無く、退院者のためにも仕事を見つけるというようなことです。イタリアではそれより少し前に社会的協同組合が設立されていました。そしてドイツ人はこれを非常に興味深いと考え、ドイツ独自の、いわゆるセルフ・ヘルプ・ファーム(自助企業)を立ち上げたのです。セルフ・ヘルプ・ファームというのは重要な言葉で、この言葉は1990年代初めまで使われていました。それが94年か95年にインテグレーション・ファーム(統合企業)に変わったのです。

 野村:それは障害者のための企業ですか?

 シュワルツ:ソーシャル・ファーム運動は、重度の精神障害者のための運動として始まりました。当時ニーズがあったからです。このような人々を支援するという大きな必要性があったからです。特にこのような人々が仕事を見つけるのを支援するというのが、重要な課題でした。仕事が何も無く、見つけられなかったからです。そこでもし仕事がないのなら自分たちで仕事を作ろうという考えが出てきたわけです。
セルフ・ヘルプ・ファームのような組織は当初非常に少ない資金で、大変小さな規模でスタートしました。資金は非常に少なく、支援は無く、イタリアからの影響を除いてはモデルといえるものもあまりありませんでした。そしてさまざまな試みに非常に多くの時間を費やしました。初めは多額の投資を必要としないごく小規模の活動から始めました。たとえば、自転車修理店として、中古自転車を購入、収集して作り直し、販売したり、家具も同じように販売したり、小さなカフェをコミュニティー・ヘルス・センターに開いたりするなど、非常に小規模な活動です。次のステップとして、事業を始める資金を本当の意味で獲得する可能性について模索し始めました。最初にイタリアのモデルに習って始めた活動はうまくいきましたし、面白かったのですが、このような活動に必要な、非常に多額の資金需要を満たすことができないということがすぐに明らかになったからです。その後比較的すぐに、セルフ・ヘルプ・ファームは民間企業のために用意された政府の資金を利用するようになりました。多くの国で一般的に行われていることでしょうが、障害者を雇用したいという民間企業経営者を対象とした出資金に対する特別な補助があるのです。また仕事を創出するための費用や、コンピュータや机や椅子などの設備を購入するために必要な投資金などある程度まとまった資金を得ることもできます。ドイツでは事業を始めるための投資金に加えて、給料に対する補助金を3年間受けられます。ですから障害者を雇用する場合、この補助金を3年間受けることができ、会社としては最初の3年間はその人を訓練することに、より多くの時間と労力を費やさなければなりません。

 野村:給料の全額が支払われるのですか?

 シュワルツ:それは場合によりけりですし、その人のニーズにもよります。ですが、当初は、1年目に給料の全額の80%、2年目には70%、3年目には60%が支払われていました。現在は変更され、もう少し額が少なくなっています。いずれにせよ考え方としては、3年の間に援助額が減っていくということです。 それからドイツでは、障害者の生産性が平均より低いことを証明できれば、その低い生産性を補うために政府からの資金援助を受けられる可能性があります。額としては多くはありませんが、この補助金は最初の3年間を過ぎた後も引き続き受けられます。ただし、証明はしなければなりません。3年ごとに、医者か、会社自身による何らかのアセスメントをする必要があり、そうすれば障害者の低い生産性を補うために200~300ユーロを受け取ることができます。更にドイツでは、障害のある従業員が何人かいる場合、職場で特別な支援が必要であるということを示すことができれば、資金援助が受けられます。これも結構な額のお金ですが、職場で働く障害者を支援する、トレーナーやサポーターのための補助金として得られるわけです。

 野村:ジョブ・コーチのようなものですか?

 シュワルツ:背景となっている考え方はジョブ・コーチと似ていますが、援助額はもっとずっと少ないです。ジョブ・コーチは、アメリカのボストンで生まれました。それは1対1での支援です。

 野村:トレーナーはどうですか?

 シュワルツ:ドイツではこの補助金はあわせて利用できます。当時障害者1人につき、300~400ユーロ得ることができましたが、それをあわせて支援スタッフ1人分の給料にするなら、少なくとも10人の障害者がいれば、1人のトレーナーかサポーターが雇えるでしょう。

 野村:企業は通常10人以上の障害者を雇用しているのですか?

 シュワルツ:それは規模によります。このプログラム、つまりこの資金援助制度は大企業に対して障害者の雇用を奨励するために作られたのです。それが背景にあった考え方で、またこれは完全に民間セクターだけを念頭において作られたものです。更に、民間セクターの他のニーズは何か、またどのようにしたら民間セクターにもっと多くの障害者の雇用を奨励することができるかが検討されました。これが、ドイツ政府が取り組んでいこうと決めたことです。

 野村:このプログラムはいつ始まったのですか?

シュワルツ:これらの資金援助プログラムは早い時期に始まりました。50年代、60年代、70年代、80年代から始まり、時と共に発展してきました。ドイツの障害者統合システムは基本的には第一次世界大戦後の1918年に始まりました。それ以前も、1870年という早い時期に、政府は障害者を支援する最初の小規模なプログラムを実施してはいましたが。第一次世界大戦後、ドイツは戦争で傷ついたり障害を負ったりした人々を支援するために福祉作業所をはじめ多くの制度を導入しました。他のヨーロッパ諸国も同じで、障害者が仕事を得るための統合と支援の長い歴史がありました。けれどもこの資金援助プログラムは、60年代、70年代以降のものです。

私はヨーロッパ全土の志を同じくする仲間たちと多くの話し合いをしてきました。この制度は決してそれを意図したわけではありませんが、ドイツにおけるソーシャル・ファームの発展に非常に役立ってきました。この資金援助制度が実施されたときには、ソーシャル・ファームのことは何も考えに入れていませんでした。というのは、ソーシャル・ファームは存在していなかったからです。しかしそれでも、この制度は非常に役に立ちました。なぜならこれらのNGOは、前にもお話しましたように、ちょっとした策を使い始めたからです。これらの資金援助を利用するために、まずは障害者のための仕事を創出しなければなりませんし、それからその障害者が重度の障害を負っていることを証明しなければなりません。ドイツには、パーセンテージ制度のようなグレードの制度があり、障害名が記載されている何らかのIDか医者の診断書を入手する必要があります。そしてこの資金援助を受けるために、この制度のもとでは、正式に認定された障害者が少なくとも50%はいることを証明しなければなりません。そこで当時これらのNGOは精神障害者と共に活動していましたので、この人たちを障害者として制度に取りこもうとしたのです。当時精神障害者はなぜか制度からはずされており、これについても大きな論争がありました。つまり、精神障害者は重度の障害者と認定されるかということについての、精神保健部門内での論争です。これは政治的な論争でもありました。つまり、「これは差別なので、自分はこのIDカードは持ちたくない。」というようなこともあったのです。当時たくさんの問題がありましたが、結論としては、精神障害者は重度の障害者に等しいということに落ち着きました。そして実際政府の公式文書では、これらの精神障害者について、重度障害者とはいわず、それに等しい、匹敵するものとしています。歴史を見れば、これらの人々がこの制度をめぐる取り組みを通じて、どのようにうまく制度を利用するようになり、またさまざまな問題をすべて解決していったかがわかり、非常に興味深いです。

この資金援助制度はビジネスを立ち上げるのに大変役に立ったので、ソーシャル・ファーム運動が本格的に始まりました。資金に関しては、基本的にこれで非常に良いスタートを切ることができます。たとえば、この補助金をまとめて、障害者を8人含む、10人、いや12人で会社を始めます。補助金は、時には100,000ドイツマルク、つまり50,000ユーロにまでなることがあります。たとえば、まとめて200,000から300,000ユーロをもらうことができ、これぐらいがレストランを開きたい場合、必要な額です。これを補助金或いはローンとして、または補助金とローンの組み合わせとして受け取ります。ですが、ローンであっても、最初の2,3年間は利息なしです。その後も利息がない場合もありますが、返済はしなければなりません。

野村:ということは、無利子のローンがあるのですか?

シュワルツ:ええ、それもありうるのです。その金額は案件ごとに決定されます。補助金の場合もあれば、ローンの場合もあり、ただしローンの場合は、無利子です。利息は支払いません。ですからほとんどの場合、担保がつけられます。それから最初の3年間は給料に対する補助があります。つまり、1年目は障害者の給料の最高80%が支給されるので、最初の段階は非常にやりやすいのです。まず給料の80%がカバーされ、その後はトレーナーに支払われる他の資金援助制度により、経営スタッフのための費用がまかなわれます。このように最初の数年間は、基本的にはすべての事業費の70~80%がカバーされるわけです。NGOとして、たとえばパン屋を始めたいとか、レストランを始めたいという場合、或いはクリーニングサービスを始めたい場合、人材とは別に、組織の中で資金を集める必要がありますが、たとえば600,000から700,000ユーロのコストが必要な、3年以上にわたる事業を始めたい場合、背負うリスクが100,000から200,000ユーロなら、非常に安心できる、非常によい状況であるといえます。このように問題を一度整理してしまうと、本格的なソーシャル・ファーム運動が非常に迅速に進み、その後は大変速い速度で成長していきました。1985年には、既におよそ100社のソーシャル・ファームがあり、1995年には200社から300社、そして現在では700社を超えており、本当に速いスピードで成長していったといえます。資金援助に関していえば、現在では政府の資金援助は少なくなりました。はじめはもっと多かったのですが、今ではソーシャル・ファームを立ち上げる組織も皆以前より規模が大きくなり、更に他にも資金を獲得する機会があり、銀行からの借り入れもできるようになったからです。しかし、当時の規模の小さな組織にとっては、このような資金援助制度は非常に重要でした。誰もソーシャル・ファームに資金を提供しなかったため、ソーシャル・ファームは戦い、主張しなければならなかったからです。ですがいったん問題が解決されてしまうと、この制度はとても役に立ったのです。

さて、これが一つ、資金のことです。そしてビジネスを始めるにはお金は重要です。しかし他にも同じように重要なことがあります。ソーシャル・ファーム運動が始まったころは、人々はさまざまな理由で運動に参加していました。皆非常にやる気があり、役に立ちたいと考えていて、哲学的、心理学的、政治的理由から関心を持って活動していました。そして仕事を創出するのは有益なことだとされていました。政治的にも正しく、重要なことだと。そしてだれもが、このようなセルフ・ヘルプ・ファームを始める理由をたくさん持っていましたが、当時ビジネスという観点はあまり重要ではなく、もっと政治的な運動のようでした。また、別の生産方法、別の働き方について多くの議論が交わされていました。ですから最初のセルフ・ヘルプ・ファームは仕事を創出するだけでなく、主流となっている労働生活に対する代替案を創り出すということもしていたのです。これらのセルフ・ヘルプ・ファームは主にグループとして共に活動をし、人生に何らかの意味を創り出すために活動していたといえます。ですから何の仕事をしているかに非常に注意を払っていたのです。その仕事は精神的にはOKか?或いは政治的にはOKか?というように。もちろん何も問題は起こりませんし、どんなビジネスであっても何も不都合はありません。きちんと説明できているかどうかわかりませんが、つまりこれは仕事を創出することをしていたのですが、同時に共に働く新たな方法も創造していたということです。インクルージョンとか、創造的な方法で、共に働くということ、環境とかそういうすべてのことに関連していたということです。

野村:始めはソーシャル・ファームではなくセルフ・ヘルプ・ファームだったとおっしゃいましたが、いつソーシャル・ファームという呼び方に変わったのですか?

シュワルツ:ソーシャル・ファームと呼ばれるようになったのは93年、94年、95年、96年です。かなり長い間議論が交わされ、政治的な議論もありました。というのは、セルフ・ヘルプ・ファームからインテグレーション・ファームへの変更は、アプローチの仕方が変わるということでもあったからです。当時の人は、工場で働けば当然病気になるだろうと言っていました。工場では搾取が行われていて、そこで働く人は自然と病気になってしまう。搾取だから、病気になる。誰も自分の健康を気にかけてくれませんし、誰も何も気にしないからです。これは資本主義のシステムで、もし何かを変えたいのなら、どうしたらいいのか、当時あらゆることが議論され、次第に変わっていきました。呼び方が変わったのもその変化の一部です。

野村:誰が用語の変更について主導権を握ったのですか?あなたですか?

シュワルツ:いや、いや、違います。ソーシャル・ファーム運動の中で起こったことです。ソーシャル・ファーム運動は非常に速いスピードで発展していきました。1985年には非常に小規模のセルフ・ヘルプ・ファームが、大変すばらしいアイディアを持った人々によって設立され、人々を支援するために良いことをたくさんしようとしていました。しかし、すぐに、もっとビジネス志向のニーズが生じてきました。そこで財政上の理由から、政府機関に資本金の援助を要求しに行きました。おそらく、新しい企業にはそのほうがやりやすかったのでしょう。けれども政府機関が、現実的な事業計画や財務計画など、そういうことすべてを要求しはじめたので、規模の小さいNGOの人たちはこのような経験が全くないので、困ってしまったのです。本当に、会計や経営のスキルが全くなかったのですから。そもそもそのようなスキルが欲しいとさえ考えていませんでした。こういうスキルは資本主義社会のもので、それには関わりたくないと考えていたのです。ですが、その後明らかになったことは、成長していきたいのなら、スキルが必要だということです。そこで、最初のソーシャル・ファーム・アソシエーションが設立されました。当時それはFAF協会と呼ばれていました。FAFはドイツ語で、「ワーク・プロジェクトとインテグレーション・ファームのためのコンサルタント」と言う意味です。この協会についてはドイツの法律で非営利団体と規定されています。この協会は、まず、セルフ・ヘルプ・ファームを経営する人々が定期的に会合を持ち、互いの経験について意見交換したり話し合ったりするために設立されましたが、こういうことはいつでもとても重要でした。この組織はセルフ・ヘルプ・ファームの概念を広め、最初の会議を開きました。つまり、この協会が最初にできたのですが、その設立にはさまざまな理由があったということです。一つは、お互いに活動に役立つことを伝え合い、これらのセルフ・ヘルプ・ファームがどのように活動するかについて、情報や経験を交換するためです。更に非常に早い段階で、この協会ではセルフ・ヘルプ・ファームが最初のビジネスプランを立てるときに、財務計画の作成を手伝えるような人を用意しました。これはドイツのソーシャル・ファームの発展におけるもう一つの重要な要素だと思います。非常に早い時期に、このタイプのソーシャル・ファーム・アソシエーションを自分たちで組織したことは非常に重要だと思うのです。このような支援サービス、独自の支援システムはソーシャル・ファーム運動の中で、発展していきました。その歴史的な流れをすべてお話する必要があるとは思いません。ただ、それがどのように始まったかを理解することは重要です。つまりそれは、現場の実際のニーズから始まったということです。そして現在のような形になっていったのです。

それではソーシャル・ファーム・アソシエーションがどのような活動をしているかを少しご説明しましょう。現在ドイツには、法律で規定されている全国的な非営利組織である、ソーシャル・ファーム・アソシエーションがあります。それがBAGです。これはソーシャル・ファームのための全国的なロビー団体で、16の地域協会で構成されています。ドイツは連邦制ですから、連邦政府と州政府があり、州政府は非常に重要で、大きな影響力を持っています。ですからこのような地域的な州の代表機関があることは重要なのです。16の地域協会が全国協会を組織しています。活動は非常にうまくいっており、この協会は連邦政府や州政府に対して多くのロビー活動をしています。年次会議を開催するほか、政府とのあらゆる協議の場に招かれています。現在はこのような状況です。ここに至るまでには長い時間がかかり、多大な努力がありました。けれども現在この協会は障害者の雇用に関するすべての問題に関わる、政府のパートナーとして尊重され、受け入れられており、あらゆる政党と対話するようになっています。各政党には障害と雇用の問題に取り組む独自のグループがあり、それぞれ会議を開くときにはソーシャル・ファーム・アソシエーションを招待し、協議します。ですからソーシャル・ファーム・アソシエーションは、障害者雇用関連政策にかかわるロビー活動や政府との協力活動において非常に重要な役割を果たしています。

更にBAGはFAF gGmbHと呼ばれるビジネスコンサルタント会社を100%所有しています。FAFはソーシャル・ファームのビジネスをサポートし、ビジネスプランを立てるのを手伝ったり、何らかのビジネスの危機に直面しているソーシャル・ファームを支援したりします。つまり基本的には、通常のビジネスコンサルタントと同じです。一般のビジネスコンサルタントと同じなのですが、ソーシャル・ファームを対象としているのです。また、FAFはソーシャル・ファーム分野の研究と評価も行っています。これはFAFのもう一つの活動分野です。政府は数多くのパイロット・プログラムを実施しました。地域プログラムもあれば、全国的なプログラムも一つありました。それは新たなソーシャル・ファームを立ち上げるパイロット・プログラムでした。これらのプログラムは、まあ全部が全部、そうだったかどうかは分かりませんが、その多くはFAFがコーディネートし、評価しました。EUのプログラムについても、FAFはEUと共にソーシャル・ファームのための資金集めを数多く実施しました

野村:EU基金に多数申し込んだということですか?

シュワルツ:はい。EU基金にはずいぶん申し込みました。初めて申し込んだのは1993年で、ソーシャル・ファーム100社のためのプログラムでした。これはヨーロッパ全土にわたるプログラムで、すべてFAFが担当しました。その後ドイツのノースライン・ウェストファリア州での地域プログラムを実施し、EUが16のソーシャル・ファームを立ち上げるために800万ユーロを提供しました。このプロジェクトはドイツ以外の6カ国で実施された6つのプログラムと提携していました。これにFAFが参加し、また今でも、このような大規模プロジェクトにはいつもFAFは参加しています。このようなプロジェクではFAFのような組織が必要なのです。ソーシャル・ファームが単独では、或いはグループであっても、実施するのは難しいからです。ですが、このような活動だけを特別に行う専用の会社があれば、非常に役に立つのです。このような組織があれば、ビジネスコンサルタントの部分がカバーでき、研究と評価についてもカバーでき、資金繰りと経営、そして大規模なプログラムの調整も行えるわけです。

更にFAFは、ドイツ政府がソーシャル・ファームに関する法律の協議にあたって開始したパイロット・プログラムの調整も行いました。初めにパイロット・プログラムを実施することを決定し、そのプロジェクトでもう一度、このインテグレーション・ファームとは実際のところ何なのかを調査したのです。このときに、ソーシャル・ファームに当たるドイツ語を変更しました。

野村:3年間というのはソーシャル・ファームを成功させるのに十分だと思いますか?

シュワルツ:いいえ、十分ではありません。

野村:パイロット・プログラムを実施して評価したのですから、ソーシャル・ファームが成功するにはどのぐらい時間がかかるのかはご存知と思いますが、いかがですか?

シュワルツ:おそらく3年から5年は必要でしょう。通常それは背後事情に大きく左右されますが、3年から5年は必要だといえるでしょう。けれどもドイツでは3年たった後でも、別の資金援助が受けられます。引き続き支援が受けられるのです。4年目、5年目は、金額は少なくなりますが、ゼロになるということはありません。そしてこのことが、実際なぜFAFが重要であったかという理由となっているのです。ソーシャル・ファームのビジネスプランを立てるに当たっては、資金繰りに注意を払う必要があり、そしてビジネスでどれだけの資金が得られるかということは、ビジネスプランやキャッシュフロープランなどを立てる際に考慮しなければなりません。FAFはソーシャル・ファームを立ち上げようとするグループと共に、資金繰りのあらゆる段階について、また市場収入に関わるすべてのことを検討するなど、常に多くの取り組みをしてきました。皆さんこういうことは何とか処理できるのです。いつだって、もっとお金をくれといったり、資金を求めたりすることはできるのです。もちろんこれは重要ですが、しかし、一方で、私個人としては、それをやりすぎてはいけないと考えています。なぜなら、資金よりもっと重要なのは本当は起業家としてのアプローチだからです。これは起業家に与えられたチャンスです。一定の支援は受けられますが、それもあなた次第です。問題はそこです。もし起業家なら、問題を解決する独自の方法を見つけなければなりません。もし十分な儲けが得られないのなら、ビジネスが良くないのでとにかくそれをやめたほうがいいということか、或いは問題を切り抜けるためにビジネスを変えたほうが良いということでしょう。いつも、儲けばかり求めたり、損を障害者のせいにしたりするのは非常に危険だと思います。事業が失敗すると経営陣が「申し訳ありません。私たちは最善を尽くしたのですが、障害者を雇ったのでうまくいかなかったのです。」と言うのをよく耳にしますが、私は多くの場合これは違うと思います。これは経営陣の問題なのですから。このように利益をあげることは一つの課題ですが、これには気をつけるべきです。

その他の支援制度についてですが、ソーシャル・ファーム経営者の研修というのが、FAFが関わってきた分野で、これについては今でも多くの取り組みがなされています。このようにFAFは、ビジネスコンサルタントと、研究・評価、調整、資金集め、大規模なソーシャル・ファーム開発プロジェクトの運営、そして経営側の研修を行っています。そして経営側の研修も重要な分野の一つであると私は考えています。私は多くのセミナーに参加しましたが、ディスカッションの際にこんなことをよく耳にしました。「我々にはたった3年分の資金しかない。その後はどうするのか?」「もっと時間が必要だ。10年必要だ。なんでも必要だ。十分に収入が得られないのだから100%の資金が必要だ。」私はこういいました。「申し訳ありませんが、ビジネスの経営者になりたいのなら、状況を理解して、自分で資金を稼がなければなりませんよ。」

野村:経営者はどのような方たちですか?

シュワルツ:最初は、小規模のNGOの人たちだけでした。実際、これ以上無能な経営者は探せないでしょう。この人たちがおそらく経営者としては最悪で、これより無能というのはありえないです。ですからこれは大きなチャレンジで、それをこの人たちはやってのけたのです。それでもやったのです。しかし、そのときはたくさんのことをやることによって学ぶというプロセスがありました。今は違います。大きなプロジェクトの一つで、1995年に参加したプログラムには、当時のNGOがいくつか参加していましたが、皆規模が大きいNGOでした。その中に多種多様な活動をしているNGOがいて、小さな地域ではありましたが、全地域でソーシャルケアなどを実施していました。このNGOは新たなソーシャル・ファームを立ち上げるために500,000ユーロを獲得し、ビジネススクールで学んだ経営の知識のある専門家を雇うことを決めました。当時それは少し珍しいことでしたが、今は違います。今はあらゆる種類のさまざまな専門家が関わっています。私自身2年前にMBAを取りましたが、今ではビジネススクールでも社会問題に関する議論が以前より多く交わされています。20年前はビジネススクールでは全く採り上げられなかったことが、今では数多く採り上げられており、MBAスクールでも、社会的企業に関するディスカッションがあります。ですから今は、さまざまな経歴の人がおり、もちろん新しいソーシャル・ファームでもビジネスの経歴を持つ人や、特定の業界での経験がある人を求めています。たとえば、ホテル業界ではホテル部門出身者を探し、レストランやケータリング業界ではその経歴を持つ人を探すという風に。ですから今は以前よりずっと専門的です。けれども、それでもなお、継続して研修を行うことがいつも本当に重要な課題となっています。

更に、FAFでは数多くのセミナーを実施しています。FAFのウェブサイトでセミナーの案内がご覧になれるでしょう。セミナーにはいつも多くの人が参加しています。現役のソーシャル・ファームの経営者や、関心のある方の参加がありますが、ソーシャル・ファームを経営しているなら、常に研修を受け続ける必要があり、このような非常に専門的なセミナーに参加されるとよいでしょう。コンサルタントの仕事も同じです。FAFが提供する研修とコンサルタントサービスは、ソーシャル・ファームで結び付けられている社会的な側面とビジネス的な側面の特別なコンビネーションを実現しています。たとえば、職場において表面化する特定の障害に関するさまざまな問題を扱ったセミナーがありますし、職場における障害にまつわるある特定の問題に対処する方法について議論することもできます。

もちろん、他にも軽視できないことはあります。現在、支援システムは、基本的には他の業者団体と非常によく似た活動をしています。特定の業界にそれぞれ独自の業者団体があり、業界には独自の特別な課題があり、現在ドイツにおけるソーシャル・ファーム支援システムも同じように活動しています。

野村:大企業が独自の団体を持っているということですか?

シュワルツ:業界が持っているということです。産業部門です。産業部門ごとに業者団体があるということです。

野村:労働組合ではなくて?

シュワルツ:いいえ、一つの産業部門内でのビジネス団体です。すべての産業部門にこのような団体があります。ホテル業界にはホテル業界の業者団体があり、その団体内で政府へ陳情する部門があったり、コンサルタント部門があったり、そういうことをやっているんですね。それから研修部門があったりと。これはすべてホテル業界に特有なものです。ドイツのソーシャル・ファームは今、これとよく似た非常に専門的なモデルシステムを採り入れていて、これが時間と共に発展してきたのです。非常に長い時間がかかりましたが、今では大変専門的で、大きな影響を与えています。

現在FAFはドイツ各地に4つの事務所を構えていまして、今年ミュンヘンに5つ目の事務所を開く予定です。私はケルン事務所の開設に関わりました。最初ベルリンには事務所はありませんでした。ノースライン・ウェストファリア州での大きなプロジェクトの際に、コンピュータとファイルを持ってケルン行きの飛行機に乗って行ったことを覚えています。ケルン事務所はちょうどこの部屋ぐらいの大きさのとても小さなオフィスでした。その後FAFは大きく発展し、州政府との連携も非常にうまくいって、すぐにサクソニアなどドイツ各地に事務所を開設しました。

野村:ケルンのスペルを教えていただけますか?

シュワルツ:C-O-L-O-G-N-Eです。

野村:成功しましたか?

シュワルツ:はい。FAFに勤務していたときには、私はヨーロッパの連携プログラムをすべて担当していましたので、諸外国の仲間たちとどのようにしたら各国で協力して、どの国でも同じようにソーシャル・ファームが発展していくよう支援できるかについてずいぶん話し合いました。当時も、ソーシャル・ファームの数が最も多く、またソーシャル・ファームが最も発展していたのはイタリアとドイツでしたので。

野村:ソーシャル・ファームが合っていたのだと思います。ドイツの状況に合っていたのだと。それはたぶん、過去の歴史とかかわりがあるのでしょう。先ほどお話に出た、精神障害者の状況の改善に関連した問題とかかわりがあるのではないでしょうか?精神障害者のデータはお持ちですか?日本では精神障害者の数を把握するのがとても難しいのですが。

シュワルツ:数字は覚えてはいませんが、データを見つけることはできます。 組織の話に戻りましょう。先ほどFAFはソーシャル・ファーム・アソシエーション(BAG)が所有する有限責任保証会社であると説明しましたが、このFAFで、ソーシャル・ファーム支援システムの各分野が結びついているといえます。当初は一つの組織がすべて行っていましたから、さまざまな目的で使われる資金が一つの組織に集まっていました。ですが、組織が分かれた後は、FAFはFAFとして、基本的には市場で資金を稼がなければならなくなりました。そこでセミナーをしてお金をとるようになったのです。大きな額ではありませんが、コストをカバーするために料金を取っています。その際当然のことですが、市場の原理というものがあって、もし役に立たないソーシャル・ファームセミナーをすれば、誰も聞きにこず、お金も稼げずに、つぶれてしまうこともあるわけです。ビジネスコンサルタントをしても、資金を提供してくれる人や団体が誰もいなければ、自分たちで一日500ユーロを請求して、稼がなければなりません。それがうまくいかなければ、あきらめて家に帰り、別の仕事を探すのです。ですから、FAFであっても、市場の中で企業として学び、成長していかなければならなくなったわけです。そしてこれはときには実に、本当に、難しいことでした。けれどもこれは支援システムを開発する上で大変役に立ち、今では本当に便利になり、非常にうまくいっていると思います。

FAFが別に設立されたときのことを覚えていますが、最初の何年かは、民間の基金から資金を得ていました。そしてその後はEUの基金などを得るようになりました。資金が得られると、「コンサルタントをしなければいけない。セミナーを開かなくてはいけない。」ということになりました。経済的には非常にゆとりがありましたから。それでセミナーを開くのですが、来たのは3人だけ。うまくいったとはいえませんでした。FAFが分かれる前は、こういうことはたいした問題ではありませんでしたが、FAFとして分かれた後は、すぐに問題となったのです。たとえば、このテーマについてセミナーをするために4人の人をよぶとする。するとホテル代や食事代などを払わなければならないから赤字になってしまう。赤字になるなら、このセミナーはもうしないということになります。或いは、ある組織のためにビジネスプランを立てることになり、それが10000ドイツマルクだったとします。そして相手が「このプランはよくない。」といえば、問題になる。なぜかというと、その相手がまた別の人たちに話をして、FAFの評判を落とす危険があるからです。ですからすぐに何か手を打たなければなりません。

当時他の国との話し合いは相当しました。ギリシャやイギリス、スペインなどと、EUプロジェクトについて話し合ったのです。他国のソーシャル・ファームを支援するためにはどうしたらいいか、何ができるか、ということについて、多くの話し合いがありました。国の事情はいつも違っていましたが、たとえばイギリスとはずいぶん協力しました。当時、イギリスでは真の意味で障害者の雇用を実践している、ビジネスと呼べるソーシャル・ファームがおそらく4社か5社はありました。私たちは、FAFのシステムを開発したので、EUから資金を得て、同様なシステムをイギリスでも取り入れて実施すればうまくいくだろうと考えました。またギリシャでも、「このような全国的な組織の設立に取り掛かり、そこからソーシャル・ファーム運動を始めよう」と考えました。そこでギリシャのアテネで、今回の東京での会議と同じような会議に参加し、全国的なソーシャル・ファーム・アソシエーションであるFAFについて話をしたところ、ギリシャでもPEPSAFEという組織が設立され、ギリシャ独自の全国的なソーシャル・ファームの協会ができました。イギリスではこのような新しいプロジェクトがあり、スペインでは地域のグループと共に活動し、オランダでは全国的な組織についての話し合いがもたれましたが、これはとても難しかったです。

残念ながらこれらの活動はすべてあまりうまくいきませんでした。このようなアプローチはうまくいかなかったのです。その理由としては、こういうことは、本当はその国の中から生まれてくるべきものであるから、ということができるでしょう。イギリスはアプローチを変えることを決め、よし、何か推進キャンペーンを始めよう、ということになって、イギリス全土で2年間に渡り多数の会議を企画することに多額の資金を費やしました。それで、何百ものセミナーを開いて、プロジェクトを実施したことのある人の中からドイツやイタリアのソーシャル・ファームのモデルについて話をしてくれる人を連れてくればいいから、やってみよう、といってやったのですが、基本的にはすべて時間の無駄で終わってしまい、役に立ちませんでした。こういうやりかたは現実にはうまくいかないのです。こういうやりかたは重要ではありますが、これしかしないのでしたら、実はあまり意味がありません。何も変わらないからです。

一方で、イギリスではコンサルタントサービスについては違ったアプローチが採られました。イギリスのソーシャル・ファームはコンサルタントサービスに当てられた予算で、外部のコンサルタントを雇うことを決めたのです。このように、イギリスではソーシャル・ファームの考え方を広めるためのイベントが実施され、そこに当然たくさんの人たちや慈善団体が集まってきて、「これはすばらしい。やってみようじゃないか。」ということになります。それで「どの分野でもいいからソーシャル・ファームを作りたい。それにはコンサルタントとサポートが必要だ。」という話になると、外部からビジネスプランを立てる人間を連れてくるわけです。私は、これはあまりいいやり方だとは思いません。このようなやり方では、独自の知識ベースを習得していく機会が全くなくなってしまうからです。FAFでは、特別な知識はすべて組織の中で育まれてきました。こうして得られた知識は非常に貴重な財産となっています。20年以上もこの特別な分野でコンサルタント活動をすれば、これだけの大変貴重な財産が得られるのです。何年もかけて、非常に役に立つ知識を蓄積していくのですから。けれどもそういうことをせずに、外部の人間にやらせてしまった。しかも気軽に、このプロジェクトではこのコンサルタントを使い、別のプロジェクトではまた違うコンサルタントを使うようなことをしてしまったのです。それからいつも出てくるのは質の問題です。もちろん時にはよいコンサルタントも見つかりますが、悪いコンサルタントに当たることもあるわけで、それは本当にどうなるか全く予測がつきません。しかも、このコンサルタントというのが、お互い競争しますから、資金が得られるようになると、それぞれ独自にソーシャル・ファームを促進するソーシャル・ファーム・アソシエーションを作るようになります。そうなると、状況は大変混乱し、難しくなってしまいます。たとえば、セミナーに行くと、こういうサポートをすべて提供するプログラムが用意されていて、コンサルタントやらなにやらすべて一式、簡単に差し出してくれるのです。これは無用だと思います。ドイツではビジネスプランを作成してもらうために料金を支払わなくてはなりません。それはこちらに無料でする余裕がないからです。誰も資金を出してはくれません。ですから本当にソーシャル・ファームを始めたい人は、5000ユーロを見繕わなければなりません。FAFは高額の料金を請求するわけではありませんよ。FAFはEUから少し資金を得て、料金を下げたので、実費の100%を請求しているわけではありません。けれども、ソーシャル・ファームを始めるにあたり、特別なサポートが必要なら、いくらかの資金を確保しなければならないのです。アドバイスを受けるために支払うお金をやりくりする努力をする必要があるわけで、これは本当に、とても重要なことだと思います。相場の金額をそのまま支払うことはできないかもしれませんが。でも、これはイギリスとの連携活動から私たちが学んだ重要な教訓なのです。ソーシャル・ファームの宣伝に焦点を当てる方法はあまりうまくいかなかったと思いますし、コンサルタントサービスを外注した結果、知識ベースを蓄積していくことができなかったということも、致命的であったと思います。

野村:これまでどのようにして知識を蓄積してこられたのですか?ソーシャル・ファームのお仕事には何年ぐらい関わっていらっしゃるのですか?

シュワルツ:私自身は13年間です。ですが、FAFは25年の歴史を持つ組織です。

野村:それでFAFには大量の知識ベースやデータベースがあるということですね?そうでないと、ニーズのある方たちにコンサルタントサービスを提供することは難しいですよね。

シュワルツ:これは技術的な質問だと思いますが、コンピュータを使うなど、方法はいろいろとあります。ですが、知識ベースは組織の中にあり、そこで働く人たち自身が持っているものです。どうやってそれをまとめているかというと、コンピュータを使います。けれども当初は、コンピュータシステムはありませんでしたし、利用することさえできませんでした。そのころに戻ってFAFで働くとしたら、そう、何の慈善団体でもいいのですが、何か特定の産業部門でビジネスを始めたいという組織があって、私がそのビジネスに関わるプロジェクトに参加するとしたら、同じような別のプロジェクトに参加した同僚に話を聞いて、たくさんのことを教えてもらうか、あるいは以前の報告書を見たりするでしょう。さまざまなところと連携しながらすすめていくわけです。ですけれども、どんな組織であっても、知識を収集し、蓄積していくのは同じです。FAFでも同じです。自分が関わってきた仕事から多くの知識を得て、それをさまざまな方法で同僚に伝え、そうして発展していくのです。FAFには、コンピュータ化された情報システムのようなものは無かったと思います。大きなコンサルタント会社では、もちろんコンピュータシステムを持っていますが。FAFが更に成長すれば、何かそのようなシステムを導入するかもしれませんが、事務所が5つで、職員が15人では、小さすぎます。話になりません。ですが、知識ベースはあるのです。組織の中に。しかし、イギリスと比べてみると、イギリスでは組織の中に知識ベースはないのです。おそらく何か書類はあるでしょう。たとえばケータリング事業について誰かが書いた報告書か何かがあって、それが10ページぐらいのものだとします。誰かが事務所に来たら、その10ページの報告書を読むことはできます。でも、実際にこの報告書に書かれているプロセスを経験していなければ、それはただの表面的な知識ですから、役には立たないのです。実際の役には立ちません。もし誰かと会って、この10ページの報告書で読んだことをもとにコンサルタントとして話をしようものなら、相手はこの人は何も知らない、と感じ取るでしょう。表面的だとわかるでしょう。

ギリシャでは社会的協同組合の発展に向けて、民主的な興味深いアプローチが採られていました。ギリシャとの連携は非常にうまくいったと思います。ギリシャの問題は、ドイツのような資金援助制度がないことでした。イギリスでも資金繰りは問題となっていました。というのは、イギリスにもドイツのような資金援助制度が無いからです。けれどもイギリスには助成金はたくさんありますので、組織がしっかりとしている大きな慈善団体なら、たいした問題も無くソーシャル・ファームを始めるための助成金を得ることができるでしょう。多分問題は、お金が集まりすぎるということだと思います。助成金をくれるところはたくさんありますから。たとえば、障害者10人を雇ってソーシャル・ファームを作る計画があれば、うまくいけば50万ポンドを得ることができて、それで何もかもカバーできるでしょう。そして3年間は、財政面ではとても楽な状態になりますが、その後も基本的には何も心配する必要はありません。3年後、よくあるのはこういうことです。経営陣は「おっと、もうお金がなくなってしまった。なんて運が悪いんだ。」といい、事業から撤退するのです。 このように、資金が多すぎても、少なすぎても、大きな問題となるようです。それから知識も、つまりソーシャル・ファームに関する特別な知識を蓄積していくことも大きな課題ですし、研修も大きな課題です。研修も特別な知識とのかかわりが必要ですから、その部門特有の知識を集めることもまた大きな課題なのです。

野村:シュワルツさんはどのようにしてソーシャル・ファームに関わるようになったのですか?何かこの分野に入る特別な理由があったのですか?

シュワルツ:私はベルリンで心理学を勉強し、心理学の修士号を取りました。それからMBAも取りました。勉強していた当時、大学である教授に出会いました。この人がセルフ・ヘルプ・ファームを専門としていたのです。教授は精神障害者の職場における統合を専門にしていて、FAFの創立者の1人でした。FAFから大学へうつり、そのまま大学で教えていたのです。この教授は二つのことをしていました。まず、障害者の職場統合に関する研究をEUではじめて実施した1人で、セルフ・ヘルプ・ファームにも大変深く関わっていました。そして大学ではゼミを持っていて、小さなソーシャル・ファームを作ることを目的としていました。実際にこのセミナーから、数は分かりませんが少なくとも3社か4社のソーシャル・ファームが、大学との連携の下にベルリンで設立され、発展していきました。これは大変興味深いことで、私はこのセミナーの一つに入っていたのですが、それは最初のセミナーで、そのときはソーシャル・ファームの設立はありませんでしたが、調査には参加しました。教授は私を、障害者の職場における統合に関するEUによる研究の学生アシスタントとして雇ってくれました。そこで2年間この教授と共に研究活動をしたのですが、その後ヨーロッパ各地をまわっていろいろな人にインタビューをする活動を始めました。こんな風に既に大学にいた頃からこの分野について学び始めたわけです。そして大学を卒業するときに、研究活動を通して私もFAFについてよく知っていましたし、FAFも私のことをよく知っていたので、FAFから誘われたのです。ちょうどFAFは初めての大きなEUプロジェクトに取り掛かったところで、その仕事を手伝わないかと。当時心理学専攻の学生だった私は、これは精神障害者を支援するのにとてもよいアプローチだと考えました。病院やケア施設は一つの方法ですが、もし、実際にこのような人たちの生活や、生活の仕方を変えられる分野で働けたら、とても役立つし、面白いだろうと考えたのです。

さてもう一つだけ、この精神障害の問題についてお話しましょう。ソーシャル・ファームは精神障害の分野から始まりましたが、その後、他の障害者にも事実上開かれていったのです。おそらく最初の10年間は精神障害に焦点が当てられていたと思われますが、運動が発展するにつれて、他の人々も大きな関心を寄せるようになっていきました。

野村:最初の10年間、シュワルツさんは関わっていたのですか?

シュワルツ:いいえ。その当時は、私は関わっていませんでした。最初の10年間というのは、ソーシャル・ファーム運動の最初の10年間という意味です。それは1980年代です。私が学生として働き始めたのは91年、92年、93年頃ですが、93年に私がFAFに就職した頃、つまり1990年代の大変早い時期に、他の障害者にも門戸を開くということが大きく採り上げられるようになったのです。これについてはかなり感情的な議論もあったと記憶しています。運動を進めていたあるグループは、ソーシャル・ファームを他の障害者にも開放すれば、精神障害者はまた差別されることになってしまう、といいました。精神障害者は障害者の中でも最も差別されているからといって反対したのです。ですから、他の障害者にもセルフ・ヘルプ・ファームを開放すると、その人たちのほうが、生産力があるし、優れていて、サポートも少なくてすむので、私たちが大変な努力をして精神障害者のために創出した仕事を奪ってしまうというのです。これは大きな問題となり、とても感情的な議論が交わされました。同じ時期に、このセルフ・ヘルプ・ファームという名称から、インテグレーション・ファームへの変更も行われました。大変熱い議論が交わされましたが、最後には、わかりました、開放しましょうという結論に至りました。その代わり、ソーシャル・ファームの数を増やし、この問題に取り組んで、このシステムの中で決して差別が行われないようにすることを確認しました。

FAFでの2番目の仕事は、ソーシャル・ファームに関する労働社会省の全国的なサービスについての研究でした。これははじめての組織的な全国調査で、既に1995年に、当時多くの精神障害者以外の障害者がソーシャル・ファームで働いていることが明らかにになりました。ですから知らないうちに、もう現実にはことが進んでいたのです。ある組織がソーシャル・ファームを所有していて、さまざまなバックグラウンドを持つ人を雇用しているとします。そこで、パン屋やクリーニング屋での仕事がある場合、薬物乱用の問題を克服した人が来て、その人が仕事に適しているのなら、「申し訳ありませんが、あなたを雇えません。精神障害の方が見えるまで待つつもりです。」とはいえないでしょう。実際的な理由から、当然、自然にソーシャル・ファームは開かれていくのです。現在ソーシャル・ファームは完全に、障害者すべてを対象としています。唯一の制限は、資金繰りの枠組みの中で雇用するということで、なぜかというと、ドイツでは今でも、資金援助を受けたければ少なくとも50%は重度の障害者でなければならないという基準を満たす必要があるからです。けれどもこの制度の下では、障害の種類についてそれ以上の規定は何もありません。

さて日本の状況を見てみますと、昨日話し合ったことから考えれば、この種の支援制度は非常に有用だと思います。昨日いろいろな方がおっしゃったことや、聴衆の皆さんの中から出た意見を伺い、既に多くのことが日本でも進められていることに本当に感銘を受けました。最初のステップの一つとしては、非常にシンプルであってもよいのですが、このような活動を既になさっている方たちが集まって、そうですね年に一回とか、2,3ヶ月ごとにとか、現場の人たちが集まって、ちょっとしたサポートを受けられるような場をどこかに設けることだと思います。複雑な洗練された組織でなくてもいいのですが、集まって意見交換をしたり、話し合ったりする、その拠点にできるようなものが何かできるとよいですね。規模はとても小さくてよいのです。情報収集を始めて、データベースのようなものを作れる場であれば。技術的なことをいっているのではありません。たとえば大阪で活動していて、ソーシャル・ファームを作るとします。そのときに出向いていって、ソーシャル・ファームについてもっとよく知ることができる場があればよいのです。こんな風に、興味のある人たちだけでもまず始めて、集まって、同じような関心を持つ他の人たちともっと話したり、お互いに情報交換したりすれば、とても興味深い結果が得られるでしょう。もちろん資金の問題もあります。日本の資金援助の状況がどのようなものなのかは分かりませんが、何か基金のようなものを設立することができれば、基本的な財政面を支援することができるでしょう。日本には大きな財団がこれだけたくさんありますから、その助けを借りれば、克服できない問題は無いでしょう。ソーシャル・ファームのビジネス志向は、民間の財団にとっては非常に魅力的ですから。大企業からも、大変興味深いソーシャル・ファームのモデルが生まれています。ただそのようなソーシャル・ファームはあらゆる投資リスク、資本投資リスクを抱えてはいますが。

野村:日本の大企業は、実際、障害者のための子会社を設立し始めました。そこでは従業員の50%から60%が障害者です。

シュワルツ:そうですね。それも違ったアプローチの仕方ですね。

野村:ええ、別のアプローチです。ですが、大企業に障害者のためのソーシャル・ファームを作ってもらうよりも、障害のある方の中には、経営が上手な専門家もいらっしゃるので、そのような方たちがソーシャル・ファームを設立して成功すれば、それがソーシャル・ファームのよいモデルとなっていくのではないでしょうか。

シュワルツ:どちらもできると思いますよ。スワンベーカリーのような、基本的に大企業が設立した会社は、200社かそこらあったと思いますが。

野村:スワンベーカリーなどは、実際は財団によって設立されているのです。

シュワルツ:わかりました。東ドイツでも同じモデルがありました。社会主義の国では、まさに同じモデルでした。すべての会社は国が所有していて、障害者の失業問題を解決するために東ドイツがとった方法が、すべての大企業に障害者を雇用する部署や子会社を作ることを義務付けるものでした。日本と同じ、似たようなモデルですね。1989年にベルリンの壁が崩壊し、東ドイツのすべての産業が当然破綻しましたが、そのとき、ドイツ政府とソーシャル・ファーム法について協議した際に、政府がこのモデルを非常に熱心に勧めていたことを覚えています。「これはすばらしいモデルなのに、なぜ民間企業はこのような部署を設けないのか?」と。私たちはこう答えました。「ええ、いいですね。」けれども当時私たちが感じていたのは、これは本当のインクルージョンではないということでした。なぜなら、ある部署で働いている全員が障害者であるということは既に一種の差別だからです。にもかかわらず、実際にはドイツのソーシャル・ファーム法ではこれを認めています。ドイツの法律上では、両方のモデルがあるのです。ですから民間企業がこのような部署を設けようとすれば、ソーシャル・ファームが得るのと同額の資金援助を受けることができます。でも実際には両方のモデルは同時には見られません。なぜでしょうか?ドイツでは民間部門も、このモデルが本当によいとは考えていないからです。日本で両方のモデルがありうるのかどうか、私は分かりませんが、できないことは無いでしょう。障害者が働く部署があって、同時にNGOとソーシャル・ファームもあるというのも考えられます。ですがそれぞれ方向性は違っていて、ソーシャル・ファームのほうが少しばかり統合が進んでいます。そしてこのようなソーシャル・ファームに資金を提供してくれるような相手を探さなければなりません。資金と引き換えに、ソーシャル・ファームが始まる。それは本当によいやり方だと思います。このような企業の財団を利用するというのは。企業が支援してはいけないという理由はありません。両方のやり方を支援していいのです。同じような問題に対して、2つのアプローチができるのですから。このように利用できる特別な資金を組み合わせることができなければ、私たちもここまでやってこられなかったでしょう。ですが、このようなバランスの取れた資金繰りができたからといって、何もかもまかなえるというわけではありませんから、ソーシャル・ファームは独自の起業のアイディアと創造性を結集しなければなりません。そしてこのこともソーシャル・ファームの発展にとって非常に役に立ってきました。何もかもは手に入れられません。ちょうど必要な分だけが得られるのです。そして残りは、自分たちで、自分たち自身の創造性を駆使して、手に入れなければならないのです。このバランスが、ドイツでは非常にうまくいったといえます。

インタビュアー後記: シュワルツ氏へのインタビューにおいては、特にドイツにおけるソーシャルファームがどのようにして発展していったかに焦点を当てて、お話を伺いました。どんな質問にも気さくに答えていただき、日本ではどのようにすればひろがっていくのかについて提案もしていただくことができました。日本での今後のソーシャルファームの広がりと多くの障害者の雇用の促進に今回のインタビューが少しでもお役に立てれば幸いです。