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分科会 グループ3

「リハビリテーションと地域生活支援」

コーディネーター:

野中 猛(日本福祉大学教授)

パネリスト:

山本 雅章(調布市福祉健康部副参事兼障害福祉課長)「相談支援と障害福祉計画」

増田 一世(社団法人やどかりの里常務理事)「精神障害のある人と地域生活支援 その現状と課題」

池並 雪枝(社会福祉法人啓和会常務理事)「障害者自立支援法施行後における障害施設現場からみた現状と課題」

四ノ宮 美恵子(国立障害者リハビリテーションセンター理療教育・就労支援部就労相談室長)「高次脳機能障害と地域生活支援-家族支援からみえてくるもの-」

 

司会 皆さん、おはようございます。また、日曜日にもかかわらず、総合リハビリテーション研究大会2日目にご参加いただきまして、ありがとうございます。ただいまから分科会のグループ3「リハビリテーションと地域生活支援」を開始させていただきます。最初にこのグループ3の分科会のコーディネーターを務めていただきますのは、日本福祉大学教授の野中先生です。では野中先生、よろしくお願いいたします。

 

野中 おはようございます。野中でございます。今日は国政選挙で、障害者自立支援法もこれで大きく変化するかもしれません。

さて、障害を持った方々が、我が国でどのようにうまく暮らしていくかということを支援する全体的なシステムについて、今日はここで議論をしていきたいと思います。特に現在の自立支援法という法の枠組みにあまりこだわる必要はないと思います。総論的に、法律、政策がどうであれ、どのようにシステムを作ったらいいのかというところに議論を絞っていただいて結構です。

私は精神科医で、精神障害を持った方々の退院から地域生活支援をやっていくと、どうしても医療だけではすまなくなってきて、日本福祉大学で教えるようなりました。自立支援法の中で言いますと、現在は国の中央研修会で座長を務め、相談支援専門員の育成をどうしたらいいかというようなことを話しあっています。それから自立支援協議会のあり方についても、3年になりますが、方向性や運営マニュアルを作って検討しています。

今日は、シンポジウムを大変楽しみにしております。シンポジストとしてもすばらしい先生方をお呼びできました。ではご紹介をいたします。調布市の障害福祉課長を務められております山本雅章さん。社団法人「やどかりの里」の増田一世さんです。「啓和会」の常務理事の池並雪枝さん、国立障害者リハセンターの四ノ宮美恵子さんです。よろしくお願いいたします。

では山本さん、よろしくお願いします。

 

山本 調布市の障害福祉課、山本です。障害者自立支援法が施行されて、概ね3年半経過をしております。その間のいろいろな法律の問題が様々に議論をされ、定率負担であるとか、いろんな影響もあり、特に市町村にも非常に重大な影響を与えたと思っています。

一方で、地域で暮らすということが目的に位置づけられて、三障害の一元化であるとか、相談支援の制度化、障害福祉計画の策定など、新たな取り組み、こういった契機にもなったと思います。そこで、今、私どもの市で行われていることについてお話をできればと思います。

調布市は、東京の多摩地区、世田谷の隣です。人口約22万の中規模の都市という、ベッドタウンです。

市町村としては、この法律を巡って、いろいろ言われながらも分権という形が進む中で、どのようにしたら「自立と共生」という国の方向が進むのか、これが逆に我々の課題となっているのだろうとも思っています。支援費制度以降、サービスの種類や量というのは確かに増えています。昨年度の決算額でも6%増となり、毎年毎年増えています。そうした種類や量は確かに増えていますが、一人ひとりの皆さんがどのように利用して、この調布という街で暮らしていくのか。法律上、「援護の実施者」という位置づけがありますが、市町村の施策の理念というのが問われていると考えています。

そうした理念を具体化する視点について、福祉計画でも議論をしているところです。一人ひとりの人をどのように支援をしていくのか。見守りの仕組みを作るのか。ということが重要だろうと思います。

具体的には、個別のマネジメントや、社会資源をどう作っていくのかが、援護の実施者として、私どもが考えなくてはいけない課題だと思いました。

「個別のケアマネジメント」という課題については、法律の中に位置づけられています。「サービス利用計画の作成」という名前になっていますが、しかしこれを利用できる範囲というのはかなり限定をされています。実際全国的に1%に達していない利用状況と聞いています。東京都内でも、一定数、決定しているのというのは、本当に区部市部合わせて数区市にしかすぎないという現状があると思います。自立支援法はご承知のとおり、複雑な制度です。我々も説明をするのが、なかなか悩ましく、理解して自分で調整をしていくということは、結構厳しいだろうと思っています。これを誰かが調整をしていき,障害者の暮らしを支えながら、具体的に使っていただくことが必要であると思います。

国が2005年に「相談支援の手引き」という形でも示しましたが、具体的に社会資源をどう使っていくのか、ネットワークをつくりながら、本人の目の前に具体的なサービスが「こうなりましたよ」と、「こうですよ」ということを提示していく仕方が、大事なのだろうと思っています。

そこで、調布市では、相談支援事業の前身である障害者自立生活支援センター事業という市町村相談支援事業を平成11年に1か所、それから14年に2か所目を立ち上げました。同時期に精神障害者の生活支援センターも立ち上がっていました。自立支援法が施行されてから、市ではこれらの3ヶ所の事業所を生活支援事業の中の相談支援事業に位置づけて、障害種別ごとにサービス利用計画だとか相談を行う事業と位置づけました。

そして市も、相談支援をやっているケースワーカーがいますので、市も含めた3つの事業所と市で相談支援事業所連絡会というのを作ったところです。あとは1つ、法外事業として、3年前に「こころの健康支援センター」も作りました。今はこのこころの健康支援センターも加え5つの事業所で実施する連絡会をやっています。

連絡会の中でもいろいろ議論をされますが、実際の相談場面で言うと、家庭とか通所施設、医療機関、支援機関で、利用者が必要とされるものが異なります。その際,一人ひとりの利用者のニーズを探る意味からも、客観的な情報が必要だろうと思っています。その中では、ライフステージを通して、所属する機関などに相談支援事業所や障害福祉課が絡むということになりますが、情報共有ができる連携が必要だと思っています。

不動産担保ローンで身動きできなくなった知的障害の単身の方が、借金取りが怖いと、市に駆け込んできたという実例がありました。そこで、相談支援事業所と一緒に動いて、後見人を立て財産管理をお願いし、資産を売却しました。資産を売却すると住まう場が欲しくなるので、ケアホーム事業者に連絡し住まいを探して、就労されていましたので就労支援センターとも連携を取るというような、具体的な支援が展開できましたが、これも情報の共有を互いにしながら支援した例でした。ほかに、単身の方ですが、生活面など、いろいろな相談ごと、困りごとに乗るなかで、相談支援だとか通所先だけではなく、近所の定食屋のおじさんがその人の支えになっていることがわかりました。「自分のお父さんみたいなおじさん」という表現をしていました。いろいろな情報を合わせて聞くと、この方のエコマップみたいなものが浮かび上がってきたようでした。

このような横の連携は、実際サービスを提供する場合でも必要だと思います。一方現在、問題になっているのが、就学前の機関から学校に移る、あるいは学校から通所施設に移るときに、何も情報がないで来てしまうという例が結構多いということです。そこで私どもとしては、「I(アイ)ファイル」という、乳幼児期から成人期に至るまでの情報を、伝えていけるようなファイルを作りました。このファイルは、親が持つとことになっています。現在、特別支援学校と連携をする中で、本来学校行事である企業体験などに、就労支援の職員が同行して引き継ぎをしていったり、発達支援センターが就学期に一緒に学校に行って連携したりと、市全体で取り組みをしているところです。このような場面でも「I(アイ)ファイル」が活用できるのではないかと考えています。

我々がこのように行っていることを「のりしろ」と言っていますが、「のりしろ」をどのようにつないでいくのかという連携が課題の1つであると思います。その意味では、「横と縦」とよく言われますが、そういった連携の具体的な仕方というのを、今、模索をしている段階です。

自立支援協議会の目的・機能

調布市における地域自立支援協議会のイメージ

 

そこで、ネットワークとか社会資源を作るということが大事ではないかと思っています。自立支援協議会の機能として、国は6つ掲げています)それを具体化していくために、平成18年に調布市では自立支援協議会を立ち上げました。福祉・保健・医療など、30団体近く集まり、全体会、課題別の分科会を行いました。調布の場合「ワーキング」として、「在宅」「就労」「虐待予防」「権利擁護」「退所・退院」の課題別のグループを作りました。

事例検討を中心に運営をしてきましたが、設立して2年が経過し、課題も鮮明になりました。それは、社会資源の開発をどのように進めるかということや、課題別事例検討などだけだと議論も広がらず、分科会の議論が全体会にも反映されないという現状を改善することと、相談支援事業所が主体的協議会に臨むのかということなどです。

平成21年度からの調布市障害者地域自立支援協議会のイメージ

そのため,他市の事例を見聞きしながら議論し、原点に帰り、利用者のニーズを基本に新たな枠組みを作ろうと考えました。今年度からスライドのように、相談支援事業者が行っている個別支援計画や支援会議をベースにして、市のワーカーも交え、議論することにしました。それを支援会議の中に持ち上げて、出てくる課題をワーキングの課題にしようということにしました。必要に応じて全体会に報告するとか、全体会を通して、このような課題だから基盤整備しようということを、全体会から市への意見具申できるボトムアップのシステムにしています。

ですから、以前はワーキングの課題にあわせて,とりあえず課題に応じた事例を見つけてきて議論するということがありました。そのようなことはやめ、ワーキング別の名前はつけずに、個別支援会議や全体の支援会議で出てきた課題を、きちっと上に上げていこうことになっています。

今、ワーキングで、「安全・安心」や、「高齢障害者の支援」、「地域のインフォーマルなサービスをどうやって使っていくのか」ということが課題になっています。これは今年度続くのか、あるいは議論が一定収束をするのか、皆さんの議論を待つところです。このようなやり方だと、月に3回は相談支援事業所や我々が集まって、その準備をするということになり、負荷はかかります。しかし、相談支援を行う中で出された生の議論が全体化するという意味で,ワーキングの議論は非常に活発化をして、相談支援専門員も面白いという感想を持っています。

この形が一番いい形とは思いませんが、フレキシブルに創意工夫を重ねながら、自立支援協議会の活性化につなげていくということが1つの鍵になると思います。今、「あってよかった自立支援協議会にしよう」という合い言葉で進めているところです。

次に調布市での福祉計画について、お話したいと思います。障害福祉サービスの量の確保、地域生活支援事業の工夫は、市がやらなければいけない課題で、それを市町村が計画的に整備するということが求められています。国では福祉計画の視点として、「自己決定・自己選択」、「一元化」、「地域生活移行」という3つの課題を挙げています。この視点に沿って、市町村では実際自分たちが実施主体として、サービス基盤も含め果たすべき役割があると思います。それは自立支援協議会で語られている一人ひとりのニーズというのを地域の課題として捉えて、これをどうしていくのかということだと思います。その意味では、「サービス量がこれだけ必要だから、予算額はこうだ。」ということだけではなく、まずは地域の中で障害者が暮らし続けるための仕組みをどうしていくのかということが議論されるべきという視点になっています。

一人ひとりのニーズを大事にすると言っていますが,本市の例では、計画そのものの中に一人ひとりのものの考え方とか、意見などを具体的に反映させる,すなわち、当然住民参加ということが課題になるだろうと思っています。それは意思決定過程への参加であるとも言えましょう。第1期の計画、第2期の計画とありますので、そこでサイクルとして検証をしていくということが大事だろうと思います。

平成18年の福祉計画は、国のワークシートに数字を入れ込んで、とにかく作ったという感がありましたので、第2期の計画を作るときには、きちんとした根拠を自分たちで持つという考え方で行いました。市民福祉ニーズ調査の実施や、特別支援学校などでの卒業生の日中活動の場がどれぐらい今後推計値としてあるのか、あるいは退院・退所と言っているけれども、どれぐらいのニーズがあるのかということを具体化させるために、高校生の進路意向調査、施設入所者に対する全員の調査を行いました。これはご本人の意向と施設の客観的な意向をクロスにかけた調査、体系移行の移行数の調査を総合的に行ったものです。そこで出てきた数字をもとにして議論をしました。

当然議論にあたっては、福祉計画の作成委員会を作り、議論いただきました。16人の委員のうち9人が当事者もしくは家族で構成をしています。委員会では、国の制度に意見するのは難しいので、市が独自でできる地域生活支援事業の中を充実してほしいということや、発達障害や高次脳機能障害にも新たな課題として積極的な視点を書き込んでほしい、あるいは住まいの場もまだまだ不足しているというようなご議論がありました。一番みんなが「うん」とうなずいたのが、そもそも行政の計画は分かりにくいから、パッと見て分かるようなものにしてほしいということで、意見もいただいているところです。

市としてはこのような意見を、計画に反映できることはやっていうことを念頭に置きながら計画づくりを進めたところです。計画は作りましたが、当然実効性のあるものとなると、単に福祉計画の問題だけでなく、例えば市の基本計画のプログラムと整合することが重要だろうと思っています。第1期、第2期の計画でもそうですが、市の実施計画とリンクをさせて、財源的な裏付けというのを取っていきたいと思っているところです。

私どもとしては障害者一人ひとりのニーズを具体的にどのように施策化するかということは、道のりが長く、理念的で手数のかかるものですが、こういう道筋が法律の中に一応書き込まれているということが、大事だと思っています。

また、相談支援や福祉計画、自立支援協議会の取り組みについて、一人ひとり様々な思いがあると思いますが、ニーズを具体化するためには、福祉サービスの基盤整備や、地域づくりが欠かせないと思います。こうした地域で見守ったり支援したりする仕組みをコーディネートしたりマネジメントするのが福祉計画の役割だろうと思います。

同時に、相談支援事業所の皆さんが具体的に関わって、寄り添った支援を行っているわけですから、ここを使わない手はないだろうと思います。分析をし、具体的な課題を抽出して施策に反映する障害福祉計画と相談支援を取り結ぶものとして、自立支援協議会の役割があると思っています。

調布では「その人らしい自立した生活の充実」ということを計画の目標として掲げています。相談支援、福祉計画、自立支援協議会、この3つの関係が相互に関連し合いながら具体的なものとして展開できれば、非常に有効なものになると思っています。それぞれを単体として捉えるのではなくて、どのように相互が連携しあって社会資源や相談支援の充実に結びつけられるかという視点を重要視したいと思います。

そして、当事者が参加をして、その人たちの生活している実態を大事にすることと思っているところです。

以上、調布市の取り組みと、大事だと思うことを述べさせていただきました。以上、終わります。ありがとうございました。

 

野中 はい、どうもありがとうございます。ところでIファイルの「アイ」とは何ですか。

 

山本 「私」という意味だとか「アイデンティティ」という意味とか、そういった意味を込めて、全部「アイ」というように、勝手につけました。

 

野中 「ラブ」の「愛」も入っていますか。

 

山本  はい。

 

野中 ワーキンググループ1、2の分け方は、どのようにやるのですか。

 

山本 相談支援事業所が3つございますので、それぞれが責任を持って運営してくださいという意味です。例えば知的・精神・身体の人たちが障害種別にとらわれずに、自分たちの事業所としてそのワーキングを担うということにしました。

 

野中 必ずしも地域別ではないのですね。

 

山本 ではないです。

 

野中 どうもありがとうございました。では、増田さん、お願いいたします。

 

増田 どうぞよろしくお願いいたします。私はさいたま市の「やどかりの里」で働いています。私自身は「やどかり情報館」という精神障害のある人のたちの福祉工場で,後ろに並べてある本を作る仕事をしております。福祉工場ですので、主に精神障害の方が中心です.今20名ちょっとの障害を持たれた方が、やどかり出版、やどかり印刷,やどかり研究所で働いています。また,近隣の障害者施設の人といっしょにさいたま市の公園清掃の仕事なども行っています.

今日は、冒頭に自己紹介がてら「やどかりの里」の話と、後半は、2001年に誕生しました、新しい自治体「さいたま市」で、私たちが取り組んでいることなどをお話ししたいと思います。

やどかりの里の活動のスタート

図1は、トリプル・トゥー・イン・ワンというモデルで、「やどかりの里」の活動の全体像を表したものです。

図1 やどかりの里の精神保健福祉活動図1 やどかりの里の精神保健福祉活動

 

精神障害のある人たちは、精神科の病院の中で、人間として街の中で生きるという最も基本的な権利を奪われた状態に置かれている人たちが現在でも7万人いると言われています.「やどかりの里」が誕生した40年前には、鍵が掛かり、窓には鉄格子がはまり、病気は治っているのにどうしても街の中に戻れない人たちがいました。実は今でもいらっしゃいます。そういう方たちが、なぜ精神疾患を負ったということだけでそこにいなくてはならないのか。どうしてこの人たちは人間として当たり前の権利を奪われていることへの怒りが「やどかりの里」の出発点です。親御さんがいない入院中の患者さんたちに、住まいと働く場所を提供するということから活動がスタートしました。

そして20年間、精神衛生法という時代には、精神障害のある人が地域で生きるための支援を規定する法律が一切なかったのです。私は30年ほど前の、公的補助金のない時代に「やどかりの里」に飛び込みました。ソーシャルワーカーとして活動するはずだったのですが、ワーカーとしての仕事だけでは食べられませんでした。先輩に出版の事業を担当するように言われて、福祉学科卒業の私には編集の基礎知識も全くなく,一からいろいろ教えてくださる方がいて、ソーシャルワーカーとしての活動と合わせてやどかり出版代表としても仕事をしてきました.いつも職員の人件費を払うことが大変で,たいへん貧乏なやどかりの里でした.貧乏だったからこそ,福祉工場にして、障害のある人を雇用して事業を進めるということにも踏み切れたのだと思います.でも貧乏な時代が長く続きました。

1人1人が主人公を目指して

1987年に精神保健法という法律に変わりまして、第2種社会事業として精神障害者社会復帰施設が認められました.他の障害分野の方々は、「何で第2種で納得してしまったのか」と、思われる方が大勢いらっしゃると思います。しかし、やどかりの里としてはこれ以上公的な支援なしに活動を存続できない瀬戸際でしたから,地域で支援ができる体制ができることは大変ありがたいというような状況でした。その中で、「やどかりの里」は1990年に「社会復帰施設」を立ち上げました。この施設は、長期入院の人たちが、そこを足がかりに退院できるような援護寮と通所授産施設でした。その当時は、本当に100人足らずの利用者の方でしたが,2009年の3月末現在では、307名の方が登録をされています。それ以外に、生活支援センターで、相談支援事業をやっていますので、その中には登録をされない方もいますので、そういう方を入れると400人ぐらいの方を、いろんな形で支援しています。宿泊型の施設である援護寮はありますが,利用期限がありますので,地域のグループホームや単身アパートや、親御さんと一緒に暮らしているというような状況です。

当時、何もなかったので、ともかく住む場、あるいは生きられる場所、仲間と出会える場所を創り出してきました.私たちの基本にあるのは、「仲間同士、障害を持った人たちには支え合う力がある」ということでした。でもそれだけでは足りないので、地域の中に支援する資源として、生活支援センターやグループホームを作りました。現在、グループホームには40人ぐらいの方が生活をしています。また、もっと多くの方が単身アパートで暮らしています。障害をもった方たちの知恵や意見、体験を生かした活動を作っていく、協働の活動づくりで進めてきています。そして今は、障害者自立支援法という私たちにとっては非常に厳しい制度なので、「やどかりの里」の足元が揺らがないように1年間をかけて、活動理念を明確化の作業を行いました.その中で生まれてきたのが「1人1人が主人公」という言葉でした。障害を持った仲間も職員も家族も、一人ひとりが人生の主人公として生きられるような制度や政策を作ること、そして地域資源を作り出していくこと。これが今「やどかりの里」が目指していることです。

回復とは社会とつながっていくこと

回復の5段階と生活支援活動

図2は、これは主に統合失調症の人たちが、自分たちの回復のプロセスを描いたものです.病気になった時点で、いろいろなことをあきらめ,「やどかりの里」のようなところで生活ができるということを実感し、仲間と出会って、「ああ、生きててよかったな」と思えるようになったそうです。そうすると、「自分は病気だったのに、どうしてこんな扱いを受けなくてはならなかったのか」という怒りが出てきて、もっと人間らしく生きたいという思いが湧きあがり,そして、自分も社会に役立つ人間になりたい。そのためには自分の体験を生かして、自分のような思いをした人を1人でも少なくしたいというような思いに駆られていくという過程を彼らが教えてくれました。

私が尊敬している1人で、堀さんという方は、今72歳で、50年以上、統合失調症と生きてきました。彼は今、回復してとても元気に活躍していますが、そのプロセスを語ってくれたことを、抄録集に入れました。やどかりの里の授産施設まごころで、お弁当を作っているところがあります。堀さんはそこで1日働いて「ああ、本当に今日は生きた」という実感を得るようになって、そういうことから本当の回復が始まると語っています。どれだけ潤沢な支援やサービスがあっても、それだけでは生活の中身が詰まっていかない。その人が本当に生きたという実感を得るためには、やっぱり自分が社会とつながって、社会に役立っているという実感が大事なんだよ、と、よく彼は語ってくれています。

さいたま市での計画づくりに関わって

さいたま市は、120万の都市で,10区の行政区があります。やどかりの里はその中の大宮区、見沼区、中央区、浦和区、4区にまたがって、いろいろな資源を作っています。3区で、さいたま市からの相談支援事業の委託を受けています。

私自身は、今日は三ツ木先生と久しぶりにお目にかかって、2001年当時の大変混乱したさいたま市の状況を思い出しました。先生が会長をされていた、さいたま市の最初の障害者計画を作る委員会に参加させていただきました。私にとっては初めての経験でした。でも本当に納得のできない、行政から出てくる事務局案で、三ツ木先生が「皆さん、言いたいことはどんどん言いましょう」と、本当に言いやすい雰囲気を作ってくださったので、たくさんいる委員たちから、やっぱりこれでいいのか? というような声が、本当にたくさん上がって、政令市になる前の大変混乱期の中で、最初の計画づくりは困難を極めました.

そのときに、やはり行政の作る計画に、アリバイ作りのような形で委員として参加してはいけないのだと思いました。この計画がさいたま市に住む、障害を持たれた多くの人たちのこれからの生活を支えていく基盤になるのだから、本当に性根を据えて取り組んでいかなければならないと思いました。

そして、第1期計画ができたわけですが,さいたま市障害者施策推進協議会という、計画の進行管理をする委員会が新たに組織され、私もその一員となりました.そのときにさいたま市ではワーキンググループを作りました。1回目の委員会で、議論がまとまらないので、もう少しいろいろな議論をし合ったほうがいいということで、委員も手弁当で、事務局を行政にお願いし,行政も一緒にやるワーキンググループを2つ作りました。1つが相談支援体制の構築。もう1つが全体的な進行管理をすることになりました。私はその1つのとりまとめ役をやらせていただきました。三ツ木先生とやった計画を土台にしながら、自分自身がさいたま市の障害者の実態をどうつかんでいくのか。さいたま市全体の幅広い障害の人たちの実態をどうつかむのかというのは、本当に難しいと思いました。

そこで、ヒアリングを重ねました。様々な障害のある方、事業者の方においでいただき、実態をお話しいただくと本当にいろいろなことが見えてきました。お聞きしたことをどのように本計画に役立てていくかということで、ヒアリングのテープ起こしのみ行政が行い、とりまとめ役の自分がまとめることとして、自分たちの作ったまとめを計画に役立てていくというような流れを作ることができました。この取り組みについては、やどかり出版で出版した「障害のある人とともにあるケアマネジメントと地域支援システム」に詳細をご紹介してあります。

そして第2期計画を作るときも、再度、さいたま市の実態を把握するためのアンケート調査をすることになりました。今度はアンケート調査も、調査項目あるいは誰を対象にするかということも含めて、施策推進協議会の中で議論をした結果、厚い冊子になりました。今日はとてもご紹介できませんので、精神に関係するところだけ抜粋して抄録集に掲載しました。結果を見ると、やはり親御さんと一緒に暮らしている人たちが圧倒的に多いということとか、それから収入については、年金をもらっている人が3割ちょっとで、無収入の人が約3割います。精神障害の方の場合は、ほとんど成人の方です。ほかに自宅で過ごしている人が圧倒的に多いとことや、働くというところで見ると、ほとんど人が家事・家業の手伝い、また、パート・アルバイトということでした.

この調査は、知的障害・身体障害者・難病、それから入院中の患者さんにも行っています。今日はそこまで触れませんが、知的障害の人たちの調査結果でも9割ぐらいの方がやはり親御さんと暮らしています。この実態を、これから5年後、10年後のさいたま市でどうしていくのかというのは、大変大きな課題ということを改めて思いました。

アンケート調査で「見えてきた課題」として、1つめに、無支援状態にいる人たちがかなり多いということがあります。もっとも声が上げられない人たちなのではないかと思います。結果的には家族に依拠した支援体制の中で生きているということなのです。この計画に参加するようになって、精神障害のある人の家族会の人たちで、「やどかりの里」のようなところにつながってない方たちのお話をぜひ聞きたいということで、お願いしたことがあります。そのときに本当に印象的だったのが「お母さん、今の願い、要求は何ですか?」と伺ったときに、1日中、子どもと一緒の生活をしていて、ひとときでも自分の顔が見えないと自分の子どもは不安になってしまう。だから、1日15分でもいいから本屋さんで立ち読みがしたいというお話を伺いました。このとき、このお母さんの生活は一体どのようになっているのだろうか、こういう生活を何年続けてこられたのだろうか、このままで本当にいいのだろうか、というような思いがしました。「やどかりの里」のようなところは、本当に来てくださることに対しての支援が中心ですから,自分の無力さを実感しました。この実感が調査内容とも合わさって、この深刻な問題をどのようにしていくべきか、改めて感じたところです。

課題2つ目は、さいたま市の退院支援事業では,当事者の支援員が入院中の患者さんに関わり,支援しています。このした取り組みから当事者の参画の有効性が認められ、さいたま市の計画の中にも位置づけられています.ただ,入院中の人は長年の入院生活であきらめや不安の気持ちが強く、街の中で暮らすという当たり前の権利を行使することができないでいます。あきらめや不安な気持ちを払拭していくための支援は並大抵のことではないです。

精神科の病院はまだ閉鎖性が高く,心ある医師や看護師、パラメディカルの方々もいますが,私たちが患者さんに会いに閉鎖病棟に入っていくことはなかなか困難です。そのような状況なので、やはり見えない部分がたくさんあって、長期入院の問題が社会の問題となっていかないのです.病棟の看護師の人たちが、地域の活動や地域で元気に生きている患者さんたちに触れることで、随分病棟の中の風通しが良くなるのではないかと考え、退院支援に当たる人たちがさまざまな取り組みをしています.当事者の話を閉鎖病棟の看護師が聞いたり,生活支援センターや地域資源の見学会なども始めています。本当に薄皮を1枚1枚剥がすような取り組みです。

3つ目として、アンケート調査や入院中の患者さんから見えてきた必要性,同時に,自立支援法で謳われた「地域移行」を実現するために必要なもの,それは,住まいの確保と安心して暮らせる支援の仕組みです。これが、まったく足りていないというのが見えてきましたので、第2期計画の中では、住まいの場の拡充というのが重点課題に入っています。住まいの確保や支援体制の構築は、財政の問題と直結していきます。そしてさいたま市は、土地も高いので、その問題と直結して、解決に困難が伴うと思っています。このようなことから、住まいと地域での支援体制をどう作るのかというのは、非常に大きな問題として見えてきています。

それから権利侵害は、閉鎖的なところほど起こりやすいし、職員の側は、それが権利侵害というふうに思わなくても起こっているというようなこともありますので、そこの仕組みをどう作るのかというのも必要性として見えてきました。

自立支援法の問題では、応益負担で生活が脅かされる人になんとかさいたま市の補助を求める請願署名活動を展開しました.さいたま市の障害のある人や家族,施設職員などがまとまって,請願署名活動を行いました.その取り組みで手にしたものは,負担軽減の仕組みとさいたま市内のネットワークでした.ネットワークは目に見えにくいものですが,つながってきた実感,手ごたえがありました.

さいたま市では、10区の中に三障害の相談支援事業者が位置づいています。見沼区と浦和区については、他の法人と一緒に事務所を構えて,見沼区・浦和区は三障害対応の生活支援センターになっています.さいたま市でも三障害が一緒に対応できる仕組みに近づける努力をしていて、10区の支援センターと行政も加わり、コーディネーター連絡会議を作っています。生活支援センターで受ける相談から見えてきたさまざまな支援課題を地域自立支援協議会に上げていきます。自立支援協議会では、作業部会を作り、見えてきた支援課題をさらに制度化していく必要のあるものについては施策推進協に上げていくというしくみが出来ています。さいたま市ではこのような重層的な仕組みを作り、計画づくりへの反映や資源開拓に結びつけていく取り組みをしています。

「やどかりの里」は精神障害のある人を中心した支援活動を行っていますが、精神のことだけではなくて、三障害を視野に入れながら、さいたま市の中で何ができるのかということを考えているところです。

以上で、終わります。ご清聴ありがとうございました。

 

野中 ありがとうございます。何か自立支援協議会が現実的にうまく動かすためにはいろいろな工夫がありそうですね。コーディネーター連絡会議とは面白そうです。それから、権利侵害について訴えることができる第三者機関とは実際にはどういうことをイメージしていますか。

 

増田 それが課題です。

 

野中 課題で、まだ分かってないわけですね。イギリスに行くと、NPOのアドボカシーグループですが、その地域にいっぱい存在していて、精神病院で毎週活動しています。ありがとうございました。では続きまして、池並さんにお願いします。

 

池並 池並でございます。どうぞよろしくお願いいたします。私は大変非難の多い入所施設をやっている施設長です。佐藤先生にはときどきぶつかったり、励まされたり喧嘩したりさせていただいています。今日は私どもの法人の活動と、それから自立支援法が施行されてから見えてきた問題がありますので、その課題点について少しお話をしたいと思っています。

まず私どもの法人の特色を申し上げたいと思いますが、私どもの法人は、親の会と言いましても、いわゆる育成会の関係ではありません。昔、昭和50年代に流行った脳研活動(ソニーの井深大さんが関与して昭和50年に発足し、昭和51年に社福法人認可の脳研療育会のことを脳研と略編しました。ドーマン法による訓練を主とした活動としていた。)に参加していた個人の親のグループが、大変重い障害の人を抱えてどうしようということから意気投合して、約5年がかりで私どもの理事長を中心にして施設作りを始めました。

親たちには、施設入所の経験を持った人もいますし、これからどのように施設に入って、子どもの生活を考えていったらいいかというような、二通りの方がいらっしゃいまして、施設に入った方は、もう金輪際施設は嫌と言う。いわゆる虐待のようなことを感じた人たちが、今までと違った施設作りをしたいということが始まりです。私は当時、某施設にいまして、そこから時々相談を受けており、親御さんにお目にかかりましたら、施設を作るということは大変なことだけれども、人間として大切にされたい、それが1つですと聞かされました。これは、いろいろな言葉でしたけれども、いかに人間として大切にされていなかったかということの経験が多かったのだと思います。

そこから、埼玉県久喜というところに場所を選び、久喜市の行政の応援が大変良かったものですから、それで施設設置が始まったわけです。しかし、できあがる過程で、十分な理解がされていなかったということだと思いますけれども反対がありまして、私が赴任した頃には大きな設置反対の看板が立っていました。筵旗も立っていまして、ちょうどその頃埼玉県では「初雁の家」が、反対に遭っては違う所に移るという経過がありましたので、私どもの理事長は、絶対ここから動かないという、大変な決意でした。

そして始めるときに、設置反対の看板というのは、私どもの心の中に緊張感を与えてくれまして、大事なことは、施設が地域を離れて勝手に一人歩きしないことと、何としてでもこの人たちが、ここの住民になって生きるということは、地域との共生を実現しなければいけないということでありました。そのために私どもの施設の設置理念は「人間の尊重」と、「地域社会との共生」というのが、63年のときに掲げられてきたわけです。

そういった経過で、いろいろ苦労をし、大変貧乏だったものですから、いろいろ足りないものだらけでした。ちょうどバブルの最盛期の時期の設置ですから、みんな企業に行ってしまって人材がまず集らず、これはもう大変な苦労でした。それで役付の職員というのは、ほとんどおらず、本当に新しい人たちが志を持って集まったという感じです。それだけに、困ったときに、冷たい視線で見られていましたが、性懲りもなく地域の懐に飛び込むという、裸の捨て身の戦法を採っていました。そうしましたら結構、「え?」と思うほどいい反応がありまして、いろんなものを持ち寄ってくださったり、それから解らないことは師匠までついてきたというような経過がございました。

そこで、私どもの、法人の特徴は「地域とともに」という、これがテーマです。いろいろなことを行っていくなかで足りないこともありながら年月が経ちました。もちろん、作業施設などもないので、工業団地内の「珍味のなとり」さんにお願いをして、企業内作業所をお借りして、そこで最初は4人、それを7人ぐらいに伸ばしまして、やがて何年かたったら全部就職をしたという経過があります。これは施設がせまくて場所がないというのが理由です。それから、せっかく工業団地があるので、そこでひとつ働かせてもらえないだろうかというのが2つめの理由でした。それがわりと先駆的にいろんなものを広げていったというきっかけにはなりました。

そんな中で、やっぱり手狭な施設の中で、たくさんの利用者さんが押し合いへし合いしているのは、ちょっと窮屈だということで、民家を借りて、生活ホームのような、生活をしてもらったらどうだろうかと思い、最初は職員の休憩室から始めて、それから、あっと言う間に地域の一軒家をお借りすることができまして、そこで生活を始めてみることができるようになりました。

大変いい結果が出てきまして、それから様々な活動が展開をいたしました。沿革の中で、何でも冒険的に挑戦をしてきました。行動障害の人のためにマラソンクラブを作り上げ、そしてホノルルマラソンにも行ってみました。このときにはジャンボ尾崎さんに寄付をしていただき、それで全国的なボランティアを募って行っていただき完走もできたということです。今では地域の走友会の方が30人から40人くらいマラソンボランティアとして定着しています。もう障害者のマラソンという感じではなく、市民としてマラソンをやるというところまでになりました。

そのころ、景気の関係で「なとり」さんの作業が減ってしまったので、何か地場のものを作ったほうがいいということで、味噌づくりを始めました。このきっかけは、保護者が持ってきてくださった味噌が大変おいしかったので、どうされているのかお聞きしたところ、手作りということでした。加須というところの浮野味噌が、結構な味の味噌ができていまして、私は大豆から作ったほうが良いと思いました。当時休耕田が山ほどあったので、それをお借りして大豆を作り始め、大豆を作ってから味噌をつくっていきました。味噌造りの師匠は親と地元の方、味噌屋さんは山永味噌さんが応援くださいました。また時々、地域の老人の方が朝早く畑の草むしりをしてくださるというようなことがだんだんに広がりまして、大変ありがたいことにいい味噌ができました。当時で、1トンぐらい作って、それをキロ1,000円で勝負していいと味噌屋さんが言うので、それでやっていました。ただいま、それは授産の種目に入りまして、現在は3トンを超える製造をしております。

少したってから、ケアマネジメントのモデル事業が久喜に入り、大変な効果を発揮しました。これは職員の目も覚めましたし、私たちがやってきた治療教育という経験的に学んだものが、もう少し進歩していかなければいけないということで、新しい勉強をさせていただきました。一番大きなねらい所は、知的障害の人への支援の仕方を学ぶということと、アセスメントについてです。適切なアセスメントであれば、適切な支援ができるはずなので、大事なことでした。

私どもは、物がなければどこからか生み出そうという、考え方がありまして、例えば一瞬の輝きでもいいから地域生活をさせてみたいと思ったときには空き家をお借りする。地域はもう高齢化していて空き家がどんどん増えています。ですからこれも休耕田と同じで、空き家をお借りし、少し手を入れ、家賃を払い、そしてグループホームに切り替えていったという経過があります。現在はケアホームに変更いたしまして、22人の方が平成6年以降、地域生活を続けている状況です。

その中で大事なことは、地域の人とどうやって仲良くなっていくかという問題がありますが、地域理解というのは大変様々な活動をするときの基盤です。例えば権利擁護の問題にしても、それから理解をしていただくということについても、地域の住民の方たちが解かってくださらないと前に進めないのです。特に入所施設というのは、様々な行動をする先輩もいますから、そういう意味では地域理解というのは非常に大きな課題であります。

そうやって、少なくとも地域にもメリットが出て、私たちもメリットを受けるといった双方向性のある利益、ギブ・アンド・テイクを試みてきました。現在もなお引き続いており、最近では、ここの家が空いたけれども入り用がないかなど、そういうお声がかかってくる状況になりました。

施設の活動を写真でご報告したいと思います。ただいま社会福祉法人啓和会は、久喜啓和寮という入所施設を核にして、ケアホーム、通所授産、相談支援、それから久喜市の指定管理施設として通所更生をお預かりしています。この指定管理ですが、私どもは一切そういうものをさせてくださいとお願いしたことはないのです。公が経営していますと人件費が高くて持ちこたえられないようです。また、久喜市の更生施設はもともと心身障害者のデイケア施設ですから、重症心身の方から行動障害の人までいろいろな障害の方が一緒にいまして、その支援の難しさは大変なことです。そんなことから、人件費がかさんでしまいますので、費用節約として私どものほうにくるわけです。

公の関係でやっていますと、融通が利かなくて朝9時から4時の時間から時間まで、少しでも遅れたら都合の悪い状況がたくさんあったようです。私どもでは早番を勤務の中に入れ、早朝からお預かりできるようにしました。それから夕方の7時ぐらいまではお預かりできるように、少しずつ変えていったところ、大変いい結果が出てきましたし、費用は2,000万円ぐらい節約になっていようです。

私はいつも感じますのは、やっぱり民間の社会福祉法人施設というもの、あるいは社会福祉の考え方というのは、やはり公的なところと随分違うということです。少なくともニーズがあったら、それにどう応えていくかというように、こちらのほうが変化していくという体制は、民間でないとできない感じを受けています。

また、久喜市のどこに位置しているかといいますと、施設は久喜駅からだいたい車で15分ぐらいのところにあります。近隣はお寺さん、病院、学校、お墓、神社があってというように全部揃っており、決して過疎地ではなく、住宅の賑やかなところにあります。

支え合っていきたいというのが私どもの考え方の中心にありますので、これは私どもが応援していただいたことも含めて、今度は地域に何かお返ししていきたいということであります。また、今後はどのように事業を経営しようかということを考えております。今、とりあえずは知的障害入所更生が新体系へ移行しております。ケアホーム、相談センターも移行しておりますが、授産と通所更生は今年度中に移行していくという方向性を持っています。

定員について、久喜啓和寮は60人です。ケアホームは22人、ワークセンター啓和は35人、久喜市いちょうの木は40人です。相談センターは年間約5000件に近い相談を請け負っております。

入所されている方は、割と老化が早いと言いますか、高齢化、だいたい50歳ぐらいになると、いろいろと故障が出てきまして、医療的なケアを必要とする人たちの分布は、スライドのように黒丸が常時医療ケアを必要とする人たちです。この状況で、平均年齢は今、女性が45.7歳、それから男性が38.8歳です。

ケアホーム清久は大変年齢が高いです。すでに働きに出て定年を迎えている人たちが出てきています。この後、どうしようかということもございますが、施設としては、しっかり働かれたのでケアホームでゆっくり過ごしていただくことも1つありますが、施設の中で少し仕事を分けていこうかとも考えています。

性別の割合ですが、圧倒的に男性が多くて女性が少いです。

それから啓和寮の障害程度区分について、スライドの様に区分4の人、区分5の人、区分6の方が多いです。ケアホームの障害程度区分を見ますと、区分2の方が2人、それから3の方が10人、4の方が8人、5の方が1人、6の人が1人と、かなり重い人が出だしています。これからこの重い人たちをどのような処遇をしていくかは考えているところです。

スライドは、啓和寮の外観です。これは障害の重い方や高齢虚弱者の方が生活している居室です。それから施設の出口として作りました自立支援棟で、地域生活へ向けた自立訓練をするために作りました。この居室はこのような個室があって、いろいろとご自分で飾り楽しそうにしています。

これは日中に作業活動を行っている場所です。日中活動の中では、作業活動、それから農芸、それから軽作業等やっておりまして、それから食事はこのようです。最近、お風呂を作りまして、そのお風呂は大変立派で、みんな楽しんでおります。大きいお風呂の他に少し小さいサイズをつけましたら、そちらのほうが重なって入るほど人気があるようで、やはり家庭的なにおいがするということがいいんだと思います。

それから、これは就労へ向けた取り組みで、職場実習を啓和寮の人たちもやっておりますし、施設の中で女の方が弁当作りとその販売を勉強して、今は職員のために営業許可を取り販売をやっています。

それからクラブ活動は、マラソンが大変賑やかに、50人近いマラソンボランティアで支えられています。マラソンができなかった人は、大変重い人たちだったものですから、じゃあ登山クラブにしようということで登山を始め、1年に3人は富士山に登っております。それから生け花クラブ。これもボランティアさんが入ってご指導していただきます。茶道クラブもそうですし、音楽クラブは県の生きがい大学のOBの方たちが一緒にやっているという状態です。

地域住民との交流は、啓和レストランという、仲良くなってもらうために始めた食べ物を通じた交流、これはもう大変効果がありました。

それから婦人会がやる高齢者の「にこにこデイサービス」というのがありまして、それに場所を提供して、私どもの支援者が応援することも含めて利用者もお手伝いをするという活動もやっております。

スライドは地域の施設のイベントで、様々なお祭りなどです。今は地域の祭りに変貌しており、もう盆踊りは地域にありません。ところが啓和寮では盆踊りをするので地域の人はみんな参加します。啓和祭りというのも、これも地域の人が企画から一切合切受け持っていくというような感じで、久喜高校のブラスバンドがサービスをしているところであります。

それから市民のボランティアさんは、除草や、それから「100人ボランティア」といって、100人の方が一斉に施設のお掃除に参加してくださるということもやっています。

研修は地域の人も含めて、触法の問題など、保護司さんとか一緒に勉強していただいたり、毎月1回は心理勉強会がありまして、病院の心理治療士が嘱託になっていて行っております。

それから久喜の防災総合訓練に参加するのと、この地区で久喜清久東部地区防災連絡協議会というのが立ち上がりまして、ここで施設や学校や、学童保育をしている人たちのための非常災害時の安全をどのようにするかというような打ち合わせが、今始まっております。

新体系移行後にいろいろ問題がありますが、それはまず1つは人員の問題です。これは、指定基準でやりますと日中活動は60人に対して6人ぐらいしかとれません。それをもう少しゆとりを持ってやると、現行私どもは2.38で1名というようにやると、日中活動に16人参加できるということです。いろんなサービスがありますけれども、病院通いのために、2名の支援者が取られてしまいます。

あと見えてきた課題点はこの後に説明させていただきます。以上でございます。

 

野中 地域との共生として、地域とどううまく生きていくかということを、なかなか工夫がされていて参考になりました。どうもありがとうございます。では四ノ宮さん、最後にお願いいたします。

 

四ノ宮 どうぞよろしくお願いいたします。私は国立障害者リハビリテーションセンターの現在、更生訓練所の就労相談室というところで勤務をいたしております。今日のお話では、実は3月までリハビリテーション病院で心理職として勤務していた中で、家族支援を行っていたことについての活動をご紹介させていただきます。現在はその業務からは離れております。

私どものセンター、昨年10月に名称の中から「身体」の2文字が取れ、「国立障害者リハビリテーションセンター」という名称になり、自立支援法下で埼玉県から指定を受けて、国立施設としても障害者支援施設という形で事業展開しているところです。私どものセンターでは、自立訓練と、就労移行支援事業をやっていますが、私の所属は、就労移行支援事業で就労に向けた相談を担当するということになっております。

それでは、現在の仕事とは少し離れまして、病院での活動をご紹介していきたいと思います。

高次脳機能障害に特化したお話ということになりますので、そういう意味では、皆さま方、十分ご存じという方もいらっしゃれば、あまりご存じではないという方もいらっしゃるかと思いますので、一部、障害の紹介も含めて進めていきたいと思っておりますが、高次脳機能障害に関しては、支援モデル事業が平成13年度から始まりまして、5年間のモデル事業期間を経まして、現在は支援を普及するための事業ということで引き続き展開をされています。

支援普及事業の中で、各都道府県に支援拠点機関を設置するようにということで、ほぼ全国にわたって拠点機関が、できつつあるという状況にあると聞いております。残念ながら全都道府県にというところまでには至っていないとも聞いております。

高次脳機能障害における家族支援の特徴から先に入らせていただきます。先ほどからお話を伺っていて共通点もあるかとは思いますが、特に高次脳機能障害の方の場合は、外傷によって高次脳機能障害になられる方は、若年の方が多いとはいえ、脳血管障害ですと中高年の方が多くなりますし、原因となるものが外傷、疾患、いろいろ入ってきますので、そうしますと当然ご家族支援というのは、いろいろな続柄の方が対象になってくるということになります。親御さんであるとか、ご兄弟、お子さん、配偶者であるなど多様な続柄のご家族に対しての支援が必要になっております。当然そういうことになりますと、ご家族は幅広い年齢層です。今まで支援をさせていただいたご家族の、若い方ですと小学生の高学年ぐらいの方からになり、お父さんの症状ってこういうことなんだよというような支援から始まって、ご高齢の方ですと70代後半ぐらいの親御さん方まで幅広い年齢の方に支援が必要となっているというのが特徴としてあります。

それから、これは後ほどまた詳しくお話をさせていただきますが、支援の内容としても、単純に心理的なサポートをすればいいということだけではなくて、やはり症状をきちんと理解していただくための教育的な支援も必要となりますし、そういったものを受けてどのように環境を調整していったらいいか、一番身近にいらっしゃるご家族にご理解いただくということが、ひいては高次脳機能障害のある方の安定した生活につながりますので、幅広い内容の支援を行うことが必要になります。

どの障害をとっても家族支援は重要です。あえて高次脳機能障害ではどのように考えるかということを、簡単にご説明します。

高次脳機能障害の診断基準というのは、スライドのモデル事業の中で、一部載せましたが、このような形で診断基準が作られています。その中に「記憶障害、注意障害、遂行機能障害、社会的行動障害などの認知障害を主たる要因として、日常生活及び社会生活への適応に困難を有する」という文言があります。でも、これを見ても、記憶が悪くなったのかなとか、不注意なことが目立つのかなとか、そういったようなことは分かったとしても、実はこのような診断によって、生活の中でどう「生きにくさ」が生じるかというのが非常に分かりにくいというところが問題になるかと思います。

例えば、生活の中から見えてくることとして、特に高次脳機能障害の場合は、症状の1つとして、障害の認識、自分にどういう障害があるかという認識がなかなか持ちにくいというようなこともあります。外見的に、身体の障害を伴わない方ですと、まああまり問題はないように見えます。それから、ともするとご家族も、最初のうちは何が困難であるのか分かりにくいということが出てきます。でもいろいろ生活を一緒にすると、少しでも情報が多くなると混乱しやすいという、例えば、買い物に行くと、納豆1つ選ぶにも非常に苦労してしまいます。今まで決まって買っていたものがお店にあれば、それを選んでくることはできるかもしれませんが、今、何種類も納豆は出ています。その中から自分の家庭に必要なものを選ぼうとすると、それだけでもパニックになってしまいます。あるいは、いろいろ曖昧なことを提示されると、非常にそれに対して応じることが難しくなります。例えば「いつでも遊びにおいでよ」というような声かけをされると、この「いつでも」の表現が、まさに「今」遊びに行っていいものなのかどうなのかという判断を困難にします。「できるだけ早く来てください」というときも同じです。

それ以外にも、社会的行動障害の症状にありますが、突然怒り出してしまうことがあります。よくエピソードとしてあるのは、正義感が非常に強くなってしまい、電車の中で携帯電話を使う方がいると、もう放っておけなくなってしまいます。今まででしたら「仕方ないや」ということで抑えられていた方が、もう抑えが効かなくなってしまって、ある方は力づくでそれを取り上げてしまってたたきつけてしまうとか、あるいは相手の方に暴力を振るうという形で警察沙汰になってしまうということもあります。それからキャッチセールスにすぐ捕まってしまうようなことが起きたりします。

こういった、生活の中で家族からいろいろ伺う問題は、特に最初の急性期の病院で、高次脳機能障害の可能性がありますと説明を受けていても、いわゆる典型的な症状の説明からは予測をしにくいということになります。そこで家族側に立って考えると、非常に身体的にはどんどん回復して体力もついてくると、どうも支援は不要だというような誤解を生みやすくなります。また入院生活の中では、あまり家族ですら問題に気づきにくいというようなことがあって、適切な支援につながりにくいという状況が生まれたりします。

一方で、それが在宅生活になり、家族が一緒に生活をされると、今度はいろいろな、今まで考えられなかったようなことが起きるということで、ストレスの状況が生まれてきます。

それから家族は家族で、今までは主婦で、夫が生計を立て、稼いでくるので、主婦の役割のみ、あるいは主婦と母親の役割をこなしていればよかったという方が、代わって仕事にも出なければいけない、あるいは本人がうまく表現できないことを代弁する代弁者としての役割をとらなければならない、こういう症状だからこうなるということを説明する説明者の役割をこなしていかなければならないなど、役割が多重に課せられることになってきます。

こういったときの心理的な側面について、家族からいろいろと伺うことがあり、心理的混乱ですとか、家族自身が身体的な不調を訴えられて通院を始められるという事例もたくさん見てきました。その中で、いろいろな感情が起きてきます。事故が原因の方でしたら、あのときバイクを運転して出て行く息子に、ひと言「やめといたら?」と声をかけたらこうならなかったのではないかとか、あるいは非常に性格が変わってしまった家族に対して、自分の育て方だとか対応の仕方が悪かったからではないかというような感情が、自責の念も含めて出てきたりします。

それから経済的な不安も当然出てきます。自分がもしいなくなったとしたら誰が面倒を見てくれるのかというような、他の障害とも共通した不安が出てきます。

それから対応、特に外見的に分からないので、対応の分かりにくさとか、家族の関係性の変化があります。例えば、兄と弟がいたとしたら、本来は兄であるほうが受傷後幼児化してしまって弟のような立場になってしまい、弟のほうがむしろ兄や長男の役割をとらざるを得ない、しかし兄としてはそんな弟の存在が煙たいということで、それが家族内の関係性の変化の1つとして影を落とすことがあります。そういったことがご本人は受け入れられず、また家族内で一悶着が起きるというようなこともあります。

親御さんが高次脳機能障害になられて、小さなお子さんの立場からいくと、急に怒りっぽくなったお父さんなりお母さんが受け入れられず、避けて通るようになったり、うまく自分の気持ちを表現できませんから、例えばお父さんが家に帰ってくると押し入れの中に入り込んでしまって出てこなくなってしまうというような、二次的な問題が起きてくることもあります。ほかに家族の立場からいくと、孤立感があります。「少しは外に出て友人とお茶したい」という希望が叶わないというようなことを伺ったりします。家族支援の一番は、やはりこういった家族が持つ感情は、当然の感情であるということを前提に支援を考えていくということになります。

家族支援の基本的な考え方として、これは統合失調症の患者さんの心理教育と同じ考え方になるかと思いますが、心理教育という形で考えていきます。資料で、3つほど基本的な考え方を載せさせていただきました。医療機関ですので、「患者」という表現になっていますがご了解ください。

特に高次脳機能障害の方の心理教育の狙いをどう考えるかというと、まず土台に、先ほどの心理教育を配して、教育的支援と心理的支援という2つの土台を設定します。そしてそれらを土台にしたプログラムを考案して実践し、家族自身が持っている力を最大限に発揮していただけるようにエンパワメントをしていこうということです。

それを通して、何とか自分でも本人と対応していけそうだとか、家族自身も地域の生活者としてやっていけそうだというような気持ちを少しでも持っていただき、当事者の方にとっても、一番心強いサポーターになれるようにという支援を行っていこうと考えております。

私どもの病院での家族支援の方法を、スライドでお示しします。まず、個別支援についてですが、各リハビリテーションの専門職で、主には医師、OT、STですとか、私もそうですが心理職、それからMSWで、それぞれの立場で個別支援をしていきます。グループによる支援では、2つ目の家族学習会という、グループでの学習会があります。それからパンフレットということで、「理解のために」というパンフレットを用意しお配りしており、大きく言うとこのような3つの形で支援をしております。

どういうことをねらいとしているかと言うと、まず基本的に高次脳機能障害の方の場合は、必ず発症があって、急性期の病院を経てリハビリテーション病院等に来られるということになりますので、医療機関というのは支援の出発点なり入り口ということになります。ここできちっと基本が押さえられるということが大事かと考えております。

個別支援の中では、それぞれの個々の当事者の方の症状に合わせた理解をしていただくためのサポートとか、症状の説明だけではなく、当初はある程度家族に対して、こういう対処法をとっていくと生活しやすくなりますというようなことを、具体的に提示することから始めていきます。それと同時に、ご家族が日々頑張っていることをとにかくねぎらっていこうと。それから、いろいろうまくやっている部分に対してはプラスの評価をしましょうと。それから当たり前の感情を当たり前のものとして受け止められるようにサポートをしましょうというようなことを心がけています。

そして家族学習会では、同じように患者を抱えるご家族が集まって、ともに学びましょう、そして他のご家族との交流を通して、孤立感の軽減ですとか共感体験というものを得ていただきましょうという形で進めていきます。家族学習会では、最初は「こうなんです、ああなんです」といろいろな問題を最初は話していらした方が、少し落ち着いてこられると「こういうふうにやってみたら、うまくいったんですよ」ということを話していただけるようになります。ある意味で助言者の役割をしていただけるようになるのです。そこがやはり家族学習会の大きな点で、そういうことを通して、自分でも同じような経験をされている周りの方に役に立てるということで、自己効力感というものの回復が図れるのではないかというようなことも考えております。

スライドは、家族学習会、家族向けのセンター病院で作ったパンフレットです。実際の家族学習会ですが、講義形式による学習会と話し合いによる学習会を毎月交互に実施しております。対象となるご家族には、混乱の真只中にあるご家族が多くいますので、ポスター掲示もしますが、できるだけ個別に、「こういったものをやっていますので、ご参加いただけませんか」というように声かけをするようにしています。ただ強制参加ということではなくて、できるだけ「自由に参加できますよ」というような形で、呼びかけるように留意をしております。ただ参加は、話し合いをするという場面もございますので、事前登録をしていただいて、ご家族に限ってということにさせていただいています。

もう1つ、家族学習会のときに1つ配慮していることがありまして、親御さんのグループと配偶者のグループを分けるという点があります。親御さんの思いのパワーと配偶者の方の思いのパワーは、少し質が違っていて、それを一緒にしてしまいますと、もう二度と参加したくないというように、特に配偶者の方の側からは話が出てきます。そうようなことを考慮して、話し合いのときは別グループにしています。ただそれも時間が経ってくると、やがて親御さんの思いも理解できるとか、配偶者の思いも理解できるというような、相互交流がだんだん出てくるようですが、リハビリテーション病院の段階では、やはり別々に行ったほうがいいのではないかというように考えております。

ただ、家族学習会を半永久的に医療機関で展開していくということでは、本来の地域支援ということにはつながりにくくなってしまいますので、一応私どもとしては、地域のいろいろな当事者あるいは家族会へ橋渡しをしていくということを念頭に置くようにしております。今まで20何回という回数、参加されておられる家族も出てきましたので、一応、1年間、家族学習会に参加していただくという形で、ある程度回数制限を設けまして、そしてその後は「卒業」という言い方をこちらではしているのですが、卒業していただきます。その後は、毎回の参加ではないのですが、参加できるときに体験を語っていただくとか、あるいは助言をしていただく役割として参加を依頼して、別枠で参加をいただいております。

スタッフの役割というのは、ファシリテーターとして参加をし、ともに学んでいけるようになることをねらいとして、スタッフの研修は力を入れるようにしております。

平成13年度から講義形式を中心とした学習会から始めさせていただいて、平成20年度、今年の3月までに延べ1051名の参加をいただいております。

スライドが実際の家族学習会の場面をお示ししたものです。左側が講義の場面で、今のところはドクターから医学的なお話、それからMSWから、どんな社会資源が活用できるかというようなお話を中心に、講義形式の学習会を進めております。ただ講義だけで終わりということではなくて、終わった後に、必ず自己紹介と、それから質疑応答を通して、少し交流の、きっかけ作りをするような場面も設けております。その講義形式の学習会に参加していただいた次の回から話し合いによる学習会に参加していただくという形をとっています。

学習会は、各グループに職員がファシリテーターと、あと記録係として入りましてやっております。グループは、親御さんのグループと配偶者のグループは、分けさせていただいております。模造紙を使って、出てきた意見を、スタッフがメモを取ります。最初はただ出された意見を記録していき、だんだんに一つひとつ問題点ごとに、ラベルをつけて整理をしながら話し合いをまとめていくという形になっています。

地域支援に関連してですが、今私どもの家族学習会、家族と病院スタッフで行っているわけですが、次第に家族自身が地域の家族会に参加をしていこうというモチベーションが上がってきて、地域の家族会に移行されているということが1つあります。

それから、どこの地域にでも家族会があるというわけではありませんので、こういった学習会をやってみたら良かったので、地域でもぜひ同じような会を開催してほしいというような、行政に向けた働きかけをする家族が出てきております。ちょうど私どものセンターがある所沢市にも働きかけて、家族会と言うか家族懇話会が開催されております。

それから家族からやはり、学習会を進めていくと、もう少し先のことを考えていきたいというご意見が出てくるようになりますので、今度は家族だけではなくて、当事者の方も含めてシンポジウムをやりましょうという企画を考え、開催したりしています。当事者の方が、意見なり体験を語っていただくと、当然当事者の会というのを立ち上げたいというような意向も出てきていて、今私どものセンター病院で、訓練を受けられた方を中心に、親御さんは入らずに当事者の方だけで「未来の会」というのを発足させ、少しずつ活動を始めているグループもあり、その後方支援を行ったりしています。

このように、地域の支援機関にいろいろな情報提供をして、こういった会の運営などについてのノウハウを伝達したりするということを進めています。

最後に、このような活動を通しての課題を簡単に書かせていただきました。全国の各都道府県にかなりの数の支援拠点機関が設けられたということにはなっていますが、まだまだ支援体制の地域格差があるということを感じています。私ども国立なものですから、全国からこられる方が正直おられます。それでは、その地域特性に合った支援ができません。結局その地域の中で生活をされるわけですから、各地域での支援が必要であると強く感じているところです。

また、支援拠点機関はできてきてはいるのですが、関係機関との連携がまだ不十分なところがたくさんあります。支援拠点機関があるのに、遠くの機関に行ってしまうということがあり、なかなか情報のやりとりがうまくできていないという現実を感じております。

それから、リハビリテーションの意味の中に入ってくると思いますが、やはり当事者に対するリハビリテーションということだけではなくて、家族支援も含めた包括的なリハビリテーションのあり方というのを、検討していくということが非常に重要であると考えております。

地域生活支援をする上で、特に高次脳機能障害の方が、症状が軽いと見なされて支援が受けられないままになっている事例と、社会的行動障害が顕著なために地域生活でなかなか支援が逆に受けられないという事例があり、後者では手の打ちようがないので、精神病院の閉鎖病棟にというような事例があります。対象者による支援の格差といったことも生じています。このような点について、地域の既存の資源と新たな資源を活用して適切な支援が可能となるために何をなすべきかが今後の課題ではないかと考えております。

以上です。

 

野中 はい、どうもありがとうございます。休憩後、ディスカッションに入ります。

 

(休憩)

 

野中 では、そろそろ始めます。残り時間が少ないので、議論をしっかりしていきたいと思います。身体障害、知的障害、精神障害、発達障害と、専門的な領域として並んでおられます。いろいろなことについて議論していきたいと思いますが、特に、今日はリハビリテーションですから、障害者自立支援法の中でリハビリテーション的な思想をどう展開できるだろうかというところに焦点を置いて、本人をどう強くするか、自立支援法ですからね、自立に向けて強くするための工夫という方向で、何か議論ができないでしょうか。もちろん今現在の自立支援法に対する批判が起こってもけっこうです。

もう一方は、地域を強くしていくということも大事で、地域との共生も、いろいろな工夫がありましたが、地域との関係をどうするか、そこに自立支援協議会というのがどのように位置するのかというような方向で議論を展開していきたいと思います。

さっそくフロアにお聞きします。皆さんの中で、ここはちょっと議論していきたいとか、ご質問をここにしておきたいとかありませんか、感想でもけっこうです。どうぞ。

 

会場 権利擁護について、質問します。虐待防止など、いろいろな当事者団体では、勉強会をやっています。こういうのは虐待なんだ、こういうのは嫌だって言わなければないんだよという学習会です。大阪でオンブズマンをやっていたという方が、病院へどんどん入っていって当事者からいろんな意見を聞いていると、虐待と言うか差別が見えてくるそうです。私は実際活動をしていて当事者からも話は聞いていますが。ただ訴えるところはあるようですが、そういう問題について、どういう対処をしているかというのをお聞きしたいと思っています。

 

野中 今の質問はとても大事な視点で、自立支援法でもそこがもう1つ弱いわけです。権利擁護、アドボカシーの点で。それさえできていれば、あとがどんな不備でも何とかなるのに、ひどい法律というのは、そこがないんです。そういう権利擁護とかアドボカシーとか、そのへんに絡めて各シンポジストはどんなご意見を持っていますか? 山本さんからお願いします。

 

山本 おっしゃるとおり、権利擁護の課題というのは非常に大きいと思っています。具体的な方策というのが自治体レベルではなかなかないという現状は率直にあると思います。今回、自立支援協議会の中で、ワーキングの「安心・安全」というように先ほど説明しましたが、地域で暮らしていくとき、障害者にとっての「安心・安全」をどう捉えるかというような議論をしています。その中で提案としていろいろ出てくるのが、見守りネットワークのシステムをどう作っていくのか。単にシステムを作るだけではなく、そこで駆け込んで来る人たちについて対応をどのようにできるのか。あるいは緊急一時避難的な、シェルターのような場所をどう作るのかといったことが今課題として上がっています。現実には私どものほうで、先週もそういう件が1件ありました。今の枠の中でどうにかこうにかやっているという現状なので、そこを自立支援協議会の中で明らかにしていきたいと思っています。以上です。

 

野中 いいアイディアですね。見守りのネットワーク、シェルター作りですね。増田さんはいかがですか。

 

増田 とても大事で難しい課題だと思っています。虐待の事実が分かったときに、ではそこを切り離せばいいのかという問題ではないのだろうと思います。そこが今、もう1つ解決策が見えにくいところと思います。相談支援事業等で、どうしても支援が十分に展開できない方たちの背景を見ていくと、家族全体に様々な問題を複雑に抱えていらっしゃいます。その窓口ができて、権利擁護を求められる人と、求められない人たちがいるので、そこも含めた支援システムと合わせて考えていく必要があると思っていますが、まだ入り口にも届いていないというのが実感です。

 

野中 家族が虐待することもそうですが、施設の職員が虐待するというのもあって、じゃあ施設の職員が悪いとかという話になってしまうと非常に表層的で、加害者も実は被害者なんだという側面をよく考えると、その施設の職員ほど被害を受けている人はいないわけです。あんな貧しいお金でこんなことをやらされてますから。虐待ということが起こるときに、権利が何らかの形で侵害されているんだと、全体を見渡して対策を作っていくような仕組みが現在足りなくて、何だか虐待を受けた被害者だけを分離すればそれでいいという話だけが進行しているところがありますね。

 

池並 私は施設ですから、先生がおっしゃった、施設の職員が虐待しているんじゃないかというような、そういう見方をされるような立場ですが、ボランティアをたくさん導入しているということは、少なくとも第三者の目が常にあるということです。知的障害の人たちの当事者と私たちだけが対峙していると危険があると思いますが、そのへんは大変いい緩衝材になっていただいて、それから、他人の目を意識するという施設側の職員にとってはいい立場にいていただいていると思います。

それから地域の虐待については、施設の近辺に人がいっぱいいらっしゃいます。障害のある方や、いろんな方がいらっしゃいますが、結構見守りが住民の中にできてきて、大声を出しているけど何かあるんじゃないかとかというような知らせを受けることができます。私はなぜ地域に力を入れたかというのは、そういったものが、地域の住民の人たち自体で、障害のある人やお年寄りをしっかり守っていこうよという風土を作りたいという願いがあったわけです。あとは苦情解決委員会があったり、申し出があったり、家族のお母さんが虐待されて飛び込んできたら、避難場所は提供するというようなことはやっております。

 

野中 今のもいいですね。社会から他人の目が入っている。おそらく虐待というのは孤立しているところから起こってくると思うので、その孤立をどう広げてあげるかという対策が本質的な話ですね。虐待が起こったから法律が介入して分離しなさいということをやっても、また次の虐待が起こるわけですよね。孤立の問題をどう考えていくかがとても大事な話ではないかと思います。

 

四ノ宮 施設に勤めている側からいくと、国立施設の場合でも苦情の解決の第三者委員会があります。そういったものを整えるという形で対応させていただいているのですが、少し狭い視点で高次脳のことに関して言いますと、家族にしても当事者の方にしても、これは発達障害の方にも言えるかもしれませんが、お互いが加害者・被害者にならないということを踏まえた職員研修会や家族学習会を組むように考えています。

あと就労に関しては、労働基準監督署からもいろいろな情報提供をいただいて勉強させていただいております。

 

野中 今のように権利擁護がとても大事なところで、われわれ現場の人間はもう少しそこのところを強調した法律作りをすべきでしょう。これから唐突に自立支援法をどうするかということが議論になりますので、そのときに権利擁護を今回どうやって入れていくかというのは、われわれのほうから言うと勝負どころですね。

権利擁護はおそらく本人を強くするのと地域を強くするのと、その両方を意味するわけで、そこが権利擁護って面白い領域になると思いますね。

 

会場 今日は貴重なお話、どうもありがとうございました。私は、途上国の難民、難民じゃない途上国の人、開発等々、様々なプロジェクトをやっています。特に東南アジア、中央アジアにおいては、障害者の支援というものを強く打ち出してやっております。やはり途上国での障害者支援の中で、地域のご協力がなかなかいただけない。特に政府のほうも予算とかお金の問題で、なかなか障害者支援よりもっとプライオリティが高いものがあるだろうというふうなことがあったりとか、地域でも障害とは前世の行いが悪かったんだみたいな、そういった迷信的なところで差別の対象になったりとか、そういったこともありまして、なかなか日本と比べても難しいというところがあります。

そういった意味では、地域を取り込んだ、いわゆる今言われているCBRといった、ああいった形での支援の仕方が、やはり途上国ではどんどん取り入れていかなければいけないんじゃないかと言われておりますが、日本は、確かに途上国のような迷信の度合いが低いといった意味では、パブリック・アウェアネスはまだましなのかもしれませんが、やはりまだまだ足りないと思いますし、施設のほうも確かに途上国よりは多少ファンディングの意味で恵まれているところもあるかもしれませんが、まだまだ足りない。実際に今後、一般の地域の住民、市民の意識が1点目として高めていくのに、どのようなアプローチを皆さま行っているか。2点目としては、高まった後には、今あるいわゆる「施設」というものから、コミュニティベースの支援、もしくは権利ベースの、そういったコミュニティの形成に移行していくのに、どのような取り組みをなされているか、なさっていく予定があるのか、お話を聞かせいただければと思います。よろしくお願いします。

 

野中 それは発展途上国のCBRのために情報を使いたい、そういう意味ですか。発展途上国でやったCBRの経験を日本で使う、応用するということが、今日の場面ではとても大事な話と思いますが、ここで使ったものを途上国のCBRに応用したいという立場ですか。

 

会場 どちらもですが、やはり途上国でCBRを使いたいです。何件か使っているケースもあるんですが、ケースバイケースで失敗しているところ、全くうまくいかないところもあります。どちらも持っていく、もしくは向こうでも使える、いろいろとパターンはあると思うんですけど、そういったケースとして、日本のケースではどういう形があるのかというのをお伺いできればと思います。

 

野中 本日の場合は、発展途上国のCBRを日本で応用するときにこんなように使ったらどうかという話ですね。施設コンフリクトなどの話が発展途上国であまり起こらないわけですよね。何で日本では、社会との共生がうまくいかないのか。本当は社会が障害を持った方々を抱えて困っているはずだとおもいます。お金を使って作ると言うのに、それを断って、後で自分が困るのが日本の地域社会のように思います。そこのところでどのように工夫をしているのか、各シンポジストに聞いていきたいということでいいですか。

 

会場 はい。

 

野中 では、お願いします。

 

山本 私もこの仕事を20年以上やっていますが、本当に行きつ戻りつなんだろうと思っています。そこでいい処方箋がこうあるということは決してないのではないかと思います。例えば施設を作るということであれば、それをどういうふうに地域の人にご理解をいただきながら説明会を開き進めていくのか。ここで1個やったら次にまた同じようなことができるのかできないのか。そこで進んでいくしかないだろうというのが。お答えにはなっていませんけれども、ひとつ現状だろうと思います。

ただ一昨年、「こころの健康支援センター」というのを作って事業を実施し、いろいろな講演会とか学習会を市民向けにやっているのですが、当事者以外のいろいろな方の参加が増えています。そういったところを一つひとつ、実際の施設建設だとか社会資源を作るということで汗をかくこと。あるいは講演会や学習会のような啓発的と言うか、そういった事業を複合的に1個1個やるしかないと、今まで思いながらやってきています。これといった処方箋は語れません。

 

野中 こころの健康支援センターは、どうして単独にできたのですか?

 

山本 1つには、東京都の場合、市町村部で保健所が、東京都立の保健所がございました。それが統廃合で地域の中から撤退をしたということがあります。そこで家族会や作業所の皆さんから、それに代わるサービスをというようなご要望がありました。実際、我々の実感としても相談や支援件数がかなり鰻登りに増えているといった背景の中で、市として保健所跡地を活用して同様の機能を作ろうかというようなことになったわけです。

 

野中 そのプロセスはCBRじゃないけれども、住民の要望が先にあって、それを市の行政が応えた、そこのところをちゃんと捉えている行政があったと。この形式ですよね?

 

山本 はい、ということになります。

 

野中 ここがすばらしいわけですね。他の地域が遅れているのは金がないからではなくて、そういうことを聞く耳も持たずに、それを捉えない行政だったわけだと思います。

 

山本 他所様のことは分からないですが、いずれにしても要望があって、そこに建物が現に存在しているわけですから、それをどう活用するかというのが、自治体の仕事だろうと思います。そこを精神障害者の方のセンターとして活用するということについては、近隣住民500メートル範囲ですけれども、全部1軒1軒訪問して、そんなことやりますよというご理解もいただきながら設置をしました。

 

野中 すばらしいです。埼玉県は保健所がなくなっています。ニーズがなかったというわけではないですよね。だからそこのところで、実はCBRの思想が日本には全然生き延びなかったけど、調布でだけは生き延びたという話ことですね。もう誉めたいです。

 

増田 地域に密着してと、先ほど池並さんもおっしゃっていましたが、私たちの活動は地域の中で、どれだけ地域の人との接点を増やしていかれるかということが大切です.やどかりの里の活動は、だいたい施設の中で完結する事業になっていないので、常に地域の人が来てくれて成り立つような事業形態になっています。本当に身近なところでは「やどかりの里」の活動拠点があることで、精神のことを理解してくれる人たちがじわじわと増えていくという実感があります。

私たちの活動は福祉従事者だけでは成り立たないので、協力をしてくださる方が、企業の方だったり自治体の方だったりします。皆さんそれぞれのネットワークがあるので、地域の中で、私たちのことをどう見られているのかということや、私たちが地域展開をしていくときに、どの人にどういうあいさつをしたらいいのかということは、私は知らないけれども自治会の役員の方たちは知ってらっしゃるので、ボタンの掛け違いをしないように地域の人と付き合っていく術は、実は地域のそういう方たちに教えていただいているというのが実感です。

それからもう1つ、精神に関して言えば、私は基礎教育や事業所の中で、メンタルヘルスのことをもっときちんと学習する、実感を持って学べる機会が作られていかないと、今の精神障害に対する偏見・差別の重さは払拭できないなという実感を持っています。ここはそうすると文部科学省や、働く場の問題で言えば厚労省など、各省庁で横断的に取り組んでいかなればけいけないとおもいます。私たちは障害福祉課といろんな協議をしますけれども、実は教育委員会ともその議論をしていかなきゃいけないと考えていて、なかなか本当にやろうとすると大変だなと思っています。

最近教育委員会が人権の問題を通して精神のことを考えなくてはというように思ってくれてはいるので、少しずつ歩みは前に進んでいるのかなと思うときもあります。

 

野中 なかなか行政は聞いてくれないですよね。だから基礎教育というか、家族教育がとても大事だという話ですが、基礎的な教育が国民の中に浸透していないための様々な誤解が現在の日本を作っているようなところもあります。だから文部科学省や教育委員会を変えていこうという運動を相当しました。その中で、昨年の指導要綱改訂において、保健体育では精神保健について教えると1行入りました。これでお墨付きがつきましたので、教育委員会を通して精神保健について教えよという圧力がかけられるというところまではたどり着いているわけです。

いずれにせよ、教育という領域にどう入っていくかというのは、CBRにとっても、とても大事なところです。できあがっちゃった地域の大人に対してはなかなか修正がつかないので、子どもたちにどうやって保健や障害のことを伝えていくかということが勝負になる。今後の自立支援法批判の問題で、お金の払い方ばっかりに国会議員も目が行っていて、啓発のところまで行ってないですね。啓発や教育も強調して言わないと、また見逃されて次に行ってしまいます。ぜひそういうことも声を大にして言ってください。

 

池並 私は、地域理解というのは、キュブラ・ロスの障害の受容、喪失の受容と、本当にその段階が同じだなと思います。最初はこの人たちが来るっていうだけでショックを起こして、混乱して大変な思いをして、そして排他的になってという過程を通り過ぎながら、最後はやっぱり価値を共有しないとダメというところにたどり着いてきたという実感があります。

もう1つは、地元の人が役立つのです。弱者のために、あるいは高齢者のために役立つという実感を、どう私たちが作っていくかだと思います。それで今、私どものケアホームの夜勤は、地域のおじさんたちがやってくださいます。仕事はこんなふうにやって職業ってこんなんだよって、相手にどれだけ分かるか分かりませんけれども、でも語りかけて、そして人をいじめちゃダメだとかですね、そんなことも言ってくださって。私はもう地域が支えてくれているなという感じがします。

 

野中 面白いヒントですね。地元との共有というのは、「こっちは変わらないぞ、お前が変われ」、地元も「こっちは変わらんぞ、施設が変われ」、これは無理だと思います。お互いが変わり合っていって、その変わり合うことに喜びを感じるような関係にならない限り、共有できないと思います。だから、「こっちは変わらんぞ」っていうのは、チームワークでもそうですけれども、「俺は変わらんぞ、お前だけ変われ」っていうのは、それはどうしてもうまくいかないですね。キュブラ・ロスの話が入ってくるのは、なかなか実感があっていいですね。

 

四ノ宮 地域に対しての支援というところは、実は国立施設の一番弱いところです。さらに申し上げると、直接的な支援は今までやっていなかったというのに等しいのではないかと思います。国立施設の役割としては、直接的に地域支援をすることだけではないとは思いますが、ただ自立支援法下になって一事業所という位置づけになって、今年の4月から、所沢市の自立支援協議会にようやく国立施設からも参画することになりました。たまたま当て職であった関係で私が出るようになりました。

そして言われたこととしては、ちょっと本論とは逸れますが、「よく出てきましたね」と「ようやっと出てきてくれましたね」というのが、最初よく言われた言葉です。そこで今、私どもセンターで考えているのは、まず地域に対して私たちが何の支援をすることが必要なのか、地域はどういうように考えているのかということをまず把握しないことには、あまりにも地域からかけ離れた施設運営になってしまいますから、就労移行支援を中心にニーズ調査を今、進めているところです。

別の話になるのですが、今、情報社会になって、障害のある人はこういう人だというのは、知的な部分では、情報がある意味では行き渡っているところもあるとおもいます。実際じゃあ目の前にその方がいらっしゃると、やっぱり、ねえ、ちょっと、というように、あるいは避けたいとか、できれば知らないで通したいというのが、実情かと思っています。

復学の事例なども病院ではあり、先ほどの教育関係でいくと、学校のほうに出向いて、たまたま復学の方がいる、その事例を中心に、本当に一つ一つの例えば高次脳機能障害だったらこういう症状ですよとか、こういうことに配慮してやってくださいというのを、その年齢に応じた、ある意味の教育的な部分での支援をするということも、本当に草の根的な支援なのですが、やってきた経緯はあります。

 

野中 精神保健領域でも、オーストラリアの学校の先生を集めて、統合失調症の早期介入として、学校の先生に心理教育をやるわけです。知識教育もやります。だから国リハのポジションは、学校の先生に向けて、自閉症の知識教育をきちんとやればいいのではないですか。向こうは求めているのだと思います。教育コーディネーターとか言われている方が、研修や人材育成をやってもらいたいと思います。そういうところで動いていただければ、実践的に変化していくのではないでしょうか。

時間がきてしまいました。ディスカッションの中で、重要な点が2つ出たのは私自身とても満足しています。権利擁護はわれわれの法律や仕組みの中ではとっても弱いところがあります。障害者にお金を払わせるということも、とんでもない問題なのですが、それよりもっともっと大事なのは、この権利擁護のシステムがないことに最大の弱点があるので、これは大変いいテーマが出たと思います。

それから、何でCBRかって私もぎょっとしましたけど、考えてみると、やっぱりCBRの考え方をもうちょっと日本の中で応用してみると、見えてくるものがあるのではないかというのもなかなかいいアイディアだと思います。この2つの点で今日のシンポジウムは参考になりました。どうもありがとうございました。

皆様、参加していただいてどうもありがとうございました。

 

司会 野中先生、それからパネリストの皆さま方、本当にありがとうございました。また長時間にわたりましてご参加いただきましたすべての参加者の皆さんに感謝申し上げたいと思います。

以上