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記念講演2
総合リハビリテーションの新生
-当事者中心の「全人間的復権」をめざして

上田 敏 (うえだ さとし)
日本障害者リハビリテーション協会 顧問、元東京大学教授

はじめに

 モンスバッケン氏(記念講演1)が紹介されたノルウェーの新しい法律は非常に示唆に富んでいる。特に、すべてのユーザーに個別支援計画を作る点は重要である。日本でも特別支援教育では個別の支援計画を作ることがすでに始まっているが、これを総合リハビリテーション全体にひろげ、総合的な支援計画を作るようにすべきである。またコーディネーターが病院と自治体に必ず置かれなければならない点も重要で、病院だけでなく、総合リハビリテーションに関わるすべての機関・組織に置くことが将来は義務づけられるべきである。そして自治体がコーディネーション部門を持って、個別計画の作成及び実施を指導・監督することも重要である。行政の役割をもっと積極的なものにしていき、当事者と専門家と行政、さらにコミュニティ全体が協力して行うものが本当の総合リハビリテーションである。

第1部 「リハビリテーション」についての共通認識を

<その本来の意味と語源・歴史的用法>

 「リハビリテーション」とは「機能回復訓練」と思われていることが非常に多いが、そうではない。「リハビリテーション」の本来の意味は、「権利・名誉・尊厳の回復」である。
 語源的には、「リ」は「再び」、「ハビリス(habilis)」とは「人間にふさわしい」「人間に適した」であり、リハビリテーションとは「再び人間にふさわしい状態にすること」である。
歴史的には、ヨーロッパの中世には、「身分・地位の回復」「破門の取り消し」の意味で使われた。近代に入ると、さらに「名誉回復」「権利の回復(復権)」「無実の罪の取り消し」などの意味が加わった。現代に入ると、教育刑思想に立った「犯罪者の社会復帰」、いったん失脚した政治家の「政界復帰」などの意味が加わった。さらに、人間以外についても使われ、災害後の「復興」、また「都市の再開発」などの意味で使われている。まさに広い意味の一般用語であり、決して医学用語ではない。
 歴史的な用法で著名な例は、「ジャンヌ・ダルクのリハビリテーション」である。これは、ジャンヌ・ダルクが1431年に宗教裁判で「異端」の宣告を受け、破門され、火あぶりの刑に処せられたが、25年後の1456年に再び宗教裁判が行われ、「異端」という無実の罪が取り消され、さらに破門が取り消されたことをいう。このやり直し裁判のことをフランスの歴史では「リハビリテーション裁判」(「復権裁判」)と呼んでいるのである。
 さらに「ガリレオのリハビリテーション」という用法もある。ガリレオは1633年に宗教裁判の判決で、地動説には「異端の疑い」があるとされ、それに従って地動説を撤回した(「それでも地球は動く」とつぶやいたと言われている)。これが約360年後、法王庁が、10年間の審査を経て、1992年に取り消し、前法王のヨハネ・パウロ2世が、ガリレオの墓に詣でて謝罪した。これがガリレオのリハビリテーション(名誉回復)である。

<障害のある人の「全人間的復権」>

 今、我々が携わっている、障害のある人のリハビリテーションが始まってからは100年に満たない。1917年、第一次世界大戦中のアメリカの陸軍病院に「身体再建及びリハビリテーション部門」が開設されたのが最初であるが、この場合でも、身体再建(訓練)は手段を意味し、「リハビリテーション」は社会復帰、職業復帰という目的を表していた。ここでもリハビリテーションイコール訓練では決してなかったのである。
 こういう長い歴史を踏まえて考えると、「リハビリテーション」とは障害のある人の「全人間的復権」、すなわち、障害(生活機能低下)のために、人間らしく生きることが困難になった人の、「人間らしく生きる権利の回復」である。
このように、リハビリテーションの理念に初めから「権利性」の思想があったことが非常に重要である。障害者権利条約に典型的にあらわれているような、障害者の権利が重視される時代にとって、リハビリテーションの理念はますます重要な意味を持つようになっているのである。
 ちなみに、この「全人間的復権」とは、筆者が40年以上前に提唱した言葉であるが、幸いに多くの方の賛同を得て、内閣府の「障害者基本計画」にも取り入れられている。

<全人間的復権を実現する総合リハビリテーション>

 「総合リハビリテーション」の必要性は、やはりこの「全人間的復権としてのリハビリテーション」の理念から出てくる。このような真のリハビリテーションは、医学、教育、その他の個別分野だけで実現できるものではなく、また、専門家だけで達成できるものでもない。やはり当事者を中心とした多くの分野・多くの職種の総合的・持続的な協力と連携で初めて実現できるものであり、それを「総合リハビリテーション」と呼んでいるのである。

第2部 総合リハビリテーションに関する国際的動向

 総合リハビリテーションに関する現在の思想的立脚点をよりよく理解するために、過去半世紀にわたる国際的な動向を振り返ってみたい。ここでは国連とWHO(世界保健機関)の関連8文書のうち、主なもの5つを取り上げて紹介する。

<WHO 医学的リハビリテーション専門委員会 第1次報告書、1958>

 この報告書の、リハビリテーションに関する定義は次のようである。
 「(リハビリテーションは)チームアプローチが基本であり、一つの領域だけで目的を達成することはできない。ふつう医学的リハビリテーションが最初に来るが、並行して、あるいはすぐ続いて、リハビリテーションの教育的・職業的・社会的側面が緊密に協力して行われ、障害発生から社会への再統合までのリハビリテーションの全過程がスムーズに連続して実行されなければならない。」
 これが、総合的なリハビリテーションが、医学・教育・職業・社会の4分野から成り立っていると言われた初めである。なお「総合リハビリテーション」とは、日本で「リハビリテーション」の概念が非常に狭く理解されているために、やむを得ず「総合」をつけて区別しているだけであり、国際的な文書では、単に「リハビリテーション」というだけで、我々の言う「総合リハビリテーション」を意味していることに注意が必要である。

<WHO 医学的リハビリテーション専門委員会 第2次報告書、1969>

 その約10年後の同じ専門委員会(メンバーは変わった)の第二次報告書の定義は次のようである。
 「障害についていう場合には、リハビリテーションとは、医学的、社会的、教育的、職業的な手段を巧みに組み合せて用い、その個人を、機能的な能力の可能な最高水準(highest possible level of functional ability) にまで訓練あるいは再訓練することである。」
 ここでも手段として、医学・社会・教育・職業の4分野をあげている。なお、この「機能的」(functional)という言葉は、英語では「実際的・実用的=practical」というのとほとんど同じ意味である。なお「障害についていう場合には」と断っているのは、「リハビリテーション」は広い意味の一般用語なので、用法を限定したものである。

<WHO 障害予防とリハビリテーション専門委員会報告書、1981>

 先の報告書からこの文書にいたる約10年間、すなわち60年代の終わりから70年代は、「異議申立ての時代」あるいは「パラダイム・シフトの時代」と言われ、ものの考え方が非常に大きく変化した時代であった。
 一つの大きなメルクマールは1968年である。これは「革命の年」とも言われ、パリでは「5月革命」があり、日本では学園紛争あるいは学園闘争が最盛期を迎えた時であった。その動きは、もっと早く、60年代初頭からのアメリカの公民権運動(黒人解放運動)にはじまり、それがフェミニズム運動に引き継がれ、そして障害者の運動にも影響を及ぼしてきたものである。
 障害者運動に関する一つのメルクマールは、DPI(障害者インターナショナル)が結成されたのが1981年であったことである。このような激動の時代を踏まえてかなり新しい考え方が打ち出されたのが、この報告書であった。その定義は次のようである。
 「リハビリテーションは能力障害や社会的不利を起こす諸条件の悪影響を減少させ、障害者の社会統合を実現することをめざすあらゆる措置を含む。リハビリテーションは、障害者が自分の環境に適応できるように訓練するだけでなく、障害者の直接的環境および社会全体に介入して、その社会統合を容易にすることをも目的とする。  障害者自身、その家族、そして彼らの住む地域社会はリハビリテーションに関係する諸種のサービスの計画と実施に関与しなければならない。」
 ここでは、「手段」はそれまでの4領域に限らない「あらゆる措置」となった。また「目的」は「障害者の社会統合」となった。そして重要なことに、リハビリテーションが「対象」とするのは、障害者個人だけでなく、その直接の環境及び社会全体となったことである。そしてリハビリテーションの計画と実施そのものに、障害者自身、家族とコミュニティが関与すべきだとされた。これらはいずれもかなり新しい考え方であった。

<国連 障害者に関する世界行動計画、1982>

 その後、国際障害者年(1981)や障害者の十年(1983-1992)などが、国連主導で行われるようになった。障害者の十年のための世界行動計画が1982年に出され、それは「パラダイム・シフト」を更に押しすすめるものであった。それは次のように言っている。
 「「リハビリテーションの定義: リハビリテーションとは、機能障害をもった人が、最適な (optimum) 精神的、身体的、社会的な機能水準に到達することを可能にし、それによってその人に自分自身の人生を変革する手段を提供することを目指す、目標指向的で時間を限定したプロセスである。」  ここでリハビリテーションの最終目的は、「自分自身の人生の変革」というように、障害者の主体性を全面に打ち出したものとなった。そして、そのために必要な中間目的が、「最適な精神的、身体的、社会的な機能水準」である。ここで、従来の「可能な最高水準」が「最適な水準」に変わったことの思想的な意味は大きい。これは、「最高のもの」の達成が、必ずしもその本人にとって最も幸せな状態とは限らず、どのような状態で生活するかは、本人が選ぶべきもので、他から強制されるべきものではない、という考え方である。

<国連 障害者権利条約、2008>

 リハビリテーションに関する国際的動向の現在の到達点といえるものは障害者権利条約であり、それは次のようにいっている。
 「第26条:ハビリテーションとリハビリテーション
 障害者が最大限 (maximum) の自立ならびに十分な身体的、精神的、社会的および職業的な能力を達成・維持し、生活のあらゆる側面での完全な包容 (インクル-ジョン) と参加を達成・維持するための効果的で適切な措置(障害者相互の支援 (ピア・サポート) を含む)。
 特に、保健・雇用・教育および社会的サービスの分野で包括的なリハビリテーション・サービスを強化する。それらは①できる限り早期に開始し、②障害者の属する地域社会のできる限り近くで利用可能であること。」
 ここで「ハビリテーション」とは、幼少時からの障害のある人々に対しては「権利の回復」でなく「権利の付与」が必要であるという考え方に立ち、同時に教育系の立場から、通常「リハビリテーション」が医学的なものと受け取られやすいことを嫌っての用語である。
 この定義で、リハビリテーションの「目的」は「三段構え」の、重層的な構造をなしている。上位目的は「生活のあらゆる側面への完全な包容(インクルージョン)と参加」であり、中間目的は「最大限の自立」、そして、それを実現するための下位目的が、「十分な身体的、精神的、社会的及び職業的な能力」である。
 これをICFの生活機能の3つのレベルと対応させて考えると、上位目的は明らかに参加レベルであり、中間目的の「最大限の自立」は、活動と参加の両方にまたがる。下位目的も心身機能ではなくて活動レベルである。
 ここで中間目的に「最大限の自立」という表現が使われており、先程論じた「最大限」から「最適」へという転換から見れば、一見逆行のようにも感じられる。しかし権利条約では、障害者の自己決定権が大前提なので、「自己決定に立った最大限」ということで、「最適」の意味を含むものと解釈すべきである。
 この目的を実現するための手段としては、保健・雇用・教育・社会を特にあげているが、それに限定はしておらず、さらに加えて、ピアサポートやピアカウンセリングという、障害者自身が障害者に対して行う、仲間同士の支援、サービスも非常に重要であるとされている。

<総合リハビリテーションに関する国際的動向のまとめ>

以上の約50年間の考え方の変遷をまとめると以下のようになる。

  • 「目的」:以前は「実用的な能力の向上」と「社会的再統合」であったが、「三段構え」の、①最終目的は「完全なインクルージョンと参加」、②それを支える中間目的は「自立」、③それをさらに支える下位目的が「十分な身体、精神、社会、職業的な能力」となった。
  • 「望ましい能力水準」:「最大限」であったものが一時「最適」となったが、最終的に「自己決定を前提とする最大限」となった。
  • 「専門分野・技術」:医学、教育、職業、社会の4分野のみであったものが、この4分野は依然として重要だが、それに限らずあらゆる技術や手段、そしてピアサポートを含んだものとなった。
  • 「対象」:本人だけというものから、本人・家族・身近な環境・コミュニティ全体・社会全体を含むものとなった。
  • 「実施主体」:専門家だけであったものが、専門家と本人、家族、コミュニティが加わった総合的なものとなった。

第3部 総合リハビリテーションの組織と連携

<総合リハビリテーションの組織>

 次に、総合リハビリテーションの組織について考えたい(図1)。

図1 総合リハビリテーションの組織

 まず障害のある人本人(障害当事者)はリハビリテーションの対象でもあり、実施主体でもある立場から、当然中心にこなければならない。さらに家族や環境(住宅などの身近なものもあれば、地域社会もあれば、国全体の制度・等もある)も同様に対象でもあり、(家族やコミュニティは)主体でもある。障害当事者と家族、環境はほぼ一体のものとして考えていくべきである。
そして教育、医学、社会、職業というような伝統的な分野の重要さは依然として続き、更に強化する必要がある。
しかしそれだけではなく、さまざまな新しいサービスが必要となる。図に示したように、一般医療、介護、工学、行政などの分野が重要な役割をもってきている。さらに、「インフォーマルサービス」(NGOが行うさまざまなサービスや、一部営利企業が行うものを含む)でもリハビリテーションの目的に役立って利用できるものが少なくない。さらにピアサポート(障害者相互の支援)が重要な要素として入ってくる。このような新しい分野は今後も増えていくものと思われる。
そしてこれらの分野はバラバラに行うのではなくて、緊密な連絡をもって働きかけていくべきものであり、それを線で示している(本来は、もっと多数の、網の目のよう線があるが、図では煩雑になりすぎるので略してある)。これらすべてが総当たりで一体となってチームを組んでいかなければいけないのである。

<「縦の連携」と「横の連携」>

 連携の仕方には、「縦の連携」と「横の連携」とがある。縦とは、時間軸に沿った「経時的」なもの、横とは同じ時点において協力する「同時的」なものである。これは両方とも必要であるが、これまでは、縦の連携は割によく行われてきたが、横の連携は不十分であったと思われる。
 縦の連携は、たとえば、障害のある子どもが特別支援学校を卒業する半年くらい前から、職業リハビリテーションとの緊密な協力で進路指導をし、進路を決めるということが非常に大きな仕事である。
 成人の中途障害の場合なら、医学的なリハビリテーションが終了した場合に職業リハビリテーションに紹介するということも行われている。
 高齢者の場合なら、医学的リハビリテーションが終了した時点で介護サービスにバトンタッチされる。これは、内容はともかく、形としてはよく行われている。
ただ、こういう場合、単なるバトンタッチに終わってしまって、前のサービスとの縁が切れてしまうのではないかという問題がある。もちろん縁が切れて当然の場合もあろう。しかし、例えば医学的リハビリテーションから職業リハビリテーションへの紹介の場合などには、完全に仕上げてからバトンタッチするよりも、むしろ8割がた仕上がったところでバトンタッチして、職業リハビリテーションと医学的リハビリテーションを、ある期間一緒にやっていった方がいいと思う場合でも、制度的に壁があってそれができないことが多い。
 横の連携とは、同時進行的に複数のサービスを行うことで、本人の貴重な時間を節約することができ、早く社会復帰・職業復帰ができる。たとえば成人の中途障害の場合には、医学的リハビリテーションが開始したときから必要に応じて職業リハビリテーションと協力できないかということである。
 しかし、これには弊害のおそれもある。たとえば、制度が変わって、医学的リハビリテーションが始まって間もない頃でも、将来の職業復帰の可能性に立って、職業リハビリテーション・カウンセラーに、たとえば週1回、病院に来て相談にのってもらえるということが実現した場合、医学リハビリテーションの方は「職業に関しては全部職業リハビリテーションの責任だから、我々は考えなくていいんだ」という「無関心」の弊害が起こってくる可能性もある。
 同時並行的な連携には、両方とも一生懸命に考えて協力するのか、役割分担してしまって「あっちがやるからこっちは考えなくていい」というものなのかという、「質」の問題を考えないといけないのである。
 このような例で考えてみても、たとえば医学的リハビリテーションの初期からの、必要に応じての職業リハビリテーションとの協力が適切に行われるためには、二つの条件があると思われる。一つは医学的リハビリテーションのあり方の問題で、職業復帰や就労に深い関心を持ち、そして自分たちが今やっている医学的リハビリテーションが最終的には職業復帰や就労の質を高めるのに役立つのだという意識を持って、またそうなるように、いっそう深く取り組んでいくということである。    第二は、制度的な壁がなくなることである。
 これは他の分野間の連携の場合にも同様である。

<「分立的分業」から「協業」へ>

 連携において重要なのは、連携するすべての分野が共通した目標を持つことである。この目標とは、その人に即した、きわめて具体的で詳細なものでなければならない。
 しかし「分立的分業」の場合には、①連携する全分野に共通する具体的な目標がなく、各分野が別々の目標をもち、しかもそれらも決まり文句的・抽象的な目標(「在宅での生き甲斐のある生活」、「職業復帰」 など)にとどまりがちである。
 ②また「分立的分業」では、自分の分野の責任範囲(「なわばり」)を自己限定し、重複領域・境界領域に手を出さない。その結果、非効率な結果しかあがらず、「サービスの谷間」も生じる(が「見えない」し、「見ようとしない」)。
 一方、「協業」では、①全分野に共通する具体的な「目標」(「この人が、どこで、どのような(人間らしい)生活・人生を築くのか」)を、連携に立って創り、協力して実現する。そして、②「なわばり」にとらわれず、自己の技術が役立つ場には喜んで提供する、のである。

<「協業」のすすめかた>

 「協業」のすすめ方をもう少し詳しく述べれば、次のようになる。

1)共通の「目標」を共同で確定:生活機能向上の「予後予測」に立って、以下の目標を共同で決めていく。これには専門家の共同だけでなく、当事者・家族との共同が不可欠である。
① 「参加」レベル」の目標(これがもっとも重要):どこ(自宅、会社〔同職場、別職場、別会社〕、など)で、どういう役割を果たすのか(仕事内容、主婦の仕事内容、など)。
②「活動」レベルの目標:①の参加の「具体像」として必要な各種の活動
③必要あれば「心身機能・構造」レベルの目標
2)以上の目標の達成のためのプログラムを共同で作成し、確認する。
3)そのプログラムを「縄張り別」でなく、フレクシブルな「役割分担」で実行する。
4)これらすべてを障害当事者との「インフォームド・コオペレーション」(インフォームドコンセントを更に徹底させた、情報共有と自己決定尊重に立った持続的な協力)によっておこなう。具体的には目標(特に参加の目標)の候補(実現の可能な選択肢)を最低3つ提示し、当事者に熟慮の上で1つを選択してもらう。また目標の達成のためのプログラムには当事者の同意を得る。
5)「目標、特に参加レベルの目標が達成できたか」の確認と反省までを全参加者(当事者を含む)で行う。

 以上が「目標指向的アプローチ」に立った「総合リハビリテーション」の実践である。

<「分立的分業」と「協業」のちがい>

図2 「分立的分業」から「協業」へ

 「分立的分業」と「協業」の差を別な角度から見たのが図2である。このA、B、C、Dは異なる分野、あるいは同一分野の異なる職種を示す。
分立的分業では、各分野の境界(「縄張り」)がはっきりしている。それに対し協業では、A、B、C、D、E、の各分野が重なり合っており、一見重複してムダが多いように見える。
しかしこれは上から見るからであって、横から見ると、まったく別である。分立的分業は依然としてバラバラだが、協業の方は、領域は重なっていても、果たしている役割はまったく違っていて、各分野・職種が独自の役割を果たしていてムダはないのである。

第4部 当事者の自己決定と専門家の役割

 いま「障害当事者の自己決定」が非常に強調されてきている。しかし専門家の一部には、それをどう受け止めたらいいかについて戸惑いがあると思われる。 つまり、「『専門家が何でも決めていたのがいけない』というのはわかる。」しかし、「それなら今度は、当事者が何でも決めるのか?」「では、専門家の役割は?」という戸惑いである。これは、かなり多くの方が感じておられる戸惑いではないであろうか。
 しかしこのような「二者択一」の考え方は間違いである。当事者自身も決してそういうことを望んではいないと思われる。
大事なのは、「最終決定はあくまで当事者が行うものである。当事者の権利でもあり、責任でもある。ただし、決定に到る過程で、『当事者の最良の利益』が実現できるよう、適切な助言・支援をするのが専門家の役割であり、責任である」ということである。専門家は、それができるよう、研鑽が必要なのである。
さらに、リハビリテーションは一種の学習過程であり、さまざまな問題解決のための能力を向上させるという、非常に大きな特色をもっている。それは歩行能力などの基礎的な能力にはじまって、職業その他の社会的な役割を果たすためのさまざまな能力にまで及ぶ。そういうものの積み重ねの中で、新しい問題が出てきた時に、工夫して、自分の力で問題を解決する能力も養われる。当事者自身が自分で工夫をしつつ、一部専門家の力を借りて問題を解決するのである。そういう「問題解決能力」はリハビリテーションの過程で自然にもついてくるし、それを自然ではなく、意識的に高めていくようなプログラムをこれからもっと工夫すべきである。そういう問題解決能力がどんどん増えていって、さまざまな問題についての解決能力がついていくと、その最終のところで「自己決定能力」というものに実を結ぶと考えられる。
自己決定は自己決定権にもとづいている。しかし、さまざまな権利の中で、自己決定権には他と違う独特の特色がある。他の多くの権利は、国家(憲法・法律)が認めたり、社会や地域の他の住民、要するに他人が尊重することで、効力が生じ、行使できることが多い。しかし自己決定権ばかりはそうではない。自己決定には自己決定能力が必要とされる。自己決定能力が伴わなければ適切な自己決定はできず、望ましい結果は得られない。これは障害のある人のことだけではなく、すべての人間がそうなのである。
 障害のある人と専門家との関係でいえば、専門家は当事者の自己決定権を絶対的に尊重すると同時に、自己決定能力が高まるように支援することが非常に重要である。
 これは当事者の自己決定能力が低いからではない。当事者は、障害を持つことによって、普通の人が経験しないで済むような特別の困難に直面しているからである。当事者は、普通の人が必要とする自己決定能力よりも、より高い(あるいは、より特別な範囲の)自己決定能力を必要としているのである。
 リハビリテーションの過程におけるインフォームド・コオペレーション(情報共有に立った持続的な協力)の中核的なことは、「実現可能な複数の選択肢を専門家の責任で提出して、それを本人が選ぶ」ことである。このような持続的な協力それ自体が、当事者の問題解決能力、自己決定能力を高めることに役立つ。
 本当にそのような支援ができるように、自分たちの能力・技能を高めていくということが専門家にとっての非常に大きな課題である。
この点で、総合リハビリテーション専門家の責任は非常に重い。しかし、これが成果を挙げた時の、やりがいも非常に大きいのである。