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「国連・障害者の十年」最終年記念 北欧福祉セミナー

 

生活大国と福祉大国

千葉 忠夫(1941年東京生)
1967年以来デンマーク在住
ボーゲンセ生活学園園長。日欧文化交流学院院長。
N・E・バンクミケルセン記念財団理事

千葉忠夫さんの顔写真

社会福祉国家ということ
 「社会福祉国家」という言葉があります。世界にはいろいろな国がたくさんありますが、その中で「社会福祉国家」と呼ばれる国は恐らくデンマークとスウェーデンの2カ国くらいではないかと思います。もちろん、その他にも社会保障の進んだ国はたくさんありますが、何故「社会福祉国家」と呼ばれる国が2カ国くらいしかないのかということからお話したいと思います。

 「社会福祉国家」というのは、社会的弱者だけが保障されているということではなく、国民全員健康で文化的な生活を保障されているというところに大きな意味があります。例えば、「ゆりかごから墓場まで」という言葉がありますが(これはイギリスから来た言葉ですが)、デンマークやスウェーデンでは「胎内から天国まで」というように「ゆりかご以前から墓場以後まで」という考え方をしています。社会的弱者の福祉については、後ほどノーマリゼーションや高齢者福祉のお話をするときに具体的にどのような保障が行われているのかを説明致しますので、ここでは国民全員に行き渡っている福祉について2、3の例を紹介しておきます。

 例えば医療に関していえば、国民がどんな大病にかかろうとも、長期入院をしようとも、あるいはどんな大手術をしようとも、国民全員が医療費は一切無料になります。これは福祉が国民全員に行き渡っている第一の例といえます。

 また、教育に関していえば(前述の医療と同様、福祉と教育は別ではないかという考え方もあるとは思いますが)、高等学校・大学の入学金や授業料は一切ありません。これが福祉が国民全体に行き渡っている第二の例であります。

 第三の例は国民年金制度についてでありまして、67歳になりますと国民全員が健康で文化的な生活を送るのに十分な国民年金が支給されます。

 これらの三つの例をとっただけでも「社会福祉国家」と呼ばれる国では、国が国民の生活を完全に保障しているということが分かって頂けると思います。しかし、「高福祉・高負担」という言葉があるように「社会福祉国家」にはお金がかかり、デンマークではかなり税金が高いという事実は皆さんがご存知のとおりです。

 ところで、北欧のデンマークも東洋の日本もそれぞれ『大国』と呼ばれており、デンマークは「社会福祉国家」として『福祉大国』といわれています。アメリカのペンシルヴァニア大学の教授が、「世界で一番住みやすい国~生活大国はどこにあるか」という調査を約20年間に渡って行った結果、第一位はデンマークでレあったというニュースを昨年新聞で読んだことがあります。片や、日本は『経済大国』になっております。そこには、それぞれの国がそれぞれの大国になった背景が何かあると思います。ここで最初に、何故デンマークが「社会福祉国家」あるいは「福祉大国」になったのかという背景について、また、その上でこうした背景があったからこそノーマリゼーション、障害者福祉、あるいは高齢者福祉が実現されてきたということについてお話したいと思います。

デンマークの国
 先ず、デンマークという国は非常に小さい国であります。人口わずかに500万人ですから、日本の人口と比較しますとたったの20分の1ということになります。また、国土面積は日本のおよそ9分の1ですので、九州と同じくらいということになります。国の行政について説明しますと、国の下に14県があり、さらにその下に275の地方自治体があります。デンマークの場合、この地方自治体は市町村の区別がありませんので人口の大小にかかわらず、すべてコミューンと呼ばれています。これにそって福祉行政を見ていきますと、国は社会福祉法等の福祉に関する法案の作成を担当しています。県は病院や各種の入所施設関係の運営を担当しています。そして、地方自治体は、人間が社会で生活していく上で起こりうる様々な問題(例えば、母子問題、離婚に伴う家庭問題、特別養護老人ホーム入所は地方自治体の担当になっております)も解決していきます。

 ところで、デンマークは「社会福祉国家」ではありますが、社会主義の国ではありません。NATO(北大西洋条約機構)にも加盟しておりますし、EC(ヨーロッパ共同体)にも加盟しております。しかし、本年の国民投票ではヨーロッパユニオンへの加盟は、わずかの差で否決されています。つまり「社会福祉国家」イコール社会主義国家という訳ではありません。もっとも、過去50年ほどは革新系の社会民主党が政権を取っておりましたので、現在の「社会福祉国家」としてのデンマークにかなりの貢献をしてきたことになります。ただ、「高福祉・高負担」という非常な財政困難を招いたために(現在も財政困難は続いておりますが)10年前に政権が変わり、現在は保守連合が政権を取っています。しかし、政権交代が起きたからといって、一、旦確立した福祉水準を低下させるような政策の変更は起こりません。前政権の無駄な福祉支出を内容的に是正することはあっても、福祉政策の基本的姿勢について方向転換を図るということはないのです。

デンマークの歴史
 さて、デンマークが何故「社会福祉国家」になったかという点に話を戻しましょう。ここでは、歴史的、文化的、あるいは教育的な面で何か『ヒント』になることがあると思いますので、デンマークの歴史を少し遡ってみたいと思います。

 デンマークはご存知のように、バイキング(これは海賊のようなものですから、デンマーク人にとってはあまり誇れることではありませんが)の国でありました。そのバイキング時代が終わりまして、11世紀~12世紀に入っていきますと、ほかのヨーロッパの国と同じように、まずは農業国になりました。ちなみに、デンマークでは、現在でも優秀な農業製品を産出する偉大な農業国でもあり、忘れてならないのは、農業の就業人口は全人口のわずか6%であるにもかかわらず、国内農業生産量の約3分の1で自給自足を達成できるということです。これはある意味でデンマークが非常に強い国であるといえます(残りの3分の2は輸出しています)。

 バイキング時代が終わった頃は国民の大半は農民でありました。その頃の農民たちは、昔の日本と同じように一握りの庄屋あるいは地主に使われる小作人でありました。庄屋あるいは地主は農民を非常に束縛(例えば1733年には自分の農地から農民が外に出ることを禁ずる法を作ってしまうほど)していました。そうしますと国民の大半である農民たちは、自由を奪われたということで、庄屋あるいは地主に対して、自由を勝ち取るために法の撤回を迫るなどの強い運動を起こしました。先程中し上げた『ヒント』がこの辺りにあると思います。すなわち、デンマーク人は自由を強く欲していた国民であるということです。そして、デンマーク人はこの地主たちが作った法を55年かけて倒し、1788年、ついに自分たちの手で自由を勝ち取りました。その後、デンマークは農業国として続いていくわけですが、1800年代に入ると特筆すべきことがいくつか起こります。

 その一つが、1814年に世界で初めて教育に義務制度を敷いだということです。「教育の義務制度」といいますと、「義務教育」の間違いではないかと思われるかもしれませんが、教育を行わなくてはならないという国の方の義務を意味しているのです。後でこの理由は説明致しますが、ここでは、デンマークが世界で一番最初に国が行うべき教育の義務を制度化したという点を中し上げておきます。

 二つ目は、1844年、牧師のグウォントヴィイという人が日本にはない特殊な学校を設立したことです。デンマークではそれを「フォルク・ハイスクール」といいます。日本語では国民高等学校とでも訳しておきましょう。ただし高等学校という名前が付きましても対象は18歳以上の国民であります。デンマークでは18歳以上の人は公的には成人でありますので、成人学校と呼んでも良いかもしれません。この国民高等学校とは、自分の勉強したい科目を自分が納得するまで勉強でき、自分の望む期間だけ(例えば3ヵ月、6ヵ月、あるいは1年間)在学できる全寮制の学校であります。ここでは試験も成績もありません。要するに、自分が納得すればよいのですから人に試験されて「分かりましたか」と試されるような学校ではないのです。全寮制ですので、当然教師も一緒に学校に泊まり食事も共にします。これは「全人教育」と呼ばれることもありますが、つまり、異なるタイプの人間が集まっている一つの社会の中でのいろいろな問題を一緒に解決していこうという教育システムのことであります。この辺りにも社会福祉国家につながっていく『ヒント』が潜んでいるような気がします。

 三つ目は、1866年にイギリスと大体時を同じくして、世界で初めて農業協同組合を作りました。農業協同組合(日本からも何人かの人が学びに来て、後に同じようなものが日本でも作られましたが)は、例えば、ある年にどこかの農家が悪天侯や作付の失敗で生産できなくて生活に困っているといった場合に、組合員たちがその困っている農家を助けてあげる、という目的で作られたものです。そこには、ある社会で困っている人がいたら助けてあげましょう、という基本的な考え方があります。この辺りにも『ヒント』があると思います。

 これだけの歴史的背景を見て一つ目では「自由」、二つ目、三つ目では「助けてあげましょう」という『博愛』の精神。即ち、デンマーク人のもつ『自由』と『博愛』(実はこれらの間にもう一つのものがあるのですが、これは後から申し上げるとして)という二つの大きなヒントを挙げることができます。

 さて、20世紀に入りまして、他のヨーロッパ諸国と同じようにデンマークも近代工業化が進んできます。それに伴って農村の人口が都市へと移行し、農村で働いていた人は工場労働者あるいは都市労働者となっていきました。そして彼等はそこで、農業協同組合の経験を生かして労働組合を作りました。この労働組合とは、今の職業別の組合と同じでありまして、その一番の目的は、組合員が何かの理由で突然解雇されたり、あるいは事故にあったり、病気をしたときにその組合員が困らないようにほかの組合員たちが助けていくというものであります。これもまた、先程の農業協同組合と同様、困った人がいたら助けるという『博愛』の精神であり、ヒントの一つであるといえます。

セミナー参加者の写真

デンマークの現代
 さらに年代は現代に近づいてきます。1930年代を見ますと世界恐慌がありました。デンマークもその影響を受けた国の一つですが、デンマーク人たちはその苦しい生活の中で、このような惨めな生活を自分たちの子孫には二度と味合わせたくはないと願い、この1930年代に様々な福祉法案を政治家達に作らせました。その福祉法案は具体的には母子福祉、各分野の障害者福祉あるいは老人福祉を対象にしたものでした。もちろん、各種の法案を作るわけですから、それらは当然国会を通さなければなりません。デンマークの政治家達は、こと社会福祉の法案に関する限り、超党派、絶対多数あるいは満場一致の形で可決するという気質をもっております。国民の権利を代表する政治家達が国民の生活に直接つながりのある福祉法案を決めるときには超党派になれる。デンマークのこんなお国柄にも何か政治家の姿勢というヒントが含まれているような気がします。

 1940年代に入りますと、あの不幸な第二次世界大戦がありました。デンマークはドイツと国境を共にしていますが、当時ヨーロッパで猛威を振るっていたこのドイツにデンマークは占領されました。デンマークにも軍隊はあったのですが、最初の数時間抵抗しただけで後は抵抗を止めて解散してしまいました。それ故国土は戦場にはならなかったものの、これがデンマーク人の知恵であったのか、あるいは弱腰であったのかと議論をされる方もおられるかもしれませんが、とにかく閣議の決定により抵抗を続けなかったという事実が存在するわけです。自由を欲している国民がその自由を奪われ、主権を奪われ、苦痛な日々を強いられたのです。

 その頃、ノーマリゼーションの父といわれるバンクミケルセンはコペンハーゲン大学の法科を卒業して新聞社に勤めたばかりだったのですが、彼は(もちろん彼ばかりではなくデンマーク人全部ですが)、他国のものが来て自分たちの自由を奪うことはとんでもないことだと考えました。そしてドイツ軍に反抗して地下抵抗組織に入り、新聞も反ドイツの記事を書いて抵抗運動を行いました。そのため、ナチスに捕らえられて収容所に送られています。収容所では、さらに非人道的なことが行われており、それに反発を覚えたバンクミケルセンは、後にノーマリゼーションの法案を障害者の親達と一緒になって作ることになるのです。もっともその頃には彼はもう社会省の役人になっていました。

 さて、第二次世界大戦中、4年間に渡って占領されたデンマークは軍隊だけではなく警察も解散させられていました。そんな折、占領軍のドイツの司令官が、「デンマーク人はとても秩序ある国民ですね」と褒めたことがあるそうです。それに対してデンマークの高官曰く、「それは秩序ではなく文化です」。しかし、この意味は残念ながらドイツの司令官には理解されなかったそうです。

 直接このことがヒントにつながるかどうかは別として、これが第二次世界大戦中のデンマークの状況であります。また、政治家達はこの戦争が終わったらデンマークをいよいよ本格的な「社会福祉国家」として完成させたと考えていました。

 戦後いろいろな社会福祉政策が実際に始められるようになり、デンマークが冒頭で申しましたように、すべての国民が安心して生活できる「社会福祉国家」として完成されたのが1965年から1970年頃であります。この時期にそうした政策が行われた理由の一つとしては、先ず、女性の職場進出が挙げられます。かつて家庭において子供や老人の世話をしていた女性が社会に出ていくことになり、そのために社会は保育所、幼稚園、老人ホームなどを新設せざるをえなくなったのであります。また、核家族化も大きな理由の一つといえます。私は1967年にデンマークに渡りましたので、まさに「社会福祉国家」が完成した頃に行っているということになります。そして、デンマークは現在でも福祉国家として国民が安心して生活できる政策を取り続けております。

デンマークの教育
 それでは今度は教育について目を向けて見たいと思います。デンマークの国民はどのような教育を受けているのでしょうか。先程、『福祉大国』と『経済大国』のお話を致しましたが、各国ではその国自身に貢献するような教育をしているように思われます。ここで、日本の教育制度とデンマークの教育制度の比較をして見ましょう。但し途中気になるようなことをいうかもしれませんが、それは日本とデンマークの違いということでお許し下さい。

 先ず、デンマークの教育の義務期間は9年間であります。小学校と中学校の区別はなく1年生から9年生まであり、1年生の下には当然、保育園や幼稚園があります。(保育園や幼稚園が何故できたのかについては既に申し上げたとおりです。)0歳から3歳までが保育園、4歳から6歳までが幼稚園に行き、さらに6歳から7歳までの間に幼稚園クラスというものがあります。これは保育園や幼稚園とは全く別個のもので公立学校の1年生の下に付随しているクラスです。この幼稚園クラスに入るか入らないかは全くの自由で、決して義務ではありませんが、90%以上の子供達がこの幼稚園クラスに入るというのが現状です。では、日本とデンマークの保育園や幼稚園ではどんなところが違うのかを比較してみましょう。

 もっとも、私は日本の保育園や幼稚園に入ったことはありませんので良くは分かりませんが、聞くところによりますと、日本のある親は子供を有名な幼稚園に入れるために徹夜して順番を待った、等というように自分の子供が少しでもレベルの高い幼稚園に入って早く勉強を覚えてほしいといった願いをもっている親がいらっしゃるようです。デンマークの場合、保育園や幼稚園では読み書きや算数等は一切教えてはならないという法律があります。何故がと申しますと、今まで家庭にいた子供が初めて社会に(保育園や幼稚園は一つの社会であります)出るのですから、なるべく多くの子供達と友達になる、皆と仲良くする、ということの方が読み書きや算数よりも子供自身にとって大切なのです。そのため、友達になるための遊びが主な目的となります。後ほどノーマリゼーションのところで触れますが、デンマークの保育園や幼稚園のもう一つの特色は、障害児も可能な限り一緒に入れましょうということです。例えば、仔犬と仔猫がいたとします。それらを小さいときから一緒に育てますと喧嘩もせずに仲良く育っていきます。ところが、大きくなってからいきなり一緒に育てようとするとかみ合います。保育園や幼稚園の頃から皆一緒に生活することで人間の社会にも様々なタイプの人間が住んでいるということを知っていれば「障害者」という差別の考えは浮かばないわけです。それを社会で隔離しておいて、ある日突然に「さあ、障害者も一緒だ」といわれても、お互いに溶け込むことはとても困難なのは当然です。これはっまり、保育園や幼稚園の時から「ノーマリゼーション」をしているか否かという違いであると思います。

 幼稚園クラスについても触れてみましょう。ここでも、読み書きや算数は教えません。皆と仲良く遊ぶということが主な目的となっています。ただし、最近では例外を認めるようになってきました。また、幼稚園クラスは子供達を一年生にソフト・ランディングさせる(円滑に移行させる)という目的ももっております。要するに、学校に行きたくないという子供がいると思いますが、そういう子供達がスムーズに学校に行けるようにするという過程導入の形をとるわけです。先程から保育園や幼稚園では読み書きや算数を教えてはならないと述べておりますが、もし子供が「先生、私の名前はどういうアルファベットを書くの」と聞いてきた場合に限っては「あなたの名前はこう書くのですよ」といった具合に教えることは当然許されます。これは幼稚園クラスに限らず保育園や幼稚園でも同じことがいえます。

 さて、いよいよ1年生に入ります。ここで初めて教師は教育の義務として、国民として必要な国語や算数などを教えなければならないわけですが、その教え方がまた日本とは違います。先ず、日本では1クラスおよそ40名くらいだと聞いておりますが、デンマークでは1クラス28名以上いてはならないということになっております。例えば、ある都市に入学希望者が30名いたとします。日本ではわずか2名の違いだから1クラス30名で運営した方が合理的だと考えるのではないでしょうか。しかし、デンマークでは、必ず15名と15名というように2クラスに分けなければなりません。

 次に授業を見てみましょう。日本では皆が国語なら国語の、算数なら算数の新しい同じ教科書をもらいます。そこに日本の平等性の素晴らしいところがあるわけですが、デンマークの場合は、個々人の能力に応じて、Aさんにはこの教科書、Bさんにはこの教科書、Cさんにはこの教科書というようにそれぞれが違った教科書を使います。この論法で行くと、1クラス15名の生徒がいたら15種類の違った教科書があっても不思議ではありませんが、実際には同じくらいの能力の生徒がいますから、1クラス4~5種類の教科書を使っています。したがって、授業は「はい、Aさんはここに来なさい」というように先生のところに呼び教科書を読ませる一方、他の生徒は自分の教科書で自習をし、順次、Bさん、Cさんが先生のところにいって勉強をするという具合で進められます。日本の場合は40人が同じ教科書を使って、何カ月後かにテストをされ、その結果、「はい、Aさん何点、Bさん何点、Cさん何点」というように点数を付け、その点の差が即ち人間の差であるが如く、できる子とできない子という感覚を小学生のときから植え付けているように思われます。ですから、福祉の敵というと少し物騒な言葉ですが、福祉の弊害となるような平等性の否定が日本の教育にはあるように思われるのです。「試験、試験、そして人よりもいい点をとる」等、競争原理の下に人の間に差をつけていくというような教育方法をとりますと、結果的には平等ではなく、差をつけるという感覚ばかりが訓練されていきます。それぞれが違った教科書を使っているデンマークでは、「AさんはAさんに適した教科書を使っているんだ。BさんにはBさんに適した教科書を使っているんだ」ということを自然のままに理解します。「あの人はできるからあの本で、あの人はできないからこの本を使っているんだ」という考え方ではなく、「あなたに適した教科書」を使うわけで、そこには「できる、できない」という問題はないのです。前に、『自由』と『博愛』の問にもう一つのものが入ると申しましたが、それは今お話ししている『平等』であります。フランスの三色旗ではありませんが、『自由』『平等』『博愛』が民主主義の原則であり、この平等を学校の教育を通して、デンマーク国民は受け継ぐ、あるいは習っているといえます。これも大事な『ヒント』の一つでしょう。

 今度は図画の授業を例に取ってみましょう。子供達が皆であるものを写生しているとします。日本では恐らく図画の評価にも点数やランクを付けていると思います。デンマークの教師は「私は絵に点数を付けられるほど優秀な教師ではない」というように考えています。何故なら、AさんはAさんが見たとおり、感じたとおりに描き、Bさんも同じものを見てBさんが感じたとおりに絵を描きます。その結果は違って当然ですから、Aさんの絵は100点でBさんの絵は30点であるというような評価はできないわけです。AさんもBさんもそれぞれが見たとおりの絵を描いた訳ですからどちらも正しく、それに「上手、下手」と差をつけたり、ましてや点数を付ける等ということを教師は決してしないのです。同様に、体育の授業でも、背の高い人、運動神経の発達した人は鉄棒もできるでしょうし、跳び箱も飛べるでしょう。一方、背の低い人はそれができないかもしれません。しかし、それは単なる人間の属性の違いであって差ではないのですから、それに5点、3点というような成績を付けるようなことは決してしません。デンマークの教師は、生徒にこうした「差」というものを感じさせないような教育を行っています。ですから、試験もなければ、成績表もありません。ましてや、成績表の中に「あなたは何人中何番です」というような人間の差を堂々と与えるがごときご丁寧な教師は決しておりません。

 しかし、試験がない、成績表がない、と申しましても高学年の8年生、9年生になりますと、やはり高等学校進学という問題が出てくるため、芸術、体育等の科目を除いた科目に限り成績表が渡されます。

 ところで、デンマークにおける高等学校への進学率はせいぜい30%くらいです。日本は90%以上という高い進学率ですが、デンマークでは高等学校へ行く能力がある者しか行きません。他の者は自分に合った専門学校へ行きます。能力のある者、と申しましたが、その判断は9年生(日本でいう中学3年生)の時に、受けたい者は受ける、受けたくない者は受けなくてよいという試験によって行います。それは試験ですから受ければ当然成績が出ます(ただし何人中何番というような序列では出てきません)。高等学校へ行く能力のある者は(教師には普段の学習を通して大体分かっているのですが)、「あなたのお子さんは高等学校へ行けますよ」ということがこの試験の結果でより明確になるわけです。ですから、高等学校には入学試験はありません。ここで一つ日本の高等学校と違う点は、日本では「もしA高校がだめだったらB高校、B高校もだめだったらC高校」というように本人も親も学校も、意識的にしろ無意識的にしろ学校の差というものを認めてしまっているということです。福祉を推進する上で弊害になる「差の意識」というものを本来「差があってはいけない」といっている方々でさえ認めてしまっているのです。そしてとにかく皆(猫も杓子もという言葉がありますが)、差のある高等学校へ入ります。そんなに差のある学校なのに何故皆が皆入らなければならないと思うのでしょうか。しかも、差があるといいながら日本の平等性においてはどんな高等学校を卒業しても平等に「高等学校卒業」という資格が与えられます。何かおかしくはないでしょうか。デンマークの場合には、高等学校に行く能力のある者だけが高等学校に行き、「高等学校卒業」の資格は国が実施するスチューデント・イグサミネーション(日本語でいうところの高校卒業認定試験)を通った者だけに与えられます。この辺りに、平等の本質を完全に国民に納得させている教育方法をとっている国と、そうでない国の違いがあるように思われます。高等学校への進学率でさえ30%のデンマークですから、ましてや大学への進学率となりますと非常に低く、わずか10%程度です。日本とは違い、デンマークは何も大学を出ていなくてもいいのです。つまり「学歴社会」ではないということです。例えば、デンマークの商社マンあるいは銀行マンで大学を出ている人は稀です。日本ではデパートの店員さんが大学あるいは短大を出ているというとデンマーク人達はびっくりしていいます。「何故、店員になるのに(店員という職業を蔑んでいる訳ではありません)大学を出る必要があるのだろうか。店員になる最も必要な知識はデンマークのように専門学校で与えればいいのに・・・。」それぞれが本当になりたいと思っている職業についての専門知識はそれを与える専門学校に行けばいい訳で、何も皆が高等学校やさらに大学にまで行く必要はないのです(大学へ行くのはやはりその必要性のある医師、弁護士、教師そしてエンジニアになる人達がほとんどです)。ですからデンマークでは、30%の高等学校進学者を除いた70%の生徒達はこうした専門学校へ行きます。そしてそれに応えるべくありとあらゆる種類の専門学校があり、その教育機関は大体3年間です。

 これがデンマークの教育制度の大まかな現状であります。この辺りにも福祉に必要な『平等』ということについて教育をしているデンマークの、何故福祉国家になっていったかという『ヒント』があるように思います。

 ここまで簡単に「社会福祉国家」デンマークの歴史的背景と教育について述べて参りましたが、そこに至るまでにはかなりの歴史的時間が費やされています。すなわち、民主主義の目標たる『自由』『平等』『博愛』を勝ち得て、「社会福祉国家」になっていくまでにはかなりの年月がかかったということです。ところが日本では、敗戦によってある日突然に「今日から民主主義ですよ」といわれて民主主義を戦わずして貰ったわけです。そう致しますと、先程から述べているデンマークの『自由』『平等』『博愛』の感覚にはなかなか追い付かないように思います。また、学校において、人よりもいい成績を取って、人よりもいい学校に入って、人よりもいい会社に入って…という競争社会の教育を受けていると、やはり、福祉に必要な考え方は得にくいのではないでしょうか。もちろん、日本にも立派な福祉についての考え方をおもちの方々がたくさんいらっしゃいますから、私が述べておりますのはあくまで一般論であります。とにかく、競争社会では競争に打ち勝つことが優先され、そこには当然落後者も出ます。これに対しての福祉を云々・・・という議論もありますが、いずれにしても日本は競争に打ち勝って『経済大国』になっているわけです。数年前に日本の厚生省の高官と一緒にあるシンポジウムで対峙した折、私はデンマークの福祉制度について意見を述べました。それに対してその高官は「デンマークの福祉は国民全体に行き渡っていて素晴らしいものだということがよく分かりました。しかし、我々日本国民は知的水準は高いし、経済大国であるから、北欧の福祉に追い付き追い越すのは時間の問題でしょう」といわれました。確かに、日本国民は90%以上の生徒が高等学校へ進学し、さらにその何十%もが大学へ行くわけですから知的水準は高いでしょう。しかし、その知的水準の高さはどのようにして得られたものなのでしょうか。福祉に必要な情緒的な水準(いわば心の水準)を学ぶ機会があまりにも少ない競争社会の教育を受けていますと、真の意味での福祉に心が向きません。それを考えますと日本が北欧の福祉国家に追い付くのは時間の問題というのは甚だ難しく、ましてや追い越すことは簡単にできないのではないか、とその時私は思いました。

手話、同時通訳の光景

障害者福祉、ノーマリゼーション
 さて、次にデンマークの障害者福祉について述べてみたいと思います。しかし先ず、『ノーマリゼーション』は障害者福祉には欠かせない言葉でありますので、これについてお話ししたいと思います。ちなみにノーマライゼーションという言葉もありますが、これは単に発音の違いでありノーマリゼーションと同じことを意味しています。私の師であり、『ノーマリゼーション』の提唱者でもありますバンクミケルセンはデンマーク語の『ノーマリセェアリング』を英語で話すとき、『ノーマリゼーション』と発音しておりましたので、同様に私も『ノーマリゼーション』と発音しております。

 『ノーマリゼーション』というと、とかくその理念、概念についていわれますので、何か難しいことのように思われるかもしれませんが、決してそのようなことはありません。全く普通のことをいっているだけなのです。簡単にその意味を申しますと、『障害者の生活条件を可能な限り障害をもたない人の生活条件に近付ける』ということであります。この場合の障害者とは、精神障害者や身体障害者のことです。本来ノーマリゼーションとは、精神薄弱者を対象に出発しましたが、現在ではこの思想は障害者すべてを指し、さらには精神病者にも及んでいます。また、先の意味の中で述べた「可能な限り」という言葉は大事なことです。何故かと申しますと、例えば、障害児をもった親御さんが「自分の子供も普通の学校に入れて欲しい」といったとします。その気持ちはそれで正しいと思います。しかし、その子供を普通の学校へ連れていき、障害が重い故に学校生活のほとんどが水平状態のままで、授業に全然ついていけない場合はどうするのでしょうか。そうなりますと、この障害児が普通学校に行ったことで良かった点は、他の子供達が「こういう人もいるんだ」ということを理解できたということだけであって、実際本人のためには何の役にもなっていないわけであります。障害者に障害者故の、その人に一番適した教育の仕方があることも知らなくてはなりません。ノーマリゼーションだからといって何もかも無条件に普通の人と同じにしなくてはならないのではなく、「可能な限り」やるということです。ただし、デンマークにおいての可能な限りというのは非常にその可能性を追求致しますので、先程の例でいいますと、かなり重い障害児の場合でも授業に付いていける能力のあるものは付き添いを付けて学校へ行かせます。デンマークでは重い障害児も普通の学校に通っているということを聞いただけで、くれぐれもそのあたりを誤解されませんようにお願いしたいと思います。いずれにしても『ノーマリゼーション』においては『可能な限り』ということが非常に大切なことだということです。前に述べましたように、バンクミケルセンは精神薄弱者から『ノーマリゼーション』を始めたわけですが、デンマークにおいて『ノーマル』という状態は、子供の場合はどうか、成人の場合はどうかを検討し、障害児も同じようにあるべきだというように考えます。例えば、通常子供は18歳になるまで親の下で育ちます。ですから、障害をもった子供も施設に入所させないで、親の下で生活させるのが『ノーマル』であると考えます。ただしこの場合も『可能な限り』ということを忘れないで下さい。障害者のことを考えて、その人の教育のため、あるいは生活のために施設に入所したほうがいい場合には施設に入所することになります。当然施設も必要なのです。

 では、『可能な限り』ということについてデンマークではどのようにしているかをお話ししてみましょう。例えば、施設に入らなくてはならない子供に対しては補助器具を使ったりヘルパーを家庭に派遣して、とにかく在宅させ、学校へ通わせます。車いすを使用する子供の場合は、毎日の学校への送り迎えの交通手段も考えます。自動車通勤をするお父さんが送り迎えをするのであれば、車いすが乗れるように車を改造する費用、さらには住宅改造の費用も出ます(これらの一連の費用を自治体がもちます)。このようにありとあらゆる手段を講じて在宅を可能にするわけです。普通の子供と同じように当然障害をもった子供も学校へ行きますが、その学校は養護学校でもいいわけです。デンマークは『ノーマリゼーション』の国だから養護学校はないだろうと思われるかもしれませんが、そんなことはありません。但し、それは人里離れた郊外に作るのではなく、町の中に作ります。市民はそれを目にすることによっていろいろなタイプの人達がそれぞれ違った学校へ行っているということを理解するようになるからです。

 『ノーマリゼーション』を実現するに当たり、その手段としてインテグレーションというのがあります。(日本語では統合教育と呼ばれています)。これには三つの方法があります。一つは障害児だけが行く養護学校であり、それを町の中に作れば立派なインテグレーションといえます。二つ目は、普通の学校に養護学級を作ることです。三つ目は、障害児が普通の学校でついていける学科目だけを普通学級で学ぶというものです。これらの三つの方法の中から本人に一番適したものを選ばせて教育をしていきます。さて、この教育についてですが、どうしても日本の親御さんは自分の子供がよく字を読めるようにと望まれますが、果たしてそれが精神薄弱の子供あるいは障害をもった子供にとって本当に正しい教育なのでしょうか。読み書き算数が一番大切な教育なのでしょうか。そうではないはずです。それよりも、ボタンを一人で掛けられるようになる、ご飯を一人で食べられるようになる、あるいはトイレを一人でできるようになる、といった自立のための生活指導のほうが大事な教育になるはずです。こうした社会性に関する能力をデンマークではSQと呼んでいます。以前は(特に精神薄弱の人達に関して)IQで判定しておりましたが、IQは現在のデンマークではほとんど死語になっております。SQ(Social Quotient)、要するに社会性指数(どれだけ社会性があるか)という点から障害者を判定していくのです。帰宅後の余暇の過ごし方は、学校にはクラブというものがありませんので、子供は帰宅すると自治体の中にあるスポーツクラブに行きます。もちろん希望者だけが行くわけで、行きたくない者は行きません。障害者も同様、希望者だけがスポーツクラブに行くように『ノーマリゼーション』の思想を実行しているのです。では、成人の場合の『ノーマリゼーション』はどのように実現されているのでしょうか。デンマークでは通常子供は18歳から20歳までの間に親元から離れてアパート、下宿へと移り、成人として経済的にも独立します。ですから、デンマークでは親からお金をもらって大学に行っている者は一人もおりません。これは、扶養の義務が夫婦相互問と親の18歳未満の子供に対してであって自分の親に対する扶養の義務はないことや大学の入学金、授業料が無料であるという教育制度がその背景にあるからこそ可能であるといえましょう。障害者の場合も同様に、親元から可能な限り独立して自分で生活していくことが『ノーマリゼーション』であると考えられています。しかし、障害者の場合には18歳から20歳の問に特別な期間を設けて独立のための準備をします。その間に生活する場所は各種の共同体あるいはグループ・ホームなど様々です。成人の障害者がアパートなどの生活共同体に住む場合、必要に応じて生活指導員を派遣することもあります。それは、夜間帯だけ、朝だけ、あるいは週に何回か、と派遣形態は様々です。しかし、施設入所がその人の障害故に必要で、本人もそれを選ぶときには当然施設入所も可能です。

 さて、日常生活についてですが、普通の人は日中仕事に行きます。したがって、障害者も普通の人と同じように仕事に行くべきだと考えられています。しかし、現在のデンマークは失業率が非常に高く、普通の人でもなかなか職に就けないという状況です。そうした中で障害者が一般企業に就職することは非常に困難な状態にあります。ただし、ある別の角度から見てみますと、デンマークでは障害者の失業率が0%であるともいえます。政府統計局で発表している一般の失業率が10%もあるのに本当にそんなことがあり得るのだろうか・・・・・・、と皆さんは不思議に思われることでしょう。何故障害者の失業率が0%なのか。それは、十分な数のワークショップ(授産施設)が揃っていて、障害者は皆そこに行くことができ、仕事ができるからです。しかし、障害の程度によってはワークショップに行けない人もいます。そのような場合には、デイ・センターまたはデイ・ホームと呼ばれるところに行って、趣味的なことあるいは作業療法士の指導の下に作業を行います。もちろん、それは遊びでもいいのです。生活している家庭から職場に行き、職場から家庭に帰ってくるという、場所や環境を変えるということに大きな意味があるわけです。施設の入所者も、朝起きて、例え学校や仕事に行かなくても場所を変えて指導や教育を受け、また生活の場所に戻ってくるというような生活の変化を普通の成人と同じようにもつことが大切なのです。成人の障害者の場合も、家に帰った後の余暇は子供達と同じようにクラブ活動があり、希望すれば当然それにも参加できます。

 障害者あるいは精神薄弱者にも当然性生活はあります。それを否定することは『ノーマリゼーション』とはいえないわけであり、可能な限り普通の人と同じ生活条件に近づけることがその理念ですから、性生活条件も近づけることになります。従って、障害故に性生活を知らない者には生活指導員が指導します。時にはSEX介助も行います。以上が障害者福祉(ノーマリゼーション)の簡単な説明になります。

質疑応答中のパネラーの写真

高齢者福祉
 次に高齢者福祉に話を移したいと思います。デンマークでも以前老人をある意味で障害者あるいは病人として扱っていましたが、当然老人は障害者または病人ではありませんから、現在ではその扱いは高齢者福祉として捉えられ、様々な方策が取られています。老人の捉え方をもう少し正確に表現致しますと、1950年代までは先程のように病人として扱い、1960~70年代には老後を楽しんでいる退職者、という解釈が主流であり、特別養護老人ホームあるいは普通の老人ホームもまだたくさんありました。ところが、1980年代に入りますと、老人は病人でもない、退職者でもない、要するに普通の人であるという捉え方になり、老人も普通に人生を歩んでいる、と考えられるようになりました。人の人生には終わりがあり、病人も終わりまで歩み続けている・・・・・・・・・人生を継続しているという解釈です。1960~1970年代には、前述のとおり、特別養護老人ホームや普通の老人ホームがたくさん作られ、いずれも老人ホームも12~13㎡の個室にバス・トイレ付き、さらに庭あるいはテラス付きの構造で、家具などは自分が使っていた物がもち込めるというものでした。誰もがそれらを素晴らしいと思っていました。ところが、1989年、デンマークでは今後一切特別養護老人ホームは作らないという法律ができました。これには二つの理由があります。一つ目は、特別養護老人ホームの職員は看護婦が主体になるのですが、看護婦は非常に高度の教育を受けていますので給料もいいわけです。そこで、高給料の人を職員にしていると大変に人件費が掛かるというわけです。二つ目に、看護婦の教育は文字どおり病人を看護する教育であります。したがって、その看護婦を職員にするということは往々にして老人を病人として扱う、あるいは病人にしてしまう危険性があるわけです。これらの二つの理由からデンマークでは今後一切特別養護老人ホームは作らないということになりました。これに代わって打ち出された政策が、「可能な限り在宅ケアを行う」というものです。誰でも今まで住んでいた家に住みたいものですから、在宅を主流にしてそのためのいろいろな手段を講じています。

 現在デンマークの高齢者福祉には3つのキーワードがあります。それは、1「継続性」、2「自己決定」、3「自己資源の活用」です。

 第一番目の「継続性」とは、住み慣れた自分の家に住み続け、人生に継続性をもたせるということです。例えば一組の夫婦がいたとし、そのどちらかが倒れた場合、今まで家庭で行われていた何か(例えば、食事、掃除など)に支障を来し今までどおりの生活が継続不可能になったとしましょう。そのような時に自治体からホームヘルパーが派遣されます。こうして穴の開いた時間帯をホームヘルパーによって助けてもらいます。さらに、その老人が歩けなくなったとします。その時にも自治体から車いすあるいは補助器具が提供されます。しかし車いすを提供してもドアが狭かったり、敷居が高くて車いすが自由に通れないような場合には、自治体が住宅改造もします。これは、先程の『ノーマリゼーション』のところで申し上げたように、可能な限り手段を尽くして行うということと全く同じです。さらにはホームナースの派遣や給食制度などのいろいろな手段を尽くして在宅の継続を目指します。ホームヘルパーの派遣や補助器具の提供などどいったいろいろなサービスに掛かる費用はすべて自治体から出ますので個人には負担となりません。デンマークにおける社会福祉の定義は「一人の人間が、肉体的あるいは精神的な障害によって普通の生活が営めない場合に、社会または国がその人の生活を保障する」ということであります。それ故、それに掛かる費用は障害者の家庭や老人ではなく公共が一切負担します。もちろん、このことはデンマークの社会福祉が国民全体の中で社会的弱者を優遇しているということではありません。人としてその社会において受けるべき当然の処遇なのです。

 第二番目の「自己決定」とは、老人の考え方を尊重するということです。例えば以前の特別養護老人ホームにおける老人のケアを考えてみますと、かなり一方的に管理した形で看護サービスが行われていました。しかし、「本当は今日は寝ていたい」「ご飯は自分の部屋で食べたい」「今日は町に散歩に行きたい」などといった老人ホームに入る前にあった自由を管理されますと非常に苦痛に感じます。デンマークでもこうしたことをやっておりましたので、もっと老人の考え方(自己決定)を尊重しなくてはいけないと考えるようになりました。つまり、老人がこうしたいといったらそれを受け入れましょうというのです。先程、デンマークでは今後一切特別養護老人ホームは作らないと申しましたが、これは現在ある特別養護老人ホームを壊せといっているのではありません。特別養護老人ホームは現在でも存在しますが、以前のそれとは違い、職員が一方的に老人の処置を決定することを止めて、もし老人が「自分の部屋で食事をしたい」といえばそれもいいとし、「食事をしたくない」といえばそれもいい、というように老人の選択を認めています。また、いろいろな行事は老人の委員会で決めた意見を多く取り入れて、老人の「自己決定」を非常に重視しています。

 第三番目の「自己資源の活用」とは何かと申しますと、例えば、今まで大工さんをしていた人、あるいは学校の先生をしていた人など、皆様々な職業をもっていらっしゃったはずですが、彼等のもつ技術や知識が国民年金をもらう67歳になると失われるということはあり得ないはずです。そこで、今までもっていた技術や知識をいろいろに活用すること(要するに「自己資源」の活用)が大切になってくるのです。活用の仕方は様々ですが、例えば、先生をしていた人は老人クラブの講師になったり、老人大学を作ったりし、大工さんをしていた人は玩具などを作って幼稚園に寄付したり、電気の技術者をしていた人はどこかの家でテレビが壊れたら直してあげる等が考えられます。このように自分の技術や知識を活かして生き甲斐のある日常生活を送ることが「自己資源の活用」の意味するところであります。

 さて、デンマークでは特別養護老人ホームを作らない代わりに、老人と障害者に親切なアパートあるいは住宅を作っています。簡単に説明致しますと、大体65㎡位の2DK(台所、居間、バス、トイレ、寝室等完備)のアパートで各部屋には信号、警報装置が付いており、その信号を発信するとすぐにホームヘルパーが来てくれます。ホームヘルパーの派遣は24時間体制で、いつ警報装置を鳴らしてもホームヘルパーがやって来ますので、かつては特別養護老人ホームに入所しなけれはならなかったような老人でも安心してこの老人に親切で便利なアパートで生活しています。これは「可能な限り住宅」にして、なるべく特別養護老人ホームには入所させないという考え方の一つの具体策であります。ただし、特別養護老人ホームに入所する方がいいと老人が希望する場合には、もちろんそれも自己決定ですから、入所してもいいわけです。ただ、「高齢化社会の高齢化」がいわれておりまして、高齢化に伴って痴呆性老人の問題が非常に深刻になってきました。そうしますと、現在ある特別養護老人ホームは(すべてではないのですが)、最終的には痴呆性老人の方違が残っていくという結果になるのではないかと思われます。しかし、『ノーマリゼーション』の考え方からすると、痴呆性老人の方も普通の生活をするということになりますから、現在のデンマークでは当然痴呆性老人の方も親切なアパートや住宅にたくさん住んでおります。痴呆性老人に関しましては、デンマークもまだまだ試行錯誤の状態でありまして、そのようにすることが最良の策がと懸命に研究している状態です。

 「高齢化社会の高齢化」に伴いまして、現在のデンマークでは老人の人口比率が17~18%(ある自治体では20%にも達しています。)になっているのに対し、日本の場合はまだ12~13%であります。ところが、25~30年後には、日本もデンマークの老人の人口比率と同じ位になるといわれておりますので、これは大変な問題です。何故なら、現在人口約500万人の国デンマークではホームヘルパーが約3万人弱いますが、一方、人口約1億3,000万人の国日本には「ゴールドプラン」と称するものがあり、これから平成10年までの間にホームーヘルパーを10万人作りましょうと頑張っています。その数の不足は一目瞭然です。そうした不足を補うために日本ではボランティアをたくさん養成しようという政策もあるようです。しかしこれは、奉仕という名のただ働きを利用しようとする、政治家や行政の意図があるように思えてなりません。しかも家庭の主婦にさせようとしています。家庭の主婦やお嫁さんは、育児があり、家事があり、さらに最近では職業をもつ人も増えてきています。この上に大切で重労働な老人介護を、しかもただでさせようとしているのです。主婦におじいさん、おばあさんの面倒を見たいという気持ちがどんなにあっても、家事が忙しい、育児が忙しいとなれば、おじいさんやおばあさんにもう少し黙って寝ていてもらえば他の仕事ができるという気持ちになってもおかしくありません。これが寝たきり老人を作る一因になっているともいえるのではないでしょうか。先の「ゴールドプラン」のように日本でもホームヘルパーの必要性がようやく認められるようになってきたとはいえますが、それでもせいぜい何年後かに10万人を確保しようという程度です。現在でさえも寝たきり老人が70万人いるといわれる日本が現在のような高齢者福祉の取り組みをしていたのでは、30年後でもそうした老人の数をただ増やすだけだということです。今、私達国民すべてが高齢者福祉のことを真剣に考えなければ大変なことになるのです。デンマークでは以前、7週間の研修を受ければホームヘルパーになれました。しかし老人の高齢化に伴って様々なタイプの老人が非常に増えてきておりますので、昨年から教育期間が一年間になり、介護関係の科目のみならず、いろいろなタイプに対応できるように、心理学、精神医学、社会学、さらには解剖学等多種の科目を受講しなければならない制度になりました。

 実際問題として、「寝たきり老人を作る、作らない」は結局マンパワーの問題が関わっています。人手を掛ければ絶対に寝たきり老人は防げるはずです。さらには、経済大国と呼ばれる今日の日本の繁栄を築いてくれた老人の方々を寝たきりにしておくということは「親不幸」とはいえないでしょうか。老人ホームに入れば4~5人が同じ部屋に起居し、同じようなパジャマを着せられて、女性の場合は髪型まで制限されるというような話までも耳にします。何度も申し上げておりますが、これは本当に国民が真剣に考えなければならないことなのです。最後に、福祉をよくしたい、と考えるときに忘れてならない方程式を申し上げます。私は以前、数学、物理、科学には決められた一つに答えを出すための方程式があっても、社会学や心理学あるいは福祉にはそのような方程式はないと思っておりました。私達は、自分は障害者や寝たきり老人にはならない、と心のどこかで思っておられるかもしれません。しかし、私達にも障害者になる可能性は十分にあり、いわんや誰もがいずれは老人になります。そこで、もし自分が障害者になったとき、あるいは老人になったときに自分はどのように処遇してもらいたいか・・・・・・・・・、これが方程式の左辺であります。右辺は小学生でも簡単に出せることがお分かりのことと思います。各個々人が自分にして欲しいと望むことを福祉で実現するように努めること、これが福祉の方程式であると私は信じます。


デンマーク社会福祉研修
ご案内

世界量高水準の地域主導型福祉生活を探る

日欧文化交流学院
ごあいさつ
 もう一歩突っ込んだ形で、デンマークの社会制度を理解してほしい-「デンマーク社会福祉研修」は日欧文化交流学院の主催で、デンマーク祉会省ならびにアンデルセンのふるさとで知られるオーデンセ市の協賛を得て実施されるものです。講師には20年以上にわたりデンマークで教育・福祉の研究・実践を重ねてきた当学院長・千葉忠夫のほか、デンマークの各社会分野の専門家や第一線現場職員のみならず、日本からも一流の専門家を招きます。
 
 視察研修内容としては、最新の動向を把握できる施設を訪問するだけでなく、終日あるいは一泊で一般家庭を訪問することにより、社会福祉の浸透した生活を理解してもらう特別プログラムなども用意しています。
 
 いま日本国内では福祉関係八法の改正で地方自治体への福祉政策の委譲が本格的に検討されていますが、この機会にぜひスウェーデンに先んじて地方地域に福祉の権限を委ねて成功しているデンマークをお訪ね下さい。

日欧文化交流学院の位置を示す地図

ノーマリゼーション
 「障害者の生活条件を可能な限り昔通の人の生活条件に近づけること」
 
 デンマーク人バンクミケルセンによって提唱され、現在の祉会福祉の主流となっている考え方。例えば、デンマークにおいては、重複障害等の余程特別の理由がないかぎり、障害者は一般住宅に住み、一般の人と同じ社会で生活する。この国の手厚く奥行きの深い社会福祉はそれを可能にしている。
講義概要
(一般)
・デンマークの誇る世界最高水準の福祉法による国民全員に行き渡った福祉制度。
・国、県、地方自治体の福祉の役割分担。
・国民総年金制度。
・家庭医制度、学校歯科医制度。
教育制度。
(母子・児童)
・家庭内問題への生活指導員派遣。
・家族ぐるみの治療。
(障害者)
・ノーマリゼーション。
・障害者のヘルパー雇用システム。
(高齢者)
・24時間在宅介護の方法。
・人間的、かつ経済的な在宅介護。
(家庭訪問)
・国民感情の把握。
・福祉生活の理解。

視察研修中の光景
視察研修では現場関係者と突っ込んだ話し合いができる(中央が千葉学院長)

研修日程(例)

第一日  日欧文化交流学院到着
第二日  研修開講、オリエンテーション、講義、デンマークの社会福祉制度
第三日  講義、地方福祉行政(県)(市町村)
第四日  講義、母子・児童福祉、視察、同内容施設
第五日  講義、障害者福祉、視察、同内容施設
第六日  講義、高齢者福祉、視察、同内容施設
第七日  終日家庭訪問、研修閉講
第八日  日欧文化交流学院発

*上記の日程はデンマークにおける研修日程の例です。
*団体研修ご希望の場合はご相談下さい*特別プログラムを研究いたします。

講師紹介
デンマーク社会研究所長     ヤン・ブロウシング
社会省事務次官補        イブ・ヴォルスポルグ
オーデンセ社会保健局   オー・エール・ニルセン
バンクミケルセン記念財団理事      花村春樹
表現技術開発センター所長           高田城
日欧文化交流学院院長           千葉忠夫
日欧文化交流学院
 デンマークの国民高等学校の全人教育をモデルとした教育機関です。日欧の社会・教育・文化の面において、お互いに集いものを学び、広く自国と他国を比較学習させ、国際相互理解、ひいては世界平和に寄与することをその目的としています。
日欧文化交流学院の校舎の写真
 レンガ造りの教室と宿舎、白壁のワークショップと道場、古い民家を内部改装したちょっとしゃれたゲストハウス-日欧文化交流学院での生活はきっとご満足いただけることでしよう。
デンマーク
 「天に登る山」と名のつく海抜173メートルの「丘」が最高峰の、とにかく平坦な国。首都コペンハーゲンの緯度は北樺太と同じぐらい。約500万人の国民がほぼ九州と同じ面積の国土に平和に暮らしている。主な産業は国内消費量の優に3倍を生産する農業。しかし、そうした小国でも大国として世界に誇れる『社会福祉』がある。近年、経済の悪化がとみに言われている。実際、失業率は過去10年間10%前後を行き来している。しかし世論調査等によれば、市民は平均50%を越える税にも耐える用意がある。「福祉のレベルを下げるよりは税を払うのを選ぶ」という。しかもこと福祉になると政治家は超党による満場一致で可決する。日本人には理解しづらい国ではないでしょうか。
高齢者福祉政策
「デンマークには『寝たきり老人』はいない」
 日本には『寝たきり老人』が70万人もいると言われる。しかしデンマークには存在しない。
 
 その嘘のようで本当の話を可能にするのが以下の3つのポイントに基づいた政策である
1継続性 可能な限りの在宅ケアを行なう。
2自己決定本人の意思が何にもまして尊重される。
3自己資源の活用本人の持つ能力はすべて使えるようにする。

学院生の写真

日欧文化交流学院
DENISH-JAPANESE CULTURE COLLEGE
 (デンマーク本校)Felledvej11,5400
 TeI.64813280 Fax.64812630
 (日本センター)〒102東京都千代田区麹町
                4-5 第8麹町ビル68号
                表現技術開発センター内
 Tel.03-3288-0067 Fax.03-3288-0910



主題(副題):国連・障害者の十年最終年記念 北欧福祉セミナー 報告書 (重度な障害をもつ人々の地域生活の実現のために)