障がい者制度改革推進会議 第32回(H23.5.23) 資料3 第5回差別禁止部会において論ずべき点に関する意見一覧 第1、差別禁止法制の必要性について・・・・・・・・・・・・・・・ 1 第2、差別禁止の分野における「障害」をどうとらえるかについて・・ 7 第3、機能障害について、すべての機能障害を対象とすべきか、何らかの制限(例えば、期間、程度)を加えるべきかについて・・・・・・・ 16 第4、障害が、現在存在している場合だけに限るか、過去に障害の履歴を有する場合や将来発生する蓋然性がある場合、さらには、誤解などで障害があるとみなされた場合も含めるかについて・・・・・・・・・・ 19 第5、障害に、必ずしも機能障害が伴わない外貌やその他心身の特徴を含めるべきかについて・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 21 第6、差別禁止法の適用対象について 1、障害者について、ADAは一定の分野の差別に関して、障害者について「有資格」という限定をつけているが、かような限定をつけるべきか、つけないとしたら一般的例外規定ないしは差別に該当するのかという判断などの場面で対処する方法があるかについて・・・・・・・ 23 2、障害のない人が、身内や友人など、その関係する障害のある人の障害を理由に差別を受けた場合、差別禁止法の適用対象に含めるべきかについて・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 26 第1、差別禁止法制の必要性について、ご意見を伺いたい。 (この点に関して、すでに推進会議においても議論がなされており、別紙の参考資料1『障がい者制度改革推進会議における差別禁止に関わるこれまでの議論』のp2からp9に記載がございます。また、参考資料2「障害に基づいた、差別と思われる事例集」に差別と思われる各分野の事例が上がっております。これらをご参照ください。) 【浅倉委員】  障害をめぐる差別はあらゆる分野にわたって存在していることが、事実として確認されている。それらを撤廃するための効果的な手段として、障害差別禁止法の制定が必要と考える。 【池原委員】  障がい者制度改革推進会議において、差別禁止法を必要とする議論は相当程度なされており、いずれも首肯できると思う。  すでに、社会権規約委員会は2001年9月24日、日本政府に障害のある人の差別を禁止する法律を制定するよう勧告しており(日本政府仮訳「経済的、社会的及び文化的権利に関する委員会の最終見解」、経済的、社会的及び文化的権利に関する委員会、第26(特別)会期)、今後、障害者権利条約の批准を行ううえで、国際人権規範の要請からも障害のある人に対する差別を禁止する法律が求められている。なお、障害者基本法における一般的な差別禁止規定の仕方では、障害者権利条約が個別的な生活領域ごとに平等実現規定を定めていることに対応できてきない。 【太田委員】  差別禁止法は必要と考える  障害者基本法で差別の防止が謳われているにも関わらず、政治的、社会的、文化的、市民的その他のあらゆる分野において、平等と人権は阻害されており、具体的には雇用(労働・仕事)・教育・医療・交通・居住・資格取得・あらゆる領域で障害に基づく差別がはびこり、障害のある人は、それにより個人の尊厳が傷つけられている、という実態がある。  この実態と現実は、憲法で保障する法の下の平等が著しくまもられていない状況といえ、拘束力を持った法的措置が求められている。  求められる差別禁止法制は、裁判規範性を持ち合わせ、同時に行政的な救済システムをも兼ね備えたものでなければならない。  直接差別のみならず、障害者権利条約で定義されている間接差別や合理的配慮の欠如も差別概念に含まれるべきであると考える。  欠格条項など、現在の法制度に潜む差別条項とみなされるすべてについて、検証・見直しの対象としていかなければならない。 【小島委員】 【川島委員】  日本は障害者権利条約を批准するにあたり、この条約が締約国に課している法的義務を誠実に遵守しなければならない。その法的義務のひとつが、合理的配慮の否定を含む差別の禁止の確保である。その際、条約上の義務として、国家と個人の間の差別のみならず、私人間の差別も禁止しなければならない。この点、日本の現行法(障害者基本法を含む)は、障害差別の存在という現実に対して実際に効果的ではない。したがって、新しい立法措置として差別禁止法制の創設は必要である。 【竹下委員】  単独法としての差別禁止法は絶対必要である。理由は以下のとおりである。 1 裁判規範性をもった統一法としての必要性 (1)「差別禁止」という規範を社会に定着させるためには、それが実現されなかったり、侵害されたときに司法(特に裁判)によって差別であることが明確に判示され、その救済ないし平等実現のための命令が発せられるための根拠が存在しなければならない。 (2)差別禁止規定が関係法規に散在している法体系の場合、その解釈基準が統一されなかったり、社会に対するアピールが不徹底となってしまう。 (3)裁判規範性を付与し、規範としての効力を確保するためには、差別の定義、差別の類型、適用範囲、社会生活や日常生活の場面ごとの差別基準となる基準(合理的配慮の内容)を類型的、体系的に示すことが必要である。 2 差別禁止体系の確立と発展性 (1)単法としての差別禁止法が制定されることによって、障害者差別の考え方が体系的に論議され、社旗的にも定着することが期待できる。 (2)社会の変化によって差別の類型や基準を見直すことが必要となることが予測されるが、その場合への対応が容易である。 【西村委員】 <意見>  障害者差別禁止法(以下、差別禁止法)制は、必要である。 <理由>  障がい者制度改革推進会議(以下、推進会議)の参考資料(P2〜9)ご指摘のとおりであり、本部会は、差別禁止法案を作成するために設置されたと認識している。  従って、本部会では、参考資料で示された以下の意見や課題等を踏まえて、障害児・者の差別をなくすための具体的で、実効性のある法律を制定するための検討と作業を進めることが責務である。 1 障害者権利条約(以下、権利条約)を国内で履行するための内容とする。 2 障害児・者の生活全般を適用対象(雇用・労働、教育、住宅・居住、情報・通信、交通・外出・移動、行政サービス、スポーツ・娯楽・旅行、司法、政治参加、医療、被災時 等々)とした包括的な法律とする。 3 裁判の規範性や実効性が確保された法律とする。 4 規範性や実効性を確保するために、何が差別であり、合理的配慮であるかの基準または、定義(具体例を含める)を明確にする。 5 現行の個別法及び制度等(以下、現行法等)の内容を検証し、必要に応じて現行法制度等を見直し(項目の修正及び差別禁止・合理的配慮の提供に関する項目の加筆等)、差別禁止法との整合性を確保する。 【松井委員】  わが国では、いまなお、障害者が日常的にさまざまな差別を受けている。現行の障害者基本法第3条で、障害者の差別を禁止する規定はあるが、裁判規範性がないことや、差別を受けた障害者がそれを根拠に救済措置を求めることはできない。  近年、千葉県をはじめ、いくつかの地方公共団体で障害者差別禁止条例が制定されているが、それらに法的裏付けを持たせるとともに、全国どこででも障害者差別問題に対処できるようにするには、障害者差別禁止法制が必要である。  しかし、差別や人権侵害は障害者だけの問題ではなく、シングルマザーや在日外国人など、社会的マイノリティに属する人たちも差別や人権侵害を受けている。その意味でも、障害者の差別禁止法制にあわせ、それ以外の人びとの差別の禁止や人権の擁護をすすめるための法制が別途制定される必要がある。障害者の差別禁止や救済措置が、一般の人権擁護制度と密接に関連付けながら推進されることで、より実効性のある仕組みにすることができよう。 【棟居委員】  必要である。 (補足)ただし、民間の契約自由や思想の自由に踏み込む可能性があるので、何が差別か、どういう差別が違法となるか、国がどのような条件整備支援を行うべきか、といった諸論点につき、さしあたり社会通念上の最大公約数を狙うべきではないかと考える。つまり、個別事案ごとの裁判まかせという現状に代えて、立法的に基準を明示することを差別禁止法制の当面の課題とすべきであろう。同時に、今後の立法や判例による発展を妨げないという謙抑的姿勢も要請されるように思われる。 【山崎委員】  差別禁止法(障害者差別禁止法に限定しない)が必要とされる理由は、以下の通りである。 1.法制度の不備を是正する必要性 (1)日本国憲法が規定する平等原則は私人間の差別事象には直接的には適用されない  日本国憲法第14条1項は、「すべて国民は、法の下に平等であつて、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない。」と規定し、法の下の平等を保障している。同項後段にいう「人種、信条、性別、社会的身分又は門地」は、原則として差別が禁止される事由を例示するもので、これ以外の事由にもとづく異なる取扱いでも不合理なものとみなすべきものはある。  しかし、この規定は抽象的で、どのような行為が差別とみなされるのかの基準が明確でない。たとえば、どのような障害のある人に対して、どのような行為をした場合に差別とされるのか、どのような障害のある人に対し、どのような配慮をすべきなのかはこの規定からは明らかでない。  また、憲法は国家と個人の関係を規律する法規で、私人間の関係には直接適用されない。たとえば、社会的身分を理由とする差別行為が私人間でなされても、14条のみを直接の根拠として、差別を受けた者を救済することはできない。14条は私人間でも直接適用されるという理論も存在する(直接適用説)。しかし、多数の憲法学者は、民法90条の公序良俗規定のような私法の一般条項を媒介にして、はじめて14条は間接的に私人間に適用されると解している(間接適用説)。ただし、どのような人権をどの程度「公序良俗」と考えるかによって、人権規定が私人間に適用される程度に落差が生じるなど、間接適用説にも欠陥がある。一般的な差別禁止規定を持つ法律または一般的な差別禁止法が制定されれば、この点は立法的に解決される。 (2)人種差別撤廃条約は国・自治体に法的義務を課すが、私人には直接義務を課さない  人種差別撤廃条約第1条1項は、「この条約において、『人種差別』とは、人種、皮膚の色、世系又は民族的若しくは種族的出身に基づくあらゆる区別、排除、制限又は優先であって、政治的、経済的、社会的、文化的その他のあらゆる公的生活の分野における平等の立場での人権及び基本的自由を認識し、享有し又は行使することを妨げ又は害する目的又は効果を有するものをいう。」と規定する。この条約を批准し、またはこれに加入した締約国は、上記の定義にいう「人種差別を非難し、また、あらゆる形態の人種差別を撤廃する政策及びあらゆる人種間の理解を促進する政策をすべての適当な方法により遅滞なくとることを約束する。」(第2条1項)このため、「各締約国は、すべての適当な方法(状況により必要とされるときは、立法を含む。)により、いかなる個人、集団又は団体による人種差別も禁止し、終了させる。」 (下線部引用者)義務を負う(同(d)。 人種差別撤廃条約は公権力による人種差別行為だけでなく、上記の下線を付けた規定からもわかるように、私人間の人種差別行為を規制する義務も締約国に課している。この点は日本国憲法第14条の不十分さを補っている。しかし、条約は国家間の約束であり、条約上の法的義務は締約国政府(中央政府と地方政府[自治体])に向けられており、一般の市民には向けられていない。したがって、人種差別撤廃条約の規定は公権力による人種差別行為には直接適用されても、私人間の人種差別行為については直接適用されない。なお、当然のことだが、人種差別撤廃条約が扱う差別禁止は、「人種差別」に限られている。 2.人権侵害・差別の反社会性を国家意思として表明する必要性  日本国憲法第14条には「人種、信条、性別、社会的身分又は門地」による差別が禁止される旨が謳われている。しかし、この規定から、人権侵害・差別は社会悪であり、反社会的な行為であることは必ずしも読みとれない。法律で差別禁止を明確に規定すれば、人権侵害・差別行為は社会悪であるとの国家意思が内外に示され、大きな社会教育的効果が期待できる。なお、旧・人権擁護法案は、実質的には「人権委員会設置法案」であり、差別を禁止するための法という色彩は強くは出されていなかった。人権侵害や差別を許さないという国家の確固たる意思を示すため、禁止される「人権侵害」や「差別」の定義を明確に定めた実体法としての「差別禁止法」を整備し、その下の手続法として「人権委員会設置法」を制定するのが本筋である。  また、日本の現行法では一般的差別禁止規定がないため、私人間の差別事案では金銭賠償を求めるしか手段はない。この法状況では、差別事象を構造的に改善することはできない。積極的に差別事象を解消するためにも、一般的な差別禁止規定または差別禁止法が必要とされる。 3.新設が見込まれる人権委員会の判断基準を明確に示す必要性  旧・人権擁護法案は、悪質な差別や虐待、公的機関職員の暴力、犯罪被害者などに対する報道によるプライバシー侵害や過剰取材など報道機関の人権侵害の一部については、被侵害者からの調停、仲裁の申請を受けつけ、事案ごとに人権委員会内に設ける調停、仲裁の各委員会が対応することを予定していた。また、差別助長行為に対する差止請求手続などが整備も予定していた。居直り的な差別行為からの救済を考えれば、この権限は重要であろう。公権力による差別助長行為に関してこの差止請求手続が活用されるのは何ら問題ない。しかし、私人間の差別助長行為についてこの手続が用いられる場合には、委員会の権限濫用とならないよう慎重な対応が求められる。  こうした危惧を未然に防ぐためにも、何が人権侵害か、何が差別か、何が虐待かを法律上はっきりさせなければならない。たしかに、旧・法案第3条は一般的に差別行為を禁止していた。しかし、「人種等を理由とする不当な差別的取扱い」(下線部引用者)のような規定のしかたでは、「不当」か否かの認定を人権委員会に委ねることになり、問題である。とくに、公権力による人権侵害事案について、人権委員会が「不当」と判断するのを自己抑制するとすれば、折角の差別禁止規定が実質的には空文となるおそれがある。  以上の趣旨から、新設が見込まれる人権委員会の判断基準を明確に示すためにも、差別禁止法の制定が望まれる。 (山崎公士「日本における差別禁止法の制定―国際人権法の視点から」『法政理論』 (新潟大学法学会) 36 巻3・4号, 113-153頁, 2004年)(一部修正) 第2、差別禁止の分野における「障害」をどうとらえるかについて、ご意見を伺いたい。(以下は、この論点に関する様々な見解です。ご参照ください。) 1、「障害」の中に、機能障害のある人と社会的障壁との相互作用により社会的不利が発生するといった趣旨を入れ込むべきであるとする各種の見解 イ 医学モデルから社会モデルへの展開  周知のとおり、障害の概念を巡っては、医学モデルと社会モデルという対極的な考え方が示されてきた。  医学モデルも社会モデルも多義的に使われてはいるが単純化すると、医学モデルの立場によれば、「障害」を機能障害や能力障害という個人因子を起点として社会的不利が発生するものという捉え方に傾く反面、アメリカ流の社会モデルの立場によれば、「障害」は、機能障害や能力障害を有する個人と社会的障壁とのかかわり(相互作用)によって社会参加が阻まれるなどの社会的不利を受ける状態や地位を指すことになり、また、イギリス流の社会モデルによれば、「障害」は社会障壁とそこから生じる当事者の社会的不利ということになるであろう。  したがって、医学モデルの立場で言えば、社会的不利の原因は、もっぱら個人の機能や能力に帰すべき問題であるので、本来差別の問題とは把握されないことになる。伝統的な差別禁止事由に「障害」が明示されていないのはその証左であり、社会モデルの立場に立って初めて差別禁止の射程に入ってくることになる。  このような障害概念の展開からみて、差別禁止法における「障害」も社会モデルを反映したものにすべきである。 ロ 障害者の権利条約の立場  障害者の権利条約は、「障害」を上記で述べたアメリカ流の社会モデルに沿ったものになっており、差別禁止の文脈においても異なった解釈が取られていない以上、差別禁止法制においても、同様の内容を持たせるべきである。 ハ 推進会議の委員の意見 ○ 障害者の定義に関しては、条約制定の際にも、社会モデルを基盤としながらも医療モデルの色彩を残しているICFの基準枠を超えた定義が用いられている。それを踏襲した定義とする。 ○ 「障害」が社会における障壁の相互作用から生じるものと捉える、いわゆる「社会モデル」の考え方に準拠し、対象者を幅広くする必要がある。 ○ 障害とは、身体的、精神的、知的状態が疾病、傷害、その他の事情に伴い、その時々の社会的環境において、日常生活または社会生活において相当な制限を受ける状態であることを明記する必要がある。 ○ 「障害を理由とする差別」における「障害」を「心身機能の損傷」(機能障害)と理解することとした場合には、次のようなことが起きる。すなわち、視覚障害者を差別しても「障害(機能障害)によるものではない。字が読めないことが理由だ。」と言い逃れを許しかねない。また「精神障害が不採用の理由ではない。長期の失業者であるから断った」と抗弁されるかもしれない。この問題を解決するには2つの方法がある。1つ目はICFの障害概念の活用である。ICFでは障害を機能障害(構造障害を含む、impairment)、活動制限(activitylimitation)、参加制約(participation restriction)の総称としている。わかりやすい表現を使えば、障害は機能障害、活動障害、参加障害の総称である。このような障害概念とすれば上記のような抗弁は阻止できる。  もう一つは、障害=機能障害という定義を設けつつ、「障害に基づく差別には、障害のために補装具を使用していることや活動や参加の困難があることなど、障害に関連したできごとを理由とした差別が含まれる」という規定を設けることである。しかしこれら2つの方法をとってもなお、障害者権利条約の障害の概念との根本的な違いはどうにもならない。・・・・  この法律において障害者とは、身体的又は精神的な機能障害があり、かつ社会におけるさまざまな障壁との相互作用により、日常生活又は社会生活における相当な制限を受ける者とする。 2、差別禁止法における「障害」は心身の機能障害(インペアメントimpairment)を基本とすべきという各種の見解 イ差別禁止事由としての障害  一般的に差別とは、社会構成員のうち、個人の有する一定の属性(例えば、人種、信条、性別、社会的身分、門地)を理由として、他よりも不利益に扱う行為を意味する。  多くの国家では、平等という結果を達成するために、かかる差別の禁止を憲法をはじめとする法制度に取り込んでいる。しかし、上記にように、差別の禁止は、条文上明示されていない場合も含めて、一定の個人の属性を前提として、差別を禁止するという構造となっている。  したがって、「障害」を理由とする差別禁止法制度においても、他の差別禁止事由である人種などと同様に、差別禁止事由である「障害」は、個人の有する属性として位置付けるべきである。 ロ 相互作用によって発生する社会的不利は差別の分野の課題  差別禁止法制は、差別に該当する一定の行為を禁止することで、平等を確保しようとするものである。  障害を理由とした差別との関係でいえば、心身の機能障害と、機能障害のある人を囲む物理的障壁、制度上の障壁、人々の態度、偏見などの社会的障壁が相互に関わり合いをもつ中で現れてくる具体的な個々の取り扱いが差別に該当する場合には、これを禁止するものである。  したがって、差別禁止法においては、相互作用のなかで発生する社会的不利については、「差別」のところでその該当性を問題とすべきであって、「障害」のところで扱うべき課題ではない。でなければ「社会的不利(障害)を理由とする社会的不利(差別)」というトートロジーに陥ってしまいかねない。 ハ 社会モデルにおける「障害」と法律学における「障害」の定義は異なる  障害の社会モデルとは、インペアメントと社会的障壁との相互作用で発生する社会的不利に障害という言葉を与え、かつ医学モデルに対抗するために社会的障壁の問題を強調することにより、研究・実践に資する発見・洞察を得る際の助けとなる視座(発見的手段)をいう。  しかし、差別禁止法の文脈で必要となるのは、それによって誰が保護されるのか、あるいは何が禁止されるのか、ということであり、社会モデルの文脈でいえば「障害」(不利)の定義ではなく、むしろインペアメントの定義である。つまり「インペアメントに基づく差別」や「インペアメントのある者」を定義する必要がある。  こうして、法令上の用語法としては、障害とインペアメントはイコールで結ぶべき関係にある。 【浅倉委員】  まだ定義をこうすべきだと断定できるほど理解が進んでおらず、考えがまとまっているわけではない。考えれば考えるほど混乱してくるというのが正直な感想ではあるが、現段階では、とりあえず、以下のようなことを考えている。 1 「障害の社会モデル」は重要である。なぜなら個人が障害によって被る不利益は、社会の側のありようを変えることによって、軽減することができるからである。 2 しかし、基本法に「障害の社会モデル」を規定することと、差別禁止法に「障害の社会モデル」を規定することは、必ずしも同じではないように思う。以下、そのように考える理由について述べる。 3 まず前提となる議論として、そもそも、これから制定されるべき「差別禁止法」は、障害に起因する差別を禁止する法(障害差別禁止法)なのか、それとも障害をもつ人の差別を禁止する法(障害者差別禁止法)なのだろうか。私見では、前者であるとしたほうが、対象範囲は広くなると思う。すなわち前者であれば、障害をもつ人と関わりのある人が受ける差別や、機能障害をもたないがもっていると他者から認識されて差別を受ける場合も、救済の対象になるからである。 4 では、障害差別禁止法として考えてみた場合、その「障害」とは何か。 5 とりあえず、障害者基本法改正案2条を参考にすれば、同条においては、「障害」は、幅広く「心身の機能の障害」とされている。そのうえで「障害者」は、その「障害」があり、「障害及び社会的障壁により継続的に日常生活又は社会生活に相当な制限を受ける状態にあるもの」とされている。  もしここで定義される「障害者」に該当する人が、差別禁止法に基づき救済を主張できる人だとすると、「機能障害」を有することと、「日常生活又は社会生活に相当な制限を受ける状態にある」ことの、両方を証明しないと、救済されないことになってしまい、かえって不都合なのではないか。  したがって、差別禁止法では、「障害」(機能障害)という特性をもつ個人であれば、救済の対象になる、としておいたほうが、幅広く救済可能性を認めることになるのではないか。 6 では、「障害の社会モデル」は、差別禁止法ではどのような意味をもつのか。それが意味をもつとすれば、上記3で述べたように、機能障害をもたない人が、それをもっていると他者から認識されて差別を受ける場合に、他者の偏見やステレオタイプから不利益を受けているという状態、すなわち「日常生活又は社会生活に相当な制限を受ける状態にある」ことを立証すれば、それが「障害に起因する差別」になる、ということなのではないか。 【池原委員】 1について  現在でも根強く残っている医学モデルに基づく障害理解のあり方を変えて、社会全体の障害の理解の仕方についてパラダイムを転換するためには、法律に社会モデルに基づく障害の定義を明示することは重要である。  ただし、 差別禁止法において、障害をカテゴリーとして提示する意味は、障害のある人が社会的排除や差別にさらされてきたという歴史的・経験的事実を前提にして、そのような排除や差別をなくしていくために、障害というカテゴリーに該当する人に対する別異の取り扱いは原則として差別とされ、その別異取り扱いが正当な目的を有し、かつ、その目的を達成するための必要不可欠の方法であることを、別異取り扱い者側が証明しない限り、違法で許されない差別となる、という判断の枠組み(人権侵害の疑わしい範疇として、厳格な審査基準を適用する)の前提として必要な要件とされるものと考えられる。  一方、ADAなどにおいて、障害要件が、かえって、差別禁止法の適用を受ける上でのハードルになり、差別禁止法適用を妨げる要件となったという点に配慮する必要がある。  したがって、差別禁止法を効果的に機能するようにするには、その対象を厳密に限定するよりも、歴史的・経験的に排除や差別にさらされやすい対象とされてきた「障害」を広く含めることができるようにすることが求められる。  こうした観点からは、ドイツ法を参考にして、心身の状態が「実年齢の状態とは異なる確率」が高いとか、「その年齢に典型的な状態とは異なる」という定義が興味深い。人種や皮膚の色のように、心身の状態がその社会の同世代の他の多数派の人と乖離していることは排除や差別を生む基本的な要素と考えられる。「障害」との関係では、その心身の状態が皮膚の色ではなく、身体的機能・形態または知的・精神的機能に関係した状態であるということになる。  オーストラリア法も、障害の定義が法適用の桎梏になることを避け、「障害」に関して考えうるあらゆる範囲を適用範囲に含めようとする試みとして参考になる。ただ、「損失」(loss)、機能不全(malfunction)、形態不全(malformation)、「問題行動をもたらす」(results in disturbed behavior)など、障害についての否定的な価値観を連想させる規定ぶりとなっている点では、ドイツ法の没価値的な規定の方が魅力的だと思う。  いずれにせよ、差別禁止法の主要な争点は差別性の論点に焦点化されるように要件を作ることが必要で、法適用の入り口(障害要件)で棄却されて、差別内容の司法判断に入らないで終わるような結果を生む法律としないことが重要だと思う。 2について  機能障害の判定は、医学的に行われる危険性が高い点で問題がある。排除と差別は、「障害のある人」に対する一般の人の社会的認知作用の結果として生じるので、医学的に把握される機能障害とは異なり、「常識」的にみて、「私たちとは違う」、「へんだ」、「変わっている」などという、他人の心身の状態に対する、一般人の認知作用がベースになっている。こうした主観的な作用を厳密に法律の要件に落とし込むことは難しいと思うが、上記のようにその心身の状態が同年齢の多くの人の状態(「典型的状態」、「確率的に高い状態」など表現はさまざま)とは異なっている状態は、少数派として排除や差別を受けやすい状態と結びつくので、機能障害という、従来は医学的に定義される基準を用いるよりも、一般人の観点を基準にする方がよいのではないかと思われる。  ただ、一般人の観点や主観を取り込むことは、要件を曖昧にして要件該当性の証明が難しくなる危険性もありうる。その点を考えると、機能障害あるいは一般人から見て同年齢の多くの人の状態とは異なっていると受け取られる場合のいずれかが証明されれば足りるとすべきかもしれない。 以上 【太田委員】 別紙で提出しているようにJDFの2008年の意見書では障害の定義について下記の通り言及している。 障害の定義  基本的には身体的(広義の)特徴や個性によって被っている社会的不利益という社会モデルとしての障害の定義が求められます。現在の法体系においては、障害と認められない狭間の障害と呼ばれる人が多数存在します。これらの障害をすべて包括しうることが障害者差別禁止法(仮称)には必要です。  一方、裁判規範性のある法制度という観点からは、立証可能な定義でなくてはなりません。  具体的には、以下の通り提案いたします。 1) この法律の適用上、障害とは、心身の状態が、疾病、変調、傷害その他の事情に伴い、その時々の社会的環境において求められる能力又は機能に達しないことにより、個人が日常生活又は社会生活において制限を受ける状態をいうものとする。 2) 過去においてそのような状態にあったこと、及び障害があるとみなされることも含めるものとする。 また差別の定義と障害に基づく差別という項目では下記の通り言及している。 差別の定義と障害に基づく差別の禁止  障害のある人の権利を保障するという視点に立つ法制度の確立をめざす上で、「差別とは何か」を定義していくことは、この立法の基本となすところです。一般的に流布されている差別の概念(「障害」を特定して権利を侵害する直接差別)のみならず、間接的差別(「障害」を名指ししていない中立的な規定等によって「形式的平等」を装いながらも、障害のある人が結果として不利益をこうむることも差別の定義に含まれなければなりません。その場合の規定の目的や正当性が証明できない場合、例えば、就労分野における職員等の募集要件において「自力通勤」を要件とする場合、「障害」を名指しはしていないが、介助等の必要な障害のある人は不利益をこうむることになります。この場合の「自力通勤」要件の正当性が証明されない場合に間接差別に該当する)をも、その定義の中に入れる必要があります。  また、家族に障害のある人がいるからとの理由で不利益な取り扱いを受けることや、過去に障害を持っていたという理由で差別を受けた場合についても、この法の救済対象としていくことが求められます。 【川島委員】  上記の2のハの見解を支持する。  障害の社会モデルは、インペアメントのある者をとりまく社会の問題に着目する視点である。いいかえれば、社会モデルは、障害の生物医学的次元ではなく、障害の社会政治的次元を重視する視点である。社会モデルにおいて「障害(ディスアビリティ)」は、インペアメントのある者と社会障壁との相互作用によって生じる不利を意味する言葉である。社会障壁のひとつが差別行為である。したがって、差別行為を法的に規制することで、インペアメントのある者の不利が削減されることになる。  社会モデルおける「障害(ディスアビリティ)」という言葉は、上記のとおり、インペアメントのある者と社会障壁との相互作用によって生じる不利を意味する。これは「障害の障害学的用語」であり、「障害の法律学的用語」とは区別されなければならない。「障害の法律学的用語」では、むしろ「インペアメント(と呼ばれる心身の特徴)」のことを「障害」という。差別禁止法における障害の定義(障害の法律学的用語)のなかに、社会モデルにおける障害の定義(障害の障害学的用語)をそのまま代入すべきではない。  社会モデルの視点を差別禁止法の文脈で活かすのであれば、差別禁止法によって障害(インペアメント)のある者の不利をできる限り削減するという観点から、障害(インペアメント)を法的に定義する必要がある。いいかえれば、「障害」と呼びうる心身の特徴(インペアメント)に基づく差別を被った者が存在しているにもかかわらず、差別禁止法における「障害」の定義の範囲が狭いことで、その者が法的救済の対象になりえない場合があることに十分留意しながら、「障害」を法的に定義すべきである。 なお、以下の記述では、「インペアメント」と「障害」とをイコールで結んで用いる。 【竹下委員】  差別禁止法における「障害」は、身体または精神(知的)における特徴が人格を害する差別の対象となる限りは「障害」ととらえるべきである。したがって、障害者基本法における障害者の定義やサービス法(給付法)における障害者の定義よりは広い概念となる。その結果、過去における障害ないし病気を経験した者や将来における発症が予測される者も含まれることになる。 【西村委員】 <意見> 1 「障害」と「障害者」を別々に定義する。 2 「障害」は、身体障害、知的障害、精神障害その他の心身の機能の障害等の個々の属性を理由として、その人の日常生活又は社会生活を制限する事物、制度、慣行、観念その他一切に基づく状態とする。 3 「障害者」とは、身体障害、知的障害、精神障害その他の心身の機能の障害等の属性のある人とする。 <理由>  差別禁止及び差別禁止法における「障害」の捉え方については、以下の視点(権利条約、推進会議、障害者基本法改正案)に基づく検討が妥当であると思われる。 ○ 検討根拠 1 権利条約を批准し、その理念を国内において履行することから、「障害」の捉え方は、条約の理念と目的に沿ったものとする。 2 推進会議がまとめ、閣議決定された「第一次意見」を踏まえたものとする。 3 関連法である「障害者基本法(以下、基本法)」との整合性及び関係性も踏まえたものとする。 注)基本法は、改正案が閣議決定されているため、当面は、この改正案に基づくことが妥当であるが、改正案成立後は、成立した基本法を踏まえる。 上記の検討根拠1〜3に基づくと「障害」は、以下の検討基準に基づきとらえることが適当と思われる。 ○ 検討基準 1 権利条約の英文では、障害を「Impairment」と「Disabilities」と表記し、概ね、以下のとおり定義している。 (1)「Impairment」は、視覚、聴覚、肢体等の機能の不全等を意味する機能障害としている。 (2)「Disabilities」は、社会環境との相互作用において障害者の生活や行動が制限・制約される「社会的不利益」としている。 (3)障害者は、「Persons with Disabilities」と定義し「Impairment」のある人々は、その中に含まれると規定している。 (4)したがって、障害者の社会参加の制限等の原因は、個人の機能障害ではなく、機能障害と社会との相互作用によって生じるものとしている。 2 「第一次意見」では、概ね、以下の3点にまとめられる。 (1)障害(=改善すべき課題)を個人の外部に存在する種々の社会的障壁によって構築されたものとしてとらえる。 (2)障害(=ありのままの属性)のある人をありのままで受け入れようとしない社会そのものを問いかけ、そのあり方を変えることにより共生社会を実現する。 (3)『社会モデル』的認識を踏まえ、障害のとらえ方や障害者の範囲等を見直す。 3 基本法改正案では、以下のとおり定義している。 (1)身体障害、知的障害、精神障害その他の心身の機能の障害(以下「障害」と総称する。) (2)障害及び社会的障壁により継続的に日常生活又は社会生活に相当な制限を受ける状態。 (3)社会的障壁 障害がある者にとって日常生活又は社会生活を営む上で障壁となるような社会における事物、制度、慣行、観念その他一切のものをいう。 ○ 参考 北海道障がい者条例〜抜粋〜 (定義) 第2条 この条例において「障がい」とは、心身の状態が疾病、傷害その他の事情に伴い、その時々の社会的環境において求められる能力又は機能に達しないことにより、日常生活又は社会生活において継続的に相当な制限を受ける状態をいう。 2 この条例において「障がい者」とは、障害者基本法(昭和45年法律第84号)第2条に規定する身体障害、知的障害又は精神障害がある者(高次脳機能障害者及び発達障害者支援法(平成16年法律第167号)第2条第2項に規定する発達障害者を含む。)をいう。 【松井委員】  差別禁止の対象者には、現在機能障害がない者も含めるべきであるが、差別の一種である合理的配慮との関連では、現在機能障害がある者に限定されよう。ただし、障害者権利条約第1 条で規定されている機能障害は、わが国の現行の障害者基本法や各種障害者福祉法などとくらべ、幅広くとらえられていることや、障害を定義することにより、その定義からはずれる者がでてくることを危惧して、障害者権利条約第2 条定義には障害および障害者が含まれていないといった事情も十分留意する必要があろう。 【棟居委員】 2ロを基本とすることが妥当である。 (補足)法制度としては、2ロの見解にたち、「障害」概念は医学モデル(ただし社会が要求する「機能」や「能力」に関する「障害」という意味ではすでに社会的視点が含まれていることに注意)に基本的に立脚しつつ、差別という法概念のところで社会的排除や相互作用といった社会モデル的観点を取り入れるのが良いように考えます。 第3、機能障害について、すべての機能障害を対象とすべきか、何らかの制限(例えば、期間、程度)を加えるべきかについて、ご意見を伺いたい。 (諸外国の障害(者)の定義の一覧表である「参考資料3」を参照されたい。) 【浅倉委員】 ・ドイツのように確定的に一定の期間を法に明示しておくべきか(ドイツでは6か月)、あるいは他の国のように、「長期間」「長期にわたって」などの表現にすべきかは、検討の余地があるとしても、一時的な傷病(けがや風邪など)とは区別する意味で、なんらかの期間に関する文言を盛り込む必要があるのではないか。 ・しかし程度については、いかなる軽微な障害であっても、差別の対象となる場合があるため、「程度」を限定すべきではないと考える。 【池原委員】 ADAでは、「主要な生活活動」、「実質的に制限する」などの要件要素を、裁判所が法の適用を妨げる方向で活用してきた苦い経験がある。差別禁止法の焦点を差別性の論点に集中させて、司法において実のある審理が行われるようにするには、機能障害について制限要素を入れないことが望ましい。しかし、そうすると、例えば風邪や骨折など短期的に回復する心身の状態も差別禁止法に含まれ、間口が広がりすぎ、また、歴史的・経験的に差別を受けてきた「障害」というものと、あまりにもかけ離れないか、という問題が起こる。大きな議論としては、広すぎても差別性の判断の中で、いずれ解決されるので、間口を狭めて救済されない事例を生じる危険をおかすよりも、間口は広めにとるという立法政策にも合理性はあると思われる。 ある程度の絞り込みをするとすれば、ドイツ法の「6 カ月以上」その状態が続くというように、形式的に判定できる方が、裁判官の恣意を排除できる点でよいと思われる。 なお、「社会生活への参加の制約(ドイツ法)」、「日常生活を行う能力に、実質的かつ長期間にわたり悪影響を受けている」(イギリス法)などの要件要素は入れるべきではない。社会参加の制約は差別の結果として生じているので、差別論の論点で論じられることになるし、日常生活・社会生活の制約というような要件要素は、サービス給付法としての社会保障法関係で、ニーズの主体としての障害のある人の定義で必要とされる要件要素(何らかの活動制約がなければニーズはない)であって、差別禁止法で求められる要件要素ではない。 【太田委員】 基本的に、差別禁止法制においては、期間や程度などは加えるべきではない。 【川島委員】 基本的には、あらゆる心身の障害(インペアメント)を差別禁止法の対象にすべきである。 【竹下委員】 機能障害の程度及び存続期間は一定の要件を設けるべきである。その理由は以下のとおりである。 (1)「風邪」「けが」といった一時的な機能障害を「障害」ととらえることは社会通念からしても妥当しない。たとえ、そうした一時的な機能障害が発生しても、人格攻撃としての差別の対象となることはない。 (2)極めて軽度な機能障害は人格攻撃としての差別に結びつくことは考えにくいし、ほとんどの場合ハンディキャップともならない。 (3)軽度な機能障害は個々人の体力、体型、基礎的体力などによっても差異が生じる場合が考えられるのであって、そうした機能障害までをも障害の範囲に含めてしまえば、障害者の範囲が不明確となってしまう。 【西村委員】 <意見> 差別禁止及び差別禁止法については、すべての機能障害を対象とし、制限を加える必要はない。 <理由> 1 「機能障害」は、身体機能の不全、損傷を意味する。また、現行の我が国の障害者手帳の認定は、「機能障害」に基づく「能力障害」が固定、永続することを要件としている。 2 障害者手帳の交付等(判定も含める)を受けた人は、原則として、医療(患者)から福祉(障害者)の利用者に転換する。 3 福祉の利用者に転換することにより、障害者は、障害福祉サービスを利用することになるので、この場合(障害の認定)に対象とする「機能障害」については、期間、程度等を必要に応じて定めることになる。 4 しかし、差別禁止及び差別禁止法については、「機能障害」の原因や期間が、治癒する骨折であれ、後遺症を残す脊髄損傷であれ、その期間が、一時的であれ、永続的であれ、車いすを使用することによって、様々な社会生活等の場面で、制限や制約を受けている状態を、障害者には差別になるが、患者には、差別にならないとう基準は不合理である。 5 障害者が住みよい社会は、障害のない人々にとっても住みよい社会であることは、社会通念上認められてきている。また、エレベーターの設置は、車いすを使用している障害者のためだけではなく、ベビーカーを押している親や重たい荷物を持っている人や怪我をしている人にとっても必要なものであるとする考え方も広がってきている。 6 そして、権利条約は、アクセシビリティーとインクルーシブを基本としていることや「機能障害」を限定していない。 【松井委員】 外傷や疾病などで一時的には相当程度の機能障害があっても治癒すれば、まったく機能障害が残らないようなものや、一定程度の機能障害があってもそれが日常生活や社会生活上の支障とはならないものについては、欧米諸国においても法的保護やサービス給付などの対象とはされていない。それは妥当な措置と思われる。 【棟居委員】 加えるべきである。 (補足)「機能障害」という概念に、たまたまある時点において不可能であるという単発的偶発的な不達成にとどまらない、原始的な不能とでもいうべき一定の継続性と重大性が含意されていると考えますが、確認的に一定の期間、程度を加えることはありうると考えます。 第4、障害が、現在存在している場合だけに限るか、過去に障害の履歴を有する場合や将来発生する蓋然性がある場合、さらには、誤解などで障害があるとみなされた場合も含めるかについて、ご意見を伺いたい。 (諸外国の障害(者)の定義の一覧表である「参考資料3」を参照されたい。) 【浅倉委員】 ・「障害差別禁止法」にすべきだという私見によれば、これらはすべて、禁止されるべきものとなる。 ・現在では障害をもたないが過去に障害の履歴があるということを理由とする差別もまた、禁止すべきである。 ・同様に、将来、再発する蓋然性があるという場合に、そのことを理由とする差別も禁止すべき。 ・障害をもたない者に対して障害をもつと認識して(誤解して)行う差別もまた、「障害を理由とする差別」に違いなく、禁止すべきである。 【池原委員】 障害のある人に関係する法律の中でも、差別禁止法はとりわけ社会モデルが妥当する分野である。差別は機能障害から因果的に発展した結果ではなく、社会が、その人の心身の状態が、多数派を占める人の典型的な状態とは異なっている、という多数派の認識から因果的に発展した結果として生じる。したがって、実際には現在は機能障害がなくても、過去に経歴があったり、将来発生する可能性があり、あるいは、誤解であっても、社会が「普通の状態」とは異なると認識し、それが心身の状態(身体的機能・形態、知的・精神的機能)についての認識を基にしたものであれば、差別禁止法としては、実際に機能障害があって、それについての社会認識が基になって差別を生じている場合と本質的に区別する理由はない。 【太田委員】 前述したが、JDF の意見書においては、「過去に障害を持っていたという理由で差別を受けた場合についても、この法の救済対象としていくことが求められます」と指摘しており、同じ理由で、将来発生する蓋然性や、誤解などで障害があるとみなされた場合も含めるべきであると考えています。 障害に基づく差別を禁止するという考えからだ。 過去の問題については、精神病院に通院していたというだけで、差別を受けたという話が多い。 韓国の差別禁止法第6条を参考にすべきである。 【川島委員】 差別禁止法の適用範囲には「現在の障害」、「過去の障害」、「将来の障害」、「認識された障害」のすべてを含めるべきである。それらの障害を理由に差別を被った者が存在した場合に、その者が差別禁止法で救済されないことになるからである。 【竹下委員】 1で指摘したように、過去の傷病歴や将来における発症の可能性のある障害も差別禁止法の対象とすべきである。また、障害の存在や内容に対する誤解が原因となって生ずる差別もまた禁止と救済の対象とすべきである。それらの場合、一般条項としての法の下の平等の規定ないし規範のみでは救済されない場合があるからである。 【西村委員】 <意見> 現在、存在している場合に限定する必要はない。 <理由> 事例として、現行の身体障害者福祉法で手帳交付の対象とされている「ヒト免疫不全ウイルスによる免疫機能障害」については、発症者を認定するものであるが、現実には、発症していなくても差別を受けているため。 【松井委員】 精神病が寛解した人など、現在は機能障害がないにもかかわらず、機能障害がある者と同様の差別的取扱いを受ける者については、差別禁止法の対象に含めるのが、適当と思われる。ただし、合理的配慮の提供については、現に機能障害がある者に限定されてしかるべきであろう。 【棟居委員】 含めるべきである。 (補足)既往症も将来発病の潜在的可能性も、さらに定型的な誤解の場合も、厳密な 医学モデルからすれば障害には当たらないことになるでしょうが、社会の側は医学上の理由で「機能障害」と判断して排除してくるわけですから、典型的な障害者と異なるところはありません。こうしたケースも障害(者)に含めるべきだと考えます。 第5、障害に、必ずしも機能障害が伴わない外貌やその他心身の特徴を含めるべきかについて、ご意見を伺いたい。 【浅倉委員】 外貌や心身の特徴などは、必ずしも「機能障害」を伴うものではないといえるのだろうが、それを理由とする差別も不合理な取扱いであることに間違いない。 私見では、障害をもたない者に対して障害をもつと認識して(誤解して)行う差別もまた、「障害を理由とする差別」であると考えるので、「機能障害」をもたない人であっても、外貌などに対する偏見やステレオタイプから差別を受ける場合には、その差別が禁止される差別に該当することは当然、と考える。 【池原委員】 既に述べたように、外貌や心身の状態が、同年齢の状態とは異なる場合も含まれる。 【太田委員】 外貌などを障害とするには、議論を必要とするところかもしれないが、現実にそのことで差別の存在があり、その差別を他の法令で禁止し、そして救済する術がない現実がある中で、障害の相互作用モデルの考え方から、差別禁止法の対象に含めるべきと考える。 【川島委員】 活動制限(ないし機能制約)を伴わないインペアメント(たとえば、顔のあざや傷などの外貌のインペアメント)も、差別禁止法の適用範囲に含めるべきである。そうしたインペアメントを理由に差別を被った者が存在した場合に、その者が差別禁止法で救済されないことになるからである。 【竹下委員】 機能障害を伴わない身体的特徴を有する場合も障害の範囲に含め、差別禁止法の範囲とすべきである。その理由は以下のとおりである。 (1)身体的特徴が人格攻撃の対象となる限りは、障害者差別の本質を有し、共通性があるからである。 (2)外貌などに対する差別を防止し、あるいは救済するための手続きは、機能障害に対する差別の場合に準じて考えることができる。 【西村委員】 <意見> 含めるべきである。 <理由> 1 確認を要するが、機能障害の英語表記であるImpairment には、機能以外にも形態を含めていると聞いたことがある。もし、そうであれば、現行の機能障害で定義されている四肢等以外の状態(顔のアザや火傷等)も含めることが必要と思われる。 2 また、アザや火傷等の要因は、皮膚の細胞等の損傷等に起因しているものであれば、機能障害に含めることが可能と思われる。 3 なお、権利条約の定義(機能障害のある人を含む)と機能障害を限定していないことからも、外貌やその他心身の特徴を理由として日常生活や社会生活において制限や制約を受けている事実もあることから含めるべきである。 【松井委員】 あらゆる障害を網羅できるようにするという障害者権利条約の意図から考え、必ずしも機能障害を伴わない外貌やその他の心身の特徴により、差別的な取り扱いを受けている者についても、(差別禁止法が対象とする)障害に含めるのが妥当と考えられる。 【棟居委員】 含めるべきである(社会の側が医学的な機能障害を推測して排除している場合)。 (補足)私見は医学モデルを出発的にしていますが、医学的には機能障害といえなくても、社会の側が医学的な機能障害を推測し、あるいは同等の排除を行う場合には、障害に含めることになると思います。 第6、差別禁止法の適用対象について、以下の2点について、ご意見を伺いたい。 1、障害者について、ADAは一定の分野の差別に関して、障害者について「有資格」という限定をつけているが、かような限定をつけるべきか、つけないとしたら一般的例外規定ないしは差別に該当するのかという判断などの場面で対処する方法があるかについて、ご意見を伺いたい。 【池原委員】 「有資格」については、米国州法では採用していない法制もあり、この要件も別異取り扱い者側が差別性を否定する理由として活用されている点で問題がある。 合理的配慮の判断の中で、一定の配慮があっても、なお職務上本質的に必須の業務水準を達成できない場合は、結果として、合理的配慮義務として提供されるべき配慮が当該事案では考えられず、したがって、企業側に合理的配慮義務はないことになるか、あるいは、一定の配慮をした結果、達成可能な職務状態を前提にすると、当該業務の本質的なあり方を変更せざるを得なくなる場合には、差別とならないとするなどの例外事由を考える余地はあるかもしれない。その場合、職務上本質的に必須の業務水準であること、提案されている配慮を提供してもその水準を満たしえないこと、慮によって達成された職務状態を受け入れるとすれば、当該業務の本質的なあり方を変更することになることなどは、別異取り扱い者側の立証責任とすべきであろう。 【太田委員】 「有資格者」という概念を導入すべきではないと考える。 しかし、差別禁止法の考え方は、他の者との平等に基礎が置かれていることが原点で、それを逸脱する行為が差別に当たると考えられる。労働や教育という場面でのある判断や行為に関しては、一般的に要求される能力等と障害の関係等を総合的にとらえ、合理性があったか否かが問われる。 後段の質問は理解しづらい。一般的例外規定の是非を問うているのか?原則的には、設けるべきではないが、個々の具体的事象に対応して、検討が必要な場合も生じることが想定されよう。 【川島委員】 有資格の考え方は、「差別」の文脈で個別具体的に判断されるべきである。 これと関連して、差別禁止法では、「有資格の障害者は障害を理由に差別されてはならない」という書きぶりではなく、「何人も障害を理由に差別されてはならない」という書きぶりにすべきである。 【竹下委員】 差別禁止法の適用対象には、制限を加えるべきではない。 (1)ADA における「有資格」という適用基準は、それ自体が概念や範囲において曖昧であったり、新たな差別を持ち込むことになる。 (2)たとえ、生産性や作業効率において劣る障害者の場合でも、その生産性や作業能力に応じた適正な評価と合理的配慮によって実質的平等を実現することは可能である。 (3)賃金の裁定においてランク付けをされることはやむを得ないことであり(職能給などにおいては障害の有無とは無関係に賃金格差が生じている)、適正な賃金査定と所得保障と賃金を補填する制度を組み合わせることによって就労における差別を克服することは可能である。 【西村委員】 <意見> 1 「有資格」という限定をつけない。 2 対処方法については、差別禁止法で設置することが必要と思われる救済・調整を担う機関の役割として検討することが適当と思う。 <理由> 1 「有資格」の規定は、個人モデルとしての意味合いを強く感じる。 2 権利条約では、「直接差別」、「間接差別」、「合理的配慮の欠如」が、差別の類型とされているが、「合理的配慮」の確保については、「過度な負担」を伴う場合の適用除外規定があることから、一般的な適用除外規定=正当化のための規定は必要かもしれない。 【松井委員】 職種ごとにそれらに求められる必須の職務を含む、職務内容を詳細に規定するといった慣行のない、わが国ではADA のように「有資格」という限定をつけることは困難と思われる。 わが国では、採用後企業内でスペッシャリストとして養成するのが一般的であるため、採用時に求められるのは、一般的な知識・能力や人との協調性などで、客観的な採用基準が必ずしも明確ではないことが少なくない。障害者が平等な雇用機会を確保するためにも、採用基準の客観性の確保が求められよう。 【棟居委員】 つけるべきである。ただし資格のない者には立証責任を負わせるという解決もあると考える。 (補足)救済機関として中止命令や公表などの権限を持つ行政機関を構築するのであれば、こうした強力な権限を有する機関が、差別の有無の認定に加えて、さらに障害の有無についても第一次的判断権を有するとすると、権限が強すぎるように思われる。また、障害者差別禁止は障害者福祉などと有機的に関連づけて考えるべきである。これらの理由から、一定の「資格」を要件とすることが妥当と考えられる。資格を有しない場合をどうするかであるが、資格のある場合には異なる取扱いを差別と推定することとし、資格のない場合には立証責任を障害者側に負わせるという線引きもありうると考える。 2、障害のない人が、身内や友人など、その関係する障害のある人の障害を理由に差別を受けた場合、差別禁止法の適用対象に含めるべきかについて、ご意見を伺いたい。 【浅倉委員】 ・障害のある人との関わりを理由に差別を受けた場合も、「障害に起因する差別」といえるはずであるから、「障害差別禁止法」の適用対象に含めるべきではないか。 【池原委員】 障害のある人に関係した人が、その関係性を理由に差別を受けることを放置することは、障害に対する否定的評価を容認し、また、障害のある人が多くの人と有意義な人間関係を形成することを妨げることになる。こうした事態は差別禁止法が容認すべきではない事態であるから、障害に関係して、その関係者を差別することも差別禁止法によって禁止すべきである。 【太田委員】 対象に含めるべきである。 JDF委員の意見から 「●障害者がいる家庭では、サービスの利用など日常生活において、例えば、不動産の売買や賃貸借など、障害者のない家族と比べ不利益を被る場合が多い。その他、ヘルパーや通訳者、介助犬を連れた障害者への差別(直接障害者への区別や排除、制限だけではなく、介助犬の利用を制限すること等)も含めるべきである。 ●韓国の立法事例や欧州人権裁判所の判例が参考になる。 【韓国障害者差別禁止法 第4 条@の5】 障害者を手助けするための目的で障害者を代理・同行する者(障害児童の保護者又は後見人、その他障害者を手助けする者であることが通常認められる者を含む。以下、この号及び関連条項で"障害者に関係を有する者"という)に対し、第1 号から第4 号までの行為をする場合。この場合、障害者に関係を有する者の障害者に対する行為もまた、この法で禁止する差別行為の有無の判断対象となる。 【Coleman v Attridge Law (July 2008)】(コールマンケース) イギリス国内の判例を不服として、欧州人権裁判所に訴え、障害者の家族・関係者への均等待遇(差別禁止)が認められた事例。」 【川島委員】 身内や友人も差別禁止法の適用範囲に含めるべきである。障害を理由に身内や友人が差別を被った場合には、かれらも差別禁止法によって保護される必要がある。 「何人も障害を理由に差別されてはならない」という書きぶりにするのであれば、身内や友人も、当然のことながら、「障害を理由に差別されてはならない」ことになる。 【竹下委員】 家族等に障害を有する者がいることによって差別する行為は、少なくても現時点では差別禁止法に加えなくてもよいのではないか。なぜならば、家族に障害者がいることを理由に差別的取扱いをすることは、一般条項としての法の下の平等(憲法14条)で十分に禁止することができるからである。ただ、そうした場合における救済手続きが整備されていない段階では、差別禁止法の適用(準用)によって救済を図ることが必要となってくる。現在論議されている人権救済機関が創設されれば、障害者差別禁止法に含めなくても救済が図られることになると考える。 【西村委員】 <意見> 含めるべきである。 <理由> 障害を理由とした日常生活や社会生活の制限や制約は、障害者の身内なども受けている実態がある。 <具体的事例> 1 普通学校に通学している障害児の保護者の多くが、障害児の介助等のために同行(待機)が求められている。 2 障害児に必要な支援を確保しているとされている特別支援学校においても、医療的ケアを要する障害児を受け入れていないところや、受け入れても親の同行(待機)を求める学校が多数存在している。 3 重度の障害児(特に痰吸引を頻繁に必要とする場合や、自発呼吸が困難な人工呼吸器使用者等)を育てている保護者の生活上の負担は大きい。 4 親が障害者であるために、子どもが飛行機で親の隣席に座れない。 5 家族に障害者がいるため、相手の家族が結婚に反対する。 【松井委員】 家族などに障害のある人がいるために、差別的な取り扱いを受けた者も差別禁止法の対象とすべきである。たとえば、重度の障害児が普通校に修学する場合、家族がそのトイレ介助や移動介助のため、付き添いを求められるといった事例がままみられることからも、障害当事者の家族などもそうした法的保護の対象とするのが適当と思われる。 【棟居委員】 場合による(関係者自身の障害が推測される場合には対象とし、関係者の介護などによる労働能力の減殺が疑われる場合には対象としない)。 (補足)差別禁止法の主眼は、障害者(これは医学モデルを前提とする)に対する社会の側の偏見に基づく不利な取扱いの禁止(排除の排除)にあると考えるので、障害者の周辺に位置する人々が、彼らも偏見の対象となっている場合(たとえばエイズキャリアの配偶者がいる場合)には差別禁止法の対象とし、そうでなく介護の負担が本人の能力を減殺するなどの理由で不利に扱われる場合には、差別禁止法の直接の対象とはなりがたいように思われる。