文化・スポーツに関する意見一覧
障がい者制度改革推進会議
第19 回(H22.9.6) 資料4
第19回障がい者制度改革推進会議 意見提出書式
障害者基本法 各則(論点表、議論が不足している分野)
文化・スポーツ
人が人らしく生きるうえで、障害を理由として文化的な生活に参加できない ことがあってはならず、この意味から、条約でもこれを権利として定めている。
このことを障害者基本法でも明記すべきである。
芸術作品等の享受、アクセスという面から考えても、もちろん享受という視 点は欠かせない。
リハビリテーション的な効果については、別の項目に移して整理すべきでは ないか。
参加を強調することで権利が認められることになるが、人間としての充足と 言う観点も必要である。
障害者スポーツは、従来、リハビリテーションの側面が強かったが、スポー ツを楽しむこと、競技としてのスポーツ等、幅を広げていくことが必要であり、 それらの参加を明記する必要がある。
機会の享受という視点の場合、学校教育でのスポーツ活動の制限の問題が挙 げられる。
ろう学校では、児童数の減少により、スポーツ活動が地域の学校と比べ大幅 に制限されている。(部活動は陸上、卓球、バレーが中心。野球・サッカーとい った地域校にある部活動の体験ができない。)
競技体験の少なさはチームワーク・忍耐力といった学童期にスポーツを通し て体験できる人間的な成長の機会を奪うものであり、その機会の保障は国の義 務である。
一人ひとりの潜在的能力を発掘、開発するための様々な環境面の支援システ ムが必須であることを考えてもその重要性と支援の充実について位置づけてお く必要があると考えられる。
文化やスポーツを享受する権利、機会の平等という総論的な観点からは同等 に議論できるが、個別に議論すべき点もあると考える。
たとえば、競技スポーツでは全国規模、世界規模の大会参加やスポーツのル ールに関する規制などを「障がい者の参加」の観点から議論する必要がある。
人の高度の知的生産活動と身体的健康維持活動として、一体的に議論すべきである。
従来から一緒に扱われているが、ともに論じることは可能である。
文化とスポーツはその内容と目的が異なるので、項目を分けて議論をする必要がある。
(3)レクリエーション、余暇、観光といったことに触れなくていいか
権利条約でも、「文化的な生活」という言い方の中で、レクリエーションや余暇、 観光等に言及しており、これらも広く含めて議論すべきである。
触れるべきであると思う。レクリエーション、余暇、観光を実際に行うために、施設等周囲の合理的配慮も重要になる。
レクリエーション、余暇は含める。
観光はこれらに含まれる場合もあるので、特記しなくともよい。
障害者の権利条約第30 条がカバーしているように、レクリエーションと余暇 (レジャー)そして、観光についても触れるべきである。
権利条約で「レクリエーション」「余暇」「観光」に言及しているので、議論する必要がある。
2、文化やスポーツに関する問題点
(1)文化やスポーツを行う上での物理的な環境や社会的理解等について、どのような問題があるか
さらに、著作物の利用のための情報保障が、著作権法上の理由でできない問題はなお残されており、 広く社会的理解と対話を深めながら、制度的な面での解決が求められる。
公共施設において大会や各種イベントなどでの利用に関する配慮はあるが、 個別利用に関する利用には、多くの制限がある。また、物理的障壁のために利用できない施設や設備、 機器等も多数存在している。
障がい者専用の文化施設やスポーツ施設は、活動の活性化に役立ち、重要であると考えるが、 一般の文化・スポーツ施設が広く障がい者に対して開かれたものであることも必要である。
まずは合理的配慮が求められる。
その上で、これらを享受する機会の均等化が問題となる。
ろう者や難聴者のスポーツに対するバリアは他の障害と比べ低いとよく言われている。
そういった諸問題が積み重なり、結果としてろう者(デフ)アスリートがほかの障害者アスリートと比べ、 過酷な状況におかれることとなり、ろう者、難聴者スポーツのすそ野が広がらない大きな要因となっている。
文化やスポーツを行う上での物理的な環境や社会的理解等に関する問題として、下記のことが考えられる。
(2)文化やスポーツの機会を享受する上で、利用拒否などの問題点があるか
解決したが、公共機関のプールを精神障害ゆえに、執拗な尋問を受け、その日には使えなかったた例がある またプール利用中は公的介助が使えないという問題がある
公的施設においては表面上はないが、物理的な整備が鳴動との理由での拒否 は民間の施設では時々ある。
今でも、聴覚障害を理由にスポーツクラブへの入会を断られることは少なく ない。そこには「聴覚障害」そのものに対する理解の不足があり、スポーツ分 野のみならず、障害者に対する啓発活動の強化が必要である。
3、行政による支援
(1)文化やスポーツを行う上でどのような行政的な支援が必要とされるか
啓発、条件・環境等の整備、先駆的取り組みへの支援、研究開発などが考えられる。
なお文化的生活への参加が権利であるという視点に基づき、これを保障する ための支援となるような制度設計がなされるべきである。
【中西委員】
合理的配慮の提供
【久松委員】
幼少期から、教育機関をはじめとする、すべての生活に手話通訳をはじめと する本人の希望するコミュニケーション手段を選択し情報保障に対応できるこ と。これにより、地域校に障害者が編入した場合、本人の希望する情報保障に 対応できる人材を教育機関は常に確保しなければならない。その結果、地域校 内での障害認知が飛躍的に向上する。 また、大学もそれに対応する教育課程の作成が必要になる。 地域の学校の場合、学童期からのろう学校・盲学校等との交流プログラムの 義務化を図る。そこには手話通訳や介助者などが必ず同行し、そのための予算 措置を行政が責任をもって行う。 一般のスポーツイベントにおいて、参加者の人数にかかわらず必要な情報保 障の提供を義務付ける。国や公共団体の行事のみならず、国や地方公共団体の 補助を受ける法人も同様とする。 企業の場合、社会貢献活動に支出した費用に応じ減税を行う、もしくは情報 保障体制について明記のない、あるいは実施されない大会には後援名義を出さ ない等、国を挙げて、情報保障の確保、機会の享受について、政策に明記する。 また障害者スポーツや障害に特化した文化(手話言語文化等)を楽しむ機会 を提供できるよう行政が支援(補助)する必要がある。例えば、CS障害者放 送統一機構が放送している「目で聴くテレビ」と同じように、通常のテレビ番 組では提供できない障害者スポーツや障害に特化した文化を放送できるよう財 政的支援を行い、普及を図ることが必要である。
【森委員】
文化的な生活に参加する権利が確保されるためには、文化施設、スポーツ施 設自体のハード面、ソフト面の充実のみならず、自宅からの移動を含めた活動 を果たすためのすべての過程において、支援体制が整っているかどうかの調査 が必要である。その上で、整備については、大都市部に偏在する傾向が多いと いう地域格差が大きいことにも留意しつつ、都市機能の規模の小さい地域では、 住民の助け合い、地縁があるので、それらの特性に応じた行政的支援を図るべ きと考える。
4、一般の文化・スポーツとの関係
(1)障害に特化した文化やスポーツ育成の必要性をどう考えるか
障害者の文化やスポーツは、これまでも障害者の生きがいや社会参加のため に大きな役割を果たしてきている。また、近年のパラリンピックにみるような、 社会への啓発の効果も大きく、必要であると考える。
肢体や視覚等の機能障害を想定したスポーツ指導者や練習環境等の整備は、 必要であるが、スポーツ指導者については、欧米では、障害の有無に関わりな く同じ指導者が対応している現状もある。
同じ障がいをもつ者同士、技術を高めあい、競いあいたいという当事者の気 持ちは尊重すべきであると考える。
シニアスポーツが一般化しているように、心身機能、身体構造の違いから、 文化やスポーツの独自の発展のための支援が必要である。
必要なのは他のものと平等にスポーツ文化活動に参加できる合理的配慮や所 得保障、介助保障である。 ただし、車いすバスケット等、独自のものを否定するものではない。
基本的には障害に特化したスポーツはあるべきではないと考える。 文化に関しては、特定集団で発展する文化があり、それが権利の侵害でない 限りみとめられるべきである。
ひいては、そういった社会基盤の整備により、次の世代の子どもたちに夢を 与え、望ましいロールモデルとして、ごく自然に成人ろう者、難聴者との交流 が行われるようになる。
障害者が、地域コミュニティで生活していくためにも、同一障害者同士のコ ミュニティが必要であり、その1つの手段として「ろう者、難聴者スポーツ」 は必要不可欠な存在であることを社会に啓発する必要がある。
障害に特化した文化やスポーツの育成は、障害を持つ当事者が主体となって 担うことが必要であり、障害者の障害者による障害者のための文化・スポーツ 政策・運用が行われなければならないと考える。
障害者の文化やスポーツの分野が遅れていることからも、障害に特化した育 成も必要であると考えられる。
(2)一方、一般の文化やスポーツとの間で区別すべきではないという考え方 について、どう考えるか
一方、スポーツでは、マラソンと車いすマラソンが同じ大会の中で行われ、 それぞれ競技として成立している例もあり、区別することが一概に悪いとは言 えない。男女で競技が分けられることと同様と考えられないか。
また、障がい者自身が望む場合には、障がいを理由に一律に排除することな く、一般の大会やイベントに参加する機会を保障すべきである。
なお、一般の文化やスポーツのバリアフリー化だけでなく、障害独自の文化 やスポーツも開かれていくことによって、私達の社会の多様性がさらに豊かに なる。
例えば、ろう者(デフ)アスリートがオリンピックに出場する場合、手話通 訳を含めたあらゆる「障害特性に対応するサービス」を「選手のパフォーマン スに影響する」という理由で受けることができない。
(3)行政上、特にスポーツについて一般と異なる省庁が担当しているが、問題はあるか
障害の有無ではなくスポーツそのものが多様なものとなっていることから福祉とか教育という限定的なものではなく、 省庁横断的な仕組みの創設を検討することが必要である
一般のスポーツを扱う省庁の中に障がい者スポーツの部門を置くことには意 義があると考える。また、関係省庁同士の連携をしっかりはかってもらいたい。
本来は、障害の有無に関わらず、ともに同じ部局が担当すべきである。
【中西委員】
高齢者や障害者対象のスポーツが福祉センターで実施される場合には、事前 の血圧測定など医療的色彩が濃い。
【長瀬委員】
文部科学省が基本的に担当すべきと考える。ただし、リハビリテーションや 健康維持等の側面を考慮し、厚生労働省も一定の役割を引き続き、継続すべき である。
【久松委員】
デフリンピックの存在意義について、多くのろう者(デフ)アスリートがそ の存在意義を認めている一方で、オリンピックやパラリンピックとの違いを選 手たちは感じている。
日本代表として戦いながらも、特にパラリンピックとは、同じ障害者スポー ツであるにもかかわらず、「国や行政からの評価」が大きく異なることや、人々 の注目や評価の違いを選手たちは敏感に察知しており、そこに大きな違和感を 覚えている。
日本の障害者スポーツはリハビリ的な観点から出発しており、そのため、諸 外国とは異なり、同じスポーツであっても一般スポーツは「文部科学省」、障 害者スポーツは「厚生労働省」という異なる省庁が担当してきた経緯がある。
これにより「障害福祉とスポーツ活動は異なるもの」という認識が生じ、同 じスポーツ分野であっても、競技スポーツとなった場合、福祉サービスを受け 取ることが困難となり、行政や一般スポーツ競技団体から、十分な協力や情報 共有がなされない状況に陥りがちである。
文部科学省と厚生労働省がそれぞれ所管の競技団体へ行っている強化費額の 違いやナショナルトレーニングセンターといった、日本のトップアスリートの みが利用できる施設(ハード面)の利用が、障害者アスリートのトップレベル であっても許可されていないといった差別で現れている。
スポーツを1つの分野としてとらえる場合、障害特性に応じた配慮や施策を 一元で行うことが必要である。そのためにも1つの分野を複数省で管理するの ではなく、1つの省庁で管理することは早急な課題として、新省庁の設立、も しくは文部科学省内による障害者スポーツの包括が望まれる。
【森委員】
スポーツ活動においては厚生労働省と文部科学省との役割を密にして、相互 補完的に取り組む必要がある。
5、現行障害者基本法
(1)現行障害者基本法について、上記のほか、問題点があればご指摘をお願いしたい。
文化的な生活への参加が権利であることを、法文上明記すべきである。
第7条の障害者週間について:毎年行われているが、国民への周知が少ない。 障害者を国民が理解する良い機会とすべきで、効果的に事業が展開されるよう、 一考の必要があるように思う。
文化的な活動への参加、文化的な生活を営むことが権利であることを、明記 すべきである。
障害者スポーツ団体や文化活動を進められているところからのヒアリングが 必要である
ろう者や難聴者の場合、そのコミュニケーション特性やほかの障害者団体と は、障害者運動の形態が異なっていることもあり、行政からの万全のサポート を得ながら競技活動を行っているわけではない。
しかし、それら障害者に対する理解の向上は、本来行政が大きな方針をもっ て施策として推し進めるものであり、個人の努力や資質によるものではないこ とを障害者基本法に強く明記すべきである。
中村有紀・及川力・大杉豊(2008) デフリンピック選手候補の競技環境と意 識に関 するアンケート調査報告書 筑波技術大学障害者高等教育研究支援セ ンター