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障がい者制度改革推進会議 資料4 第37回(H24.1.23)

障がい者制度改革推進会議
東日本大震災被災地調査報告 福島

2011年12月15日(木)

○ 被災地障がい者支援センターふくしま

○ 福島県保健福祉部障がい福祉課

○ 障害者事業所「デイさぽーと ぴーなっつ」

2011年12月16日(金)

○ 南相馬市内の事業所等訪問

○ 南相馬市社会福祉課障害福祉係

まとめ

2011年12月15日(木)

○ 被災地障がい者支援センターふくしま

【尾上委員】

JDF被災地障がい者支援センターふくしまでは、11月にオープンされたばかりのサロン「しんせい」で白石代表のお話を伺った。

●「しんせい」は「交流と情報交換の場」として現地での活動のワークショップ等も展開されている。他方で、神奈川県相模原市に避難拠点をつくり避難体験等も企画されている。

→★現地での支援の展開と他方での県外避難拠点の運営という「双方向」での活動をしなければならないところに、原発事故の影響による福島の人たちの被災の深刻さが凝縮されているように感じた。


●放射能は見たり嗅いだりということがないのに比して、避難にかかる負担はイメージしやすいために、「引っ越しする方が大変だ」という結論になる傾向がある。特に、物理的な面や避難先での支援確保の大変さ等から、障害者は特にそうなりやすいとのことだった。

→★原発事故の影響、放射能の危険性について正確な、包み隠さない、分かりやすい情報公開・提供がなされることと、避難に伴う負担や避難先での支援確保が容易になるような方策が求められるのではないか。


●前記の項目に関連して、避難に伴って住み慣れた自宅に比べて介護等の必要な支給量が増える場合が当然あるが、その分の費用については国が100%責任を持つ等が、現地からの要望としてあった。(避難先の状況に応じた支給決定については厚生労働省から通知は出されているが、結局、その変更に伴う費用負担を自治体が忌避して、認められにくい)

●原発事故への補償の手続きが複雑で、分かりやすい情報提供・説明が必要になる。そのため、被災地支援センターはJDF、日弁連などとともに学習会を開催することになっており、その準備を進めておられる。

→★こうした取り組みを参考にして、東電や政府がもっと積極的に取り組んでいくことが求められるのではないか。


●また、県外避難の方も含めて住宅確保の相談、そして日中活動の確保についての相談が多いとのことだったが、今後、より身近な地域での相談支援が課題になるとのことだった。

→★相談支援を経て、地域生活が送れるような支援につなげていけるよう、復興策の実施の中で地域生活基盤の整備がしっかりとなされていくことが必要である。


●南相馬市の作業所では人が戻ってきておらず支援スタッフが不足しており(後述)、全国から応援で入っているが、そのコーディネートも被災地支援センターでは行っておられる。

→★現在もなお継続した支援が求められる状況にあることをしっかりと受け止めていく必要がある。


【新谷委員】

被災から9カ月以上が経過している。「被災地障がい者支援センターふくしま」の役割・活動も当初の復旧支援から、中長期の問題にどのように対応していくか、過渡期の課題に直面している。

障害当事者の集まりとして、個別の相談支援活動に加え、「交流サロンしんせい」の開所、神奈川県相模原市での県外避難者のための避難拠点「シャローム」の設置、「つながり∞ふくしま」南相馬ファクトリーの缶バッチ製作支援など、創意ある活動が展開されている。福島県の場合、放射能汚染の問題が深刻である。原発事故処理が30-40年とすれば、支援活動は長期というより固定的な支援であり、健康・環境への影響を考えれば、「新しい地域の再生」ということになる。国、県、市町村との協働は当然であるが、民間団体、特に障害者当事者としての独自の集まりが持つ役割は大きい。「センターふくしま」はその担い手として、今後形態を変えながらも活動していくことが期待される。センターは現在県の相談事業の委託を受けているが、今後の長期的な運営基盤をどのように整えていくか?行政の委託事業、補助金などの活用に加えて、全国的な支援運動の展開も考え、NPOなどへの法人化を視野に入れる時期と感じた。

【関口委員】

開設されていた本部はJDFみやぎ支援センターの事務所(3カ所)と大差ない感じだった。サロンしんせいは、明るい感じだが、サテライトの自立生活センターを相模原市に作り、そこを避難拠点とし、避難体験ツアーを2~3月に予定している、とのことで、障害者の避難を進めると言う側面と、残らざるを得ない人への対応と言うことで苦労すると共に、出来れば避難を勧めて行きたいという部分が見えたのが印象的だった。全体を通じて1つのガイガーカウンターも見なかったのは、かえって異様に感じられた。

【堂本委員】 現状

福島県では、多数の障害者が所在不明。そのためセンターでは「障害者支援」について知らせるリーフレット3万枚を仮設住宅に配布した。

県からの委託事業として、センターでは事務所での相談支援業務、仮設住宅への巡回相談、県内各福祉圏域にアドバイザーを設置。300件の相談に対応した。2011年11月交流スペース「しんせん」を開設し以下の事業を展開。

  1. 相談事業
    • (ア) 住居、就労など
    • (イ) 放射能問題
  2. 障害者間の情報交換、交流、親睦(昼食会やコーヒータイム)
  3. 障害者団体の戦略会議開催など、障害者への対応策を協議する中心的な場所として機能している

課題

行政が十分に対応できずにいる領域で、民間が肩代わりしていた。医療におけるDMAT(災害派遣医療チーム)のように、災害時における、民間による障害者支援システムを作る必要があるのではないか。この場合、医療分野と異なり、福祉分野については国からの人的、財政的バックアップを厚く行うことが求められる。

○ 福島県保健福祉部障がい福祉課

【尾上委員】

●県独自の事業として、相談支援充実・強化事業や子どもの発達支援事業、就労支援事業等を行っている。独自の就労支援事業は、自立支援法の事業の支給決定のプロセスを経なくても使えるようにし、駆け込み寺的に使ってもらえるようにしたいとのことだった。


●要援護者数の把握は市町村が基本とのことで、県としては把握されていないとのことだった。来年度予算で障害者の調査を行うとのことであった。

→★県からの資料でも社会福祉施設の被害状況は一定まとめられていたが、在宅の障害者の把握が遅れていることが伺われた。被災後の障害者の安否確認、実態把握についてのシステム、方法、担当部署が検討されることが必要ではないか。


●県担当者からも被災からの復興にあたっては入院一辺倒ではなく、地域移行を促進することが重要との認識が示された。

→★地域生活支援を力強く進めていくために総合福祉部会の骨格提言で提起されている地域移行や基盤整備、支援体系等について、被災地で先行実施することも考えられるのではないか?


【新谷委員】

事前に調査項目を連絡しており項目別の回答説明があった。復旧・復興への県としての課題、特に障害者を含む災害弱者の課題を率直に話し合える機会を期待したが、回答項目の説明が大半であった。県としては、進行中の震災への対応に目一杯のところ、推進会議の調査に時間をかけて対応が出来ないといったのが正直なところであったかもしれない。防災は「基本的に市町村の仕事。県は市町村では出来ないところを広域的見地から支援する」という県のスタンスだが、(日本全国そうであろうが)災害以前に県と市町村がそれぞれの守備範囲を話し合い、その連携をどのように保つべきかという視点からの議論は少ないように感じる。

一例として「要援護者名簿」を挙げると、福島県の説明は、「要援護者名簿の作成は市町村の仕事で、市町村に確認しているが回答はない。原発避難もあり障害者の状況の把握は困難。」というものであった。

平成18年3月に策定された「災害時要援護者の避難支援ガイドライン」は

「災害時要援護者の避難支援については、①防災関係部局と福祉関係部局等の連携が不十分であるなど、要援護者や避難支援者への避難勧告等の伝達体制が十分に整備されていないこと、②個人情報への意識の高まりに伴い要援護者情報の共有・活用が進んでおらず、発災時の活用が困難なこと、③要援護者の避難支援者が定められていないなど、避難行動支援計画・体制が具体化していないことの三つが大きな問題点」として指摘している。

また、要援護者の避難支援は「自助・地域(近隣)の共助を基本とし、市町村は、要援護者への避難支援対策と対応した避難準備(要援護者避難)情報を発令するとともに、要援護者及び避難支援者までの迅速・確実な伝達体制の整備が不可欠である。また、要援護者に関する情報を平常時から収集し、電子データ、ファイル等で管理・共有するとともに、一人ひとりの要援護者に対して複数の避難支援者を定める等、具体的な避難支援計画を策定しておくことが必要である」と事前の体制整備の重要性を記述している。

広域的な連携の重要性に関しては。

「本ガイドラインに沿った取組は、災害の態様に応じて支援の内容は異なり得るものの、基本的な枠組みはあらゆる災害に対して活用できるものであると考える。そのため、想定される災害等、各地域の実情に合わせて進めていくことが効果的である。加えて、国、都道府県、市町村をはじめ関係機関等は、要援護者の避難支援の担当部・課等を明確にする必要がある。」となっている。

今回の災害に対して「要援護者名簿」は活用されなかった。「福祉避難所」が設置され、有効に機能したという事例も見ない。災害がガイドラインの想定を超えたものであったのか、ガイドラインの求めるものが都道府県、市町村の行政能力を超えるものであったのか、実行可能なものでありながらさまざまな要因から実行されなかったのか、要援護者支援の事実の検証と改善策の検討が必要と考える。

【関口委員】

自主避難の前提になる簡単な放射能分布図すら提示されなかったのは、驚きであった。精神については、自立支援医療の資料が提示されていなかった。持っているのに出さなかったとすれば馬鹿にした話だ(出して欲しいとお願いはしてきたが)。災害対策部局と障害部局の連携がまだうまく行っていないのは問題(要支援者名簿の共有等)あり。双葉病院事件について何故避難が16日まで掛かったのか質問したが、明確な答えはなく、新聞等であれだけ騒がれたのだから、新聞に載せても良い、県としての公式見解が欲しかった。

【堂本委員】 現状

  1. 津波で被災した地域と放射能汚染によって避難区域に指定された地域の市町村役場においては、行政が十分に機能しておらず、県が市町村業務を補完していた。
  2. 24年度も、仮設住宅の建設、除染作業、経済復興などの業務に追われ、障害者の被災状況の実態調査ならびに支援を丁寧に行う余裕はないとの印象を受けた。
  3. 平時における、障害者に対する福祉サービス、あるいは差別、そして施設や精神病院への収容の実態が大規模な災害によって顕在化していた。

課題

  1. 今回のような大規模災害の場合には、県や市町村の行政が、障害者や高齢者など福祉領域に対応できない状況に置かれる可能性が大きい。したがって、国または他県から緊急時に招集できる支援システムを、平時から構築しておく必要がある。
  2. 仮設住宅の建設については、県の事業となっているため、障害者は具体的な不便を市町村に訴えても、市町村は県に伝えることしかできないといい、改善がみられない。例えば、スロープがないために車椅子で入れない、トイレが使用できないなど、障害者個人の障害特性に即した仮設住宅が作られていない。これを解決するには、平時から当事者である障害者が、災害時対策の意思決定過程に参画できるシステムの構築が必要と考える。以下に示す「東日本大震災からの復興の基本方針」が根拠となるものと考える。

「東日本大震災からの復興の基本方針」より引用

1 基本的考え方

(ⅸ)男女共同参画の観点から、復興のあらゆる場・組織に、女性の参画を促進する。あわせて、子ども・障害者等あらゆる人々が住みやすい共生社会を実現する。

5 復興施策

⑤市町村の計画策定に対する人的支援、復興事業の担い手等

(ⅳ)まちづくりにおいて、協議会等の構成が適正に行われるなど、女性、子ども・若者、高齢者、障害者、外国人等の意見が反映しやすい環境整備に努める。

○ 障害者事業所「デイさぽーと ぴーなっつ」

【尾上委員】

●南相馬市は震災前には7万1千人が住んでいたが、地震・津波と原発事故の避難により1万人まで減った。現在4万2千人だが、障害者が徐々に戻ってきているのに比して、スタッフの方は足りない状況が続いている。スタッフの疲労も限界で、かつ、仕事もなく困っている。そのために、缶バッジ等の共同の事業等の取り組みも進めておられる。


●逃げたくても逃げられなかった人たちの多くが障害者や高齢者だったとのことだった。最初、安否確認・調査は要援護者名簿に基づいてやっていたが、手上げ方式のため漏れる人が多いこと、名簿が古い等の問題があった。それで、最終的には市による名簿の開示の上での調査になっていったとのこと。現在の要援護者名簿のつくられ方、更新の頻度、活用方法など多くの課題が示されている。


●原発の20km圏内に住んでおられた身体障害者からの話では、最初親族の家に避難したがトイレを使うことができなかった。震災前までは、自宅を改造して使えていたので大変だった。そのために、震災後7カ月、入所施設での生活となった。9月から仮設住宅に戻ることになって、バリアフリーの仮設住宅を要望したがかなわなかった。要望をして仮設住宅の周りは舗装されたが、入り口のスロープはつけてもらえず、取り外し式のスロープを出入りの度にかけて使っている。トイレも使えないのでポータブルトイレを買って使っている状態とのことだった。

→★上記のことの背景には、行政システム的な問題がある(後述)。仮設住宅のハード面は県の管轄のために、市に改修を訴えても対応してもらえない。また、当初、障害者、高齢者が優先的に仮設に入居することになったが、その時点ではバリアフリーのタイプがなく、バリアだらけの住宅に障害者、高齢者が入り、その後、建てられたバリアフリー仮設に障害のない人たちが入居するという事態になっている。バリアフリー仮設への住み替え等も認められるようになってきているが、すでに仮設住宅の中での近所つきあい(コミ ュニティ)も形成された後で、転居を望む人は少ない様子だった。


【新谷委員】

南相馬市の障害者、支援団体との話し合いを「デイさぽーとぴーなっつ」で行った。障害当事者、相談コーディネータ、相談支援員、保育園長、老人施設長など皆さんの参加があった。

南相馬市は、地震・津波・原発事故の現場である。人口は7万人だが、現在は4万人。現在の状況を「農家はコメを1年間分ぐらい持っている。水・電気があれば、避難しないで自宅にいたいと。しかし、子どものいる家庭は避難している。障害者・高齢者だけが南相馬市に残ることになる。」と「デイさぽーと ぴーなっつ」の代表は説明している。翌日の朝のJR原ノ町駅では奇妙な光景が見られた。構内には、震災以来止まっている電車が放置されているが、駅前には多数のバスが停車しており、近郊から自家用車で集まってきた人がバスに乗って各所に散っていく。「南相馬市には日中人がいても、夜は人がいなくなってしまう」という説明があったが、朝のJR原ノ町駅はその現実を映し出していた。

放射能汚染で、農作物の栽培、除草などの仕事がなくなり、南相馬市の作業所が連携して南相馬ファクトリーを作り、缶バッジの製造・販売している。同封されているのはヒマワリの種。缶バッジの販売が、作業所の仕事を作り、働く人の給与となる。新しい支援の仕組みと言える。

しかし、多くの作業所にスタッフは戻ってきていない。「避難した利用者は生活困難で戻ってきた。しかし、スタッフの半分は戻っていない。スタッフが戻ってこないので、利用者が戻ってきても手が足らない。スタッフが倒れてしまう心配。」という悲痛な声がでた。福島県福祉事業協会の説明では「今は千葉の鴨川に施設は避難中。除染が進まず、スタッフが戻らないので、施設の状況が整わない。鴨川に移ることは本人・家族に説明した。自宅に引き取った人も多い。行政の支援はない。鴨川に移ったのも亀田病院の紹介。今は、東京、千葉、奈川のスタッフも鴨川に入っている。職員は当初旅館利用、その後アパートを借りて勤務。ほとんど家族とバラバラ。」という状況である。

放射能汚染は、行政も未体験な災害である。除染は漸く国の主導で開始されているが、線量測定については、「県民は1年1回測ることになったが、子ども優先。線量測定を見て、避難するかどうかは自己判断。線量が多くても居続ければ、その被害は自己責任。線量オーバーの子どもを守るため、親の判断で週の半分は山形に避難の人もいる。」と説明があった。災害・緊急時の避難について、国の基本的な考えは「災害時要援護者の避難支援ガイドライン」が記述するように、「「自助・地域(近隣)の共助を基本とする」ことにあるようだ。放射能汚染は現在進行中の災害なので、「自助が基本」とされるのか?「残った人は自己責任だからと言われる。それはないだろう。
ここから逃げろと市は言った。だから残れば自己責任なのか・・・という参加者の発言への回答が必要である。

【関口委員】

職員の半数が避難してるとのこと。残るのは自己責任と言われたというのには怒りを共有した。逃げたいけれども逃げられなかったのが高齢者、障害者とその家族だ、とのことで避難することの出来ない弱者が障害者という現実を知った。事業の必要性というかニードがあって運営しているのだが、家族離散が多いとのことで、子供のいる職員に戻って来いといえる線量レベルではない、というのが印象的だった。残っている滞在者にも賠償が行われるべきとの国際人権NGOヒューマンライツナウの考え(参考資料1)を紹介した。

資料1:

ヒューマンライツ・ナウ(HRN)メールマガジン 2011年12月2日(金)発行~地球上のすべてのひとたちのかけがえのない人権が守られるように~ より

いわゆる「自主避難者」への賠償責任のあり方について
(2011年12月1日 特定非営利活動法人ヒューマンライツ・ナウ)

原子力損害賠償紛争審査会において、いわゆる「自主避難者」に対する賠償責任にあり方が議論されており、12月6日には一定の方向性を示す予定とされている。

国際人権NGOヒューマンライツ・ナウは、避難指示の有無にかかわらず、自然放射線を除く年間被ばく量が1ミリシーベルトを超えるすべての地域に住む住民への住民保護のための措置を求め、なかでも、上記地域に住むすべての人々に選択的な「避難の権利」を認めるべきと主張してきた。

自主避難者に対して賠償を認める議論はその意味で評価できるものの、問題は賠償の内実である。

そこで、下記のとおり意見を述べる。

1.対象地域について

審査会は、「自主的避難等対象区域」を設定するとするが、賠償を認めるべき対象地域は、少なくとも自然放射線を除く年間被ばく量が1ミリシーベルトを超えるすべての地域を包摂すべきである。

国際放射線防護委員会(ICRP)は、公衆被ばくの実効線量限度を1mSv/年 とし(最近では2007年勧告(Pub.103))日本は自然放射線を除外する条件でICRP基準を国内に取り入れている。

こうした従前からの基準を緊急時であるからとして変更し、被害者住民にその負担と損害を押し付けることは正当ではない。

公衆被ばくの実効線量限度1mSv/年という国際基準に照らせば、これを上回る放射線汚染下において、住民が健康被害を回避するために避難することは正当であり、これらの住民の避難に基づく費用は、相当因果関係に立つ損害であって決して個人が事故の犠牲と負担を甘受すべき損害ではない。

チェルノブイリ原発事故後、旧ソ連、ロシア共和国、ウクライナ共和国などにおいて、事故による年間被ばく量が5ミリシーベルトを超える汚染地域が移住地域と指定され、年間被ばく量が1ミリシーベルトを超える地域の住民が国の援助と補償に基づく避難を受ける権利を認められ、食糧、医療、生活手段の援助がなされている。

今回の事故における賠償措置が旧ソ連等の措置を下回る事は許されない。「自主的避難等対象区域」は、自然放射線を除く年間被ばく量が1ミリシーベルトを超えるすべての地域を包摂すべきである。

2.賠償の期間について

除染等により、自然放射線を除く年間被ばく量が1ミリシーベルトを下回るまでのすべての期間の損害を対象とすべきであり、事故から一年などという区切りはすべきでない。

中間指針追補(案)(第17回審査会配布資料)は、避難に伴う賠償の認められる期間を「第二ステップ終了後」「事故から一年」などに限定しようとしているが期間を限定する正当な根拠は何ら見いだせない。

自主避難に対する賠償を認める根拠は、公衆被ばくの実効線量限度1mSv/年という国際基準を超える環境において人々に取り返しのつかない健康リスクが発生する危険性があるため、住民がこうした健康被害を回避するために避難することに正当性があるからである。

賠償の打ち切りによって、未だ健康被害の危険性が除去されていない地域に、住民が帰還を余儀なくされるようなことがあってはならない。

また、今後も、被曝リスクの増大と健康被害の拡大等の状況に鑑み、自主的避難をする人々が益々増えると予想され、また明らかに避難を推奨して健康被害を守るべきケースは多い。

こうした中、賠償の期間を限定する議論は被害者の切り捨てにほかならない。従って、除染等により自然放射線を除く年間被ばく量が1ミリシーベルトを下回るまでの間、避難することは正当であり、賠償は、除染等により自然放射線を除く年間被ばく量が1ミリシーベルトを下回るまでのすべての期間とすべきである。

3.賠償すべき損害額について

避難者に対しては避難指示を受けた者と同様、避難に要するすべての費用・損害の賠償が認められるべきであり、今後避難する人も同様とすべきである。

滞在者に対してもその地域で暮らすことに伴う損害に対する相当の賠償がなされるべきである。

中間指針追補(案)は、「自主的避難者と滞在者の損害額は基本的に同額とすることが妥当」とする。

しかし、一律に同額とすることは、損害を引き下げ、避難と相当因果関係に立つ損害のうち一部を避難者がその犠牲と負担で甘受しなければならない危険性をはらむ。

チェルノブイリ事故後のロシア法等の対応においても、避難の権利区域(追加放射線量が1ミリから5ミリシーベルトの範囲の地域)において避難を選択した者には避難に基づく全ての費用と生活費の一部を国が賠償し、避難を選択しなかった者には月額の賠償金を国が賠償するとともに安全な食糧供給や手当支給をしており、同額の賠償ではなく、被害に即したきめこまかい賠償措置が講じられていることを留意すべきである。

よって、自主的避難者に対しては避難指示を受けた者と同様、避難に要するすべての費用・損害の賠償が認められるべきである。

そして、現在避難している人だけでなく今後避難する人も同様の賠償を認めるべきである。

また、滞在者に対してもその地域で暮らすことに伴う損害に対する相当の賠償がなされる必要がある。

事故の深刻性と放射性物質による汚染の健康への深刻な悪影響に鑑みるならば低額な慰謝料支払いの決定により被害を切り捨てることは許されない。

【堂本委員】 現状

  1. 身体障害者、知的障害者、精神障害者の施設と作業所の事業主と利用者が集まり、災害当日やそれ以後の経験を聞いた。
  2. 「ほっと悠」は精神障害者の作業所で、知的障害者、精神障害者合わせて60名が作業をしていた。災害後に半数が作業所に戻ってきている。つまり、避難先に居場所がなかったということ。しかし、災害前は「就労B型」でやっていたが、災害直後は仕事がなくなってしまった。その状況下で、利用者は戻ってきたが、職員は女性スタッフが多かったため、子どもを持つほとんどの職員が戻って来ていない。現在も人材不足の状況にある。


個別事例)

紺野正直さんは、災害当日は自宅に留まっていた。原発事故で叔母の家に避難したが、トイレが使用できないため施設に移された。9月に、南相馬の父と姉が住む仮設住宅に移ったが、そのトイレも使えなかったため、市役所に障害者も使用できるトイレの設置を求めるが、断られた。現在、ポータブルのトイレを改造して使用している。

震災後の様子を語る紺野さん。

震災後の様子を語る紺野さん。

懇談後に談笑する紺野さんと尾上委員。

懇談後に談笑する紺野さんと尾上委員。

課題

障害者に対しての対応:紺野さんの事例のように、障害特性に合わせたトイレしか使えないケースもあり、個別に仮設住宅を建設する必要がある。しかし、現在の制度では、市のレベルで自由な設置が許されていない。南相馬市は下記のように国に要望している。


「緊急時避難準備区域解除に係る復旧計画」(南相馬市)

応急仮設住宅の部屋ごとの広さは、災害救助法で基準が示されているが、身障者の方々が使用するためには、トイレや部屋が狭いことなどの障害があることから、面積基準の見直しを願いたい。

2011年12月16日(金)

○ 南相馬市内の事業所等訪問

【尾上委員】

●南相馬市内の精神障害者等の作業所やグループホームを運営されている事業所を訪問した。3月12日の原発事故については何も知らされず、普段通りに外で仕事をしていた。その後、避難指示が出て、山形県まで避難された。十分なスペースの部屋が借りれなかったり、偏見などで大変な避難生活を過ごされた。原発事故の影響の中で、精神病院に避難入院をせざるを得なかった人もいたが、出たくても行き場のない人がいるとのことだった。


●仮設住宅に、60才代の車いすの方と、80才代のお母さんと二人で暮らされている仮設住宅を訪問させて頂いた。玄関の二段の段差に加えて、室内にさらに一段の段差があり、風呂等もバリアだらけのところに住んでおられた。外につながっているのは、その段差だらけの玄関だけなので、台所付近で火事が起きた時には逃げるルートがなく不安との訴えがあった。


●地域活動センターなどが母体になり、4月から就労支援としてオープンする事業所を訪問。5月から実際には受け入れを始めたが、事業所認可が降りたのが8月で、7月までは無収入の状態が続いた。現在、室内でできる内職を中心に行っているが、屋外での畑作業や草刈り作業が原発事故の影響でできなくなり収入が減っている。また、企業が町に戻ってきていないので仕事が続くかどうかが不安とのことだった。


【新谷委員】 ①NPO法人あさがお(南相馬市鹿島区)訪問

朝、警戒区域への南相馬市側入り口、津波被災地を視た後、NPO法人あさがお(南相馬市鹿島区)を訪問した。B型就労継続支援施設やグループホームの運営を行っており、理事長以下50名位の施設利用者に集まって頂き懇談した。精神障害の利用者が多いが、「被災時には一般の避難者も受け入れた。3月11日の震災の後、グループホーム利用者や一人暮らしのひと18名と一緒に、3月17日に山形県上山市に着き、3月31日まで避難生活を送った」とのこと。上山市の避難所では2部屋しか借りることが出来ず、「精神障害だから皆と同じ表からは出入りしないでなど差別的なことがあった」と説明された。


②西町第一仮設視察

バリアフルな仮設住宅の実例を見た。昨日の懇談でも話題になったが、仮設住宅のハード面は県の管轄、市は用地の準備のみで改修には対応しない。当初障害者や高齢者が優先的に入ったのは今回見たようなバリアフルな応急仮設で、そのあとバリアフリー仮設が出来るというミスマッチが起こっている。12月になってバリアフリー仮設への転居も認められるようになったが、現在のところで人間関係が出来ているので、転居を望まない人が多い、というのが昨日の話であった。

緊急時には欠陥仮設でも建設を急ぐべきか、緊急時であっても欠陥仮設ではなくバリアフリーな仮設を建設すべきか課題はある。しかし、昨日の福島県との話し合いの流れでは、「バリアフリーな仮設」という問題意識が当初薄かった印象を受ける。

③NPO法人原町ひばり(南相馬市原町区)訪問

就労継続支援B型施設。震災前に2つの地域活動支援センターと1つの小規模作業所を一緒にして事業移行、3月10日に建物が完成し引き渡しを受けた直後の3月11日に震災が起きオープン時、行政からは「開けて責任が取れるのか」と言われた。事業の認可が下りたのは8月10日。その間、事業所として無収入だったとのこと。以前取組んでいた畑作業や草刈り作業は、原発事故の影響でできなり、「南相馬ファクトリー」の缶バッチの生産に取組んで一息ついている。その他、ゴム製品のケバ取りやリード線伸ばしが主な作業。「内職中心で稼ぎにならないが、利用者は日中の居場所があるのが何よりと言っている。」と説明があった。

【関口委員】

NOP法人あさがおにて。精神障害者の多い事業所である。グループホームで暮らしてるとのこと。アパート暮らしが出来ていた人がグループホームに入らざるを得ないのには、納得できない。新規にグループホームを創るのには、市が生活保護が増えると言う理由で反対するとのこと。人口71000から41000に減り今も減少傾向の所に創るべきかどうかという問題は措くとしても、率直に言えば、生活保護を取ると言う前提ならば、私ならあらゆるツテを使って遠隔地の良質な病院に避難入院した上で、その地で保護を取り、双相地区から逃げ出すと思う。

西町第一仮設。避難の際に早めに入った仮設ではバリアフリーに何の配慮もされていなかったとのこと。実物を見てこれは酷いと思った。

NPO法人原町ひばりにて。缶バッジの生産の見学。周りの工場が戻って来ないとのことで、社会資源が不足し、産業が不安定なので、仕事が続くかどうか不安、医療もなく、以前取組んでいた畑作業や草刈り作業は、原発事故の影響でできないとのこと。

【堂本委員】 1 NPO法人あさがお ~就労継続支援B型、グループ、ケアホーム、居宅介護
現状

精神障害者を対象とした施設。避難所に馴染まない人や、精神病院から退院してきた人たちが、このグループホームに滞在している。定員7人だが、行く所がない人達も加わり、現在は11人が入所。災害後は、豆腐や味噌を作る仕事も十分になく、利用者一人あたりの収入が月額7~8千円となってしまった。


個別事例:藤澤さんのケース)

被災後、精神病院に避難入院をさせられた。しかし、それは措置入院であったために、それまでは持っていた運転免許証を使用できなくなった。それまでは作業所に通い、アパートでの一人暮らしを10年続けてきた。退院を希望しケースワーカーに相談したところ「あさがお」を紹介され、今ではグループホームで生活するようになった。「入院を希望する人はおそらくいないと思うが、外に住む所がなく、または住める自信がないため、災害後やむなく精神病院にとどまっている人は多い」という。

冷たい雨の中、皆さんで見送ってくださった。

冷たい雨の中、皆さんで見送ってくださった。

課題

非自発的に避難入院をさせ、それが措置入院であるために、災害後の生活に多大な影響を与える(藤澤さんの場合には運転免許証を取り上げられた)など、非常に不条理と言わざるを得ない。

2 西町第一仮設住宅 現状

阪神・淡路大震災の中古仮設住宅を用いた住宅であり、セメント土台の上にプレハブ住宅を設置するため、必然的に入り口の段差が大きくなる。

個別事例:菊池清子さん親子)

母の菊池清子さんは81歳。ひざの関節炎で歩行が困難である。そのため入り口にある段差の登り下りが不可能。娘の菊池まさ子さんは、脳性麻痺で半身不随。避難所では、12日もの間、車椅子から下ろしてもらうことができなかった。仮設住宅は段差が多いため、この仮設住宅のトイレにもお風呂に入ることができない。したがって、お風呂には入れず、ポータブルトイレを脇において使用している。その後始末をするのは、81歳の清子さん。困難な状況で生活している。車椅子で外に出るためにはスロープが必要だが、仮設住宅間の幅が狭いため、設置することはできない。

仮設住宅の入り口の段差。

仮設住宅の入り口の段差。

足の悪い菊池さん(母)にとって、段差の多い仮設での暮らしは辛い。

足の悪い菊池さん(母)にとって、段差の多い仮設での暮らしは辛い。

重度の身体障害のある菊池さん(娘)は高齢の母と二人暮らし。

重度の身体障害のある菊池さん(娘)は高齢の母と二人暮らし。

バリアだらけの仮設住宅でも、近所の人間関係ができたので、離れがたい。

バリアだらけの仮設住宅でも、近所の人間関係ができたので、離れがたい。

課題

高齢者であったり、重度の身体障害者であったりする人が生活できない仮設住宅であり、バリアフリーの仮設住宅には、むしろ健常者が入居している。障害者や高齢者を最初に仮設住宅に移したため、このようなミスマッチが起きてきている。本人達は、ここのコミュニティの方に支援されているため、今からバリアフリーの仮設に移ることを望めない状況ができてしまっている。

3 NPO法人原町ひばり ~就労継続支援B型 現状

震災後、スタッフが避難所を周り、全員の安否を確認した。避難所に対応することができず自宅に残ったり、親類宅に居候したりした人もいるが、5月の連休に多くの人が南相馬市に戻ってきたので、作業所を再開した。しかし、事業認可が下りたのは8月下旬で、それまでは行政からの支援がもらえず無収入だった。以前行なっていたのは、畑仕事や草刈りの作業だったが、原発事故の影響でできなくなった。

震災直後の4月にオープン。7月までは事業所への報酬はゼロだった。

震災直後の4月にオープン。7月までは事業所への報酬はゼロだった。

今の仕事が続くか、不安は絶えない。

今の仕事が続くか、不安は絶えない。

課題

平常時の規制や制度を、災害時にも厳守することは望ましくない。柔軟に対応できるように、制度の抜本的改革を希望する。

○ 南相馬市社会福祉課障害福祉係

【尾上委員】

●冒頭、南相馬市よりJDFの被災地支援・協力に対しての感謝が述べられた。南相馬市では要援護者名簿を2010年10月に完成したが、手上げ方式だったため限界があった。また、名簿作成までで個別計画までは整備できていなかった。まして、原発事故を想定されたものではなかった。そうしたことから、障害者の安否確認・調査を行うことにしたとのことだった。


●放射性物質の除染には時間を要し、2~3年スパンでの支援がほしい。特に、厚労省で震災後認めてもらっている運用・事業の延長をお願いしたいとのことだった。


●仮設住宅について、最初からバリアフリーであればよかった。仮設住宅は県の業務で、市町村の役割は必要戸数の要望把握と土地の提供まで。最初の要望戸数の把握段階では、バリアフリー仕様の仮設は入っていなかった。そのために、最初にできた仮設住宅にはバリアフリーのものがなく、後の要望把握でバリアフリー仕様のものができあがっていくということになった。仮設住宅はバリアフリータイプが基本になるべきだとのご意見を頂いた。

→★南相馬市の障害者から聴いた、障害者、高齢者が入居する時にはバリアフリータイプのものがなく、障害者・高齢者の入居が一段落してからバリアフリー仮設がつくられていくというのは、こういう「行政のシステム的問題によってつくりだされたバリアー」と言える。南相馬市の行政担当者も指摘されている通り、仮設住宅の基本をバリアフリー仕様(ユニバーサルデザイン)とすることと、優先入居時に間に合うような建設調達方法を考えるべきである。


【新谷委員】

部長は市議会対応のため挨拶のみ。社会福祉課長以下との話し合いになった。最初、事前提出の質問書への回答説明を頂いた。問題と感じた点を下記する。

①障害者数など基礎的な数値。

  南相馬市回答 NHK「福祉ネットワーク]調査数値
調査時点 11月 7-8月電話・FAX調査
回答者 自治体障害福祉担当
人口 71,556人 70,895人
内障害者数 4,280人 4,398人
死亡者数 1,249人 633人
内障害者死亡数 19人 16人

調査時点の差が、上記の数値の変化と推定できるが、障害者総数は約100人減っている。障害者をどのように個別把握しているのか、家族やグループで県外に避難してその数が変化したのか、確認出来なかった。

②安否確認調査

震災直後は残った人の避難計画を作成するために自衛隊がローラー調査を実施し、そのあとJDF福島の調査が行われたが、調査を受ける側は調査目的を理解できず、混乱があったようである。市内人口は出入りがあり変動している。市は人の動きに合わせた、その時点、時点での安否確認の重要性は認識しているが、調査のための人手がないのは事実と思える。

③要援護者名簿の作成、利用について

(名簿の作成)

65歳以上の高齢者または障害者の手挙げ方式。民生委員中心に個別訪問で情報を集め、市で取りまとめたとのこと。平成22年10月に現在の名簿を完成し、地域の民生委員・消防団・区長に配布。市の個人情報保護条例に基づき、審査会で民生委員が情報を得ることについても了承を得ている。民生委員は名簿の全戸を訪問したが、手挙げ方式なので対象者全部の登録には限界があるとのこと。(完全な「手挙げ方式」ではなく、民生委員が個別訪問を実施するなど、ガイドラインに言う「同意方式」に近い形。都市部では民生委員の機能は限定的で、「手挙げ方式」にならざるを得ないが、地域のよっては「同意方式」が有効なのか、検証が必要)

(名簿の利用)

災害前に「手挙げ方式」での要援護者名簿の整備を行っていたが、「要援護者名簿を使用した避難計画の作成、避難訓練の実施までには至っていない。ましてや原発事故は想定外。要援護者名簿は年1回更新することになっているが、今後の名簿は避難者も多く更新ではなく1から名簿の作り直しが必要になる。」との説明を受けた。要援護者名簿は本来随時更新されていくもののはず。南相馬市と理解が異なったが、詰めて話し合いをする時間がなかった。名簿の随時更新とは別に、名簿を利用した訓練(行政から登録者に何らかの連絡をし、返信を貰う程度でも有効)もあって良いと思う。(私の居住区では、登録2年を経過するが、全く行政からの連絡はなく、今回の震災でも要援護者名簿を使った行政よりの情報は皆無である。)

災害後の名簿利用については「小規模災害なら要援護者名簿で回れたが、今回名簿の活用はできなかった。自分の区域の状況を市に伝えた民生委員もおり、その場合は要援護者名簿と照合できた。自衛隊は地図上で見て全戸訪問した。」と市より説明があった。大規模災害の場合、大がかりなローラー捜索・調査が実際的で、要援護者名簿の活用は非常に限定的ということであろうか?

【関口委員】

相談支援機関を増やすとの事。避難民の帰還を既定路線としているようだったが、障害者だけ帰還しても、と思った。総じて、放射能災害への公的機関(前出の県を含む)の取り組みの説明が不足していると感じた。なお、南相馬市に付いては生活保護を巡って係争があったことを後で知った(資料2)。

資料2:生活保護:南相馬市の打ち切り処分 手続き不備で取り消し

福島県南相馬市が東日本大震災の義援金や福島第1原発事故の補償金を収入とみなして生活保護を打ち切った問題で、県は23日までに住民3人の審査 請求に基づき市の決定処分を取り消す裁決をした。市の手続きに不備があったためで、市社会福祉課は「他の世帯についても手続きに誤りがなかったかどうか確認する」としている。

裁決は21日付。3人の世帯は義援金などを収入とみなされ、今年5月に保護を打ち切られたり減額されたため、市の決定を不服として7月、県に審査請求をしていた。厚生労働省は義援金を生活再建のために使う場合は収入とみなさないよう自治体に通知しているが、3人を支援する倉持恵弁護士によると、裁決は市の説明や調査が不十分で、正当な理由のない不利益な決定変更を禁じた生活保護法に違反しているとした。義援金の収入認定の是非については言及していない。

日本弁護士連合会の調査によると、8月時点で福島など被災5県の458世帯が義援金の受け取りを理由に生活保護を止められ、うち233世帯が南相馬市に集中していた。日弁連は11月、「直ちに是正すべきだ」として国や自治体に改善を迫る会長声明を出した。【石川隆宣】

毎日新聞 2011年12月23日 20時50分

【堂本委員】 現状

人工透析患者が病院から受け入れを拒否された方や、避難所で声を出すために居づらくなった自閉症の方などがいた。

課題

震災後ただちに、自衛隊によって災害時要援護者名簿が作成された。しかしその中に障害者が入っていないことがわかり、行政の要請によりJDFとデイサポートぴーなっつが協働で調査に取り組んだ。同調査では「障害のある人たちは、その障害の特性から、障害のない人と同じレベルの生活や社会参加の営みを送っていくことに困難を抱えている。今回の調査結果が示しているように、大災害が瞬時に襲い多くの命が奪われ、その後の生活でも命を脅かすほどの厳しい事態が、生活のあらゆる場面で引き起こされた。」と示しているように、福祉避難所や障害者の特性に合わせた仮設住宅の設置などを、災害時の避難計画として策定すべきである。以下の改正障害者基本法が、その根拠となるであろう。

改正障害者基本法

二十六条(防災及び犯罪) 国及び地方公共団体は、障害者が地域社会において安全にかつ安心して生活を営むことができるようにするため、障害者の性別、年齢、障害の状況及び生活実態に応じて、防災及び防犯に関して必要な施策を講じなければならない。

○ まとめ

【新谷委員】

福島県の場合、原発事故は現在進行形である。被災後の最悪事態から徐々に復旧・復興する、「明日は今日より良くなる」災害プロセスに確信を持つことが出来ない全く未知の対応を強いられている。国・自治体にとっても未体験な事態で、9カ月経過時点でも被災者に過酷な自助・共助が求めてられている。第2次大戦時の疎開と同じく、県外避難は自主判断と説明を受けた。その意味でも原発事故は現在進行中である。

災害時、またその直後の避難行動に自助・共助を求めるのは理解できる。しかし、災害以前そして災害から一定期間経過したのちは、やはり公助が前面に出るべきではないか。避難計画が自助・共助を基本に組み立てられると、災害弱者である障害者・高齢者などは取り残される。「要援護者名簿」のことを再三取り上げるが、随時更新される「名簿」があり、その「名簿」を使った避難訓練(大がかりなものではなく、電話・FAXなどを使った安否確認の試行など)が行われていれば、災害後の安否確認も様子が異なっていたのではないかと思う。平成18年3月に作成された「災害時要援護者の避難支援ガイドライン」は障害当時者を含む災害弱者も入れて、抜本的に見直すべきと考える。

原子力災害については、国家施策や文明史的な問題とも関連し、課題が大きすぎて議論が出来ていない領域だが、短期的にも長期的にも社会的に脆弱な層に一層過酷な状況を強いている。放射能汚染は、長期的に被災者を生みだしていく可能性が大きい。障害者権利条約第11条「危険な状況及び人道上の緊急事態」は
「締約国は、国際法(国際人道法及び国際人権法を含む。)に基づく自国の義務に従い、危険な状況(武力紛争、人道上の緊急事態及び自然災害の発生を含む。)において障害者の保護及び安全を確保するためのすべての必要な措置をとる。」
としている。想定されているのは国際的な武力紛争下における障害者であろうが、原子力事故は自然災害を超えた「自然と人」との間の緊急事態である。障害者権利条約第11条は、最大限拡張解釈して実定法にすべきと考える。