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第9回「障がい者制度改革推進会議」ヒアリングにおける意見書のレジュメ

2010年4月26日

保護者A

私は障害のある中学1年(普通学級)の息子を持つ母親です。

これまで私たち親子が経験してきたことや息子の学校生活の現状から、意見 と願いを申し述べます。

○意見書-1:【発言原稿です】

(1)障害者権利条約の批准に向け、今こそ分離教育でなく、特別支援教 育でもなく、「障害のあるなし、そして障害の種類や程度にかかわら ず、地域で共に学び育つ教育制度への改革」を進めていただきたいと 心より願っています。

また、法改正はもちろんですが、現行の教育制度の中で今苦しんで いる子どもたちにも是非お力をお借りしたいと切に願っています。

○意見書-2:【意見書-1を軸にしながら、当日発言しきれない意見をまとめ ました】

(2)障害の早期発見と称して、障害児に対して、医療による差別、療育 の押し付けはやめてください。

(3)障害を理由に、保育園・幼稚園への入園を拒否するのは差別です。

(4)分離教育への道を6歳の春に決定づける就学時健康診断は、廃止し てください。

(5)障害のある子が普通学級の中で合理的配慮を受けることはあたり前 の権利です。

(6)医療的ケアの必要な子も地域の普通学級で安心して学べる環境を整 えてください。

(7)エレベーターを必要とする子のいる学校にエレベーターを設置して ください。

(8)学校教育における親の付き添いは、生存権、教育権にかかわる人権 問題です。

(9)特別支援教育は、私たちの願う教育とは対極にあります。どんな形で あれやめてください。

意見書-1

本日は、大変貴重なお時間をいただきありがとうございます。

私は、障害のある中学1年の息子を持つ、ごく普通の母親です。

息子は、身体障害のため全介助が必要です。

障害の種類や程度にかかわらず、何ができてもできなくても、当たり前にあ りのままの姿でみんなの中にいたいという考えのもと、親の付き添いなしで過 ごした公立保育園を経て、小学校も地域の普通学級で普通教育を受けることを 希望し、やっとのことで入学通知を手にしました。

しかし、待っていたのは、親の付き添いが条件の学校生活でした。

2年生からは補助員が配置、3年生からはエレベーターも設置されたバリア フリー化された校舎でしたが、小学校では最後まで、校外学習・プールはもち ろん、給食介助等のため日常的に6年間付き添いを強要され、親子で大変な苦 労をしてきました。

もちろん、この6年間、親の付き添いなしの学校生活を求めて要望し続けま した。ですが、教育委員会の回答は、「現行教育制度が想定してない通常学級を 選択したのだから、保護者にも当然、児童の養育介護の義務がある」というも のでした。

つまり、現行法のもとでは、障害児は教育委員会から入学通知を受け取って も、想定外の子、ここにいるはずのない子、いてはいけない子であり、ここに みんなと一緒にいたいなら保護者が付き添えと言われているのです。

息子の場合、その最たるものは、5年生の宿泊学習でした。

私は出来る限り協力はするが、補助員配置のある中、全行程への付き添いは お断りすると言ったところ、息子は当日の朝、1人だけバスに乗せてもらえず 置き去りにされたのです。

事前学習で班やバスの座席も決まり、大きな荷物を持って心はずませて登校 し、お友達も「早くバスに乗りなよ」と息子の名前を呼んでくれたのに・・・。そ の時の写真があります。そこには、無情にも出発する2台のバスと一人取り残 された息子が写っています。

息子は、自分も乗せて欲しいと、去っていくバスに向って必死で手足をバタ バタさせました。

あまりにもむごい学校の仕打ちに、私もその場に泣きくずれました。

この時息子が受けた深い深い心の傷は、決して消えることはありません。

同じ子どもなのに、どうして息子だけこんな辛く悲しい思いをしなければな らないのでしょうか? そしてこの衝撃的な出来事は、私たち親子のみならず、 周囲の子どもたちをはじめ、多くの人たちが、今なお心を痛めています。

このように、親の付き添いの件で、苦しんでいる親子が全国でどの位になる のか調査さえされていないのが現状です。

実際私も、6年間付き添いを余儀なくされ、先日腰痛で動けなくなり、息子 の中学進学にあたって「もう心身共に限界で付き添いはできません」と訴えて いますが、補助員配置がある中でも、教育委員会からは付き添いを続けるよう 求められています。

ですからもちろん法改正もお願いしたいのですが、現行制度の中で今苦しん でいる子どもたちにも、是非お力をお借りしたいと切に願っております。

そして、法改正を進める上で、更にお願いしたいのは、私たちの願う教育と は対極にある、障害の克服を障害者自身に求める特別支援教育は、どんな形で あれ止めていただきたいということです。

具体的に言いますと、これは知人のお子さんの実際の話ですが、体育のリレ ーでは、みんながバトンをつないで走っている間、障害のある子は自分の足で 歩くことを求められ、一人離れて歩行訓練をさせられたそうです。

また、私の息子は、水泳授業で私が付き添いを拒否したところ、見学を強い られました。しかし、学校からは「お子さんを他の子と違う特別な子どもと認 めて特別支援教育を受け入れるなら、付き添いをしなくても学校側でプールに 入れる」と言われました。普通学級で特別支援教育を断ると、子どもは教育を 受ける権利さえ奪われてしまうのです。

「普通学級の中で障害のある子も一緒」と言いながら、そこでは特別支援教 育と称して更なる分離や差別が進められるということです。

宿泊学習に置き去りにされるなど辛いことがあるのに、なぜ普通学級にいる のかと尋ねられたら、「みんなの中にいるときの息子の笑顔が答えです」と、私 は胸を張って言い切ることができます。

障害者権利条約の批准に向け、今こそ分離教育でなく、特別支援教育でもな く、「障害のあるなし、そして障害の種類や程度にかかわらず、地域で共に学び 育つ教育制度への改革」を進めていただきたいと、心よりお願いし申し上げ、 以上、私の訴えとさせていただきます。

意見書-2

(1)分離教育でなく、特別支援教育でもなく、「障害のあるなし、ならびに障 害の種類や程度にかかわらず、地域で共に学び育つ教育制度への改革」をお願 い致します。

(※意見書-1の発言原稿をご参照ください。)

(2)障害の早期発見と称して、障害児に対して、医療による差別、療育の押 し付けはやめてください。

障害児の命の軽視につながる出生前診断は、障害者差別です。

また、乳児健診から始まり各種乳幼児健診が小学校入学前までにありますが、 このような健診で障害が見つかると当たり前のように「分離の始まりである、 発達支援センター、療育施設等への紹介」がされ、親子とも地域の人々から離 された空間で訓練をすすめられ、「少しでも早く障害を克服すること」が、子ど ものためであると言い渡されます。

私もそうでしたが、親も分離教育の中で育った為、ほとんど障害児者と向き 合ったことがなく、専門家と言われる人たちからの声をわらをもつかむ思いで、 そして出口のないトンネルから抜け出そうと、言われるがままその子の障害克 服こそが子どもの為であり、親の義務であるかのように洗脳され、訓練にのめ り込んでしまう親子が多いのです。

実際、私も、息子を一日中訓練し、息子が寝てから全ての家事をするなど、 人間的な生活からはかけ離れた日々を過ごしたこともありました。

(3)障害を理由に、保育園・幼稚園への入園を拒否するのは差別です。

幸い、息子は公立の保育園に入園し、そこでは、素晴らしい人格の園長先生 のもと、分け隔てなく保育され、親の付き添いを求められることもなく、笑顔 あふれる園生活を送りました。そこで、小学校も、みんなと一緒にと思いまし た。

しかし、ほとんどは入園拒否され、小学校前にすでに、共に育つことをあき らめてしまう親子が多いのです。

(4)分離教育への道を6歳の春に決定づける就学時健康診断は、廃止してく ださい。

就学時健康診断(以下、就健)は、「障害児を見つけ出し、子どもを分離する ためのもの」に他なりません。即時廃止をお願いします。

就健を受けることは義務ではありませんし、小学校に入学するとすぐに健康 診断があります。税金のむだ使いでもあります。このことは一切知らされない です。

息子の場合、就健前に、就健の趣旨に反対し受診しない旨書いた手紙(就健 拒否文)を教育委員会に郵送しました。そして地域の普通学級を希望する旨と 就学相談はしませんし、就学指導も一切お断りすることを伝えました。

すると、12月末に就学相談を受けるよう何度も教育委員会から就学指導の 電話があり、そのたびに、就健拒否文の内容どおりなので電話をやめてほしい と伝えました。しかし、電話は続き、あげくの果てには「この電話を録音した」 とまで言われ、怖くなりました。

1月になり、親の承諾なしに就学指導委員会が開かれ「養護学校適」の文書 が届きました。すぐに抗議文と地域の学校への入学通知を出すよう内容証明郵 便を出しました。しかし、他の児童が入学通知を手にする中、息子には届かず、 支援者と共に教育委員会に直接抗議をし、他の児童より1週間遅れてやっとの ことで入学通知を手にしました。

障害児でなければ、何もしなくても当たり前に入学通知が届くのに、障害児 は大変な苦労をして入学通知を手にするのです。

地域によっては、まだこのような理不尽なことは当たり前に起きています。 これも、分離教育が前提になっているからです。こんなに苦労しなければ義務 教育が受けられないことがあっていいのでしょうか。幼児期にも増して、共に 育つ道を諦めざるを得ない最大の理由であると思います。

(5)障害のある子が普通学級の中で合理的配慮を受けることはあたり前の権 利です。

分離の考え方があるからだけとは思えない教師の人権意識のひどさには、絶 望すら感じます。

息子の場合、宿泊学習のための学校との話し合いのとき、私が「みんなと同 じでお願いします」と言うと、「同じでいいなら、バギー(車イス)を押さなく ていいんですね」とか、「ウォークラリーはみんな勝ちたいんです。息子さんが いたら遅くなりますし、街の中はバリアフリーではありません。参加はできま せんよね」などと言われ、合理的配慮どころか、排除の姿勢で、障害者差別も はなはだしいものでした。

普段の学校生活の中でも、バギーを押すことや、体位交換のため抱き上げる ことは、他の児童にはしないことで、特別にその子だけにすることは平等では ないのでやらない。など。教員は平等に児童に対応するので、他との平等を損 なうため合理的配慮をしない、という理論を貫いていたので、息子は担任に抱 っこしてもらえたのは、6年生の最後でした。

障害のため出来ないことを手助けしてもらうことは、あたり前のことなのに、 教育の場でそれを否定するのは話になりませんが、実態はこのようなことが常 にあります。

(6)医療的ケアの必要な子も地域の普通学級で安心して学べる環境を整えて ください。

医療的ケアを必要とする子どもにとって、そのケアは生きていく為に不可欠 であり、日常の生活支援行為です。

現在、特別支援学校では、痰の吸引などの医療的ケアが行われていますが、 普通学級ではなされていない為、学校から排除されたり、親が一日中付き添わ されたりしています。そして家族は、日々の生活をギリギリのところで送らざ るを得ない状況にあります。学校が違うことで、必要なケアを受けられる子と そうでない子が存在してはなりません。

在宅で行っている医療的ケアを「生活支援行為」として、普通学級でも教職 員が行えるようにし、すべての子どもが安心して学校に通えるようにしてくだ さい。

(7)エレベーターを必要とする子のいる学校にエレベーターを設置してくだ さい。

移動に困難のある子どもの場合、エレベーターのない学校では、教職員も子 どもも大変な苦労をしています。

おんぶや抱っこなどの人力での移動は常に危険と隣り合わせであり、階段昇 降機では授業にも間に合いません。移動の度に常に人に頼らざるをえない状況 は大きなストレスであり、休み時間も遊びに出られず、トイレも我慢したり、 介助者に負担をかけないよう体重を気にして食べる量を減らす子までいます。

現在、あらゆる公共施設等にはエレベーターが設置され不自由なく移動が可 能になってきています。一日のうちの一番長い時間を過ごす学校にもエレベー ター設置を義務付けていくべきです。

(8)学校教育における親の付き添いは、生存権、教育権にかかわる人権問題 です。

(※意見書-1の発言原稿もご参照ください。)

付き添い依頼は、学校・行政という大きな力を持ったところから一保護者に 対して行われるという点で、依頼されること自体が強要と同じ意味合いを持ち ます。

付き添い依頼のある所は他の差別的な対応もあること、介助員等が配置され ていても親への付き添い依頼はありますので、これは人手の問題ではありませ ん。

学校から付き添いを求められた親は、働くこともできず、体調が悪くても病 院にも行けず、下の子の育児も家族の介護もできず、家事の時間もとれません。

しかし付き添いを断れば、子どもは授業や行事に参加させてもらえず、子ど もは教育を受ける権利さえ奪われてしまいます。

(9)特別支援教育は、私たちの願う教育とは対極にあります。どんな形であ れやめてください。

あたかも特別支援教育はインクルーシブ教育の一形態であるような言われ方 をされることがありますが、それは全く違います。

私の周りでも、普通学級からの取り出し授業を強く勧められて行き始めたら クラスに居場所がなくなったため取り出しを断ったら「お子さんの成長が止ま ってもいいんですね!」と先生に脅された人がいます。授業のときその子だけ の別教材・別メニューを与えられて子どもが傷ついて悩んでいる人もいます。

先生から多動だからと薬の服用を強要され疑問を感じながらも先生に迷惑をか けないようにと飲ませている人もいます。介助員任せで担任が子どもにかかわ らずクラスから孤立してしまっている子もいます。

特別支援教育によりノーマライゼーションに向かうどころか、普通教育から 排除される子どもたちが増え、普通学級で共に学ぶことはますます困難になっ てきているというのが実感です。

そもそも特別支援教育は、障害のある児童生徒を分けたところで教育する分 離教育を基本としており、さらに教育内容は「障害による学習上又は生活上の 困難を克服するための教育」であり、障害による困難の克服を障害者自身に求 めるものです。

しかし、障害者権利条約でも述べられているとおり、普通教育からの排除は 差別であり、禁止されるべきものですし、障害による困難は、本人が努力して 克服するものではなく、障害のない人中心に作られてきた社会の方こそが調整 し変わることで解消していくものです。

このような時代遅れの障害観や自立観を土台にした特別支援教育の推進は、 「共に学び共に育つ教育」とは相反するものであり、特別支援教育の対象とし て子どもを見られることも扱われることも耐えられません。

普通学級・普通教育のなかで合理的配慮を受けながら、あたり前にみんなの 中で育っていきたいと願っています。