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すべての なかま たちが いきいき・のびのび・ゆうゆう とした 生活(せいかつ)ができるように

2011(ねん)(がつ)(にち)
ピープルファースト北海道(ほっかいどう)  会長(かいちょう)  土本秋夫(つちもとあきお)

(しょう) がい(しゃ) 制度(せいど) 改革(かいかく) 推進会議(すいしんかいぎ) について

わたしたちに 関係(かんけい) のあることを きめる(とき) は かならず
わたしたちの 意見(いけん) を きいてから きめる ことを もとにして
わたしたちが いままで いいつづけて きたことが やっと じつげん  しはじめてきた。

制度(せいど) やサービスは だれの ための ものか。
生活(せいかつ)じょう こんなんを かかえている 仲間(なかま)たちの ものである。 さんか さんかく をし だれかに きめられる ことではなく
わたしたちが かいかくを していくことは せきにん も ともなうけれ ど それでも やって いくべきです。
いままで 意見(いけん) のいえる () もあった のですが ちゃんと きいて  くれなかった。むしされた。
これから ほんとうの かいかくを していく ことです。
わたしたちの わたしたちによる わたしたちの ための せいどや サー ビス そして 法律(ほうりつ) を わたしたちが つくりあげて いくことです。
わたしの ちからだけでは むずかしいので 仲間(なかま) たちと ちからを あわせて いきたいと おもいます。

わたしたちの おもいを おおく たっせい させることで いままでも  いまも さべつ ぎゃくたい 社会的(しゃかいてき)  はいじょ よくあつ を うけてい る 
おおくの 仲間(なかま) たちの おもいとして つたえて いければと おもいます。
すべての 仲間(なかま)たちが「いきいき・のびのび・ゆうゆう」とした 生活(せいかつ) がで きるように 意見(いけん) を いってきました。 
会議(かいぎ)資料(しりょう)は 会議(かいぎ)(まえ)に だしもらっていています。 どんな 会議(かいぎ)資料(しりょう)なのかを ()ていって 会議(かいぎ)() 
そのばで ()るの じゃ どんなことを かんがえて はなして いけばいいのか わからない。 (まえ)もって
自分(じぶん)(なか)に いれることや 支援者(しえんしゃ)も しっていくことが ひつよ うです。
さいていでも 会議(かいぎ)資料(しりょう)は ふりがなを ふっていく ことです。
なかみ いみも すぐ わからないけれども じっくり <支援者(しえんしゃ)と ともに かんがえて いくことが ひつようです。
自分(じぶん)だけが わかっても だめだと おもいます。
仲間(なかま)たちにも つたえる ことが ひつようです。
わからないことを ながすことを しないこと。
わかるまで 時間(じかん)が かかると いうことです。
すぐに わかっていれば どこに しょうがいが あるのと いわれるし、
わからないことが おおいのは そこが しょうがいしゃと いわれている
ので ひつよう とする てきせつな 支援(しえん)と わかっていく 時間(じかん)も 
かかるので はやく すすめないことです。
ちてきに ハンディをもつ 仲間(なかま)たちは それぞれの かんじかたが 
ちがうし しっていくことも それぞれが ちがうので いそいで 
すすめられると わけがわからなくなって しまいます。
それでは どこかで だれかが きめたと なって しまいます。
やっと 自分(じぶん)たちの いけんで やっていくことに なったのに 
いみも なくなるので そのてん も はいりょを していくことが 
ひつようです。
かたくるしい 会議(かいぎ)では はつげんも きんちょう するときも あるので
きんちょう しないように はいりょも ひつよう じゃないかと おもいます。
わからないことは わからないといって ながされない ように していきたい。
ものごとを りかいして いくことに 時間(じかん)がかかる 仲間(なかま)たちを 
はいじょ しないで ほしい。
ちてきは ハンディのある なかまたちを いろいろな 委員(いいん)に 入れて
ひつような はいりょを しながら 意見(いけん)を きいてほしい。

ちてき しょうがいの ことを ほかの 委員(いいん)にも わかってもらい ながら
会議(かいぎ)を すすめていく ことで ちてきの こんなんも しって いくことに つながるし、
ほかの 委員(いいん)も わかったのか かくにんが できると おもいます。
おなじ 会議(かいぎ)を している 委員(いいん)としても おたがいに わかって いける
のじゃないか と おもいます。
えいごも ききなれない ことばで いっても その いみも わからない ままにしない 
えいごで いうのは べんりな ところも あるのですが 
つかっている 委員(いいん)だけが わかっても ぜんたいに わからなければ
ごうりてき はいりょが していないと いうことに なるのかと おもいます。
おたがいの こんなんを しっていく ことも ひつようです。
わたしや なかまたちに ひとつ ひとつ りかい できているか 
かくにんを しながら すすめて ほしい。
そうでなければ わたしや なかまたちはが おいて いかれます。

障害者(しょうがいしゃ)虐待防止法(ぎゃくたいぼうしほう)について

奈良大橋(ならおおはし)製作所事件(せいさくしょじけん)札幌三丁目(さっぽろさんちょうめ)食堂事件(しょくどうじけん)、30(ねん)もの ながいこと
ぎゃくたい 人権(じんけん)しんがいを なかまたちが うけてきた。
ながいこと ぎゃくたいを うけても だれにも そうだん できず
いえなくて たすけてもらえなくて ぎゃくたいを うけつづけてきた。
ながいこと ほっとか され ひどいめに あってきた。
仲間(なかま)たちは ぎゃくたい ほっとかされ、せまい ところに おしつけられ
施設(しせつ)でも いいかげんな ことも やっている。
いくら やかん の 職員(しょくいん)を ふやそうが もとにある 入所施設(にゅうしょしせつ) 
そのものを なくし それぞれの こんなんを かかえて いる ことを しり、
ちいきで ひつよう で てきせつな 福祉(ふくし)サービス、支援(しえん)があれば とおもう。
自分(じぶん)たちは しょうがいしゃ である まえに 一人(ひとり)の 人間(にんげん)として あつかえ 
と いい つづけて いる。
まわりの 人たちも しょうがいしゃで あっても 一人(ひとり)の 人間(にんげん)として 
みていく ことだと おもいます。
きほんてき じんけん を うばわれ つづけて いきている。
自分(じぶん)たちは なんの ために 人として いきているのか。
全国(ぜんこく)に 自分(じぶん)たちが しらない ところで いまも ぎゃくたい や
けんりしんがいを うけつづけている。
自分(じぶん)たちは いつまで なきねいりを しなければ ならないのか。
もう やだ 仲間(なかま)たちの ことを しっかり みろ と いいたいです。

障害者(しょうがいしゃ)基本法(きほんほう)について

当事者主体(とうじしゃしゅたい) 自己選択(じこせんたく) 自己決定(じこけってい) が
いままでも いまも けんり として ほしょう されて いないから
入所施設(にゅうしょしせつ)に とじこめ られている。
これから ひつような ことは ちいきでの ひつよう とする 
てきせつな福祉(ふくし)サービスが うけられる 法律(ほうりつ/rt>)が ひつようです。
しょうがいしゃきほん法が できて 40年間(ねんかん) 仲間(なかま)たちは つぎつぎに 
入所施設(にゅうしょしせつ)に とじこめられました。
まず だいいちに この さべつ を やめる ことです。

総合福祉法(そうごうふくしほう)仮称(かしょう)

権利(けんり)をはっきりさせて、(くに)地方(ちほう)じちたいのぎむ・せきにんをはっきりさせることが必要(ひつよう)です。
『「自立(じりつ)生活(せいかつ))とは、どこに()むか、いかに()むか、どうやって自分(じぶん)生活(せいかつ)
をまかなうか、を選択(せんたく)する自由(じゆう)をいう。それは自分(じぶん)(えら)んだ地域(ちいき)生活(せいかつ)することであり、
ルームメイトを()つか一人(ひとり)()らしをするか自分(じぶん)()めることであり、
自分(じぶん)生活(せいかつ)日々(ひび)()らし、()(もの)娯楽(ごらく)趣味(しゅみ)悪事(あくじ)善行(ぜんこう)友人(ゆうじん)等々(とうとう)
すべてを自分(じぶん)決断(けつだん)責任(せきにん)でやっていくことであり、危険(きけん)(おか) したり、(あやま)ちを(おか)自由(じゆう)であり、
自立(じりつ)した生活(せいかつ)をすることによって、自立(じりつ)生活(せいかつ)を学ぶ自由(じゆう)でもある」
「リハビリテーションギャゼット」より
つまり、自分(じぶん)(かせ)ぎで()らす”自活(じかつ)”や、自分(じぶん)の身辺のことを自分(じぶん)でする
”リハビリ自立(じりつ)”とは(ちが)うということです。』

自分(じぶん)から のぞんで、入所施設(にゅうしょしせつ)に はいった 仲間(なかま)は いない。
そちせいどから、ずっとはいっている 仲間(なかま)たちも おおくいる。
おや、ぎょうせいが きめたこと。
自分(じぶん)たちから きめられずにいた。
自由(じゆう)をうばわれ、けいけんや たっせいかんもなく すごしている ところもある。 施設(しせつ) いがいに くらしの けいけんしたこともない。
けいけんもして いないのに、どこで すむかを えらべと いわれても、えらびようがない。
ちてきに、そうぞう することに こんなんを かかえている。
どんな こんなんを かかえているか、それでサービスを つかえるように していくべきです。
こまっていることに、だれもが サービスを うけられるようにすべきです。
スウェーデンでは、あしのほねをおった人も、ふくしサービスをうけることができると ききました。
だれもが あんしん して くらせます。

  • 仲間(なかま)たちには、「こそだて」をしている人もいますが、じゅうぶんな支援(しえん)が うけられません。(「(だい)(じょう)障害(しょうがい)のある女性(じょせい)」「(だい)(じょう)障害(しょうがい)のある()ども」)
  • ちてきの 仲間(なかま)たちには、24じかんの こうてきサービスを うけて 地域(ちいき)で くらしている仲間(なかま)が いますが、大切(たいせつ)なのは「みまもり支援(しえん)」「こえかけ支援(しえん)」です。
  • しゅわ つうやくの ように、かいぎや むずかしい はなしをするときに、いっしょに いて せつめいしてくれる 支援(しえん)サービス。
  • 入院(にゅういん)する ときの てつづき支援(しえん)や 入院(にゅういん)(ちゅう)の がいしゅつ支援(しえん)入院(にゅういん)(ちゅう)の「みまもり支援(しえん)」「こえかけ支援(しえん)」サービス。
  • 入所施設(にゅうしょしせつ)から 地域(ちいき)でくらすための、ばらばらではない、いっかつした支援(しえん)サービス。 (本人(ほんにん)のきもちを たしかめる。かぞくや 
    施設(しせつ)とのはなしあい。すむところをさがして けいやくする。ひっこしする。せいかつするうえでひつよう なものをそろえる。やくしょの てつづき。
    じぎょうしょとのけいやく。 きんせんかんりのほうほう。こまりごとのそうだん。などなど)

区分(くわ)けは、わたしたちにはわかりづらい。
もっともっと、せいどをつかうがわが、よくわかるようにしてほしい。
また、すんでいるところによってつかえるサービスがちがうのは差別(さべつ)です。

わかりやすい じょうほう、せつめいを うける 支援(しえん)サービスが必要(ひつよう)
コミュニケーション( 自分(じぶん)でえらんで、きめる)の支援(しえん)サービス。

いままでは、自分(じぶん)たちの いけんを きかずにやってきたのですが、
こんどこそ自分(じぶん)たちの おもいを とうして わたしたちに かんすることを きめるときには、
かならず わたしたちのいけんを きいてからきめるように。

区分(くぶん)で つかえるサービスや りょうが、かってにきめられてしまうこともある。
本当(ほんとう)は、どんな こんなんを かかえているか、それでサービスをつかえるようにしていくべきです。
てちょうの はんていくぶんや しょうがいていど くぶんで、つかえるサービスなどをわけて、せいげんするのを やめてほしい。
本人(ほんにん)中心(ちゅうしん)となった 計画(けいかく)もひつようと おもうが、けいけんがすくなく、
ほかのくらしを そうぞうすること、自分(じぶん)のきもちをことばでつたえることがむずかしい 仲間(なかま)たちには、
計画的(けいかくてき)に 地域(ちいき)のくらしを たいけん、けい けん できるよう 支援(しえん)する ひつようがある。

ちてきの仲間(なかま)たちの ピアカウンセリングは大切(たいせつ)です。
必要(ひつよう)とするときは支援(しえん)(きろくやじょげん)をうけられるようにすること。
必要(ひつよう)とするてきせつな支援(しえん)がうけられなくて、仲間(なかま)たちはなやみ、くるしんでいる。

(いま)、PF(ピープルファースト)北海道(ほっかいどう)仲間(なかま)が、24時間(じかん)の こうてき かいごを もとめて さいばんを おこしている。
なっとく いかないときは、さいばん するしかないのは、時間(じかん)もお(かね)もかかってこまる。
おにづかさんが さいばんを おこしているが、おにづかさんだけがよければと いうことではなく、
じゅうど しょうがいと いわれている仲間(なかま)たちが、ひつようで てきせつな サービスが うけられるようにしていくこと につながって いくことです。
さいばんを いっしょに たたかっている さいちゅうです。
自分(じぶん)の おとうとも、じゅうどしょうがいと いわれ、いまも入所施設(にゅうしょしせつ)にはいって います。
ちいきで すむことは、まずは じゅうどといわれている仲間(なかま)たちが すめるようになれば、
つぎからつぎへと ちいきに すめるようになる。
入所施設(にゅうしょしせつ)は、すべてかいたいできる。

スウェーデンのように、だれもが 地域(ちいき)でくらす 法律(ほうりつ/rt>)をつくり、いつまでに 入所施設(にゅうしょしせつ)を なくすという もくひょうを つくることが必要(ひつよう)です。

応益負担(おうえきふたん)の)はいしはとうぜんです。
(かね)をとられて (はたら)かされるのは じんけんしんがいです。
(かね)がかかると ひつようとする てきせつな サービスを うける必要(ひつよう)の ある人も サービスを りようできなくなる。

ちてきの 仲間(なかま)たちの (なか)で、自分(じぶん)で はたらいて 大金(おおがね)もちになった人、
自分(じぶん)で はたらいて、お(かね)を ためて (いえ)をたてた (ひと)をきいたことがない。
仲間(なかま)たちが、いっしょうけんめい、いのちを けずって いっぱんの会社(かいしゃ)で はたらいても、(おお)(ひと)で (つき)に10万円(まんえん) ていどです。
そんな仲間(なかま)たちから お(かね)を とらないで ほしい。

必要(ひつよう)な人が、ちゃんと病院(びょういん)で みてもらえるように するべきです。
(かね)がなくて、病院(びょういん)に かよえない ばあいは、せいかつほごを つかえるように すること。

区分(くぶん)にサービスのりようのせいげんや、(くに)地方(ちほう)じちたいにせきにんをとら せることをやめてほしい。
(くに)がせいげんしていたら、しせつから仲間(なかま)たちはちいきにでられない。
ちいきに くらすなかまたちも、しせつに いくしかなくなる。

(くに)に いけば じちたいの せいにして、じちたいに いけば (くに)予算(よさん)の せいにする。
どちらも お金がないといって、仲間(なかま)たちは いつまでもほうちされている。

自立(じりつ)支援法(しえんほう)は、一部(いちぶ)のサービスについて地方(ちほう)じちたいにせきにんをなげた。
そのため、サービスに()がでている。
(くに)が、せきにんを もって ほしょうすること。

自立(じりつ)支援法(しえんほう)が できる まえから、かいご ほけんとの とうごうに 反対(はんたい)してきた。
こうれいしゃが つぎつぎに 施設(しせつ)に おくられた。
とうごう されたら、しょうがいの ある仲間(なかま)たちは、病院(びょういん)や 入所施設(にゅうしょしせつ)から でられ なくなる。
いま、ちいきで くらしている仲間(なかま)は、いまいじょうに ちいきのサービスが うけられ なくなる。
仲間(なかま)たちは、みまもり や こえかけが ひつような人もおおく、それが ないために こまったり、ひがいにあっている。

入所施設(にゅうしょしせつ)で くらした けいけんを もち、グループホームや 一人(ひとり)ぐらしをした 人たちは、みんな 施設(しせつ)には もどりたくない といっている。
それは なぜか。
入所施設(にゅうしょしせつ)には、自由(じゆう)が ないから という。
自分(じぶん)の おかね なのに 自由(じゆう)に もたせないで、ジュース一本(いっぽん)も  かえず にいる人もいる。
外出(がいしゅつ)も (ねん)に 2(かい)しか ないところも ある。
毎日(まいにち) かんり された にっか で すごしている。
みんな おなじ ごはんを たべている。
あさ おきる じかんも ねる じかんも みんな いっしょ。
職員(しょくいん)の ゆうことを きかないと ならない。
職員(しょくいん)は けいたい を もっているのに、そこを 利用(りようち)している  仲間(なかま)たちは けいたいも もたせない。
しっぱい を することで まなぶ こともある。
(かね)の ことも しっぱいを しながらと (おも)います。
施設(しせつ)では 子供(こども) あつかいも されている。
せまい へや にも とじこめ られている。
かんりは ぎゃくたい や 人権(じんけん)しんがいに つながる。

(あたら)しい法律(ほうりつ/rt>)を つくる(うえ)で 一番(いちばん)希望(きぼう)することは 地域(ちいき)で ひつようとする てきせつな 支援(しえん)を うけて 
いきいき・のびのび・ゆうゆう とした 生活(せいかつ)ができる サービスをふやし 入所施設(にゅうしょしせつ)や 病院(びょういん)に  とじこめられている なかまたちを かいほう することです。