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旅で始まるいきいきライフ

第4章 障害のある人の旅を豊かにするために

1.人はなぜ旅に出るのか

実践女子短期大学 教授 薗田 碩哉

○旅の楽しさの人間学的な意味
~旅というものを原理的・哲学的に考えてみる

旅には独特の楽しさがあります。旅に出る日は朝から心落ち着かず、これから訪れる未知の土地のたたずまいを想像してわくわくしてくる…という体験は誰にも覚えがあるでしょう。旅を楽しむだけが目的の「物見遊山」でなくても、たとえ仕事のための出張でも、出かけること自体が一種の高揚感を伴うことが多いのではないかと思います。

旅の楽しさの底にあるものは何でしょうか。まず第一にそれは「自由と解放」の感覚だと思います。毎日毎日、同じようなことを繰り返している生活の場を離れること、自分を閉じ込めている日常性という枠組みから一時的にせよ解き放たれること──毎日が苦痛に満ちていれば、もちろんそれはまたとない喜びになるはずですが、たとえ毎日が平和で幸福だとしても、しばらくその平穏な暮らしを離れてみることに不思議な喜びが感じられるのです。それは旅の体験が新しい「発見と創造」をもたらしてくれるという期待感から来るのでしょう。

日常性から解放されて自由な時間を獲得し、これまで体験したことのない新発見の中で新たな自分を創造する─旅の喜びというものを分析すると、こんなシナリオが浮かび上がってきます。そしてこの小さなドラマを前に進める原動力になっているのは、人間の持っている「変化」を求める衝動です。人間という動物は常に変化を求めてやまないというところに他の動物と違う特徴があります。犬や猫と比べてみるとよく分かりますが、彼らは安定した暮らしが得られれば、そこに安住してあえて変化を求めないように見えます。犬は散歩は好きですが、それは自分の縄張りを確認したいからです。猫は、特にオス猫は時々姿を消したりしますが、それは多分、異性を探すための徘徊で、格別、わが猫世界を広げたいと思っているわけではなさそうです。人間は昔から「山の彼方の空遠く」に、今ここにはないような「幸い」が住むと考え、遠い世界を夢見て憧れを膨らませてきたのです。この「彼方への思い」こそが人間を進歩させ、文化を発展させる原動力だったのです。

○旅のもつ肉体的・精神的・社会的な価値
~旅の効用を多角的に検討する

旅の持つ効用は多角的なものです。まずは旅は心身の健康づくりに役立ちます。旅は移動ですから自分の足を使って歩かなくてはなりません。陽に照らされ、風に吹かれて歩くこと、それによって体が鍛えられます。とは言え昨今の旅は昔々の膝栗毛の時代に比べれば圧倒的に歩かなくなりました。電車やバスに揺られ、車窓から風景を見るだけの時間が多くなりました。ガラス越しに外を眺めるだけでは、テレビの観光番組を見ているのと大差ありません。観光スポットでは車外に出て少しは歩いてみることが欠かせません。街歩きや寺社巡り、記念館や博物館の見学、遊歩道を歩くなど、旅とウォーキングはセットになっています。これが日ごろの運動不足を解消してくれるはずです。

旅が精神の活性化に役立つ面も見逃せません。先に述べたように旅は「何でも見てやろう」という好奇心を刺激してくれます。日常生活との違いや落差を感じ、そこに単純な驚きを感じ取る、新たな知識を仕入れ、見知らぬ人と会話を楽しみ、わが世界が一段と広くなったことを実感する──そこに旅の面白さがあり、これが沈んだ気持ちを引き立たせ、生きる勇気を与えてくれるのです。大きな失敗をしたり失恋したりすると人はよく旅に出ます。日常が耐え難いものとなった時、そのままじっとしていたのでは、心は落ち込むばかり、まかり間違えば自殺さえしかねない。そんな時、人は傷心を抱えたまま旅に出るのです。はじめは一人旅の孤独の中で苦しみや悲しみが増すこともあるかもしれません。しかし、旅を続けるうちに新たな出会いや他者との触れ合いが次第に心の傷をいやしてくれるという体験は多くの人に覚えのあることではないでしょうか。

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旅の効用の第3は社会的なものです。個々の旅はまったく個人的に計画され、実行されるものが大部分ですが、それらの旅がまとまると大きな社会的影響を持つのです。分かりやすいところから言えば、旅に出ると鉄道やバスや飛行機や船に乗ってお金を払います。宿屋やホテルに泊まる人も多いでしょう。旅と言えばお土産を忘れるわけにはいかないわけで、駅や空港のお土産売り場は多くの観光客でごった返します。移動や宿泊など観光サービスの総売り上げは11兆円になるという計算もあり、旅も国民経済の重要な一部になっているわけです。

そればかりではありません。旅をすることで人と人との出会いが促進されるという、社会的にはきわめて重要な意味があります。見知らぬ土地で知らなかった人と話をし、意気投合してお酒を飲んだりする…よくある光景ですが、これが地域間のコミュニケーションを大いに活性化してくれます。外国に行ってみるとこのことはさらに深い体験として旅する人に与えられます。旅の喜びは美しい風景を見たり、その土地ならではの食べ物を楽しんだりするところにありますが、文化の異なる外国人との交流こそは、旅の喜びの最高のものでしょう。言葉は違っても人間の感性にさしたる違いはないこと、国と国とは対立することはあっても、市民同士話をしてみれば、理解できないことなどありはしない──この感覚は国を越えて人を結び付け、世界の平和の礎を作ることにつながっていくのです。

○障害のある人の旅の持つ意味
~「障害があるからこそ旅をする」という視点

障害のある人たちの旅には特別の意味があります。そもそも障害というのは移動とコミュニケーションに関わるものが圧倒的に多いわけです。これらは円滑な旅を妨げる阻害要因になります。車いすで移動する人は交通機関が使いにくく(これまでの交通機関は障害のある人も利用者であるということを十分考えて作られていませんでした)、視覚や聴覚に障害があれば、やはり円滑な移動に困難をきたす場面が出てきます。

また、旅とは知らない他者との交流を目指す活動で、それが旅の大きな魅力でもありますが、コミュニケーション能力に障害があれば不便や不都合をきたすことが多くなります。このことは健常者でも外国に出てみればよく分かることです。言葉が通じない状況はまさしくコミュニケーション障害ですから、海外旅行に出かけて意思疎通がうまくいかなくて苦労した経験は多くの人が持っています。

障害のある人は旅をしにくく、旅という活動から排除されがちです。だからこそ障害のある人が旅をすることが、他の人の旅以上の大きな意味を持ってくるのです。人を障害のあるなしで差別しないというノーマライゼーションの理想がどれほど達成されているかを見るには、障害のある人の旅のしやすさをチェックしてみるのがいちばんです。障害のある人がどれほど自由に快適に旅を続けられるか──段差の解消やエレベーターの設置のような物理的な面からも、また、道行く人がどれほど障害のある人に配慮をしているかという社会心理的な面からも、その土地のバリアフリーの状況があらわれてきます。障害のある人が旅をすることで見えにくかった街の福祉文化の度合いが見えるようになります。

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障害のある人自身にとっても旅の持つ意味は大きなものがあります。それは冒頭に述べたように、日常性から解放されて自分を広げる自己発見や自己開発の機会になるということです。生活圏が狭く限定されてしまうと、心のゆとりも小さくなってしまいます。広い世界へ歩みだすことで意欲も湧き、自信もついてきます。また、旅は他者の発見と交流、多様なコミュニケーションの機会でもあります。これまでの狭い人間関係の殻を破って多くの人々とふれあい「人間の幅」を広げることができます。

「障害があるから旅ができない」のではなくて「障害があるからこそ旅をする」という姿勢で積極的に旅に出ることが、社会自体の質を高めることにつながっていくのです。

○旅は世界平和の土台となる
~社会政策としての旅、その中で障害のある人は大きな役割を果たす

日本はいま、観光立国ということを国の方針にしています。特に外国からの観光客を大幅に増やすことを目標に掲げています。国のねらいは外国の人々が日本にやってきてお金を使ってくれることにあります。これは輸出が増えるのと同じ効果があります。工業製品の輸出が伸び悩む中で、サービスの輸出である外客誘致が経済的には大きな可能性をもっているというわけです。

しかし、観光=旅は、経済以前にもっと文化的な意味があります。世界の市民たちがお互いの国を訪問しあうことで相互の理解が進みます。人間というのは肌の色や話す言葉が違っていても共通する感情をもっていて、みんな平和を愛しています。市民の交流とコミュニケーションが進めば、それが世界の平和の礎になることは先の述べたとおりです。

旅の持つこういうプラスの側面は、障害のある人たちも含めて考えられなくてはなりません。障害のある人の生き方に理解を示し、手を差し伸べ、助け合うことは人としての自然な気持ちから発しており、世界の人々に共通する行動です。障害のある人もない人も手を取り合って総ての人の連帯を図ることがこの世界を住みよい世界に作り替えていく原動力になります。

観光立国を経済問題だけで考えるのでは視野が狭すぎます。日本という国はどこへ行ってもバリアフリーで、人々は誰に対してもホスピタリティ(もてなしの心)に溢れているという評判こそが大切です。それが本当の「クールジャパン」であり、そうであってはじめて多くの外国人がやってくる国になれるのです。障害のある人たちの旅が充実することは、世界における日本の国の存在価値を高めることでもあることを知らなくてはなりません。

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