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文学にみる障害者像

宮尾登美子作 「蔵」

大内 進

 新聞連載時から反響が寄せられ、単行本になってからも大ベストセラーになり、舞台・映画・テレビでの競作ラッシュとなっている宮尾登美子作の『蔵』。この作品は、失明のハンディを負いながら、造り酒屋の蔵元に成長していく1人の女性の半生を描いている。

 話の舞台は、戦前の新潟県亀田町。大地主であり、酒造家でもある田之内家に9番目の娘が生まれた。授かった子どもを次々に亡くしている父意造と母賀穂は、この子の成長を願って「烈」と名付けた。しかし、烈も幼児期に夜盲症・視力低下を訴え、網膜色素変性による失明の可能性を眼科医から冷たく宣告される。烈の病気平癒祈願のための無理な巡礼参りによる母むらと賀穂の相次ぐ死、酒の腐造事故、後妻せきとの間に生まれた長男の突然の死、自分の病による半身不随など、相次ぐ不幸に見舞われた意造は、酒蔵の閉鎖を考える。しかし、失明というハンディキャップとジェンダーの壁を乗り越えて、烈は意中の人と結婚し、家業の造り酒屋を継いで行くのである。

 烈は、小学校入学を前にして、眼病が明らかになり、以後は「障害者」であることを意識して育っていく。そのためであろうか、烈は、当時の日本の女性たちが負わされていた「家」の呪縛を直接的に意識づけられることなく成長し、現代っ子とも思えるような合理性と素直さを発揮して、情熱的に生きていく。こうした生き方は谷崎潤一郎の「春琴」の一面を彷彿させる。しかし、烈は、「春琴」のようにわがままだけが目立つ女性ではない。内面では、強く自分の持つ障害を意識している人間として描かれている。たとえば、意造の後妻のせきと、烈が思いを寄せている男性と関係を疑って、激情にかられた時、烈は、「おのれの体を省りみよ」という内なる声を聞き、「人並みではない」体でありながら嫉妬したことを「恥じいる」のである。そして、「相手が健康な人ならば、烈みてら(のような)子を好きらと思うてくれることはねと思わん(思うの)。目の悪り子がんには、そんげしあわせはねあんね。人並みに人を好きになってはいけねあんらわ」と自分の障害に苦悩し、弱気な言葉を吐いたりもする。

 当時の社会的風潮として、一般的に女子は良妻であり、賢母であることを求められていた。それは、世間体を気にする意造の「烈は目が見えね、世間を狭べ、烈の結婚については、わしはへえ(もう)とっくに絶望している…」という言動にも示されている。戦前の盲学校師範科の教科書にも「盲女子の結婚は、いかなる場合においても望ましからざるなり」と書かれていたようである。盲女性には家事がこなせないから結婚は無理と考えられていたのである。

 しかし、烈は、そうした壁にぶつかっても、そこで一方的に引き下がることはしない。烈は、いろいろ悩みながらも主体的に考え、一度決心すると頑なに自分の意志を貫き通す芯の強い女性として生きていく。それに対して、父親の意造の方が、東京帝国大出のインテリでありながら、家族制度のもつ因習や世間体に囚われて身動きのとれない姿を我々の前にさらけだしてしまう。盲目の一人娘を持ち、かつ度重なる不幸のために、俗的な行動をみせつけたり、家業を放棄しかけたりする父親に対して、「障害」があるにもかかわらず、(いや「障害」を持った故にといったほうが妥当であるかも知れない)烈は、真摯に「家」のことを考え、自分のことを考えて立ち上がるのである。烈が、意造を説得して、女人禁制という酒造のタブーを破って、酒造りを再開し、みそめた蔵人の涼太への思いも決してあきらめず、実力行使までして、思い通り結婚を実現していく場面は、圧巻でさえある。

 烈が学齢に達したとき、育学校の話もはいってきたが、意造は、烈の性格を考慮してあきらめてしまった。結局、烈はその後、家から離れることなく、叔母佐穂と生活していくことになる。時代設定からすると、当時は、視覚に障害を持った女性の場合、烈のように学校教育を受けないことが多かったのも事実である。しかし、この時代すでに、盲学校から大学にまで進み、盲女性の生活の向上をめざして社会的な活動に取り組んだ女性もいた。同時代にこうした生き方の女性が存在したということも認識しておく必要があるだろう。これについては岩波新書の『光に向かって咲け―斉藤百合の生涯―』(粟津キヨ著)に詳しい。ちなみに、この書物の著者粟津キヨは、奇しくも烈と同じ大正八年に新潟県に生まれ、4歳で失明して高田盲学校に進み、のちに東京女子大に学んでいる。(作者は、烈については、特別のモデルがいないことを言明している)

 この本には多くの女性から共感の声があったというが、障害を乗り越えて、一女性として、男性中心の社会に切り込み、家業の酒蔵を継いでいく烈の自立した生き方に感動を呼ぶものがあったのであろう。 また、この物語では、烈の描写から、網膜色素変性症という眼病の様態を知ることができる。現在、わが国には網膜色素変性症にかかっている方が、2、3万人いると言われている。患者の会もできている。烈の生き方は、この眼病と戦っている人々に勇気を与えるであろうし、読者は、この病についての認識を深めることができる。この書物の持つ、もう1つの意味がここにあると思う。

(おおうちすすむ 筑波大学附属盲学校教諭)


(財)日本障害者リハビリテーション協会発行
「ノーマライゼーション 障害者の福祉」
1995年12月号(第15巻 通巻173号) 21頁~23頁