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特集/検証「障害者プラン」

「障害者プラン」に魂を入れる

一色秀和

 近年の障害者対策の拡充にはめざましいものがある。まだまだ十分とは言えず、地域的な不均衡を抱えつつも、それなりの成果をあげつつあり、こうしたなかにあって、障害者対策推進本部から「障害者プラン」が発表されたことは、障害者の自立と社会参加をめざす政府の強い意欲の表れとして受け止め、評価したい。

1 隔世の感

 顧みれば、ろう者はほぼ四半世紀前までは音声によるコミュニケーションの困難性ゆえ、社会との接点に乏しく、これを克服する福祉的措置すらとられていなかったことを考えると、まさに隔世の感があると言えよう。

 ろう者のニードに応じた施策として昭和45年に厚生省によって手話奉仕員養成事業が開始されて以降、手話を学ぶ市民の数は最近のブームの波に乗りながらも着実に増加し、各地に手話通訳者が設置されるなど、ろう者の自立と社会参加の第一条件が整備されてきた。平成元年には厚生大臣認可の手話通訳士制度が創設され、さらにはテレビによる手話ニュースをはじめ、ろう者役が登場するドラマが放映されるなど、かつては蔑まれた手話がノーマルなものとして社会に受け入れられ、ろう者が単なる聴覚機能の欠損者としてではなく、あるがままに生きていける環境も整いつつある。国際障害者年以降のノーマライゼーション思想の浸透に負うところが大きい。

 また、日常的な情報のハンディを補い、より豊かな暮らしを築いていくことを支援する聴覚障害者情報提供施設が法制化され、現在、全国各地でオープンし、あるいは設置を検討・計画中である。これまで対策の遅れていた通信・放送分野では、ファクスによってまがりなりにもテレコミュニケーションが可能になり、テレビ放送においてもまだまだ一部ではあるが、文字多重放送によりドラマなどを楽しむことが可能になった。さらには、通信衛星を利用した聴覚障害者専用放送局の実現に向けて郵政省が全日本ろうあ連盟と調査研究中であり、これはろう者のニードに応じた情報のタイムリーな提供とその文化の振興に果たす役割に大きなものがあると期待されている。その他の分野においても、障害者問題が包括的な問題であり、関係省庁が一体となってその解決を実践していくという障害者プランによって、さらに社会参加の条件が総体的に整備されていくことを期待したい。

 このようにろう者にとってハンディとなる情報・コミュニケーション分野を中心とする施策に一定の進展が見られるが、一方で課題も多い。若干指摘しておきたい。

2 法によるバリア

 まず、法によってバリアが設けられている点である。具体的には道路交通法第88条が「耳が聞こえない者」を絶対的欠格事由として運転免許取得の途を閉ざしており、医師法・薬剤師法などの医療関連資格においても同様である。物理的ではなく、人為的なバリアである。職業を通じての社会参加の途を閉ざしているにとどまらず、ろう者の能力を正当に評価することなく、制限するものとなっている。運転免許については、欧米では少なくとも普通免許に関しては大多数の国で聴力に関係なく取得でき、我が国でも早急な法の改正を求めたい。また、医療関連資格についても、先入観に基づいて排除するのではなく、職務を遂行できる環境を整備しつつ、資格取得への途が開かれるべきであろう。成熟した社会なら可能なことであり、ノーマライゼーションの真価が問われるものと言える。障害者プランでも指摘されており、法改正が待たれる。

 次いで、ろう者の社会参加の多くは手話通訳によって支えられているが、これを担う手話通訳者の絶対数がまだまだ乏しく、またその社会的な保障が十分ではないことから頸肩腕症候群が多発している。障害者プランにおいてもマンパワーの養成と確保がうたわれており、手話通訳者の確保にあたっては、安逸なボランティア依存ではなく、その専門性と業務に見合った労働条件の保障の上になされるべきであろう。ろう者の社会参加をより確固としたものにするためには、手話通訳者が安心してその職務を遂行できる条件の保障が求められる。

3 ろう教育

 最後に、障害者プランでは社会的自立を促進するためとして「障害の特性に応じたきめ細かい教育体制の確保」と「教育・福祉・雇用等各分野との連携」を指向している。これまで教育は福祉と切り離され、ろう教育の現場では社会参加の前提として音声日本語の習得、すなわち聞こえる人に近づくことが第一目標とされ、実社会で通用している手話、そして聞こえないという事実が受容されることなく、様々な歪みをもたらしてきた。また、親の意思によって聾学校・難聴学級ではなく普通校で学ぶろう児が増えつつあり、現実には教師や同級生の話が十分に分からず、学力や人間関係に問題を抱えているという事例が多く見受けられるという。障害者プランはこの問題解決の方向を示してはいるが、具体性に欠け、有効な処方箋となりうるかどうかいささか疑わしい。これまでのような現場と専門家中心の技術・方法論にとどまらず、ろう教育そのもののあり方も視野に入れて、成人ろう者自身やろう児を持つ親も含めた広範な論議の中で、あるべきろう者を求めていく姿勢が必要であろう。実社会とそこに生きる成人ろう者の体験に根差した教育が、すなわちろう教育なのである。

 以上、紙面の都合で障害者プランに関する見解の一端を述べるにとどまったが、その実践にあたっては単に行政機関のみの努力だけではなく、障害者自身も含めた広範な関係者との共同作業で進められるべきであり、そうしてこそこの「障害者プラン」に魂が入ると思う。期待したい。

(いっしきひでかず 全日本ろうあ連盟)


(財)日本障害者リハビリテーション協会発行
「ノーマライゼーション 障害者の福祉」
1996年4月号(第16巻 通巻177号) 24頁~25頁