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高度情報化社会にむけて

パソコン通信への道

第1回

―私の受けた支援

内山幸久

1 通信のはじまり

 「内山君のワープロには、通信ができるような用意がされていますか? もし、有れば、電話代がかかるけど、パソコン通信のホストとやり取りができるようになりますよ」横浜リハの畠山さんのこの言葉が、私をパソコン通信の世界へ導いてくれた。

 私と畠山さんとの出会いは、第2回国際福祉機器展に遡る。私とほぼ同程度の障害である上村さんがKBマウスを使い、開発者としてそのビデオ・モニターの横でKBマウスの紹介をしていたのが印象的であった。畠山さんは、当時岐阜の労災工学センターに勤務していたが、私は手紙でワープロを購入するための助言を求めたことがある。その後、私はEPSON製のワープロを購入したが、そのワープロに関して話題が出た時に、ワープロ通信の話題となったのである。私は、「よく分かりませんが、マニュアルのオプションのトコにモデムとか通信プログラムとか書いてあったような気がします。一度、マニュアルをよく見てみます」と答えた(と思う)。

2 ワープロの設置

 ワープロは、福祉の制度(日常生活用具)を活用して、福祉用具の取扱店から購入した。しかし、担当者は、ワープロの「ワ」の字も分からない。私は、マニュアルに書いてあるメーカーの問い合わせ窓口に電話をして、確認した。その確認の結果、解ったことは以下のようなことだった(これは、他のメーカーのタイプでもほぼ一緒であると思う)。

① 私のワープロは、付属品を買い足せば、通信が可能である。

② 必要な付属品は、別売のモデムと通信ソフトである。

③ 電話は、ローゼット式でなく、モジュラー式である必要がある。

④ その他、障害者であるが故の特別な改造は何ら必要ない。

 私は、NTTに問い合わせ電話工事の費用を調べ、月々のおこずかいを貯めることに専念することにした。

 モデムと通信ソフトが手に届いた日、私の身体は震えた。ワープロ本体はワン・ボックスであるため、何も緊張しないで使えたが、モデム・ケーブルを本体とワープロにつなぐ時、付属のモジュラー・プラグをモジュラー・コンセントとモデムにつなぐ時、自分専用電話のプラグをモデムにつなぐ時、そして何より通信ソフトを起動した時、私の身体は不安と期待で震えた。この震えは、しばらくの間続いた(最近、この緊張感はMacのCD-ROMドライバーをインストールする時に感じた。近い将来、アップル・トークを引く時に感じるだろう)。

3 体験、ワープロ通信

 「ハーイ! ミナサン コンニチハ。 コチラハ トーコロ BBSデス」これが、私が最初に目にした通信のMSG(通信用語でメッセージと読む)である。

 私が通信を開始するためには、まず電動車いすに乗っていることが大前提であった。そして、ワープロ本体とモデムの電源を入れ、通信ソフトの入っているフロッピー・ディスクをフロッピー・ドライブに押し込む(これらは口にくわえたマウス・スティックで行う)。

 通信ソフトを起動し、設定した相手ホストを選択すると、モデムがダイヤル発信を行う。「ピーガー」とネゴレーションをして、モデムが相手と接続すると、ホスト側からログインMSGが流れる。この時の感触はワクワク、ドキドキである。そして、初めて電子メイルを貰った時の感触は今でも忘れない(けど、誰から貰ったかは忘れた)。

 ただ一つワープロ通信で不満だったのは、パソコン通信と比較してできないことがあったこと。最近のワープロ通信では可能にしていることが多いようであるが、私のワープロでは「ファイル転送」が効かなかった。人に聞くと、「XMODEMとかのファイル転送プロトコルをサポートしていますか?」などと言われてしまう訳だが、私にとって意味不明な「XMODEM」という単語が頭にこびりつくようになった。このことが、私の興味をパソコン通信に向かわせた。

 私がワープロ通信を行って一番に変わった点は、「情報を発信する」立場になったことである。それまでは、福祉機器や一般機器(ワープロなどの電子機器)の情報やエンジニアからの意見や情報をただ集める側であったが、ワープロ(パソコン)通信という手段を得た私は、自ら情報を発信できるということを知ったのである。私は、パソコン(ワープロ)通信の最大の魅力は、情報を得るということよりも情報を発信できることにあると今も考えている。そして、その結果、情報は発信元により大きくなって戻ってくるということも知った。つまり、情報をより多く得たいのなら、自らも情報を発信する必要があるのである。これは、私の持論である。

4 ネットワーク・コンソーシアムの仲間との出会い

 草の根BBSで、福祉機器や、一般機器でも工夫次第では障害者でも使える機器の情報を発信してきた私は、ある日ネットワーキング・フォーラムin横浜(主催・ネットワーキングデザイン研究所)のパネリストとして招かれることになった。やはり、畠山さんの紹介であり、私はここで、未来のネットワーク・コンソーシアムの仲間と出会うことができた(詳しいネットワーク・コンソーシアムの活動については連載第2回に譲るが、その会議は、草の根BBSで行われ、ボードには会議の内容や議事録を掲載している)。

5 移行、パソコン通信

 ネットワーク・コンソーシアムの活動を考える過程で、私へのパソコン導入が検討された。事業の中身に、障害者のためのOA機器も考えたため、私がまずパソコンを使って「分かる」必要があったからだ。必然的に、ネットワーク・コンソーシアムの第一の事業は、「内山が、パソコンを使えるようにすること」となった。この第一番目の事業では、ネットワーク・コンソーシアムの活動の仕方が如何なく発揮された。お金を出す者、機種を選ぶ者、機体を設置する者、それを使いこなす者。それぞれが役割を果たしたのである。

6 私が通信で得たもの

 さて、念願のパソコン通信をできるようになった私は、ファイル転送プロトコルのXMODEMを使用して、数多くのフリー・ソフト・ウエアをDOWN‐LOADした。通信ソフト・WTERM、エディタ・SE3、ファイル管理・FD、ブラウザ・MIEL、FEP・WXPなどなど。私のパソコンのシステム環境は、パソコン通信を中心に整えられた。パソコンのシステムの中心を司るDISK‐OPERATION‐SYSTEMについては、これらのフリー・ソフト・ウエアのドキュメント(作者の書く取扱説明書)を読んで学習するに致った。

 私は、ワープロ通信をすることにより、情報を発信することを知り、活動する仲間を得て、更にパソコン通信をするための機体とソフトと知識を得たのである。

 今、通信は私の日課となっている。

(うちやま ゆきひさ ㈲ネットワーク・コンソーシアム・重度頸損者自立リアルティー・モデル・ルーム マウンテン・ペンギン)


(財)日本障害者リハビリテーション協会発行
「ノーマライゼーション 障害者の福祉」
1996年4月号(第16巻 通巻177号)48頁~50頁