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列島縦断ネットワーキング

[大阪]

大阪市知的障害者ガイドヘルパー制度

たびだち地域センター・ゆうゆう

●はじめに

 「頑張れ」という言葉は、人を励ます言葉として使われる。しかしこの言葉は本当に人に力を与えるのだろうか。むしろ圧力をかける言葉ではないかと問い直されるようになってきた。

 障害を持つ人は、常に他人から「頑張れ、頑張れ」と言われ、健常者よりも努力することを強要されてきた。障害がある自分の姿をそのまま認められ、受け入れられることはめったにない。〝ひとりの人〟としてではなく、〝障害者〟として扱われ、社会に出て行くことを阻まれてきた。

 ノーマライゼーションの理念から、障害のある人も地域であたり前に生きてゆくことがすすめられている。しかし、現実は多くの障害者が社会参加できずにいる。特に知的障害者への偏見は根強い。「何をするか分からない人」「何も分かっていない人」としてみられ〝ひとりの人〟としての人権さえ奪われていた。

 知的に障害を持つ人も、地域社会の中で〝ひとりの人〟としてあたりまえに生きる。それを実現するための支援として、大阪市の知的障害者ガイドヘルパー制度がある。

●大阪市知的障害者ガイドヘルパー制度について

 大阪市の知的障害者ガイドヘルパー制度が成立したのは、1993年2月である。実施要綱の中の「目的」には、次のように述べられている。「単独での外出が困難な知的な障害のある者の外出時に、付添いを行い介護等の便宜を供与するガイドヘルパーを派遣、その自立と社会参加を促進することにより、障害者の福祉の向上をはかることを目的とする」

 事業利用者は、大阪市内に居住する在宅の知的障害者で、障害の程度が重度Aまたは中度B1の療育手帳を持つ18歳以上の者とされている。

 大阪市以外の府下の市においても、ガイドヘルパー制度がある市はいくつか存在する。しかし、「外出は市内に限る」など範囲を制限したり、利用時間を制限したりしているものがあり、利用者が利用しにくいのは明らかといえる。大阪市のガイドヘルパー制度は、比較的利用者側の視点からつくられている。しかし、まだまだ課題を残している。例えばヘルパーに対し一時間当たり1380円のヘルパー料が支払われるが、交通費は支払われない。また派遣時間は利用者一人につき月51時間が限度とされているが、より長い時間数の派遣が望まれる。

●出発のなかまの会と、たびだち地域センター・ゆうゆうの歩み

 出発のなかまの会は、1979年に設立した。障害児・者とともに自立をめざす地域社会づくり、ということを目的としている。大阪市生野区を拠点として、現在は作業所2か所、グループホーム3か所、そして「たびだち地域センター・ゆうゆう」という場に分けられる。利用する知的障害者(メンバーと呼ばれる)は、作業所または会社などで働き、グループホームで生活し、余暇活動、自主活動の支援を、「ゆうゆう」で受けるという形である。

 知的障害者が地域で暮らすためには、人的支援が欠かせない。当会では1991年秋から、自主取り組みとしてガイドヘルプ活動をはじめ、92年春に、「ゆうゆう」として事務局を開いた。93年2月大阪市のガイドヘルパー制度が設立し、「ゆうゆう」の活動を「たびだち知的障害者地域生活支援事業」として再スタートした。そして現在に至っている。事業規約には、「外出等地域生活の中での生活体験、社会経験を知的障害者が獲得していくことを支援する」ことが目的として述べられている。

 「ゆうゆう」の活動内容としてガイドヘルプ活動、メンバーへの情報提供、機関紙の作成・発送、ヘルパー募集やヘルパー研修などがある。その中でもメインの活動はガイドヘルプ活動である。

 「ゆうゆう」のガイドヘルプ活動は、「ゆうゆう」のメンバーとガイドヘルパーとの1対1の活動で、外出が主となっている。毎週土曜日に行われる〝ゆうゆうクラブ〟は、メンバー3~5名程度の規模で行われる。料理教室、ボーリングなど内容は様々で、事務局の企画する活動と、メンバーが自分のやりたいこと、行きたい所へ行く活動がある。メンバーが「ゆうゆうクラブ」ですることを決めるために、〝メンバー会議〟を開き、提案して決めてもらう。その時もヘルパーは一人ずつに付き、彼らの自己決定を支える。

 毎月第4日曜日は全体レクリエーションを企画している。メンバーは同じ活動に参加するが、基本は1対1の個別活動となる。内容はハイキングやサイクリング、買い物などである。その他に個別活動として本人を含め、支援に関わる人々(親、グループホームの世話人、作業所のスタッフ)などが要請する活動がある。

 活動が終わると、ヘルパーはその日のメンバーとの関わりや、考えたことなどを報告書に書き、後日郵送する。報告書からは知的障害者がヘルパーの支援を受け、外出することの意味が感じられる。

●活動報告集より

 1995年6月、これまでの活動報告を1冊の本にまとめ、発行した。その『ガイドヘルプは人にやさしい街づくり-知的障害者ガイドヘルプ活動実践報告集』の中から抜粋してみる。

 その1 ゆうゆうへ何度いっても驚いたり、喜んだり、落ち込んだりと大忙しですが、メンバーさんの世界を拡げるためのヘルパーの私が反対にたくさん教えられて大きくなっていくように毎回思います。やっぱり本当に人と人とが影響し合うことに相手だけがプラスになったりマイナスになったりすることなんてないんですね。もしそうなってるとすれば、キャッチボールになっていないのでしょう。二人三脚のように、二人で前へ一緒に踏み出すことが確実な前進へつながっていくように思われます。(同書36頁、「二人三脚のように-」)

 その2 このヘルパー活動を通して初めて個別に出かけて地下鉄などに乗ると、確かに冷たい視線に出会うことがあって気になって〝ああ、本人・家族はこの中をずっとくぐり抜けてこられたのだなあ〟と頭が下がりました。

 活動するにつれ、周りの人達がどんな風にメンバーを見たり対応したりしているのだろうとマンウォッチングを楽しむことにしました。明らかに嫌そうな顔をする人、すぐに逃げて別の所へ行ってしまう人、じっと物珍しげに見る人、愛想よくメンバーとやりとりをしてくれる人など様々で、見ていて興味深いです。(中略)つきあってみると結構おもしろくて人間くさい、そんな人物をみなさまにご紹介、というつもりで歩く広告塔として出かけていきたいと思います。おかげで私の面の皮も一層厚くなりました。(同書59頁、「歩く広告塔」)

●今後に向けて

 「ゆうゆう」で活動するヘルパーは、学生、社会人、家庭を持つ人など様々である。ごく一般の市民の方たちだ。ガイドヘルパーとしての資格制度はない。実践を重ねてもらうことが第一だと考えている。地域に出て行けない知的障害者は小数の限られた人(例えば親や教師、福祉職員など)としか関わりを持てない。ヘルパーを通じて様々な人と関わりあうこと。ヘルパーと思いを伝えあい、わかりあうこと。これらのことから、自分の心が外に向かう。そして経験を重ねて自分の世界を広げ、豊かに生きる。知的障害者がガイドヘルパーと外出する最終目標はこのことではないだろうか。

 知的障害者の外出支援で難しいのは、意志や情報の伝達である。決まったやり方というものは通用しない。個人に合わせた支援が必要である。一朝一夕ではできないことだが、彼らのペースを基準にしてみると見えてくることがある。このためには1対1のガイドヘルプ活動が重要となってくる。今後、ガイドヘルプ活動によって、知的障害者が地域で自立し、〝ひとりの人〟として生きることがあたりまえとなる社会がつくられることを願ってやまない。

(参考文献) 略


(財)日本障害者リハビリテーション協会発行
「ノーマライゼーション 障害者の福祉」
1996年4月号(第16巻 通巻177号) 65頁~67頁