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ワールド・ナウ

エジプト

アル ヌール ワル アマル(希望と光)センター付属女子オーケストラ

長田こずえ

 筆者は1988年より国連西アジア経済社会委員会で障害者問題を扱ってきたが、最初の仕事は1989年11月にアマンで開催された、アラブ地域障害者問題専門家会議、〝障害者の可能性とニーズ〟であった。この会議は、一週間に及ぶものであったが、そのサイドイベントとして、有名なエジプトのアル ヌール ワル アマル(希望と光)オーケストラ(視力障害を持つ女性のオーケストラ)による、西欧クラシック音楽と、アラブ音楽のコンサートが催された(写真 略)。

 今回はこのアマル・オーケストラについて、詳しく述べてみたい。音楽と視力障害者については、よく関連性が指摘される。日本やウクライナなどでも、びわなど特定の楽器の演奏は視力障害者にまかされていた伝統もある。エジプトでも、イスラム教のコーランの朗読は、全盲の少年が生活の糧を得る唯一の手段として考えられていたこともあった。しかし、このアマル・オーケストラは、西欧クラシック音楽を中心とする世界的に名の知れた女性だけのオーケストラである。西欧クラシックはエジプトに根強く定着している。1805年から1848年に、エジプトを統治したムハメッド・アリーが最初に軍楽隊を通して、西欧音楽を持ち込んだ。その後継者のイスマイル・ペシャは、カイロにオペラ座を建設し、柿落の上演は、オペラ、ベルディーの〝リガレッタ〟であった。2年後には、このカイロ、オペラ座のために、ベルディーが特別に作曲した、有名な〝アイーダ〟が上演された。今世紀に入ってからも、ファウード王や、大統領時代のナセル、サダト、そして現在のムバラク大統領に至るまで、西欧音楽を奨励してきた。現在カイロにある新オペラ座は、日本政府の資金で建てられた。こういったように、歴史的にもカイロは西欧クラシック音楽と深い係りがある。現在の一般大衆向けのエジプトポピュラー音楽も、多くのヴァイオリンをつかったバックグラウンドオーケストラなど、西欧音楽の影響を強く受けている。一般的に、エジプト大衆は、甘くロマンティックな曲が好きらしい。

 さて、このアマル・オーケストラは、1950年代に設立されてから数年のうちにカイロオペラ座でも演奏した。1988年に当時エジプトの在ウイーン大使が初めてこのオーケストラをオーストリアに招いて以来、英国、ドイツ、スウェーデン、スペイン、モロッコ、ヨルダン、湾岸アラブ諸国、そして日本など世界各地で公演してまわった。現在では、35人の矯正視力20から400以下の10代から30代後半迄のエジプト女性で成る有名なオーケストラとなった。この他に、やはり35人の、もっと経験の少ない少女たちから成る第二軍(予備軍)オーケストラもある。

 オーケストラはアル ヌール ワル アマル 女子視力障害者センターの付属である。センターは1954年にイシタル・ラディーという裕福な社会事業家のエジプト女性によって建てられた。彼女がこのセンターを設立するまで、地方などに住む盲人の女の子達は、一日中なにもせず、家族からも見放され、閉鎖的になり、中には〝社会的な知的障害〟をひきおこすものもいた。ラディーは1977年に他界するまでエネルギッシュに盲人女性の福祉のために貢献した。現在、このセンターはオーケストラの他に、小学部、中学部、職業訓練部、製品販売部、自立生活指導部、寮、弁護士サービス部などを備える一大組織である。

 シェクファ・ファティーという小学部の女性音楽教師がそれぞれのパートの楽譜を点字楽譜に訳し、準備する。各自音楽家がオーケストラのリハーサルの前に各自のパートをこの点字楽譜を頼りに練習する。点字を発明したフランスのルイース・ブレイルは彼自身視力障害者であり、音楽家であったことから、1829年に点字が発明されて以来、音楽の楽譜を全部点字に変換することは可能である。但し、ピアノなどの楽譜に必要な右手パートと左手パートを同時に表示することは出来ないので、結局1行ずつ別々に表示することになる。さて、女性オーケストラのメンバー達は、点字楽譜に頼りながら、各自のパートの楽器を練習し、それぞれのパートのメロディーを自分のものにしていく。

 各自が自分のパートをマスターし終わった後に、指揮者アフマッド・アブ・エル・アイド(60歳代の障害を持たない男性指揮者)の挑戦が始まる。最初は、それぞれのパートを1つずつとりあげ、オーケストラ全体に聞かせ、徐々に2つのパートを一緒に、3つのパートを一緒にといった具合にモザイクのようにつなぎあわせて、最後に全体として完全なオーケストラに仕上げるのである。このプロセスは大変難しい。

 一般に視力障害者は、そうでない人よりも(目を使う視覚をカバーするため)聴覚がよりすぐれ、音楽的才能に富んでいるという思いこみがある。しかし、〝マエストロ〟アブ・エル・アイドはこれは単に神話であると否定する。彼に言わせると、視覚障害者も普通の人と同様、音楽的才能に豊かなものもいれば、そうでないものもいるし、練習も必要である。ただ一つの違いは、オーケストラに関しては彼女等は障害の無い人に比べて不利であること。なぜならオーケストラは通常一方の目で指揮者を見て、もう一方の目で楽譜を見ながら演奏するからである。世界的にも有名な全盲のミュージシャンがいるが、彼らは皆ソロの音楽専門で、オーケストラではない。一つ一つのパートを見事に組み込み、完全なオーケストラにするのは難しい。マエストロが指揮をするときは手を振る代りに、はえたたきを使い、その音を頼りにリズムをとる。もちろん彼は個々のパートを丁寧に見て、一人一人に正しい指導をしてまわる。このオーケストラはヨーハン・シュトラウスやドヴォルザークなどの西欧クラシック、あるいは現代アラブ音楽作曲家による西欧音楽風な曲を選んでいる。マエストロはこの点について少しプライドを持っている。

 カイロにはもう一つ視覚障害を持つ男性達によるオーケストラがあるが、これはかれの定義にもとずくと完全なオーケストラとはいえないらしい。というのは、こちらはアラブ伝統音楽を専門にしており、アラブ音楽は複雑なリズムとメロディーを持つのだが、オーケストラとしては、比較的単純であるらしい。それぞれの楽器パートがおおむね同じメロディーを弾いて、後ろでドラムなどの打楽器がリズムをとるのである。アル ヌール ワル アマル・オーケストラは、ヨーハン・シュトラウス、ドヴォルザーク、チャイコフスキーの〝くるみわり人形〟からの抜粋〝中国のダンス〟などの舞曲を得意とする。これは少し皮肉かもしれない。というのは、エジプトには西欧音楽は〝ハラーム〟(禁じられたもの)と考えるイスラム急進派の指導者がいる。これにたいして、西欧音楽奨励派は、〝西欧音楽を聞いたり弾いたりして、浮いた気分になり、踊りだしたい気持ちをもたなければ不道徳なものでは無く、かまわない〟という解釈をしている。イスラム教のベールをユニフォームにしているが、どの女性もこのオーケストラは素晴らしいと断言する。少女の一人が熱心な口調で語る。

 〝このオーケストラを通して、我々はエジプト人として、視覚障害者として、そして女性として世界に向かい、我々も、普通、障害を持たない人のための仕事と信じられていることを見事にやってのけ、可能性を証明してきた。視覚障害がいい加減な仕事の言い訳に成るのはもってのほか。私達は一流のオーケストラにならなければいけない〟

 頑張れ、アル ヌール ワル アマル オーケストラ。

(ながたこずえ 国連西アジア経済社会委員会)

文献 略


(財)日本障害者リハビリテーション協会発行
「ノーマライゼーション 障害者の福祉」
1996年4月号(第16巻 通巻177号) 72頁~74頁